2013年06月30日

旧村井吉経兵衛の別邸(長楽館)京都

千葉常五郎邸は、東京のたばこ王の元住まいのレストランなのですが 京都にはアメリカ人建築家J.M.ガーディナー設計のたばこ王・村井吉経兵衛の別邸・長楽館がレストラン・ホテルとして現存しています。
奇しくも東京と京都タバコ王の建物が共にレストランとして再利用されているのです。
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長楽館
旧 村井吉兵衛京都別邸1909(明治42)年
設計 : J.M.ガーディナー
施工 : 清水満之助(清水組)
室内装飾 : 杉田商店(東京),河瀬商店(京都)
京都市指定有形文化財
京都市東山区八坂鳥居前東入円山町円山公園内
大正3年には,ガ-ディナ-、大島盈の設計により,3階和室などが改造されました。
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明治中期‘煙草王’といわれた村井吉兵衛の迎賓館。命名は伊藤博文。外観ルネッサンス風、内部はロココ、ネオ・クラシック、アールヌーボーといった建築スタイルが共存する洋館。英皇太子ウェールズ殿下、米副大統領フェアーバンクス、米財閥のロックフェラー、それに山県有明、大隈重信等が訪問しました。京都の迎賓館として華やかな集いの場となっていたようです。
鹿鳴館をもしのぐと称された長楽館ですが 現在は、本館とホテル棟があります。本館はレストラン、六角塔屋を持った建物は別館です。

ここは10年ほど前 行ったことがありますがその時は今ほど建物に興味がなかったので写真もそれほどとりませんでした。
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名前の由来は、伊藤博文が完成したばかりの長楽館へ滞在し、窓からの眺望に感銘して「長楽館」と記したことに由来しているそうです。
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外観はルネッサンス様式を基調にしていて、1階部分が石張り、2階及び3階部分がタイル貼りになっています。室内の意匠は各部屋ごとに異なる様式になっていて、家具も当時のものがそのまま残されているそうです。これら家具類の大部分は輸入品と考えられています。
建物だけでなく家具30点も京都市指定有形文化財に指定されています。
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通常特に見学のみは不可 です。食事や喫茶で利用すれば中に入れます。階段 トイレ 装飾 どれを見ても絢爛豪華です。
もう一度 ゆっくり中を見てみたいです。

尚 天狗煙草の岩谷松平、牡丹煙草の千葉松兵衛と、サンライズの村井吉兵衛が明治の三大タバコ王だったそうです。
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2013年06月29日

旧千葉常五郎邸(ロアラブッシュ)南青山

渋谷区の六本木通りから路地に入った閑静な住宅街に「南青山のかわいいクッキー城」と呼ばれる建物があります。
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旧千葉常五郎邸(ロアラブッシュ
東京都渋谷区渋谷4−2−9
この旧千葉邸は、昭和9年の建物で常五郎が旧佐賀藩主鍋島家の令嬢と結婚する際に立てたものといわれています。
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明治時代の三大タバコ商の一つ、千葉商店に生まれた資産家・千葉直五郎が、息子・常五郎の結婚祝いのために建てたと言われその豪華さゆえに「男爵の邸宅」と噂されたそうです。
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チューダー様式の外観は円錐形の尖塔を持ち、重厚感漂うヨーロッパの古城のようです。
正面には、獅子の口から水が滴るスパニッシュスタイルの壁泉があります。
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東京都庭園美術館と並ぶ貴重なアール・デコの館ですが細部にはスパニッシュ風の要素がみられます。
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1934年(昭和9)竣工 黒川仁三が設計、竹中工務店が建設。
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現在はロアラブッシュという高級レストランで 食事をすると館内の見学ができるそうです。
玄関ホールにも天使をモチーフにした壁泉が設けられとても豪華だそうです。
リノベーションされた建物ですが 一般的な「歴史的建造物」として取り上げられることがあまりないようです。
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2013年06月28日

紅ミュージアムとふるさと雑感

紅ミュージアムを訪問したとき 紅花の産地最上から千石船で酒田から敦賀港へ運ばれ京の都へ・・というような説明をしていただきました。
わがふるさと三国湊へもその紅花を積んだ千石船は来ていたのではないかと思い調べてみました。
詳細はネットだけではわかりませんが 三国港の積み荷に紅花という表記は見つけました。
三国湊は北前船 千石船で栄えた港町です。
江戸中期になると北前船交易」が始まりました。三国湊も、海運で上方(関西)・瀬戸内・山陰・東北・北海道から物品が集まり、物流の一大集積地としてたいへん賑わい湊町には北前船を所有する廻船問屋をはじめ、様々な物品を販売する商店らが軒を並べ、町は大きく発展しました。それは明治に入っても鉄道が普及するまでは続きました。
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自宅にあった 千石船の写真ですが 積み荷を降ろしている様子がわかります。
廻船問屋が集まり 船荷が付き 船員たちでにぎわえば そこには遊郭 花街ができます。三国湊には遊郭がありました。
そういう古い旧楼の建物はいくつも現存していますし 今でも住まいとしている人たちがいます。
友人の家もそうなのですが たいてい家の中は暗いのです。表通りは格子のある広い部屋 玄関は土間で 背戸と呼ばれる小さな中庭があります。2階は4畳半程度の小部屋がいくつもあって 子供のころは不思議な造りだと思っていました。
遊郭はなくなっていましたが 芸者さんは多かったように思えます。子供の頃も 花街の名残は残っていて 三味線や小唄が聞こえる町でした。古い町並みが残る港町。置屋や揚屋があり 芝居小屋などもあったというところです。
紅をひく 遊女や芸者さんたち・・・「滝谷出村については、享保五年に「家数三百七十、傾城八十五人、流行長谷川」という記録がある(『三国町史』」
(2012.04/08)福井県三国町紀行4 出村遊郭跡1
(2012.04/10)福井県三国町紀行7 出村遊郭跡2
(2012.04/11)福井県三国町紀行8 出村遊郭跡3

このブログのふるさと紀行にも書いてあります。
粋な芸者さんたちの姿は 料亭や温泉場が近かったせいか子供のころまでよく目にしました。

親戚は昔でいう髪結いさんでした。出張の化粧箱には 櫛などのほか鬢油 コテ(火を使うもの)などが化粧道具と一緒に入っていました。もちろん白塗りの刷毛や紅筆も。古いものが家宝として残っていました。
かつては口紅などの紅は紅花から。紅花は血行促進作用がある生薬で、唇の血行が良くなり紅をとった後もほんのり紅いのだとか ....

子供のころ年に一度のお祭りには(北陸三大祭のひとつ 三国祭り)振袖を着て 子供でも化粧をしてもらえました。
紅筆でひく 赤い口紅。
ちょっぴり大人に近付いたような気がしました。

高校生になると 背伸びしてつけたのがキスミーのシャインリップ。
ツヤがあって 透明感があって少女から大人へと変化していく年ごろの大切なアイテムでした。
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先日 紅ミュージアムで子供のころどこかで見たような感じのする 展示品を見て 紅を見て そんなことを思い出してしまいました。
そういえば 親戚の髪結いのおばさんは 一段上の座敷の長火鉢に座り キセルをふかしていたっけなぁ・・・粋なおばさんでしたが 旦那さんはいなかったように思う。死ぬ時も粋に アッ!と言ったきりコロリと死んでしまって誰にも迷惑をかけなかったそうです。
小柄でひ弱に見えましたが 着物の着付けで帯を締めるときはぶっとびそうなくらい力があって 時間がたっても緩まなかったです。
そんなおばさんに目元 口元 こっそり紅をひいてもらったことを思い出しました。

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2013年06月27日

南青山散歩

南青山界隈を歩くと面白い建物が目につく。今回歩いたほんの少しのエリアだけの紹介です。
表参道駅を降りてすぐ目につくのが 青山通りの花屋さん 花の館・青山花茂ビル。
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港区北青山3-12-9
青山のランドマーク的存在で宮内庁や各宮家御用達の老舗だそうです。
次は骨董通り沿いにあるヨーロッパ調のビル。
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港区南青山6丁目2−9 KSビル
1階には腕時計ブランド【EVANCE エバンス】が入っていましたが 五月に銀座に移転しました。
そこから少し行くと 屋根の上の人形が目につきました。Jハウス隣ですが なにの建物かはわかりませんでした。
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南青山6丁目−8−16
表参道から根津美術館に向かう通りにあるひし形の斜め格子が強烈な印象の プラダの旗艦店 プラダ ブティック青山
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東京都港区南青山5-2-6
設計  ヘルツォーク&ド ムーロン + 竹中工務店
2003(平成15)年 竣工
構造:鉄骨造・鉄筋コンクリート造、階数:地下2階 地上7階
2005年度日本建築学会賞
そのお向かいにあるのが 青山銕仙会(てっせんかい)能楽研修所
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1930年代中頃旧多摩川園内に多摩川能楽堂が建設され、戦災で都内の能舞台が灰燼に帰した中での能楽復興の拠点となったが、1955年(昭和30年)頃に青山の銕仙会能楽研修所に移築されている。
すぐ隣の 素敵な赤レンガの建物。
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Studio Schloss 東京都港区南青山4-21-26
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レンタルスタジオだそうです。

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2013年06月26日

蔦サロン(旧山田守自邸)南青山

骨董通りの交差点から青山学院大学へ向かって最初のの路地を50mぐらい行ったところ 俗称アイビー通り、ちょうど青山学院大学のアイビーホール前にあります。その名の通り入り口がツタで覆われています。武道館の設計者で著名な山田守さんの旧自邸で 3階建ての外観はきれいなのですが 道路に面した部分はなんとなく ただの古家という感じでした。
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庭園側の外観。
名   称:蔦サロン(旧山田守自邸)
設 計 者:山田守/山田守建築事務所
所 在 地:港区南青山5-11-20
竣 工 年:昭和34年(1959)
備   考:1階ピロティと3階テラスが改造屋内化されている
構造 鉄筋コンクリート造3階建
1Fはコーヒーショップ「蔦珈琲店」で美味しいコーヒーだそうです。
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昭和34年に建築家山田守氏の自邸として建築された建物で、らせん階段を外観に活かした独自のデザインですが 半分くらいしか見えていません。螺旋階段を2Fに上がると「蔦サロン」というギャラリーになっています。庭の前のほうにまわってみたのですが 蔦というか緑で覆われて何も見えませんでした。
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竣工当時はコンクリート打放しだったようですが、、吹付タイルかモルタルかはよくわかりませんが きれいに保護されていました。
門柱には「山田」の表札があります。
山田 守さん(1894年4月19日-1966年6月13日)は逓信建築の先駆者的存在で、モダニズム建築を実践し、曲面や曲線を用いた個性的、印象的なデザインの作品を残した事で有名です。復興院橋梁課嘱託として永代橋、清洲橋等のデザインに関係し、山田守の色彩が最も強くあらわれているのはパラボラの使われている聖橋です。また近代的な病院建築のパイオニアとして活躍しました。日本武道館の設計者や京都タワービルの設計者でもあります。
その建築家が住んだ邸宅が現役なのはうれしいことです。機会があれば内部も見てみたいです。


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2013年06月25日

福井県アンテナショップ・ふくい南青山291


 岡本太郎記念館から青山骨董通りに戻り小原流会館の細い道を入ると 福井県アンテナショップ・ふくい南青山291があります。(港区南青山5丁目4-41)
この近くに来ると必ずと言っていいほど 寄ります。なんせ わざわざ行くには少し利用しにくい場所にあるのでなかなか買い物だけのために行くことはないです。
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前に利用した時は客も少なく品物もいまいちでしたが どうやら品物も接客もいろいろ再考したようで 品物も厳選されていたようです。
不愛想だった店員さんじゃなかったのが何よりで お客さんも増えているようでした。
福井は美味しいものが多いですから リピーターは多いと思います。
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食事処も前と変わっていました。
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玄関では恐竜博士がお出迎えです。今回は食べ物ばかりいろいろ買いました。大福あんぱん(210円)人気NO.1だそうですが前回買ってすごく美味しかったので買いました。わかめやうめぼし みそなどなつかしい故郷の味に出会えるのがうれしいです。
越前そばのイートインでもあればなぁ・・・と思っていましたが 今年4月に銀座1丁目に2号店ができたようで そこでにはイートインがあるそうです。『食の國 福井館』(東京都中央区銀座1-3-3 銀座西ビル1F)は食のみに特化した専門店だそうで 銀座なら自宅から近いので買い物だけでも利用できます。それにあのあたりは各県のアンテナショップが集中していますから いろいろなものを買うことができるので今度からは銀座を利用しようと思っています。
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2013年06月24日

岡本太郎記念館(南青山)

青山の骨董通りを1本入ったところに 岡本太郎記念館があります。芸術家・岡本太郎がその父・岡本一平から相続して 1996年、八十四歳で亡くなるまで、五十年近く暮らしアトリエ兼住居です。
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岡本太郎記念館
東京都港区南青山6-1-19
川崎市岡本太郎美術館も以前見学したことがありますが こちらは美術館とは違い生活の場であり 作品の構想を練り、制作した場所です。
「芸術作品は多くの人に見てもらってこそ意義がある」と言って、決して一個人のために作品を作らなかった岡本氏のエネルギーに満ちた場所です。
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戦後、友人のル・コルビュジェの愛弟子だった坂倉準三の設計でアトリエを建てた。坂倉は太郎の求めに応じ、ブロックを積んだ壁の上に凸レンズ形の屋根をのせてユニークな建物を作った。当時話題をよんだ名建築だそうです。
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庭は岡本太郎ワールドです。
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いつかどこかで出会ったようななつかしさのあるモニュメントたちです。
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美術館に併設されたカフェ「A Piece of Cake」でオブジェを眺めながらティータイム。
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美術館に入らなくても、カフェだけの利用も出来ます。
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パンケーキが美味しいと評判なので パンケーキを注文。
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パンケーキは2枚、4種類の中から2種類を選べます。バターミルクのプレーンタイプと有機コーンミールにしました。美味しかったのですが ハワイアンパンケーキをイメージしていたので ちょっと薄くて小さいかなぁ・・・これで950円は高いなぁ、のケチな感想です
カフェラテとアイスモカのドリンクは別料金。「値段は高いけどおいしい」ってことでしょうか・・それともお庭のオブジェの鑑賞代だと割り切りましょうか・・・。
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2013年06月23日

「北斎と暁斎〜奇想の漫画〜」展 太田記念美術館

原宿の太田記念美術館にて、2人の天才絵師の絵本に着目した展覧会「北斎と暁斎 ―奇想の漫画」が開催されています。
太田記念美術館は世界有数のコレクションを所蔵する浮世絵専門の美術館で、葛飾北斎や歌川広重など、浮世絵の名品を約1万2000点収蔵しています。特別展「北斎と暁斎〜奇想の漫画〜」展 太田記念美術館(〜6/26)開催中です。2人の天才絵師の絵本に着目した展覧会です。
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東京都渋谷区神宮前1丁目10−10
江戸時代末期より明治時代にかけ、膨大な数の浮世絵が海外に流出しました。五代太田清藏(1893〜1977)は、このような実情を嘆き、
昭和の初めより半世紀以上に渡り浮世絵の蒐集に努めたそうです。
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浮世絵専門の私設美術館として、1980年(昭和55年)1月に開館しました。
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入口で靴などを脱ぎます。スリッパに履き替え展示室に入ると 中央に石庭があり、左手の奥には一段高い畳敷きの座敷があります。
スリッパを脱いで座敷にあがり膝を落として鑑賞しますが まるで 床の間の肉筆画を見ているようです。葛飾北斎《羅漢図》や河鍋暁斎の肉筆画です。
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二人の奇才、夢の競演
1階と2階と地階が展示室です。
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ユーモラスな動きで踊る人々や、波や風、雨などの自然、妖怪や幽霊など、この世の森羅万象を描き出した葛飾北斎「北斎漫画」。
北斎の絵本の特色を最も色濃く継承したのが、狩野派の絵師でありながら、浮世絵の世界にも深く親しんだ河鍋暁斎です。
暁斎は、踊る骸骨や擬人化された蛙などのユーモラスな画題を描いたり踊る骸骨などを描いていますが 北斎に匹敵するほどのありとあらゆるテーマを手掛けています。漫画は奇想天外ですが緻密な線で描いています。
風景への観察眼は富士や滝によく表れていますが 実にリアルで色も美しく描かれています。
神仏妖怪大集合や西洋料理通などの本もありました。
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普段あまり目にしない、半紙本など本の一部が多く見られます。
浮世絵界を代表する2人の作品を比較しながら楽しめます。ただ絵がうまいだけではなく するどい観察眼や発想力が必要なのだと実感できました。
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地階には江戸手ぬぐいなどを扱うお店がありました。
外国人も多く鑑賞していたので いいお土産になるのでしょうね。
場所は明治神宮前駅、ちょうどラフォーレ原宿の後ろになります。
昼は 千疋屋原宿店で食べました。日本橋本店とはちょっと違ってカジュアルな感じの店でした。
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ランチも1000円前後と若い人向けのお値段でしたが 美味しかったです。
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2013年06月22日

銀座線新型車両1000系

地下鉄銀座線日本橋駅で電車を待っていたら 運よく旧1000形のDNAを受け継いだレモンイエローの車両が来た。
これはもう 写真を撮らねば・・と乗車せず写真を撮りました。もっとも2分後には次が来るのですものね。
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旧1000形の車体色は、当時、ベルリンの地下鉄に使用されていた車体色を模したものであり、地下にあっても晴れやかな明るさがあるということで採用されました。車体は、昭和2年の地下鉄開業当時から約40年間にわたり親しまれた銀座線旧1000形をモチーフとし、当時の車体色を再現するなどレトロ調のデザインとしました。

今から約85年前(大正15年)に設計された旧1000形の車体色に関する資料は残っていませんでした。ですから設計担当者地下鉄博物館に何度も通い 保存されている旧1000形の色と色見本を比べ 納得のいく色を見つけ出したそうです。
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銀座線新型車両1000系は2012年4月に営業運転を開始しました。レトロな色にする一方 環境配慮型の車両として、消費電力削減や走行騒音低減のための最新技術を取り入れているそうです。
レモンイエロー色の車体には銀座線のラインカラーを基調としたオレンジとホワイト、さらに東京メトロのコミュニケーションマークの背景色(「ハートM」の右側にある「東京メトロ」ロゴの背景色)「ダークブルー」の3色を配している。
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2013年、地下鉄車両では初の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
この1年ほどは1編成で1日十数往復でしたが 今年6月より、銀座線新型車両1000系を順次追加導入。2013年度は11編成66両を導入し、2016年度までに銀座線の車両をすべて1000系に置き換える計画だそうです。
まだ 数少ないレモンイエローの車両に巡り合えたのは ラッキーでした。次回は乗り込みたいです。
余談ですが この銀座線 場所柄時々有名人を見かけます。
渋谷からだと アナウンサー、芸能人など。
おとといは 阿川佐和子さんがすぐ近くに座っておられました。

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2013年06月21日

伊勢半本店 紅ミュージアム(南青山)

5/21-6/23 「黒蝋色塗牡丹唐草蒔絵御櫛台」 期間限定公開中とのことで 間もなく公開終了なので 見に行ってきました。
伊勢半本店 紅ミュージアム 南青山骨董通り
東京都港区南青山6-6-20 K's南青山ビル
(伊勢半本店 紅ミュージアム1F) 
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店内カウンターは許可を得て撮影しています。
こじんまりとした 店舗サロンの奥にミュージアムがあります。
入店すると 店内には紅花がありました。
玉虫色の輝きを放つ伝統の口紅「小町紅」の実物をみせてくださり 丁寧に説明をしてくれました。
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本当に玉虫色です。これが紅になります。
紅花に含まれるわずか1%程度の赤色色素を抽出し、精製を重ね作り出されたものだそうです。
「伊勢半本店は、文政8年(1825)江戸日本橋小舟町に創業した老舗の紅屋です。江戸時代から続く最後の紅屋として、伝統の技術を継承し続けています。」
常設展は紅花の起源・伝来から製法、普及。江戸の化粧文化、紅にまつわる習俗などを紹介。関連文書や、紅作りの道具、江戸末期から明治・大正期に使用された化粧道具などが展示されています。
見事な螺鈿、蒔絵、彫金を施した櫛や化粧箱は貴重な工芸文化財です。
なかでも やはり館蔵品「黒蝋色塗牡丹唐草蒔絵御櫛台」(江戸時代末期〜明治時代初期)が目を引きました。
保存状態もよく 美しい工芸品です。
「鬢水入れ、櫛、眉作り、紅筆、爪切、楊枝などの化粧道具類を収納していた櫛台で、牡丹と唐草の模様を蒔絵であしらった婚礼調度のひとつです。」
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ミュージアムを見終わると 紅花茶を入れてくれ とても親切丁寧に紅花のこと 化粧箱の再現のことなどを話してくれました。
伊勢半さんはキスミー( Kiss Me )化粧品だということを知り 甘く切ない少女時代を思い出しました。
紅花から抽出した日本の伝統美に溢れた特別な色彩。この江戸時代より継承する文化遺産ともいうべき匠の技をいつまでも残して行ってほしいです。
まさに「紅ミュージアムー紅を見て、紅に触れ、紅を知る 」です。
 館蔵品の展示替えもありますし いろいろな体験講座もあるそうです。機会があればまた行きたいと思います。
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2013年06月20日

六ツ目地蔵尊(亀戸浅間神社)

1996(平成8)年に遺構確認調査がおこなわれた亀戸の浅間神社境内で、模倣ジェラール瓦とみられる破片が出土している。
出土した近代瓦はほとんどが和瓦ですが、西洋瓦11点(富士塚直上から3点、富士塚南と中央から8点)が含まれていました。
これらの瓦は同時期に廃棄されたと考えられます。社殿は明治11年(1878)と、関東大震災後の昭和5〜9年(1930〜1934)に改築され、いずれも富士塚上にありました。廃棄されたのはいずれかの工事前と考えられます。なぜ西洋瓦が神社の境内に廃棄されたのか詳細は謎だそうです。
境内の端におかれた瓦ですが これが何を意味するのか説明はありませんでした。
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亀戸浅間神社のシンボルの一つの六つ目地蔵尊です。
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六ツ目地蔵尊 有形民俗文化財
庚申塔 元禄10年(1697)在銘
法華経供養塔 元禄14年(1701)在銘
供養塔(破損仏)伝馬頭観音
地蔵供養塔 天明2年(1782)在銘
地蔵供養塔 当社庵主一畳在銘
地蔵供養塔
観音供養塔 安永8年(1779)在銘
如意輪観音供養塔
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石造鳥居 昭和3年(1928)在銘 六之橋若者中奉納
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今回の亀戸浅間神社訪問は今回で終わります。
次回は 茅の輪くぐりに出かけるつもりです。


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2013年06月19日

亀戸浅間神社 有形文化財

境内にはいくつもの有形文化財があります。そのうちのいくつかを撮影しました。
これは 城東電車のレールです。
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城東電車のレール
大正2年(1913)  城東電気軌道株式会社設立
大正6年(1917)  錦糸町・西荒川間開通
昭和17年(1942) 市営となる
昭和18年(1943) 都制施行とともに都電となる
昭和43年(1968)まで浅間神社前を走っていました
 大正時代に作られたイギリス製のレールです
 亀戸9丁目町会より寄贈されました 
 平成11年(1999)3月20日

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城東電車のレールと車輪は南砂町緑道公園にもあります。以前ブログで書きました。
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敷石及修繕費奉納碑 有形文化財(歴史資料)
大正5年(1916)在銘
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紀念碑建設費奉納碑 有形文化財(歴史資料)
 大正八8年(1919)在銘 
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石造燈籠
 有形文化財(建造物) 二十六夜同行奉納
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修庭記碑 有形文化財(歴史資料)
大正8年(1919)在銘
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身禄歌碑 有形民俗文化財
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石造鳥居  有形文化財(建造物)
大正7年(1918)在銘

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2013年06月18日

亀戸浅間神社 富士塚

都内には「富士塚」がかなりあります。富岡八幡宮、元八幡宮の富士塚は以前紹介しましたがこの亀戸浅間神社にもあります。
それぞれの地域ごとに「富士講」をつくり、、実際に富士山登山をすることもありますが 地域の神社の一角に、富士山を模して築山したものに登って、富士山信仰のよすがにします。出来る限り富士山にある溶岩や岩・石などを敷き詰めたり、置いたりします。
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不二惣元講の碑の前の猿
子連れ・桃(玉)持ち像は「浅間」では例外的
明治23年(1899
申(さる)の日に富士山が現れたとの故事から、「」が神使はとされた。
また、単に「山岳そのものをご神体とする神の使いにふさわしい」から(山王の猿として)猿が神使とされたとの説もある。
草が多くてよく見えませんでしたが 2匹の猿の像で 子連れの猿です。
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富士塚は鉄柵に守られて石碑や岩などが数多くあります。
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たのみの辞碑という明治33年の石碑に、「此浅間山は橘媛の笄の漂着せしとか語りつきて笄洲とは云う 星移り歳かさなりて漸くあ(荒)れしを、心あへる人々相協り宮を潔め山を繕ひぬれは云々」とある
石の階段を上ると頂上付近は、すでになくなっていて、小さな広場になって公園になっているようです。
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記念碑がはめ込まれています。
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亀戸の富士塚
 富士山を信仰の対象とする富士信仰は、江戸時代後期には「江戸八百八講」と呼ばれるほど多くの富士講を誕生させました。そのため、各地には富士山を模した富士塚が多数築かれ、講員はそれに登って富士登山の代わりとしました。
 亀戸の富士塚は、弟橘姫の笄塚と伝えられている従来からあった塚を再利用する形となっています。頂上部は広く平坦に整地され、そこに浅間神社が富士山の方向(西南)を向いて鎮座していました。塚の側面は溶岩(黒ボク)で覆われ、山腹の正面(西南側)及び左右側面には、登山道に見立てた石段があり、麓にかけて石碑が23基、石猿が2体附属しています。このうち左側石段脇の烏帽子岩、左側面上部にある小御岳山碑、右側面石段脇の経ヶ岳碑の3碑は、当所の位置からは動いていますが、実際の富士山と共通させた「名所石」で、富士塚の構成上重要な石造物となっています。そのほかの石碑は、当地で活動していた富士講のひとつ丸富士講のもおで、明治以降の年号が彫ってあります。丸富士講は、亀戸・大島・南堅川(以上江東区)・柳原(千代田区)・向島(墨田区)などの講員から成り、その活動は太守時代頃まで続けられました。
 平成9年(1997)、東京都によう亀戸・大島・小松川地区再開発事業に伴い、塚上にあった浅間神社は隣接地に移転しました。
 平成13年(2001)3月 江東区教育委員会
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社伝によれば、日本武尊東征の時、弟橘媛は海神の怒りを宥めるため、走水の海に身を投じた。 後に媛の笄(こうがい=髪を掻き揚げて髷を形作る装飾的な結髪用具)が現在の亀戸9丁目のあたり(旧称・高貝洲)に流れ着いた。 これを聞いた景行天皇は、この地に笄を埋めて塚を築き、祠を建てた。
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大永7年(1527)、里人が甘露寺元長(かんろじ もとなが=室町時代・戦国時代の公卿・歌人)に勧請し、 富士山より木花咲耶姫を迎え、笄塚の上に社殿を建てて祀った。 これが亀戸浅間神社の創祀とされる。
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安政2年(1855)の大地震で社殿が倒壊。明治11年(1878)、富士山より溶岩を運んで富士塚を築き、その上に社殿を再建した。
平成10年(1998)、都の防災再開発事業のため、社殿が富士塚脇の現在地に移された。富士塚一帯は公園として整備されている。
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2013年06月17日

亀戸浅間神社 (境内)

亀戸浅間神社の境内社です。
石灯籠を真ん中に二つ並んでいます。
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手前は御神田。稲の苗が育っています。右端は亀戸浅間神社冨士せんげん道道標.
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石造鳥居  有形文化財(建造物)
大正7年(1918)在銘
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 下浅間神社(開運招福・縁結び)
御祭神 大黒様・恵比寿様
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石灯籠
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稲荷神社(五穀豊穣・商工繁栄)
御祭神 宇迦之御魂神 
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富士せんげん道道標 享和元年在銘
 この道標は、浅間神社、亀戸天神社、常光寺(六阿弥陀)、浅草へ至る道しるべです。享和元年(1801)10月、良歓が願主となり、本所六ツ目の地蔵講中が建てました。堅川沿いの佐倉街道と、浅間神社に至る道との分岐点に、正面を東に向けて建っていたと推測されます。
 投じの絵図に見られるように、浅間神社から北西方向に道なりに進むと水神社に行き当たり、左手に折れると亀戸天神社へ、右手に折れると常光寺に至ります。浅草へは、常光寺から北十間川沿いの道をたどったものと思われます。
 道標は角柱型で、頂部は若干盛り上がっています。正面の緑・両側面・背面はノミ切り仕上げで、一定の幅でノミ筋を残しています。正面中央は一段低く彫り、表面を砥石による磨き仕上げとして、銘を刻んでいます。
 道標は、浅間神社ほかへの江戸時代以来の古い参詣道を示すとともに、江東区域の名所を表示するものとしても貴重な石造物です。また、近代以降、道の改変が行なわれていることから、江戸時代以来の古道を確認するための手がかいを与えてくれる、地域の資料として重要なものです。江東区教育委員会
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2013年06月16日

亀戸浅間神社

旧中川・中川新橋から 亀戸浅間神社に行きました。
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社号 浅間神社
江東区亀戸9-15-7
祭神 木花咲耶比売命
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木能花咲耶姫命(このはなさくやひめ)
木花開耶姫命:水の神/安産・子育ての神/美の神、花の女神※富士山を抑える役目を果たしていたとされる
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亀戸浅間神社は、当地の住人甘露寺元長が大永7年(1527)に創建したと伝えられます。この辺りの地は高貝洲と呼ばれていました。これは日本武尊が東征した時に海が荒れ狂ったため、弟橘媛が海に身を投じ、その際に身につけていた笄が亀戸浅間神社のあるあたりに流れ着いたことによるものです。のちに景行天皇(第12代と伝えられる)がその地に笄塚を建てたとされています。この笄塚の場所に富士塚が築かれ、江戸時代には多くの信仰を集めました.
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安政2年(1855年)には、大地震より社殿が倒壊し、明治11年(1878)に再建するのだが、その際、富士山より実際の溶岩を運んで富士塚を築き、その上に社殿を再建したとされる。
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夏越の祓/年越納めの祓 関東でも最大クラスの芽の輪を年に2回作っている。
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神輿庫:大神輿が出る本祭は4年に1度。
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水盤 有形民俗文化財
寛政7年(1795)在銘
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現在の本殿は昭和初年(1926)に建立されたもので、平成10年(1998)の大島・亀戸・小松川防災再開発事業にともなって、今の位置に移動しています。境内には亀井殿富士塚や享和元年(1801)在銘の富士せんげん・亀戸天神・六阿みだ・あさくさ道道標(いずれも区指定有形民俗文化財)などの数多くの文化財が残されています。

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2013年06月15日

旧中川(江東区)

旧中川(きゅうなかがわ)は、東京都江戸川区と墨田区、江東区の境界を流れる木下川排水機場から、小名木川排水機場までの長さ全長6.68kmの河川です。
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昔は中川の一部でしたが、荒川放水路(現荒川)の開削で分断されて、旧中川と呼ばれるようになりました。
コンクリートの堤防から土の堤防(緩傾斜堤防)に生まれ変わり、水辺に近づけるところが増えてきました。
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中川新橋です。
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都では天井川となっていた河川を水門で閉め切り、水位を地盤面より下げる整備を行うことで、治水の安全性の向上を図るとともに堤防を耐震化しました。
約40年の歳月をかけて都市部に広大で貴重な緑の岸辺が生み出され、水辺に親しめる安全で快適な河川に生まれ変わりました。
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旧中川にはJR総武線都営新宿線を含め16の橋がまたがり、そのうち人道橋が3橋あります。
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その一つの「ふれあい橋」周辺では毎年8月に、東京大空襲の燃え上がる炎から逃げれて旧中川で亡くなった犠牲者慰霊の「灯篭流し」が行われています。
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江戸川区側の橋のたもとに慰霊碑があります。
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2013年06月14日

日比谷公会堂(千代田区日比谷公園内)

市政会館は日比谷公園内に公会堂を付置した会館として建設されました。

東京市長でもあり、中立な市政のための調査機関の必要性を訴えていた後藤新平の主張に安田善次郎が共鳴、当時としては巨額の350万円の寄附を得て、「東京市政調査会(市政会館)」およびそれに併設する公会堂として計画された。
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日比谷公会堂 東京都選定歴史的建造物
『日比谷公会堂』は、東京都の東京都内の公会堂関連遺産として、経済産業省の近代化産業遺産(都市の娯楽・消費文化)に登録されています。
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日本のカーネギーホールともいわれて人々から愛され続けている日比谷公会堂。収容人員 2,085人
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【千代田区景観まちづくり重要物件】
 昭和4年(1929)、関東大震災復興のシンボルともなった日比谷公会堂が竣工しました。安田善次郎が東京市長だった後藤新平に共鳴し、当時としては巨額の350万円の寄附し、これをもとに「市政調査会(市政会館)」およびそれに併設する公会堂として建設されました。
 建物は指名設計競技で一等となった工学博士佐藤功一氏の設計によるものす。佐藤博士は母校の早稲田大学大隈講堂の設計者としてもしられています。
 ちなみに開場式で、新聞を破いた音が参加者全員に聞こえたといわれています。
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日比谷公会堂は1929年に建てられ、当時東京で唯一の事実上のコンサートホールだった。日比谷公会堂の外観は垂直のラインを強調したデザインはネオ・ゴシック様式。外壁を覆うスクラッチタイルの茶色が重厚感を醸しながらも 公園の緑と調和している。
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日本最初の公会堂建築として貴重な建造物である。
日比谷公会堂 1929年10月19日
設計 佐藤功一
施工 清水組

構造 鉄筋コンクリート造6階建て、地下1階、塔屋付
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1960年(昭和35年)10月12日、 日本社会党委員長・浅沼稲次郎(あさぬま・いねじろう 1898-1960)が演説中に凶刃に倒れたのは、 この日比谷公会堂です。
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2013年06月13日

市政会館(千代田区日比谷公園)

内幸町交差点、日比谷公園入口に市政会館があります。
東京都千代田区日比谷公園1番3号
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市政会館(しせいかいかん)は、東京都千代田区に位置し、同盟通信社や、その後身の時事通信社が本社を置いたことで知られる。 日比谷公園のシンボル的な建造物であり、中央の塔と塔の最上部にある四面の時計が印象的。
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時計塔機械は当初は阿部式電気時計であったが昭和19年に供出され、昭和25年に沖電気製電気時計が設置されました。
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日本における近代ゴシック建築の代表作である。全体は茶褐色のタイルで覆われ、中央に時計塔を配した線対称のデザインとなっている。
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1999年(平成11年)6月11日に、東京都景観条例に基づき「東京都選定歴史的建造物」となった。 また2003年(平成15年)6月9日、千代田区景観まちづくり条例に基づき「景観まちづくり重要物件」に指定されました。
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建築物の北側部分を公会堂(日比谷公会堂)、残りを会館とした。公会堂は東京市が、会館は東京市政調査会がそれぞれ管理した。
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東京都選定歴史的建造物
設計者 佐藤功一
 建築年 昭和4年(1929)
「大正9年(1920)に東京市長に就任後、東京市政のための中世独立の調査機関設置を構想した後藤新平は、大正11年(1922)に東京市政調査会を設立して自ら会長となった。後藤は、安田財閥・安田善次郎の寄付を受け、日比谷公園内に公会堂を付置した会館を建設し、会館は調査会が使用し、公会堂は東京市の管理に委ねることとした。これが、現在の市政会館と日比谷公会堂である。
 建物は、著名な建築家8名による指名設計競技の結果一等に当選した佐藤功一の設計をもとに、本格的なホールを備えたわが国最初の施設として、昭和4年(1929)に竣工した。全体が茶褐色のタイルで覆われたネオ・ゴシック様式で、建物中央に時計塔がそびえたつ。一部の窓に使われた黄色テラコッタが、垂直性を強調したデザインにアクセントをつけている。 東京都」
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戦前の絵葉書です。

どことなく安田講堂に似ています。
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2013年06月12日

有楽町〜日比谷(千代田区)

JR新橋駅・日比谷口より有楽町駅までの西側高架は明治時代のレンガ造連続アーチ橋です。 アーチ下の狭いスペースを有効活用し、飲食店などが軒を並べています。震災にも戦災にも耐え、いまだ現役なのです。ガード下の飲食店や飲み屋さんは昭和レトロの雰囲気がします。写真は有楽町駅前。
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正式名称、新永間市街線
東京都/千代田区〜港区
竣工年 明治43年
選奨土木遺産 選奨年2010年 平成22年度
選奨理由
建設後100年を経て、なお、現役の高架橋として活用されているだけでなく、煉瓦アーチ式の高架橋として景観的にも優れている。
「山の手線有楽町赤煉瓦造りの連続アーチの高架は、 日本最長で、最大規模の明治時代の煉瓦造りの構造物であり、 関東大震災や戦火を潜りぬけて、100年を経てきた現在も現役で鉄道の大動脈を支えている。新橋駅から有楽町、東京駅へと続く煉瓦造りの連続アーチ橋の長さは約3キロ。完成は明治40年(1907)であるが、 品川〜上野間は江戸時代に行われた江戸湾の埋め立て地であったため、軟弱な地盤で、約2万本の松が基礎として埋め込まれた。 また煉瓦は一つ一つ念入りに手で磨かれてから積まれた。

鋼鉄製にすることも検討されたが、当時資材は輸入となり、国内で調達でき騒音の心配がない煉瓦造りが採用された。 関東大震災後に造られた山手線神田〜上野間の高架は、鉄筋コンクリート造りに変わった。」
このガードからすぐに 日比谷シャンテ前の広場(合歓の広場)があります。ちょっとしたスペースに椅子やテーブルがあり休憩所のようになっています。そこに ゴジラが・・・・
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東京都千代田区有楽町1-2-2.
合歓の広場』(ねむのひろば)は、日比谷シャンテの敷地内にある広場。日比谷シャンテが完成した1987年に創設された。主に東宝に所属している映画スターの手形ゴジラのミニチュアなどがあります。
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なんと言ってもこの人が一番でしょう!
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ロスのチャイニーズ・シアターのハリウッドスターの手形のようですねぇ〜
目の前にある 鹿児島アンテナショップで買い物をしました。
そして日比谷駅へ向かいます。
日比谷の交差点に建っているビルは日比谷マリンビル(旧朝日生命ビル)です。
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エントランスホールの天井が面白いです。近未来的というかなんというか・・・なにゆえ日比谷でマリンビルなのかというと 2004年に今治造船が朝日生命保険よりビルを取得し東京支社となったそうです。
その対面はザ・ペニンシュラ東京です。
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庶民には縁がなさそうです。。。。

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2013年06月11日

都バスで・・

最近 引っ越しの準備で あちこち出かけることが多い。
転居先と現在のところを行き来するのに都バスを何度か乗り降りします。23区内1回200円。
こんな時便利でお得なのが 都バス1日券ー500円。
最初に乗るときに 500円でこの一日券を買うと23区内の都バスを1日に限り何度でも利用できます。
行ったり来たり 乗り換えたり 買い物に行ったりで先日などは8回も乗り換えましたから申し訳ないくらいでした。
とてもありがたいシステムです。バス停があちこちにあり ほんの数分で次々とバスがくるので地下鉄よりバスを利用します。
時間に余裕があって あちこち行きたいときはバス路線で巡るのがいいです。。
路線が頭に入っているか 情報が得られるか・・という条件は必要でしょう。
みんくるガイド片手に 一日目いっぱい東京散歩をするのもいいかもしれません。

しかし あちこち回るといろいろなことがわかります。家電やさんの実態 サービス 値段 応対 配送 工事・・ネットで購入もいいのだけれど大型のものはやはり自分で足を運んで実物をみないとねぇ〜
家電店に行くと インターネットの加入勧誘がつきまといます。
もう入っているから断りますけど・・・・あれやこれや 毎日大変です。

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2013年06月10日

谷中散歩(日暮里界隈)

カヤバ珈琲を出て 谷中霊園のほうに少し歩くと 明治・大正・昭和の近代木彫を発展させた彫刻家・平櫛田中の旧居宅があります。
東京都台東区上野桜木2-20-3
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平櫛田中(ひらくしでんちゅう1872ー1979)は、彫刻を学ぶため明治30年に上京し、高村光雲、岡倉天心、横山大観らの縁で谷中・上野桜木に合わせて70年以上暮らしました。彫刻一筋のため生活に苦労しました。
大正8年、横山大観、下村観山、木村武山ら、日本美術院の画家たちの支援により建てられたアトリエ付き住宅です。大正11年には傍らに伝統的日本家屋を建て、家族とともに小平に転居する昭和45年まで暮らしました。その後、旧アトリエ・住宅は故郷の 岡山県井原市に寄贈され、現在は通常非公開です。NPO法人や芸大などの協力で維持管理されているそうです。
谷中霊園を横断し( 墓には興味がないのでスルー)日暮里駅に出る。
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日暮里御殿坂
「西日暮里三丁目と台東区谷中七丁目の境を七面坂から日暮里駅方面へ下る坂。江戸時代から用いられていた呼称である。
 当時の絵図などから、天王寺(現谷中墓地)の下を通り芋坂下に続いていたいたことがうかがえる。
 天保九年(一八三八)刊の「妙めを奇談」は寛永(一六二四〜四四)の頃、白山御殿(将軍綱吉の御殿)や小菅御殿(将軍御膳所)と同様の御殿がこのあたりにあったことにより付いたというが、坂名の由来は明確ではない。荒川区教育委員会」
荒川区と台東区の境界にあります。このあたりは道路をはさんで 荒川区と台東区にわかれます。
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御殿坂を登りきった先にあるのが 経王寺
東京都荒川区西日暮里3-2-6
「経王寺は1655年に建立された日蓮宗の寺。山号 大黒山。本堂隣の大黒堂には日蓮上人が作ったとされる大黒天が鎮守として祀られている。経王寺は江戸時代終わりの1866年に上野戦争(上野彰義隊の戦い)で敗走した幕府軍(彰義隊)をかくまったため新政府軍の攻撃を受けた。そのとき発砲した弾の跡が今も山門に残されている。 」


そこからもう少し歩くと そこが「夕やけだんだん」です。
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上からの眺めです。
2011年までは夕やけだんだんの「道路中央部」に大島桜がありました。
横から幹が出て、通りの中央部で上に伸びている大きな桜で花が咲くころはきれいでした。
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ちょっと小さいですが 真ん中に桜の花が見えます。以前の写真です。
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現在はありません。樹齢60年以上ということで根元が腐って危険だということで切られてしまいました。
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これは脇にある桜の木です。
谷中銀座商店街を行きます。TVなどでずいぶん有名です。谷中銀座は距離は短いが趣のある商店街。下町独特の雰囲気があり・・・といいたいのですがどうも観光客目当ての商店街になってるように思えます。約70軒のお店が並んでいる。中でもお総菜屋さんやお肉屋さんなどがやはり下町ならでは雰囲気でした。
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よみせ通り 

谷中銀座を 道なりに行くとある商店街で、不忍通りの東側に並行しており、西日暮里の道灌山下交差点近くまで続く。
こちらはう〜ん・・・どこでも見られるような人の通りの少ない商店街でした。
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谷中で忘れちゃいけないのが 築地塀
観音寺の築地塀(台東区谷中5−8−28 )赤穂浪士の供養塔のあるお寺
平成 4年(1992)台東区まちかど賞を受賞
造られたのは200年以上前に遡るという観音寺の築地塀ついじべいですが、関東大震災で一部崩壊し戦災を免れ、日々小さな崩れを起こしては補修されつつ現在に至ります。「築地塀」とは土で塗り固められた塀のことで補強のため層状に板や瓦を埋め込まれたものだそうです。

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2013年06月09日

カヤバ珈琲 (台東区谷中)

前にブログで上野桜木町の古い民家、カヤバ珈琲について書きましたが 今回再訪しました。
2012年12・01のブログです。
一、二階とも二方に出桁造の軒をまわす姿が特徴的な町家型のこの建物大正5年(推定)の建設以降、ミルクホール、かき氷・あんみつ店、などを経て昭和13年に「カヤバ珈琲店」となりましたが 平成18年に一旦閉店。平成20年、 NPO法人たいとう歴史都市研究会が借り受け、あたらしい運営者により「カヤバ珈琲」が復活しました。
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東京都台東区谷中6-1-29
言問通りの上野桜木の交差点にある、古い木造2階建てのお店ですが お客さんはかなり入っていました。
お二階へどうぞと言われ二階へあがります。
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靴を脱いで 昔の狭い階段で2階へ行きます。和室が2つありました。
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大正5年に建てられた木造の家屋は老朽化で使いにくくなった箇所のみ修繕し、外観はほとんど手を付けず、常連客だった人たちの記憶を残しつつ改装されました。
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前の道路を大きな自動車が通ると 地震のようにがたがた揺れます・・・・
メニューはほとんど以前のままです。
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かわいい絵入りのメニューで いろいろ迷いましたが結局名物メニューだった、ルシアンを注文。
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ルシアンとは、カヤバ珈琲の名物で、コーヒーとココアを半分ずつで割ったものです。なんとなく癖になりそう・・・
そして 開店当時からの名物メニューだという玉子サンド。
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ひとかけ 食べてしまいましたが このパンは普通のかなり厚めのパンでサンドイッチ用のパンではないです。
それに ふわふわの厚焼き玉子。からしがほんのりと効いて すごく美味しかったです。
ふと 隣のテーブルを見ると・・・なんと下が見えるではありませんか!!
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一部 ガラス張りになっていて 下が見えます。
1階の天井もガラス天井で大正時代の梁と天井が見えるようになっていました。

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2013年06月08日

上野東照宮 続 

絵だけの上野東照宮の唐門前には マッチョな狛犬さんがいます。
正統派狛犬というか 胸が強調された狛犬です。
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唐門前の狛犬。大正3年(1914)
作者:「石工 酒井八右衛門/彫刻 大竹豊吉」
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唐門前にはたくさんの銅燈籠もあります。
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銅燈籠
全48基。国指定重要文化財。寛永慶安年間に諸大名が奉納。竿の部分には、寄進した大名の姓名と官職名・奉納年月等が刻字されています。多くは慶安四年(1651)の家康公36回忌に奉納されたものです.
唐門両側6基は徳川御三家(紀伊・水戸・尾張)より寄進されたものです。
家康公の13回忌に藤堂高虎が奉納した1基が最も古く、形も南円堂形と特徴的です。
燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇で構成されています。
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藤堂高虎が奉納した寛永5(1628)年のもので,その燈籠の台座部分と石の台座に獅子のレリーフがあります.
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御水舎
銅燈籠のそばにあります。大きな鈴が下がっています。水盤には水はなく、機能していない。
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反対側の御水舎です。
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明治初期のもので石造である。
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次は神楽殿です。
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1874年、深川木場組合奉献。
屋根の勾配の美しさは都下随一といわれています。
毎年お花見の時期には御神楽の奉納が行われます。
鳥居のほうに参道を戻ると 五重塔が木々の間に見えます。
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旧・寛永寺五重塔 【重要文化財】
寛永8年(1631)、土井利勝が寄進した塔は、寛永16年(1639)に焼失しました。現在の塔は、焼失後に寄進されたものです。五重塔は、上野動物園内に位置しています。団子やから行けるかとまわりましたが どうめぐっても近寄れないです。
近寄ってみようと思うなら 動物園に入園するしかない・・というのが なんとなく不満でした。
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2009年春に写した五重塔です。
最後に上野といえば忘れちゃいけないこの人・・・
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西郷隆盛像
作者は高村光雲で、明治31年12月18日に除幕式が行なわれました。
身長:370.1cm
胸囲:256.7cm
足 : 55.1cm
連れている犬の刻みは、後藤貞行で犬は「ツン」という名前です。

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2013年06月07日

上野東照宮(上野恩賜公園)

お化け灯籠を見て 上野東照宮の参道へと向かいます。
大きな鳥居があります。
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石造明神鳥居 寛永10年(1633年)国指定重要文化財。
1633年(寛永10年)酒井忠世建築奉納。明神型鳥居。
石材には備前の御影石が使用されている。
基礎工事が万全だったため、関東大震災の折にも少しも傾かなかった。
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鳥居かをくぐると 山門?・・ん?神社に山門はなかろう・・・
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これは慶安4年、阿部重次が建築奉納したもの。
本来は門ではなく、社前右側にあった御水舎の上屋だけを昭和39年に門として移築したものだそうです。水舎門。
阿部 重次 : 武蔵岩槻藩第2代藩主。 大坂城代を務めた初代藩主・阿部正次の次男。
徳川家光のもとで老中をつとめる。
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水舎門も貴重な江戸時代の建造物です。
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水舎門の内側、東照宮の額があります。
ここから唐門までの参道には両側にずらりと石灯籠がならびます。
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石灯籠

200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年(1651年)に諸大名より奉納されたものです。
参道両脇に整然と並んでいる石灯籠は武士が神君をお守りしているようだと称えられています。
石灯籠の参道を進んでいくと、絵のように華麗な唐門が見えてきます。
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実は絵です。
現在本殿が修理中で、建物を覆う 大きな養生パネルに、実物大の絵が描かれているのです。
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平成20年12月23日から平成25年12月31日まで保存修復工事。
上野東照宮
 「藤堂高虎は上野山内の屋敷の中に、徳川家康を追慕し、家康を祭神とする宮祠を造った。これが上野東照宮の創建といわれている。あるいは、寛永四年(1627)、宮祠を造営したのが創建ともいう。正保三年(1646)、朝廷は家康に「東照宮」の宮号を贈り、それ以後、家康を祭る御宮を東照宮と呼ぶようになったのである。
現在の社殿は、慶安四年(1651)三代将軍家光が大規模に造り替えたもの。その後数回、修理を加え、現在にいたる。本殿の構造は、手前から拝殿・幣殿・(石の間ともいう)・本殿からなり、その様式を権現造りという。社殿は東京都内でも代表的な、江戸時代初期の権現造り。華麗荘厳を極め、金色堂とも呼ぶ。
 本殿・拝殿・幣殿は、唐門・透塀とともに構造・様式がすぐれ、貴重であるので、 国の重要文化財に指定されている。参道入口の石造明神鳥、唐門前に並ぶ銅燈籠五十基国指定の重要文化財である。」
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2009年に写した 唐門です。
参道を戻ります。

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2013年06月06日

上野大仏(上野東照宮)

清水観音堂から上野精養軒のほうにむかいます。
赤い鳥居が目に入ります。
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これは「花園稲荷神社」です。「花園稲荷神社は「穴稲荷」「忍岡稲荷」とも呼ばれ創建年代は諸説あるが、 江戸時代初期にはすでに存在していた」との説明版がありました。参拝はせず写真を1枚だけ写しました。上野山の守護神といわれているが縁結びのご利益があるとか・・・。
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上野精養軒です。
そのお隣にあるのが 時の鐘です。
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寛文6年(1666)に設けられた鐘で、江戸の市民に時刻を知らせていた「時の鐘」です。当時、江戸市中には9カ所の時鐘があり、上野の時鐘は「花の雲鐘は上野か浅草か」と松尾芭蕉に詠まれたほど江戸市民に馴染み深いものでした。
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大仏山と呼ばれる小さな丘から見た 時の鐘です。
大仏山の丘の上にはかってその名のとおり大きな釈迦如来座像が安置されていました。「上野大仏」です。
最初に大仏が建ったのは寛永8年(1631年)、粘土に漆喰塗りの釈迦如来坐像。
万治年間 (1660年) に青銅製の釈迦像となり、元禄11年 (1698年)には大仏殿も建立されました。その後は火災や地震の度に修復を繰り返してきたが、関東大震災で頭部が落下。
昭和15年(1940年)には戦況の悪化による金属供出令で顔面をのぞく頭部、胴体が軍に供出され、上野の大仏様は消えてしまいました。
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昭和47年(1972年)寛永寺に保管されていた顔面部がレリーフとして安置され現在の上野大仏となりました。「これ以上落ちない」ことから「合格大仏」と言われています。
”大仏を 埋めて白し 花の雲”    子規
大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建 立され、本尊として薬師三尊像が祀られている。
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パゴダとはミャンマー様式の仏塔のことで、「釈迦の住む家」であるとされている。
高さ十五メートル、内部には中央に薬師如来、左側に月光菩薩、右側に日光菩薩を安置している。この薬師三尊像は、江戸末期まで東照宮境内にあった薬師堂の本尊で、明治初期の神仏分離令によって寛永寺に移管、さらにパゴダの本尊として迎えられた。
大仏山を下りると 大きな石燈籠があります。
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お化け燈籠(上野恩賜公園 上野東照宮)
1632年に佐久間勝之より奉納された石灯籠は高さ6.8m、笠石の周囲約4mとあまりにも大きいので「お化け灯籠」と呼ばれており、名古屋の熱田神宮の石灯籠、京都南禅寺の大石灯籠と合わせて日本三大石灯籠のひとつに数えられています。
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東照宮の水舎門に続く参道の石灯籠です。参道にはたくさんの石灯籠が並んでいます。

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2013年06月05日

清水観音堂 (上野恩賜公園)

上野公園の南端、不忍池を見渡す崖の上に、朱塗りの大きな舞台があります。
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まるで京都の清水寺のようです。これが、上野・寛永寺の堂舎の一つ、清水(きよみず)観音堂です。
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清水観音堂  台東区上野公園 1-29
建築年: 寛永8年(1631)
構  造: 木造平屋
特  徴: 小規模ながら京都の清水寺を模した懸造り様式の建築物
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国指定重要文化財
 東比叡山 寛永寺 清水観音堂

 [清水観音堂(きよみずかんのんどう)は、寛永寺を開創した天海が京都の清水寺を模して寛永8年(1631年)に創建した。当初、現在地より100m余り北方の擂鉢山(すりばちやま)上にあったが、元禄7年(1694年)この地へ移築し、現在に至っている。堂宇は、桁行五間、梁間四間、単層入母屋造り、本瓦葺。とくに不忍池に臨む正面の舞台造りは、江戸時代より浮世絵に描かれるなど、著名な景観である。
 近年老朽化が目立ち、平成2年(1990年)より全面的な解体・修復工事を実施、平成8年(1996年)5月に完成した。この間、移築年代を元禄9年(1696年)とする定説をくつがえす、元禄7年(1694年)の棟札が発見されるなど、さまざまな事実が明らかとなっている。
 本尊は千手観音座像で京都清水寺より奉安したもの。秘仏で平常は厨子内に安置するが、毎年2月初午の日にのみ開扉され、多くの参詣者が訪れる。 平成10年(1998年)3月 台東区教育委員会]
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本堂です。
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規模  懸造り部:木造 黒塗り 桁行九間 梁間三間 貫二段 舞台型
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上屋部:木造 朱塗り 入母屋造り 本瓦葺き 桁行五間 梁間四間 勾欄付舞台
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本堂正面が舞台造りです。舞台としてはなかなか広々としていて眺めもよい。
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2013年1月17日、月の松が150年ぶりに復活しました。独特の枝ぶりが特徴の月の松
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円形にくるりと一回転する枝は足立区の造園職人の手によるもの。「この造形を生み出すことは難しく、都内でもわずかな職人しかできない。
江戸時代から庶民に親しまれており、江戸の名所を描いた歌川広重の連作浮世絵シリーズ「名所江戸百景」には「上野山内月のまつ」「上野清水堂不忍ノ池」の2枚に描かれている。しかし、明治初期の台風で消失したままとなっていた。
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『名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池』
 歌川広重 画 安政3年/1856年
高さや規模が誇張されていると思われる
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清水観音堂の近くには天海大僧正毛髪塔がありました。
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天海大僧正は、寛永二十年(1643)十月二日に百八歳で示寂(じじゃく)されました。(諡号(しごう) 慈眼大師)
墓所は日光山輪王寺に造られ、當山には弟子の晃海(こうかい)が供養塔を建立し、後に伝来していた毛髪を納めた宝塔も建立されました。(都指定旧跡)
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摺鉢山古墳(すりばちやまこふん)

 摺鉢山は、その形状が摺鉢を伏せた姿に似ているところから名付けられた。ここから弥生式土器、埴輪の破片などが出土し、約千五百年前の前方後円形式の古墳と考えられている。現存長七十メートル、後円部径四十三メートル、前方部幅は最大部で二十三メートル。後円部の道路との比高は五メートルである。丘上は、かつての五條天神社、清水観音堂鎮座の地であった。五條天神社の創立年代は不明であるが、堯恵法師は『北国紀行』のなかで、文明十九年(一四八七)に忍岡に鎮座する五條天神社を訪れた際、
契りきて たれかは春の初草に 忍びの岡の 露の下萌と、うたっている。現在、上野公園忍坂脇に鎮座。清水観音堂は、寛永八年(一六三一)寛永寺の開祖天海僧正により建立されたが、寛永寺根本中堂建立のため、元禄七年(一六九四)現在地に移転した。現在、丘上は休憩所となっているが、昔のまま、摺鉢の形を保っている。
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2013年06月04日

有栖川宮高松宮ゆかりの名品展 /上野の森美術館

皇族方が見に行ったというTVのニュースで知ったので さっそく行ってきました。
日本美術協会創設125年 有栖川宮高松宮ゆかりの名品展
2013年5月21日(火) 〜 7月14日(日) 
上野の森美術館
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三の丸尚蔵館・明治神宮宝物殿・昭和記念館などいろいろ見て上質で気品のある品々が多いのでぜひ見たいと思いました。
「有栖川宮家、高松宮家伝来の美術工芸品を中心に、日常や宮中行事で使われた調度品、宮様ご自身の手による書画、茶器など合わせて約200点を展示。東京国立博物館、国立歴史民俗博物館。東京藝術大学大学美術館、そして上野の森美術館が保管している数多くの品々から、有栖川・高松両宮家の歴史や雅な生活の一部も垣間見られる心躍る展覧会となっています。」
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東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)なども見ているので よさがわかります。
明治から昭和に宮家のために作られた美術工芸品の数々です。
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第一章:有栖川宮家と明治維新
第二章:高松宮宣仁親王と喜久子妃のあゆみ
第三章:宮家の饗宴
第四章:高松宮家ゆかりの品々
第五章:日本美術協会
錦の御旗がありました。有栖川宮家9代熾仁(たるひと)親王(1835〜95年)は慶応4(1868)年、王政復古の大号令によって新政府総裁に就任。戊辰戦争に際しては東征大総督として錦旗を奉じて江戸に向かったことで知られています。有栖川宮家は大正時代に断絶.その祭祀(さいし)などは大正天皇の第3皇子、高松宮宣仁(のぶひと)親王(1905〜87年)に継承されました。
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徳川慶喜の孫にあたる高松宮喜久子妃(1911〜2004年)がおこし入れの際に持参されたというひな飾りは圧巻!あまりにも豪華で驚き見とれてしまいました。近世大名の婚礼調度の形式を忠実に伝えており、風俗史の史料としても貴重といわれます。
ミニチュアながら 調度品もとても緻密で豪華なものでした。
上野の森美術館に預けられた有栖川宮家伝来のディナーセット、バカラ社のガラス製品 銀食器など実物が並んでいました。
慶事の宴の引き出物として列席者に贈られたボンボニエールもたくさん並んでいて 楽しく拝見しました。
宮家のみやびな文化を垣間見ました。
どれもすばらしいものばかりでした。

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2013年06月03日

東京国立博物館本館

東京国立博物館の特別展を見ると常設展も見ることができるのですが 今回はパスしました。
東京国立博物館本館は建物そのものが 重要文化財です。
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旧東京帝室博物館本館
建築年: 1937年(昭和12)
設計者: 渡辺仁+宮内省内匠寮
施工者: 大林組
面  積: 延床面積:21,562m2
構  造: 鉄骨鉄筋コンクリート造
規  模: 地下2階・地上2階
所在地: 台東区上野公園13-9
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東京国立博物館の前身たる帝室博物館が上野の山に建てられたのは明治14年(1881)、ジョサイア・コンドルの設計になる赤レンガ造2階建ての建物でしたが関東大震災で倒壊したため再建されました。設計は公募でした。
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瓦屋根に寺院のような破風(はふ)を付した、帝冠様式の代表的建築とされる。2001年に「旧東京帝室博物館本館」の名称で重要文化財に指定されました。展示室は1・2階に計26室あり(普段閉鎖・転用されている室を含む)、中央の大階段を取り巻いて「ロ」の字状に展示室が配置されています。広大で一度に全部見るのは疲れます。館内の装飾や造作も重要文化財にふさわしいものです。
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この建物の特徴である帝冠様式とは 洋風のコンクリート造建築物に和風の塔や破風を配した建物をいい 昭和の初期に流行しました。
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「日本趣味を基調とする東洋式にすること」「勾配屋根を必要とすること」という条件を掲げた設計競技だったそうです。
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本館前庭の巨木ユリノキはちょうどオレンジのかわいい花を咲かせていました。
明治8、9年頃渡来した30粒の種から育った一本の苗木から明治14年に現在地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見守り続けている。東京国立博物館は「ユリノキの博物館」「ユリノキの館」などといわれる。
ユリノキのまわりにはベンチがあり 涼しい木陰となっています。

 

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2013年06月02日

国宝 大神社展 東京国立博物館 平成館

31日金曜日に 「国宝 大神社展」 平成館 特別展示室
に行ってきました。
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今日6月2日までの開催で 混んでいましたが 入場の待ち時間はありませんでした。
入口の第1章が 前に進まなくて頭越し・・という個所もありましたが 比較的スムーズに見ることができました。
この特別展は宗教色はなくて 国宝・重文の展示会という感じです。
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現在、わが国には全国で約8万社の神社があるそうです。そこには古神宝や神像など、様々な宝物が伝えられてきています。
今年は、伊勢神宮の第62回式年遷宮の年。二度と見られないかもしれないという全国の神社60社などから集めた国宝や重要文化財など宝物約160点を含む約200点が展示されていました。
こんなに神社のお宝が一堂に会することはありません。芸術品・工芸品・曼荼羅・絵巻・書・神像・・どれも普段お目にかかることができないものばかりでした。
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日本人は古来 山、岩、木など自然物の中に神を見出し、畏れ敬ってきました。やがて神々を祀る神社が建てられ、祭神の調度品である神宝や、祭神の姿をあらわした神像などがつくられました。
この展覧会の一番の見どころは神像。
神像は元々見せるものではないから、通常は非公開のことが多いそうです。
仏像の場合は超越している仏様なので表情がないが 神像は感情豊かで表情があります。
女神・男神の像がずらり並ぶ姿は壮観でした。
「第1章 古神宝」では、広島・厳島神社、神奈川・鶴岡八幡宮、愛知・熱田神宮の古神宝などが 目を引きました。
「第2章 祀りのはじまり」では、三重・神宮文庫の重文 古事記 上巻(室町時代・応永33年(1426)写)などが展示。
「第3章 神社の風景」では、奈良・春日大社や山口・防府天満宮の絵巻、滋賀・日吉大社や和歌山・熊野那智大社の曼荼羅などが展示。
「第4章 祭りのにぎわい」では、岐阜(本巣市)・春日神社、山形・黒川能上座、広島・厳島神社の能装束などが展示。
「第5章 伝世の名品」では、青森・櫛引八幡宮、静岡・三嶋大社、京都・北野天満宮などの宝物が展示。
第6章 神々の姿」では、石川・白山比盗_社や京都・仁和寺の神像絵画が展示。
ゆっくり見れば2〜3時間はかかりそうでした。それくらいすごいお宝ばかりでした。
第5章の国宝 直刀 黒漆平文大刀 1口 平安時代・9世紀 茨城・鹿島神宮(刀身は、長さ223.4cm、反り0.7cm、元身幅5.1cm、先幅3.1cm、茎長36.8cm、切刃造り角棟。)にはあまりの大きさに畏れ驚きました。
この 大神社展は 九州国立博物館で 1月15日(水)~3月9日(日)に開催されるようです。

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2013年06月01日

増上寺境内 4(港区)

境内図の5にあたるのが 貞恭庵(和宮茶室) です。
十四代将軍徳川家茂公御正室、皇女和宮さまゆかりのお茶室ですが昭和五十五年(1980年)に移築・改修し、一般にも利用されるようになりました。残念まがらこの日は閉まっていました。
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貞恭庵(和宮茶室)
 幕末の悲劇の主人公、皇武合体の犠牲者として有名な徳川十四代家茂御台所 静寛院和宮の茶室。老朽化したものを改修・移転、宮様の遺品であるご愛用の琴、手紙、漢詩の書作品などが残されている。
そのちかくにあるのが聖観世音菩薩像です。古いものではありません。
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「ホテルニュージャパン罹災者のみたま
   とこしえに安からんことをお祈りして」
とありTVで見た あの悲惨な火災を思い出しました。
本堂の前に行きます。
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本堂前に、立派な三波石が置かれている。 蘇鉄も一緒に植えられている。
境内にはたくさんの石碑などがありますが その中のいくつかを見てみます。
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詠唱発祥の地(増上寺)
長い説明文が書いてありましたが 要約すると ここ増上寺は浄土宗の大本山で、 南無阿弥陀仏 の念仏詠唱の始まりの地なのだそうです。
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魚供養之碑(増上寺)
築地の水産会社が建てた「魚供養塔」です。魚がしの会社が成功したのは魚類のお陰と感謝の気持ちを込めて建てられた供養碑です
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増上寺観音像
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聖鋏観音
聖鋏観音像は、彫刻界の長老北村西望氏の制作である。
ハサミは観音菩薩の
     御手そのものである。

                     徹誉大僧正
国際美容協会会長・山野愛子が願主となって、大本山増上寺境内のこの地に建立、開眼された。
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仏足石(THE STONE IMAGE OF BUDDHA'S FOOT)
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仏足石は仏の足うらの形(千輻輪相)を石に彫りつけたもの、インドでは仏像が刻まれる以前は仏足石や菩提樹などで釈尊を象徴的にあらわし、人々はこれらを仏として礼拝した。
 この仏足石は、当山第70世福田行誠上人の代、山内宝松院松涛泰成上人の発願により明治14年(1881)5月に建石されたもので、側面には仏像、経文、由来などが刻まれている。
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ブッシュ槙
米国第41代ブッシュ大統領が副大統領として昭和57年(1982)4月24日来日の際、増上寺に参詣し、記念としてこの樹(コウヤマキ)をお手植されました。
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グラント松
米国第18代大統領グラント将軍は明治12年(1879)7月国賓として日本を訪れ、増上寺に参詣し記念としてこの樹を植えました。
三門近くの一際目立つ大きな木です。


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