2012年05月31日

南砂町散歩1 菖蒲園

四ツ目通りの東陽町、イースト21交差点から横十間川親水公園に入る。
井住橋跡の碑があった。
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しばらく遊歩道を歩くと 「田んぼの学校」があり田植えがされていた。
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もうすこし行くと 菖蒲園がある。花は早咲きのものが半分くらい咲いていた。
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ここの住所はもう南砂町になるのでしょうかね・・・
すぐそばの歩道には 「うるおいの木かげ道路」という標識がありました。
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歩道にはいろいろなタイル絵がありました。
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南砂町の散歩をはじめます。
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2012年05月30日

豪華寝台特急「夢空間」

三つ目通りを通ったら 木場公園側の木場3丁目交差点に寝台列車があった。
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何だろうと近寄ってみたら フレンチレストランだった。
オーナーシェフは日本人で唯一オリエント急行のシェフを務めたことがあるそうです。
列車内は1日1組だけの予約らしいですが 脇にはちゃんとレストランがありました。
駅舎のホームをイメージした建物で、まるでホーム前に列車があるみたいに見えました。
車両へはコース料理の最後のカフェラウンジとして案内してもらえるとのことです。
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この寝台車レストランA ta gueule(アタゴール)はJR東日本製造の超豪華寝台特急「夢空間」3 両のうちの1両オロネ25 901だったそうです。1989年に3両のみ製造されました。
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オロネ25 901 〔デラックススリーパー〕は1両に定員6名。A寝台車で2人用個室「エクセレントスイート」を1室、「スーペリアツイン」を2室有し、全室にバスルームも設置されている。内装は轄s屋が担当した。鉄道ファンも注目しているでしょうが 曽村譲司シェフのフレンチも気になります。今度ランチでも食べてみようかなぁ・・・ちなみに ますむらひろしの「アタゴオル」は大好きで漫画揃えて読んでいました。
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2012年05月29日

新橋駅 鉄道唱歌の碑・動輪

「ゆりかもめ」は混んでいました。終点 新橋で降ります。
ゆりかもめ駅の地上入口の正面、JR新橋駅の駅舎壁面に「C-58機関車の動輪」と「鉄道唱歌の碑」が柵に囲まれて並んでいます。
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 昭和32年(1957)10月4日の鉄道開通85周年記念日に鉄道唱歌の作詞者、大和田建樹生誕100年を記念して新橋駅に建立されました。
鉄道唱歌は明治時代の文学者大和田建樹自身が実際に汽車に乗ってつぶさに日本国内を旅行した見聞録だそうです。
「汽笛一聲新橋を はや我が汽車は離れたり 愛宕の山の入りのこる 月を旅路の友として」からはじまる東海道篇は 新橋〜神戸間の歌です。
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新橋駅は日本の鉄道が初めて走った場所です。
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1872年(明治5)の9月12日、 新橋〜横浜(桜木町)間に、日本で最初の鉄道が開業しました。 毎正時に発車して、1日に9往復でした。 C58425は1947年11月に汽車会社で製造された製造番号2561の機関車で、苗穂機関区に新製配置された。 その後、鷲別機関区に配置されたが最後は苗穂機関区で1974年7月に廃車となりました。
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碑の説明文です。
JR新橋駅日比谷口前にあるSL広場にSLのC11 292号機が展示保存されていますが今回はそこには行きませんでした。以前写したものでライトアップされたものがありました。
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東京駅丸の内北口地下 動輪の広場にも直径1m75cmの動輪が3つ並んでいます。
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この動輪は、かつて東海道線を走っていたC62-15型蒸気機関車のものです。
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2012年05月28日

シーパークライン お台場

船はフェリーふ頭公園そばを通ります。
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東京フェリーターミナルに停泊中のオーシャン東九フェリーです。
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東京ビッグサイト船着場を通過します。
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お台場夢の大橋をくぐります。観覧車が見えます。
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レインボウブリッジもくぐります。
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東京タワーも見えます。
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フジTVです。
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あのキリンは品川埠頭でしょうか・・・
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そしてまもなく お台場海浜公園船着場に到着しました。
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海浜公園には自由の女神像があります。
ゆりかもめ に乗り新橋へと向かいました。
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2012年05月27日

東京ゲートブリッジ

葛西臨海公園から水上バス シーパークラインの船に乗りました。
あいにくの曇りで視界はあまりよくなかったですがいろいろなものが見えました。
お台場海浜公園まで45分ほどの船旅です。
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この船 「さくら」に乗りました。
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出航しました。
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若洲橋をくぐります。
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若州の風車が見えました。
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東京ゲートブリッジが見えてきました。中央防波堤外側埋立地と江東区若洲を結ぶ橋梁です。
東京国際空港〈羽田)の航空機の飛行ルート上にあるため、橋の高さに制限(98.1m以下)があることと、東京東航路を通る大型船舶が航行可能な桁下の高さ54.6mを確保するため このような形のトラス橋になり 、恐竜が向かい合っているような特異な形状をしている事から恐竜橋とも呼ばれています。
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全長2,618m(陸上部アプローチ橋を含む)で照明機器には太陽光発電システムを導入し LED照明により、夜間のライトアップを行っています。
照明デザイナーは石井幹子さんで 葛西の観覧車のライトアップや東京タワー レインボーブリッジ ベイブリッジなどたくさんのライトアップを手がけています。
航行中 変わった船を見かけました。帆は葵の御紋です。なんだろう・・と写真に撮りました。
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調べたら 「安宅丸」でした。御座船「安宅丸(あたけまる)」とは 徳川時代の旧姿を現代に蘇らせた観光船だそうです。
参勤交代の時代に殿様御召船として使用された船を「御座船」といいます。
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この「御座船」は船内外に豪壮華麗な装いを凝らした、諸大名の自家用豪華客船だそうです。
そうなれば 一度くらいは乗ってみたいなぁ〜と調べましたら 青海〜有明で運航していました。
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ゲートブリッジのそばを通り お台場へと向かいました。
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2012年05月26日

葛西臨海公園のポピー畑

3月東京・江戸川区の葛西臨海水族園から逃亡したフンボルトペンギンが 昨日無事保護されたというニュースがありました。海を泳ぎまわっていたので とてもマッチョ化していたらしいです。
偶然にも昨日 葛西臨海公園にポピーを見に行きました。

京葉線の葛西臨海公園駅の目の前が 公園です。高架駅なので津波が来たらこの駅に逃げるのがいいかなぁ・・とか思ったりしながら芝生広場に向かいました。
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観覧車の下の芝生広場がポピーの花畑です。
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ちょうどお昼時で 遠足の子供たちが東屋や休憩所でお弁当を食べていたせいか 人も少なく花畑をゆっくり見ることができました。
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ポピーだけでなく ヤグルマギクなども一緒に咲いていて綺麗です。
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ポピーは 先週あたりがちょうど見ごろだったようです。
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6月2日 3日に無料の花摘みがあり 今年のポピーは終わります。来年 見ごろの時にまた見てみたいです。
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子供たちは 水族園へと入場していきました。水族園はさぞかしにぎやかなことだろうと思いました。
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ガラス張りの展望レストハウス「クリスタルビュー」です。
葛西海浜公園や 遠く東京湾が見えます。あいにくの曇り空で視界はあまりよくなかったですが ゲートブリッジなども見えました。
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この後 水辺ラインの船着場に向かいました。
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2012年05月25日

豊住ローズパティオ

豊住公園(豊住庭球場)脇の薔薇が綺麗に咲いています。今年もボランティアの人たちが 手入れしてくれたおかげです。
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薔薇のネーム札も新しくなったようで ネームもちゃんと読めます。
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草取り 肥料やりなどお世話ありがとうございます。
薔薇のきれいな花をみてとても和みました。
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「豊住ローズパティオ」はバラ園の名称であり、ボランティアグループの名前でもあるようです。

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2012年05月22日

御茶ノ水 神田の家

神田明神のすぐ隣、宮本公園内に黒漆喰がとても美しい木造家屋があります。
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これが【千代田区指定有形文化財神田の家です。文化財登録名は「遠藤家旧店舗・住宅主屋」。神田鎌倉河岸の江戸時代から続く材木商の店舗兼住宅。
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千代田区説明書き
「この建物は、江戸時代より神田鎌倉町で材木商を営んできた遠藤家が、関東大震災後、昭和初期に建てた店舗併用住宅です。伝統技術を受け継いだ職人たちが、腕によりをかけ、銘木や良材をふんだんに用いて建てています。幸いに戦災で焼失することもなく、都心部の木造住宅としては貴重な存在として残りました。
 
当初は平屋建てでしたが、昭和29年に一階の一部と二階を増築しました。また、昭和47年に神田から府中市に移築する際に、状態の良い部分を残し、さらに増築を行なっています。
2008年、府中市から神田宮本公園へ再移築するにあたり、府中時代は店として利用せず畳敷きにしていた部屋などを、かつての姿に復元しています。
 神田明神の氏子総代であり、生粋の江戸っ子だった遠藤家の亡き父の意志を受け継ぎ、「都心の子供たちが日本文化に触れる場所にしたい」と、江戸文化・伝統行事の紹介や講座、貸室などに使われています。」
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当時は鎌倉橋と神田橋の間にありました。赤印:エンドウ(内神田1丁目界隈)。
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神田の家の家主である遠藤家は、江戸城築城のために鎌倉材木座から招集された材木商。江戸城の立ち入りも許されていました。
多くの材木石材が相模国(さがみのくに)から運び込まれ、鎌倉から来た材木商たちが築城に使う建築部材を取り仕切っていました。そのため荷揚げ場が「鎌倉河岸」と呼ばれました。町名も鎌倉町でした。

黒い漆喰塗りの外壁は、江戸黒と呼ばれた江戸の町に多かった土蔵造りの雰囲気を今に伝える数少ないものです。
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日本橋などの格式を誇る店は必ず 江戸黒の黒い漆喰仕上げで、屋根が深い傾斜を持ち、土蔵造りであった。それがすらりと並んでいたのが 江戸以来の町並の姿です。白漆喰と比べて時間もカネもかかりました。そのため黒漆喰塗の建物を作れるということは商人の富の象徴でした。
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千代田区の説明書き。文化財指定理由は以下の通りです。
・材木商であるために入手可能であった貴重な銘木がふんだんに使用されている。
・関東大震災の復興建築として誕生している。
・戦時下の空襲、昭和30年代後半の高度成長期のビル建設ラッシュを潜り抜けた木造建築である。
・意匠的に優秀である。

内部の公開は日が決まっているようです。内部は銘木屋であっただけに、素晴らしい材料がふんだんに使われているそうです。

小江戸といわれる川越に日本橋をまねて作られた町並みが残っています。明治26年に起きた大火のあと、川越商人たちが建てた蔵造りの店舗で30棟ほど残っている蔵のほとんどは、「黒漆喰」です。
東京にはほとんど残っていない 黒漆喰も 江戸から普及していった地方にはあちこちに残っているのでしょうね。
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2012年05月21日

御茶ノ水 神田明神

神田明神にも行きました。
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随神門
「案内板より」
『神田神社御由緒』
御祭神
一の宮 大己貴命おおなむちのみこと (だいこく様)
二の宮 少彦名命すくなひこなのみこと (えびす様)
三の宮 平将門命たいらのまさかどのみこと (まさかど様)

{正式名称・神田神社。
東京都心108町会の総氏神様で、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥地の氏神様として、青果市場・魚市場の人々からもあつく崇敬されております。
縁結び、商売繁昌、社運隆昌、除災厄除、病気平癒など数多くのご神徳をお持ちの神々です。
当社は、730年のご創建で、江戸東京の中で最も歴史ある神社のひとつです。
はじめは現在の千代田区大手町・将門塚周辺に鎮座していましたが、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城が拡張された時、江戸城から表鬼門にあたる現在の地へ遷座いたしました。
それ以降、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として幕府から江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。
さらに、明治に入り、准勅祭社・東京府社に列格し皇居・東京の守護神と仰がれ、明治天皇も親しくご参拝になられました。}
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御神殿
江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ神田明神です。
江戸っ子たちの血を受け継ぐ 神田祭りは江戸三大祭のひとつです。
境内に神馬がいました。
「2011年11月01日神馬・神幸号「明(あかり)」ちゃんが神社に来ました
名前の「明(あかり)」は明るく平和な世を願った名前であるとともに、神田明神の「明」の字をいただきました。
信州・佐久高原で平成22年5月15日生まれた牝馬です。毛並みは「あし毛」といわれ、歳をとるごとに白毛が増え白馬になっていきます.」とのことです。
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境内にはいろいろな神様がおられます。
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えびす様尊像
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だいこく様尊像
そのほか 神田明神の境内には八雲神社、江戸神社、浦安稲荷神社、三宿神社、籠祖神社、水神社(魚河岸水神社)、末廣稲荷神社、などの境内社があります。
荷田春満が初めて国学の教場を開いたのが、神田明神の神主・芝崎家の屋敷内だったことから発祥の地とされています。
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国学発祥の碑
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野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次が当神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、有志の作家と出版社が発起人となり、寛永通寶を形どって建立したのが本殿横の銭形平次の碑です。ちゃんと八五郎の石もあります。
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小唄塚・小唄作詞塚
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獅子山
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男坂の脇には大公孫樹(おおいちょう)があります。この公孫樹(いちょう)は、江戸の昔よりこの地に育ちました由緒ある樹木である。大正時代、関東大震災により社殿をはじめ神社の諸施設がことごとく炎上し崩壊したなか、その焼け跡に唯一残されたのがこの公孫樹であった。と説明書きがありました。
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神田明神資料館にはいろいろな文化財が展示されているほか神田祭りの今と昔を比較するジオラマ展示もあります。
また 結婚式も行われますが 日本の伝統美を堪能する本格神社式で日本伝統文化を感じられるものです。他人ながら見とれてしまいます。
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神田神社(神田明神)ゆっくり参拝するのもいいものです。
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2012年05月20日

御茶ノ水 湯島聖堂

もう一つの聖堂、湯島聖堂は 西門から入りました。
入ってすぐが 杏壇門。
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『杏壇門』の扉の飾り文様。
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そして大成殿。(土・日・祝日は内部を公開している)
内部には『孔子像』を安置した祭壇などがあります。
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魔除けの屋根飾りは鬼ギン頭(きぎんとう)大成殿屋根、棟の両側に鎮座
鬼龍子(きりゅうし大成殿屋根、流れ棟の四隅角に鎮座
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階段を下りましたが あちこち工事中で足場が悪かったです。
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世界最大の孔子銅像です。4頭身ですね。
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湯島聖堂の前身は、江戸幕府の儒学者、林羅山(はやしらざん)が上野忍ヶ丘(うえのしのぶがおか)に建てた孔子廟(こうしびょう)である。
元禄3(1690)年、生類哀れみの令で有名な五代将軍徳川綱吉の命により、湯島の地に移されて、名称も「聖堂」と改められたということである。儒学に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、1690年この地に『湯島聖堂』を創建、孔子を祀る「大成殿」や「学舎」を建て、自らも「論語」の講釈を行うなど学問を奨励しました。
湯島聖堂は3度の江戸の大火、関東大震災、第2次世界大戦時の空襲によって焼失・改修を繰返している。

「説明版より」
「1632年、尾張藩主徳川義直林道春(羅山)をして、上野忍ケ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。
その回祿(火災)の災に罹るや、1690年、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と稱せり。
後、1799年大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大学を此地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、後、舊に復せり。
建造物は暫く東京博物館の一部に充てたりしたが、大正12年9月1日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉く焼亡せしを昭和10年4月4日鐡筋コンクリート構造に依りて原型に復せり。」
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仰高門に向かったのですが なにやら騒がしい。
人がたくさん集まっている。何事かと思えば ドラマの撮影らしい。
佐藤隆太や見たことのある女優 などがいた。休憩中らしく 通してくれが 門の写真が写せなくてなんとなく不満が残った。占有されてしまっていて 観光客は入るのをためらいます。現に「あの・・見学できますか?」と出てきた私たちは聞かれました。
私は何度か来ているからいいけれど はじめて見学に来た人たちには迷惑な話です。
だって 湯島聖堂の正門ですし 写真に全体像を撮りたい場所でもあるのですからね。早朝とか人のいない時間帯にやって欲しいです。
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しかし 湯島聖堂の木々はみな大きくて自然がそのまま残っているようで、貴重な森というか林というか緑豊かな場所です。都会の中のオアシスです。
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2012年05月19日

御茶ノ水 ニコライ堂

二つの聖堂の一つ ニコライ堂に行く。
正式名称は「東京復活大聖堂」であり、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶する大聖堂である。
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明治17年から24年までの足掛け7年で完成した日本最古のビザンチン様式の建築である。
ビザンチン様式とはモザイクや小さな窓に特徴のある教会建築である。
文久元年(1861年)から在日ロシア帝国領事館付き司祭として布教活動をした大主教カサーツキン・ニコライが依頼し、鹿鳴館の設計で有名なジョサイア・コンドルが設計監督を務めた名建築である。
ロシア人建築家シチュールポフの設計図面を基に、コンドルが実施設計・監督。 1884年(明治17年)に着工、1891年(明治24年)2月 完成。

1923年9月1日に発生した関東大震災により煉瓦造の鐘楼が倒壊してドームを破壊しこの時に発生した火災によりイコノスタシスなどを含めた内部や木造部分の多くを焼損した。

1927年から1929年にかけて建築家・岡田信一郎の設計により構造の補強と修復が行われ、鐘楼を低く抑えたことなどにより外観が一部変更された。
屋根と鐘楼の外観は、創建当初の姿とは異なっています。

1962年6月21日、国の重要文化財に「日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(ニコライ堂)」の名で指定された。
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(案内板)
『東京復活大聖堂』 (通称ニコライ堂)
[この聖堂は明治17年3月に起工し工期7年を以って同24年2月に完成したもので、設計者はロシア工科大学教授シチュールポフ博士、工事監督は、英国人コンドル博士です。
日本最大のビザンチン式建造物として知られております。]

構造 煉瓦・石造平屋建て、塔屋付、銅板葺
建築面積 805.3m2
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聖堂拝観(見学)は 時間が決まっていて 有料です。撮影は不可。
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2012年05月18日

御茶ノ水 聖橋

御茶ノ水に行った。
街の風景は少しずつ変わってきているけれど 聖橋は変わっていない。学生の頃は なけなしのお金をはたいて レモン画廊で絵の具を買った。それも 単色を1個ずつ。同じ色でも何種類もあって迷いながら買った。そんなことを思い出しながら聖橋を渡った。
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聖橋(ひじりばし)は神田川に架かり 本郷通りを渡す橋である。
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震災復興橋として昭和3年に架橋された白いアーチ形のこの橋の名前は、一般公募によるもので、北側の湯島聖堂(ゆしませいどう)と南側のニコライ堂という二つの聖堂を結ぶことにちなむという。
よく見れば聖橋 橋詰広場 柵に、ニコライ堂がデザインされています。
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その由来の石標があった。
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(聖橋の由来)
「聖橋は、東京市により関東大震災の復興橋りょうとして、総工費72万4807円で2年8か月の歳月を要して昭和2年7月に完成した。
神田川の美しい景観の中にあってこの橋のデザインには、特に気を使い、橋長92.47m、幅員22mのモダンなアーチ橋が架けられた。
橋名の由来は、北側にある国指定の史跡で江戸幕府の官学所『湯島聖堂』と、南側にある国指定の重要文化財でビザンチン風の建物『日本ハリストス正教会復活大聖堂』(通称ニコライ堂)の両聖堂にちなんでいる。
聖橋は、近くの鋼ラーメンの御茶ノ水橋、アーチの昌平橋、万世橋とともに「東京の著名橋」に選定され、神田川の名所となっている。」
聖橋は 復興院橋梁課嘱託の山田守デザインの鋼とコンクリートによる大胆なアーチの造形が特徴です。立体的な橋脚美は東京の新名所となりました。

日本の橋の歴史を少しだけ調べました。

木の橋が中心の日本で、江戸時代に石造りアーチ橋の技術が日本に伝わり、九州でこの石の橋が多く造られました。
沖縄には、「天女橋」という日本最古の石造りアーチ橋が残っています。(1502年、重要文化財) 橋長9.4m・幅3mの小さな橋です。弁財天堂(1502年)へ渡る橋として架けられました

日本最初の鉄筋コンクリート橋は、琵琶湖第一疏水、山科区日ノ岡にある第3トンネル東の第11号橋で、これは「国指定史跡」であり、多くの学術文献にも記載されている。1903(明治36)年7月竣工。

日本で最初のPCコンクリート橋長生橋(七尾市:昭和 26 年竣工)は、3連の支間長3.8mの単純スラブ橋で、プレテンション形式でした。撤去されました。
その翌年には十郷橋〈福井県坂井市・支間長7.0m、単純T桁橋)がポストテンション形式(ポステンT桁橋)の道路橋として建設されています。昭和28年竣工。現存しています。

明治橋(めいじばし)は、1902年(明治35年)に架設された。大分県臼杵市野津町の大野川水系野津川に架かる鋼橋。原位置(架橋当初の場所)にある現役の鋼橋としては日本最古の橋である。2005年に土木学会選奨土木遺産に選定されている。、日本最古の鋼・コンクリート合成床版を有する鋼橋でもある。

しかし 聖橋は美しい。御茶ノ水橋から見るのがいいです。駅ホームも見えます。
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お茶の水といえば ニコライ堂と湯島聖堂。そして神田明神です。順に廻ります。
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2012年05月17日

福井のあぶらあげ

昨日 根津美術館に行った帰りに 福井のアンテナショップへ寄った。
いろいろ欲しいものがあったので買い物。

売れ行きNo.1という 大福あんぱん〈210円)を買う。食べたみたら パンの中に大福が入っているので食感がなんとも言えず絶妙だった。これは美味しかった!
No.2は塩こうじ。これは季節柄パス。
福井のあぶらあげが No.3です。福井のあぶらあげは美味しい。ましてや 谷口の。。とくれば買わずにはいられない。だって福井でもすぐ売り切れてしまうものだからです。
東京であぶらあげといえば おなじみの「うすあげ」のこと。
普通の 分厚いのは「厚揚げ」です。これが 福井のあぶらあげとは 似て非なるものです。
福井のあぶらあげは 分厚いのですが 厚揚げではないのです。
関東に出てきて あぶらあげかと思い 食べた厚揚げの硬くてまずかったこと・・・それ以来 厚揚げは嫌いになりました。

子供の頃から あぶらあげといえば福井では 分厚いあぶらあげでしたから 厚揚げが あぶらあげだと思って買ったのにぜんぜん別物だったのです。
というわけで 買いました。
そしたら 係り員の人が 「今夜 NHKのためしてがってんで 福井のあぶらあげの放送します」と教えてくれたので へぇ〜いいタイミングと思い 帰宅してTVみました。

福井はあぶらあげ王国。消費が日本一。からはじまり その美味しさ 製法の違いなどなど紹介していました。いやぁ〜手間かけて作っているのはじめて知りました。1枚のあげにつき約1時間、揚がり具合を見ながら100回以上手作業でひっくり返しじっくりと揚げているとのことでした。

福井にいたころは これ以外のあぶらあげが存在することなど思いもしなかったのですから 身近で当たり前のように食べていましたからね。

改めて 福井のあぶらあげの美味しさを実感したわけです。
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14cm四方、厚さ4cm。あげたては 表面がカリカリ。中はほくほく。う〜ん揚げたてを食べたいですが 買ったものをレンジで1分。フライパンで表面を焼いたら カリカリほくほくで美味しくいただけました。
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2012年05月16日

根津美術館・KORIN展

特別展 KORIN展
国宝「燕子花図」とメトロポリタン美術館所蔵「八橋図」
2012年4月21日(土)〜5月20日(日)
見に行きました。
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昨年の開催で企画されていた展覧会ですが、東日本大震災の影響により中止となり、一年遅れで開催されました。

閉幕が近いからか人が多かったです。表参道の駅から 坂を下る人はたいてい美術館に行く人です。登ってくる人はたいてい手にパンフレットなどを持っているので美術館帰りだとわかります。
チケット買って入場するまでに並んで数分かかりましたが 入場してしまえば そんなに混み合っているとは感じませんでした。「燕子花図」「八橋図」は並んでいますが大きなものなので十分鑑賞することができました。
光琳ふたつの金屏風が海を越えて100年ぶりに再会するということですが 毎年カキツバタが咲くこの時期に合わせて開催したというのもまたオツなものです。庭にはカキツバタ咲いていました。
金地に群青と緑青の濃淡で描かれています。根津美術館所蔵のもののほうが保存状態はいいように思えました。そりゃ海を渡ったのですからね・・・。
「燕子花図屏風」は尾形光琳が40代半ばに、「八橋図屏風」はその約10年後の50代の時に描いたものだそうです。
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最初期の作品から、酒井抱一編『光琳百図』所載作品まで見ることができます。

2Fのテーマ展示5の「きらめく螺鈿」螺鈿楼閣人物文箱などがすばらしかったです。

その後 庭に出て カキツバタを鑑賞しました。
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もう終わりかけですね。
しかしこのお庭は 都心の一等地にあるとは思えない緑と自然豊かな庭ですね。
何度かきていますが 季節ごとに見るたびごとに雰囲気が違います。
神社もありました。
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さりげなく置かれている 石灯籠や石仏もそれなりの古い歴史があってすばらしいものばかりです。
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http://umeno87.sblo.jp/article/43737610.html
この日のブログに庭園のことを書いていて 写真もあります。
posted by うめのはな at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館・芸術鑑賞

2012年05月14日

仙台堀川公園ぶらり

区役所に行くついでに 菖蒲園の様子を見に行った。
仙台堀川公園はなかなか面白い。総延長は3700メートルになり、都内最大の規模を持つ親水公園で面積は約103,850m2にも及びます。
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西は大横川合流地点で、北は小名木川合流地点までとなっている。横十軒川合流地点あたりに菖蒲園はあります。江東区の親水公園は各地区ごとにテーマがあり、そのテーマごとに趣向を凝らした造りとなっています。桜の名所は言うまでもなく釣堀があったりもします。橋の形も特徴がありいろいろ面白い公園です。
トーテムポールや 埴輪などもあります。
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トイレは「すっきり館」と言います。誰が付けた名か面白いです。
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途中には野鳥の森などもあり 「カワセミ」なども見かけます。
小動物の小屋もあります。
そして 水車小屋もありちゃんと動いています。
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池では亀が甲羅干し。
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菖蒲園はまだ少し早かったので 数えるほどしか咲いていませんでした。
せっせとお手入れをしている最中でした。
もう少ししたら きれいに咲くのでしょうね。楽しみです。
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posted by うめのはな at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2012年05月13日

行船公園(江戸川区)

連休明けに 西葛西に術後3ヶ月目の検診に行った。
連休の合間は 強風や雷雨で天気が悪かったせいもあってみなこの日とばかり患者さんが押し寄せたのであろうか いつになく混んでいた。
担当医の順番は6番目だったのだけど その前に 視力検査等があってみなそれを受けるので表示には50分待ちとなっていた。まぁ その倍は待つことになるだろうと思った。
3時半頃 待てども待てども順番がこないと周りの人たちが騒ぎ出す。口々に「まだですか」と受付票を見せて確認してもらっている。後ろに座っていたひとたちが「私たち2時半に受付したのにもう1時間・・」と。私と隣の人は振り返り「私たち1時40分でもまだなんですから まだまだですよ〜」と。
こういう場合はジタバタしてもしょうがない。
でも 聞けば出かけること連絡していけば外出しててもいいとのことです。

それなら 近くにある「行船公園」でも散歩するのもいい。
この公園はすばらしいです。西葛西駅から徒歩15分
数寄屋造りの「源心庵」
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池を囲む緑豊かな築山池泉廻遊式の「平成庭園」
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四季折々の花。今は芍薬や花菖蒲などです。
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おまけに 無料の動物園まであります。
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オオアリクイやレッサーパンダ、フンボルトペンギン、リスザル、ハヤブサ、などなど動物もたくさんいて うさぎなどはふれあって遊べます。

無料ってのが何気にすごい・・・。
posted by うめのはな at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川区

2012年05月12日

深川散歩 まとめ

今回の深川散歩の記事です。
(05/11)深川散歩20 江東区伝統芸能
(05/10)深川散歩19 昭和の遺産
(05/09)深川散歩18 深川寺町6 間宮林蔵の墓
(05/09)深川散歩17 深川寺町5 墓事情
(05/08)深川散歩16 深川寺町4 園女の墓・出世不動尊
(05/07)深川散歩15 深川寺町3 霊巖寺
(05/06)深川散歩14 深川寺町2 深川江戸資料館通り
(05/05)深川散歩13 深川寺町1 浄心寺
(05/05)深川散歩12 和倉橋跡・冬木弁天堂
(05/04)深川散歩11 旧新田橋(八幡堀遊歩道)
(05/04)深川散歩10 八幡橋 (八幡堀遊歩道)
(05/03)深川散歩9 富岡八幡宮5 富士塚
(05/02)深川散歩8 富岡八幡宮4 境内社・末社
(05/02)深川散歩7 富岡八幡宮3 石碑
(05/01)深川散歩6 富岡八幡宮2 神輿
(04/30)深川散歩5 富岡八幡宮1
(04/29)深川散歩4 深川不動堂
(04/28)深川散歩3 永代寺
(04/27)深川散歩2 深川公園の石
(04/26) 深川散歩1 園女歌仙桜の碑

関連写真集は東京散歩アルバムにあります。
http://umeno87.sakura.ne.jp/sanpo.html
2011年4月 木場公園 大横川 仙台堀川 桜
2010年5月 木場公園界隈ポピー畑とバラ
2010年4月 古石場〜清澄庭園〜芭蕉庵〜隅田川テラス
2010年4月 お江戸深川さくら祭り 花見船
2009年4月 大横川 仙台堀川 木場公園 桜
2009年2月 深川 善徳寺 枝垂れ梅〜清澄庭園
2008年 江戸深川八幡祭り 本祭り 神輿
2008年 亀戸天神 藤まつり
2008年 桜 仙台堀川親水公園 他
2008年 大横川の河津桜 木場公園
江東区民祭り 木場公園 木場の角乗り
民族芸能祭り 木場公園  深川の力持ち
大江戸神輿祭り  木場公園 
お江戸深川桜祭り 門前仲町 
潮風の散歩道 ハナモクレンの咲く運河 江東区
木場界隈〜清澄公園  親水公園散歩 和船
仙台堀川親水公園〜横十間川親水公園〜猿江恩賜公園
木場公園  現代美術館
富岡八幡宮 深川不動尊

(今回の深川散歩の写真集はまだ製作していません。)
清澄庭園 芭蕉庵などはブログの中、アルバムにあります。
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2012年05月11日

深川散歩20 江東区伝統芸能

江東区には大切に守って継承されている 伝統芸能があり 
江東区登録無形民俗文化財の継承と後継者育成のための稽古場もあります。
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木場公園近くの稽古場です。
木場公園には木場の角乗りの練習用プールがあります。初夏から10月にかけて毎週日曜日には木場角乗り保存会の練習風景が見られます。民族芸能は10月の区民祭りなどで披露されます。

江東区登録無形民俗文化財(民俗芸能)/東京都指定無形民俗文化財(民俗芸能)

木場の角乗
木場の角乗(かくのり)は、江戸時代に木場の筏師(川並)が、水辺に浮かべた材木を、鳶口ひとつで乗りこなして筏に組む仕事の余技から発生しました。これに数々の技術が加わり、芸能として発達しました。角乗に用いられる材木は、角材を使用するため、丸太乗りより技術を必要とします。角乗の演技に合わせて、葛西囃子が速いテンポで、演奏されます。
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木場の木遣
木場の木遣(きやり)は、徳川家康が江戸城造営の時に連れてきた材木商が伝えたものと言われていますが、確かなことは不明です。
 木場の筏師(川並)が、鳶口ひとつで材木を操る時の労働歌で、たがいの息を合わせるため、掛け声のように即興の詩をつけて歌ったものです。そのため木の大きさによる仕事のテンポの違いから、それぞれフシ(間)の異なるものができました。
近年は各地からの職人が集まるようになって、仕事場では歌われなくなり、今では保存会の人たちによって祝儀の場などで歌われています。
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砂村囃子
砂村囃子は、享保年間(1716〜36)の初めに金町の香取明神社(現在の葛西神社)の神官能勢環が、農民に囃子を教え、それが近隣の農村に広まったものと伝えられています。葛西囃子や神田囃子と同じく江戸近辺の祭囃子のひとつで、大太鼓1、締太鼓2、篠笛1、鉦1で演奏します。
富賀岡八幡をはじめ、区内神社の祭礼、祝儀の場などで演奏されています。
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深川の力持
深川の力持(ちからもち)は、江戸時代からの倉庫地帯であった佐賀あたりで、米俵や酒樽などの運搬から発生した余技で、種々の力自慢が加わり、芸能として発達したものです。文化・文政のころ(19世紀初め)には、興行として行われるほど盛んになり、長唄「近江のお兼」にもうたわれています。 演技には、米俵、臼、小舟、脚立、長柄、小桶、木箱などが用いられ、砂村囃子がはやします。
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富岡八幡の手古舞
富岡八幡の手古舞(てこまい)は、富岡八幡宮の三年に一度の大祭に行われる芸能で、江戸時代以来の伝統をもっています。手古舞の語源は不明ですが、石や木を大勢で運搬するときに、先頭に立って指揮をする人、梃子前(てこまえ)の転訛であるといわれています。
 現在手古舞をつとめるのは、かつての辰巳芸者と有志の人たちです。装束は、男髷に台肘(だいつき)の長襦袢を片肌脱ぎにして、肩抜き染めの上着と裁着(たっつけ)にわらじばきという男装です。所作は特にありませんが、神輿行列の先頭に立って、木遣で練ります。
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(文章は江東区説明文より)写真は区民祭りで写したものです。写真集は下記にあります。
http://umeno87.sakura.ne.jp/Photo/kakunori.html
民俗芸能祭り(江東区民祭り) 木場公園 木場の角乗り (2007年)
http://umeno87.sakura.ne.jp/Photo/tikaramoti.html
民族芸能祭り(江東区民祭り) 木場公園  深川の力持ち 他
posted by うめのはな at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2012年05月10日

深川散歩19 昭和の遺産

江東区内には関東大震災後の復興事業の一環として建てられた古い建造物が現存しています。清澄公園の東側、清澄通り沿いに建つ旧東京市営店舗向住宅です。
昭和3年に建てられたものです。関東大震災後の復興建築ということもあり、鉄筋コンクリートにて施工されていますから 80年以上たっても現役で商店として使われている 生きる文化財的貴重な建物です。
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旧東京市営店舗向住宅 住所:江東区清澄3-3
竣工:昭和3年(1928) 構造:RC2 計48戸
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清澄白河駅から歩いてすぐの清澄通りに面しています。

もうひとつ 霊巖寺裏 清洲橋通りに面した「清洲寮」です。
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東京都江東区白河1-3-13 <構 造> 鉄筋コンクリート造4階建て
(寮というのはアパートメントの意味)1933年(昭和8年)設計施工:大林組 
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総戸数66戸、長さが70mもあります。
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戦火にも耐え 外壁の整備も行き届き 空き部屋にユニットバスをつけると人気が出ていつも満室だそうです。
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2012年05月09日

深川散歩18 深川寺町6 間宮林蔵の墓

浄心寺の少し先、やはり道路に面した場所に 間宮林蔵の墓がありました。
江東区平野2-7-8 (本立院墓地)
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墓地といいますが この墓だけポツンと・・という感じでした。
平野2丁目の交差点すぐ マンションと民家にはさまれた墓でした。本立院は平野1丁目14-7ですから寺からは少し離れているんですね。20124sirakawa91.JPG
本立院
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「間宮林蔵まみやりんぞうは、安永9年(1780、一説に安永4年)、常陸国(茨城県)筑波郡上平柳村に生まれ、天保15年(1844)に深川蛤町の家で没しました。
 名は倫宗といい、伊能忠敬に測量を学び、寛政12年(1800)に幕府の蝦夷地御用雇となり、蝦夷(北海道)をはじめとする北地探検と測量に従事しました。
 文化5年(1808)、幕命により松田伝十郎とともに樺太(サハリン)を探検した間宮林蔵は翌文化6年(1809)7月2日単身樺太からシベリアへ渡って沿海州に入り、黒竜江(アムール川)をさかのぼりデレンに達しました。この15ヵ月間に、およぶ探検で、樺太が島であることが明らかとなりました。
 林蔵は後に間宮海峡と命名される海峡を奥州人にさきがけて発見したことにより、地理学者、探検家として世界的に有名となりました。
 平成2年(1990)2月1日 江東区教育委員会」説明版より
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お世話してくれる人がいるみたいでお花が新しかった。
間宮林蔵はカラフト探検に決死の覚悟で旅立つ際に、墓を自らが建てたとも伝えられています。
墓石の正面には、「間宮林蔵蕪崇之墓」と刻まれています。この墓表は、水戸徳川家藩主徳川斉昭が選したものです。水戸家と大変深い関係にあったことがわかります。 この墓石は昭和20年3月10日の東京大空襲で焼けてしまいました。幸い拓本が残っていたので、その文字をもとに昭和21年5月に新しく建て直されたものだそうです。
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「間宮林蔵蕪崇之墓
間宮林蔵生前自ら碑を当本立院(ほんりゅういん)に建て標して間宮林蔵蕪崇の墓という是実に水戸烈公の撰して贈れ時なり測らざなりき昭和20年3月10日に至らしとは幸いにして家蔵の墓損有り之に依て再建を図る元より形状碑面総て原型と些細に異なるなきを期す而して今やこう成るを告ぐ即ちここに再建の由縁を録し以て永く後代に伝えんとす。
  昭和21年5月5日     4代の後裔間宮馨誌
 大正14年5月 史蹟指定 間宮林蔵之墓 東京府」
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深川散歩17 深川寺町5 紀伊国屋文左衛門の墓

江東区の平野町、三好町界隈は向こう3軒両隣も寺というくらいたくさんの寺がありますよ。お寺の墓地が、町のかなりの部分を占めているように思えます。各お寺の墓地が並んでいて「共同墓地」になっているようなものもあります。歴史は古く お墓を見ると、天保時代の年号が墓石に刻まれていたりもします。
ですから 当然家系が途絶えて連絡もつかなくて無縁墓になるものもあり そういうものを整理し無縁墓に移されます。どのお寺の墓地にも、下に納骨スペースのある無縁墓の供養塔があります。
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浄心寺
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霊巖寺境内に入りすぐ左側の無縁墓石を集めた場所。
有名人であれば、墓が名所になりますから 無縁でも残るでしょうね。
墓場には立ち入りたくないですし墓探しというのは特にしませんでした。

墓場じゃなくて 道路沿いにあったのが 紀伊国屋文左衛門の墓です。
江戸前期の豪商として知られる紀伊国屋文左衛門の墓は、成等院という小さなお寺の右手奥にあります。(三好1−6−13 )
奥というか 道路沿いなんですけどね・・・残念ながら玉垣の内部が昨年の地震で倒壊しテープが貼られ、立ち入り禁止となっていました。
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立派な石碑の左手に小さく朽ちかけたような墓がありますが それが 紀伊国屋文左衛門の墓です。
相当古いものでしょうから 本物なんでしょうがお大尽様の墓にしては・・・
紀伊国屋文左衛門の晩年は材木商は廃業し、深川八幡で過ごしています。66歳で死去。紀伊国屋は2代目が継いだが衰退した。一代で財をなし一代で散ったという豪快な人生でした。
文左衛門の郷里、和歌山出身の木場に住む材木商らが1958年に追善供養し あの大きな石碑を建てたとのこと。
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玉垣に刻まれた寄進者の名前には「紀文会」他 当時の和歌山県知事の名前や議員の名 紀州出身の人 木場の人たちの名がありました。紀伊国屋文左衛門は、深川だけでなく、和歌山の誇りでもあるのだとわかります。
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しかし地震から一年以上たった今もなお、再整備されず立ち入り禁止のままです。
この墓は誰が 再整備するのでしょうか・・・
成等院は小さな寺ですし 玉垣を整備した頃の「紀文会」はどうなっているのやらわからないし木場の材木商は新木場に移転してもういないし・・紀州の人たちはこういう墓の事情には関心がないのでしょうか。この「紀伊国屋文左衛門の墓」の再整備にお金を出してくれる人はいないのかしら。
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2012年05月08日

深川散歩16 深川寺町4 園女の墓・出世不動尊

霊巖寺のすぐそばには 浄土宗 雄松院があります。(江東区白河1-1-8)霊巌寺のもと別院。
寛永4年(1627)霊巌寺の開山堂として創建したといいます。小さな寺で改築中でした。
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豪商奈良屋茂左衛門の過去帳があります。境内というにはあまりにも小さく 墓が隙間なく並んでいるという感じでした。園女の墓を探しました。
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園女の墓は 一つだけ離れて 雄松院の道路沿いの塀の前にありました。
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度会園女墓
「園女は斯波一有の妻で大坂にすみ夫妻医業を営んでいた。園女は俳句を芭蕉に学び元禄7年芭蕉が大坂にゆき園女の宅で発病し10月12日死去した。園女は夫の死後江戸に移住し富岡八幡宮前にすみ眼科医をしていた園女は富岡へ36本の桜を植え歌仙桜と称しそこが桜の名所となった。園女は享保11年(1727)4月20日死去し雄松院に葬られた。墓石につぎの辞世の歌が記されている

 秋の月 春の曙見し空は 夢かうつつか南無阿弥陀佛
昭和43年(1968)10月1日 江東区 第25号 」

石碑は「そのめ」ではなく「そのじょ」となっていました。

ぐるっとまわり霊巌寺の山門前の路地を入ると 出世不動尊(長専院不動寺)がありました。(東京都江東区三好1-6-3 ) 20124sirakawa75.JPG
「江戸に幕府が開かれ多くの人々が移り住んできたとき、浄土宗の高僧霊厳上人が広く説法教化をした。幕府より隅田川沿いの湿地を埋め立てて寺を建立することを許されたが、難工事を強いられていた。その頃近江三井寺の不動堂住職期妙の夢の中に本尊の不動尊像が現れ「手助けをしたいので江戸に連れて行くように」とお告げがあった。霊巌時の工事の中、お堂を建てて安置したところ、工事も順調に進み、後に不動寺に安置され上人から『出世不動』と命名された。1653年この地に移転、関東大震災後、長専院と合併し、以来「深川の出世不動」として広く信仰を集め親しまれている。」
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出世不動尊 庭に見事な枝垂れ桜と八重桜の大木があります。散っていました。(4/30)
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2012年05月07日

深川散歩15 深川寺町3 霊巖寺

霊巖寺は深川江戸資料館の隣にあります。江東区白河1-3-32、関東十八檀林の一つ。
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明暦3年(1657年)、明暦の大火で霊巌寺も延焼。1658年に中央区の霊岸島から移転。当時は深川一の大寺でした。
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ここには 前出の銅造地蔵菩薩坐像 (江戸6地蔵の1)があります。
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東京都指定有形文化財(彫刻)
 銅造地蔵菩薩坐像 (江戸6地蔵の1)
     昭和45年(1970)8月3日指定
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「像の高さは、2.73メートル。深川の地蔵坊正元が発願し、江戸市中から多くの賛同者を得て、江戸6地蔵の第5番として、享保2年(1717)ごろ建立されたものである。製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。
 蓮台には数ヶ所湯の廻らなかったところがあり、造立銘文はこれを避けて刻まれている。また、顔や肩などには金箔が残っている。
 なお、江戸6地蔵はつぎのとおりである。

   品川寺  品川区南品川3丁目
   太宗寺  新宿区新宿2丁目
   真性寺  豊島区巣鴨3丁目
   東禅寺  台東区東浅草2丁目
   永代寺  江東区=消滅

東京都文化財保護条例(昭和51年〔1976〕3月31日改正)により、文化財の指定種別を都重宝から東京都指定有形文化財に変更しましたので、石造標識については、このように読み替えてください。
   平成19年(2007)3月1日 東京都教育委員会」

11代将軍徳川家斉のもとで老中首座として寛政の改革を行った松平定信の墓をはじめ、今治藩主松平家や膳所藩主本多家など大名の墓が多い。
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東京都指定史跡 松平定信墓
     昭和3年(1928)1月18日指定
「松平定信(1758〜1829)は8代将軍徳川吉宗の孫、田安宗武の子として生まれ、陸奥白河藩主となり、白河楽翁を号していた。
 天明7年(1787)6月に老中となり寛政の改革を断行、寛政5年(1793)老中を辞している。定信は老中になると直ちに札差統制(旗本・御家人などの借金救済)・七分積立金(江戸市民の救済)などの新法を行い、幕府体制の建て直しを計った。また朱子学者でもあり、「花月草紙」「宇下の人言」「国本論」「修身録」などの著書もある。
 昭和51年(1976)3月31日 東京都教育委員会」
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境内にはいろいろな 石灯籠やお地蔵様がありました。
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霊巌寺六地蔵
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法然上人御生誕850年慶賛記念 勢至丸様(法然上人御幼名)
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2012年05月06日

深川散歩14 深川寺町2 深川江戸資料館通り

木場といえば木場公園。総面積は24.2haの都立公園で緑豊かな公園です。防災拠点としての公園となっていて ヘリコプターの発着ができ ベンチがかまどになったり マンホールがトイレになったりと非常用の設備がいろいろ備えられています。
また 地下には広大な都営地下鉄大江戸線の車両基地があります。地下2層だそうで 地上にも目立たないような出入り口などがあります。
その木場公園にある現代美術館そばの三ツ目通りを横切ると 深川江戸資料館通りです。
そろそろ 地図でもあげておきましょうか・・・
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全部廻ったわけではないですが 赤線内が今回散歩した区域です。
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深川資料館通りです。
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白笹稲荷神社 江東区白河3-2 いくつもの赤い鳥居があり地元の信仰を集めているのがわかります。
すぐそばに高層ビルがあったりして ここだけ不思議な空間です。
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この通りのガードレールはユニークです。
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公衆トイレもまた 面白いです。
深川江戸資料館は一見の価値ありで面白いです。東京都江東区白河1-3-28
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江戸時代の深川の街並みを再現した実物大展示のほかいろいろな特別展を開催しています。
http://umeno87.sblo.jp/article/42115777.html
深川江戸資料館の写真入りの以前のブログです。
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深川江戸資料館入り口にある獅子のお飾り
この日はちょうど特別展 創作和紙人形に見る「江戸の物売り」をやっていました。
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2012年05月05日

深川散歩13 深川寺町1 浄心寺

冬木弁天堂から 木更木橋を渡り浄心寺に向かいます。
深川にはたくさんの神社やお寺があります。
現在の白河・三好・平野・清澄・深川あたりには多くの寺院が集中したため、深川寺町と呼ばれるようになりました。深川の都市計画が進行するなかでもともと寺院が多かった地域に、明暦の大火後、幕府の政策によって寺院の多くが都市周縁部に移動させられていき、そのためさらに寺院が集中するようになったのです。現在深川寺町には四十か寺を超える寺院が集まっています。みわたせば 寺と墓地ってところもあります。その中心的存在が 霊巖寺と浄心寺です。
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浄心寺です。江東区平野2-4-25. 日蓮宗寺院の浄心寺は、法苑山と号します。
コ川家綱から寺領100石の御朱印状を拝領、宝暦三年(1753)には身延山の祖師像・七両天女像の出開帳が浄心寺でおこなわれ、その後も数度あり、身延山の弘通所と呼ばれた他、将軍家より十万石の格式を許された、江戸十祖師の随一といわれた名刹です。浄心寺は、かつて寺中に8ヶ院の塔頭を擁していました.
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以前洲崎遊郭跡4で 遊女の投げ込み寺が浄心寺だと書きましたが 遊女たちの墓です。
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また 浄心寺は関東大震災時 境内が臨時の火葬場となったようで慰霊碑があります。
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浄心寺鐘
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浄心寺観音
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浄心寺和合稲荷
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浄心寺百度石
初代中村歌右衛門奉納の石造燈籠をはじめとし境内にはたくさんの石灯籠や石碑があります。
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深川散歩12 和倉橋跡・冬木弁天堂

八幡橋から 仙台堀川を渡り深川資料館通りのほうに向かいます。和倉橋跡 がありました。
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所在地 江東区深川2-1-20
『 この付近は、幕府賄方組屋敷があり椀をしまう倉があったことから「わんぐら」「わぐら」といった。明治2年(1869)からこの付近の町名を深川和倉町といい、油堀川に「わくらの渡し」があった。
 昭和4年(1929)、ここにはじめて和倉橋がかけられ、橋は長さ20.4mル、幅11mの鉄橋であった。
 昭和50年(1975)、油堀川が埋められたので和倉橋はとりはずされた。
 昭和63年(1988)12月吉日  深川2丁目南町会 江東区役所道路課 』
案内板の説明文です。
葛西橋通りを渡るとすぐ 道路沿いに冬木弁天堂がありました。
江東区冬木22-31 深川七福神 辨財天(弁財天)
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何せ幹線道路沿いで入り口はすぐ歩道という感じで全景を写すのはなかなかむずかしかったです。
木場の材木豪商、冬木弥平次が宝永二年(1705年)、 茅場町(中央区)から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置しました。そのため今でもこの町を冬木町といいます。
冬木家三代目政郷が一七〇五年、現・江東区冬木に一万三千坪(約四万三千平方メートル)の土地を購入し広大な屋敷を構えたと説明、冬木弁財天も元は冬木家邸内にあった。
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冬木辨財天お己洞 です。
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 旧跡 岡野知十 句碑
名月や 銭かねいはぬ 世が恋し
本名 敬胤 明治、大正の俳人
蔓延元年(1860)2月19日北海道日高国様似に生る。
昭和7年(1932)8月13日東京にて没す。73才
(知十の句碑は、花、月、雪の3基がある)
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重要文化財の「冬木小袖」(白綾地秋草模様小袖、東京国立博物館蔵)
江戸時代前期から中期にかけて活躍した日本画家、尾形光琳(1658〜1716)。彼が自ら筆をとって、江戸深川の材木商・冬木屋の夫人のために、小袖に秋草模様を描いたと、附属する文書によって伝えられている。
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2012年05月04日

深川散歩11 旧新田橋(八幡堀遊歩道)

八幡橋の下の遊歩道には木場5丁目にあった 旧新田橋が置かれていました。
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新田橋はかつて木場の大横川(旧大島川)に架かっていた橋で、木場で医院を開業していた新田清五郎さん医師が昭和7年に自費でかけた橋です。当初は新船橋という名前の橋でしたが、
「木場の赤ひげ先生」的な存在であった新田医師は、亡くなった後も地域の人々から愛され、いつしか「新田橋」と呼ばれるようになりました。
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案内板の画像です。
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深川散歩10 八幡橋 (八幡堀遊歩道)

富岡八幡宮の東隣り 江東区富岡にある八幡堀遊歩道にかかる人道橋。
これが  国指定重要文化財(建造物)旧弾正橋(八幡橋)です。
工部省赤羽製作所で造られた 国産第1号の橋です。
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元は現在の中央区宝町の楓川に架橋されていた三ツ橋のひとつ弾正橋(だんじょうばし)であり、「旧弾正橋」とも言われています。 昭和4年に移設されました。
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八幡橋(はちまんばし)は、わが国最初の国産鉄を用いた構造物で、東京市で最初に架けられた鉄橋である。長さ15.2m、幅2m、単径間アーチ橋の形式をとる。アーチは鋳鉄製で五本の直材を繋いでいます。現在は危険防止のため橋の内側に手すりが架けられています。菊の紋章がある橋としても有名です。、アーチ材を鋳鉄製、引張材は錬鉄製という鋳錬混合の独特な構造手法で施工してあり、鋳鉄橋から錬鉄橋にいたる過渡期の鉄橋として近代橋梁史上においても、技術史上においても非常に価値の高い橋です。
・架橋時:橋長 8 間2 尺(約15.2m)、橋幅 5 間(約9.1m)。 現在:橋長 15.2m、橋幅2m。
八幡堀は富岡八幡宮をとりまく堀でしたが 昭和49年埋め立てられ 遊歩道となっています。
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平成元年(1989年)には日本ではじめて米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が贈られました。
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隣にある江東区の説明版の内容です。
「 この橋は明治11年(1878年)、東京府の依頼により工部省赤羽製作所で製造された。国産第1号の鉄橋である。はじめは弾正橋(だんじょうばし)と称していたが、大正2年(1913年)の市区改正により新しい弾正橋が架けられたため、元弾正橋と改称された。さらに、関東大震災後の帝都復興計画により廃橋となり、昭和4年(1929年)、現在地に移設された。富岡八幡宮の東隣りであるため、名称も八幡橋と改められた。以来人道橋として活躍してきました。昭和52年(1977年)近代橋梁技術史上価値の高い橋であることから、国の重要文化財に指定されました。また、アメリカ人技師スクワイアー・ウイップルの特許を基本としたところから、平成元年(1989年)10月、国内で初めてアメリカ土木学会より『栄誉賞』を受けました。

現存する鉄橋としては最古に属するものであり、また、菊の紋章のある橋としても有名である。鋳鉄橋から練鉄橋に至る過渡期の鉄橋として、近代橋梁史上貴重なものであるとともに、独特な構造手法を用いて施工してあり、技術史の上でも価値の高い橋である。江東区教育委員会」

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この写真の説明版には明治34年(新選東京名所図会)の中央区に架けられていた橋の様子と地図がありました。
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2012年05月03日

深川散歩9 富岡八幡宮5 富士塚

前回の一番下の写真八幡宮の金刀比羅社・富士浅間社の裏手に富士塚があります。

江戸時代の富士山信仰が盛んで 江戸で富士山に登りたい 拝みたいと江戸市中のあちこちに富士塚が作られました。23区には現在40基ほどあります。富士山から運んできた溶岩などを積むこともありました。
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これも溶岩でしょうかね?富士塚のまわりにありました。
富岡八幡宮の富士塚は「御府内備考続編」によると1722年〜23年に造られ 石尊山と称されました。頂上に 大山(神奈川県)の石尊大権現社が祀られました。。大山は真言密教の山岳信仰の寺として、江戸時代、江戸の庶民から篤い信仰を集めていました。永代寺ももちろん真言密教でした。永代寺廃絶後、富岡八幡宮のものとして残ります。当時高さ6m周囲 約90mほどでした。

この石尊山は 当初 は大山阿夫利神社に関連するものでありましたが富士信仰の流行に伴い いつしか富士山と呼ばれるようになったと思われます。
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名所江戸百景 深川八まん山ひらき 広重。

深川八幡宮の別当永代寺の庭園は毎年3月21日から8日間一般に開放されたとのことです。「山ひらき」とは 永代寺の庭園の富士塚の登拝を解禁することを山開きといい。もうひとつ 永代寺は真言宗で、「林泉をひらく」という意味の山開き、という2つの意味があるそうです。

文政2年(1819年)頃 再興されたとあります。
深川八幡富士は文政3年(1820)、山玉講によって築造された折、浅間神社が勘請されてからは 富士塚と呼ばれるようになりました。
深川富士と呼ばれ山開きの 6月1日には多くの人が参拝しに来たそうです。
 
富士塚は1964年に破却されました。「富岡八幡富士」が2002年に再建され,2002.7.1に清祓式が行われたそうです。高さ1.5m 径32m  溶岩セメント固め
小さくても山裾に湖に見立てた白石と、小御嶽に見立てた石が置かれています。
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山玉講同行碑。山玉講は本所猿江(猿江)・深川今川町(佐賀2)の清山正行こと田中屋清六が創始した講で、富岡八幡宮の富士塚を築造した講です。昭和40年頃に壊されましたが 平成14年に塚が再建され、関連する石碑が周囲に置かれました。本碑はそのうちの1基です。
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深川山山講登山再建立手伝碑
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富士講同行碑
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富士塚奉納海上安全祈願碑。仙台から江戸に米を運ぶ 廻船の安全祈願らしいです。
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富士塚の裾に顔のすり減ったお地蔵様がありました。

江東区にはもうひとつ 砂町富士/元八幡神社(富賀岡八幡宮)(江東区南砂7-14-8)に高4.5m 径13mの富士塚が現存しています。富賀岡八幡宮は、この地が富岡八幡宮を最初に勧請した所で、寛永年間(1624-1643)の初めに今の深川へ移したと伝えられていることから、寛文5年(1665)に元八幡・富賀岡八幡宮としたといわれています。旧砂村新田の鎮守様です。そのうち行ってみます。

横浜の富岡八幡宮と大山(神奈川県)の石尊大権現社。それに砂村新左衛門(横浜の野毛新田、内川新田開発)とか 久里浜の正業寺にお墓があるそうで 神奈川県ともご縁が深いのですね。

神奈川に住んでいた私も大山に登ったことがあります。伊勢原のほうからケーブルカーで途中まで行き 男坂から登りました。 頂上からの下りはヤビツ峠のバス停まで行きました。山頂付近は険しい山道でした。修行の場と言うのもわかりました。
「大山 丹沢 富士の山〜」という歌がよみがえります。神奈川に住んでいたときの校区の小学校歌です。なんとなくなつかしいです。
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2012年05月02日

深川散歩8 富岡八幡宮4 境内社・末社

富岡八幡宮 境内には計17社におよぶ末社が鎮座。

七渡神社は、七渡弁天と親しまれる八幡様の地主神で 「七渡弁天社」といわれます。富岡八幡宮創建前からお祀りされていたといわれる七渡神社は、美と芸能、財運の神である弁天様を祀るお社。関東大震災や東京大空襲による損傷を受けることもなく地元の人々より「地主弁天」と呼ばれ親しまれています。
粟島神社 御祭神 少彦名命 が七渡神社に合祀されています。
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清水の流れる弁天池です。

祖霊社・花本社、天満天神社、聖徳太子社、住吉社、野見宿弥社、車祈社・客神
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 花本社というのは 祖霊社に合祀されているのですが祭神は松尾芭蕉命。
寛政年間(1789〜1800年)に当時の俳人有志により建立されたもので、天保14年(1843年)芭蕉の150年忌に二条家から「花本大明神」の称号が贈られたとされる。
「花本」は、西行の「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」の歌にちなんだものともいわれます。芭蕉翁も神様になっていたのですね。知らなかったです。
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永昌五社稲荷神社です。五穀豊饒・商売繁盛の神様として、特に地元の肥料商関係者から絶大な信仰を集めています。近隣の稲荷社五社が合祀された神社です。 深川猟師町がありました。房総から干鰯が運ばれ肥料にしたそうです。深川猟師町跡と干鰯場跡があります。
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この鳥居の奥に、大鳥神社・鹿島神社、恵比寿社・大黒社、金刀比羅社・富士浅間社があります。
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posted by うめのはな at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区