2012年10月31日

ラーメン

実家に帰省すると必ず食べるのが おろし蕎麦と8番ラーメンに餃子。炒めた野菜をたっぷりのせたこの店のラーメンは美味しい。
残念ながら東京にはお店がない。
美味しいラーメンは食べたいのだけど 有名になって行列ができるような店には行かない。
並ぶのがいや、あわてて食べるのもいや。
東京駅南口地下のラーメンストリートの行列もよく目にするが 入ったことはない。でもいつも並ぶのだから美味しいのだろうなぁ〜と。
そこで私は インスタントラーメンの美味しいものを探す。

最近気に入っているのが 札幌の円山動物園のお土産売り場で大人気の「しろくま塩ラーメン」これは美味しい!
スープと麺だけの普通の塩ラーメンなのですが 裏に書いてあるとおり作ると これが文句無く美味しいのです。
東京でも時々 北海道フェアーがあって手に入る。
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野菜をのせて バターをのせればお店で食べるのと遜色がないので出会うたび買っています。
インスタントラーメンの美味しいものに出会うと嬉しくなる。
宣伝するわけじゃないけれど 久々にグルメ気分。

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2012年10月28日

みかん

みかんを買う。

もうそんな季節なのだなぁ・・・と。
こたつでみかんは 定番だったけれど 都会暮らしではこたつそのものがなくて のんびりみかんを食べることもない。
食後のデザートとして食べるくらいになってしまった。

子供の頃は 箱にたくさんみかんがあって 好きなだけ食べていた。
兄などは一度に 何個も食べるものだから「そのうち顔が黄色くなるよ」といわれていた。
たしかにそうらしいが 柑皮症と黄疸は別物と知ってからは安心した。

冬はこたつでみかん・・・そんな ゆっくりした時間をすごした日々がなつかしい。
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2012年10月25日

法務省赤れんが棟

明治時代に建てられた赤レンガの建物のひとつに 法務省赤レンガ棟があります。
地下鉄霞ヶ関駅で降りて 見学に行きました。旧法務省本館という説明版があります。
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明治21年に着工され、同28年に完成。明治政府によって策定された官庁集中計画の一環として建てられた建物のうち,残存する唯一のものです。ドイツの高名な建築家エンデとベックマンを招へいしました。
赤れんが棟は,関東大震災ではほとんど被害を受けませんでしたが,昭和20年の戦災によりれんが壁とれんが床を残して消失しました。
その後修復して使用されていましたが 平成3年に復原改修工事が始められ,平成6年に創建当時の姿に復原されました。
赤れんが棟の外観は,平成6年12月に国の重要文化財に指定されています。
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この赤レンガ棟の2階にある法務資料展示室は、月曜日〜金曜日の10:00〜17:30の間、見学(無料)できます。
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エンデ&ベックマン建築事務所の所員が写った写真とか赤れんが棟の建築技術に関する史料などを展示しています。
 昭和の改修後の赤れんが棟と平成に復原された赤れんが棟の模型を展示しており、赤れんが棟の屋根の四隅にある飾り金物(突針)は,実物大のものを身近に見ることができます。

実物の赤レンガも展示しています。れんがは,ホフマン式輪焼窯で作られたもので,創建当時のままです。
展示室は狭い2部屋だけで最初の部屋は 法務史料の展示がメインです。刑法・登記簿などの古い文献などが展示してあります。
裁判員制度や法テラスのコーナーもあります。面白かったのは現存する赤レンガの全国の刑務所の写真です。
外観だけですが 文化財としても貴重な建物だと思いました。
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内部は撮影禁止ですが 部屋の造りはとてもすばらしかったです。

見学ですが 入場門で警備員にあれこれ説明・注意をされます。
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法務省という場所柄 。門から展示室まで警備員さんがついて歩きます。
もちろん内部にも警備員さんが要所にたっています。ギャラリーはほとんど人がいませんでした。
帰りは 日比谷公園のほうにまわりました。別のほうの建物の外観もみたかったからです。
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中庭も含めた建物見学会も開かれているようです。今年は終わっていますがチャンスがあれば参加したいと思いました。
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2012年10月24日

東京駅丸の内駅舎:外観

内部を見学した後外に出て駅舎の外観を見てまわった。あちこちに説明がある。
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国指定の重要文化財である丸の内駅舎を未来へ継承すべき貴重な歴史的権謀物として、残存している建物を可能な限り保存するとともに、創建時の姿に復原した。

広場側
保存:中央部と南北ドームを除く既存外壁及び既存レンガ躯体と鉄骨を保存した。
復原:3階外壁はは新躯体を設置の上、化粧レンガ、花崗岩、擬石で復原した。屋根は天然スレート、銅版で創建時の姿に復原した。
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ドーム部
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中央部

銅版葺き
屋根の棟類や尖塔は基本的に木下地に0.4mm厚の銅版をはぜ組みして葺く。その他の飾り部は銅版に熱を加えなましながら打ち出し成型する。パラペットの徳利部分については、へら絞りといった現代の技術による復原としている。緑青塗装などのエイジングは行わず、銅版素地の仕上げとし、経年による風合いの変化を期待している。

天然スレート
屋根は天然スレートと銅版の構成で葺かれている。古写真から天然スレートはすべて一文字葺きで葺かれていることが判明し、それをもとに復原した。中央部屋根には、創建時使用されていた宮城県雄勝産スレートを葺いている。また南北ドーム部には、戦後の集福寺に葺かれていた良質な登米産を生かし取り、一部は加工を施し再利用した。

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擬石(ぎせき)
花崗岩を模した左官仕上げのこと。
花崗岩粉を石灰とセメントを調合したものを塗り、その後清水にて洗いだして仕上げる。一階の帯形、各階段窓周り外部、柱形等に使用されている。
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貴賓玄関:皇族方専用の出入り口
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復元前
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少し離れたところから全体を見てみました。
大きすぎて全体は写せませんでした。
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北口
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中央
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南口
ビルの上から見る絶景の東京駅です。
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復元前のステーションホテル入り口

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復元工事前に同じビルから見たものです。

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2012年10月23日

東京駅赤レンガとギャラリー

丸の内北口にある 東京ステーションギャラリーに行った。
「多くの人々が行き交う駅を文化の発信地とすること」を狙いとし、1988年に丸の内駅舎の2階を改造して開館。 これまで105本の展示会を開いてきました。10月1日に再オープンしましたが 休館し6年半も経ちます。。

「始発電車を待ちながら」展 東京駅と鉄道をめぐる現代アート 9つの物語。 を開催中です。現代美術家8人と1組が鉄道、東京駅をテーマに新作を展示しています。2013年2月24日まで。
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ライトをつけた小さな電車が白い壁に映し出す 影絵がすばらしかった。
東京駅の復元工事を時間を追って映し出す映像 プラレールを使った作品などユニークなものばかり。
ICカードをタッチすると自分が通ってきたきた経路が映し出されたり 遊び心も十分あって楽しかったです。
もちろん 東京駅の始発電車が動く時間帯を映し出す映像もありました。
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館内各所でみられるむき出しの躯体レンガの壁面。これも観たかったのです。
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焼けこげた レンガの下の木造部。
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さびた金属部分
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ミュージアムショップの店内に残る 階段部分。
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階段の壁
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むき出しのままですが 触れることは禁止。
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おしゃれな吹き抜けの照明。
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階段です。
それから 回廊に出ました。ドーム天井部分がよく見えます。
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この大きな柱はアルキャストという現代の材料で作られ 2012年の刻印があります。
3Fはホテルの窓ですね。
ついでに南口のドームもみましょう。
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基本的に ドーム部分は同じですが2F部分はギャラリーではないので少し違います。
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お店が入っています。ですから 誰でも行けます。
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2012年10月22日

東京駅丸の内駅舎ドーム

東京駅丸の内駅舎を見学しにいった。
ドーム天井がすばらしかった。人が多くて みなカメラで撮影していた。
上を向くので 首が痛い・・・
大きいのでカメラにはなかなか収まらなかった。
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北口ドーム外観。
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天井。
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創建時のまま復元されたレリーフ。翼を広げた大鷲は2.1m。
8つの干支のレリーフもあります。
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復元工事終了後の東京駅は見学客も多く 混雑していました。
比較のため 工事まえの写真もUPします。
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同じ北口なのですが ドームだけ見ても ずいぶん美しくなったとわかります。

次に 東京ステーションギャラリーに行きました。
当時のままの 赤レンガを見てみましょう。

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2012年10月21日

第35回 日本の象牙彫刻展等

高島屋の8F 同じフロアーで第35回 日本の象牙彫刻展. 象牙を使用した手彫りの象牙彫刻創作作品.というのをやっていたので それも観ました。 日本独特の技法による精巧な象牙彫刻約120点を展示。入場無料【日時】10月18日(木)〜22日(月)
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硬質でかつ粘りがある象牙という素材は、普通の刀をあてて工作することが難しく、複雑な技法が要求されました。この技術的困難を解決したのが、江戸末期「左刃」の刀の発明です。伝統の左刃を使って 体験製作や実演もあったようです。

実物の大きな象牙が置いてあって 触らせてくれました。重さ17kgの巨大な牙ですので3分の1ほどが筋肉で支えられている・・などと説明してくれました。ワシントン条約による象と、象牙の保護のため規制がありますが 平成11年、日本に限り試験的に一部象牙の輸入が 認められました。伝統の保存と継承のためでしょうか。。
精緻な伝統技法と美しい工藝は 受け継がれていって欲しいです。
入賞作品のほか 生徒さんたちの作品もありました。

同じフロアーでは 日本の絹展 もやっていました。
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生産量が減少している国産の絹にこだわり、日本の伝統的技術で作られた染織品を集結。
絹は美しい、しかし値段が・・・・・見るだけで楽しんできました。

芸能人からのの祝いの生花籠がずらりと並んだ会場がありました。
画業15周年記念 愛のおくり物加山雄三絵画展《展示・即売》の会場でした。
買えませんがひとまわり観てきました。彼は多才な芸術家ですね。
若大将・歌手のイメージですが 絵画や陶芸、漆芸、書なども手がけているそうです。
ちょうどこの日は加山雄三サイン会&ミニトーク】があったようで 少し前の混雑はこれだったのか・・と思いました。

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2012年10月20日

山本高樹 昭和幻風景 ジオラマ展

山本高樹 昭和幻風景 ジオラマ展
「梅ちゃん先生」あのオープニングのジオラマも再び
■10月18日(木)→30日(火)
■日本橋高島屋 8階 ホール
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昨日19日 観てきました。結構混んでいました。というか 同じフロアーでいろいろ催しをやっていたのでそれなりに混雑していたという感じです。
会場内はゆっくり観ることができました。

山本高樹氏は、昭和の街並みと、そこに住まう人々をテーマにした作品を作り続けるジオラマ作家として知られています。
連続テレビ小説「梅ちゃん先生」のオープニングタイトルのジオラマを制作した人なので TVで使われたジオラマも展示してありました。
TVを観ていた人ならああーあの場面、これはだれそれだ・・とか家も誰の家だとかわかるはずです。

ネオンの間を流しが行き交う新宿ゴールデン街、 赤線地帯、(洲崎と思われるジオラマ)泥の河のような風景 雪に埋もれた越後十日町 長野飯山の野沢菜、墨東の色町・向島、駄菓子や 上野 本郷 銭湯 浅草 凌雲閣・・・・。山本さんがここ10年で手掛けた主要な作品30点ほどを展示 山本さんの自宅作業場も再現している。会場にご本人様がいました。昨日は午後2時に対談イベントがあって 相手はおもちゃ収集家の北原照久さん。ご両人ともおみかけました。
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大田区雪谷の作品「明神湯」はすごくリアルでした。細かいところまでそのまま銭湯。風呂のなかの響きやゆげまで伝わってくるような感じです。三社祭りもすごかったです。昭和30年代の宮だしの再現ということで神輿や人々はもちろんのこと 神社の細かい彫りや絵まで再現してありました。人の表情までリアルなんですよ。
とにかくすべての作品が緻密で正確に再現してあったので なつかしい昭和の雰囲気にひたることができました。
ああ・・あんな時代もあったのだと タイムスリップしたような気がしました。

新宿の街には流しがいて 天井桟敷があって ストリップ小屋もあって・・・祭りには見世物小屋があって 売春宿や船があって・・・
町には温かな家庭があって 子供の声がして駄菓子屋や銭湯 都電が走り 神田の古本屋があって浅草キネマ・・そのままなつかしい昭和が目の前に現れます。
ただのジオラマとは一味違います。心に響きます。
先日みた特撮用のミニチュアもよかったですが このジオラマは 本当の意味での再現。人々の生活 喜びも悲しみも安らぎも苦悩もそのままそこに表れていました。

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2012年10月19日

木場公園地下車両基地

防災公園である木場公園には大きな防火水槽があるのですが 地下約20mには長さ607m、最大幅170m、しかも2層構造という巨大空間が広がっている。敷地面積約4600u、延べ床面積約76,500u、だそうです。都営地下鉄・大江戸線の地下車両基地で 清澄白河駅から引き込み線で連絡している。
  • 地下1階部に留置線が8本、月検査線(ピット構造)2本、列検線8本などがある。
  • 地下2階部に留置線が17本、洗浄線が4本、車輪転削線がある。留置能力は上下合わせて8両編成39本

万が一地下で事故が起きた場合の脱出口は公園内のあちこちにあります。
非常用出入り口です。
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この中を覗くと 太いパイプがはりめぐらしてありゴォ〜っという音がしていました。換気設備なのだろうか。
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素朴な疑問で この地下で働く人たちはどこから出入りするのだろう・・・と。
木場公園のすぐ目の前に 東京都交通局木場庁舎というのがあるからそこの地下で繋がっているのだろうか。。と思いをめぐらす。

東京の地下には 公になっていないような地下トンネルがいくつもあるそうです。
万が一のとき 要人たちは地下を通って避難するのだろうか・・・などと思ったりもする。

この木場公園の地下には もしかしたら車両基地以外の何かがあるのだろうか・・と勝手な想像をする。
広域防災訓練の際に練馬 光が丘〜高松車両基地から車両に乗り ノンストップで自衛隊員がこの木場公園の地下車両基地までの移動訓練をしたそうです。

とにかくここは 広域避難場所としても憩いの場としても大切な緑多き公園です。
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すぐ隣の豊住公園にある 豊住給水所 は 約443万人分 の飲料水を提供できるそうです。
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以上 豊住公園内で見かけたものです。
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防災公園を見学して 東京だけでなく 地方にもこういう設備を備えられたらいいなと思いました。
いざという時のために 日ごろから備えるというのは大切なことですね。

posted by うめのはな at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2012年10月18日

防災公園(都立木場公園)

都市緑化植物園の入り口には木場ミドリアムがある。
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植物や公園の歴史 施設などの解説などがあったり 休憩のサンルームがあったりする。
ちょうど土日に「防災施設クイズラリー」というのを行っているらしく 防災グッズなどが展示されていた。
平日だったので 一人でその防災施設をまわってみた。

「東京都や各市の総合的な防災計画である「地域防災計画」では、都立公園53ヶ所(うち33ヶ所を公益財団法人東京都公園協会(以下、公園協会)が管理)が「避難場所」とされているほか、26ヶ所(うち18ヶ所を公園協会が管理)が「活動拠点」とされています。東京都建設局の所管する公園ではこれらを「防災公園」と呼んでいます。」

災害対応トイレや太陽光発電を活用した照明施設、大型緊急車両の通行を想定した園路、ヘリコプターが発着できる広場、防火水槽などを備えている公園です。

マンホールのふたをあけるとトイレになるマンホールトイレです。そばには 防災トイレの建物があります。
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展示してあったトイレ用テント。このトイレは、下水道管までの取付管に沿ってマンホールを設置し、災害時にはマンホールのフタをはずして便器を取り付け、他人から見られないようにテントを張って使用します。

ライフラインがストップしたときのための揚水ポンプです。人力で水をくみ上げます。
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説明が書いてありました。この水は飲料水用ではありません。
一番大切な 飲料水の応急給水活動を行うための施設は木場公園のすぐとなりに豊住給水所があります。

ベンチかまどです。
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普段はベンチとして使用していますが、災害時には座る部分をはずすと“かまど”になります。これで火を起こして、炊き出しなどができます。
園内には火が使える バーベキュー広場もあります。
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停電した場合でも、ソーラー発電により、公園灯を照灯することができます。
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ソーラーパネルで太陽光を受け、支柱の中のバッテリーで発電します。
3.11のときも 木場公園は夜 明るかったです。
最近では通常時も補助光となるLED発光併用型のソーラー発電灯も設置が進んでいます。
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園路 に埋められたソーラーの誘導灯です。夜は光って点滅します。

火災が発生し、大きく燃え広がる恐れがあるとき園内に燃え広がらないように スプリンクラーが設置されています。
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180度 15m放水できるらしいです。

そのため、地震時に有効な消防水利を整えておく必要があります。公園の地中には 防火水槽があります。
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この公園の地下には もっと別のすごい施設があります。
それは 次回に書きます。

防災設備を探して公園を散歩。1周 3.5kmのジョギングコースもあって 本当に広い公園です。
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2012年10月17日

都市緑化植物園

第29回全国都市緑化フェアTOKYO 平成24年9月29日(土)から平成24年10月28日というのをやっていて サテライト会場のひとつである 都立木場公園の 都市緑化植物園に秋の花を見に行った。
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広大な敷地の 木場公園の一角にあります。ガーデニング広場、庭をつくろう広場(洋風・和風)、帰化植物見本園、果実の木などのコーナーに分かれ、ボランティア「木場公園友の会」によって美しく維持・管理されています。
かなりみごたえがあるのですが 今回は秋の花だけを見てきました。
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さわやかな秋の日差しが降り注いでいました。夏の名残も見られますが 季節は着実に進んでいるようです。
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2012年10月14日

スーパーに柿が売っていた。
ああ もうそんな時期なのだなぁ〜と。

新しい家に引っ越したとき 庭に何を植えようか・・・実のなる木がひとつあってもいい。そう思って苗木を買ってきたのが 富有柿だった。
 「桃栗三年、柿八年」と言われ、柿は実を結ぶまで長い年月を要するように言われていましたが 最近の苗は接ぎ木をしており、比較的早くから実をつけるようです。
たしか 植えてから3年ほどで実がなったと思います。
最初の年は数個。それから十数個になったのですが ある年はほとんど実がならなかったりもしました。
実を採る時期がむずかしく 遅れると 鳥にみなつつかれてしまいます。
鳥との競争のようですが 被害が無いときは 鳥さんのために・・と2〜3個残したりもしました。
十年ほど前 その地を離れてしまったので その柿の木が今もあるのかどうかは わかりません。

柿を見ながら そんなことを思い出してしまいました。
時々 おけさ柿を貰って食べていましたが あれは 甘くて美味しいから好きです。
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柿アレルギーになりませんように。。。。
古い写真を探したら 庭の柿が写っていました。なつかしいです。
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2012年10月11日

さやいんげん

子供のころいんげんの筋を取るのが いやだった。
ツメの間が黒くなるから・・
それでも それは子供の私のささやかなお手伝いのひとつだった。
そんなことを思い出しながら いんげんの筋を取る。
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そういえば 田舎ではなが〜い 三尺ささげといったか 50cmほどの長いものをジャガイモやあぶらあげと煮て食べていた。
田舎の味だけど なつかしく思えてくる。
東京ではあまりみかけないなぁと思いながら あれは本当は何だったのだろうか・・と。
いんげんなのか ささげなのか よく知らない。

田舎の家は街の中なので 畑などはない。庭も背戸というような 中庭だった。
線路向こうの 山の途中に畑があって農家ではないから 両親はそこで自分の食べる野菜などを趣味で作っていた。
いろいろなものを栽培していた。
野菜だけでなく お花も作っていた。

早朝 畑仕事から帰ってくる両親の姿を思い出す。
それは 私が大人になっても続いていた。
両親のささやかな 楽しみだったと思う。

そんな日があったのだと 元気な頃の姿を 思い出している。
あの畑は どうなったのだろうか・・・・・
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2012年10月07日

スカイツリーとキバナコスモス畑

木場公園大橋を渡ると 東京スカイツリーがよく見える。
人が少なく全景を撮る穴場である。
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ふと 橋の下をみれば お花畑が・・・
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ここは春にはポピー畑できれいなのですが 昨年は地震の影響か手入れされていなくて草ぼうぼうだったのです。
今年はまたボランティアの方がお世話してくれているようです。
下に降りてみました。
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キバナコスモスです。
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パンパグラスも見えます。
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来年の春はまた菜の花畑とポピー畑が見れるかなぁと 思いながらお花畑をあとにしました。
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2012年10月06日

東京都現代美術館

東京都現代美術館・常設展示室
MOTコレクション
■ 作品の名前|1960-80年代の美術から
■ 特別展示|オノサト・トシノブ―福原コレクションを中心に
■ 新収蔵品展|アニッシュ・カプーア/曽根裕/奈良美智/櫃田伸也/小瀬村真美
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これも観た。
奈良美智さんの絵は 見慣れていますけど・・・人はほとんどいませんでした。
ものすごく広いので観るのにとても疲れます。常設展は何度か観ているのですが この広さにはあきれ返るのです。
戻ろうにも一回りしないと戻れないし・・・この広さと 特撮博物館の展示室と交換すればあんなにぐちゃぐちゃに混まないだろうな〜と。
Future Beauty 日本ファッションの未来性 なる企画展もやっていたけれど 疲れ果てパスしました。
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1F ロビーの展示です。
現代美術館は とても広い。バブル時代の負の遺産だそうです。
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延床面積 33,515 m2  総工費は415億円
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磯崎新「粗大ゴミ」と評された
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夏休みの特別展は入場者が多いけれど 他は少ない。
とにかく現代美術というのは 理解しがたいこともある。
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木場公園にあるので これは木場の木遣りをイメージしてつくられたそうです。玄関前。
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2012年10月05日

特撮スタジオ ミニチュアステージ・特撮博物館

夢中で撮影しました。
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人との比較ができるように実物大の人の看板があります。
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ああ・・東京タワーが・・・
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渋谷に戦車が・・・
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日本の街
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精巧に作られた日本家屋。

行列があってそこでは 特撮用セットで台にカメラを置いて撮影することができるので並んで待ちました。
家の中から見る外の様子が写せます。
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人の腕ですが 部屋がミニチュアなのでここに人が立つと怪獣の大きさになるのです。
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外です。
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壁には スタッフの寄せ書きがありました。

特撮博物館専用の 売店はレアものも多数、記念品が売られていました。ここでしか替えないとあらば 財布の紐も緩みそうです。

会場を出ます。広い1Fのホールには 記念撮影用の大きなポスターが貼られていました。
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特撮博物館/ 東京都現代美術館

館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技
エヴァの原点は、ウルトラマンと巨神兵。
2012年7月10日(火)〜10月8日(月・祝)
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会期末近いですが行きました。待つ時間はなかったですが わりと混んでいました。
人気アニメ「エヴァンゲリオン」シリーズを始め、数々の作品で知られる庵野秀明監督による、「特撮」をテーマとした「博物館」
昭和時代の特撮から現代のCGへと。
原点でもある特撮の技術を紹介しています。
精巧につくられたミニチュアは緻密な職人の技、そして小道具の数々。これは貴重な文化遺産です。
テレビや映画で実際に使用されたミニチュアセットやデザイン画など様々な資料が約500点展示。
会場内には16メートル四方のミニチュアステージが設置されて写真を撮ることができます。(この場所だけ)

なんといっても特撮の原点はウルトラマン!会場入り口は 人 人人・・・
『原点T人造』  東宝・円谷特撮映画の数々の模型や小道具,パネルなどが展示。
『原点U超人』 ウルトラマンシリーズ
人が動かない。まわりはウルトラマンの被り物から 等身大のウルトラマンやミニチュアのウルトラマンも何百もあって ファンは目が離せない。マイナーシリーズのものもあったりして 昭和の感傷にひたることができます。でも人多すぎ!

次が 『巨神兵東京に現る』の9分間の映画。
立ち見もびっしりだけど すぐ入れ替えがあって1回待てば見れました。
「風の谷のナウシカ」の巨神兵が東京を破壊していく特撮映画です。
3DCGを使わない 最新の特撮技術を駆使した作品です。
この特撮の方法などが 次に展示解説されています。
巨神兵が 後ろから青色の人に操られている様子など面白いです。(背景が青で青色は加工しやすいのです)
「ドリフ」みたいに 人間の手足に棒をくっつけて同じ動きをする人形って感じかな。
水中で撮影した 爆弾の煙を逆さにして きのこ雲にしたりとか 夢中になりそうな感じです。
そして 東京の街を再現したミニチュアビルディングや東京駅。
国会議事堂が 壊れて傾いていた・・(今も政治的にはこんな感じなんだけどね)
上から 地下のミニチュアの町が見えますが ここはまだ撮影禁止。
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それから 地下に降ります。
【特撮美術倉庫】です。
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ゴジラの足 モスラ ガメラ キングギドラ・・・・戦争映画に使った飛行機 潜水艦
昭和の古い電車 小道具などなどがあふれかえっていて 郷愁を誘います。
タイムスリップしたような錯覚に陥ります。

名残り惜しんでそこをすぎると 【特撮スタジオ ミニチュアステージ】です。
ここは撮影可です。

写真撮りましたので 次に紹介します。
posted by うめのはな at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館・芸術鑑賞

2012年10月04日

日本橋漁河岸跡

日本橋北詰交差点東側に日本橋漁河岸跡の石碑がある。
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ちょうど三越新館の反対側です。
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中央区教育委員会設置の説明板には、以下の記載がある。
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日本橋漁河岸跡

所在地 中央区日本橋室町1丁目8番地域
日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本船町・小田原町・安針町(現在の室町1丁目・本町1丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変な賑わいをみせていました。
なかでも、日本橋川沿いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を満載した船が数多く集まり、江戸っ子たちの威勢の良い取引が飛交う魚市が立ち並んだ中心的な場所で、一日に千両の取引があるともいわれ、江戸で最も活気のある場所の一つでした。
江戸時代より続いた日本橋の魚河岸では、日本橋川を利用して運搬された魚介類を、河岸地に設けた桟橋に横付けした平田舟の上で取引し、表納屋の店先に板(板舟)を並べた売場を開いて売買を行ってきました。
この魚河岸は、大正12年(1923)の関東大震災後に現在の築地に移り、東京都中央卸売市場へと発展しました。
現在、魚河岸のあったこの場所には、昭和29年に日本橋魚市場関係者が建立した記念碑があり、碑文には、右に記したような魚河岸の発祥から移転に至るまでの300余年の歴史が刻まれ、往時の繁栄ぶりをうかがうことができます。
 平成19年3月

中央区教育委員会

「日本橋魚河岸発祥の地」碑は昭和55年(1980)3月、築地魚がし会が建立した。碑の背後にある乙女像は昭和29年(1954)3月、旧日本橋魚市場関係者が建立した記念碑です。
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記念碑の乙姫は竜宮城の住人である海の魚がことごとく日本橋に集まったことをあらわしているそうです。「日本橋 龍宮城の港なり」。

碑の裏側の説明文。

「本船町、小田原町、安針町等の間悉く鮮魚の肆なり。遠近の浦々より、海陸のけじめもなく鮮魚をここに運送して、日夜に市を立て甚賑えりと「江戸名所図会」にのこれる日本橋の魚市魚河岸のありしはこのあたりなり。
旧記によればその濫觴は遠く天正年間、徳川家康の関東入国とともに、摂津国西成郡 佃、大和田両村の漁夫三十余名、江戸にうつり住み、幕府の膳所に供するの目的にて漁業を営みしに出づ、その後、慶長のころほひ、幕府に納めし残余の品を以て、これを一般に販売するにいたり、漁るもの商ふものの別、おのずからここに生じ、市場の形態を漸く整う。さらに天和貞享とすすみて、諸国各産地との取引ひろくひらけ、従ってその入荷量の膨張驚くべきものあり。
かくして、やがて明治維新の変革に堪え、大正十二年関東大震災の後を受けて京橋築地に移転せざるの止むなきにいたるまで、その間じつに三百余年、魚河岸は江戸及び東京に於ける屈指の問屋街として、また江戸任侠(にんきょう)精神発祥の地として、よく全国的の羨望信頼を克(か)ちえつつ、目もあやなる繁栄をほしいままにするを得たり。
すなわち、ここにこの碑を建てる所以(ゆえん)のもの、われらいたずらに去りゆける夢を追うにあらず、ひとえに以て、われらの祖先のうちたてたる文化をながく記念せんとするに外(ほか)ならざるなり

  東京に 江戸のまことの しぐれかな」

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日本橋川の両岸には河岸が設けられ、舟運により全国各地から運ばれてきた荷は、いったん河岸に陸揚げされ、そこから江戸市中へと行き渡っていった。こうした掘割運河⇔河岸⇔町という人と物の流れが、水辺に賑わいを与え、さらにその背後の町々の賑わいへと波及していった。
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現在の 隅田川に注ぐ 日本橋川の河口。

日本橋川 (にほんばしがわ)


日本橋川 古くは平川からなり、江戸期に道三堀などの開削を経て堀割河川が整備された。水運の要所として賑わいをみせ魚河岸の発祥となった。上流は神田川から分岐し、日本橋を経て河口は隅田川に注ぐ。

posted by うめのはな at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2012年10月03日

日本国道路元標

日本橋北詰の西側にある広場に、「日本国道路元標」のレリーフがあります。実はこれはレプリカ。本物は、日本橋の真ん中にあります。五街道の原点であった日本橋は、明治以降も国道の起点として継承され、昭和47年(1972年)、橋の道路中央部に真鍮板の道路元標が埋設された文字は当時の首相、佐藤栄作によるもの。
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日本国道路元標 ・東京市道路元標
所在地 東京都中央区日本橋室町1-1先

 日本橋は慶長8年(1603年)に創架され、江戸幕府により五街道の起点として定められました。現在の日本橋は明治44年(1911年)に架橋されたルネサンス様式の石造二連アーチ橋で、4隅の親柱の銘板に刻まれた「日本橋」及び「にほんはし」の文字は最後の将軍・徳川慶喜公の揮毫におるものです。昭和47年(1972年)、日本橋中央の「東京市道路元標」が埋標されました。この複製も同時に制作・設置されたものです。東京市道路元標は、平成11年(1999年)に米寿を祝う日本橋とともに国の重要文化財に指定されています。
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  <  里  程  標  >

横浜市           29粁       千葉市      37粁
甲府市         131粁       宇都宮市   107粁
名古屋市      370粁       水戸市    118粁
京都市          503粁       新潟市    344粁
大阪市          550粁       仙台市    350粁
下関市    1,076粁       青森市    736粁

鹿児島市   1,469粁       札幌市    1,156粁
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posted by うめのはな at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2012年10月02日

日本橋由来記碑

日本橋由来記の碑は 南詰西側にあり、江戸期にはこの場所に高札場が設置されていた 。
今 花の広場になっているところに 高札をかたどった「日本橋由来記の碑」が建っている。
高札場〔こうさつば〕
「幕府からでた「御触れ」などを高札として揚げた場所。高札は庶民の生活を規制する内容のものが多い。
宿村間の里程を測る基準として用いられたので容易に移設はできなかった。
江戸市中には、 日本橋、常磐橋外、浅草橋内、筋違い橋内、 高輪大木戸、半蔵門外の6カ所設けられていた。 」
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国指定重要文化財、所在地:中央区日本橋一丁目・日本橋室町一丁目。

「日本橋がはじめて架けられたのは徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1603)と伝えられています。幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋とし、重要な水路であった日本橋川と交差する点として江戸経済の中心となっていました。橋詰には高札場があり、魚河岸があったことでも有名です。幕末の様子は安藤(歌川)広重の錦絵でも知られています。
現在の日本橋は東京市により、石造2連アーチの道路橋として明治44年(1911)に完成しました。橋銘は第15代将軍徳川慶喜の筆によるもので、青銅の照明灯装飾品の麒麟(キリン)は東京市の繁栄を、獅子(シシ)は守護を表しています。橋の中央にある日本国道路元標は、昭和42年(1967)に都電の廃止に伴い道路整備が行われたのを契機に、同47年(1972)に柱からプレートに変更されました。プレートの文字は当時の総理大臣の佐藤栄作の筆によるものです。

平成10年(1998)に照明灯装飾品の修復が行われ、同11年(1999)5月には国の重要文化財に指定されました。装飾品の旧部品の一部は中央区が寄贈を受け、大切に保管しています。中央区教育委員会」
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◆昭和11年(1936)4月、日本橋区が設置した「日本橋由来記」に次のとおり記載されている。
所在地:中央区日本橋1-1-1先、日本橋南詰西側

「日本橋は江戸名所の随一にして其名四方に高し、慶長8年幕府諸大名に課して城東の海浜を埋め、市街を営み、海運を通し始めて本橋を架す。人呼んで日本橋と称し遂に橋名と為る。翌年、諸海道に一里塚を築くや。本橋を以て起点と為す。当時、既に江戸繁華の中心たりしこと推知す可く。橋畔に高札場等を置く、亦(また)所以なきにあらず。旧記を按ずるに、元和4年、改架の本橋は長さ37間余り、幅4間余りにして、その後、改架凡(およ)そ19回に及べりと云う。
徳川盛時に於ける本橋付近は富賈(ふこ=富商)豪商甍(いらか)を連ね、魚市あり、酒庫あり、雑閙(ざっとう=雑踏、騒がしくこみあう)沸くが如(ごと)く橋に貴賎の往来昼夜絶えず。富嶽遥かに秀麗を天際(てんさい)に誇り、白帆近く碧波(へきは)と映帯(えいたい=光や色彩がうつりあう)す、真に上図の如し。

明治聖代に至り、百般の文物日々新たなるに伴い、本橋亦(また)明治44年3月新装成り、今日に至る。茲(ここ)に橋畔の碑を建て、由来を刻して後世に伝う。」
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◆日本橋橋詰の愛称 平成3年(1991)10月3日、建設省東京国道工事事務所が設置。

日本橋の歴史は、慶長8年(1603)に家康の江戸幕府開府の際、南北の交通路として木橋が架設されて以来、幾度の変遷を経て、現在の石橋が明治44年(1911)4月に完成し、平成3年(1991)4月には80歳を迎えました。
これを記念し、平成2年(1990)7月から平成3年(1991)5月にかけて広場の整備を行い、平成3年(1991)5月には完成式典が行われました。
整備にあたっては地域の方々の意見をもとに、日本橋橋詰を都心のオアシスとして、人々の待ち合わせや地域の活性化になればと考え実施しました。
この整備工事に合わせ、愛称を一般募集するとともに、その愛称を末長く親しんでいただくため、記念碑として保存することとしました。
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ここが 日本橋橋詰の愛称 の説明版がある 花の広場です。
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「花の広場」にタイムカプセルが設置されています。
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初代は、1991年に日本橋架橋80年を記念して設置されましたが、20年後の2011年に架橋100周年のイベントで開封されています。

現在のものは二代目で、25年後に開封される予定とのことです。
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日本国重要文化財「日本橋」
・構造、形式
石造り二連アーチ橋 高い欄付(青銅製照明灯を含む)
附 東京市道路元標 一基 
・所有者
 国(建設省:現国土交通省)
・指定年月日
平成11年5月13日 指定(建 第2362号)
・指定の意義
明治期を代表する石造りアーチ道路橋であり、石造り石造アーチ橋の技術的達成度を示す遺構として貴重である。また、土木家、彫刻家が協同した装飾橋架の代表作であり ルネッサンス式による橋梁本体と和漢折衷の装飾との調和も破綻なくまとめられており、意匠的完成度も高い。
建設省国道に係る物件で初めての重要文化財指定
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2012年10月01日

日本橋の麒麟像と獅子像

日本橋が最初に架けられたのは、1603年。江戸幕府を開府した年です。日本橋という名前の由来にはいろいろありますが、橋の上から日の出・日の入が見えたためとも、もともと二本の橋が架かっていたためともいわれています。

徳川家康は、日本橋を各街道の起点と定め、一里毎に一里塚を作らせました。江戸は火災も多かったため、現在の橋で、なんと19代目です。
現在の日本橋に6基ある燈柱には、一里塚ゆかりの松と榎の紋様。獅子像や麒麟像を含め、橋には世界に誇る日本の美が随所に装飾されています。
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明治44年(1911年)に完成した現在の日本橋、その銘板の揮毫は江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜によるものです。
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青銅の照明灯装飾品の麒麟(キリン)は東京市の繁栄を、獅子(シシ)は守護を表しています。
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この麒麟は、想像上の生き物であり、体の部分ごとに異なる作品を参考にして作製したそうです。
橋の両端にある獅子像は、鎌倉期の運慶作といわれる奈良県の手向山八幡宮にある狛犬などを参考にして製作されました。獅子像の盾については東京市の徽章が選ばれました。現在の東京都の紋章です。紋章の形は、東京の発展を願い、太陽を中心に6方に光が放たれている様と日本の中心としての東京を象徴しています。

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瑞祥を期して造られた麒麟像には、「日本橋から飛び立つ」イメージを込めて背びれのような翼があります。
東野圭吾による加賀恭一郎シリーズの『麒麟の翼』の舞台になりました。この麒麟の像の前から話が始まります。
麒麟は、神聖な幻の動物であり、1000年の寿命があります。
中国古典『礼記』によれば、鳳凰は、仁・徳のある王が出現するとともに現れ、麒麟は、王が仁・徳のある政治を行うと現れます。
雌雄の区別があり、オスが「麒(き)」、メスが「麟(りん)」と呼ばれ、雄の頭には角があります。


日本橋界隈には ライオン像(獅子)を含め 獅子が多い。
日本橋にいる獅子は何 頭かというと、獅子16(笑) 片側に16頭で 日本橋だから倍の32頭いるなどという洒落もあるくらいです。 日本橋は、江戸の中心地、すなわち旅の始まりを意味し厄災を払う意味で至るところに獅子をおき、安全を祈願したようです。
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日本橋
所在地:東京都中央区日本橋室町1-1
開通日:明治44年(1911年)4月3日
橋長:約49m
幅員:約27m
総工費:53万3890円(当時)※明治44年当時の1万円=約1,090万円
様式:ルネサンス様式の二重アーチ道路橋
設計担当:米元晋一、樺島正義
装飾担当:妻木頼黄
彫塑担当:渡邊長男

posted by うめのはな at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区