2012年11月30日

東京藝術大学正木記念館

都選定歴史的建造物
所在地 台東区上野公園12番8号
建設年 昭和10年(1935)
設計 金澤庸治
構造・規模 RC造、地上2階建
概要
東京美術学校5代校長・正木直彦の業績を記念して建てられた作品陳列館。昭和初期に流行したRC造の躯体に城郭風の屋根を載せた帝冠様式が特徴
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「正木記念館 東京美術学校の第五代校長である、正木直彦の長年にわたる功労 (校長32年間在任、帝国美術院院長、各博覧会審査官等) を記念するために建設されました。近世和風様式の鉄筋コンクリート造で、内部1階には陳列ケースを置いていました。
2階は正木校長の希望によって日本画を陳列するための書院造の和室が、当時の財界人等からの作品寄贈と、美術学校教官たちの担当によって設けられました。和室の展示室は、今日では大変珍しく、東京都内で唯一のものとなっています。1階展示室は平櫛田中の作品その他を展示するスペースとして、不定期に公開されています。」
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沼田一雅が昭和11年に製作した陶造の「正木直彦先生像」
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1階展示室入り口
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白の漆喰壁、入母屋の瓦屋根.
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新大学美術館の新設に伴い移転された、現在の美術学部の正門の位置にあった旧正門です。
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美術館のちかくにある樫の巨木。老木という感じで、手厚い保護がされている。
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2012年11月29日

東京藝術大学旧東京美術学校玄関

都選定歴史的建造物
所在地 台東区上野公園12番8号
建設年 大正2年(1913)
設計 文部省建築課(鳥海他郎)・大澤三之助・古宇田實
構造・規模 木造
概要 昭和47年の学校本館取り壊しの際、玄関部分のみ正木記念館中庭に移築。周囲とよく調和しており、移築保存の好例
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鬼瓦屋根を用いた重厚な作りが特徴
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東京藝術大学正木記念館と並んでいるので 大名屋敷の門のような感じがしました。
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2012年11月28日

東京藝術大学 陳列館

旧東京美術学校陳列館
「東京藝術大学陳列館 は大学美術館の本館ができるまでは、 芸術資料館のメイン・ギャラリーとして長く親しまれてきた展示室です。 外壁に貼り付けられた赤いスクラッチタイルは、芸大の中でも少なくなってしまいました。 1階は窓のある空間、2階はトップライトを生かした、高い天井を持つ空間で、 それぞれの展示室の個性が際立っています。 後年中2階と3階が増築されましたが、現在では当初の状態に復元されています。 」
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都選定歴史的建造物
旧東京美術学校陳列館 1929(昭和4)年
鉄筋2階建
延429平米
昭和4年(1929)5月竣工
設計 岡田 信一郎 東京都台東区上野公園12-8
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内部は展覧会が開催中のみ公開されます。
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入り口階段付近
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赤い布は開催中の山下了是 染色作品展.
階段下から見た会場入り口前
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二階は広い展示室で3Fにあたる部分に窓がぐるりとあって天井が高く明るいです。
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玄関前には 旧二重橋飾電燈があります。
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1886年に当時の宮内省がドイツのハートコート社に注文し同21年(1888 年)に竣工したもの。 新宮殿造営(本学吉村教授設計)に伴い二重橋架け替え工事のため宮内庁から移管し、この場所に設置。
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  両たもとに設置された4基のうちの1基です。
残り3基のうちひとつは 皇居東御苑にあります。
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 明治村(愛知県犬山市)と東京電力 電気の史料館(神奈川県横浜市鶴見区)のロビーにもあるということですが 実物を確認していません。明治21年の皇居造営に際しては、麹町に発電所を設けて送電、この飾電燈をはじめ皇居内に明かりをともしたそうです。
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2012年11月27日

東京藝術大学4展覧会

東京藝術大学では今 4つの展覧会が開催されている。
どれも無料です。

 退任記念展 中島千波 人物図鑑
会期: 2012年11月15日(木)‐ 12月2日(日)
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会場:東京藝術大学大学美術館 展示室3, 4。
2013年3月をもって東京藝術大学を退任するこの機会に、「中島千波の人物図鑑」と題する”退任展”を開催。
広い会場の壁に 人人人・・・・が並んでいて ・・・桜の絵の1枚でもあればいいのにと思いながら 足早に駆け抜けてしまいました。
ご本人様が受付におられてようで ものの数分で出てしまったことを申し訳なく思いました。桜の絵なら壁に張り付いてでもじっくり観るのですが これは好みじゃなかったです。

 尊厳の芸術展 -The Art of Gaman-
 会期: 2012年11月3日(土?祝)- 12月9日(日)
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会場: 東京藝術大学大学美術館 地下
「平成24年は日系人の強制収容から70年の節目を迎えます。この機会に、太平洋戦争中アメリカ西部で強制収容された日系人が制作した美術工芸品を集めた展覧会を開催します。困難の中でも人間の尊厳を失わなかった日系人の作品を通じて震災から復興する日本と日本人を見つめる機会としたいと考えます。」
1942年〜1946年の約4年間、約10万人の日系人が全米各地10カ所の日系強制収容所に収容された。70年前に日本人、 日系2世、3世は全てを失いここに強制収容されました。 日系二世だけで編成された四四二戦闘連隊がありました。
アメリカに忠誠を誓うか イエスと答えれば成人男性はアメリカ軍として入隊させられ、ノーと答えれば他の厳しい収容所に送り込まれるか日本に強制送還されるかのどちらかでした。
収容所に 残された高齢者や女性やこどもたち。強制収容所で過ごしていた日系人たちが作った. 廃材や地面を掘って出てきた貝殻などで作った作品。 絵画やオブジェ、 タンスやお仏壇、アクセサリー、生活必需品など 無名の人たちの作品展です。
NHK テレビでも紹介されました。

平櫛田中コレクション2012|平櫛田中記念室 開室
会期: 2012年11月15日(木) - 12月12日(水)
会場: 東京藝術大学大学美術館正木記念館1階
カラーパンフレットはなく モノクロ写真が添付されたリーフレットを頂きました。
会場は一部屋で それほど広くなく34点。
平櫛田中の作品は、入ってすぐのところにある彩色の《一休行乞》です。
「行商」大塚俊男作 の雪国の老婆の表情がなんともいえずよかったです。
もちろんどれを見てもすばらしいものばかりでした。

退任記念 山下了是 染色作品展
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会期: 2012年11月20日(火)‐ 12月2日(日)
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会場: 東京藝術大学大学美術館 陳列館2階
1970年頃から制作したパネル作品を中心に、赤を基調としたシルクスクリーン・着色抜染による作品約20点。
・同じ赤でも少しずつ色が違いきれいです。 そのデザインもとてもよかったです。
染色で 生でみるのと印刷した写真でみるのとはその微妙な違いがわからないので生で見ることができてよかったです。
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一部屋にまとめて展示されるているので それぞれの作品のイメージと赤の色の違いがわかってなかなか楽しく拝見できました。
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東京藝術大学 陳列館は企画展開期中のみ公開されています。
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2012年11月26日

東京国立博物館 屋外展示

東京国立博物館の構内には、黒門や校倉など由緒ある建造物や屋外彫刻などがあります。
その一部を見てきました。
黒門(重要文化財)
旧因州池田屋敷表門。旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。明治時代、当時の東宮御所正門として移されたのち、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年(1954)当館に移築されました。創建の時期は明らかでありませんが、形式・手法から見て江戸末期と考えられます。屋根は入母屋造 で、左右に向唐破風(からはふ)屋根の番所を備え、大名屋敷表門では東京大学の赤門と並び称されるものです。
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道路側から見た黒門。
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黒門は開放しているようです。土・日・祝日の10:00〜16:00
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博物館敷地内から見た門。
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その門の脇にあるのが大きな鬼瓦。
鬼瓦
千代田区霞が関にあった筑前福岡藩黒田家の江戸屋敷の鬼瓦で、複雑な雲文の意匠が特徴です。
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資料館近くにあるのが 旧十輪院宝蔵。
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旧十輪院宝蔵(校倉)(重要文化財)
 奈良・元興寺の別院、十輪院にあった経蔵。明治15年(1882)5月に当館に移築されたもので、現在は法隆寺宝物館の脇にあります。鎌倉時代に造られた一 間四方の小さな校倉(あぜくら)で、内部壁面には大般若経にゆかりの菩薩や十六善神が描かれており、この宝蔵には大般若経が納められていたことがわかりま す。
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平成館前の池にあるのが 森鴎外総長室跡記念碑
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国立博物館140周年と森鴎外生誕150周年を記念して設置されました。
「平成館および前庭の一帯は、明治15年(1882)に博物館が上野に移転してから、展示棟に附属する事務棟の建物が多く建てられました。この付近は帝室博物館を統括する早朝の居室があり、森林太郎(鴎外)は大正6年(1917)から大正11年に死去するまで、早朝としてここで執務しました。
2012年10月 鴎外生誕150年にあたり」帝室博物館総長 森鴎外(林太郎)写真:文京区所蔵」
重要文化財に指定されている表慶館が見えます。
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表慶館
明治33年(1900)、皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して計画され、明治42年(1909)に開館した、日本ではじめての本格的な美術館です。設計は、J.コンドルの弟子で、東宮御所(現在の迎賓館)なども手がけた宮廷建築家の片山東熊。中央と左右に美しいドーム屋根をいただき、上層部の外壁面には製図用具、工具、楽器などをモチーフにしたレリーフがあります。明治末期の洋風建築を代表する建物として昭和53年(1978)、重要文化財に指定されました。
表慶館は、2011年12月26日(月)より修復・耐震工事のため休館しております。開館予定は未定です。

外に出て 道路をへだててあるのが 黒田記念館
ここも耐震工事のため休館中です。
東京国立博物館の本館北側に広がる庭園は、池を中心に5棟の茶室を配し、、5代将軍徳川綱吉が法隆寺に献納した 五重塔や、石碑や燈籠などが庭園には遺されています。庭園(年2回 春と秋に公開)は公開中でした。
以前 写した写真とブログがあります。
博物館庭園〜黒田記念館〜科学博物館2010年12月04日
http://umeno87.sblo.jp/article/41964184.html
写真集
http://umeno87.sakura.ne.jp/Photo/10akiueno.html
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2012年11月25日

【特別展】メトロポリタン美術館展 大地、海、空 4000年の美への旅

上野 東京都美術館で開催中の 【特別展】メトロポリタン美術館展 大地、海、空 4000年の美への旅

2012年10月6日〜 2013年1月4日
行ってきました。平日だったので並ぶことはなかったですが 混んでいました。
上野は秋の景色で紅葉がきれいでした。
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東京都美術館は、平成24(2012)年秋にリニューアルオープンしました。これを記念して開催するもので日本国内での巡回はありません。
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ニューヨークのセントラル・パークに建つメトロポリタン美術館は、1870年に創設され、現在まで140年以上、「Met(メット)」の愛称で世界中の人びとに親しまれています。メトロポリタン美術館の17学芸部門のうち、実に12部門を横断して構成されるもので絵画54点、彫刻・工芸66点、写真13点を紹介、古代メソポタミア文明の工芸品から20世紀の写真作品まで、バラエティに富んだ内容です。
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待望の日本初公開となるゴッホの傑作《糸杉》は話題を呼んでいます。
この絵は絵の具のタッチに迫力がありとてもよかったです。実物がみれてよかったです。
1章から7章まで 広い会場です。
第1章 理想化された自然
ロラン、ブルドン、ウィルソン ドッシ、プッサン、レンブラント等
第2章 自然の中の人々
ティントレット、ブリューゲル、ドラクロワ ブルトン、ミレー、ゴッホ等
第3章 動物たち
ラヴェンナ、バリ、ボンボン ピサーノ、ベネット、ティファニー
第4章 草花と庭
ガレ、ルドン、ルノワール等
第5章 カメラが捉えた自然
写真
第6章 大地と空
コンスタブル、ゴッホ、ルソー ローザ、クールベ、バルテュス 
ライスダール、ホッパー、オキーフ等
第7章 水の世界
パリッシー、ベンデル、ウンチェル ロベール、ターナー、セザンヌ
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ターナー『ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む』,1835頃
これも好きです。来年 ターナー展があるそうです。

紀元前2千年の古代メソポタミア文明の石彫から、中世ヨーロッパの工芸品、イスラムの写本、銀器やガラス製品、テキスタイル、西洋美術を代表する巨匠たち、レンブラントやターナー、ゴッホらの油彩画、そして19世紀から現代までの写真作品の数々まで 時間をかけてみれば一日がかりになりそうです。
絵画だけでなく 工芸品なども展示しているので展示数が多く、とっても見応えがあり満足度が高かったです。

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東京都美術館は ・・というより東京都立の施設は中学生以下は無料なので 子供たちは気軽に利用でき いいものを観る機会にめぐまれています。もちろん 高齢者や障害者、18歳以下のファミリーも無料になったり割引になったりします。こういう制度はとてもすばらしいです。

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2012年11月24日

魅惑の赤、きらめく金彩 加賀赤絵展 

東京・日本橋高島屋で開催中の 「魅惑の赤、きらめく金彩 加賀赤絵展 」
2012年11月8日(木)〜11月26日(月)
観てきました。
「絢爛豪華(けんらんごうか)な九谷焼の赤絵――「加賀赤絵」。その知られざる美の系譜を紹介する「魅惑の赤、きらめく金彩 加賀赤絵展」が開催されます。 」のキャッチフレーズです。
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知られざる九谷焼の赤絵、「加賀赤絵」です。
中国からもたらされた 陶磁器は、大名や大商人、茶人たちに受け入れられました。
加賀藩は江戸時代後期に京都から名工を招き、中国赤絵の写しを作らせました。
そして 九谷の諸古窯に技術が受け継がれ 。全面を美しい小紋と絵画で埋め尽くす加賀独特の「赤絵細描」を生み独自の発展をします。
京都から金彩の技術が伝わると 美しい「赤絵金彩」が出現しパリ万博などに出品されてジャパンクタニとして諸外国に人気になります。
この時期 流出した作品も数多いことでしょう。今回里帰りしたものもあるそうです。
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中国・明代の「万暦赤絵 五彩大花瓶」(那谷寺蔵)から、江戸時代の再興九谷諸窯、万博などに陳列されたジャパンクタニ、そして現代まで、加賀赤絵の名品約150件を一堂に集めて、その華やかな美の系譜を紹介しています。
特別展示《古美術と花のある空間》、「加賀赤絵展」の出品作品の中から3つのシーンを想定してアートフラワーとともにテーブルウェアが展示されています。
会場出口のショップに 石川県能美市 伝統工芸九谷焼とウルトラマン 絵付け体験 というイベントが告知されていて ウルトラマン、バルタン星人、ピグモン、カネゴンの小さな人形がありました。これは 有料で好きなように絵付けして焼いてくれるイベントだそうです。残念ながら23日24日だけのイベントだそうです。
金沢に近いところに住んでいたので あちこちで古九谷はよく観ましたがこれほど 緻密で繊細で美しい赤絵のものをじっくりみたのは初めてでした。すばらしかったです。
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2012年11月23日

特別展「中国 王朝の至宝」

今 東京国立博物館では2つの特別展が開催されている。
平成館のおおきな会場で開催されているのが 日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国 王朝の至宝」
平成館   2012年10月10日(水) 〜2012年12月24日(月) です。
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暖房が効いているのか 博物館内はかなり暑くてコートを脱ぎました。出てくる人がみなコートを手にしていましたから覚悟はしていましたがかなり暑かったです。
並んで待つ日もあるとのことでしたが 混んでいたけれど待ち時間はありませんでした。
入場時 エスカレーター前で手荷物を検査されます。ロッカーに預けてから入場しました。

中国各地の14の地域の30余りの機関から文物を借用するという、スケールの大きな内容となっています
国宝級の「一級文物」約60%というスケールで貴重な文物168点を展示。
第一章 王朝の曙 蜀vs夏・殷
第二章 群雄の輝き 楚vs斉・魯
第三章 初めての統一王朝 秦vs漢
第四章 南北の拮抗 北朝vs南朝
第五章 世界帝国の出現 長安vs洛陽
第六章 近世の胎動 遼vs宋
このような構成です。
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古代王朝の「蜀」対「夏・殷」のコーナーでは、四川盆地に栄えた蜀の金製品と、黄河中流域の夏や殷の青銅器を対置。金を多用した人の形を造形化した蜀の文化の特徴がみられます。
パンフレット左上の 金製仮面(前12〜前10世紀)四川省成都市金沙遺跡出土(成都金沙遺址博物館蔵)は 想像していたものと違って本当に小さなものでした。
埋葬品の「俑」が多く展示されています。俑とは墳墓に副葬するために作られた人形のことです。
秦の始皇帝陵から出土した「跪射俑」が等身大の兵士に対して 漢では女官をあらわした小ぶりな「女性俑」などは端正な様式となっています。
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最後の 第六章 近世の胎動 遼vs宋では 近年発掘されて「まるで塔の王様」と話題を呼んだ1メートル超の「阿育王塔」(北宋)も特別出品されています。
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阿育王塔(北宋時代・1011年)江蘇省南京市長干寺地宮出土(南京市博物館蔵)
2008年に発見された「阿育王塔(あいくおうとう)」(北宋時代)は、金メッキに宝石がちりばめられた1メートル超の仏塔。
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鑑賞後 ミュージアムショップで買い物。
8種類のフィギュアカプセルがあって 400円でチャレンジ。
金製仮面が欲しかったのだけど 出てきたのは突目仮面でした。
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2012年11月22日

特別展「出雲−聖地の至宝−」東京国立博物館

東京国立博物館140周年 古事記1300年・出雲大社大遷宮 特別展「出雲―聖地の至宝―」行きました。
本館 特別5・4室 :2012年10月10日(水) 〜 2012年11月25日(日)
重要文化財 宇豆柱 鎌倉時代・宝治2年(1248) 出雲大社境内遺跡出土 島根県・出雲大社蔵
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重要文化財 宇豆柱。
 
2000年に出雲大社境内遺跡から出土した重要文化財の宇豆柱が初めて島根県外に出品されます。この杉柱は、直径1.3メートル、高さ約1.3メートル、推定重量1.5トン。3本たばねて直径約3メートルの1本の柱とし、鎌倉時代の大社本殿を支えていました。
古代出雲大社の復元模型 スケール 1/10
これも展示してあり その大きさから宇豆柱の大きさが推測できました。
推定の高さ48m。100mを超えるスロープ。えんえんと続く階段。まさに神話の世界です。
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第2章は 島根 荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡で発見された大量の青銅器や国宝の銅剣(どうけん)・銅矛(どうほこ)・銅鐸(どうたく)、甲冑(かっちゅう)や刀剣、神像などの貴重な文化財が展示されています。

展示品総数44件 
   国宝3件(荒神谷・加茂岩倉遺跡出土青銅器、秋野鹿蒔絵手箱)
   重文15件(出雲大社境内遺跡出土品宇豆柱、古事記、出雲大社并神郷図、
   兵庫鎖太刀、彩絵檜扇、銅造観音菩薩立像、比売神坐像など)
   県指定8件(出雲国風土記写本、手鑑など)
人の多さに比べて こじんまりした会場ですから 2章などは人が群がっていてよく見えませんでした。
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2012年11月21日

りんご

りんごの美味しい季節。
サクサクとして蜜があふれるようなりんごが好き。
昔はインドりんごと称して水分が少ないりんごがあった。
でも 日本のりんごが一番美味しい。
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子供の頃 熱を出したりお腹を壊したとき 母はりんごをすりおろしてくれた。
煮沸した木綿布でこして ジュースにしてくれたり すりおろしたまま食べさせてくれたりした。
熱のある体にとっては 甘く冷たいジュースがこのうえなく美味しいものだった。
その手間を考えもせず 何度も「飲みたい」といって困らせた。
少ししたら ジューサーを買ってその手間がなくなったのだけど 今度は後始末に困るとぼやいていた。
ジューサーが来ると りんごだけではなくいろいろなものが混ぜられて「栄養あるから」と飲まされることになって 次第にジュースと言わなくなっていった。
りんごジュースは市販でいくらでも買える。
だけど 子供の頃 母がすってくれた茶色のりんごジュースは今でも わすれられない。

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2012年11月20日

放生寺(西早稲田)

前回早稲田訪問のとき 穴八幡宮について書きましたが その隣にあるのが「放生寺」です。
放生寺(ほうじょうじ)は東京都新宿区西早稲田二丁目にある高野山真言宗準別格本山の寺院である。山号は光松山(こうしょうざん)。本尊は聖観世音菩薩で、「江戸三十三箇所」の第15番、「御府内八十八箇所」の第30番である。
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放生寺は金銀融通の御札「一陽来福」創始のお寺。
穴八幡宮とは元々不可分であったため、神仏習合の江戸時代に始まった「一陽来復」の札の授与は穴八幡と放生寺の双方で行われている。ただし放生寺の札は「一陽来福」と1文字異なる。
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  一陽来福の由来
 「現在暦や易占の礎となっている書物は「宿曜経」と云い弘法大師空海が平安時代に初めて中国から我が国に伝えたものであります。当山授与の一陽来福は冬至(陰極まって一陽を生ずる)を示す一陽来腹に因み、観音経の「福聚海無量」と云う偈文より「福」の字を結んで一陽来福と名付けられました。一家の居間に、毎年定められた恵方に向けて貼り、資生招福・金銀融通を祈願する霊験あらたかな観音さまの御札です。
 江戸天保年間に、冬至前7日間真言密教による観音法の御祈祷を修して、別当放生寺が信徒に授与したのが始まりです。以来、今日に至るまで御修法を師資相傳継承し、冬至より節分迄の間授与致しております。一陽来福が当山由来でありますことは、虫封じと共に古老諸彦の熟知される所であります。 光松山 放生寺」
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所在地 新宿区西早稲田2-1-14

高野山真言宗
 威盛院 光松山 放生寺

 「放生寺は寛永18年(1641)威盛院権大僧都法印良昌上人が高田八幡(穴八幡宮)の造営に尽力され、その別当寺として開創されたお寺です。
 良昌上人は、高野山奥の院、安芸宮島さらには諸国を修行していた折の寛永16年(1639)2月霊夢の中に老翁現れ、「将軍家の若君が辛巳の年の夏頃御降誕あり、汝祈念せよ。」と告げられ、直ちに堂宇に籠もって大願成就まで祈願致したところ、同年厳有院殿(4代家綱公)が御降誕されました。その後、このことが上聞に達し、大献院殿(3代家光公)が当山に御参拝になり正保3年(1646)御厄除の御祈祷を厳修、慶安2年(1649)良昌上人より寺社の由緒も聞かれ、「威盛院光松山放生会寺」の寺号を賜り付近一帯は放生寺門前と称されていました。爾来、将軍家の崇信殊の外篤く徳川家代々の祈願寺として葵の紋を寺紋に、また江戸城登城の際には寺格として独礼登城三色(緋色、紫色、鳶色)の衣の着用を許されました。
 さらには、御遊猟の際に当山を御膳所に命ぜられるなど、徳川實記には放生寺と将軍家との往来が詳細に記されております。
 開創当時から明治までは、神仏習合により穴八幡別当放生寺として寺と神社は同じ境内地にあり、代々の住職が社僧として寺社一山の法務を司っておりましたが、明治2年(1869)、当山16世実行上人の代、廃仏毀釈の布告に依り、境内を分割し現今の地に本尊聖観世音菩薩が遷されました。
 このように当山は、徳川家由来の観音霊場として広く知られ殊に本尊聖観世音菩薩は融通虫封観世音と称され、御府内88ヶ所霊場第30番札所、江戸33観音第15番札所として多くの人々の尊信を集めております。」
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放生寺本殿
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厄除け修行大師

真言宗の開祖である弘法大師空海の若き日の修行時代の姿の立像です。
敷石の下には四国八十八カ所の霊場全てのお寺の砂が敷かれていて、左より時計回りで「南無大師遍照金剛」と唱えながら巡ると四国八十八カ所をお参りしたのと同じご利益が得られるそうです。
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地蔵菩薩
「お地蔵さまはそのお名前が示すとおり、大地のように踏まれても怒ることなく、屈することもなく大きな慈悲心で全てのものを育み救ってゆこうとする無尽蔵の力をもった菩薩さまであります。
 左手に蓮華宝珠、右手には?杖を持つ僧形で、お地蔵さまの御誓願は生と死の両界において、危ない処や淋しい処また、子供のように弱い者に対して力を貸してゆこうとするものであります。鎌倉時代、民間信仰にとり入れられ賽の河原では童児の救済者として和讃にまで唱えられ子育地蔵・子安地蔵の名で古くから信仰されております。
 光松山 放生寺」
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馬頭観世音菩薩
 「観世音菩薩化身の内、唯一の忿怒像であり怒りが強い程、内には人を救うお力(慈悲の心)も大きく、また馬は大食いであるということから人々の悩みや苦しみ(煩悩)を喰べ尽くすと云われます。   光松山 放生寺」
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左にあるのは放生供養碑。
ひときわ目立つ赤いお堂は神変大菩薩のお堂です。


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神変大菩薩
「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)は、通称、役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれ、飛鳥時代から奈良時代にその名を馳せた呪術者です。
修験道の開祖であり、山岳信仰の第一人者でもあります。
山野を駆け巡って修行したことから、今日では特に足腰の弱い方を救ってくれるといわれています。 」


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大きな銀杏の木がありました。新宿区みどりの文化財のプレートがありました。
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2012年11月19日

玄国寺〈高田馬場)

所在地 新宿区高田馬場1-12-10。
真言宗豊山派の寺院、豊島八十八ヶ所霊場。第七十二番。
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玄国寺山門
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山門脇地蔵尊。
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境内碑文による玄国寺の縁起
旧くは中野宝仙寺の末寺であったが、元禄九年音羽護国寺の末寺となる。龍池院と号すること古くは大寺にて境内広く南方の尾陽公戸山屋敷より北方土屋氏の屋敷までひとつづきなる大なる池あるが故に龍池山と号す。
草創は承和年中(834-847)真雅僧正再営の説あり。慶長六年(1601)頃現在地に創建され、延宝年中、法印盛源中興し、世々諏訪神社の別当を兼ねていた。
本尊は「三弁火焔の阿弥陀如来」、座像にて三尺余、行基菩薩の作、別に名付けて「こころみの阿弥陀」とも称す。
武蔵風土記に「寺宝一顆あり。安産與楽の玉と称す。北条遠江守時政の子相模守義時の妻難産のおり江の島弁財天に参籠して感得し、その加護によって安産あり。また、その玉、密々御本丸に用としてしばしば奉る。縁ありて当寺に寄附される。」
境内墓地に隣接して「土屋地蔵尊」あり。源兵衛村土屋薩摩守氏(旗本2700石)下屋敷の井戸より出現した石像で別名「田植え地蔵尊」とも言う。種々の願いを叶え、霊験あらたかなる故に堂宇を建立す。
「江戸名所図会」(天保年間刊行)によれば、このあたり諏訪谷村と呼ばれ、諏訪神社並びに別当玄国寺ありてその境内には鐘楼堂、地蔵堂、聖天堂などがあった。
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玄国寺庫裏
 諏訪神社の別当寺 (べっとうじ) (江戸時代、神社に付属して置かれた寺院)である玄国寺 (げんこくじ) の庫裏 (くり) には明治の元勲である岩倉具視 邸の書院が移築保存されている。明治初年らしく和洋折衷だが、堂々とした和風建築に洋風のシャンデリアがなんの異和感も与えないという。大正十五年(一九二六)ころ馬場先門にあった岩倉邸の一部をそっくり移築した。開化期を偲ばせる貴重な文化遺産である。
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本堂
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玄国寺鐘楼
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玄国寺六角弁天堂
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墓地には 文化財の土屋地蔵尊(田植地蔵) 庚申塔(江戸時代) などがあるそうですが 墓地には行きませんでした。
 土屋地蔵尊は、源兵エ村土屋薩摩守氏(旗本2700石)下屋敷の井戸より出現した石像で、別名「田植え地蔵尊」とも言う。
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2012年11月18日

諏訪神社〈高田馬場)2

本殿・本堂の正面左右に一対で向き合う新旧2対の狛犬と 新旧2つの石灯籠があります。
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狛犬の後ろに見えるのが 校倉造り 神輿庫。
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    校倉造り 神輿庫
「校倉とは奈良時代に神社佛閣が宝蔵として盛んに作った純日本的高床式の倉庫です。
現存する有名なものに正倉院があり、二月堂、手向山八幡、唐招提寺などの校倉も現存しています。
然しこれらの校倉はすべて木造で、これをコンクリートで作ることは、技術的にも様式的にもむずかしく、知る限りではまだ一棟も完全なものがありません。
当社では今回数少ない専門的技術人を得て、ここにコンクリートによる完全な校倉造りの大神輿の倉庫を建造しました。
大変珍しく、貴重な建物ですから大切に保存して下さい。
 昭和52年(1977)6月25日 諏訪神社」
境内末社(本社に付属する小神社のことです。)
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境内末社の一つである「御嶽神社」
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境内末社の一つである「稲荷神社」
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庚申塔(こうしんとう)
 「庚申塔は、庚申塚ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。庚申塔の石形や彫られる神像、文字などはさまざまですが、申は干支で猿に例えられることから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多いです。同様の理由で庚申の祭神が神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもあります。庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多いです。 」
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新宿区登録有形民俗文化財
 塞神三柱の塔
     平成5年(1993)3月5日指定

「天和2年(1682)に造立された舟形の石塔で、中央に「塞神三柱」、その右側に「諏訪上下大明神」および「正八幡大菩薩」、また左側には「天(以下欠損のため不明)」および「稲荷大明神」と刻まれている。
 また、その上方には右に月形、左に日形が彫られている。
 塞神は、村の境や峠に祀られる、境界を守護する神とされ、石塔としては江戸時代に南関東地方を中心に盛んに造立された。
 諏訪神社の塞神塔は区内で唯一のもので、また、「塞神三柱」の文字が刻まれた例は少なく、大変貴重である。
 平成6年(1994)6月 東京都新宿区教育委員会」
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   聖蹟
 明治天皇射的砲術天覧所趾
明治十五年十一月九日近衛射的場開場式ニ臨御同十五年十一月二十九日射的砲術ヲ天覧アラセラレタ所ナリ
 昭和十八年十二月 東京都
「 明治15年(1882)、諏訪の森近衛射的場が神社前に出来ました時、明治天皇の行幸があり、当社境内よりその射撃遠州を御覧になられました。その折、畏くも天皇より神酒、鴨を賜り、氏子の歓喜、感激は大変なものでした。その後、御社伝の屋根には菊の御紋を付ける様になり、又射的場にみえられる各宮殿下には、皆当社の社務所に御休息遊ばされました。
只今拝殿に掲げてある神号額も小松宮彰仁親王殿下の御真筆であります。昭和18年(1943)には当天覧所址は東京都より行幸史跡に指定されました。」
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『江戸名所図会』諏訪神社
森に囲まれて社殿が建っている様子が描かれています。
神社の左側にあるのが、諏訪神社の別当寺であった玄国寺です。
次 玄国寺に行きます。

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2012年11月17日

諏訪神社(高田馬場)1

日本館の少し先に諏訪神社がある。通りに面しているが一歩中に入ると木々が生い茂り音は気にならない。
諏訪の森(恋の森)
「この諏訪神社一帯は歌人 在原業平夫婦が、お互いに道に迷いこのあたりで寝て夜明けを迎えるとお互いが近くにおり再会したとの伝承があります。 」
諏訪神社:所在地 東京都新宿区高田馬場1-12-6
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夫婦楠(相生楠)
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「創建は、平安時代の弘仁年間(810〜824)。
小野篁(おののたかむら)が大国主命(オオクニヌシノミコト)事代主命(コトシロヌシノミコト)を祀ったのが起源とされています。
その後、源頼朝が奥州征伐の際に戦勝を祈願してここに立ち寄り、勝利したのち、文治五年(1189)、ここに社殿を建てたと伝えられています。
応仁三年(1469年)には大田道灌により改築されますが、その後、焼失。
江戸時代に入り、尾張藩の初代徳川義直が信濃国(長野県)の諏訪神社のご祭神武御名方命(たけみなかたのみこと)を合わせて祭り、ここを再建し、名称を諏訪神社と改めました。
江戸時代には、近隣の人たちの信仰を集め、戸塚村、大久保村、百人町の鎮守として親しまれました。」
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昭和55年(1980)に落成した荘厳な諏訪神社の新社殿。
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手水舎(諏訪の霊泉)
 「当社の境内より湧き出る水は、眼病、諸病に霊験有りとして、多くの人々がお水取りにみえました。現在の手水舎の水も何百年も湧き出ている霊水です。」
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神楽殿
 「神道の神事、儀式において、神さまに奉納するための歌や舞を行う場所です。当社、夏の例大祭では里神楽が行われます。 」
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次に 続きます。

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2012年11月16日

日本館〈高田馬場)

学習院旧正門から明治通り諏訪町交差点のほうに戻り 少し入ったところに「日本館」というレトロ調の建物があります。
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東京都新宿区高田馬場1-9-1 
竣工 昭和11年(1936) 
構造 木造2階建て
アクセス 副都心線 西早稲田駅 徒歩3分
JR 高田馬場駅 徒歩10分 
文化財というわけでもないのだけれど  昭和11年に建てられた洋館風の建物は戦災にも耐え、70年以上経った今も早稲田の学生たちを受け入れているという建物です。
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早稲田といえばかつては下宿屋の町。昭和30年代から40年代までは、4、50軒の下宿屋があったが、今も残っているのは2、3軒になってしまったそうです。男子専用で、夕食付きの値段は手ごろです。
部屋は、主に4畳半+床の間・押入れ付きが24室あって、池のあ美しいる中庭まで付いているとか・・・
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当時は相当にしゃれた下宿屋だったのでしょうね。

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2012年11月15日

「学習院旧正門」

スコットホールを出て 明治通りのほうに向かう。ゆるやかな坂道の左側は学習院女子大学等。赤レンガの塀が続く。
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学習院女子大の門が途中にあります。
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数分歩くと明治通りに出ます。諏訪町交差点を少し左に行くと学習院女子大・女子高等科・女子中等科の正門です。
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重要文化財「学習院旧正門」として昭和48(1973)年6月2日文部大臣指定。
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重要文化財学習院正門 がくしゅういんせいもん
竣工 1877年(明治10年)
所在地 東京都新宿区戸山3-20-1 
構造 鋳鉄製

「この鋳鉄製の門は、はじめ明治10(1877)年に学習院が神田錦町に開かれた時、正門として建てられた。

製作は埼玉県川口市の鋳物工場で、唐草文様をあしらった和洋折衷の鉄門は、明治初年の文明開化時の様式と技術を伝える貴重な文化財である。
明治19年(1886)の火災で校舎が焼失し、学習院が移転した後 この門は 各所を転々としたが、昭和5年(1930)に目白の本院構内に戻り、 その後昭和25年(1950)にこの地に移され現在、学習院女子大学・学習院女子中・高等科の正門として使用されている。」

昭和48年(1973)6月に国の重要文化財に指定されました。
門の老朽化が進んでいたことと、明治通りの拡幅工事に伴い、正門の解体修理と移設が行われ、平成19年(2007)12月に設置が完了。造られた当時と同じ朱色に修復され蘇りました。

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正門からのアプローチは桜並木。桜花の徽章は本居宣長の「敷島の大和心を人問はゞ朝日に匂ふ山桜花」の歌の精神をとったもので、明治10(1877)年10月創立当初より使用。桜の季節はきれいでしょうね。

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2012年11月14日

早稲田奉仕園スコットホール(内部)

2階は会議室になっています。
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旧教室と書かれています。
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小会議室から大会議室を見る。
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旧SOCIALROOMと書いてあります。
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暖炉があります。
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譜面台もありました。
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ドアには教室のルームナンバーがあります。
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廊下から階段ホールを見る。
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地下への階段。
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地下です。
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地下には旧音楽室や大食堂、旧料理場がありました。
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地下はギャラリーになっていて 貸し出しされています。旧ビリヤードルームです。
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トイレ前の廊下ですが トイレは旧宿直室となっています。設計図ににはなく築後外に建てられました。
13:00から ガイドツアーがあり3F屋根裏部屋も見せてくれるとのことでした。
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この階段を登ったところですが今回はパスしました。
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外に出ればこういうプレートがありました。
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2012年11月13日

早稲田奉仕園スコットホール(階段)

講堂脇から2階へあがる階段部分です。
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3階への階段も見えます。
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踊り場から二階。
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踊り場の照明
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踊り場の窓
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3階への階段
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古いオルガンが置いてありました。
次に部屋を見ました。
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早稲田奉仕園スコットホール(講堂)

エントランスから中に入ると 正面に講壇があります。
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パイプオルガンが見えます。
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側面のアーチ窓。礼拝堂特有の柔らかな光です。
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壁のアーチ。
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天井のライト
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壁の照明。
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二階席の窓の明かり。
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下から見た二階席。
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天井といい この二階の手すりといい明治学院の礼拝堂に似ています。
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二階席から見下ろしてみました。
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講堂の前方左側にドアがありそこを出ると二階に行く階段がありました。
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次に2階を見ました。
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2012年11月12日

早稲田奉仕園スコットホール(外観)

東京文化財ウィークの東京都選定歴史的建造物特別公開で早稲田奉仕園 スコットホールが本日12:00〜15:00に公開されました。
内部の見学ができるのは本日12日だけなので さっそく行ってきました。写真撮影も可でした。
まずは 外観から。
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早稲田奉仕園 スコットホール(2号館) 1921年(大正10年)/1991(平成3)年改修
東京都選定歴史的建造物
竣工 1921年(大正10年)
所在地 東京都新宿区西早稲田2-3-1
設計 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories)
構造 煉瓦造2階建て(塔屋のみ3階)、半地下1階
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スコットホールについて
「スコットホールは日本の近代西洋建築を数多く手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築事務所の設計原案に基づき、内藤多仲・今井兼次の手により1922年に竣工した赤レンガ組積造りの建物です。キリスト教の礼拝が行われる他に、結婚式、音楽コンサートなどに利用され、人々に親しまれています。

1990年東京都より「歴史的建造物の景観意匠保存」の指定を受け、多くの人々の寄付・協力によって、構造の補強と外観の全面改修保存が行われました。」
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講堂入り口玄関。
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財団法人早稲田奉仕園。設立の趣旨は 「早稲田奉仕園は創設以来、キリスト教精神に基づき、国際的な視野に立って社会を洞察し、他者と共に生きる人間形成の場としての働きをしています。
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1923年(大正12年)の関東大震災で塔屋の一部が崩落し補修された以外は、 現在もほぼその原形が保たれています。
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創立者ベニンホフ博士の像。[その歴史は1908年(明治41)米国バプテスト教会の宣教師であったH.B.ベニンホフ博士が、早稲田大学の創始者大隈重信の依頼を受け、キリスト教主義の学生寮「友愛学舎」を開いたことに始まります。
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駐車場側から。
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切妻面。
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塔屋部。ここから入ると2Fへの階段があります。
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半地下部。
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半地下入り口。ギャラリーになっています。

講堂(チャペル)正面に受付があり いろいろなパンフレットを頂きました。 1Fから見学しました。
次は 講堂から・・・・

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2012年11月11日

高輪消防署二本榎出張所

明治学院正門前の交差点から 望楼のあるユニークな建物が見えます。
今も現役の高輪消防署二本榎出張所です。
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高輪消防署二本榎出張所 1933(昭和8)年
設計 : 越智操(警視庁総監会計課営繕係)
施工 : 間組
東京都港区高輪2-6-17
平成22年3月26日「東京都選定歴史的建造物」に選定された。
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望楼の上の青い塔は、 1984年(昭和59年)に東京都の「文化デザイン事業」により設置されました
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コーナー部3階に円形講堂があり、その上に鉄筋コンクリート造りの望楼。
第一次世界大戦後に流行した近代的なドイツ表現派というスタイルだそうです。
隣の高輪警察署もかつては消防署とよく似たデザインの近代建築で、消防署と対になる存在だったそうです。
この建物は、海抜25mの高台にあり、 竣工当時は海岸線が今よりも近く、 高層ビルもなかったため、望楼から東京湾を眺望できたことから「灯台」や「軍艦」などと称して親しまれた。消防署は軍艦「三笠」の船尾、道路を挟んだ高輪警察署は操舵室のモチーフで対にデザインされたということです。警察署のほうは 被災し老朽化したため近代的建物に建替えられています。
しかし 電線が張り巡らされていて 外観がすっきりと見えないのがざんねんです。
受付で書類を出すと 係員の方がパンフレットを持って事務室から降りてきて 案内してくれました。
内部撮影は可です。でも非公開です。
展示室は8本の梁が中心に集まり、10個の窓部アーチと一体になっています。召集があれば見学は中止します。」と断りがありましたが 無事見学終了。とても親切に丁寧に説明してくれました。
お忙しい中ありがとうございました。
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すぐ前のバス停から品川駅までコミュニティバスに乗りました。
二本榎の由来

   旧東海道を旅する人の一里塚として、上行寺(明治学院体育館)門前に「榎」が二本あり、文政年間(1818年〜)には、高さ10mあったと言われる。今その歴史を残す「二本榎の碑」が承教寺(高輪2−8−2)及び出張所前に建てられています。
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2012年11月10日

明治学院記念館 2.

記念館は当時アメリカで流行したネオゴチック様式の総赤煉瓦、フランス瓦葺の2階建てで、中には神学部の教室・教授室と学院の図書館が置かれた。
現在も 小チャペル、学院歴史資料館、会議室、事務室などに活用されている。
瓦造りのハイカラな建物の2階には図書・雑誌の閲覧室があった。
島崎藤村が読書したフロアは現在は会議室として使用されている。
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大きな古いオルガンがある。このオルガンは演奏できるリードオルガンとしては国内では最大で最古のオルガンだという。明治学院の120周年を記念して、このオルガンが修理され、よみがえったとのことです。
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大正の礼拝の音-大リードオルガン
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港区登録有形民俗文化財
メーソン&ハムリン社製
   415型リードオルガン
           平成10年(1998)12月2日指定
「このオルガンは、アメリカのMason and Hamlin会社製のLiszt Organと言い、1914年当時、明治学院教授A.K.ライシャワー博士の尽力で米国プレスビテリアン・リフォームド両ミッションから学院に贈られたもので、現在我が国においてはほとんど唯一のものではないかと思われる」
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木のぬくもりのある階段を下り 記念館を出ました。
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学園祭中でいろいろな模擬店が出ていました。
学生たちは笑顔で 一般客にも呼びかけていました。
一歩外に出れば そこは高層マンションが建ち 国道を車が走る近代的な町です。
歴史的建造物を見学している間 ここが白金の町の中だということを忘れていました。
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2012年11月09日

明治学院記念館 1.

[建設年]1890(明治23)
[設計者]H.Mランディス(宣教師)と推定
[構 造]煉瓦造 一部木造(屋根:銅板一文字葺)
[規 模]地上2階 延床面積516.09平方メートル
1979(昭和54)年 東京都港区有形文化財に指定
2002(平成14)年 東京都港区「景観上重要な歴史的建造物等」に指定
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港区指定有形文化財(建造物)
 明治学院記念館
             昭和54年(1979)10月23日指定
「島崎藤村が小説「桜の実の熟する時」の中で、「・・・新しく構内に出来た赤煉瓦の建物は、一部は神学部の教室で、一部は学校の図書館に成つて居た。まだペンキの香のする階段を上つて行つて二階の部屋へ出ると、そこに沢山並べた書架がある。一段高いところに書籍の掛りも居る。・・・書架で囲はれた明るい窓のところには小さな机が置いてある。そこへも捨吉は好きな書籍を借りて行つて腰掛けた・・・」と書いているのが、この赤煉瓦の建物である。1890年(明治23年)6月24日に献堂式が行われた。建築当初は、神学部の教室、教授室、ならびに図書館として使用されたが、長い歳月を経た現在は、記念館と呼ばれている。
 設計は、H・M・ランディス教授。赤煉瓦・瓦葺きのニ階建てで、当時アメリカで流行したネオゴシック様式。延面積は約235平方メートル。1894 年(明治24年)6月の大地震で大破し二階部分を木造に改造。木造部分は木材の骨組を真壁にし木骨を表に出し、煉瓦と木造との連繋構造は妙をえて高い評価を受けている。尖頭は1914年(大正3年)のサンダム館の火災時に類焼して改造されたもの。
 1923年(大正12年)の関東大震災では煉瓦の大煙突が崩壊、1966年(昭和41年)道路拡張のため現在地に移動復元した。1979年(昭和54年)、東京都港区の指定文化財となった.」
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島崎藤村が小説『桜の実の熟する時』のなかで、「‥向ふの講堂の前から敷地つづきの庭へかけて三棟並んだ西洋館はいづれも捨吉が教を受ける亜米利加人の教授達の住居だ。白いスカアトを涼しい風に吹かせながら庭を歩いて居る先生方の奥さんも見える……」と書いている西洋館は、西の道路寄りから1号館、2号館、3号館と呼ばれ、東南隅の3棟が4号館、5号館であった。このうち奇数番号にプレスビテリアン(長老派)、偶数番号にリフォームド(改革派)の宣教師たちが住んだ。
当時学院で教える宣教師たちが住んでいた築地居留地は学院まで通うにはあまりに遠すぎるので、開校と前後して宣教師の住居を準備する必要があったからだそうです。
建物前の小さな植え込みにはアンネの薔薇がありました。
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入り口前階段ホール。
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右 小会議室
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左 礼拝堂
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踊場の窓
次は2Fの部屋を見ます。
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2012年11月08日

明治学院大学礼拝堂(チャペル)

明治学院大学白金キャンパス正門を入ってすぐに 礼拝堂があります。

[建設年]1916(大正5)年
[設計者]W.Mヴォーリズ
[構 造]煉瓦造、一部鉄筋コンクリート造
[規 模]2階建 延床面積 553.61平方メートル
1989(平成元) 年 東京都港区有形文化財に指定
2002(平成14)年 東京都港区「景観上重要な歴史的建造物等」に指定
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港区指定有形文化財(建造物)
 明治学院礼拝堂
            平成元年(1989)10月25日指定
「 1903年(明治36年)建築のミラー記念礼拝堂が度重なる地震のため地盤沈下し破損、危険となったため、サンダム館2階の講堂が礼拝堂として使用されていた。ところが1914年(大正3年)11月24日にこのサンダム館も火災のため焼失し学院は礼拝を行う場所を失った。そこで、礼拝堂の建築が急がれた。
 井深梶之助総理とインブリー博士は、理事会に諮り建築資金の調達に奔走。米国プレスビテリアン(長老派)、リフォームド(改革派)の両ミッションに上申書を送り援助を懇請した。その結果、セベレンス氏からの寄附があり、それが資金にあてられた。
 ミラー記念礼拝堂の前例があるので、特に基礎工事を堅固にし、1915年(大正4年)11月30日に定礎式を行い、当時来朝中のプレスビテリアン外国伝道局主事スピーア博士が礎石をすえた。工事は順調に進行し、翌1916年(大正5年)3月落成。同3月27日には卒業式をかねて献堂式が行われた。建坪は約375平方メートル。建築様式は英国式、設計はウォーリス会社であった。
 その後学生数の増加に伴い狭隘となったので1920年代の末に両袖を拡張、十字架型とし、さらに講壇の一部を改造した。1966年(昭和41年)2月19日に、西独ヴァルカー社製作のパイプオルガンが設置され、奉献式が行われた。
     明治学院大学  」
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明治学院大学は、築地の外国人居留地に開設された、歴史あるミッションスクールです。 「ヘボン式ローマ字」で有名な、ヘボン博士が初代総理を務めています。
明治学院発祥の地(現在の東京都中央区明石町7-14)には石碑が置かれています。
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G.H.F.VERBECK(フルベッキ)の碑〈礼拝堂前)
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屋根窓は後に作られたものだそうです。
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礼拝堂の中では パイプオルガンの演奏会を行っていました。
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2006(平成18)年から実施された礼拝堂耐震修復工事にあわせ、新しいパイプオルガンを製作ました。
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設置:2009(平成21)年10月
製作者:ヘンク・ファン=エーケン
楽器の様式:17〜18世紀中部ドイツ・オランダ様式
2段手鍵盤と足鍵盤、33ストップ
この工法で作られた20世紀以降のオルガンとしては 世界で4台目。日本では最初のオルガンです。

メレル・ヴォーリズと一柳満喜子が結婚式をあげたのはこの礼拝堂でした。1919(大正8)年のことです。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏については 以前このブログでも取り上げました。
たくさんの建築作品を残しています。
・負けんとき ヴォーリズ満喜子の種まく日々上・下  玉岡かおる/著   新潮社 

・メレル・ヴォーリズと一柳満喜子   愛が架ける橋
Grace Nies Fletcher/著 平松隆円/監訳 水曜社
ブログにその本のことを書きました。
http://umeno87.sblo.jp/article/53393523.html

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2012年11月07日

明治学院インブリー館

清正公前から 5分ほど歩くと明治学院大学がある。
東京文化財ウィーク、歴史的建造物公開で学園祭の期間 インブリー館、記念館、チャペルが一般公開された。
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正門前からみた 記念館。芝生に150TH Annivの文字が見える。
歴史ある学校です。
まず インブリー館から見学しました。
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インブリー館(国指定重要文化財)
「明治学院大学がこの白金の地に開校したのは、1887年(明治20年)9月15日であるが、開校までに普通学部校舎及び講堂のザンダム館と同部寄宿舎のヘボン館が建築されていた。
 引続き、神学部校舎兼図書館(現「記念館」)や、当時学院で教えた宣教師の住宅などの西洋館が相ついで建てられた。
 島崎藤村が小説『桜の実の熟する時』の中で、「向ふの講堂の前から敷地つヾきの庭へかけて三棟並んだ西洋館はいづれも捨吉が教を受ける亜米利加人の教授達の住居だ。白いスカアトを涼しい風に吹かせながら庭を歩いて居る先生方の奥さんも見える。」と書いている三棟の宣教師住宅は、構内西南隅(現高校校舎敷地)にあったもので、今は残っていない。
 この建物は、これらとは別に構内東北隅に建てられ、学院の宣教師住宅のうちただ一つ現存するものであり、ウィリアム・インブリー博士が長年住んだので、「インブリー館」と呼ばれてきた。1889年(明治22年)頃の建物で、木造瓦葺2階建、建築様式的には19世紀後半の亜米利加の住宅様式を反映している。
 1964年(昭和39年)現在地に曳屋され、1994年(平成6年)から建物調査、解体調査工事、1996年(平成8年)5月から組立工事を行い、1997年(平成9年)9月に全面修復が終わった。現在は木造銅板葺2階建で、延床面積は301.3平方メートル。同窓会本部等として利用されている。
     明治学院大学」
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インブリー館は洋風住宅の特徴を最も良く示す宣教師館としては、貴重な存在であり、その価値において全国的にも1・2を争う建築物である。1998年、国の重要文化財に指定された。
内部見学 撮影も許可されています。受付の方はみなさんとても親切でいちいち挨拶してくれました。
どこぞやの大学の雰囲気とはぜんぜん違います。学風なのかなぁ・・と。
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玄関ホールです。
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寄木や木材が美しいです。
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室内は小会議にでも使われているのでしょうか・・・
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部屋ごとに違う寄木張りでした。
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外観も美しいです。
国の重要文化財指定のほか 平成14年 港区「景観上重要な歴史的建造物等」に指定されました。

[建設年]1889(明治22)年
[設計者]不詳[構 造]木造(屋根:銅板一文字葺)
[規 模]地上2階 延床面積301.30平方メートル
1998(平成10)年 国の重要文化財に指定
2002(平成14)年 東京都港区「景観上重要な歴史的建造物等」に指定
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2012年11月06日

覚林寺・清正公堂及び山門(港区)

東京メトロ南北線の白金高輪駅1番出口を出ると目の前は国道1号線。ここから徒歩5分くらいのところに 清正公前交差点 - 覚林寺に近接する桜田通りと目黒通りの交差点(三差路)がある。ここは 目黒通りの起点でもある。
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寺の外 道路に面したところに「 清正公大明神」という巨大な石碑があります。
加藤清正(1562〜1611):安土桃山時代の武将です。没後に庶民により神格化され「 清正公・せいしょうこうさま」と呼ばれ、信仰されました。
ちなみに 白金高輪駅は開業前の仮称では「清正公前駅」でした。
覚林寺(かくりんじ)は日蓮宗の寺院。山号は最正山。加藤清正の位牌や像が祀られている。
清正公堂および山門 は港区指定有形文化財(建造物)
清正公堂は本殿・拝殿・幣殿を一体化した権現造の建造物です。
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 港区指定有形文化財(建造物)
清正公堂及び山門
           平成19年(2007)10月23日指定

 「覚林寺は弘化2年(1845)の大火で全焼し、山門は安政3年(1856)、清正公堂は慶応元年(1865)に再建されたものです。
 清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間口一間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾的要素の少ない簡素な門です。
 清正公堂は本殿部分を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承しています。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価されます。また山門は現在の境内おいて最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の境内の構成を伝えている貴重な建造物です。
 港区教育委員会」
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桜田通り(国道1号)の拡張に伴い、通りから1.5m位、下がった場所に位置せざるを得ない状況が長く続いた。2005年盛り土をして道路と同じ高さにし、寺院そのものを移す作業を行った。このとき本堂は解体・組み立てを行わず建物そのものをジャッキアップして移したそうです。

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2012年11月05日

穴八幡神社(早稲田)

早稲田通りの交差点に赤い鳥居が見える。穴八幡神社である。
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柱の下の金色の部分が藁座でその下が亀。そして台石。亀が苦しそう・・・
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亀、これは鳥居の台座を「亀腹」と呼ぶことが由縁であるとのこと。
享保13年(1728)には徳川将軍家男子の誕生を祝う流鏑馬やぶさめ(新宿区指定無形民俗文化財)が奉納されるようになりました。
鳥居の脇に流鏑馬の像があります。
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高田馬場の流鏑馬(穴八幡神社)

説明版がありました。
「所在地 新宿区西早稲田2-1-11 (穴八幡神社)

新宿区指定無形民俗文化財
 高田馬場の流鏑馬
     昭和63年(1988)3月4日指定

 享保13年(1728)徳川将軍吉宗が世継嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝に高田馬場で流鏑馬が奉納された。
 明治維新以降中断し、昭和9年(1934)に皇太子(現天皇)誕生祝のため再興され、数回行われたが、戦争のため中断された。昭和39年(1964)流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和54年(1979)からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年10月10日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
 古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。
 平成4年(1992)8月 東京都新宿区教育委員会 」

石段を登ると朱色の山門が見えます。随神門です。
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1998年竣工の随神門で、1945年(昭和20年)5月の東京大空襲で炎上し50年ぶりに再建。門の中には右大臣と左大臣が鎮座。
随神門は、「清水組」の創業者である清水喜助が、1848年(嘉永元年)4月に穴八幡神社からご下命を受けて建築したもので、その出来栄えは当時、江戸中の評判になったと云われています。

本殿に向かって右側に布袋像の水鉢があります。
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新宿区指定有形文化財  工芸品                                        
「1649年(慶安2年)の紀年銘がある水鉢で、 同年家光が江戸城吹上御苑にあったものを穴八幡神社へ奉納したと伝えられている。布袋像は、左足を立てて水鉢を脇にかかえ、容姿は中国近世の弥勒像に類似し、作柄も優れている。他に類例のない特異な形をしており、また、布袋像の古様を示すものとして貴重である。 平成4年8月 東京都新宿区教育委員会 」
布袋尊記
「穴八幡宮は康平年間八幡太郎義家が奥州の乱を夷げ凱陣の途に創祀す。慶安元年三代将軍徳川家光江城鎮護の為宏壮なる社殿を再興幕府の祈願所として重んぜらる。明治維新の後は 皇室歴代の御蟲封を謹修し奉る。神徳彌光を増し崇敬年々数を加え手水舎は昭和二十年の戦災にて本社詣殿守と同時に類焼し延實再建の時大森信濃守の奉納せる巨水盤亦破碎し了ぬ。今茲氏子崇敬者の篤志に依て手水舎の新築成就す。内に境内南麓霊窟の傍に磐座せし布袋の尊像を移して安置せり。この像は始め江戸城吹上の御庭にありしを慶安二年社殿竣工の節家光将軍奉納に係る東都随一の霊像にして古来信仰者最も多し。もと手水鉢たけし由縁を以て此所に移すに當り縁起を畧述して碑に刻す。
 昭和四十四年九月吉日 穴八幡神社宮司 齋藤直成題並誌 」

本殿です。
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戦災で焼失して、慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿を再興。祭神は、八幡宮を守護神とし、應神天皇、仲哀天皇、神功皇后。穴八幡は一陽来復のお守りが有名。
商売繁盛・金融業繁盛・金銀融通・勝馬券祈願・除災招福、虫封じの御利益。
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「穴八幡宮は、寛永13年(1636年)に松平左衛門尉直次という武士が射術の練習のためここに的山を築き、弓矢の守護神である八幡神の小さなほこらを営んだことにはじまります。のち、社僧良昌が草庵を建てようとして、ほら穴を発見。そこに金銅の阿弥陀如来像が建っていたといいます。当時、阿弥陀如来像は八幡神の本地仏とされて人々の崇敬を集めたことから『穴八幡』とよばれるように。こうして、江戸城の北の鎮護として将軍家の祈願所となりました。」
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菊のご紋が見られます。
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金色の亀です。
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神武天皇の遥拝所です。神武天皇遥拝所は、天孫降臨の高天原など全国津々浦々にあるそうです。
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とても広い場所があったのですが 流鏑馬は戸山公園で行われます。

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2012年11月04日

早稲田大学坪内博士記念 演劇博物館

演劇博物館も観た。工事中で塀に囲まれていて最初場所がわからず その辺にいた学生に聞いたが 3名とも「知らない」「わからない」とめんどくさそうに答えるだけだった。
どういうことだ?・・と思いながら探した。銀杏並木の狭い通路の向こうにそれらしき建物が見えた。
日本で唯一演劇を専門的に扱う博物館として知られる。工事中の塀で全景が写せませんでした。
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新宿区指定有形文化財(建造物)
 演劇博物館
     昭和62年(1987)3月12日指定
「 正式には早稲田大学坪内博士記念演劇博物館という。
 昭和3年(1928)10月に坪内逍遥の古稀と「シェークスピヤ全集」の完訳を祝って学界・演劇界の有志1500名余の協賛により建設された。建築の意匠は逍遥の発案によりイギリスのエリザベス朝(16世紀後半)の様式で、シェイクスピア時代の劇場フォーチュン座を模して設計されている。
 鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階、建坪は約400平方メートルで、内部は逍遥記念室をはじめ8つの展示室、図書閲覧室がある。
 また、外部は実際にシェイクスピア劇が上演できるようになっており、館の正面は舞台、2階の廊下は上舞台、建物の両翼は桟敷、前庭は一般席となる。
 なお、正面舞台上に掲げてあるラテン語は「全世界は劇場なり」という意味で、シェイクスピア時代の劇場グローブ座に掲げてあった看板の句である。
 平成3年(1991)11月 東京都新宿区教育委員会」
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入り口のドアは銅製でした。
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建物の前面に掲げてあるラテン語“Totus Mundus Agit Histrionem”(全世界は劇場なり)は、 シェイクスピア時代の劇場「グローブ座」に掲げてあった看板の句です。

1Fは企画展でした。
『八代目市川團十郎』展
『不滅の俳優 池部良の世界』展
現代演劇シリーズ 第40弾『グローブ座 ―現代に甦ったシェイクスピア劇場― 』展
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1Fの廊下だけ撮影可でした。
2Fは民族芸能、逍遥記念室。3Fは常設展示です。古代から現代への日本の演劇にいついて展示しています。
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坪内逍遙胸像と台座歌碑(早稲田大学)

「台座上の坪内逍遥胸像は、彫刻家、長谷川栄作氏の願望により昭和37年(1962)に鋳造されてもので、逍遥の「シェイクスピア」講義の姿である。
また、台座は、早稲田大学後援会事業資金、池田恒雄氏、近桂一郎氏の協力により演劇博物館創立70周年記念に建立され、歌碑の内容は逍遥を偲んだ会津八一の自筆の和歌である」
 「むかしひと
 こゑもほからに
 たくうちて
 とかしし於もわ
 みえきたるかも
    秋神道人」

受験前に建物前にある像の右手と握手すると早稲田と縁が出来、合格する、と言われているそうである。

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2012年11月03日

早稲田大学會津八一記念博物館

東京都文化財ウィークの期間に公開中の 早稲田大学會津八一記念博物館に行きました。
学園祭の準備中であちこち 騒がしかったですが 見学しました。
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大隈講堂も2007年12月4日、重要文化財(建造物)に指定されています。
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「會津八一記念博物館」は、早稲田大学名誉教授今井兼次(1895〜1987)30歳の時の作品で、図書館として1925年(大正14年)に建設されました。その後、新図書館完成で改修され、1998年(平成10年)5月から會津八一記念博物館となりました。学内で最も古い建物のひとつであり、1999年(平成11年)には 「東京都選定歴史的建造物」に指定されています。
博物館では、會津八一博士が私財を投じて集めた中国の明器や銅鏡、美術作品などが公開されています。
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一階のホールは、装飾の施された床や六本の円柱があり その円柱の上部の装飾に見とれますが何より 驚いたのは大階段の上の 天窓からの柔らかな明かりに浮かび上がる 「明暗」の大きな絵画でした。
「明暗」横山 大観・下村 観山 1927年合作 直径445cmは 大階段に近づくにつれ、隠れていた太陽が徐々にその姿を現します。
2Fのロビーからもう少し近くでこの絵を見ることができますが やはり1Fホールの南側から徐々に近づいてみるのが一番いいと思います。
漆黒の暗雲の中から日輪が上るその瞬間を描いたといいます。まさに「明暗」なのです。

1Fは大隈記念堂として大隈重信氏の資料が展示されているほか 企画展示室となっています。
2F大閲覧室部分は、外観は多角形をなしマンサード風の屋根だが、内部は漆喰による円形ヴォールト天井。
常設展示室になっていますが この閲覧室だけみてもすばらしかったです。
残念ながら 外観写真だけで 内部撮影は禁止でした。

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2012年11月02日

茂森橋・東京最低橋

東京でいちばん低い橋. それは大横川の「茂森橋」という橋。
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水管橋江東区のゼロメートル地帯にあるため、運河の水面に対して橋の高さがかなり低い茂森 橋(通称「最低橋」)
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満潮の状態だと桁下が水面ギリギリになるほど低い、A.P.値+2.3
テレビ番組で 最低橋として取り上げられ船でくぐってからか チャレンジする船が増えたそうな・・・
最低橋なんて名ですが 震災復興橋梁で都内に二つしかない貴重な、「鋼桁橋のラーメン橋台橋」なのです。
○昭和4年(1929) 長20.0m、幅22.0m 鋼桁+コンクリート桁混合橋 震災復興橋梁
○江東区 木場公園入口すぐそば(茂森橋口)
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満潮時や水位が高いときは 黒い水の跡の部分まで川面がありますから 橋げたのしたをくぐるのは難しいでしょう。
すぐそばが 豊住給水所なので 水道管も通っています。
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