2013年05月31日

芝増上寺境内 3(港区)

境内図の4は徳川将軍家墓所です。
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戦災に遇うまで、増上寺の南側にニ代将軍秀忠、北側に六代将軍家宣、七代家継などの御霊屋があった。これらは当時の建築技術の粋を結集したもので、各々国宝の指定を受けていたが、現在は入口の「鋳抜門」と二代将軍宝塔にその面影を残しているに過ぎない。
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将軍のほかには、静寛院宮(=和宮、家茂の御台所)、崇源院(家光の母、お江与)、桂昌院(綱吉の母、お玉)などが合葬されている。

2代将軍 徳川秀忠公(台徳院殿)・お江(崇源院殿)夫妻の墓所
6代将軍 徳川家宣公(文昭院殿)墓所
7代将軍 徳川家継公(有章院殿)墓所
9代将軍 徳川家重公(惇信院殿)墓所
12代将軍 徳川家慶公(慎徳院殿)墓所
14代将軍 徳川家茂公(昭徳院殿)墓所
14代徳川家茂公正室 静寛院和宮墓所
合祀塔
この日は 公開日ではなかったので見ることはできませんでした。
鋳抜門(いぬきもん),この門の中が墓所です。
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港区有形文化財(建造物) 鋳抜門(いぬきもん)
平成9年(1997)3月11日登録
徳川家墓所  鋳抜門
 増上寺は徳川将軍の菩提寺として、かっては二代将軍秀忠の霊廟を中心とした南廟(現在のゴルフ場敷地)と六代家宣・七代家継の霊廟を中心とした北廟(現在の東京プリンスホテル敷地)があり、その華麗さは日光東照宮を凌ぐとさえいわれていたが、昭和二十年三月の東京大空襲によりその大半が焼失した。昭和三十三年に実施された改葬により、徳川家の墓所は安国殿裏手のこの一画に まとめられた。
正面の門は旧国宝で「鋳抜門」(いぬきもん)といわれ、文昭院殿霊廟(徳川家六代将軍家宣公)の宝塔前「中門」であったものを移築しました。
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左右の扉は共に青銅製で五個ずつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれ、その荘厳さは日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構です。
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鋳抜門の前に並んでいるのが四菩薩像 です。
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港区登録有形民俗文化財 四菩薩像
 平成10年(1998)4月9日登録

 向って左から
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)<卯年守本尊>
虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)<丑寅守本尊>
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)<子育地蔵>
普賢菩薩(ふげんぼさつ)<辰年守本尊>

この四体の菩薩像は、この場所の北西、現在の正則中学校あたりにあった地蔵山に東に向けて安置されていたもので、道を隔てて東側にあった観音山に西向きに安置された西向観音像(港区文化財)とともに向き合って街道を見下ろす形をとっていました。足利成氏が建てたとも、北条時頼が建てたとも、正嘉2年(1258)に土地の人が真言僧に建てさせたともいわれています。
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大納骨堂です。青銅部分と石造部分のコントラストが美しい納骨堂です。
「大納骨堂は昭和8年(1933)に建立されました。御本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像です。戦災の難を逃れた数少ない建造物で、昭和55年(1980)に現在地に遷座、開眼供養が厳修されました。
 堂内には有縁無縁のご本骨、ご分骨が納められ、狛犬に守られてお祀りされています。増上寺」
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どことなく西洋風の味のある狛犬です。
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2013年05月30日

芝増上寺境内 2(港区)

本殿横の真新しい社殿は安国殿です。
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安国殿と黒本尊
 この建物は徳川家康公の法号「安国院殿」からその名をとっています。「安国殿」とは現らい家康公の尊像を祀る御霊屋を意味していましたが、戦後の復興に伴う増上寺境内堂宇整備の一環として、昭和49年(1974)当時の仮本堂をこの地に移転し、家康公の念持仏として有名な「黒本尊阿弥陀如来」を安置し「安国殿」と命名しました。
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徳川家康公の念持仏として有名な、秘仏「黒本尊阿弥陀如来」が祀られています。
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また両脇陣には、和宮像、聖徳太子像、仏舎利などが祀られており、庶民の信仰の中心として親しまれている。
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建物の老朽化に伴い、建て替えられました。
竣工/平成22年7月
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屋根から東京タワーが生えて」いるみたいです。
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芝公園だからしかたないか・・・・
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西向観音像(増上寺) 港区登録有形民俗文化財

増上寺内の西向観音(にしむきかんのん)は、江戸33観音札所の第21番霊場にあたります。西向観音は子育てと安産に霊験あらたかです。制作は鎌倉期。
西向観音は、現在三康図書館のある場所にあった観音山に西に向けて安置されていたもので、現在の正則中学校あたりにあった地蔵山に東向きに安置された四菩薩像(港区文化財)とともに、その間を通る街道を見下ろす形をとっていました。
 将軍家の菩提所である増上寺は格式が高く、庶民には近寄り難いところもありましたが、この像は安国殿に安置されている黒本像とともに多くの庶民の信仰の対象として今に続いています。
  平成4年(1992)3月30日 港区教育委員会
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千躰子育地蔵尊
子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、子供の無事成長、健康を願い昭和五十年(1975年)より順次奉安されております。毎年4月に大祭、7月には盆踊り大会が開催されます。

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2013年05月29日

芝増上寺境内 1(港区)

芝増上寺三門です。逆光できれいな朱が見えにくいです。
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三解脱門(三門)(増上寺)
所在地 東京都港区芝公園4-7-35 
重要文化財 大正4年(1915)3月26日指定
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「慶長16年(1611年)、徳川家康公の助成により、幕府の大工頭・中井大和守の配下によって建立され、元和8年(1622)に再建されました。
略称を三門といい、貪欲・瞋恚・愚痴の三悪(三毒)を解脱するという意味からこの名があります。間口・十間余(約19m)、奥行五間(約9m)、高さ七丈(約21m)の二層建てで、左右に三間(5.4m)の山廊を有している三解脱門は、東京都内最古の建築物であるだけでなく、東日本最大級の大きさを誇っています。  
 入母屋造りの建築様式で朱漆塗りの三解脱門は、増上寺が江戸の初期に造営された当時の面影を残す唯一の建造物として、国の重要文化財の指定を受けています。様式は、組み物などは唐様を中心とし、勾欄などに和様、天竺様が加味されている。桜内には慶長から元和年間にかけて京仏師によって作られた釈迦三尊像、十六羅漢像などが安置されている。」
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唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味されています。
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三門をくぐります。
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本殿と東京タワーです。
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水盤舎(港区文化財)
「元は清揚院(3代将軍徳川家光の3男・6代将軍徳川家宣の父、甲府宰相綱重)の御霊屋にあった建物です。綱重は、延宝6年(1678)に逝去し、初め小石川伝通院に埋葬され、家宣の代に増上寺に改葬されました。御霊屋は増上寺本堂裏手に営まれていましたが、昭和20年(1945)の東京大空襲により他の御霊屋の建物とともにそのほとんどが焼失しました。
 この水盤舎は綱重の御霊屋建築の内、現存する唯一の建物であるとともに、徳川家霊廟の建造物として現存する数少ない遺構として貴重なものです。平成13年(2001)2月14日 港区文化財総合目録登録 港区教育委員会」
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柱には、水に縁のある建物の特徴として、波を形どった刻り物がある。
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三緑山 広度院 増上寺
明徳4年(1393)、浄土宗第八祖聖聡上人によって開かれた増上寺は、現在の千代田区紀尾井町にあたる「江戸貝塚」に創建され、室町から戦国時代にかけて、東国の浄土宗の要として発展してきました。
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大殿
間口二十六間余(約48m)奥行二十五間余(約45m)高さ七丈半余(約23m)総面積は10,535uという大きさの大本堂です。

明治に入って二度の大火、そして昭和の東京大空襲と災厄に見舞われますが、昭和46年(1971)から4年の歳月をかけ、現在の壮麗な大殿を建立し、復興を果たしました。
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石段を登りきった2階に本堂、3階に道場、1階に檀信徒控室、地価に三縁ホールなどを備えています。
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本堂には、ご本尊の阿弥陀如来(室町期作)、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめています。本堂内部はお勤め中は撮影禁止ですが それ以外は撮影してもいいそうです。金色の素晴らしいものですが不敬な気がして写しませんでした。鉄骨鉄筋コンクリート造  竣 工 1974年11月 ・2009年5月にリニューアルされました。


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2013年05月28日

増上寺芝大門 (港区)

浜松町駅からまっすぐ歩くと芝大門の交差点が見えます。
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途中の歩道には江戸時代の増上寺や近隣風景を描いた浮世絵のレリーフなどがあり 歴史ある街並を演出しています。
その大門近くにあるのが和風な公衆トイレ【大門際公衆便所】です。半地下の公衆トイレで、昭和7(1932)年に港区が設置しました。、和風の屋根が目立ち この小さな建物は何だろう?と思ってしまいます。正面に近寄ると 和式の便器が見えるのでトイレ!と気が付きます。大・小各1つの男女共同だそうです。ここ・・・入るのにちょっと勇気がいりそう。
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歩道にある和風公衆トイレ/大門際公衆便所
増上寺の朱塗りの表門(芝大門)はこのすぐそばです。
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大門(増上寺
所在地 港区芝公園1-7〜芝公園2-3 (増上寺)

大門沿革碑板
大門ハ三緑山増上寺ノ総門ニシテ古来江戸名所ノ一トシテ人口に膾炙セリ慶長十年徳川氏増上寺創建ノ造営ニ係ル明治十一年十月東京府ニ寄附ラレタリシガ其ノ後東京市ノ管理ニ帰スルヤ芝公園内ノ施設トシテ保存ニ努メタルモ近年破損著シク永久保存ニ堪エザルニ至リシ為地元芝公園改戻期成会並ニ株式会社不動貯金銀行協賛ノ下ニ其ノ原形ニ則リ新タニ復興ノ業ヲ起シ茲ニ其ノ竣功ヲ見タリ依テ之ガ落慶ノ典ヲ行フニ方リ由来ヲ略記シ以テ後世ニ伝フ  東京市 昭和十二年十月 昭和三十三年十二月 全國不動会 再板
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この辺の地名「芝大門」や都営地下鉄の「大門駅」はこの門に因んで命名されました。当時、この門の内側が寺社の境内でしたが、現在は、民間のビルで占められています。現在は、この奥の三門の内側が寺社の境内になっています。
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増上寺芝大門
当山の総門・表門にあたり、地名の由来になっている門です。現在のものは国道の通行整備のため、昭和十二年(1937年)に原型より大きく、コンクリート製に作り直されたものですが、旧大門は慶長三年(1598年)に江戸城の拡張・造営にあたり、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康公より寺の表門として譲られたものでありました。その旧大門は大正十二年(1923年)の関東大震災により倒壊の恐れが生じたため、両国・回向院に移築されましたが昭和二十年の空襲により焼失しています。
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門の脇に、安藤広重が安政5(1858)年に描いた芝神明と増上寺の浮世絵のレリーフがある。
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芝神明のだらだら祭りの様子を描いた浮世絵のようです。
大門からすこし先に行くと 安養院があります。
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最初の芝区役所跡(安養院) です。

所在地 港区芝公園2-3
 明治初期の地方制度は、改正がくり返され、東京の行政区域はなかなか定まらなかった。
 そうした中で、明治十一年(1878)七月二十二日、わが国地方自治制度のもとを作った郡区町村編成法が発布された。
 これにより、同年十一月二日、東京には十五区六郡がおかれ、芝区が誕生した。
 その時、この安養院に最初の芝区役所が設けられ、十一月四日に開庁し、初代区長に相原安次郎が任命された。当時の芝区は桜田・三田・白金・高輪の地域で、戸数14,757戸、人口58,861人であった。
 芝区役所は、その後愛宕町に移り、さらに大正十五年(1926)に現在の港区役所の位置(芝公園1-5-25)に移った。
 なお、芝・麻布・赤坂区は、昭和二十二年三月十五日、統合されて港区となった。
  昭和四十九年一月  東京都港区教育委員会

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2013年05月27日

芝公園1号地(港区)

芝公園1号地に行きました。芝公園芝公園地は増上寺を囲むように1号地から25号地まであります。
日本で最も古い公園の一つ。明治6年の太政官布達によって、上野、浅草、深川、飛鳥山と共に芝の5カ所が、日本で最初の公園として指定され、以後の公園造 成のさきがけとなりました。当初は増上寺の境内を含む広い公園でしたが、戦後の政教分離によって境内の部分が除かれ、環状の公園になりました。
園内には、歴史の古い公園らしく、クスノキ、ケヤキ、イチョウなどの大木がところどころにあります。
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江戸時代はこの辺まで増上寺の境内でした。芝公園内の川です。
戦前までは、この川の先の方向に五重の塔がありました。大きな石がたくさんあります。
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もしかしたら ここが湧き水のもとなのかしら・・と思いました。
園内の芝丸山古墳の麓にある約70本の紅梅・白梅の梅林は、新宿角筈にあり「銀世界」と呼ばれた梅林を、明治41〜42年頃に移植したという由緒のあるもの。梅林の梅が一斉に花を咲かせる様子は「梅屋敷銀世界」と呼ぶにふさわしい美しさだそうです。
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銀世界の梅
もと新宿角筈にあって江戸時代から銀世界と称せられていた梅林を明治41〜42年ごろ芝公園に移植したその標示碑です。元来17号地グランドの西にありましたが、道路拡張に伴い、昭和41年に現在地に移されました。
このすぐ後ろの石段をのぼると芝丸山古墳です。
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芝丸山古墳 東京都港区芝公園4-8
前方後円墳  全長125m(案内板では106m)
築造年代 5世紀

史跡指定 1979年3月31日(都史跡)
「全長106m前後、後円部径約64m、前方部前端幅約40m、くびれ部幅約22mほどの、都内最大級の規模を持つ前方後円墳である。標高16mの台地端に位置し、前方部を南南西に向けている。江戸時代以降、原型はかなり損じられており、墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。明治31年に、日本考古学の先駆者 坪井正五郎博士によって調査されたが、すでに後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は失われており、遺体や副葬品なども不明である。なお、埴輪を伴うことは知られている。前方部が狭く低い形態や、占地状態などから5世紀代の築造とみられており、そのころ、付近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路を抑えていた、南武蔵有数の族長の墓だったと考えられる。平成2年12月27日 再建     東京都教育委員会」
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芝公園自体が標高16mの台地上にあり、古墳はさらに高く土が盛られているので、頂上からの眺望は一段と広くなっています。
頂上部は、平らな広場になっていて、伊能忠敬の碑がありますが この日は頂上には行きませんでした。
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「円山随身稲荷大明神」
「丸山稲荷は、増上寺の裏鬼門に位置し、山内鎮守の重要な地を占め、史跡として指定されている丸山古墳上にあります。
随身稲荷の由来は、増上寺がこの地に移建当時 桑名よりお迎えしたご本尊を守護するために江戸までお供されたいわれにより、以来永く鎮守まします大明神であります。 大本山 増上寺」
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古墳の台地から下ると ザ・プリンスパークタワー東京東京タワーがすぐです。

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2013年05月26日

常照院/浅岡飯炊きの井戸(港区)

芝公園のほうに歩くと 芝公園郵便局があります。
この郵便局の外壁の装飾と街灯がしゃれていたので目につきました。
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街灯はUを三つ合わせたような感じです。
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これは なになのだろうか…灯りなのか 単なる装飾なのかわかりません。
このすぐ隣は常照院です。
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古そうな石造りの蔵のようなものが見えてなにだろう・・と思いました。
登録有形文化財(建造物)だそうです。
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港区 常照院
所在 東京都港区芝公園1-8-9
江戸/1769
土蔵造平屋建、瓦葺
、建築面積25u1棟
国登録有形文化財(建造物)平成13年11月20日指定
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「常照院は芝増上寺の子院のひとつ。内陣はもと念仏堂で,戦災を免れ,後に外陣などを加えて本堂の体裁を整えた。方2間半の土蔵造で,正面には重厚な観音扉を設ける。内部は後方に構えた仏壇・厨子,黒漆塗の格天井など,華やかで濃密な空間をつくっている。」
次は 港区役所です。
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私が港区に住んでいたころは もっと古い庁舎でした。
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昭和62年に建て替えられました。
その港区役所前には、浅岡飯たきの井というのがあります。
この井戸は新庁舎の開設にあたり、旧庁舎の中庭にあったものを、この場所へ移設されたものです。
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浅岡飯炊きの井戸(港区芝公園

「江戸時代、ここに良源院(増上寺子院)があり、仙台藩主伊達家の支度所であった。
仙台藩の家督相続をめぐる伊達騒動(寛文事件)の際、幼い嗣子の亀千代(のちの伊達綱村)を毒殺から守るため、母の浅岡の局が自らこの井戸で水を汲んで調理したと伝えられている井戸です。」

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2013年05月25日

渡邊ビル・クレッセント(港区)

浜松町の駅を降りるとすぐ目の前に「渡辺ビル」というレトロな感じのビルがあります。
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ドラマなどのロケ地になったこともあるようで、それなりに有名な建物だそうです。
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スクラッチタイルを多用した、擬帝冠様式風のオフィスビル。
玄関廻りは、緑色のボーダータイルで柱を化粧している。
ファサードは垂直リブの上に瓦屋根を乗せた厳かなデザインで九段会館に似ているがこちらのほうが九段会館よりも3年ほど前に竣工している。
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窓枠は、RC製の太いボーダーで三方を囲い、下端は水切り仕上げになっている。
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昭和6年(1931)竣工 RC造、3F建て
設計・施工 大林組
渡邊ビルヂングの表札がある。
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港区役所のほうに行くと 高級フランス料理のレストラン クレッセントの英国風煉瓦造り洋館があります。
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港区芝公園1丁目8−20
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竣 工 1968年9月
設 計 監 理 平島建築設計事務所
構造・用途 SRC造 地下2階 地上5階
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1947(昭和22)年に古美術商「三日月」の店舗として誕生した「THE CRESCENT」は、美術商とレストランを共同で営むため、1968(昭和43)年に後期ビクトリア朝風の格調高い建築様式を取り入れた地上5階、地下2階の英国風レンガ造りの洋館へとなった。
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高級すぎて私には食事は無理ですが 内部はかなり豪華だそうです。

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2013年05月24日

インターメディアテク(IMT)KITTE

KITTE内部の商業施設については、興味が無いので全くみませんでしたがミュージアムは行きました。
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インターメディアテク東京大学総合研究博物館とJPが共同で運営するミュージアムで、旧東京中央郵便局の2-3階部分にあります。
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総施設面積は2966平方メートル。常設展示の「MADE IN UMUT−東京大学コレクション」は、19世紀風の展示様式を採用し、旧帝大時代に使われていた設備を什器に使用。常設展は東京大学のコレクションから動物の骨格標本 蒸気機関の模型・昆虫・人体標本・数学標本など研究室内みたいにランダムに展示されている。また 山階鳥研の所蔵鳥類標本約300点も、保存、展示、公開されています。
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クジラやキリンなどの大型骨格標本もあります。鰐と思える大型標本も壁に張り付いていたりなかなか面白いです。
「一般的な博物館の展示方法を採用せず、同施設では「予期せぬものとの出合い」という博物学の前提に立ち返った「来館者自らが考えることができる展示」を目指した。そのため、あえて展示物にキャプションを付けず、鑑賞順路を設けない。」とのことで 自由に見ることができます。
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展示する学術標本は、骨格標本やはく製、植物標本、鉱物、幾何学関数実体模型など約7000点に及び 。全長約7.7メートルの「マチカネワニ」の骨格標本から直径約3ミリの「クダマキガイ」の一種まで 種々展示されています。そのほか、紀元前700年から1200年ごろに生息した巨鳥「エピオルニス」の実物大骨格標本や、史上最も背が高いとされる巨鳥「モア」の卵の殻、最古の人類とされる「ラミダス猿人」の上顎歯のレプリカなど、希少性の高い標本もあります。
ダチョウと並んで巨鳥「エピオルニスの標本がありましたが 最初こんな大きな鳥だとは思わず「恐竜」かと勘違いしました。
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2013年05月23日

KITTEの屋上庭園から見る東京駅

KITTEの6F屋上庭園から東京駅がよく見えるというので行ってきました。
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芝生が敷き詰められています。
旧東京中央郵便局地代の煙突も保存されています。灯台のようです。
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パノラマ写真です。(少し大きめの写真です。)
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屋根飾りや塔頂部の形もよく見えます。
東京駅丸の内南口ドームです。屋上庭園と同じ高さで見ることができます。
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屋上庭園から見る復原された東京駅丸の内駅舎。
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下から見ると南口のほうはあまりよく見えませんが ここからはよく見えます。
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東京駅構内のこんな景色もよく見えます。
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KItteについては前に外観などのブログを書いています。
http://umeno87.sblo.jp/article/64573519.html
東京駅についても書いています。
http://umeno87.sblo.jp/article/59477384.html
http://umeno87.sblo.jp/article/59428084.html
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2013年05月22日

葛西臨海公園のポピー畑2013

江戸川区にある都立葛西臨海公園 観覧車下大規模花壇(芝生広場)に今年もポピーを見に行きました。
葛西臨海公園では、ポピーの花が見ごろを迎えていました。(5月17日)
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観覧車下大規模花壇 芝生広場のポピーが満開です。
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昨年は終わりかけでしたから今年は満開を見れて、昨年の景色とは全然違うと思いました。
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矢車菊がアクセントになっています。
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時々風に揺れて それがまた極楽浄土のようでした。
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約4,500uの大規模花壇に咲き乱れ美しいです。
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なだらかな丘に咲いているので よく目立ちます。
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ポピー以外にもヤグルマギクなどのワイルドフラワーが咲いています。
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この花壇は、ボランティアの協力により、年間管理を行なっているそうです。種まきの時の写真がありました。
6月1日(土)・2日(日)は、“ポピーの花摘み”で 無料で花摘みができます。
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池に赤い色が映っています。
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池には睡蓮が咲いていました。
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2013年05月21日

総合レクリエーション公園『フラワーガーデン』(江戸川区)

地下鉄東西線葛西駅です。駅前に風車があります。
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すぐ目の前のバスターミナルからバスに乗り「総合レクリエーション公園」に行きました。
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「総合レクリエーション公園」はひとつの公園ではなく、江戸川区の葛西・西葛西周辺で東西3kmに亘って連なる10を超える施設の総称です。目的によってさまざまな遊び方ができます。広くて細長い園内の移動は、パノラマシャトルが便利です。が・・・このシャトルは運行本数が少ないのが難です。
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フラワーガーデンのバラ園を見ました。
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フラワーガーデン 噴水や花壇に咲く花が美しい。
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約100種類のバラが植えられているそうです。
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花いっぱいの洋風庭園です。
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整備が行き届いていてどこからみても綺麗です。
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真ん中に噴水 パーゴラ。
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まわりは花を楽しむ遊歩道。
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ちょうど見ごろで満開です。
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ここは四季の花が楽しめる憩いの庭園だそうです。
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今回はフラワーガーデンのバラだけを楽しみました。
次は再びバスに乗り葛西臨海公園のピーを見に行きました。

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2013年05月20日

プリンス芝公園のバラ園(港区)

芝公園にあるザ・プリンスパークタワー東京のバラ園に行きました。
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ホテルの敷地内に綺麗にバラが植えられています。
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中央部は大きな円形の芝生になっていて そのまわりにバラ園があります。
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日影がないので 暑かったです。
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バラが植えられた遊歩道を歩きながら散策できるホテル内の公園ですが 無料で入ることができます。
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増上寺も見えます。
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何といってもこの景色が一番です。
東京タワーの全体像を地上から間近で綺麗に見る事ができます。
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バラと東京タワーです。
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これはガーデンチャペルのバラです。ウェディング式場なのでよくお手入れされた淡い色の花がきれいに咲いていました。
今年の春バラはそろそろ終わりですが ここは秋バラも楽しめます。

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2013年05月19日

北区飛鳥山博物館

北区飛鳥山博物館は、北区の歴史を環境や風土のなかでとらえる「郷土風土博物館」の実現を目指し、地域に関連する資料の「収集・整理・保存」「調査・研究」、また「展示」や「教育普及」などの博物館活動を展開しています。また、区の貴重な文化遺産を保存・継承していくために、文化財の調査研究、保護活用事業をおこなっています。(北区)
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常設展示は一つの象徴展示と14のテーマ展示から構成されています。
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館内撮影は許可証をもらいます。階下に降りると展示室です。
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まず これが目に入ります。あとは順番に見ていきます。
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どの区にもそれぞれの博物館や郷土館があるのでそう珍しいものではありませんでしたが 王子の地形や発展の様子がわかりました。
3Fの「人間国宝 奥山峰石 新収蔵品展〜日本が誇る匠の技〜」を見ました。
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北区飛鳥山博物館3F「飛鳥山アートギャラリー」
これまでに区が蒐集した、北区名誉区民で人間国宝・鍛金作家奥山峰石氏の作品11点と、平成23年に新たに入手した作品13点の合計24点すべての作品を前・後期1年かけて展示しています。
3つの博物館を見たので 飛鳥山を出ます。
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現在地とあるところにある石標です。
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六石坂の説明です。
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『東京都設置坂道標柱』 西ヶ原2-16地先
東京府村誌に「長さ二十四間広さ三間元と坂上に租六石を納る水田あり故に云ふ」とある。江戸切絵図には「六コク坂」と記されている。
この道は岩槻街道(旧日光御成道)で、飛鳥山の前へと続いているため花見時などには賑わいをみせた。
付近にはこの辺りに鷹狩などに来た将軍の休み場としての御立場もあった。
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現在はこんな感じです。
この道を 西ヶ原のほうに向かうと上中里駅の入り口蝉坂の角に浅見光彦ミステリーシリーズ(作家は内田康夫)で有名な平塚神社があります。
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平塚神社 東京都北区上中里1-47-1
祀られているのは、源義家、源義綱、源義光
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平塚神社は清光寺と同じく、中世の豪族・豊島氏に縁のある地です。

かつては豊島氏の館があり、源義家が奥州征伐から凱旋したときにこの館に滞在し、 その礼に鎧と守り本尊の十一面観音像を譲ったといわれています。境内の裏手にはその鎧を埋めたと伝えられる甲冑塚(かっちゅうづか)があります。 北区指定有形文化財の「紙本著色平塚明神并別当城官寺縁起絵巻」(しほんちゃくしょくひらつかじんじゃえんぎえまき)、 古文書「平塚神社文書」(ひらつかじんじゃもんじょ)を所蔵しています (非公開)。
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すぐお隣は 平塚亭 つるをか
浅見光彦は母を籠絡するにはこれに限ったという 母親の雪江が好物だという団子を時々買います。
それが この「平塚亭」なのです。
買ったものをその場で食べました。さすが 雪江が好物のお団子は美味しいのです。
お稲荷さんも食べ 大福もちを土産に買いました。
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上中里駅のほう蝉坂下ります。
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説明: 六阿弥陀堂の途上でもある蝉坂という名称は江戸時代の後半にはあったようで、幕府の編纂した地誌『新編武蔵風土記』上中里村の項に「平塚明神ノ傍ニアリ、登リ三・四十間」とあり、このあたりから平塚神社の参道に沿って約五十四mから七十二m余を登る坂道だとあります。坂を登りきって少し歩くと日光御成道と合流しますが、西ヶ原一里塚の方向へ右折してすぐに左折すると六阿弥陀堂第三番札所の無量寺へと向かう道に入ります。明治時代初期の『東京府志料』では「或云、攻坂ノ轉訛ナリト」と室町時代の平塚城をめぐる合戦を彷彿とさせるような坂名の由来を記しています。現在の坂道は昭和十八年七月、昔の坂を拡幅して出来た道です。設置者: 北区教育委員会

すぐ前の上中里駅から電車に乗り帰宅しました。


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2013年05月18日

紙の博物館 (飛鳥山公園)

紙の博物館は、東京都北区の飛鳥山公園内にある、紙専門の博物館です。北区は洋紙の発祥地。明治6年王子村に渋沢栄一によって抄紙会社が設立され、日本の製紙工業の先駆的な役割を果たしました。紙の博物館は、昭和25年にレンガづくりの製紙工場の建物を使い、開館したのがはじまりです。紙に関する資料は50,000点以上に及びます。北区)
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館内に入るとロビーに「ボロ蒸煮釜」が展示されています。入口は2階です。
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ボロ蒸煮釜」は衣服のボロをこの釜で煮て、紙の原料にしていました。昭和40年(1965)まで特種製紙岐阜工場で実際に使用されていました。
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第1展示室では現在の製紙産業における原料・製造工程・製品・製造機械などを展示しています。
光が反射してわかりにくいので 白黒写真にしてみました。
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撮影はフラッシュなしで 許可されています。
3階〜4階では東洋・西洋の製紙の歴史や、現在の紙作りの技術を見ることができるます。
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着物もお城も 紙製品です。
第2展示室 紙の教室だそうです。
第3展示室 紙の歴史が学べます。
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これは金唐革紙の製造工程です。
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第4展示室では企画展示・特別展示が開催されます。
この日は 創作折り紙 吉澤章作品展が開かれていました。
94年の生涯を折り紙に捧げた吉澤章氏は、折り紙を独創的な芸術の域にまで高め、世界の共通語「ORIGAMI」として広めた、創作折り紙の第一人者でした。

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2013年05月17日

渋沢史料館(北区飛鳥山公園)

飛鳥山公園といえば「さくら」が有名です。

 [この地を桜の名所に仕立て上げたのは、八代将軍徳川吉宗でした。約280年前、吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、江戸っ子たちの行楽の地とするため、飛鳥山を桜の名所にしたのです。こうして江戸の新しいお花見の名所として誕生した飛鳥山は、当時、桜の名所地では禁止されていた「酒宴」や「仮装」が容認されていたため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しみました。北区」
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「飛鳥山公園」の名の通り一帯は小高い丘になっているので モノレールがあります。
北区飛鳥山公園内には「北区飛鳥山博物館」「紙の博物館」「渋沢史料館」の3つの博物館が」あります。
3館共通入場券(一般720円)です。
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渋沢史料館は、日本の近代経済社会の基礎を築き、生涯「道徳経済合一説」を唱え、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一[1840(天保11)〜1931(昭和6)年]の全生涯にわたる資料を収蔵、展示しています。

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入口には大きな石像があります。
鉄筋コンクリート造の展示施設で1階に閲覧コーナーとミュージアムショップ、2階に常設展示室と企画展示室があります。
見てもあまり興味がないので さらりと眺めて青淵文庫のほうに行きました。
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建物の前に置かれていたものです。
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露台下より出土した「まぐさ」
 露台下部の掘削中に土に中より発見されたものである。
これは扉や窓の開口部上部に架ける「まぐさ」と呼ばれる部材で、形状、寸法から「控室」(台所北側)出入口の「まぐさ」であることが判明した。表面に張られたタイルの裏面の刻印「泰平」の文字の跡や鋼製建具を固定した金具、壁の漆喰塗が残っていることから、建物は、タイルを張り、建具を取り付け、壁の仕上げ終えた完成間近の状態で1923(大正12)年9月に、 関東大震災によって壁が崩れるなどの大きな被害をうけた事がわかる。
 また、タイルは京都の「泰平居」という工房でつくられたこと、青淵文庫の主要構造は煉瓦造りであったが「まぐさ」部分には鉄筋コンクリートが用いられていたこと、などがわかる。
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露台基礎
 青淵文庫創建時の露台(那智黒石が敷きつめられたテラス部分)基礎の一部である。コンクリートを打った上に煉瓦を積み、基礎としている。煉瓦の上には、露台の縁石として御影石を敷き並べていた。
 枡と土管は雨水を排水するためのもので、排水口には鋳物のふたを設けていた。露台には緩やかな勾配がついており、雨水は露台の端の要所に設けられた集水枡に流れ、各枡をつなぐ土管を流れ、下水本管に排水されていたようである。
 2002(平成14)年の修理で、露台の基礎は補強のため鉄筋コンクリート造りに改められた。

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2013年05月16日

晩香廬(渋沢史料館)

庭をはさんで反対がわにあるのが 晩香廬です。
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晩香廬
(ばんこうろ)は、渋沢栄一(しぶさわ・えいいち 1840-1931)の喜寿を祝って清水組が贈った和洋折衷の建物で、接待などに使用されました。晩香廬の名は、 栄一自作の漢詩文「菊花晩節香」から採ったとも、 栄一の父の法名から採ったとも、「バンガロー(bungalow)」を捩ったものともいわれています。
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内部見学はできますが 撮影は禁止です。
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渋沢史料館晩香廬
大正/1918
木造、建築面積79.24平方メートル、1階建、桟瓦葺
東京都北区西ヶ谷二丁目16番1号
重文指定年月日:20051227
国・重要文化財(2005.12.27
設計 田辺淳吉(清水組技師長)

施工 清水組
旧渋沢家飛鳥山邸は,曖依村荘と呼ばれた渋沢栄一の邸宅である。晩香廬は,渋沢栄一の喜寿を記念して贈呈された小亭(談話室)で,大正7年に竣工した。木造平屋建,寄棟造,赤色桟瓦葺である。洗練された意匠と精緻な造形により,工芸品ともいうべき建築作品に仕上げられている。

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応接部分と厨房、化粧室部分をエントランスで繋いだ構成で、構造材には栗の木が用いられている。
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入口。むかって右側が談話室。
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壁は隅部に茶褐色のタイルがコーナー・ストーン状に張られ壁は淡いクリーム色の西京壁。
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エントランスからむかって左側部分。
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談話室を外から写しています。
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談話室の天井のレリーフはかわいい動物たちです。
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窓にもきめ細やかな意匠が見られます。
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応接間の空間は勾配の付いた船底状の天井で腰羽目の萩茎の竪廉、暖炉があります。
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暖炉の上には、タイルで「寿」の文字が描かれていたりハートのモチーフがあったり 職人の遊び心がところどころに見られます。
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外に置かれていた青銅の大きな香炉。由緒書きはありませんでした。

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2013年05月15日

青淵文庫(旧渋沢家飛鳥山邸・渋沢資料館)

北区飛鳥山公園内 に青淵文庫があります。
この門の奥 敷地内には晩香廬もあります。渋沢資料館に入館するとこの二つの建物の内部を見ることができます。
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青淵文庫(せいえんぶんこ)は、 渋沢栄一(しぶさわ・えいいち 1840-1931)の傘寿の祝いと、 男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社が寄贈した建物です。1925(大正14)年の竣工で、栄一の書庫として、また接客の場としても使用されました。
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渋沢史料館青淵文庫
国・重要文化財(2005.12.27)
竣工 1925年(大正14年)
東京都北区西ヶ原2-16-1飛鳥山公園内
設計 中村・田辺建築事務所
施工 清水組
構造 鉄筋コンクリート・煉瓦造2階建て
建築面積 213.67m2
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入口。
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入口前のテラス部分
書庫があった2階は公開されておらず、入れるのは1階の広間2つだけ。
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内部の撮影はステンドグラスのある部屋と階段部分だけ可能です。
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室内から見た階段部分です。
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階段には椅子が一つ。
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ステンドグラス
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ステンドグラスには、渋沢家の家紋「違い柏」。昇り龍と下り龍。
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テラス側から見ればこういう感じです。
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祝意を表す「寿(テーブルの下)」、 竜門社を示す「竜」などがデザインされています。
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外のフェンスにも 壽。
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青淵文庫の名は、 栄一の雅号「青淵」にちなんで名付けられました。
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カバーの中は 暖房用 電熱ヒーターと思われます。
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書庫があった2階は公開されていません。外から見ると円形の階段部分がわかります。階段室は円筒形でその頂部はドームになっている。
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この建物がある飛鳥山には、 かつて栄一の旧邸宅「曖依村荘(あいいそんそう)」があり、 1901年(明治34年)から栄一が亡くなる1931年(昭和6年)まで本邸として使われていました。 1945年(昭和20年)4月の空襲で大部分の建物は焼失しましたが、 晩香廬と青淵文庫は焼失を免れました。次は晩香廬に行きます。
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2013年05月14日

大谷美術館(旧古河庭園内)

旧古河庭園(東京都北区)北区西ヶ原1−27−39
元々は日清戦争時の外相として有名な、陸奥宗光所有の敷地でした。 次男が古河財閥へ養子に入って古河家の所有となり、大正6年に古河家三代目にあたる虎之助が、洋館と庭園を築きました。 完成後、古河財閥の迎賓館として使われ、戦後は進駐軍の宿舎を経て国の所有となりました。 古典様式の洋館(大谷美術館)と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア コンドル博士(1852〜1920)です。
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竣工 1917年(大正6年)

所在地 東京都北区西ヶ原1-27-39 古河庭園内
設計 ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)

構造 煉瓦造2階建て、天然スレート葺
現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国の名勝に指定されている。
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本館建物内の見学は、事前申し込みが必要なのですが この日は当日分のあきがあり内部の見学することができました。
525円。1時間ほどの案内ですが非常に丁寧な説明でした。撮影は禁止されています。
1Fホールにはツタの絡まる洋館の写真があります。関東大震災時は、敷地全部を開放して避難者を受け入れたとのことです。敗戦後は、GHQに接収され、その後、三十年余りは、無人となり、荒れ果てましたが3年の月日をかけて補修したそうです。できるだけ当時のものをそのままに残し修復したとのことです。
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地上2階、地下1階、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)を加工せずに積み上げた野面積み。天然スレート葺(ふ)きの切妻屋根には英国調の煙突が立っています。
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1階の応接室や食堂は落ち着いた空間。一階は大理石造りのマントルピースやシャンデリアがあり ダイニングルームや朝食用の少し小さめの食堂などがあります。喫煙ルームもあります。迎賓館として 「1階は来客の応対のため、2階は家族の生活のため」というように区別されています。みがかれた照明も当時のままのものだそうです。大食堂の腰板は会話が聞こえやすいように高くしてあります。、50cmもの厚さの壁には驚きます。天井の精巧なレリーフは見事で日本の職人さんの技の極みに感動しました。
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2階の客間や家族用の部屋はなんと和室なのです。たいてい和館が別につくられているのですが 日本に住み 着物を着、日本人をよく知るコンドルらしい設計で 驚きです。和室には、真行草の三つの格がありますが 客間は最高の造作の和室です。ドアを開けると ふすまがあり 違和感のないように作られています。欄間などの技を受け継ぐ職人さんがいなくなっているとのことです。
二階ホールから見れば洋風。ドアの中は和風というような感じです。仏間 客間だけでなく 家族の居室も和室です。
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洋と和の調和 。それぞれが独立しているので和洋折衷ではなく 「日本建築の粋を凝らした完全なる和室を持った洋館」なのです。
風呂はなんと大理石の 丸形の五右衛門風呂のような形のバスタブです。
お湯がでるだけの風呂なので さぞかし寒かろう。。。と。
家族3人に 使用人50人ほどだったそうで たった9年しか住まなかったということです。
派手でなく 見た目質素ですが 実はそれが上質のものだったりします。ステンドグラスなども多色ではない落ち着いたものです。
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玄関です。
案内は1時間ちょっとにもなりましたよくわかる解説でした。
1階から二階へと案内され 1階ホールにもどり 解散しました。喫茶の申し込みをして お茶とケーキを注文。窓からバラをみながら至福のひとときをすごしました。

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2013年05月13日

旧古河庭園のバラ

北区西ヶ原にある 旧古河庭園 は、バラの庭園として有名です。
バラが見ごろなので行ってきました。
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春と秋に約90種180株の華やかなバラが咲き誇る洋風庭園があります。
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この地には、 明治の元勲・陸奥宗光(むつ・むねみつ 1844-1897)の別宅がありましたが、 宗光の次男・潤吉(1869-1905)が、 足尾銅山で知られる古河財閥の創始者・古河市兵衛(ふるかわ・いちべえ 1832-1903)の養子になった際に邸宅も古河家の所有となりました。
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台地上に洋館を、斜面上に洋風庭園、台地下の低地部に日本庭園が配置されています。
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色とりどりの花が植えられています。洋館のすぐ下にテラス式庭園があってバラ、ユッカ、シュロの花壇になっています。 
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この洋館で お茶を飲むことができるのです。シーズン中は大勢の見学者で賑わうそうです。
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食堂やテラス席からみるバラ園はとても美しいです。
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中からの撮影は禁止されているのですべて外からの撮影です。
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日本庭園との境には つつじが植えてあります。
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敷地面積は3万uを越える広大な旧古河庭園、昭和57年には東京都文化財に指定されています。
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武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。
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洋風庭園の設計はジョサイア・コンドルが行い、 和風庭園は京都の庭師・七代目小川治兵衛(おがわ・じへい 1860-1933)の手によるものです。お互いを遮っているので、見た目に違和感はありません。 見事に和・洋両式を使い分けた庭園です。
建物については 次に書きます。

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2013年05月12日

都電荒川線のバラ

都電荒川線のバラが見ごろだということで 見に行きました。
都電荒川線は、東京都荒川区南千住1丁目の三ノ輪橋停留場から、新宿区西早稲田1丁目の早稲田停留場までを結ぶ、都内で唯一現存している東京都電車(都電)の軌道路線です。
町屋駅から乗りました。
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都電は平成19年に昭和初期をイメージしたレトロ車両を挿入したとのことです。
線線路沿いバラを楽しみながら 三ノ輪橋駅まで乗ります。
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電車は1両のワンマン運転です。料金は大人160円。三ノ輪橋駅から早稲田駅まで12.2 km,30駅を日中標準53分で走ります。
日中は5〜6分間隔の運転ですが かなり混んでいました。
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三ノ輪橋駅です。
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「三ノ輪橋」は関東の駅百選認定駅です。
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駅前には大きなバラのアーチがあります。
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ここは駅前でバラをゆっくり見ることができます。
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荒川区内の都電沿線のバラは、荒川区とボランティアグループ「荒川バラの会」が維持管理を行っているそうです。
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駅前には商店街があります。喫茶店に入りました。12時まで「モーニングセット」があるというので 頼みました。
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喫茶店そのものが 少なくなって食べる機会がなかったので とてもなつかしくて味わいながら食べました。
ゆで卵と厚切りトースト、ミニサラダにスープ、コーヒーで500円。下町じゃないと食べられない値段です。
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再び電車に乗ります。
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途中駅のフェンスにもバラのレリーフがありました。
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車内が混んでいたので 線路沿いのバラは眺めるだけにし北区の 飛鳥山まで行きました。
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2013年05月11日

千代田区立 日比谷図書文化館

日比谷公園内に千代田区立 日比谷図書文化館があります。
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前身は東京市立日比谷図書館→ 東京都立日比谷図書館 です。
「1908年(明治41年)、東京市立日比谷図書館として開館。以後、東京市立図書館の中心館としての機能を果たす。1943年(昭和18年)東京都制施行により、東京都立日比谷図書館となる。1945年(昭和20年)5月25日の空襲で全焼した。空襲によって発生した火災に対しては脆く、館長中田邦造の判断で空襲前に一部蔵書は疎開されたものの、209,040冊(東京都調査)の蔵書が消失した現在の施設は1957年10月に落成した。」
太平洋戦争の末期に、東京で“図書の疎開”が行われていました。1944年から45年にかけて、日比谷図書館の図書館員や都立第一中学校の生徒たちが、蔵書や市民の書籍約40万冊本を疎開させ、東京大空襲による同館の焼失から書籍を守りました。
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2009年7月1日に千代田区に移管。
2011年11月オープン。旧・都立日比谷図書館から受けついだ図書フロア、明治期の洋書が揃う特別研究室、常設展と企画展ふたつのミュージアム、大ホール・小ホール・会議室を備え、学びと交流を促進する総合文化施設です。
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常設展示室「千代田にみる都市の成立と展開」を見ました。
環境・人間・都市」を基本軸に、千代田の古代から現在までの歴史を全5室の構成で区の文化財とともに展示しています。
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江戸から東京へと移り変わる様子や 江戸の中心地としての発展や歴史を知ることができます。

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2013年05月10日

日比谷公園散歩3

日比谷公園は 幕末までは松平肥前守などの屋敷地でしたが、明治時代に陸軍練兵場となりました。その後「都市の公園」として計画、設計、造成された、日本初の「洋風近代式公園」が誕生し、今年は110年目になります。
公園にはいくつかの古い門柱があります。
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石柱に刻まれた門の名前と、その場所の門の名前が一致しないのです。石柱に日比谷公園開園時の年月が刻まれています。日比谷公園の門柱に刻まれた名前は、全て江戸城外堀にあった門の名前です。江戸から東京に変わり、新しい都市開発にともない江戸城の外側の石垣が取り払われ その石垣の一部を利用して門柱をつくったとのことです。江戸城の石垣の再利用なのです。
日比谷公園には面白い石もあります。
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石貨
この円形の石は、南太平洋ヤップ島(現ミクロネシア連邦)でお金として使われていた石の貨幣で、石貨と呼ばれるものです。石貨は小さいもので直径6cm位から、大きいもので直径3mに達するものまであります。
一般に、1.直径の大小 2.表面が滑らかか粗いか 3.形のよしあし 4.運搬の難易によって価値が決められました。この石貨は直1.35m短径1.00mのほぼ円形で、大正13年(1924)頃、1000円位で通用したと言われています。
大正14年(1925)1月 ヤップ島支庁長寄贈
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南極の石
 この石は、南極昭和基地から4kmの地点にある、東オングル島の慎太郎山(標高40m)で、日本の南極観測隊が採取しました。重さは150kgの片麻岩(へんまがん)です。南極観測船『ふじ』が持ち帰り、昭和41年(1965)4月14日、日比谷公園に設置されました。
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鳥帽子石
この石は、江戸時代、江戸城外郭市ヶ谷御門の石垣の中にあったもので、形が烏帽子(えぼし)(昔、元服した男子のかぶりものの一種)に似ていたため、人々から烏帽子石と呼ばれて珍重されていたものです。
 明治時代、道路拡張に伴い石塁が取り壊された際、永く保存するためこの日比谷公園に移されました。
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古代スカンジナビア碑銘譯(ひめいやく)
 スカンジナビアの人々が、1957年2月24日ヨーロッパより北極経由で、日本への空路を開拓しました。この碑は、北極航路開設10周年を記念して寄贈されたもので、スカンジナビアのバイキングの古代北欧文字碑を模したものです。
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日比谷グリーンサロンでは食事ができます。緑のプラザはいろいろなイベントが行われます。
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日比谷パレス
レストランウエディングができます。
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日比谷野外音楽堂
完成 1942年  収容人員 3,000人
初代の大音楽堂は1942年(昭和17年)に建造、1982年(昭和57年)8月老朽化のため閉鎖。翌1983年昭和58年)8月より新築再開し、現在に至っている。
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小音楽堂
当初は現在の大音楽堂の位置にあったが、関東大震災で倒壊し、現在の位置に再築された。
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大正12年(1923年)7月に開設された日比谷公園に生まれた初代の日比谷野外音楽堂は明治時代にできた(当初は小音楽堂のみ)。日本最古の野外音楽堂である。
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第二花壇の大きなソーラー時計

ソーラー時計の中の十字形のパネルの中には太陽電池が組み入れられていて、太陽の光を受けて電気に変えて時計の針を動かしています。このソーラー時計は、東京都が「文化のデザイン」事業の一環として、「時代の要請にマッチしたもの」との考えで設置したものです。
設置は1983年3月。

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2013年05月09日

日比谷公園散歩 2

日比谷公園の最大のシンボル「大噴水」です。
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毎日午前8時から午後9時まで稼動。28分間周期で24景を楽しめる。噴水池は上中下段 の三段構造。池の直径は30m。主噴水の吹き上げ高さは12m。夜間照明付き。
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大噴水・小音楽堂・噴水広場・第二花壇付近は日比谷公園の代表的な景観です。
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松本楼は日比谷公園内にある老舗洋食屋で、1903年、日比谷公園の開園と同時に開業。毎年秋の10円カレーは有名です。
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東京都の木 イチョウ
「この大イチョウは、日比谷公園開設までは、日比谷見附(現在の日比谷交差点脇)にあったものです。
 明治32年(1899)頃、道路拡張の為、この大イチョウが伐採されようとしているのを見て驚いた、日比谷公園生みの親、本多静六ほんだせいろく博士が東京市参事会の星享ほしとおる議長に面会を求め、博士の進言により移植されました。
 移植不可能とされていたものを、博士が「首にかけても移植させる」と言って実行された木なので、「首かけイチョウ」の名があります。」
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雲形池
「心字池と共に日比谷公園開園当時からの面影を残すドイツ風庭園様式の池です。池内には、はばたく姿の『鶴の噴水』が置かれ、緑に覆われた静けさの中で、心地よい水音を響かせています。冬になると、その広げた翼からいくつものつららが下がり、その姿は公園の冬の風物詩になっています。」
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鶴の噴水
「この噴水は、明治38年頃東京美術学校(現在の東京芸大)の津田信夫、岡崎雪声両氏に依頼製作したもので、公園等での装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものとのことです。ちなみに1番目は長崎諏訪神社、2番目は大阪箕面公園。当初は、鶴と台座とも銅製でしたが戦時中の金属回収で台座が石造りとなったものの、水面に薄氷が張り鶴の像につららが下がる景色は、当公園の冬の風物詩となっています。 」
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石橋
 「この石橋は、芝増上寺霊廟の旧御成門前桜川にかけてあった石橋の一つで、市区改正(現在の都市計画事業)の道路構築の時、ここに移したと伝えられています。 素朴なうちにも力強く、江戸時代の彫りの深さを漂わせています。」
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馬の水飲み場跡
「日比谷公園開設当時(明治36年)の照明灯(アーク灯)と、同じデザインで作られた鋳鉄製の水飲みです。陸上交通の重要な部分をになっていた馬が、水を飲んだといわれています。この水飲みは、日比谷公園開設当時〔明治36年(1903)〕のものです。鋳鉄製で重厚ななかにも細かな装飾が施され、デザイン的にも見応えがあります。また、馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。 」
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京橋の欄干柱
「この石柱は、明治8年(1875)築造された京橋の欄干柱(らんかんばしら)で、大正11年(1922)架け替えの際にここに移されたものです。
当時は、橋名を刻んだ親柱もありましたが、昭和9年(1934)京橋の橋台地が整備されたときそちらへ移されました。」

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2013年05月08日

日比谷公園散歩 1

日比谷公園を散歩しました。
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現在地とある 有楽門から入ります。
すぐに 日比谷見附跡の石垣が見えます。
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 日比谷見附跡
 「この石垣は、江戸城外郭城門の一つ、日比谷御門の一部です。城の外側から順に、高麗門(こまもん)・枡形(ますがた)・渡櫓(わたりやぐら)・番所が石垣でかこまれていましたが、石垣の一部だけが、ここに残っています。当時、石垣の西側は濠(ほり)となっていました、公園造成時の面影を偲び、心字池(しんじいけ)としました。」
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心字池は日比谷公園ができる前はでした。その面影を残すために公園造成時に池としたもので、全体を上から見ると「心」の字をくずした形をしています。このような池を心字池といい、禅宗の影響を受けた鎌倉、室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法のひとつです。
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フェリーチェガーデン日比谷」のちかくにある 松石
「 今から3〜5千万年前の植物が、水底に運ばれ埋没された後、珪酸質(けいさんしつ)の液がしみこんだものを珪化木といいます。
 北九州の炭田では、炭素中に珪化木が含まれ、これを松石または松炭と呼んでいます。
 ここにあるものは、昭和初期、福岡市外亀山炭坑の地下300mのところから長い木のまま発見されたものの一部です」
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淀井敏夫 《キリンの仔》
展示場内の広場に置かれている彫刻「キリンの仔」
その日は山野草展開催中でした。
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三笠山
この小丘を含むテニスコート西側の一帯は三笠山と呼ばれています。
 公園造成時に池などを掘った残土で作られた人工の山で、その当時は全体が三つの笠をふせた形に似ていたのでこの名が付いたといわれたいます。その後、テニスコートの造成など周辺の整備に伴い、山の形は変わりましたが、三笠山の名は残りました。
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東京都の電気のマンホール蓋
「都立公園」「低圧」の文字、都の花「ソメイヨシノ」と都の木「イチョウ」、 都の鳥「ユリカモメ」のデザイン。  
三笠山の先にあるのが 自由の鐘
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1952. 4.(昭和27)ダグラス・マッカーサー将軍の提案によりアメリカの匿名有志から連合軍総司令官リッジウェイ大将を通じて、(社)日本新聞協会に贈られたものです。さらにそれは東京都に寄贈され、同年10月日比谷公園に設置されました。
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自由の鐘
「自由の鐘は一七七六年米国の独立宣言に際し自由の喜びを天下に告げた歴史的記念物である。しかしこの鐘はその鐘銘の聖句にもある通り「すべての国とその住民に自由を告げる」自由の象徴である。米国民間の匿名有志はその複製を連合軍総司令官リッジウェイ大将に託し、これを広く日本国民に贈りたいと申出た。よつてリッジウェイ大将は自由の擁護者たる新聞を通じ広く日本国民に贈ることが最も寄付の趣旨に副うものとして昭和二十七年四月日本新聞協会に寄贈された。日本新聞協会は日比谷の一角に自由の鐘塔を建造してこれを東京都に寄贈し広く国民と共に自由の鐘の歴史的意義を銘記せんとするものである。昭和二十七年十月社団法人 日本新聞協会」
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戦後平和憲法の発布を記念してアメリカ市民有志より贈られ設置された自由の鐘は その後消失し、塔も老朽化したため有志が募金を集め修理。自由の鐘のレプリカを製造。平成23年10月1日日比谷公園で自由の鐘復活の打ち初め式が行われ、約60年振りに鐘の音色を響かせました。全自動式で毎日正午になると鳴るようです。
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1776. 7. 4(安永 5)アメリカで独立宣言に署名されたときに打ち鳴らされた自由の鐘は現在、署名が行われたペンシルバニア州フィラデルフィア市の独立記念館(Independence Hall)(旧州庁舎)そばのパビリオンにあり、独立と自由を象徴する鐘(Liberty Bell)として保存されています。

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2013年05月07日

フェリーチェガーデン日比谷(旧日比谷公園事務所)

日比谷公園のペリカンの噴水のすぐ前にあるのが、「フェリーチェガーデン日比谷」の建物で旧・日比谷公園管理事務所です。
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明治期のドイツ風バンガロー洋式の木造建築物です.
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フェリーチェガーデン日比谷(旧日比谷公園事務所)
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旧日比谷公園事務所(東京都公園資料館) 一棟
千代田区日比谷公園1−1 日比谷公園内
建造年・1910年(明治43年)
都・指定有形文化財(1990.03.22)
 「旧日比谷公園事務所は、わが国最初の洋式公園であった日比谷公園の管理事務所として、明治四十三年(1910)十一月に竣工した建物である。設計者は東京市に勤める技師福田重義であった。
 建物の規模は桁行12・6M、梁間7・2M。現在は一階部分に倉庫・物入・厨房・便所、二階部分に ベランダ・ホール・展示室・事務所などが設けられている。 昭和五十一年(1976)に公園資料館として使用するため内部を改造しているが、構造の躯体、軸組、外観の変更は僅かでよく旧態を留め、二階の展示室にある腰板・棹縁天井・ベイウィンドーの腰掛け、また階段などに当初の名残りがある。
 この建物は、洋式の日比谷公園に相応しいように設計されたドイツ・バンガロー風の瀟洒な建築物で、 明治期の数少ない近代洋風建築の一つとして建築史上貴重である。東京都教育委員会」
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旧日比谷公園事務所。

この建物は、日比谷公園の管理事務所として建設された、 明治期のドイツ風バンガロー洋式の木造建築物です。 設計は東京市営繕課技師の福田重義(1887-1971)です。
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森の中の小さな一軒屋という風情.
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半円形の窓といい 石造りといいアルプスのロッジという感じです。
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横からみた建物。
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現在、民間に運営委託され教会を併設した結婚式場になっています。
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ガーデンパーティもできるようです。
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2013年05月06日

日比谷公園・連休中の花たち

天気がいいので 日比谷公園の花たちを見てきました。
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有楽門 交番脇から入ったところの花。
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心字池につつじが咲きました。
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明治36年開園当時のデザインの幾何学文様の洋風花壇の第一花壇は日比谷公園のシンボルです。
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第一花壇・ペリカン噴水
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小音楽堂前
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バラはまだ咲きはじめです。
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雲形池にキショウブが咲きました。
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有楽門近くの花壇
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ポピーが満開でした。
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心字池には白いコサギも渡来しています。写真に撮ろうと思ったら別の人近づいてしあい コサギが移動して隠れてしまい残念!
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2013年05月05日

御茶ノ水〜湯島1丁目(文京区)

医科歯科大の裏手に東京ガーデンパレスという ホテルがあります。
日本私立学校振興共済事業団の建物です。学会で来られた先生方が泊まったり 私学の組合員がよく利用します。
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私もよく利用します。 レストラン オーロラで食事しました。この日は洋食のランチとデザート。
ランチタイムは1000円のセットがあるので 昼時は混み合います。
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ステーキランチ(スープ サラダ パン コーヒー)1500円
ランチデザート 200円
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以前は壁の上から滝のような水が出ていていい眺めだったのですが 節電か節水かで 水は出ていませんでした。
ホテル玄関を出てすぐの敷地内の植え込みに「済生学舎と野口英世」の案内板があります。
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済生学舎と野口英世  湯島1丁目7

「済生学舎は、医学者長谷川泰(1842〜1919)が「済生」(広く民衆の病苦を済う)の理念のもと、医術開業試験の予備教育を目的として、明治9年(1876)4月9日に現本郷2丁目5の地に創設された。明治12年学舎は火災により焼失したが、仮校舎の時期を経た後、明治15年長谷川泰の自宅を含めたここ東京ガーデンパレスの地に済生学舎は再建された。
 『志を得ざれば、再び此の地をふまず』と野口英世が医学の志をたて故郷会津を後にしたのは明治29年(1896)9月、英世19歳の時であった。上京して現湯島1丁目10あたりに下宿し、早くも10月に内務省医術開業試験前期に合格した。
 その後、港区伊皿子にあった高山歯科医学院の学僕となった。明治29年11月医術開業試験後期準備のために済生学舎に入学。下宿先を旧本郷区にあった大成館に移した。明治30年秋の後期試験に打診法の実技が含まれていたため、英世は東京帝国大学の外科教授近藤次繁博士により左手の手術を受けている。晴れて医術開業試験後期に合格した英世は、11月湯島の順天堂医院に入り、同医院医事研究会主事を嘱託された。その後、北里柴三郎博士の伝染病研究所や横浜検疫所勤務を経てアメリカへと旅立った。
 文京は、野口英世が世界に雄飛する原点の地である。  文京区教育委員会 平成17年3月」
そのわきの角を曲がるとゆるやかな坂です。
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「樹木谷(じゅもくだに)坂」の案内板があります。
 ●樹木谷坂   文京区湯島1-7と10の間
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「地獄谷坂とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の路を北へ、新妻恋坂まで下る坂である、そして、新妻恋坂をはさんで、横見坂に対している。
 「御府内備考」には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。尭恵法印の「北国紀行」のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・ならびに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて、しめの内に武蔵野々遠望かけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず」とある。天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社の周辺のようすである。
徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷の名が生まれた。
地獄谷坂と呼ばれたのは、その音の訛りである。
なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創設した。その後、伝習所は現東京家政大学へ発展した。 文京区教育委員会」
その樹木坂を下ると左角に「おりがみ会館」があります。
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幕末の安政5年(1859)創業というのれんを持つ和紙染めの専門店。現在の社名は「(株)ゆしまの小林」ですが、以前は「小林染紙店」。染紙・千代紙製造の老舗です。文京区の六つの文化遺産に指定されているそうです。六つの文化遺産とは、「鴎外記念館」「弥生美術館」「永青文庫」「文京一葉会館」「オルゴールの小さな博物館」と「おりがみ会館」だそうです。
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折紙教室や折紙工房 折り紙 千代紙など和紙の販売のほか 2階の展示室にいろいろな種類の連鶴が展示されていました。

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2013年05月04日

駿河台〜御茶ノ水

カザルスホールから御茶ノ水駅に向かう。
杏雲堂病院の植込みに大久保彦左衛門屋敷跡という石碑があります。
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「大久保彦左衛門屋敷跡」の碑
千代田区神田駿河台1-8 (杏雲堂病院)
杏雲堂病院の辺りは、【三河物語】という軍記の著者で有名な大久保彦左衛門忠教という旗本の屋敷があった場所です。
大久保彦左衛門は徳川家康の家臣として関ヶ原の戦いでは本陣で槍奉行として活躍しています。
彦左衛門は徳川三代将軍家光まで仕え、無欲な性格と強情ぶりと伴に、奇行の行いで有焼失、その後駒込に移転し、地下鉄南北線本駒込駅近くに現存します。
すぐ前の歩道には 法政大学発祥の地の碑があります。
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法政大学発祥の地
「法政大学の前身である東京法学社は,一八八〇(明治十三)年四月,旧駿河台北甲賀町十九番地池田坂上(現在,千代田区神田駿河台一丁目八番十三)に設立されました。翌年五月,東京法学社の講法局が独立して東京法学校となり,その開校とともに日本近代法の礎を築いたフランス人法学者ボアソナード博士による講義が始まりました。その後,和仏法律学校を経て,一九〇三年八月,法政大学と改称されました。  二〇一一(平成二十三)年五月  建立」
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御茶ノ水駅に向かう歩道にあるのが駿河台(西)の町名由来板です。
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設置年月日:平成16年3月25日
所在地:神田駿河台二丁目3番地
徳川家康の死後、江戸幕府が駿府の役人を住まわせた事が地名の由来。
「駿河から帰ってきた旗本(はたもと)(駿河衆(するがしゅう))たちが、江戸城に近く富士山が望めるこの地に多く屋敷を構えました。駿河衆が住んでいたことや駿河国の富士山が見えたことなどから、この地は駿河台と呼ばれるようになり、多くの武家屋敷が立ち並ぶ地域となりました。」
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安政3年の地図(1856年)
「高台である「駿河台(するがだい)」は元来、本郷(ほんごう)・湯島台(ゆしまだい)と地続きで、その南端に位置し、「神田山(かんだやま)」と呼ばれていました。徳川家康は、新たな町づくりのため、この神田山を切り崩し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園、新橋周辺)を埋め立てました。しかし、埋め立てによって、それまで海に流れ込んでいた平川(神田川のもとになった川)の流れがとどこおり、下流で洪水が頻発(ひんぱつ)するようになりました。そこで現在の飯田橋付近から隅田川まで、分流としての水路を確保し、あわせて江戸城の外堀(そとぼり)の役目も果たす「神田川」が開削されたのです。こうしてこの界隈(かいわい)は、本郷・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。」
この地図には、(逆さ)S字カーブに「お茶の水」とあります。
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御茶ノ水橋を渡ります。現在も残る(逆さ)S字カーブ。
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東京医科歯科大学あたりの文京区側から見た神田川です。

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2013年05月03日

御茶ノ水スクエア(旧主婦の友ビル)千代田区

山の上ホテルを出て 坂を下ります。
通りに出ると御茶ノ水スクエア(旧主婦の友ビル)が見えます。
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旧 主婦の友社ビル(お茶の水スクエア) 
東京都千代田区神田駿河台1-6
建築 1925(大正14)年/1987(昭和62)年改築
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計
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【千代田区景観まちづくり重要物件】
「 大正14年(1925)竣工。出版社である主婦の友社の社屋として建てられました。設計者は、山の上ホテルの設計にも携わったウィリアム・メレル・ヴォーリズです。ヴォーリズは、メンソレータムで知られる近江兄弟社の創業者でもあります。
 昭和62年(1987)年、ヴォーリズ設計の主婦の友社は解体され、日本を代表するポストモダンの建築家磯崎新氏のデザインにより復元され、歴史的建築物の保存しながら高層棟をたちあげました。 現在、この建物は、日本大学が譲り受けカザルスホールとして運営しています。」
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日本大学カザルスホール
設計:磯崎新竣工:1987年地上13階、地下3階. 元は1925年(大正14年)にヴォーリズが設計した主婦の友社旧社屋。 当初は修復保存する予定だったが、構造がもろく、崩落寸前だったので外壁の一部を残して復元された。
クラシック音楽用のシンフォニーホールです。当時の面影を残す建物を左右に配し、中央に近代的な高層ビル。
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カザルスは有名なスペインのチェリスト、パブロ・カザルスから名づけられました。
日本大学お茶の水キャンパスの再開発に伴い、お茶の水スクエアのうちB館、C館はすでに取り壊され、カルザスホールも2010年3月31日限りで使用停止とされている。その後の計画はまだ決まっていない。保存運動があるそうです。
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パラペットと屋根飾りと窓
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西面 通用門
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大理石のオーナメントとドリス式飾りの付け柱
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装飾はヴォーリズ時代のデザインです。
何とか保存してほしいですね。

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2013年05月02日

山の上ホテル/コーヒーパーラー ヒルトップ(千代田区)

山の上ホテル本館地階に降りる階段です。
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地階と言っても 丘の上に建っているので坂道があり そこからの出入り口もあります。
大理石の階段は素敵です。
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窓際の席に座りました。
シャンデリアやチェアなど上品でクラシカルな雰囲気です。
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氷を入れた冷水で十二時間かけて一滴一滴ゆっくりと抽出した水出し・ダッチコーヒーがおすすめです。
パティシエの登竜門であり歴史ある「ジャパンケーキショー」において全国約1,000本のロールケーキの中から2010年に一位に選ばれ農林水産大臣賞を受賞したというロールケーキが 食べたかったので 今回は紅茶のセットを・・・
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ストロベリーとプレーン。ケーキセット1100円。
「三種類の北海道産生クリームを独自の配合でブレンドし、新潟産の米粉を使用したしっとり、ふわふわのロールケーキです。
これがもう その謳い文句そのもの とろけるようでふわっとしていて しつこくなく甘みも上品で 病み付きになりそうです。困った・・・
器も上質。落ち着くことができる空間です。
上を見れば小さなシャンデリアに 陶器のかわいいバラの花があしらわれている。
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許可を得て撮影しました。
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大きめのシャンデリアです。これにもバラの花があります。
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みなさんとても親切で 外資系超豪華ホテルとは違う上質の安らぎを感じました。
一度 泊ってみたくなりました。

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