2012年12月31日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)5

2階階段ホールです。
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ステンドグラスが正面に見えます。
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現在はソファや椅子が置かれ学生さんの憩いの場となっているようです。
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このホールの北側に長女の部屋がありますが 使用中で中を見ることができませんでした。
その奥は女中だまりや物置 バスルームだったそうです。
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こちらにはは入れませんでしたが 案内の学生さんがあの階段は 屋根裏部屋への階段ですと説明してくれました。写真で少し見えています。
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2階は南側のベランダに沿って公爵居室、公爵夫妻寝室、公爵夫人居室が並んで配されています。
反対側は4人の男子の子供部屋です。
現在は教室として使用されています。
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居室側からホールを見ています。左が子供部屋。
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2012年12月30日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)4

建物は この玄関ホールを中心に公爵の書斎、大食堂と家族の食堂、階段室と玄関室などとなっている。
ホールの北側は 家族の食堂 厨房 配膳室 使用人室などになっています。現在学長室などもあり こちらは見学できませんでした。
アーチ上のドアから玄関室のステンドグラスが見える。
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正面玄関にあるステンドグラス(写真左)の上部に「丸に十字」の島津家の家紋がある。
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玄関脇には待合室とクロークが配されています。
正面玄関は来客用で、家族の中では公爵本人のみ使うことができ、家族や使用人は宿直室横の別の出入り口を利用するよう厳格に決められていたそうです。
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室玄関室の硝子窓。下の丸い部分は見る方向によって見え方がちがうとのこと。
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内側(階段脇)からみたもの。
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ホールから見る大階段は、左右の壁面と踊り場の正面が大きなステンドグラスで囲まれています。
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洋館では階段が重要だといわれています。大階段は親柱、手摺りの装飾もきめ細かく施されています。
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下の段ほど幅が広くなっています。
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手摺りの装飾。
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正面のステンドグラス。
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踊り場から上り口が左右二手にわかれます。
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1階から見上げても、2階から見下ろしても、踊り場の壁面のステンドグラスがよく見えます。
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2F 階段ホールです。

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2012年12月29日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)3

10名の見学者が揃い 時間になったので館内見学がはじまりました。
学生さんが手に持った資料を読んだりして案内してくれます。
館内は1Fの聖堂以外は撮影可能です。最初に聖堂を案内してくれました。元食堂ということですが とても落ち着く部屋でした。
チャペル(聖堂)はバンケットホール〈大食堂)として使用されていました。
聖なる場所の撮影は不可です。
聖堂の前にあるのが 「泉の間」で 大応接室だそうです。泉の間は使用中で室内を撮影しませんでしたが ドアや天井の装飾はみごとなものです。
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入館前に 売店で詳しい見取り図が書いてあるパンフレットを購入したので 事前に頭にいれておきました。
1階は大小の応接室が南側の芝庭に面して並び廊下でつながれています。
南側のバルコニーの中心部分にあたる部屋が小応接室。
この部屋の窓の硝子はアール状です。
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天井やマントルピースなどの装飾が素敵です。
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隣の部屋には廊下にでなくてもいいようにドアがあります。
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隣の部屋は 公爵の書斎だったそうです。
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現在は会議室。
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窓から庭が見えます。
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この部屋の前は玄関ホールになっています。
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玄関のステンドグラスが見えます。
次はこの玄関と階段を見ます。

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2012年12月28日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)2

清泉女子大学本館の内部見学は 申し込み制です。開催日を確認して申し込みました。
各回10名です。
受付をすませましたが 時間があったので庭に出て外観などを見ました。
もちろん 内部見学のあとに庭園に出て案内してくれます。
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南側の芝庭に面して円弧状のベランダや同じく円弧状に突き出た窓などがありますが 硝子もアール状です。円弧状のベランダからは広い庭園を眺めることができます。 当時は見晴らしもよかったのでしょうね。
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外壁は当時最先端のデザインだった白タイル貼りで、建物のアウトラインを強調するかのように貼られた隅石には灰色の新小松石が使われている。
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関東大震災にも耐えた堅牢な建築でもあります。
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南側 階段前のこのような2つのものは 時に花を時にたいまつを・・のためのものなのでしょうか。
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屋根の上の 白い突起物は各部屋の暖炉の煙突の役目だったそうですが今は使われていません。
広い芝生の庭に面した本館南面は大きな2層のベランダに沿って、T字型の建物の1階はパプリックスペース、南側の接客部分と北側の使用人部分からなり、2階はプライベートスペースとなっていて主要な部屋が配置されています。

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2012年12月27日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)1

伊達藩邸として約130年を経た後、明治6年(1873年)に島津家の所有に移っています。袖ケ崎という地名から、伊達藩時代は「袖ケ崎御屋敷」と呼ばれ、島津家時代は「袖ケ崎邸」と呼ばれていました。 当初伊達家の大名屋敷をそのまま使用していましたが、老朽化が進んだため洋館を新築することを計画、1906年 (明治39) イギリス人建築家 ジョサイア・コンドルに島津公爵家袖ヶ崎邸の設計が依頼され、1915年 (大正4)  竣工 しました。洋画家で知られる黒田清輝の指揮の下、館内の設備や調度が整えられました。
西洋館落成披露のため、大正天皇皇后行幸や 新築披露園遊会が行われました。
大正12年(1923年)の関東大震災後は、この邸宅のみが無傷であったことから、ご家族の住居として使用されていました。
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「昭和初期に金融恐慌のあおりで島津家も財政的な打撃を受け、当初2万8千坪あった敷地を昭和4年(1929年)には8千余坪を残し、周辺部を売却、その後第二次世界大戦の苛烈化に伴い大邸宅の維持が困難となり、島津家は袖ヶ崎邸も日本銀行に売却しました。戦中、戦災を免れた邸宅は、戦後昭和21年(1946年)1月にGHQの管理下に入り、駐留軍の将校宿舎として昭和29年(1954年)まで使用されました。
そして接収解除後の昭和36年(1961年)7月、清泉女子大学は日本銀行から土地と建物を購入し、昭和37年(1962年)4月に神奈川県横須賀から大学を移転して、今日に至っています。」という説明書きがありました。
戦争中邸宅の周辺は空襲による被害で大半が焼失しましたが、西洋館は奇蹟的に焼失を免れました。
外観から見て行きます。
島津邸は煉瓦造、地上2階地下1階建、建坪約280坪の大邸宅です。
2012年 (平成24) 本館が東京都指定有形文化財に指定されました。
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竣工 1917年(大正6年)
所在地 東京都品川区東五反田3-16-21
設計 ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)
構造 煉瓦造2階建て、地下1階
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建築様式はルネッサンス様式であるが、特にベランダの柱頭飾りは、1階がトスカーナ様式、2階がイオニア様式で古典主義の規範に従っている。
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東に面する玄関先のポーチは円柱と半円柱が4隅に立つ重厚な構えで、正面の扉と両脇にはステンドグラスがはめ込まれています。
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玄関は閉じられていて 見学は 北側から中庭を回って1号館の校舎から入ります。
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最盛期には200人を超える使用人がいたといわれ北側に使用人用の部屋があります。.
この下の植え込みにはアンネの薔薇が植えてありました。
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この校舎から 中に入りました。
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2012年12月26日

旧仙台藩伊達家の下屋敷跡〈清泉女子大)

現在の清泉女子大学の地が旧仙台藩伊達家の下屋敷になったのは1743年 (寛保3) のことです。
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東京都品川区東五反田3-16-21
1868年頃 (明治元) 伊達家から島津家に土地の所有が移る 。
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清泉女子大正門前には その説明版があります。
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「本学を構えるこの地は「袖ヶ崎」と呼ばれ、元文2年(1737年)仙台藩伊達家の下屋敷(敷地面積22,670坪)となり、明治初年に島津家の所有に移るまで約130年間使われました。

主に公式行事の開催場所に使用され、大正12年(1923年)の関東大震災後は、この邸宅のみが無傷であったことから、ご家族の住居として使用されていました。」
屋敷があった東五反田3丁目あたりは、島津山と呼ばれています。
正門から急な石段を登るか 車道になっている坂を登るかします。旧島津公爵邸が見えてきます。
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左側の広い庭園の小高い丘を上がると、明治天皇や大正天皇がこの屋敷に行幸(ぎょうこう)した際の休息所跡が残っています。
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1881年 (明治14) 明治天皇行幸、皇后・皇太后の行啓 。
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古くからこの辺りはツツジの名所として知られ、このツツジを愛でにこられたという説があります。
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1917年 (大正6) 島津公爵邸 落成。5月8日に大正天皇・皇后の行幸啓 。
この折、寺内首相、松方正義、牧野伸顯、山本権兵衛、東郷平八郎、樺山資紀等の政府高官、陸海軍の将星等が多数参列しました。3日後、島津家では新築披露のため朝野の名士約2,000名を招待し、盛大な園遊会を開催したそうです。
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江戸時代この地は、品川領下大崎村字袖ケ崎といわれていたそうです。邸内には霧島つつじが群生し、景勝地「映山」の雅名がつけられています。幕末の儒者大観磐渓による紀行文の漢詩も残っています。
品川沖が見渡せる 風光明媚な場所だったので ご休息所からの海の眺めを楽しまれたという説もあります。
当時は崖の上のお屋敷という感じだったのでしょうか・・・
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庭園には大きな フウの木があります。
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フウは「楓」と書くマンサク科の落葉樹で、台湾や中国南部に自生している。同大学の「フウの木」は1716年〜1735年ごろ、日本に初めて渡来した台湾フウで、幹の周りは約3メートル、高さは約20メートル。推定の樹齢は約250年近くだという。この種の木は都内でも珍しく、品川区の天然記念物に指定されている。フウの木は都内では他に明治神宮、皇居でしか見られない貴重な木です。

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2012年12月25日

グランドプリンスホテル高輪貴賓館・内部2

1階は応接室、客室(現「鳳凰」)、食堂(現 チャペル「錦鶏」)など接客用の部屋が配され、2階はプライベートスペースで学問所(現「桐」)、御座所(現「麝香」)、寝室(現「葵」)の三室が南に面して配置されています。
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御学問所、御座所、控室、小寝室として使われた部屋は、それぞれ宴会の席として使われています。
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内部はフランス・ルネッサンス様式が取り入れられ、特に二階御座所・御寝室は豪華な装飾が施されています。
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明治42年6月竣工した東宮御所(現「迎賓館赤坂離宮」)のあと、明治44年に竹田宮邸洋館が完成していますから東宮御所と同様の装飾、モチーフなどが随所に見受けられます。宮家の特徴でしょう。
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ベルサイユ宮殿等をイメージさせるバロック調の天井や壁の装飾です。
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2階の3室の壁や天井にみられる金箔のレリーフ、花綱飾りのモチーフなどの室内装飾は、赤坂離宮の「彩鸞の間」のようです。(2011年秋に赤坂離宮の内部見学にも行きました。)
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時間もあまりなくドアの開いている部屋だけを見学しました。機会があればこの次は じっくりと時間をかけて詳細を見てみたいと思っています。結婚式でもしないと チャペルや鳳凰の間は見れないのでしょうかねぇ・・・・・
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2012年12月24日

グランドプリンスホテル高輪貴賓館・内部1

ホテルの中に入り 許可を得て貴賓館に行く。廊下で繋がっています。
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部屋がいくつか並んでいるので 食事やパーティなどに使われているのではないかと思う。廊下が終わると玄関ホールがある。
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1階玄関ホール両脇には左右対象に2部屋が配置され、当時はともに浴室が付属し、ゲストの居室として利用された。廊下を挟んで庭園側の中央には、大理石の暖炉や天井の装飾が豪華な、客間「鳳凰の間」があります。宮家時代は客間として使われていたバンケットルームです。1972年に建築家・故 村野藤吾氏の手により改修され、華やかな皇族の邸宅という雰囲気を残しています。
 内部はフランス・ルネッサンス様式が取り入れられている。1Fはドアが閉まっていてみることができませんでした。
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 階段室の踊り場には海に浮かぶ帆船のステンドグラス。
ステンドグラスは、外光ではなく 間接照明。
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大正時代の埋め立て前の青々として美しい品川沖が描かれています。
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階段の手すりにひとつにも細かいデザインが施されています。
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宮内省直営の宮大工がすべて手作りで作りあげたものだそうです。
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階段ホールにある置時計。
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当時は、食堂として使われていた部屋に置かれていたということです。
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次は2Fの部屋を見ます。

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2012年12月23日

グランドプリンスホテル高輪貴賓館・外観

桜の季節に何度も来ていたホテルだけれど 今まで貴賓館の見学はしたことがなかった。
ず外観から見ることにしました。
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大きいので 全景は写せませんでした。
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グランドプリンスホテル高輪貴賓館
旧竹田宮邸 1911(明治44)年 / 改修・復元 1972(昭和47)年
設計 : 片山東熊+木子幸三郎+渡辺譲 / 改修・復元:村野藤吾
施工 : 宮内省直営
東京都港区高輪3-13-1
旧竹田宮邸。当初は明治天皇の御用邸として計画されていましたが、北白川宮の第一王子であった恒久と、明治天皇の第6皇女の常宮昌子との結婚に当たって、敷地とともに下賜されたものです。
天然スレート葺き屋根にドーマーウィンドウのあるルネサンス建築。
設計者はジョサイア・コンドルの弟子であった片山東熊。竹田宮邸を手がけた時期と、ヴェルサイユ宮殿を模した迎賓館(旧赤坂離宮)の竣工時期とは重なっていて、ともにネオ・バロック様式です。
戦後、商工大臣公邸、通商産業大臣公邸を経て、昭和28年(1953)からは高輪プリンスホテルの所有となり、昭和47年(1972)に村野藤吾によって改修・復元されています。
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明治の洋館らしい雰囲気の鉄骨煉瓦造2階建て地下1階。
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フランスルネサンス様式が取り入れられ、正面にフランス風マンサード屋根とドーマ窓が、当時の豪華な雰囲気を残しています。
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正面玄関のドアです。
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横の部分です。
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ここから 中庭プールの部分ですが 立ち入りができませんでした。
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結婚式が行われるプールです。
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この建物を 庭園側正面から見るにはステーキハウスに入るしかなさそうです。
次は内部をみることにしました。
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2012年12月22日

品川駅周辺

品川駅前から高輪プリンスまでの坂はサクラ坂と呼ばれ春にはサクラがきれいな坂なのですが 今回は別の坂を歩いた。
柘榴坂(ざくろざか)(新坂) くだりで写しています。

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所在地 港区高輪3 高輪4

 坂名の起源は伝わってない。ざくろの木があったためか、江戸時代はカギに曲がり、明治に直通して新坂と呼んだ。
  平成20年(2008)10月 港区

もう1本別の坂がある。
いちょう坂と呼ばれている。エプソン水族館脇。
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標識はあるけれど 坂名の由来はなかった。 江戸切絵図(尾張屋版)見ると、北側の柘榴坂が鍵型に曲がっており、このいちょう坂が旧の柘榴坂だと推定する記述がある。
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この高輪界隈はとにかく 坂が多い。坂をのぼり歩いてみたのだけれど駅前から 高輪教会あたりまで登りが続き その後下りになるが 高台にある住宅は狭い階段を登って玄関にたどり着くというような家が多かった。
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品川駅近くの シナガワグースの入り口に巨大サンタクロースがいた。
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このサンタさんは 風船のようにふわふわしていて手足が動いて面白い。
サンタには珍しい着座ポーズでやや前かがみで、角度によっては「ヤンキー座り」にも見えるが、お尻はしっかりと台座で固定されている。
街もホテルも商業施設も みなクリスマスモードで夜はライトアップされてきれいなのでしょうね。
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写真はプリンスホテルの庭園です。
次は高輪プリンスホテル 貴賓館に行きます。

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2012年12月21日

品川駅創業記念碑・おしゃもじ様

品川駅高輪口の駅前ロータリーに 写真の石碑が建っている。 品川駅創業記念碑である。
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 品川駅創業記念碑
  明治五年五月七日
  品川横浜間鉄道開通
  
明治5年に 品川(汐留)〜横浜(桜木町) 間に開通したとされているが,  正式開業の半年ほど前に 品川〜横浜 間で仮開業した。品川駅は 日本で最初の鉄道駅である。記念碑の裏面には, 鉄道創業時の時刻表と運賃の表が 当時のまま刻まれている。朝夕2往復 運転されていたようだが, 「運賃」は「賃金」,「8時」は「8字」などと書かれている。

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裏面
 鉄道列車出発時刻及賃金表
  定     明治五年五月七日

  上り             下り
横浜発車 品川到着      品川発車 横浜到着
午前八字午前 八字三十五分 午前九字 午前九字三十五分
午后四字 午后四字三十五分 午后五字 午后五字三十五分

  賃金表 
 車ノ等級
 上等  片道 壹円五拾銭
 中等  同  壹円
 下等  同  五拾銭

       昭和二十八年四月吉日
         品川駅改築落成祝賀協議会建之
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所在 東京都港区高輪3-26

 「品川駅では、明治5年(1872年)5月7日(新暦6月12日)をこの開業日にしています。何故かというと、新橋・品川間の工事が遅れたため、この日に品川・横浜間で仮開業したからです。新橋・横浜間で本営業を開始したのは仮営業から4箇月後の明治5年(1872年)9月12日(新暦10月14日)でした。それを記念して、今日では10月14日を「鉄道の日」としています。品川駅は日本で一番古い鉄道の駅といえます。

 この記念碑は鉄道開通80周年及び駅舎改築を記念して、昭和28年(1953年)4月に建之されたもので、揮毫者は衆議院議長をつとめた大野伴睦氏です。記念碑の裏面には仮開業当時の時刻表と運賃が記載されており、当時の様子を偲ぶことができます。
平成18年(2006年)10月 JR東日本 品川駅」
  現在の 品川駅のある場所は 港区で, 品川区ではない。
鉄道建設当時, 品川駅は  東海道品川宿地区に置かれる計画だったが, 「鉄道駅ができると 宿場がすたれる」という危機感から 地元が強硬に反対し, やむなく 品川区に隣接する 港区高輪地区に置かれることになったという ことです。

駅前のロータリーから横断歩道を渡るとビルとビルの間に小さな神社が見える。
そこだけ ポ ツンと取り残されたような感じです。
そこが 高山稲荷神社です。
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所在地 港区高輪4-10-23 (高山稲荷神社)

 御祭神 宇迦御魂神(食物主宰産業神)
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「往時の文献によれば今から凡そ500年前当地域に神社の建立を御勧請し神社を建立したと記されております。当時高輪の地形は小高い丘陵で社殿は二百数十段の石段の山峰に位置し山上の神社故高山神社と称されたと伝えられております。現在の社殿前方品川駅一帯は見晴らすかぎり海辺がつづき遠く房総方面より往き来する舟の目標となったものと記されております。」
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「明治初期毛利公爵が当地に邸宅を構えるに及び同家より広大な敷地の寄進があり境内からの眺望は目を見張るものがあったと思われ明治天皇が京都より江戸への遷都に際して当所で御休息・御野立をなされたと伝えられております。」
境内には『石燈籠(おしゃもじさま)(港区文化財)』があります。
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石燈籠(おしゃもじさま)(高山稲荷神社)
所在地 港区高輪4-10-23 (高山稲荷神社)

港区登録有形民俗文化財
 石燈籠(おしゃもじさま)
              平成6年(1994)3月22日指定

 「おしゃもじさま」は、縁結びの神として祀られているが、その名の由来はわかっていない。高輪の台地上にあった「石神社(別名『釈神社』)」が、高山稲荷神社に合祀されたもので、『江戸名所図会』によれば、石神横町(しゃくじんよこちょう)といわれていた。これを誤って里俗で「おしゃもじ横町」といったとされ、この名からつけられた名である可能性もある。
 このおしゃもじさまは、もとは切支丹燈籠で、一説には高輪海岸で処刑された外国人宣教師を供養するために建てられたといわれ、また海中より出土したともいわれる。切支丹の隠れ信仰があったことを物語る資料である。
  東京都港区教育委員会 」

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2012年12月20日

東京駅の緑色の架線柱

東京駅5番線(山手線・外回り)、6番線(京浜東北線・横浜方面)ホームには明治時代創業当時の架線柱が4本残っています。
緑色に塗られているのですぐわかります。
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架線柱には大正ロマンを感じさせる美しい装飾が施されています。
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大正時代の面影を残す大変貴重なホームです。
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貼り付けられている資産票のM43というのは明治43年ということですから 東京駅の開業は大正3年のそれ以前に建てられたものであることがわかります。
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東京駅は島式ホーム4本を持つ駅として、大正3年(1914年)12月に開業しました。

現在の3〜10番線に当たります。
長い歴史の中でホームの増設改修など近代化されてきましたが 5・6番線ホームのみは大きな改造を受けることなく現在に至っています。
ホームの前後は木造の屋根の部分も残っていました。
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これは明治時代の東京駅の改札口です。
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当時の東京駅です。
復元された東京駅の写真などはこのブログにも載せています。
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東京駅丸の内北口地下には 復元された東京駅の模型が置かれていました。

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2012年12月17日

ヒカリエのトイレ(渋谷)

渋谷に新しくできた ヒカリエShinQsのトイレがすごいという噂や紹介番組があったので行ってみた。
5階〜B3階(1.2Fは除く)の6つのトイレを見学してきた。
それぞれ テーマが違うトイレで内装や流れる音楽 香りが違ってはいましたが 思っていたほど豪華ではなかった。
レストルームやソファなどがあるトイレは会員制でカードがなくては入れないので見学できなかったのです。そこは 写真で見ると豪華な部屋のようでしたけど 6つのトイレはテーマが違う程度でした。
ターゲットである女性の”キモチのスイッチを切り替える”ための究極の音楽空間を創出する。ということらしく ヒーリング音楽のようなものが流れていました。
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スイッチルームは「レストルームを超えた、新たな集いの場所」だそうです。
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とまぁ 買い物もせずトイレだけ見てきました。各階のスイッチルームの前には椅子がいくつかあって自動販売機などもあって 休憩できるようになっていたのが よかったです。
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2012年12月15日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑〉6 周辺史跡

国立競技場のそばの植え込みに 御鷹の松がある。絵画館前庭西側。
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所在地 新宿区霞ヶ丘町1 (明治神宮外苑)
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  御鷹の松(お鷹の松)
「大正7年(1918)明治神宮外苑競技場(現国立霞ヶ丘競技場)造成のために買上げた霞岳町の敷地内に境妙寺という古寺があった。昔、徳川3代将軍家光(1603〜1651)が鷹狩の途中この寺に休息していたところ、江戸城から飛び去っていた、「遊女」と名づけた愛鷹が飛んで来て、庭前の松の枝に止まったので家光は大へん喜び、この松をその鷹の名をとって「遊女の松」と名づけたと伝えられる。後の世の人々が「お鷹の松」或いは地名をとって「霞の松」とも呼んだ。碑文にある2代目の松(樹齢推定200年 高さ4メートル)は昭和39年(1964)、東京オリンピック開催のための拡張工事の際に取り去られ、碑石は競技場代々木門内に移設されていたが、このたび現在地に移し、新たにこれに黒松を配したものである。
 昭和54年(1979)10月 明治神宮外苑」
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その近くにあるのが 建国記念文庫。
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所在地 新宿区霞ヶ丘町8 (明治神宮外苑)

  建国記念文庫
「昭和41年12月9日、建国日制定審議会は2月11日を建国記念の日として答申、即日法律によって発布された。この間、数十万通に及ぶ、記念日制定の希望・意見書が進達されたので、ここに建国記念文庫を建設し、これを保管する事にした。
建設費は総て国民の浄財である。これは、現下の国民が等しく建国を思う情熱の結果であり、千年万年の子々孫々に伝え、以て後日の語り草にしたいのが、記念文庫設立の目的である。

 建物は、わが国が建国当時、米穀を以て立国としたことを想い、奄美大島の高倉様式を移築しその屋上にテンパガラスを施行し、ここに書類を保管した。書は、出雲大社の神門の布施杉の材に佐藤大寛が墨書した。
礎石は、坂上田村麻呂将軍の東征により、平和国家が確立された故事に鑑み、奥州厳作山の石垣白河石を以て施工した。
 昭和44年(1969)2月11日
 元建国記念日制定審議会長 菅原通済記」
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神宮球場脇を通り 銀杏並木のほうに行く。道路がカーブしたあたりに〈絵画館むかって右)御観兵榎がある。
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所在地 港区北青山1-7 

  御観兵榎
 「この外苑の敷地は、もと陸軍の青山練兵場で、明治天皇の御台臨のもとにしばしば観兵式が行われ、なかでも明治23年(1890)2月11日の憲法発布観兵式や、明治39年(1906)4月30日の日露戦役凱旋観兵式などは、特に盛大でありました。聖徳記念絵画館の壁画「凱旋観兵式」(小林万吾画)にその時の様子が描かれており、当時の盛儀が偲ばれます。明治天皇がご観兵される時は、いつもこの榎の西前方に御座所が設けられたので、この榎を「御観兵榎」と命名し永く保存しておりましたが、平成7年(1995)9月17日老令(樹齢200余年)の為台風12号余波の強風により倒木しました。遺木の一部は聖徳記念絵画館内に名木「ひとつばたご」の遺木と共に保存されております。
 平成8年(1996)1月、初代御観兵榎の自然実生木(推定樹齢60年)を苑内より移植し、「2代目御観兵榎」として植え継ぎました。
 平成8年(1996)1月吉日 明治神宮外苑」
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 「初代 御観兵榎」
 榎
にれ科えのき属、樹齢200余年と推定される。
 幹廻り、2.2メートル 高さ、9メートル
枝張り、16メートル
 碑石 
石材は伊豫(愛媛県)青石、天然石
 題字 
東郷平八郎書
明治38年(1905)日本開海戦においてロシアバルチック艦隊を壊滅させた、当時の連合艦隊司令長官 東郷神社の祭神
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今回の絵画館周辺史跡めぐりは ここまでです。
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国立競技場(旧明治神宮競技場)
外苑の諸施設の中で最も早く、大正13年10月25日に竣工し、同月、第1回明治神宮競技大会(名称はいく度か変わりましたが、現在の国民体育大会の基となった大会)が開かれその後陸上を始め各種の競技・球技場として活躍してまいりました。
昭和39年の東京オリンピック大会を機に、国立のスタジアム建設に全面協力し、昭和31年外苑より国に譲渡、改修後6万人収容の大競技場として現在に至るまで大いに活用されております。
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明治神宮野球場
神宮球場が完成したのは東京六大学野球連盟が結成された翌年の1926年(大正15年)である。
絵画館をはじめとする外苑全体のバランスを考えて建物その他の高さは制限され、外野には芝生・植え込みを多くしスタンドも美観を損じないことを主眼に造成されました。大正14年12月、敷地造成工事に着手、翌15年1月に起工式を行い10月22日に竣工しました。

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2012年12月14日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)5.周辺史跡

絵画館向かって左 前庭の植え込みに樺太国境画定標石があります。
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所在地 新宿区霞ヶ丘町1 (明治神宮外苑)

  樺太国境画定標石
  明治39年(1906)〜明治40年(1907)
 「明治37年(1904)、8年の日露戦役の講和条約でカラフトの北緯五十度以南は、日本の領土となりました。
その境界を標示するため、日露両国委員は、明治40年(1907)9月4基の天測標と17基の小標石を建てて境界を確定しました。
 この境界標石は、外苑創設に際し、明治時代の1つの記念物として、樺太庁が之を模造し外苑に寄贈したものです。当時苑内北方隅の樹間に在りましたが、この度、全国樺太連盟よりの、これが顕彰周知方の篤い要望に応えて、絵画館前の現地に移し整備配置しました。
 日本側の菊の紋章の背面には露国の鷲の紋章が刻んであります。
 又、聖徳記念絵画館の壁画「樺太国境画定」(安田稔画)には、両国委員が境界標を建設する光景を史実に基づいて描いた絵画が展示されております。
 昭和54年(1979)6月2日 明治神宮外苑」
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反対側には なんじゃもんじゃの木 があります。
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渋沢榮一の女婿で明治神宮の造営に尽力された阪谷芳郎(東京市長、琴子夫人は渋沢榮一の二女)が揮毫した立派な碑と説明板が植こみにあります。
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なんじゃもんじゃの木
「和名「ひとつばたご」俗名「なんじゃもんじゃ」と呼ばれる名木で、5月のはじめ頃に白い清楚な花を咲かせ、満開時は雪が被ったように見え、神宮外苑の名物のひとつとなっています。
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初代 ヒトツバタゴ(六道木)俗名 なんじゃもんじゃ
      大正13年天然記念物指定

  なんじゃもんじゃの木碑
 「この木は、和名「ひとつばたご」俗名「なんじゃもんじゃ」と呼ばれ昔からこの地内にあった名木です。5月始めの頃、白い清楚な花が咲き、満開時は雪を被ったように見えます。
この木の親木は古く幕末の頃、ここから南へ約400メートルの六道の辻にあったので、「六道木」とも呼ばれた珍しい木である。
明治18年(1885)にこのあたりは青山練兵場となったが、時の政府は所有者、萩原三之助からこれを買上げそのまま残した。
明治36年(1903)、白井光太郎博士(元帝国大学教授)が政府にこの木の保護願いを出し、種々尽力したため大正13年(1924)12月天然記念物の指定を受け保護されることになった。
然し樹齢百数十年といわれた名木も遂に昭和8年(1933)枯死した。
練兵場に枝を広げて立つ明治39年(1906)頃の六道木の姿は、絵画館の壁画「凱旋観兵式」(小林万吾画)の中に描かれており、またその遺木の一部絵画館内に飾られている。
ここにあるひとつばたごは、2代目六道木で、明治36年(1903)頃白井博士が根接法により得たものであると伝えられている。
この由緒ある名木を、できるだけ多くの方にご覧いただくため、このたび碑石と共にここに移し植えたものである。
ひとつばたごの名称は、江戸時代の植物学者水谷豊文が、尾州二ノ宮山中(愛知県)でこの木を発見し名づけたものと伝えられるもくせい科に属する落葉樹で、国内では愛知、岐阜、対馬に産し、都内では十数ヶ所に見られる。
 昭和53年(1978)12月 明治神宮外苑」
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次は絵画館のまわりの史跡を見てみます。

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2012年12月13日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)4.周辺

絵画館前の池の両側に3本ずつ合計6本植えられ綺麗に刈り込まれている「シロマツ」があります。
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これは珍しい“松”です。
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説明板には「中国名:白皮松。日本では比較的珍しく、中国では王宮寺院などに多く植えられています」と記されています。
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シロマツ
中国北西部原産のマツで、日本では比較的珍しく、絵画館前庭の池の両側に整然と3本ずつ植えられております。
中国では王宮、寺院などに多く植えられており成木は、樹皮がはがれて白い肌がまだらに現れます。
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迷彩服のようです。
老木は樹皮が薄く剥げて灰白色になることから和名がつけられ、「ハクショウ」という別名です。日本の赤松や黒松の針葉は2枚ですがシロマツの針葉は3枚です。空海が中国で投げた三鈷鉦が日本に飛んできて掛ったという伝説のシロマツが高野山金剛峯寺の金堂と御影堂の間にあり、「サンコノマツ(三鈷の松)」と呼ばれ、神聖な松として扱われています。
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そのシロマツの前の広場、国旗掲揚台までの舗装はひび割れが多いです。ここはなんと 日本最古のアスファルト舗装だそうでfす。
日本最古のワービット工法によるアスファルト舗装(明治神宮外苑)
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  明治神宮外苑の舗装
 「明治神宮外苑の道路の舗装は、東京市(当時)でも大規模で本覚益那加熟アスファルト混合物を用いた舗装であり、1926年(大正15年)1月に完成しました。
 この工事は、我が国においてワービット(Warrenite-Bitulithicの略)工法を採用した最初の工事であったばかりでなく、アスファルトは国産品(秋田県豊川産)を使用し、当時の最新鋭機による機械化施工が行われました。
この舗装は長い年月の使用に耐え、左図の濃色の箇所(下の写真)が66年間(1992年改良)にわたって車道として使われてきたことは、驚嘆に値します。また、この案内板の前の舗装は当時のまま現存しており、日本における車道用アスファルト舗装としては最古のものです。」
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説明版に書かれています。
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   当時の工事概要
(1)発注者:明治神宮造営局
(2)施行面積:59,096u
(3)施行費用:167,135円
(4)工期:1924年5月〜1926年1月
(5)監督者:工学博士・藤井眞透

  平成16年度 土木学会選奨土木遺産
対象構造物 聖徳記念絵画館前通り
受賞理由 東京を代表する道路景観であり、ワービット工法を利用したわが国最古級の車道用アスファルト舗装である。
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表面はゴツゴツしています。実物のコアーを触って確かめることもできました。
貴重な土木遺産は いつまでも大切に保存したいものです。
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2012年12月12日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)3

外に出ます。目の前には四角い大きな池があります。
絵画館のほか、重要文化財の附(つけたり)として指定されているものを見ます。
角池(壁面蛇口付、外周路地を含む) - 絵画館正面にあり、1959年(昭和34年)から3年間「かっぱ天国」という名で子供用プールとして使用された。
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池の前にある国旗掲揚塔です。大きな台座の上に2頭の一角獣が躍動しています。

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葬場殿趾円壇 絵画館の裏手にあります。
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葬場殿跡(明治神宮外苑)

所在地 新宿区霞ヶ丘町1 (明治神宮外苑)

明治天皇が明治45年(1912)7月30日にお亡くなりになり、その御葬儀が9月13日に全国民の悲しみのうちにこの場所(当時の青山練兵場)で行われました。ここがその時に御柩車が置かれた葬場殿のあとです。
中央の大木はこのことを記念して植えられた楠の木です。
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葬場殿趾のクスノキの大樹です。大正元年9月13日、明治天皇の御大葬が旧青山練兵場で執り行われた際、棺の車が安置されたことを記念して建立され、石段の中央には楠が植えられました。
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丸池(噴水付、腰掛4台を含む) - 神宮外苑のいちょう並木の終点付近にあります。
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ちょうどいちょう祭りでいろいろな屋台が出ていました。
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噴水装置 1984.10 竣工 荏原製作所
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このほかにも 史跡が絵画館のまわりにいくつかあります。
順に紹介して行きます。

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2012年12月11日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)2

階段を登る。チケットブースまでは 撮影可。
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チケット売り場の前のわずかな部分も撮影可です。
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この扉の内側はホールです。
ここから 内部は撮影不可です。
外観は花崗岩貼り、中央に径15メートルのドームを戴く左右対称の構成。
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とてもすばらしいドーム部分のホールでした。
階段下に写真と説明板がありました。その写真です。
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外壁は岡山県万成産の花崗岩石貼り、中央の頂部にドーム、左右対称の両翼部が展示廊となっている。中央正面階段よりアーチ型の玄関を入ると内部は大広間となり、その大空間壁面は国産大理石、小部にタイルを用い、石膏の装飾紋様等を配されている他、ステンドグラスによる採光も考慮された荘麗なつくりである。都選定歴史的建造物でもある。
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 「聖徳記念絵画館は、わが国最初期の美術館建築で、直線を強調した造形表現により、記念性の高い重厚な外観意匠を実現しており、高い価値が認められる。またドームのシェル構造や絵画室の採光などに先駆的な技術が取り入れられており、わが国の建築技術の発展を知る上でも重要である」
自然採光が使われているので柔らかな光で心地よい場所です。
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同じく説明板の写真です。天井部分は自然採光。
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「明治天皇を中心に成し遂げられた、維新の大改革、その輝かしい時代の勇姿と歴史的光景を史実に基づいた厳密な考証の上で描かれた80枚の名画。
一流画家による優れた芸術作品であり、政治、文化、風俗の貴重な歴史資料でもあります。
壁画は、明治天皇のご生誕から崩御までの出来事を、「画題」の年代順に前半を日本画40枚、後半を洋画40枚で展示しております。」

入館時もらったパンフレットには絵のリストや写真が載っています。
縦3メートル、横2.5メートルの絵です。
 画題(日本画) 画家
1 御降誕 高橋秋華  
2 御深曾木 北野恒富  
3 立親王宣下 橋本永邦 
4 践祚 川崎小虎  
5 大政奉還 邨田丹陵  
6 王政復古 島田墨仙 
7 伏見鳥羽戦 松林桂月  
8 御元服 伊東紅雲 
9 二条城太政宮代行幸 小堀鞆音  
10 大総督熾仁親王京都進発 高取稚成 
11 各国公使召見 広島晃甫
12 五箇條御誓文 乾南陽  
13 江戸開城談判 結城素明  
14 大阪行幸諸藩軍艦御覧 岡田三郎助  
15 即位礼 猪飼嘯谷
16 農民収穫御覧 森村宜稲
17 東京御着輦 小堀鞆音  
18 皇后冊立 菅楯彦  
19 神宮親謁 松岡映丘  
20 廃藩置県 小堀鞆音  
21 岩倉大使欧米派遣 山口蓬春  
22 大嘗祭 前田青邨  
23 中国西国巡幸長崎御入港 山本森之助 
24 中国西国巡幸鹿児島着御 山内多門  
25 京浜鉄道開業式行幸 小村大雲
26 琉球藩設置 山田真山  
27 習志野之原演習行幸 小山栄達  
28 富岡製糸場行啓 荒井寛方  
29 御練兵 町田曲江 
30 侍講進講 堂本印象  
31 徳川邸行幸 木村武山  
32 皇后宮田植御覧 近藤樵仙 
33 地方官会議臨御 磯田長秋 
34 女子師範学校行啓 矢沢弦月 
35 奥羽巡幸馬匹御覧 根上富治
36 畝傍陵親謁 吉田秋光 
37 西南役熊本籠城 近藤樵仙 
38 内国勧業博覧会行幸啓 結城素明  
39 能楽御覧 木島桜谷  
40 初雁の御歌 鏑木清方   
画題(洋画) 画家
41 グラント将軍と御対話 大久保作次郎  
42 北海道巡幸屯田兵御覧 高村真夫 
43 山形秋田巡幸鉱山御覧 五味清吉  
44 兌換制度御治定 松岡寿  
45 軍人勅諭下賜 寺崎武男 
46 条約改正会議 上野広一 
47 岩倉邸行幸 北蓮蔵
48 華族女学校行啓 跡見泰 
49 東慕慈恵医院行啓 満谷国四郎  
50 枢密院憲法会議 五姓田芳柳  
51 憲法発布式 和田英作
52 憲法発布観兵式行幸啓 片多徳郎  
53 歌御会始 山下新太郎  
54 陸海軍大演習御統監 長原孝太郎 
55 教育勅語下賜 安宅安五郎  
56 帝国議会開院式臨御 小杉未醒  
57 大婚二十五年祝典 長谷川昇  
58 日清役平壤戦 金山平三  
59 日清役黄海海戦 太田喜二郎
60 広島大本営軍務親裁 南薫造  
61 広島予備病院行啓 石井柏亭  
62 下関講和談判 永地秀太
63 台湾鎮定 石川寅治 
64 靖国神社行幸 清水良雄  
65 振天府 川村清雄  
66 日英同盟 山本鼎  
67 赤十字社総会行啓 湯浅一郎  
68 対露宣戦布告御前会議 吉田苞  
69 日露役旅順開城 荒井陸男 
70 日露役奉天戦 鹿子木孟郎 
71 日露役日本海海戦 中村不折  
72 ポーツマス講和談判 白滝幾之助  
73 凱旋観艦式 東城鉦太郎  
74 凱旋観兵式 小林万吾  
75 樺太国境画定 安田稔
76 観菊会 中沢弘光  
77 日韓合邦 辻永  
78 東京帝国大学行幸 藤島武二  
79 不豫 田辺至 
80 大葬 和田三造   
 
どれも見ごたえのある絵でしたが 一番盛り上がったのが 47 岩倉邸行幸 北蓮蔵
病床の岩倉具視を見舞う天皇。布団に起き上がる岩倉。その布団の上ひれで伏している女性は誰でなぜ 布団に乗っているのか・・・という話になったわけです。おそらく体を支えているのだろうということに落ち着き 体力のある若い 嗣子具綱の婦搦qでした。

「明治16年7月19日、車駕、右大臣岩倉具視の邸に臨みて、其の疾患を問わせたまう。是より先、具視病みて家に臥護するや、是月5日、親しく之を問わせたまいしが、是日早旦病革なる旨聞しめし、俄に駕を命じて再び之を親問あらせらる。儀衛未だ備わらず、当直の近衛士官纔に騎従す。具視其の報を聞き、左右に命じ衣を更めんとすと雖も、哀憊甚しく、起臥自由を失う、乃ち袴を衾上に置き以て礼装に代ふ。既にして車駕至り、具視の褥室に臨みたまいて曰く、具視如何と。具視の妻槙子、嗣子具綱の婦搦q二人側に侍す。具視乃ち搦qに扶けられて纔に半身を起し、合唱して天皇を拝す。感涙雙頬に滂沱たるのみ、復た一語の能く奉答するなし、一座黯然たり。」

岩倉具視は、翌日の7月20日逝去。享年59歳でした。

その他 天皇の馬の剥製などを展示する小部屋などもホールにあります。 地下におりる大理石の階段部分には化石などもみえました。

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2012年12月10日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)1

信濃町駅から聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)に行く。
2011年(平成23年)、「直線的意匠と先駆的技術を採用した、わが国初期の美術館建築」と評価され、明治神宮宝物館と共に国の重要文化財に指定された。
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起工 (1919年)大正8年3月5日
竣功 (1926年)大正15年10月22日
設計 一般公募156点の1等小林正紹氏の原図を基に明治神宮造営局において修正しました。
構造 鉄筋コンクリート造り、外壁は岡山県万成産花崗石、画室を除く壁面、中央大広間は、国産大理石と一部タイルを使用しています。
規模 長さ 東西112メートル 南北34メートル
高さ 中央ドーム頂点 地上32.1メートル
両翼 地上16.7メートル
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鉄筋コンクリート造、建築面積2348.52平方メートル、地下1階、銅板葺 1棟
東京都新宿区霞ヶ丘町1番1号
重文指定年月日:20110620
重要文化財
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  聖徳記念絵画館
「徳川幕府を改め、日本史上空前の大改革・明治維新が断行され、西欧の諸国が300年を要した国家の近代化を、僅か40年ばかりで成しとげた輝かしき明治の時代。当代一流画家の筆に成る館内展示の80面の大壁画が、明治天皇を中心に、わが国近代化へと飛躍の姿・歴史事件の数々を静かに語りかけてくれます。生きた明治史の教室といえましょう。]

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横や裏側を見ます。
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正面右
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正面 左
外観は花崗岩貼り、中央に径15メートルのドームを戴く左右対称の構成。

絵画館のほか、以下の物件が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。

葬場殿趾円壇 - 絵画館の裏手にある
角池(壁面蛇口付、外周路地を含む) - 絵画館正面にあり、1959年(昭和34年)から3年間「かっぱ天国」という名で子供用プールとして使用された。
丸池(噴水付、腰掛4台を含む) - 神宮外苑のいちょう並木の終点付近にある 
これらのものは順に見て行きます。

「神宮外苑の中心的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な絵画を展示している。維持管理は宗教法人明治神宮の予算で賄われており、他からの援助は一切受けていない。警察官により常に厳重に警備されている。」
まず 入館します。入館料(施設維持協力金):500円

[この建物は明治天皇・昭憲皇太后お二方御一代の輝く御業績を後世に伝えるため造営されたもので、80枚の壁画は当代一流の画家が心血を注いで描いたものであります。」
チケットの裏にはそう書かれています。

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2012年12月09日

根津美術館-柴田是真の漆工・漆絵・絵画

青山陸橋を下りしばらく歩くと 根津美術館。目的の美術展を見る。

根津美術館  東京都港区南青山6丁目5-1

特別展
ZESHIN
柴田是真の漆工・漆絵・絵画
2012年11月1日(木)〜12月16日(日)
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幕末から明治時代に活躍した蒔絵(まきえ)師、柴田是真(ぜしん)(1807〜91年)の仕事の全容を紹介する展覧会です。
蒔絵師であり、絵師です。従来の蒔絵師とは異なり、下絵から蒔絵までの全工程を手がけました。
さらには紙に漆で絵を描く「漆絵」を手がけ、絵画・工芸の枠組みを超えた活動を展開しました。明治時代、国の委嘱をうけた是真は、万国博覧会に出品し、ZESHINの名は一躍世界的に知られるようになります。
明治6年のウィーン万博に出品されたことで、欧州でも知られる。本展は国内の作品約120点を集めました。
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是真は、絵心を活かした洒脱なデザインと卓越した漆工技術で、独自の作品を作り出しているので面白いです。
光琳の作品を摸写したり 粋な作品も数多く楽しめます。
蒔絵や漆絵では、青海勘七以来絶えていた青海波塗を復活し、青銅塗・四分一塗・鉄錆塗・砂張塗・紫檀塗・墨形塗などの新技法を創始しました。
「五節句蒔絵手箱」(サントリー美術館蔵)や「烏鷺蒔絵菓子器」(東京国立博物館蔵)「夕顔蒔絵板戸」(根津美術館蔵)なども展示されています。

人は多かったですが待ち時間はありませんでした。会場は1Fだけですが 最初のコーナーは人が群がっていてなかなか進まなくて 見るのに苦労しました。
人の進みを待つと何時間かかるかわからないので 見たいものだけを見るようにして少し進めば 流れはスムーズになりました。
2Fの常設も庭園も今回はパスして 出ました。

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2012年12月08日

都立青山霊園.外人墓地

銀杏並木を見たあと 青山通りから 赤坂消防署入口交差点を左折し そのまままっすぐ青山霊園 に向かう。
青山霊園北出入口から入る。

都立青山霊園(とりつあおやまれいえん)
東京都港区南青山2丁目32番2号
 美濃国郡上藩の藩主だった青山家の下屋敷跡、約26万uに広がる都立の霊園。総理大臣や作家など著名人の墓が数多くあり、忠犬ハチ公の記念碑もある。
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この中央通りは 春には桜並木がきれいなところです。
そのまままっすぐ青山墓地中央交差点に向かう。
いろいろな墓が見えてなぜか鳥居などもあって 面白いけれど墓見物はせず 歩いた。
交差点手前に 外人墓地がある。ここはちょっと立ち寄った。
外人墓地顕彰碑
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 外人墓地
 「明治10年、築地居留地などに住む外国人専用の墓地を青山霊園に設けることが決まりました。そして最初の埋葬が明治13年に行われました。
 明治32年居留地制度廃止に伴い外人墓地も一般墓所の一部として扱われるになりましたが、現在も「外人墓地」と呼ばれています。
 ここには、幕末から明治期にかけてわが国の教育や工学など様々な分野の基礎をつくり、日本の近代化に大きく貢献された方々や、そのご家族が多数眠られています。そして現在もご子孫や縁者の方々によって手厚く守られています。また、縁故者が帰国し管理者がいなくなったお墓もありましたが、平成18年から東京都が管理することになりました。
 様々な形の墓石や故人の功績が刻まれた碑など、これらすべて、はるばる海を越え、異国の地で没した方々やご家族の気持ちに思いをはせ、日本が近代化をとげた時代を振り返ってみてください。」案内板より

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横浜の外人墓地のような大規模ではなく、霊園の一画だけが外人墓地になっています。

明治の頃、肥前佐賀に欧米の進んだ技術や文化を紹介し、教育をした外国人、フルベッキとワグネルは小路をはさんで隣同士で青山霊園に眠っています。
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ドクトル・ゴットフリード・ワグネル
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グイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック

青山墓地中央交差点で、右折し陸橋を越えます。ここを通ると霊園は小高い丘の上にあるのだとわかります。
そのまま直進し 根津美術館に向かいました。
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2012年12月07日

明治神宮外苑銀杏並木

神宮外苑の銀杏並木を通ってきた。
何度か 歩いたことはあるけれどたいていまだ少し緑が残っていたり散るのがまだだったりでした。それはそれで グラデーションの色できれいなのだけど 今回は少し遅くてみごとな黄金色。しかも遊歩道は黄金色のじゅうたん。
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上部が散ってしまった木もあった。銀杏祭りは12月9日まで。
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いつもと違い 絵画館のほうから青山通りに向かって歩いた。
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遠近感を考えて植えてあるので本当は青山通りから入るのがいいかも。
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遊歩道の外側は人が通れないのでこんなふわふわ葉っぱの道でした。
入り口には銀杏並木について 長い説明文の板がありました。
銀杏並木(明治神宮外苑)
所在地 港区北青山2-1 (明治神宮外苑)
1926年(大正15年)の明治神宮外苑創建に先立って、1923年(大正12年)に植栽されたもので、並木の総本数は雄木44本、雌木102本の合計146本である

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青山通りから絵画館を見ると、イチョウ(銀杏)の並木が絵画館が中心になるように沿って植えられており、遠近法を用いて実際の距離より絵画館が遠方にあるように表現されているのも特徴的。

  明治神宮外苑之記碑
  石碑の題字 
「明治神宮外苑之記」
明治神宮奉賛会 総裁 閑院宮載仁親王殿下の篆書
  撰文
明治神宮奉賛会 会長 徳川家達
  石材
東北仙台産の板岩
高・地表4メートル 幅・1.8メートル 厚・0.36メートル
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2012年12月06日

小名木川橋

四ツ目通り沿い猿江2丁目に小名木川橋がある。
橋の下の川沿いは綺麗な遊歩道になっている。
錦糸町方向の橋のたもとにあ五本松の石碑と松、 五百羅漢の道標がある。
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 五本松跡 所在地 江東区猿江2-16
「江戸時代この付近から東にかえて小名木川の河畔に老松があり小名木川の五本松として有名となり地名ともなったほどであってその一本の松が大名の屋敷から道をこえ水面を覆っている風景が江戸名所図会に描かれ、錦絵などにも取材されたが明治時代にいたって枯れてしまった。」
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五本松は、江戸時代この付近から東(上流方向)にかけて小名木川の河畔に老松があり、  綾部藩(京都府)九鬼家の屋敷から水面に伸びた松を観て、徳川家光が感嘆したことから有名になり、地名となったそうです。
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 江東区の木「黒松」は、これに由来します。
深川の末、五本松といふところに船をさして 川上とこのかわしもや月の友 芭蕉
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五百羅漢道標 文化二年再建銘 江東区有形民俗文化財
 五百羅漢道標は、五百羅漢寺への道筋を案内する道しるべです。かつては、現在地より50mほど東にあった庚申堂の前に、川に面して建てられていました。正面には「是より五百らかん江右川[ ](通) 八町ほど先へ参り[ ](申)」、右側面には「此横道四ツ目橋通り亀戸天神□」とあり、亀戸天神への道も示しています。
 造立年代は不明ですが、左側面の銘文により享保16年(1731)、寛政9年(1797)、文化2年(1805)の計3回再建されたことがわかります。現在の道標は文化2年(1805)に再建されたものです。
 五百羅漢寺とは、明治20年(1887)まで現在の大島4-5付近にあった、天恩山五百阿羅漢寺(現在は目黒区に移転)のことです。堂内に安置された536体の羅漢像やらせん状の廊下をもつ三匝堂(通称さざえ堂)が有名で、亀戸天神と並び多くの参詣客を集めました。
 この道標は、川沿いの道を歩く人はもちろんのこと小名木川を船で訪れる人の目にも留まるように建てられていました。陸上と水上の両方の道を対象とした、水路の恵まれた江東区ならではの文化財です。
 平成19年(2007)3月 江東区教育委員会」
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小名木川橋の欄干には五本松と小名木川を描いたレリーフがあります。
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向こうに見える橋は クローバー橋。Xの形をした橋です。
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小名木川と横十間川が十文字に交差するところに架かっています。

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2012年12月05日

京成電鉄博物館動物園駅跡

国立博物館から東京藝大に向かう交差点、ちょうど藝大旧正門と黒田記念館がある交差点に コンクリートの古い建造物がある。
それが 京成電鉄博物館動物園駅跡である。
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近寄ってみると たしかに駅名とプレートがある。
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名   称:京成電鉄 旧博物館動物園駅
設 計 者:中川俊二
所 在 地:台東区上野公園13-23
竣 工 年:1933
「1933年(昭和8年)の京成本線開通に合わせ、東京帝室博物館・東京科學博物館・恩賜上野動物園や東京音樂學校、東京美術學校などの最寄り駅として開業した。しかし、老朽化や乗降客数の減少が響いたため、1997年(平成9年)に営業休止、2004年(平成16年)に廃止となった。廃止後も駅舎やホームは現存する。」
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ホームの有効長が短いため、最も短い4両編成しか停車することができず 廃止された。
地下の壁面には東京芸術大学の学生が描いたとされる「ペンギン」「ゾウ」の絵画があり 内部にはパンテオンばりのドームがある。
地下施設のホームや改札も休止前の状態を保っており、列車が通過する際のわずかの間に見ることができる。
戦争中に、国鉄の蒸気機関車の、防空壕として利用された。
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地上の出入口は、皇室用地だった東京帝室博物館の敷地内と上野動物園旧正門へ続く2か所があった。
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博物館前から夕暮れの大噴水広場を抜け駅に向かう。
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上野駅中央改札口には 浅草 羽子板市のお知らせと大きな縁起熊手がありました。
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2012年12月04日

東京藝術大学赤レンガ2号館

1号館の隣にあるのが2号館。
旧東京図書館書籍庫。

この建物は、東京図書館の書籍庫として建てられました。 1号館同様、全ての開口部に鉄扉が付設されました。

教育博物館は1877年(明治10年)1月に上野公園に創設され、 1881年(明治14年)7月に東京教育博物館に改称しました。 1885年(明治18年)6月には湯島にあった東京図書館が上野公園に移り、 東京教育博物館と合併しました。
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都選定歴史的建造物 東京藝術大学赤レンガ2号館
所在地 台東区上野公園12番8号
建設年 明治19年(1886)
設計 小島憲之
構造・規模 煉瓦造、地上2階建
概要
旧東京図書館書籍庫。現存する煉瓦造としては、隣接する赤レンガ1号館に次いで都内で2番目に古い。入口の尖塔アーチや最上部の丸窓などが特徴的
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2号館は旧東京図書館書籍閲覧所の書庫として建てられた。
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3階の鉄扉付き丸窓が印象的な2号館。
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おしゃれな玄関
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玄関入口には、狛犬も・・・・
以前はなかったのです。詳しい 由緒がわかりませんでした。
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この2号館 現在は、文化財保存科のアトリエだそうです。

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2012年12月03日

東京藝術大学赤レンガ1号館

東京藝術大学音楽学部正門を入ります。
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古風な外観の守衛室があり そこで構内立ち入りの許可をもらいます。
すぐ見えるのが 都選定歴史的建造物 東京藝術大学赤レンガ1号館
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赤レンガ1号館
竣工 1880年(明治13年)
所在地 東京都台東区上野公園12-8
設計 林忠恕
構造 煉瓦造2階建て
概要 旧上野教育博物館書籍閲覧所書庫。東京に現存する最古の煉瓦造で、明治初期建築の意匠の特徴をさまざまに有している
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旧教育博物館書籍閲覧所書籍庫。
「明治13年(1880)に竣工された都内に現存する最古のレンガ建築です。この建物は、教育博物館の書籍庫として建てられたもので、耐火を重視し、すべての開口部に鉄扉を付設するなどの不燃性を重視した造りとなっています。築124年を迎えた平成22年(2010年)に耐震改修事業の一環により全面改修が施されました。」
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東京では珍しい明治初期の煉瓦造建築です。  耐火を重視した鉄扉が窓の一つひとつに取り付けられています。
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書籍庫として耐火を重視し、すべての開口部に鉄扉を付設するなどの不燃性を重視したつくりが幸いし、127年を経た今も現存しています。
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木造屋根で瓦葺き屋根のレンガ造り建築です。

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2012年12月02日

上野桜木 旧吉田屋酒店

カヤバ珈琲の対面にあるのが 旧吉田屋酒店・下町風俗資料館付設展示場
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正面入口には板戸と格子戸の上げ下げで開閉する揚戸(あげと)。
所在地 台東区上野桜木2-10-6

台東区指定有形民俗文化財
 旧吉田屋酒店
     平成元年(1989)指定

「 かつて谷中6丁目の一角にあった商家建築。吉田屋酒店は江戸時代以来の老舗であった。旧店舗の建物が台東区に寄贈され、明治から昭和初期にいたる酒屋店舗の形態を後世に遺すため、昭和62年(1987)移築復元して、当時の店頭の姿を再現、展示している。平成元年(1989)には、1階店舗と2階部分及び道具・文書類が台東区指定有形民俗文化財となった。
 棟札によれば、明治四43年(1910)に新築して、昭和10年(1935)に一部改築したもの。正面は1・2階とも出桁造りで商家特有の長い庇を支え、間口を広く使って販売・運搬の便を図った。1階は店と帳場で、展示している諸道具類や帳簿などの文書類も実際に使用されていたもの。帳場に続く階段をのぼると三畳半と八畳の部屋があり、店員等が使用していた。向かって右側の倉庫部分は、外観のみを明治43年(1910)の写真にもとづいて復元した。店舗後方の和室部分は構造的補強の必要から増設したものである。
 平成16年(2004)3月 台東区教育委員会」
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 看板や徳利などの道具類は、総数215点。大正から昭和初期に使われたものです。一部を展示。
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秤・漏斗(じょうご)・枡・樽・徳利・宣伝用ポスターや看板など酒類の販売に用いる道具や商いに関する資料を展示
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文書類は、総数42,329点。明治34年から昭和46年に至るまでの帳簿や伝票など。中でも、約9000点に達する太平洋戦争中の配給関係文書は、質量ともに貴重な史料群だそうです。
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たしかに 東京では貴重な珍しい建物かもしれませんが 私のふるさとにはこういう建物がまだたくさん残っているので さほど感激はなかったです。どこかの地方にもまだ現役で営業しているお店があるのではないか・・・と。
もしかしたらあのようなポスターなどもそのままに・・・。

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2012年12月01日

上野桜木の古民家

上野桜木の交差点に古い喫茶店がある。
大正5年築出桁造の町家、カヤバ珈琲。現役で営業中。
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TVでも紹介されていましたが 憩いの場・芸術談義の場として長年親しまれてきたが、平成18年秋、惜しまれながらも閉店。
取り壊しの危機に平成21年、たいとう歴史都市研究会とSCAI THE BATHHOUTHが協力し、カヤバ珈琲を復活させました。
内装はきれいにしているみたいです。谷中の街で長年親しまれてきた面影、ルシアン、たまごサンドなど往時の名物メニューを残しつつ、新メニューを加え町の人や観光客に親しまれ 保存 復活させたという建物です。この次は名物 ルシアンでも飲んでみましょう。
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藝大のほうに少し戻った交差点にあるのが 上野桜木会館
明治末期の建物。洋画家寺井力三郎の生家である。台東区が改修を行い、区民のための貸しスペースにしました。老朽化のため、2階部分は残せませんでしたが、庭園や内観の暖炉などに昔の面影を残しています。
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そのすぐ隣にあるのが登録有形文化財建造物 市田家住宅。
市田邸は、明治40 年に日本橋の布問屋市田善兵衛氏により建築され、戦後は長女春子氏のもと、東京芸大声楽科学生を下宿させてきた上野桜木の伝統的な住まいである。築100年という伝統的なつくりの家に、若い世代が住みながら維持管理をすることで、日本家屋の利便性、保存活用の課題、歴史を活かしたまちづくりを学んでいます。平成13 年よりこの建物を借り受け 座敷や蔵等を公開スペースとして随時イベントを催しています。
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市田家住宅主屋:明治/1907/1912-1925増築
「木造2階建、瓦葺、建築面積111u
日本橋布問屋の隠宅として建設。寄棟造,桟瓦葺,外壁押縁下見板張の木造2階建で,6畳と8畳座敷を東西に並べて西と南面に縁を廻し,東側南北に玄関・茶の間・台所を配し,座敷上部に2階を増築する。。」
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市田家住宅表門 明治/1907頃

木造、瓦葺、間口2.0m、袖塀付

「主屋玄関の南に東西棟で建つ。間口1間,切妻造,桟瓦葺の腕木門で,上部の小壁に横長の連子窓を嵌め込み,柱・腕木・垂木等に面を取るなど丁寧なつくり。南面道路からやや後退して建ち,上部黒漆喰塗,腰縦板張,板葺の袖塀を従えて瀟洒な表構えを見せる」
市田家住宅裏門 市田家住宅蔵 なども登録有形文化財(建造物)に指定されています。

貴重な文化遺産の解体の危機を みなで協力して 知恵を出し合い 保存 利用できているのは嬉しいことです。

posted by うめのはな at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区