2011年06月01日

あの日 3.11

あの日のことを忘れないうちに少し書こうと思う。
2011年3月11日 のことを。

東京都区内。東京駅まで数キロのところ マンション10F.

あの日 午後2時頃でかけようと思っていたのだが なんとなく午前中に用事をすませたほうがいいような気がして 11時頃出かけた。
1時ころには 帰宅し食事もすませて ほっと一息。

天気もよかったので洗濯物も取り入れのんびり PCに向かっていた。

2時46分。

PCがカタカタ揺れた。最初は あ・・地震かなと思ったくらいの揺れ。
そのうち 揺れが大きくなったのので部屋から出て TVをつけようとした。
揺れはだんだん大きくなっていった。リビングのドアが バタンバタンと閉まり始め 廊下側から手で押さえた。
廊下に出ていれば上から落ちてくるものはないしとりあえず無事かと思って トイレのドアをあけて
(ゆがんで使えなくなるのを防ぐため)玄関ドアも・・と思ったのだが 揺れが激しくて動けない。
たっているのがやっと・・・。腰を落としてひたすら耐えた。動けない。

大きなTV台が あっちこっちと滑った。ゴゴゴゴ・・音がする。ぎしぎし揺れる。この世の終わりかと思ったくらい。とうとう 東京直下型がおきたかと思った。

TV台がキャスターだったから ベランダ側の窓にあたって割れるかな・・と心配だったが どうやらコンセントが防いでくれたみたい。TVそのものは台に固定してあったから無事。
上を見れば 吊り下げ型の照明器具が ブランブランと大揺れをして 傘ははずれ今にも天井にぶつかって割れそうだった。そんなもののひとつや二つ割れたところで命に別状はないと 考えながら揺れが収まるのを待った。
震度5強。
隣接ビルの自動緊急地震速報のチャイムがピンポンパンポンなりっぱなしになっていた。

もし 予定通り午後出かけていたら と思うと 怖かった。

TVでは 緊急地震速報がでっぱなしで 東北・三陸沖が震源地と報道していた。
三陸沖でなんでこんなに揺れるのか・・と思ったらM8.4(後に M8.8 M9.0)とか表示されていた。揺れは長かった。2分40秒ほどだったそうだ。

とりあえず 家の中の点検。
TV台をもとに戻す。コンセントは抜けかかっていた。

箪笥 本箱 などすべての家具は 耐震用のマットなどガードしてあったので異常なし。
小型家電も粘着の耐震マットで付けてあったので無事。
食器棚本箱の硝子は 割れても飛び散らないよう テープを貼ってあったので無事。
キッチンの棚の上にあったカップめんがみな落ちて散乱していた。一番したに置いてあったペットボトルが倒れていた。
洗って流しの棚に乗せておいた 丼が1個落ちて割れていた。

部屋が乾燥しないようにと 机の上に洗面器に水を入れておいてあったんだけど すべてこぼれていた。棚の上にあった紙袋散乱。

人形ケースの人形は倒れていたが 破損なし。耐震マットのおかげで落ちることもなかった。
PCデスクの上の印刷機も耐震マットでくっつけてあったので無事。
キャスター付きの 引き出しケースなどは動いていた。

風呂 トイレ無事。
玄関のコート掛けもキャスターで動いていた。

洗濯機は3cmほど横にずれたみたいだが無事。

水道も出た。電気もついた。

点検が終わり こぼれた水を拭き 落ちたものを整頓し 部屋の外の様子をみようと思った。
余震は続いていたから そのたびに玄関ドアに モノをはさみ閉じ込められないようにしていた。

そのまま 玄関を出て エレベーターホールにいって 日本橋のほうを見た・・・とたんに ガタガタと防火扉が音をたてはじめた。
すぐ 大きな揺れが来て建物全体が震え始めた。歩くのもままならず 壁に手をつきながら部屋に戻った。これが 3時15分の茨城沖地震M7.4だった。

家人の安否を確かめたくても 電話はつながらなかった。
しかたなく メールを送った。cメール とEメール 両方。
どちらかが届けばいいと思い「こちらは無事です」との一言だけ。

余震の揺れに怯えながらTVを見ていた。
フジTV近くのお台場の火災が放映されていた。
そのうち 東北のほうの映像も入ってきて 津波が・・と言っていた。
画面を見れば じわじわと津波が押し寄せてきていた。
道路にまで水が来て あの車は大丈夫なのだろうか・・などと思っていた。
そのときは あんな大津波だとは思っていなかった。

夕方5時頃 空が真っ黒できのこ雲のようなものが遠く 千葉県のほうに見えた。
あれが 市原コスモ石油ガスタンク大爆発1回目だったそうだ。

空は黒くて墨を流したようで薄気味悪かった。おまけに雨まで降って・・・
地震の前後の空の色もおかしかった。
オーロラのような 黄色というかピンクというか・・淡いオレンジのような妙な空の色だった。

だから今でも ああいう空や 黒い墨を流したような空を見ると地震が起きるのではないかと不安になる。

夕方6時頃 家人から電話が入った。「あら 繋がったと驚いていた。何度かかけたみたいだった。
今日は帰宅を諦めて 仕事場に泊まる」という短い伝言。お互いの無事を確認しただけ。
もう一人の 家人からもメールが入る。どうやら 私からのメールが届いたらしい。
「無事です」との一言。

夕食を・・と思うけど 余震が怖くて火を使う気にならず ましてや買い物に出る気にもならずレトルトのものを レンジでチンして食べた。

とにかく 田舎に無事の電話を・・とかけてみたら 繋がった。
東京がそんなことになっているとは 先ほどまで知らず 電話したけどつながらなくて心配していたとのことだった。

TVはずっと つけっぱなし・・・。津波の被害が大きかったようだ。
原子力発電所は無事 自動停止したと報道していた。
そのときは よかった・・と信じていたのだが・・・・。

8時過ぎ 家人のもうひとりが歩いて帰宅した。1時間ほどで帰れたらしい。
どの道も 人であふれていたとのこと。

風呂と思ったが ガスが使えない!!

そうだ マイコンメーター・・と廊下に出て ガスメーターを操作して無事ガスも使えるようになった。

シャワーですませ ずっとTVを見ている。被害が甚大。
一晩中 緊急地震速報が流れ ビルのチャイムも絶え間なくなりうるさいほどになっていた。

揺れも大きく眠れない一夜だった。
自分の部屋のベッドには行かず 服のままリビングに布団を敷き横になっていた。

その日のうちに 緊急持ち出し袋を作った。
停電にそなえ 乾電池 ホッカイロ 懐中電灯 ヘルメット マスク ラジオなども手元に用意した。汲み置きの水を用意し 風呂にも水をいれ非常用にした。

トイレットペーパー 食糧 水が十分なことを確認した。
しばらく 外に出られなくても大丈夫だった。
エレベーターが止まってしまったので そのくらいの覚悟はした。(翌日には動いた)

そんな風にして あの日をすごしたのだった・・・・

早朝 かろうじて動いていた私鉄と地下鉄を乗り継いでもうひとりの家人が帰宅した。
3時間ほどかかったといっていた。

とにかく全員無事そろった・・・。。
posted by うめのはな at 15:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 絵とエッセイ