2012年08月27日

二学期制

朝子供たちの声がすると思ったら 今日から学校が始まったのですね〜
暑い中・・と思ったけれど ああ〜23区の公立小中学校も全校 エアコンが設置されているから学校も涼しいのです。

東京は多くが 二学期制なので 毎年この時期には前期後半の始業式があるのです。
平成18年頃から どんどん増えていったそうです。
2学期制は、3学期制に比べ始・終業式や定期テストが減り、学習にじっくり取り組める、とのことで 全国的にみても2学期制を導入している公立小中学校は増えているそうです。
年に5回あった試験が 4回になり 成績表も2回になる。これだけでもなんとなく嬉しい感じです。

前期 後期の中間、東京なら10月1日 都民の日をはさんで3日ほど休みがあり後期に切り替わるそうです。土日はさめば5日ほどってことです。

私たちが子供の頃は3学期制だったので 4月、新入や進級であわただしくすごし5月連休で中休み。行事や遠足なのでまともに授業も進まないのにすぐ中間試験。そして すぐ7月にも期末試験・・と追いまくられていたような気がします。
それを思うと 二学期制もいなぁ・・と思ったりしています。

しかし エアコンのある教室で勉強できるっていいですねーーー。私なら気持ちよくて 寝てしまいそう・・・。

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2012年08月23日

飛行船

昨日のお昼頃 何気なく空をみたら 妙なものが浮かんでいて・・・ あれ?ドラえもん・・・と最初思ったけれど よく見たら飛行船
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そのうち ぐるっとまわりはじめたので  カメラをズームしてみたら 企業名があった。
飛行船「スヌーピーJ号」だそうです。
全国を廻っていて 8月14日から 東京(埼玉・千葉・神奈川)を飛んでいるそうな。。
結構 低い位置に浮かんでいてホントにゆっくりと移動していたので写真に撮ることができました。
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以前何度か 遊覧飛行などで東京の空に浮かんでいる 飛行船を見たことがあります。
日本で唯一 遊覧飛行や広告などおこなう会社があったのですが 2010年倒産してしまい 今は見られなくなっていました。
昨日は本当に 久々に飛行船を見ることができて なんとなく嬉しかったです。
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2012年08月22日

平住橋

深川八幡祭りの神輿に誘われて ぶらり歩いたとき、大門通り、旧平住橋に大きな丸太があるのに気が付いた。
以前のブログの「大門通り」にも対面にある「橋の記憶」の碑を紹介したことがあります。
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平住橋の記憶

「 平住橋は昭和4年に関東大震災後の復興事業として架けられ、南側の平井町と北側の豊住町を結ぶことから平住橋と名付けられました。当時、橋周辺には貯木場が多くあり筏に組んだ材木を運んでいました。その後、工場の地下水利用の為、地盤沈下が進み、護岸の嵩上げが必要となり、昭和34年に架け替えられ、太鼓橋のような形状になりました。平成21年撤去しましたが 橋の記憶を次世代に継承していくため、ここに橋名板を保存しました。」
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ここは 地盤沈下がひどく水面が道路より高くなったりして 人が渡るのに苦労するくらいの太鼓橋でした。
平成22年、橋を撤去する工事が行われた際 川底から引き揚げられた丸太だそうです。
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「この後方に置いてある丸太は、平住橋撤去工事の際に川底から引き上げられたものです。かっての横十間川は。上の写真のような材木が浮かび、木の香りが漂うなかで颯爽と木材を操る「川並」の姿がありました。
時代の変換とともに川並の姿は見られなくなりましたが、川並の仕事から生まれた「木場の角乗り」と」「木遣」は、民俗芸能として今に引き継がれております。  江東区土木部」
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平住橋(ひらずみ ばし)旧橋側景観(昭和20年代 江東区役所蔵)
上部工のみ架替、下部工は旧橋を再使用
○昭和4年(1929) 長20.4m、幅15.0m 3径間鋼製桁橋 震災復興橋梁
○昭和39年(1964) 長20.4m、幅15.5m 改修(下部は旧橋を再使用)
○平成22年(2010)2月 老朽化と取付道路の急勾配解消のため撤去
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2012年08月20日

「日和下駄 」 永井荷風

東京市中散歩の記事を集めて『日和下駄』と題す。ではじまる 一名「東京散策記日和下駄」ですが 東京散歩を心がけている私にとっては興味深い本です。
これは 全文が 青空文庫で読めます。
この内容がなんとなく 頭に入っていて 最近読んだ本が 「日和下駄とスニーカー―東京今昔凸凹散歩」 大竹 昭子 著です。

「四ツ谷在住の著者。
永井荷風『日和下駄』を片手に東京の 坂、崖、水、寺、地図、路地、夕陽・・を探して歩いた写真と手書き地図入りのエッセイ。
約百年前、江戸切絵図を携え、東京の町を日和下駄でからから歩いた荷風先生の足跡をたどろうスニーカーで歩く。」

とあっては 読まずにはいられない・・と読んでみました。
永井荷風も四ツ谷住まいでした。

著者は 上野〜鶯谷の崖から 東京の坂、谷などを歩きます。谷中 根津 千駄木などなどおなじみの場所を巡るのですが(この界隈は私も歩いたので よく知っています。)鶯谷の南口は 北口より高いところにあって あまりよく知られていないのですが 寛永寺のほうに行くことができます。 何より興味深かったのが 四ツ谷界隈を中心に描いていた部分です。水の章です。

東京には 3大貧民窟があったという。、四谷鮫河橋〈迎賓館そば)、芝新網町(浜松町駅のそば)、下谷万年町(上野駅のそば)らしい。 
「日和下駄 永井荷風」第八 閑地 にも「鮫ヶ橋の貧民窟」と描かれています。
「鮫河橋谷町」と呼ばれていた谷地の貧民街のことですが 今は瀟洒なマンションが建っていたりする住宅地です。 迎賓館の西門前の坂を下りると  坂の途中から右手には南元町公園と呼ばれる公園が見えます。この公園あたりが東京市最大のスラム街だったという 「旧地名鮫河橋谷町」である。四谷の台地と赤坂の台地の間の谷だったわけです 。第8章『閑地(あきち)』の中で、当時 火避け地として空き地になっていたこの場所から貧民窟を眺めた印象を書いている。現在南元町公園の片隅には、「せき止め稲荷」のわきに「鮫河橋地名発祥の地」という「石碑」が建っている。知る人ぞ知る という感じです。

赤坂御用地には 鮫河橋門があり、「皇宮警察本部・赤坂護衛署・鮫河橋門警護派出所」がある。忘れ去られようとしている鮫河橋の名が皇宮警察の派出所に残されているというのも 面白い事です。

何気なく 通っていた場所に思いもしない 歴史があることは珍しくない。
そういう意味でも  「日和下駄」の東京散策は発見があって 面白いです。

涼しくなったら私もまた 東京発見散歩に出かけよう・・・

posted by うめのはな at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2012年08月13日

富岡八幡宮例大祭(連合渡御)新川

昨日は 連合渡御を全部見たのですが あれ?と思ったことがありました。

駒番の二十四番 新川越二  二十五番 新川越一 です。祭半纏の文字が 「越前堀」となっていました。
ふるさと 越前の名が目に付いたのです。
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旗にも「えちいち」と書いてあります。

中央区新川一丁目・二丁目は江戸時代、越前福井藩主、松平越前守の屋敷地でした。屋敷は三方が入堀に囲まれていたので「越前堀」と通称されていました。越前堀の護岸は石積みで、遺跡調査をすると 越前堀のものと見られる石垣石が出土することがあります。堀の幅は12〜15間(20〜30m程)もあり、積み荷を積んだ小舟が行き来していたと思われます。 明治になり、越前守の屋敷地が「越前堀」という町名になりましたが、堀は埋め立てられます。大正12年(1923年)の関東大震災以後、わずかに残っていた堀も 戦後完全に埋め立てられました。その後、町名が改められ「新川」となりました。現在の地名はこの地に流れていた新川に由来する。

こんないわれがあって 昔の地名「越前堀」がそのまま残っているのですね。「越前堀」の名は、ここの越前堀公園に残っているだけです。
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もうひとつは「志ん川」です。

旧新大橋の橋名板(きょうめいばん)にも 「志ん於ほはし」(「しんおおはし」の変体仮名)が残っています。
深川八幡の氏子、 中央区新川も「志ん川」の名が残っているのでしょうね。
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二十七番 新川一北。

道路が濡れているのは 雨ではありません。
水掛け祭りですので 水をかけているのです。

昨日は 富岡八幡宮に 天皇皇后両陛下がお見えになり 、およそ370年の歴史を誇る「 深川八幡祭り」神輿をご覧になりました。
永代通りの 水掛けは クライマックスですから すごいです。
posted by うめのはな at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2012年08月12日

富岡八幡宮例大祭(連合渡御)奥州平泉

各町神輿連合渡御  54基+平泉神輿 見てきました。
今年は 水掛けにもちょうどいい天気で何よりでした。
先頭の深濱神輿と大漁旗からしんがりの下木場まで2時間ほど立ちっぱなしでしたが 威勢がよくて楽しめました。
後日 全部の神輿の写真を整理して 2008年のものと差し替える予定です。

本日の神輿には 奥州平泉の神輿も参加していました。
平成7年、平泉900年を祝う平泉祭に深川の神輿を披露したのが縁で、以来毎年7月の平泉水掛け神輿は平泉の名物行事になりました。前回連合渡御に始めて参加。
今年は「東日本大震災復興祈願」と「世界遺産登録祝い」での特別参加とのことです。
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平泉の皆さんとても元気でした!
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目の前で持ち上げてくれました。
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水掛けも 嬉しい暑さです。
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2012年08月11日

富岡八幡宮大例祭(神幸祭 鳳輦渡御)

3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれます。昨年が本祭りでしたが 東日本大震災のため今年に順延されました。

明日は 各町神輿連合渡御 54基+平泉神輿が街中を練り歩きます。
「水掛け祭」の別名があります。

今日は 富岡八幡宮 神幸祭(鳳輦渡御)でした。
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2012年08月06日

巨木数日本一

本を読んでいて 巨木数日本一が東京都だとはじめて知った。
これは 知らなかったです。
環境省の研究調査機関が調べた2009年の報告では 巨木 数日本一は東京都だそうです。
巨木とは
地上1.3mの高さの幹周りが3m以上が巨樹、分かれていたら、その合計が3m以上なら巨木。
巨樹の本数ベスト3に、1、東京、2、茨城、3、千葉、と関東地方が並んでいるとのことです。

戦災にも震災にも負けず生き残ってきたのでしょうか・・・
新宿御苑には巨樹巨木が多いし 江戸の大名屋敷跡の名園 史跡といわれるところも巨木は多い。
開発が進んでも 昔からの巨木の根が張っていて そのまま残したと思われるものも多く 公園などに見かけられる。

ちなみに日本一の巨木は鹿児島県姶良郡蒲生町の八幡神社にある蒲生の大クスが最大のようです。
日本国内において全樹種の頂点に立つ巨樹で、地上1.3mの幹周24.22m根周りにいたっては約40m近くもあるとのことです。
こうなると 神々しいとしかいえないでしょうね〜

大阪の人が 東京にくると意外と緑が多いことに驚くそうです。
たしかに東京はビルも多いが 緑も多いです。
街路樹も大切にしているし 開発には必ず公園などの緑が求められている。
江戸の今昔を語る名園・庭園も多い。
決して 殺伐とした都会ではない。六本木や赤坂などにも緑は多いです。
寺社の数も分散しているから目だないですが 多いです。
ビルの谷間に 住宅街の中に 鎮座しておられます。

「東京の緑をつくった偉人たち−明治草創期から昭和東京緑地計画まで−」
期間:平成24年7月2日(月)〜9月26日(水)みどりのiプラザ(日比谷公園内)
を開催中です。東京の公園緑地をつくった人物にスポットをあてています。
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2012年08月05日

布ぞうり

夏は 家の中では 素足で「布ぞうり」を履いています。
お友達に作ってもらったのを愛用しています。
昨年も夏中履いていて 心地よかったのでこれはもう夏の必需品になっています。
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洗えるし 床掃除にもなるし(?)蒸れないし とてもいい感じです。
日本人の知恵だなぁ・・と思います。

ネットには作り方も詳しく載っていますが これは昔の「わらじ」と同じように編むのです。
藁のかわりに布で編みます。
履くとなかなか手放せなくなります。
なかなかいいものです。

本当は出かけるときも素足に「下駄」がいいのでしょうけど 浴衣ならともかく そうもいかないしねぇ・・
夏の「浴衣」に「下駄」は 日本の蒸し暑い夏を過ごす 昔の人の知恵ですね。
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2012年08月01日

海賊とよばれた男 

海賊とよばれた男 上/下 百田尚樹/著 講談社
2冊とも一気に読んでしまった。
読んでいる最中も 読んだ後も 興奮してしまうような内容。
主人公である国岡鐵造の自伝的小説。
しかし それだけではなかった・・・

戦後 借金だけが残った 国岡はそれでも生き残った社員を一人も 首にしなかった。
戦争に行った社員の家族には その間も給料を支払っていたというから驚き。
社員は家族。タイムカートなし、出勤簿なし、馘首なし、定年なしという絶対的信頼において社員を大切にしてきた。
それは 国を大切にするということに繋がるという考えである。

石油から戦争がはじまり 戦後も石油で日本を牛耳ろうとする外資。
石油連盟などという 外資に乗っ取られたようなグループとの熾烈な戦い。
権力 官僚 政治 ・・・大きな敵は次々と襲い掛かる。今も昔も変わらぬ組織。

裸一貫国のため 国民のためと 信頼で築いてきた個人商店をつぶしてしまおうという圧力に果敢に立ち向かっていった社員たち。おそらくそれは 社員を家族として大切にしてきたからみな 頑張ってくれたのであろう。

昭和28年、「七人の魔女」と呼ばれる強大な力を持つ国際石油メジャーと大英帝国を敵に回して イランにタンカーを送り込んだ日章丸事件。これで日本は救われたのかもしれない・・・と思った。

戦争に負けたが 日本人としての誇りと尊厳は失っていない。
「ただちに建設にかかれ」・・と 敗戦2日目に社員に言った言葉通り 日本の再建のために走り回った男の生涯が描かれていた。

これは 実在の人物の歴史的実話である。
石油を武器に変えて世界と闘った男とは何者なのか・・読めばすぐわかります。

彼が こよなく愛した「仙崖」の絵を見に 丸の内の「皇居の見える美術館」に行ってみよう。。。
あそこは 落ち着くし皇居がよく見えて美しい景色だし 癒される美術館でさすが人を大切にしていると改めて思った。。。

日本人なら石油をめぐって 何が起こっていたのか 真実を知るために 是非読みたい1冊です。
posted by うめのはな at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書