2012年01月26日

砂村新田について

三国町と砂村新左衛門のかかわりから 江東区の砂村新田のことも気になったので
「元八幡と砂村新田 」関 清春 著 という本を図書館で借りて読んだ。

砂村新田は砂村新左衛門主導の下、砂村新四郎らが江戸時代初期の万治年間に開発した。
深川から先は 干潟のようなところだったらしいが
三角州のような場所を基点に干拓が行われたものと思われる。この辺りの小高い洲が宝六島と呼ばれていたことから、新左衛門はこの新田に「宝六島新畠」と名づけた。後に「砂村新田」となる。

砂村新田はどうやって 造られたかの考証がある。
江戸のゴミを埋め立てたという説もあるが まてよ・・
江戸は究極のエコ都市。食べられるものは食べ 燃やせるものは燃やす。
布もボロボロになるまで使用し最後は薪となる。
し尿も肥料となり 捨てるものはほとんどない。
それなのにはたして 埋め立てるほどのゴミが出てしかも遠い砂村まで運んだのだろうか・・・
そうなれば この本の関さんが言っている通り 干拓事業だったのではないだろうかという説のほうが真実味がある。
中川に流れてくる 土砂や大川の土砂などを使用したのだろう。
運河のごとく 縦横にある仙台堀川 大横川 横十軒川など多数の川も船の行き来に大切な交通手段だったろうし 当然川底の土砂もすくっていたのであろう・・・
そんな風に書かれていた。

しかし砂村一族というのは 優秀な土木技術者集団だったのですね。

新左衛門が勧請した八幡(現在の富賀岡八幡宮)の辺りは江戸時代に「元はちまん」と呼ばれる景勝地だったらしく 広重の名所江戸百景に描かれている。桜の名所だったそうな。

以前深川資料館で 歌川広重による有名な『名所江戸百景』の特別展を見た。

目録と118枚の図絵から成る江戸末期の名所図会の集大成の展示。
深川資料館は江戸の庶民の暮らしを知るにはとてもいいところです。
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そのブログはこちらです。

http://umeno87.sblo.jp/article/42115777.html

名所江戸百景 「砂むら元八まん」をみると元八まんの社殿は描かれておらず、江戸湾を背景とした鳥居のみが描かれている。葦原があり地面が直接海面に接してる様子がうかがえる。

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前記の元八幡の立て札にも書いてあるように桜と松がたくさん植えられていた。
江東区はあちらこちらが桜並木の名所だし区の木には「クロマツ」が指定されている。

「元八幡(富賀岡八幡宮)の名称は、一説によると、富岡八幡宮を最初に勧請した所で、寛永年間(1624-1643)の初めに今の深川へ移し、そのため、寛文5年(1665)に旧地を元八幡と称したといわれています。
この付近は松樹が生茂り、前方は広大なる海面で、風光明媚な所であったといわれています。また「江戸名所図会」や、安藤広重の「名所江戸百景」などにも当時の様子が描かれています。(江東区掲示より)。」

富賀岡神社には
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砂町新田開拓者 砂村新左衛門顕彰碑 がある。
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そういえば 富岡八幡宮の本祭りは盛大で 54基ほどの神輿がでるが昨年は
震災で中止になった。今年はまた水掛けのにぎやかな神輿が繰り出すのだろうか・・・
楽しみです。

2008年度の祭りの写真です。

http://umeno87.sakura.ne.jp/fukagawa/maturi.html

三国の祭りは5月。大きな山車が数台出て狭い町中を練り歩きます。
子供の頃は 三国神社まで 何度出かけていったことやら・・
両側に たくさんの露店が並び それはそれは大賑わいなのです。
お祭りっていいなぁ・・・。
posted by うめのはな at 12:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 読書

2012年01月24日

三国町と砂村新左衛門

三国湊の改修工事のブログを書いたばかりだけど 実は町の中でも
埋め立て工事が行われていたことを最近 三国町の人のブログで知った。
江戸時代の歴史好きの私は さっそくいろいろ調べてみた。

三国にも木場町というのがありそこは 江戸時代に日和山を削って土砂を下に落とし埋め立てところだそうです。その工事を行ったのが 砂村新左衛門。
ブログで紹介されていた 本「砂村新左衛門 溝手正儀 著」をさっそく読んだ。
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わくわくしながら三国町のページを念入りに読んだ。
地図も見た。
ああ〜あそこか!!と思い出す。
辰巳川という小さな川が流れていて 神明3丁目あたりからは 高台になっていて
その川沿い崖上ぎりぎりに家が並んでいる。
そして 昔遊郭があったあたりからは 坂になり高台となっている。
私が好きな水羊羹やさん それから昔はくじらのカツを売っていた場所。
ああ・・あのあたりが昔は川だったのか・・と。

金鳳寺という古い寺や 商店街はたしかに高台にある。
昔は映画館もあったっけなぁ・・とかいろいろ思い出す。
木場町という呼び名は 聞いたことがあまりなかったけれど 川沿いにある古い家の
つくりをみれば 納得がいく。

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本の中の図を見れば 木場町の河岸とは反対側は崖になっている。

日和山を削ったというのもよくわかった。ちなみに、「日和山」という地名は全国各地にあり、港近くにある高台で船の行き来や天気を眺めていたところだそうです。


三国町の商家は カグラ建てというつくりが多い。
三国ではうなぎの寝床といわれる間口の狭い 奥行きの長い家が多い。
通りに面して「カグラ建」の主屋が建てられ店があり、その後方に「せど」と言われる中庭をつくる。この中庭を挟んで「くら」(土蔵)が建てられ、さらにその奥の川沿いに「にぐら」
がある。真ん中に土間の通路があることから 船の荷を直接荷揚げしていた名残であろう。
資料からちょいと図を拝借しました。
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三国の古い写真や地図などの資料は
陣内秀信 岡本哲志 著
『舟運を通して都市の水の文化を探る』という論文に詳細があります。
とても参考になりました。

砂村新左衛門といえば 東京江東区の砂町ゆかりの人でもある。
深川は昔から 木場があり 貯木場があった。今でも木場駅木場の町名はあるが
貯木場は新木場に移転している。
さてその深川に隣接しているのが 砂町であり昔の砂村である。
砂町というのは 単なる地名かと思っていました。海岸へりの砂地だったのかなぁ・程度。

江戸の都市改造が進む最中の1659年(万治2年)、砂村新左衛門が訪れ、この地で新田開発を行った。これが砂村新田となった。これは現在の南砂一丁目〜七丁目と東砂八丁目に相当する。北端には、境川(現・清洲橋通り。)

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この砂村新田に関しては 今「元八幡と砂村新田」関 清春 著
を読んでいるので 続編をかくことにします。
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元八幡には こんな立て札もあります。

そういえば 木場あたりにも辰巳芸者という名が残っています。
深川不動尊も成田山東京別院だし 三国にも成田山別院があります。
三国町との縁を感じました。

史実というのは知ればしるほど面白い!!
posted by うめのはな at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2012年01月22日

三国港のまないた石

子供の頃 何度となく言い聞かされていた奇妙な石についての言い伝えがある。
まないた石というそうだけど 昔 悪い殿様いて その殿様の側室を笑わせるため 妊婦の腹を切り裂いていた 石だという言い伝えです。その腹を割いた石が まないた石とのこと。 悪名高い 松平忠直である。

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まな板の部分1枚が長辺約180cm、短辺約160cm、厚さ約40cm。
福井市街南西の足羽山で産出される笏(しゃく)谷(だに)石でつくられている。
実はこの石 昭和4年以降3ヵ年の事業、三国港の工事の際引き上げられた石だそうです。

表の銅版に彫られた内容

 「三国港修築記念碑 
 昭和四年度以降三年継続事業として、工事費拾四万円をついやし、河口の水面五千余坪を埋めたて築港を造り、商業、漁業の発展を図る 
 市村慶三・斎藤直橘・小浜浄鉱・大達茂雄(歴代福井県知事名)」

裏の銅版に彫られた内容

「この石には不可思議な傳説が二つ語り傳へられて居ります そのことを私は耳に致しましてから再度の夢みにどうかしてこの石を明るい世界へ浮ばせたいと思ひまして近親のものにもはかつて記念の碑を建てることに致しました

傳説の一
北海道のさる物持から庭石にと注文をうけながら年に一度の出船までに間に合はなかつたのでそのまま港口に捨てられ長い恨をのんで埋もれてゐたのだ

傳説の二
福井藩忠直卿の亂行沙汰の節はらみ女腹切りの臺石に使はれてゐたのを恨の妖魔として河口深く埋もれてゐたのだ

漁港修築の記念に 謎のまま 永遠に残したいものと希つて居ります

昭和七年 四 月 十 日
   株式會社 飛鳥組
     代表者 飛 鳥 文 吉」

はたして真実はいかに?
でも地元の言い伝えは 腹きり石なんですよね・・・・
posted by うめのはな at 10:54| Comment(2) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2012年01月13日

人生の七味

おもしろい本を読んだ。

人生に七味あり という本。
その中で 人生には

うらみ
つらみ
ねたみ
そねみ
いやみ
ひがみ
やっかみ
の七味があると書いてあった。

正直でまっとうな人間ほど よからぬやつらからこの七味をあびせられという。
人生の七味とうがらしという。辛くて涙が出ることもある。

そこで負けなければ 大きく飛躍する人間になるし 辛すぎてつぶれてしまえば
やつらの思う壺となる。

たしかに・・・
そう思う。

人間の心とはやっかいなもので じぶんよりすぐれていたり自分にはないものを
持っていたりすると つい七味で攻撃したくなる。
そんな人間がわんさといるから たまらない。

サラリーマンの世界もそうだし 近所付き合いもそうだし 子供の世界だといじめとなる。
コンプレックスの裏返しでもあるわけで 本当は可愛そうな人なんだけど
こいつらは 群れてしまうからわけが悪い。
一人じゃ何もできない やつらでもある。

隣の芝生は青く見える って昔から言うじゃありませんか。
女の 七味はとっても醜い。標的となった人は きわめていい人で ボスが群をひきいて
ねたみそねみのオンパレードとなり ありえない噂をばらまくこととなる。

サラリーマンは出世の 妬みとか 仕事が出来る人とかでそういうこともあるんでしょう。

いやはや 人間というのはやっかいな生き物である。

もともと 
甘味
酸味
塩味
苦味
辛味
の五味が料理の基本で
それらをうまく調和しさらなる旨味を引き出すのが 七味というらしい。

一度の人生
旨く生きたいものである。
posted by うめのはな at 18:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2012年01月12日

ぶらぶらと日本橋界隈

昼過ぎ 久しぶりに 緊急地震速報がチロロンチロロンとなって驚いて構えてしまったけれど 東京あたりは震度1くらいだった。

日本橋にいたのだけど 町はいつも通り 人がたくさんいた。
日本橋からメトロリンク日本橋の無料バスに乗って 宝町駅まで。
大型バスも 満席で乗り降りする人がたくさんいた。

用事をすませて 今度はぶらぶら徒歩で日本橋に戻った。
持たされた手土産の箱が重いことこのうえない。なんだろうなぁ・・と。。。

ついでにデパートに寄って 西日本の野菜でも買おうか・・と
店を覗いた。。

えーーー!!京野菜なんだけど ほうれん草や小松菜が 500円ちょっとしました。新鮮そうじゃないし・・・聖護院カブもおいしそうじゃなくて 結局買わなかった。隣のコーナーは 普通に 茨城だの千葉だので スーパーと変わらなくて 何も高いもの買う必要ないなと お惣菜やさんへ向かった。

食材選びもちょっとこだわっているので 沖縄産とか九州産とか使っているサラダを買いました。普段あまりお惣菜というのは買わないけれど 帰宅しての調理がめんどうなので今日は特別。

どこが不景気なのかと思うくらい デパートの地下はにぎわっていました。

帰宅して 手土産をあけたら、明治屋のじゃむの詰め合わせ。。。ムムム・・どうせ重いならとらやの羊羹のほうがいい!!!って思ったりもして。。。でも 私が明治屋のジャムしか食べないと知ってか・・・ありがとね。とちょっとだけ。

しかし 飯館村のこおろぎ500匹が4170bqだなんてねぇ。。
虫さんも災難ですけど 食物連鎖で 鳥さんたちもやばいのじゃないかと思います。。。。。。ミツバチさんはどうなんでしょうねぇ・・・・。
posted by うめのはな at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区