2013年07月31日

猿江船改番所跡

新扇橋の北詰には猿江船改番所跡の説明版があります。
sarue (2).jpg
猿江船改番所跡 (猿江1−1付近)
sarue (1).jpg
猿江船改番所跡
「 猿江船改番所は、小名木川と大横川が交差する所の猿江側に、元禄から享保期(1688〜1736)頃に設置されました。
 小名木川は江戸への物資輸送の重要な交通路であったため、とくに江戸の町を守る必要上、江戸時代の初め、万年橋北岸に通船改めの番所が置かれました。その後、中川口へ移転し、中川船番所として利根川水系や房総方面と江戸の間を航行する川船を取り締まっていました。猿江船改番所は中川番所とは別に、川船行政を担当する川船改役の出先機関として設置されたものです。
 幕府や諸藩の荷物を運搬し、江戸へ出入りする船には川船改役によって極印が打たれ、年貢・役銀が課せられていました。そのため新たに船を造ったり、売買によって持ち主が替わった場合などは届け出が義務づけられていました。猿江船改番所の仕事は船稼ぎを統制することにあり、こうした年貢・役銀を徴収したり、川船年貢手形や極印の検査を行っていました。
 この他江戸市中では、浅草橋場(台東区)に同様の番所が設置されていました。
 平成6年(1994)3月 江東区教育委員会」
saruek.JPG
中川船番所とは別に、川船行政を担当する川船改役(かわふねあらためやく)の出先機関として設置されました。
幕府や諸藩の荷物を運搬し、江戸へ出入する船には、 川船改役によって極印が打たれ、年貢・役銀が課されましたが、猿江船改番所は船稼ぎの統制と年貢・役銀の徴収と極印(証明)等の検査をしていました。
takahasi.jpg
中川番所資料館については ブログに書きました。
江東区中川船番所資料館
http://umeno87.sblo.jp/article/70515224.html

猿江という地名は康平年間(1058年頃)に「源義家臣猿藤太」と書かれた鎧を着た武士の死体がこの地に流れ着き、住民たちが祠を建てねんごろに弔ったという伝説に由来する。
ougibasi.jpg
扇橋北詰。扇橋閘門が見えています。

posted by うめのはな at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月30日

新扇橋

新扇橋です。
sinougibasi (5).jpg
新扇橋
猿江一丁目〜扇橋一丁目間 小名木川
構造・形式 1径間鋼製ランガー・アーチ
橋長(m) 57.3 橋幅(m) 17.9
現橋架設年 昭和48年(1973)3月大改修 江東区
昭和4年(1929) 長57.3m、幅15.0m
1径間鋼製トラス 震災復興橋梁
ougin.jpg
橋の上から 新高橋方向を見ています。
sinougibasi (6).jpg
江東区の木である黒松の並木が見えます。
小名木川の黒松については 以前ブログに書きました。
小名木川橋
http://umeno87.sblo.jp/article/60557921.html
sinougibasi (1).jpg
新高橋
構造・形式 1径間鋼製トラス
橋長(m) 56.1 橋幅(m) 13.8
現橋架設年 昭和
54年(1979)5月小改修 江東区
昭和5年(1930) 長56.1m、幅13.2m 1径間鋼製トラス
震災復興橋梁
「新」がついていますが、高橋と共に江戸時代からあるものです。
船着き場もあります。
mapo.JPG
地図による位置関係です。
posted by うめのはな at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月29日

民営機械製粉業発祥の地

小名木川(おなぎがわ)は、東京都江東区を流れる人工河川です。
旧中川から隅田川を結ぶ運河で、途中横十間川、大横川と交差しています。

小名木川名はこの川を開削した「小名木四郎兵衛」の名からとりました。
新扇橋の南詰に民営機械製粉業発祥の地の記念碑があります。
sinougibasi (2).jpg
この記念碑は黒い御影石で作られているので 正面から写そうとすると自分の姿が写ってしまいます。
なぜか 直方体は微妙に各面の角度が違っているので 見ていて落ち着きません。
sinougibasi (4).jpg
どこからでも周りが映ってしまいます。
なぜこのような形になったのかは知りません。
sinougibasi (3).jpg
民営機械製粉業発祥の地
東京都江東区扇橋1丁目
 「明治12(1879)年, 明治を代表する実業家 雨宮敬次郎は, 水運の便のよい小名木川に着目して, この地に それまでの水車動力に代わる 蒸気機関を動力源とした, 民営では最初の 近代機械製粉所 「泰晴社(たいせいしゃ)」を創設しました。
 欧米を視察して製粉事業の将来性を確信した雨宮は, 蒸気機関のほか 石臼製粉器, 篩器(ふるいき)などの製粉装置を米国から輸入して 製粉事業の経営に成功をおさめました。
 雨宮の製粉事業は 東京製粉合資会社に受け継がれ, 明治29年に 日本製粉株式会社に 改組されました。

また, 小名木川沿岸には 明治30年台に製粉会社が次々と設立され, 全国でも屈指の小麦粉生産高を誇るようになりました。 こうして泰晴社は, 小名木川沿岸に さまざまな近代的工場が進出してくる さきがけともなったのです。
 なお, 明治初期の機械製粉所には, 開拓使により札幌に設立された 磨粉機械所(明治9年), 大蔵省による 浅草蔵前の製粉所(同12年) の二つがありましたが, これらの官営製粉所は ともに日本製粉株式会社が その事業を継承しました。 江東区」
tseifin.JPG
今でも操業している製粉会社が、近くにあります。
東京都江東区扇橋2丁目 「東京製粉株式会社」です。
写真では東京の文字しか見えません。サイロのようなものが見えます。

posted by うめのはな at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月28日

隅田川花火。。。。

昨夜は食事の後 花火の写真を撮ろうと 開始30分くらいして 住まいの北側に出たのですが・・・
思ったより風が吹いてて 雨粒が当たってきた。
防災メールも3通来て 竜巻注意報と書いてありました。大丈夫かなと様子見つもりでした。
それでも花火は上がっていたし スカイツリーもぼんやりながら見えていました。
カメラを構えて撮ろうとしたら 雨風が強くなり あわてて1枚だけ写しましたが 雨で花火はよく見えませんでした。
ドアをあけて部屋にもどるとTVの映像もかなりの雨で 中止となりました。
スカイツリーと花火を撮ろうと思ったのに 残念。もう少しはやく 出ればよかった。
このあとすぐ すごい雷雨となりました。日中はいい天気だったのにねぇ〜
IMGP9550.JPG
とにかく 急いで撮った ぶれぶれ写真が1枚残りました。
花火は打ち上げが電子制御されているので あれだけ濡れたら再使用できないとTVで言っていました。
また 来年・・・・
posted by うめのはな at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年07月27日

ひまわり

街を歩いていたら ひまわりの花をみかけました。
そんなに長い距離ではないですが 街路樹のように植えられていました。
夏らしい風景だなあ〜と・・カメラを構えました。
himawari (1).jpg
ひまわり畑や公園や花壇ではよく見るのですが こういう風に歩道に並んでいるのは なかなかいいものです。
ご近所のひとたちが植えたのでしょうか・・・
himawari (2).jpg
ちょっと見通しが悪いという欠点はありますが 歩道なので車の心配もないでしょう。
ひまわりは 100種類以上も種類があるそうです。
これは小さ目の花でした。
ひまわりといえば 3年ほど前明野のひまわり畑に行ったことを思い出しました。
akeon.jpg
明野の広大なひまわり畑です。景色もよかったです。
himawari (3).jpg
いろいろな種類のひまわりがありましたが 黒いひまわりもありました。
himawari (4).jpg
黒いというより ワインレッド。なんでもイギリスでは「BLOOD RED」(血の赤)と言うそうです。
黒いひまわりにも種類があるそうです。
一代交配種だと次の年は黄色いひまわりになってしまうとのこと・・・・
himawari (5).jpg
これがどういう名なのか知りませんがサンフラワーブラックマジックという名の黒いひまわりもあるそうで・・・
たしかに ブラックマジックですが 最近はあちこちの公園でも見かけますね〜
余談ですが 私はKiroro「ひまわり」がなんとなく好きです。
posted by うめのはな at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月26日

青山学院間島記念館「愛の像」

旧間島記念館の前には、1907年に米国聖公会から派遣された宣教師であり建築家のJ・M・ガードナーによって設計された「弘道館」がありましたが 関東大震災で大破しました。そのデザインをベースに、1929(昭和4)年に中央図書館として再建されました。
majima (8).jpg
入口前にある 対の外灯です。
majima (4).jpg
エントランス部分。どことなくお屋敷の雰囲気です。
majima (5).jpg
1階中央ホール部分には、万代順四郎が寄贈した「愛」の像(横江嘉純作、1930年設置)が飾られています。
majima (6).jpg
愛の像 間島記念館1階ホール
(横江嘉純作)

(昭和5年8月設置)
万代順四郎氏寄贈
majima (7).jpg
万代順四郎氏は1907(明治40)年青山学院高等科を卒業、在学中にキリスト教徒となりました。
母校青山学院において、理事長・校友会会長などを歴任、1952(昭和27)年以降は、財務理事として青山学院の復興・諸施設の充実、経営の改善・合理化など健全財政の礎を築きました。また、奨学金制度の必要性を痛感し、巨額の私財を学院に寄付されました。これを基金として発足したのが「青山学院万代奨学金」です。
間島記念館は青山学院の象徴ともいえる建物ですね。

posted by うめのはな at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷区

2013年07月25日

青山学院間島記念館(渋谷区)

キャンパス中央ロータリーに北面して建つ間島記念館です。
majima (1).jpg
正面入口のアーチ開口、正面にコリント式の円柱を連ね、それが高い基壇をなす一階部分に載る姿は古代ローマ神殿を思わせます。
majima (2).jpg
本格的な古典主義的構成を持つ建築物。
majima (9).jpg
登録有形文化財(建造物)
竣工 1929年(昭和4年)
設計施工
清水組
鉄筋コンクリート造3階建、建築面積208u
東京都渋谷区渋谷4-22他
登録年月日:20080418
majima (3).jpg
【間島記念館】
1929(昭和4)年に図書館として建設されました。関東大震災後の校舎復興を機に、中央図書館を新築することになり、校友会会長であり理事であった間島弟彦氏がその資金の寄付を申し出られ、死後に愛子夫人がその遺志を継いで建設されました。
majima (10).jpg
両翼部は縦長窓で垂直性を強調し、上部コーニスをデンティルで飾る。
majima (12).jpg
ネオ・ルネサンス様式です。

posted by うめのはな at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷区

2013年07月24日

蔦の絡まるチャペル(青山学院・渋谷区)

青山学院ベリーホール(登録有形文化財) は現在は本部棟として利用されています。
bre.jpg
歴史と風格が漂う重厚な建物です。
bre (1).jpg
大正6年までヴォーリズ建築事務所のスタッフだったJ.H.ヴォーゲルが原案を提供とのことです。
ヴォーゲルは独立して上海に赴く以前の五年間は、近江八幡のヴォーリズ建築事務所に在籍し、中心的なメンバーとして活躍していた人物です。
bre (2).jpg
エントランス。内部は入れませんので入口だけ。
bre (3).jpg
正面左手側が平屋建ての礼拝堂。アーチ型の窓が並びステンドグラスの柔らかな光につつまれているそうです。
bre (5).jpg
階段のステンドグラスが見えています。
bre (4).jpg
青学の校友会館である青学会館で結婚式を挙げる場合に、青学卒業生に限ってこのチャペルが利用できるそうです。
bre (6).jpg
チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂は ペギー葉山氏の代表的な歌である『学生時代』の中にでてくる「蔦の絡まるチャペル」です。
同建物の前には、「学生時代」の歌碑が2009年に建立されています。
posted by うめのはな at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷区

2013年07月23日

青山学院ベリーホール (渋谷区)

正門から銀杏並木を歩くと キャンパス中央ロータリーに古い建物が見えてきます。
ber (2).jpg
青山学院ベリーホールです。
br8.jpg
国登録有形文化財(2008年3月)
ber (10).jpg
青山学院ベリーホール 登録有形文化財(建造物)

竣工 1931年(昭和6年) 清水組
鉄筋コンクリート造3階地下1階建、建築面積817u
東京都渋谷区渋谷4-22他
ber (8).jpg
キャンパス中央ロータリーに西面して建つ。RC造3階建の主体部北端に平屋建の礼拝堂を設け、これと対称性を保って南端にも平屋建が付く。主体部や正面車寄はバットレスで飾り、欠円アーチや尖頭アーチ、簡明な細部彫刻を配す。ネオ・ゴシック風意匠になる。
1931(昭和6)年に神学部校舎として建築されたが、現在は本部棟として利用されている。
ber (6).jpg
「ベリーホール」は、1905年から1931年まで神学部で教鞭をとり、神学部長になられたA.D.ベリー先生が、関東大震災で倒壊した青山学院の校舎復興のための募金活動に尽力されたため、後年、校舎建築に貢献された功績をたたえて、「ベリーホール」と命名されました。
ber (5).jpg
鉄筋コンクリート造3階建(一部平屋建)、地階・屋上を有する。正面左手側が礼拝堂で、左右対称の構成とするため右手部分も平屋建とした。ゴシックを基調とした厳格な左右対称の建築物。
ber (7).jpg
石造りのように見えますが 大理石チップを混ぜたモルタルの金鏝の洗い出し仕上げ。
ber (4).jpg
「ベリーホール」内には、チャールズ・オスカー・ミラー夫人の遺志による寄付金で建設された「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」があり、講壇の横には、現役で活躍するパイプオルガンとしては、日本最古ともいえる1932(昭和7)年ドイツ・ヴァルカー社製のパイプオルガンが備えられています。

posted by うめのはな at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷区

2013年07月22日

青山学院(渋谷区)ジョン・ウェスレー

青山キャンパスの正門右側の総合研究所ビルの入口の壁に、立像があります。
ws1.jpg
金文字で「John Wesley preaches love and peace in Christ for the world」と刻まれています。
ws.jpg
ジョン・ウェスレー(John Wesley、1703年6月28日(ユリウス暦6月17日) - 1791年3月2日)
18世紀のイングランド国教会の司祭で、その後メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導した人物で、「キリスト者の完全の教理」を説き、愛における完全は、信仰によって、この地上で、今、実現するということを強調しました。
青山学院は、メソジスト派の一つである米国メソジスト監督教会の信仰と祈りによって、創立された学校の一つです。
ws2.jpg
西門の近くには ウェスレーホールがあります。
ws3.jpg
この隣にはアイビーホールがあります。
posted by うめのはな at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷区

2013年07月21日

青山学院のレリーフ(渋谷区)

「青山」の地名は、江戸初期に徳川家康の側近だった青山忠成(江戸町奉行)の拝領地だったことに由来しているといわれています。江戸時代には大名や幕臣の屋敷が数多くあり、現在の青山学院大は伊予西条藩松平家上屋敷跡だそうです。
実は 青山学院の住所は東京都渋谷区渋谷4なのです。現在は「青山」という住所はないのです。
正確には、R246を挟んで、港区の「北青山」と「南青山」になっています。一帯の総称として、「青山」という表現が使われています。
向かい合う こどもの城と国連大学を含む一帯は、山城淀藩稲葉家下屋敷跡でした。江戸市街地の外縁部に当たり,大名下屋敷,武家屋敷が多かったのです。
青山学院に縁のある人物などのレリーフを見てみます。
gautya.jpg
ジョン・フランクリン・ガウチャー(John Franklin Goucher、1845年6月7日 - 1922年7月19日)

1868年ディキンソン大学卒業。名誉神学博士・名誉法学博士。キリスト教教育事業に惜しみなく莫大な金額の私財を献じ、6万ドルを超える援助は美會神学校をはじめ、青山の土地購入資金、二度にわたる校舎の建築資金、その他教職員の給与の一部にまでおよびました。青山学院は事実上ガウチャー博士の私財をもって設立されたと言っても過言ではありません。
ジョン・F・ガウチャー個人の寄付によって1882(明治15)年秋、総額6千円で、伊予西条藩松平左京大夫上屋敷跡地約3万坪を購入した。
これが、現在の青山キャンパスの中心となったのである。
2001年に建てられたガウチャー・メモリアル・ホールも彼の功績を称えて名付けられました。
620aoyama (2).jpg
ジュリアス・ソーパー(Julius Soper、1845年2月15日 - 1937年2月5日)
青山キャン青山学院の源流である築地にあった「耕教学舎」(1878年)の実質的な設立者。博士は、米国メソジスト監督教会宣教師として1873(明治6)年夫人とともに来日し、38年間宣教と教育に貢献しました。1878(明治11年、津田仙などの協力を得て築地に英学と漢学を教授する「耕教学舎」を開校しました。「耕教学舎」はスクーンメーカー女史が開校された「女子小学校」とともに、青山学院の源流のひとつ

となっています。
r1.jpg
ドーラ・E・スクーンメーカー(Dora E. Schoonmaker、1851年11月14日 - 1934年12月5日)
アメリカ合衆国のメソジスト派の伝道師であり、23際の若さで来日。青山学院の最も古い源流であり、明治期の女子教育の開拓的学校である「女子小学校」を開設.
r2.jpg
ロバート・サミュエル・マクレイ(Robert Samuel Maclay、1824年2月7日 - 1907年8月18日)
「美會神学校」(1879年)創立者
アメリカ合衆国の宣教師、東京英和学校(現・青山学院大学)総理(初代院長)
r3.jpg
アーサー・D・ベリー
1902(明治35)年来日。1905(明治38)年に青山学院神学部教授となり、1908(明治41)年から1931(昭和6)年まで神学部長の職にあって、教育の充実と施設拡充に力を尽くしました。
関東大震災で倒壊した神学部校舎再建のため、自ら募金活動の中心に。「ベリーホール」はその功績を称えて名付けられました。
これらのレリーフはベリーホール前にあります。

posted by うめのはな at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷区

2013年07月20日

青山学院大学・青山キャンパス

小雨ふる日でしたが 青山学院大学に行きました。
正門ではなく記念館のほうの門から入りました。
aogaku1 (1).jpg
正面に見えるのが総研ビル(14号館)です。
aogaku1 (5).jpg
正門から正門から間島記念館まで銀杏並木です。秋は黄金色で美しいでしょう。
aogaku.jpg
ガウチャー・ホール/1887(明治20)年、ガウチャー博士の寄付により完成。1887年には現在の大学記念館のあたりに美しい洋風校舎が彼の献金によって建てられ、ガウチャー・ホールと称されました。

g1.jpg
1894(明治27)年6月20日、東京大地震により大破損したガウチャー・ホールは補修使用されてましたが、1906(明治39)年、新ガウチャー・ホールの建設により取り壊されました。
gn.jpg
新ガウチャー・ホール/1906(明治39)年に完成。1923(大正12)年9月1日、関東大震災により倒壊。
aogaku1 (6).jpg
キャンパスの建物には建てられた順に1号館、2号館と番号が付いています。
1号館・2号館はキャンパス内で最も古い建物。
1号館と同じ、大正15年(1926)に建てられた2号館です。
aogakuk.jpg
青山学院大学 2号館
東京都渋谷区渋谷4-4-25
竣工年:1926年(昭和元年)

posted by うめのはな at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷区

2013年07月19日

有楽町から丸の内

有楽町から丸の内あたりまで歩く。
目につくビルがいくつかあります。
まず 日本を代表する名門ホテルである 帝国ホテル東京新本館
marunouti (2).jpg
竣工年:1972年
高さ:17階
延床面積:240,250u(新本館+インペリアルタワー)
建築主:帝国ホテル
設計:高橋貞太郎
施工:鹿島建設・清水建設・大林組
所在地:東京都千代田区内幸町1-1-1
要人ではエリザベス英女王やフォード米大統領などが宿泊している。
marunouti (1).jpg
日本生命日比谷ビル(日生劇場)
設計: 村野・森建築事務所
竣工: 1963年
施工大林組
所在地 東京都千代田区有楽町1-1-1
完成時の座席数は1358、現在の座席数は1,330。重厚な外観と幻想的な内装を持つ建物として知られる。
鉄骨鉄筋コンクリート造8階建、地下5階。オフィス部分と日生劇場から構成される複合ビルである。
marunouti (3).jpg
日比谷サンケイビル(旧:大正生命日比谷ビル)
竣工年:1992年
施工:鹿島建設
設計:kajima design
高さ:12階 延床面積:5,880.63u
所在地:東京都千代田区有楽町1-9-1
旧称「大正生命日比谷ビル」。2000年に破綻した大正生命保険が本社として使用していた .
重厚で凝ったデザインになっています立て替える前のビルを模したものと思われます。
marunouti (8).jpg
丸の内パークビルディング
東京都千代田区丸の内二丁目
3つのオフィスビルを解体して一体的に再開発されました。
解体された丸ノ内八重洲ビルは1928年(昭和3年)竣工の近代建築であるため、一部がファサード保存され丸の内パークビルディングの外壁として保存・活用された。
marunouti (5).jpg
ファサードは保存された丸ノ内八重洲ビルの一部 です。
marunouti (4).jpg
内側はこんな通路になっています。

posted by うめのはな at 07:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年07月18日

東京国際フォーラム(ガラス棟)

有楽町駅です。上野ー新橋間連絡線として明治末期に建設されて以来、関東大震災、東京大空襲を生き残った貴重な鉄道遺産である赤レンガが見えます。
yuuraku.jpg
駅前にある東京国際フォーラムに行きました。
ガラス張りの巨大アトリウムが輝きを放つ東京国際フォーラム。
ガラスの吹き抜けホール(ガラス棟)は「船」を題材にしており、その巨大な外観と共に、構造を露出した内部が象徴となっています。
marunouti (6).jpg
東京国際フォーラムは、国際コンペによって最優秀作品となったラファエル・ヴィニオリ氏の設計によるもので、大小4つのホール群からなる「ホール棟」と「ガラス棟」から構成されています。
世界でも類を見ない総ガラス張りの光あふれる大アトリウムが特徴のガラス棟の大屋根は、全長208mの船底の形です。
屋根鉄骨2,500tの重量を2本の大柱で支えています。
marunouti (7).jpg
東京国際フォーラム
設計者: ラファエル・ヴィニオリ(Rafael Vinoly)
構造設計:渡辺邦夫
設備設計:森村設計
施工 :大林組、鹿島建設、安藤建設、錢高組、五洋建設、藤木工務店、森本組、地崎工業、勝村建設所長 
葛和敬章受賞 :BCS賞(1998)
所在地: 東京都千代田区丸の内三丁目5番1号
竣工 1996年5月
3,600枚のガラスが鮮やかな曲線を描くアトリウムは 陽光がふりそそぎ明るいです(この時期は少し暑い)。
船底のような天井の下 中空に架かるブリッジやスロープの回廊となっています。空中散歩のように下を見下ろすことができます。
この国際フォーラムと似たような天井は 京都駅(JR西日本)です。
kyoto.jpg
京都駅(JR西日本)
建築設計:原広司 / アトリエファイ建築研究所
施工:京都駅ビル建設工事JV(大林・鉄建・大鉄他JV)
竣工:1997年7月
用途:駅舎・複合施設
構造:鉄骨造+鉄骨鉄筋コンクリート造
階数:地上16階、地下3階 (高さ60m、横幅470m、奥行80m)

BCS賞(1999)
kyotob.jpg
京都駅ビル中央駅舎部のコンコースは、4000枚のガラスを使用した正面と大屋根で覆う広々とした吹き抜け(横幅147m、奥行29m、高さ50m)になっている。吹き抜けの最上部には地上45mの空中径路が通っています。
大階段は段数171段、高低差は11階建てビルに相当する35m、全長は70mある。

posted by うめのはな at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年07月17日

銀座 奥野ビル

銀座1丁目裏通り、奥野ビルのギャラリーに行きました。
okunobi (1).jpg
この奥野ビルについては 2013年03月28日のブログで紹介しました。
http://umeno87.sblo.jp/article/64121590.html
1932年に「銀座アパートメント」として建てられた地上6階(+1階、後に屋上に追加)、地下1階のビルです。
kyoubasi211197 (2).jpg
ビルの左右で時期をずらして建設されたため、外から見ると2つのビル、中に入ると1つの建物。
okunob (3).jpg
階段もそのまま2カ所にあります。並んでいてしきりはガラス窓です。
okunobi (4).jpg
階段が並んで二つある構造はとてもユニークです。境界のガラス窓が鏡かと錯覚しました。
okunob (4).jpg
各部屋は小さくトイレも共同だそうです。
okunobi (2).jpg
建物はレトロでも、それぞれの室内はほとんどがきれいに改装されて、ギャラリーや事務所などになっています。
okunob (1).jpg
入口は堅牢そうな感じで入ってすぐにエレベーターがあります。
okunob (2).jpg
階数を針で刺し、ドアは手動というエレベーターです。扉は重くて開けるのにコツがいりそうです。
okunobi (3).jpg
花の銀座でまだこいういうものが残っているのはうれしいものです。
okunob (5).jpg
内部はまだまだ頑丈そうなのですが 外壁はかなり古びていました。
外壁にも丸窓がついていて レトロな感じです。

posted by うめのはな at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年07月16日

銀座の天使ちゃん

銀座4丁目といえば和光。
ginza705 (4).jpg
下から建物を見上げています。銀座のランドマーク的建物です。
gin4 (1).jpg
銀座和光(旧服部時計店)
設計:渡辺仁
施工:清水組
竣工:昭和7(1932)年
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り
所在地:東京都中央区銀座4-5-11
和光から少し数寄屋橋方面に行くと 天賞堂があります。
tensig (2).JPG
その天賞堂銀座本店の角にかわいい天使がいます。
tensig (1).JPG
銀座の名所の一つとして知られています。この天使ちゃんは男の子です。
tensig (3).JPG
天使ちゃんがやってきたのは1997年のこと。壁からそっと覗き見る姿は愛らしいです。天使 と てんしょうどうの言葉から、「キューピッド役」を果たし、ハートを射止められたカップルの来店を狙ったものだそうです。
tensig (4).JPG
そっと のぞいてカップルを探す姿はかわいいです。
矢をすぐに放てるように、弓矢を体の左側にしっかり持って、お店の角から顔を出して、歩いてくるカップルを狙っています。
一度 いなくなったこともあるそうで 心配したみんなが探したところ、数百メートル離れた路上 にいたそうで 誘拐されたのか 自分で歩いていったのか・・・・どうかはわかりませんがそれから固定されたとのことです。
銀座に行ったら ぜひ天使ちゃんに会いに行ってくださいな。
posted by うめのはな at 07:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年07月15日

銀座 記念碑など

東京メトロ有楽町線・銀座一丁目駅近く カルティエ銀座2丁目店の壁面に「東京銀座通電気燈建設之図」プレートがあります。
ginza705 (1).jpg
銀座2丁目のカルティエ前は、電気を使った街灯が初めて建てられた場所。
明治十五年十一月(1882)当地に初めてアーク灯が灯され、銀座に不夜城が現出した当時の模様を描いた錦絵を彫刻したものです。
『明治15年11月 ここに始めてアーク燈をつけ 不夜城を現出した当時の錦絵を彫刻してその記念とする  昭和31年10月1日』
アメリカ製発電機を用いて二千燭光のアーク灯が点灯されたそうで、こちらはガス灯よりもはるかに明るく、「まるで昼間のようだ」と人々を驚かせた。
gin4 (2).jpg
銀座発祥の地 東京都中央区銀座2丁目
銀座役所趾
慶長17年(紀元2272年 西暦1612年)
徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す
当時町名を新両替町と称せしも 通称を銀座町と呼称せられ
明治2年 逐に銀座を町名とする事に公示さる
   昭和30年4月1日建之 銀座通連合会
「銀座」は江戸時代金貨(小判)を扱う金座に対し、銀および銀貨の鋳造・取締りを司った幕府の機関で、慶長6年(1601年)に伏見に創設されました。同11年には駿河にも設けられ、同13年伏見銀座は京都に、同17年駿河銀座は江戸(現在の銀座2丁目。当時は新両替町)に移されました。これが銀座の地名の起こりです。
次は銀座4丁目のミキモト前です。
ginza705 (2).jpg
2013年は養殖真珠発明120周年だそうです。
ginza705 (3).jpg
真珠王記念碑  中央区銀座4-5-5 
碑文「 御木本幸吉翁は本年九十五歳養殖真珠の創始者で真珠王の名は全世界に及んでゐる當處南北十間の地は翁の店舗の場所である 昭和二十八(1953)年四月 銀座通聨合會」
昭和28年、幸吉翁95歳の時、真珠王の名を馳せた翁の功績に対し、銀座の誇りであるとしてこの碑が建立されました。
posted by うめのはな at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年07月14日

東京海洋大学 越中島キャンパス史跡等

前回まで東京海洋大学越中島キャンパスの歴史的建造物を見てきましたが構内にはいろいろな史跡があります。
kaiyousiseki (6).jpg
G.E.O.ラムゼー巧徳碑
kaiyousiseki (5).jpg
 「この碑は、G.E.O.ラムゼ船長の優れた人格に対する尊厳と称賛を永く記憶するために明治19年(1886年)3月の彼の没後1周年にあたり門弟達が建てた。初めは上野美術学校、現在の東京芸術大学の辺りにあったものを、大正の初め頃に現在地に移した。ラムゼー船長は、天保10 年(1839年)イギリスのロンドンに生まれ、若くして航海学を学び、明治8年(1875年)に一等航海士として初めて日本に来た。明治9年(1876年) 6月1日に三菱商船学校(本学部の前身)の運用学教員として教壇に立ち、学生に航海術を教えた最初の先生で、明治15年(1882年)4月に三菱商船学校が、官位に移行されることに伴い、惜しまれつつ学校を去ることになった。そして、航海術の啓発や海運事業に多大の功績を残し、明治18年(1885年)3月に他界した。なお、この碑は平成5年(1993年)に江東区の有形文化財(歴史資料)に登録された。」
kaiyousiseki (2).jpg
精神不滅の碑
kaiyousiseki (1).jpg
「太平洋戦争中の昭和19年(1944年)7月と8月、清水高等商船学校学生3名は不屈の精神を持って遠泳訓練に挑んだが、数日来の豪雨の影響もあり、最後まで泳ぎ着いたものの力尽きて死亡した。
 この碑はその敢闘精神を記すため、昭和19年(1944年)11月に清水で建てられ、越中島に移された。 」
kaiyousiseki (4).jpg
招魂碑
kaiyousiseki (3).jpg
 「東京商船学校生であった田副重右衛門は、英国船に乗船して米国に渡る途中暴風雨に遭遇して死亡した。この碑は僚友たちが出資して明治21年10月に建てられ、題字は逓信大臣榎本武揚の篆書である。平成5年(1993年)江東区の有形文化財(歴史資料)に登録された。」
キャンパス内には他に 明治天皇聖蹟の碑、、菅船長記念像、株於校庭永記光榮云碑 繋留練習船明治丸記念碑 植樹記念碑 などがあります。
また 大正年間に用いられたと思われる蒸気機関の主復水器とそれに冷却海水を送る蒸気原動機付きの循環水ポンプ、復水器。駆逐艦「あけぼの」シリンダが構内に置かれています。
明日15日 海の日キャンパス史跡巡りや体験乗船などのイベントがあります。
posted by うめのはな at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月13日

越中島会館と全天候型救命艇(海洋大)

明治丸の姿を見ながらポンドをすぎ実験棟をすぎると 越中島会館が見えてきます。
ekaiyou (1).jpg
東京海洋大学 越中島会館は東京商船大学の時代の「2号館」です。
ekaiyou (8).jpg
これは正面側から見た入口です。外壁は、当時流行したスクラッチタイル貼とし、正面中央に4本の柱型を立て垂直性を強調した意匠です。平成7年(1995年)〜平成8年(1996年) 越中島会館の大改装を行い 水産・商船教育界の記念碑施設としてのファサード部分を越中島通りに際立たせた。
ekaiyou (2).jpg
裏側から見たもの。
東京海洋大学 越中島会館(2号館)は、水産講習所本館として1933年(昭和8年)に再建されたもので、設計は文部省・大蔵省が行いました。左右対称型の簡素な外観となっています。
越中島会館(2号館)旧水産講習所本館
国・登録有形文化財(1997.12.12) 
竣工 1933年(昭和8年)   
設計 文部省、大蔵省  
構造 鉄筋コンクリート造2階建て  
建築面積 2,269m2  
ekaiyou (4).jpg
もともとは2つの中庭を持つ日の字形の平面の建物だったらしい。現在は東と西側の部分がなくなっている。
ekaiyou (3).jpg
正面の中央後ろに突き出た部分。手前の広場はかつては中庭でした。
kaiyoudai (88).jpg
越中島会館の正面玄関近くのグラウンド前の植え込みの中にあまり目立たず置かれているのが全天候型救命艇です。
ekaiyou (5).jpg
全天候型救命艇
「 第一中央汽船の「おうすとらりあ丸」に搭載されていた試作の救命艇で神戸の石原造船所で建造された。長さ(全長及び垂線間長)8メートル、型幅2メートル、型深さ2.3メートル。
 日本造船技術センターにおいて、日本船舶振興会の昭和45年(1970年度)から48年度(1973年度)に至る補助事業「救命艇及びその降下装置の研究」を実施した。そのなかで全天候型救命艇が開発され試作艇がつくられたが、本学の救命艇はその改良型である。昭和51年(1976年)年5月に「おうすとらりあ丸」から降ろし、本学に設置された。 」
ekaiyou (6).jpg
潜水艦に付いてる完全防水仕様のハッチと丸窓のある小さな船です。、1976年まで「おうすとらりあ丸」という鉱石専用船に搭載されていたものだそうです。非常時のシェルターなんですね。

posted by うめのはな at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月12日

旧東京商船学校観測台(海洋大)

東京海洋大学越中島キャンパスにはいろいろな史跡があり 時折史跡巡りのイベントがあります。
正門を入るとすぐ 左手にあるのが 第一観測台です。
kannsokudai (3).jpg
第一観測台(経緯儀室または赤道儀室)
八角形2階建煉瓦造 建坪8坪6合
竣工:1903年(明治36年)
設計:三橋四郎
構造:煉瓦造2階建て、鉄板葺
備考:国登録有形文化財(1997/12/12)
kannsokudai (4).jpg
屋根の円形ドームは手動絵回転できました。窓は二重でそのうち一つの窓が外側のベランダの出入り口でした。このベランダは戦時中鉄製品供出のため散り外されてしまいました。
kannsokudai (5).jpg
「 明治35年(1902)霊岸島校舎より越中島新校舎に移転した後の施設充実の一環として、明治36年(1903)6月に建設され、航海用天体歴の研究用および航海天文学教授用として使用された記念建造物で、内部には、当時としては最新鋭の東洋一といわれた7吋天体望遠鏡(Theodolite)を備え、望遠鏡は分銅式によって天体の運行に等しい速さで回転するようになっていた。屋根の半円形ドームは手動で360度の回転が可能であり窓は二重になっていた。
昭和の初期までは時折り授業にも使用されたが、昭和10年(1935)頃以降は学生の同好会「天文部」部員の手により、天体の観測に利用されていた。昭和20年(1945)終戦直後、校舎を米進駐軍に占領された後、内部施設も撤去され、現在は望遠鏡の台座が残っているに過ぎないが、輸入煉瓦造りの八角形の建物は貴重なもとのされている。」
kannsokudai (6).jpg
レンガはイギリスから取り寄せられたものだそうです。
すぐ隣にあるのが第二観測台です。
kannsokudai (2).jpg
旧東京商船学校観測台(子午儀室)。
竣工 :1903年(明治36年)
設計:三橋四郎
構造:煉瓦造平屋建、鉄板葺
備考:国登録有形文化財(1997/12/12)
kannsokudai (1).jpg
第二観測台(子午儀室)
八角形平家建煉瓦造  建坪8坪6合
「 明治36年(1903)6月第一観測台とともに建設され、内部には子午儀(Transit)を備え、天体の子午線通過時刻を精密に測定して精確な経度の測定をすること。およびその時の天体の高度から緯度を測定することなどが出来た。
昭和20年(1945)終戦直後、校舎を米進駐軍に占領された後、内部施設も撤去され、現在は台座のみであるが、八角形の建物で輸入煉瓦造りの現存する建物として貴重なものとされている。」
kannsokudai (7).jpg

posted by うめのはな at 07:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月11日

東京海洋大学越中島キャンパス

越中島は 江戸時代初期に榊原越中守が島状の土地に屋敷を持っていたところから「越中島」と名付けられました。その後忍藩松平下総守の領地となりました。黒船来航後、海防のためその屋敷の東隣に設けられた「越中島調練場」ができこの地域が海防拠点と注目されました。
明治維新を迎えると、幕府の調練場は新政府の陸軍練兵場となり、しばしば明治天皇の観閲を受けることとなりました。
明治32年11月「東京商船学校」の敷地となり、永代橋畔の霊岸島校舎から明治35年1月10日に移転。その後静岡・清水に「商船大学」が開学しましたが再び越中島に移転し、前身校である「東京商船大学」へと発展しました。所在地:東京都江東区越中島2-1-6
kiyoukouya (9).jpg
一号館
竣工  :1932年(昭和7年)
設計  :文部省・大蔵省
構造  :鉄筋コンクリート造3階建
一号館は、1902年(明治35年)1月11日に寄宿舎と共に完成しました。しかし、1923年(大正12年)9月1日関東大震災によって校舎等を焼失しました。旧事務局棟(正門守衛所隣)と共に1930年(昭和5年)12月に起工し、1932年(昭和7年)11月に完成。
kiyoukouya (7).jpg
現在も正門にある守衛室です。
1号館は船橋(ブリッジ)を模しています。
kiyoukouya (1).jpg
アーチ型の車寄せです。
kiyoukouya (2).jpg
エントランス。
kiyoukouya (3).jpg
入口付近から 内部。
kiyoukouya (8).jpg
国登録有形文化財 登録:平成9年12月12日
「航海船橋を模して造られたこの一号館の屋上には、実船のような船橋が設けられ、各種航海機器等を配置、中央に船型自差修正装置(デビエスコープ)、その北側に測深儀が取りつけられていました。また、測深実習が行えるように雨樋に似た筒が建物の外側に沿って造られています。 なお、一号館は、日本建築学会より保存すべき建物に指定され、1997年(平成9年)12月には文化庁から登録有形文化財に指定されました。」
kiyoukouya (5).jpg
先端科学技術研究センター
昭和7年(1932年)7月、1号館とほぼ同時期に鉄筋コンクリート建の東京高等商船学校図書館として竣工
kiyoukouya (6).jpg
竣工:1932年(昭和7年)11月
設計:文部省・大蔵省
構造:鉄筋コンクリート造2階建
備考:国登録有形文化財(1997/12/12)
明治丸側の壁が丸くなっているのは、船の船尾をイメージしてのもの。
kaiyoudai (29).JPG
エントランスです。
ほかの重要文化財も見て回ります。

posted by うめのはな at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月10日

重要文化財明治丸(東京海洋大学・越中島)

重要文化財明治丸は修繕工事のため、平成21年1月から当分の間、明治丸の公開を休止しています。
重要文化財明治丸
発注 1873年
進水 1874年9月26日
竣工 1874年11月24日
就役 1875年
除籍 1954年3月
meijimaru1.jpg
艦種 鉄製汽船
艦級 ロイド船級
排水量 1027.57トン
全長 68.6m
全幅 9.1m
吃水 6.9m
機関 レシプロ機関
機関出力 1530馬力
速力 11.5ノット
明治丸は明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に灯台巡廻船として発注し、明治7年(1874年)に竣工した日本に現存する唯一の鉄船です(現在の船はすべて鋼船)。
 この船は特別室やサロンを備え一等飛脚船同様の豪華な仕様の新鋭船で、単に灯台業務ばかりでなくロイヤルシップの役目も兼ねた船であった。明治天皇はじめ多くの高官が乗船し、わが国近代史の重要な場面で活躍した。わが国に現存する唯一隻の鉄船であり鉄船時代の造船技術を今に伝える貴重な遺産として昭和53年、国の重要文化財に指定されました。
明治丸は明治29年(1896年)に海洋大学の前身である商船学校に譲渡され、係留練習船として昭和20年(1945年)まで5000余人の海の若人を育てました。また大正12年(1923年)の関東大震災や昭和20年(1945年)の東京大空襲では被災した多くの住民を収容し災害救援にも貢献しました。
meijimaru.jpg
昭和63年には、修復工事を行い、往時の姿に一旦復元されました。しかし、その後、20年以上が経過し、雨風にさらされたマスト、ヤード、上部構造物が腐食、デッキも寒暖の変化で凸凹となり、至急に工事を要する深刻な状態に陥りました。
東京海洋大学では2009年度から修復事業等の費用の募金をはじめましたが 昨今の経済状況から募金活動が思わしくなく修繕がすすまなかったそうです。
平成23年6月8日、天皇、皇后両陛下が行幸なされた折 2階の展望スペースから明治丸の全景を御覧になったのち 明治丸の船内に入られ、明治天皇が座乗された船内の御座所をはじめ、階段室やサロンなどを御覧になられました。
その後 文化庁や東京都の支援により文化財の総合的な保存修理計画の策定及び保存修理ちうことで 国会で予算が認められようやく修繕が行われることになったそうです。
meijimaruf (1).jpg
パンフレットの写真です。平成23年の文字があります。
kkaiyou (2).JPG
これは2007年に公開中だった明治丸を写したものです。
kkaiyou (4).JPG
帆船です。2007年。内部は古いですが広くて豪華でした。
meijimaruf (2).jpg
パンフレットの明治丸。昭和8年とあります。
meiji.JPG
2007年撮影。
hakidte (2).jpg
錦絵「函館港烟花展覧図」 / 三代目歌川広重
明治9年7月16日〜18日、函館碇泊中の明治丸の錦絵。
一日も早く 修繕が終わり その優美な姿が再び公開される日を待ち望んでいます。
posted by うめのはな at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月09日

東京海洋大学百周年記念資料館 (江東区)

江東区越中島にある東京海洋大学百周年記念資料館に行ってきました。
kkaiyou (10).JPG
百周年記念資料館では現在 企画展示「明治を輝らした光−燈台巡廻船明治丸の活躍−」を開催中です。
明治天皇の御座船としての明治丸。小笠原領有に貢献した明治丸。いずれも、近代史での華々しい活躍です。しかし、明治丸の本来の任務は燈台巡廻船でした。
 本企画では、燈台巡廻船としての足跡をたどるとともに、燈台の貴重な錦絵や写真等を展示いたします。暗い海を輝らしただけでなく、明治という時代をも輝らした燈台の姿をご覧ください。 」

【日  時】2013年7月2日(火)〜7月31日(水)午前10時〜午後4時
IMGP9485.JPG
百周年記念資料館
「東京海洋大学百周年記念資料館(昭和53年開館)は、東京海洋大学の前身の一つである東京商船大学が明治8年11月1日に隅田川の永代橋下流に係留した成妙丸を校船と定めて開学してから、昭和50年で100周年となったことを記念し、その中心事業として建築されたものです。 この資料館は一般によく見られる海事資料館とは異なり、本学100年の歴史を軸とした商船教育史とその周辺の海事史を物語る資料を収集展示しております。」
数日前に行ったのですが 入館しようとしたら ちょうど俳優谷原章介さんの番組の撮影中でしばらくお待ちくださいとのことでした。
俳優谷原章介の祖父が東京商船高等学校(=現、東京海洋大学、東京都江東区越中島)の卒業生だということで 祖父の思い出の場所を巡る旅番組だとか・・・。しばらくすると谷原さんが出てきました。ほかに客もいなくてスタッフだけだったので 目の前でお姿を拝見しました。すらりとした長身の青年で あのまんまのイケメンのお顔でした。
 ボランティアの方がつきっきりで案内してくれましたので すみずみまで詳しく館内を見ることができました。
kkaiyou (5).JPG
入口付近の写真です。2Fも含めて 大型のエンジンや船の装備などが展示されていました。全国各地の灯台の写真も1Fです。
2Fは展望室のようものがあり 明治丸が見下ろせました。現在修繕中で非公開。
kkaiyou (6).JPG
昨年 天皇皇后両陛下もこちらに来られ 修繕中の明治丸をご覧になられたそうです。
kkaiyou (12).JPG
資料館前の商船教育発祥の地碑
江東区越中島2-1-6 (東京海洋大学 越中島キャンパス)

  商船教育発祥の地碑
碑文「商船教育発祥の地」の言葉については厳密に言えば霊岸島であり、この地は継承の地と言うべきである。
百周年記念事業としては永代橋袂に「船員教育発祥の地」の記念碑を建立した。
 昭和50年(1975)11月 東京商船大学百周年記念事業委員会」
またアンカー(錨)が置かれています。これは、明治丸の係留用に使われていたアンカーの一つで、ポンド内に埋まっていたものを掘り出し、大学創立85周年を記念して置かれたものです。アンカーの主幹は天の北極を指し、ストックは天の赤道を指している。
kkaiyou (8).JPG
第一世汐路丸の錨:
  昭和29年(1954年)3月竣工。昭和42年(1967年)3月まで小型練習船として学生の実習訓練、船舶運航技術の実験研究に活躍した。
  総トン数:150トン 主機:ディーゼル機関 380馬力 速力:10ノット
kkaiyou (9).JPG
スクリュープロペラ:
 旧日本海軍の駆逐艦磯風に装備されていた左舷プロペラ。
  重量:1,798kg 材質:マンガニーズブロンズ
 磯風は大正7年(1918年)竣工
  基準排水量:1,105トン 主機:27,000馬力 軸数:3 速力:34ノット
玄関前にはスクリュープロペラがあり、ボスには佐蔽S88、1918年(大正7年)10月10日風級左舷、重量1T798LBS、マンガニーズブロンズと刻印されていますが来歴は不明です。
kkaiyou (11).JPG
さらに元大成丸船長の大羽真治氏より寄贈された、東カロリン群島クサイ島の城壁の一部の玄武岩と西カロリン群島パラオ島の鐘乳石が資料館植え込みにあります。
玄武岩・鍾乳石
「 練習船大成丸は1937年(昭和12年)第54次遠洋航海で赤道に近いカロリン諸島を訪れた。
  クサイ島で大羽船長は酋長キングシラクから島名と年号を直筆した城塞の石材(玄武岩)を記念品として寄贈を受けた。
  船長は航海中にこの石材の文字を自ら彫刻し持ち帰った。またパラオ島では鍾乳石の寄贈を受けた。 」
東京海洋大学には重要文化財明治丸のほか たくさんの重要文化財があります。

posted by うめのはな at 06:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館・芸術鑑賞

2013年07月08日

銀座1丁目界隈アンテナショップ

銀座1丁目界隈に各県のアンテナショップがあります。有楽町の交通会館には前からいろいろあったのですが通りに面して出店したところがありますので行ってみました。もちろんお目当ては 福井のアンテナショップ。南青山にもあります場所柄利用しにくかったです。
gin1 (2).jpg
これが 食の国 福井館です。食に特化したお店で売れ行きNo1は地元の野菜だとか・・・残念ながらミニトマト以外 売り切れて何もなかったです。こじんまりしたお店の中にはイートインがありました。サバエドッグに興味をひかれましたが おなかいっぱいで食べられません。なんでも ごはんと豚肉をとんかつののように衣をつけて揚げたもので歩きながら食べれるソーツカツ丼だそうです。銀座なら近いので次回はきっと・・・・。あぶらあげやわかめ 梅干しなど、焼きサバ寿司とかいろいろ福井の食べものがあってうれしいです。
隣は 高知県。龍馬さんが立ってお迎えです。
gin1 (3).jpg
こちらは福井よりはるかに大きく野菜やしょうがお酒 ゆず お茶などたくさん並んでいました。
高知はしょうがですねぇ〜なるべく国産を食べたいので買いました。ミレービスケットも高知県です。馬路村のゆずも昔から使っています。
その隣は沖縄です。こちらのお店も大きいです。黒糖や沖縄でしか味わえない食べ物がたくさん売っていてお客さんも入っていました。
銀座1丁目のにはその他 広島や山形などのアンテナショップが並んでいます。
広島ものぞいてみたりしました。
gin1 (1).jpg
銀座柳通り

銀座一丁目と二丁目の間、地下鉄有楽町線の地上にあたる銀座柳通り。この画像は、銀座一丁目駅10番・11番出口付近の様子(中央通りと昭和通りの間)。
銀座1丁目 みずほ銀行前の歩道には銀座の柳由来の碑がありました。
yanagi.jpg
東京都中央区銀座1-7先
銀座の柳由来
銀座の柳は明治二十年ごろ銀座通りに植えられて以来大正九年撤去昭和六年復活の変転を経ながら数多くの詩歌にうたわれ人々に親しまれてきた銀座のシンボルとなった柳も樹勢の衰えもあって昭和四十三年歩道の大改修に当たり移植の止むなきに至った。
いまふたたびこの通り一帯に柳を迎えて「銀座柳通り」と名づけるに際し永く銀座の柳の由来を伝えるため碑を建立する 。銀座通聯合会

posted by うめのはな at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年07月07日

丸善の早矢仕ライス(丸の内オアゾ内)

東京駅ステーションギャラリーに行ったついでに 丸善・丸の内本店 MC cafeで食事しました。
千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾ4F。
店内は線路に面した大きなガラス窓があり、JR東京駅に出入りする鉄道各線を一望できます。一人席で電車を見ながら食事もいいものです。テーブル席もあります。ここは丸善の元祖、早矢仕(はやし)ライスが自慢。ランチタイムでしたので 早矢仕ライスとドリンクセットを注文。
ハヤシライスではな くここは 早矢仕ライス。店員さんの応対はとても丁寧でした。元祖早矢仕ライス1000円+ドリンクセット350円でした。
hayasi.jpg
一口食べて、甘いと感じました。すごい量の玉ねぎ根気よく炒めて深い茶色にしたような奥深い甘みです。食べているうちに だんだん酸味がわかってきて いろいろ使っているのだろうと思える 香辛料の味も感じてきました。香ばしい甘さ とろとろに煮込まれている為 具はスライスマッシュルームくらいです。懐かしい味で美味しかったです。
丸善は作家、学者、文化人に愛された書店です。丸善が登場する小説やエッセイが多くあります。
レモンをくりぬいた中にムースの入っているデザートがありました。とても美味しそうです。
「丸善で本を重ねて、その上にレモンを置いて立ち去る」という話の梶井基次郎「檸檬」が元になっているデザートだそうです。しかしおなかがいっぱいで残念ながら今回はパスしました。
IMGP9492.JPG
1869年創業の長い歴史を誇る丸善の名物料理「早矢仕ライス」は創業者早矢仕有的にちなんだものという説があります。医師だった有的はヘボンら当時日本を訪れていた外国人と親交があり、西洋料理にもなじみがあったため、友人が訪れるとあり合わせの肉や野菜をゴッタ煮にしてふるまっていたとのことです。やがてこの料理は「早矢仕さんのライス」と呼ばれついには「ハヤシライス」の名で街のレストランのメニューになったとか・・・ハヤシライスの起源は諸説いろいろありますが、丸善創業者早矢仕有的(はやし ゆうてき)さんは、医師でもあったそうなので、滋養食というのを考案したのかもしれませんね。
早矢仕有的は、明治2年(1869)1月 福沢諭吉のすすめにより、丸屋商社を横浜に創業。翌年東京日本橋の現在地に「日本橋店」を出店。
現在、丸の内本店、日本橋店等の併設カフェでは、「早矢仕ライス」を食べることができます。

posted by うめのはな at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年07月06日

エミール・クラウスとベルギーの印象派展・東京駅ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリーで開催中の「エミール・クラウスとベルギーの印象派」へ行って来ました。JR東京駅丸の内北口ドームにはポスターがありました。
tgya.jpg
このポスターは《野の少女たち》草原の輝きと野を歩く少女たち。ふりそそぐ光と影。農村の光と空気がふわっと流れてくる気がします。
tgyae.jpg
エントランスです。チケットを買い3Fから見ていきます。
emoru (2).jpg
チケットの《レイエ河畔に坐る少女》
前にブログに書きましたが渋谷 Bunkamuraザ・ミュージアムの「フランダースの光」展(2010年10月)を見たとき エミール・クラウス/《刈草干し》《ピクニック風景》《夏の夕暮れ》の3点が展示されていました。風景や農村の情景を描いた光と影の絵に魅了されてもっと見たいと思っていました。ベルギーの印象派でルミニスム(光輝主義)とも呼ばれるスタイルを確立した画家、エミール・クラウス(1849-1924)。
今回は独自の発展を遂げたベルギーの印象派。その中心人物エミール・クラウスの作品を中心に約70点が展示されていました。
・第1章 エミール・クラウスのルミニスム
・第2章 ベルギーの印象派:新印象派とルミニスム
・第3章 フランスの印象派:ベルギーの印象派の起源
・第4章 ベルギーの印象派:日本での受容
emoru (1).jpg
クラウスの《ウォータールー橋、黄昏》とも対比できるモネの《霧の中の太陽(ウォータールー橋)》も展示されています。
エミール・クラウス「レイエ川を渡る雄牛」1899年 個人蔵は 水がまるで動いているようで水の描き方がどれをみてもすばらしかったです。
印象的なのは「タチアオイ」。画面いっぱいに表す様子は、日本画のようで 光琳の描く草花図みたいでした。
フランスの印象派も10点ほど展示しています。筆致はさながらゴッホのモデスト・ハイス、モザイク画のようなアンリ・エドモン・クロスの「雲」。
フランス印象派→ベルギー印象派→日本の印象派という流れを確認することができます。
最後にはクラウスに師事した日本人画家、児島虎次郎と太田喜二郎を取り上げ ベルギーと日本の印象派の展開を見る仕掛けです。
陽光あふれる田園の情景や、自然の中で暮らす人々の姿をいきいきと描き出した 光輝主義エミール・クラウスの魅力を堪能できました。
「エミール・クラウスとベルギーの印象派」 東京ステーションギャラリー
会期:6月8日(土)〜7月15日(月・祝)
休館:月曜日。但し7/15は開館。
料金:一般1000円、高校・大学生800円、小学・中学生400円
*東京展以降、石川県立美術館(7/26〜8/25)、碧南市藤井達吉現代美術館(9/14〜10/20)へと巡回予定
東京駅ステーションギャラリーについて写真等は以前のブログに書きました。
http://umeno87.sblo.jp/article/59449205.html
posted by うめのはな at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館・芸術鑑賞

2013年07月05日

江東区中川船番所資料館

江東区中川船番所資料館 は江戸時代に江戸を出入りする船を取り締まっていた中川番所のそばに建てられた資料館です。
hirai629 (1).JPG
川の駅に面しています。
hirai629 (30).JPG
江東区中川船番所資料館  江東区大島9丁目1ー15
都営地下鉄東大島駅 徒歩5分
小名木川と中川、船堀川が交差し、江戸時代に中川船番所があったと推定される場所の近くに平成15年(2003年)に開館しました。
hirai629 (2).JPG
「常設・企画展示室では、ジオラマなどにより中川番所の建物の一部を再現し、関連資料の展示をはじめ、江戸と関東周辺を結ぶ河川交通の歴史を紹介しています。釣具展示室では江戸和竿を中心に、季節に応じた釣具をはじめ、釣り文化を紹介する資料や錦絵等もご覧いただけます。」入館料200円。入口の 写真です。
hirai629 (3).JPG
もともと、小名木川の舟番所は、隅田川の接続地点である万年橋付近にあったが、下総方面から深川地域に入る荷の取り締まりの必要性から、寛文1年(1661)に、ちょうど反対側のここ中川口に移動しました。
旧中川から小名木川(運河)沿いには、長州、土佐など諸藩の下屋敷があり、米経済の近世には船で物資を運び込んでいました。当時の水運や物流を紹介している資料館です。
見学の順路はまず3階から。エレベータを下りるとタイムスリップ。目の前にある大きなジオラマが当時の川の風景を再現しています。
hirai629 (6).JPG
このジオラマだけが撮影可です。
hirai629 (7).JPG
目の前に船番所や酒を積んだ小舟があります。
hirai629 (9).JPG
立体的な展示のほかには中川番所の説明や江戸時代の水運などの展示があります。
3F
1.中川番所
3.江戸和竿と釣り文化
2と3は企画展を行う際に展示替えとなります。
展望室もあり旧中川と小名木川の風景、番所跡が展望できます。
2F
「郷土の歴史・文化紹介展示室」
1F
江東区や水運の歴史、釣りに関する書籍閲覧室
季節にちなんだ江戸和竿を展示。
IMGP9387.JPG
パンフレットの表紙絵は歌川広重 江戸近郊名所 中川口之図 の一部。(太田記念美術館蔵)
太田記念美術館蔵はつい先日行ってきました。別名浮世絵美術館といいます。
hirai629 (24).jpg
長谷川雪旦の絵と比較してみると広重の絵は「江戸名所図会」をほぼ二倍横長にし、視点を手前にぐっと引いた広角視点となっています。
そこに描かれているのは、中川船番所など殆んど同じで、広重が長谷川雪旦の画面を再構成して作画したことが考えられるそうです。雪旦の絵はあくまでも「江戸名所図会」本文に対する挿絵であり、説明的。 広重の絵はそれ自身独立した一枚絵である。

posted by うめのはな at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月04日

旧中川・川の駅(江東区)

逆井の渡しから少し先 東大島駅ちかくにある川の駅に行きます。途中に大きな人道橋があります。
埋め立てられた旧竪川の河口部分から旧中川を跨ぐ人道橋(江東区←→江戸川区)虹の大橋です。
hirai629 (31).jpg
幅が広くて広場なのか橋なのかわからないくらいです。
3径間コンクリート製ビーム桁
橋長(m) 74.6
橋幅(m) 30.0
幅30mもありますが 人道橋です。
川の駅手前に中川大橋があり カヌーがたくさん水上を行き来していました。
hirai629 (22).JPG
平成25年3月中川大橋南側の旧中川河川敷に「旧中川・川の駅」がオープンしました。
hirai629 (17).jpg
この「川の駅」はかって江戸への舟運で賑わっていたこの近辺、小名木川と旧中川の交差水面の風景を復活させることをコンセプトとし、江東区で設置したものです。
hirai629 (24).jpg
これは 案内板にあった写真です。
23区内に川の駅が整備されるのは初めてだそうです。
hirai629 (18).JPG
ここにはカヌー、カヤックなどウオータースポーツ用の乗船場や水陸両用バスが利用するプラットフォームとスロープがあります。
東京初となる水陸両用バス「スカイダック」が運航しています。
hirai629 (14).JPG
水上ではスクリューで航行し、陸上では車輪で走る水陸両用バス「スカイダック」です。空飛ぶアヒル・・というよりスカイツリーとダックを合わせた名前なんでしょうね。「亀戸梅屋敷」と「東京スカイツリー」それぞれを始発終着点とした2コースがあります。陸を走っているときはとても目立つバスです。この川の駅でトイレ休憩があり ここのスロープを使い水上に入ります。
hirai629 (19).jpg
休憩所もあります。水彩テラスはカフェがありお土産が売っています。なぜか足湯もあります。
hirai629 (4).jpg
歌川広重作「名所江戸百景」から第70景 
中川口 安政4年(1857)2月
hirai629 (27).jpg
広重の名所江戸百景「中川口」で描かれている絵では、二艘の船が行き来する川が小名木川、中央左右に流れる川が中川、そして、前方、雲の彼方へ流れる川が新川(船堀川)、中川は絵の右側へ流れて海に入る。また左隅に中川船番所の一部が描かれている。
舟が行徳を越えて、江戸に入るためには、最後に小名木川を通ることになる。そこには中川番所と言われる舟番所が置かれていた。
すぐそばには 中川番所資料館があります。

posted by うめのはな at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月03日

逆井の渡し跡(江東区←→江戸川区)

旧中川沿いに歩くと かつて都電が中川を渡っていた「亀小橋」があります。
hirai629 (39).jpg
亀小橋という名前の由来は、亀戸と小松川を結ぶ橋ということで、この名前がついたそうです。
亀小橋は、昭和43年までは大切な交通手段として、都電が走っていました。路面電車専用の橋だったそうです。橋の両側にある歩道の地面には、当時、都電が走っていたことを記した写真のプレートが埋め込まれています。
その少し先にあるのが逆井橋。
sakainowatasi (3).jpg
首都高速が高く川を横切り、その直下に逆井橋(さかさいばし)があります。この場所が、名所江戸百景「第67景 逆井のわたし」のあった所です。江東区亀戸9-12〜江戸川区小松川2-113地先
sakainowatasi (4).jpg
逆井の渡しは、江戸から亀戸村(現亀戸7丁目)を経て、下総(しもうさ)の佐倉へ通ずる街道の中川に設けられていた渡し場です。この付近の風景は安藤広重の絵にも描かれた有名な場所でした。
中川をわたる逆井の渡しは、『新編武蔵風土記稿』に「中川、村の西を流る、幅四十間許、対岸は亀戸村なり、ここに渡船場あり、元逆井村にありし渡しなるを以て、今も逆井の渡しとよべり、船2艘あり、一は亀戸村の持、一は当村持」とあるように、もとは北隣りの逆井村にあったものが、その後西小松川村(現在の逆井橋付近)に移転したもののようです。ここに江戸と房総を蒸すぶ街道がひらかれたからでした。この街道を元佐倉道といい、区内を北東にほぼ直線で横切って、小岩市川の渡しを渡り、市川から佐倉、成田へ向かいました。明治に入って千葉街道とよばれるようになりました。
sakainowatasi (2).jpg
江東区側にある 逆井の渡し記念碑です。
逆堰(さかさゐ)の渡は東葛西と西葛西との境にて、河の名を中川といふ。太井と隅田との中を流るればなるべし。網うち釣たれし人、舟にも岸にもおほかり。おのれしのびにあみだぶつとてひつゝ過るに、いをはすくわれぬべくや。『相馬日記』
sakainowatasi (5).jpg
この付近は風景に勝れ、広重の絵にも描かれて有名でした。
sakaiwaasi.jpg
安藤広重が「名所江戸百景」「逆井のわたし」。
逆井橋から白鷺の群れを前景に田園風景にゆっくりと流れる中川を描いています。二艘の渡し船と、遠方には房総半島も見えています。広重独特の濃い藍色のボカシと白鷺の白さが美しく対比され、情感溢れる作品です。
 
sakainowatasi (7).jpg
少し逆方向の 旧中川にかかる、歩行者・自転車専用のふれあい橋からはほぼ全景のスカイツリーが見えます。水に映るスカイツリーもあって ここは現代の絶景ポイントかもしれません。

posted by うめのはな at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年07月02日

逆井の富士塚(江戸川区登録有形民俗文化財)

平井浅間神社は、江戸川区平井にある神社です。しかし鳥居がなければ広場にあるオブジェのようでした。
hirai629 (61).jpg
逆井の富士」として知られ江戸川区では最大かつ最も古い富士塚です。倒壊防止のためコンクリートで固められています。
sakaifuji (7).jpg
この富士塚そのものが浅間神社なのです。
sakaifuji (3).jpg
頂上の祠です。
sakaifuji (4).jpg
逆井の富士塚 江戸川区平井3-1-9
高さ約5m、区内で最大のものです。建造年代は不明ですが、「当山再築小松川村」と記した明治17年(1884)の碑がありますので、区内で最も古い築造です。
  登山道は、塚の正面に直線で設けられ、石段になっています。頂上の部分を玉垣で方形にとり囲み、石祠を祀っています。登山道の両側には、数多くの石碑が建てられ、地元の丸岩講のもののほか、小松川山元講や平井丸富講の碑もあります。
  この逆井の富士塚そのものが浅間神社です。旧逆井村の人々が、現在でもその維持にあたっています。7月1日に幟を立てて祭礼を行います。石積み型の大型なもので、倒壊防止のため、昭和30年代にコンクリートで覆いました。
  昭和53年(1978)3月設置 平成17年(2005)11月改訂 江戸川区教育委員会
sakaifuji (2).jpg
富士信仰の石碑が二十数基建てられている。その中には、小講義の再築記念の碑、明治15年(1882)6月1日桑川新田村結社の小御嶽神社の碑などを始め、「風智の山見聞申言も唯一に国に光を」と刻まれたものや、「富士の山のぼりて見れば何もなし善きも悪しきも我が心なり」と記された明治17年(1884)6月再築記念の碑などがならんでいる。
現在の富士塚は、昭和41年7月7日の改修で、周囲48m、高さ125cmのコンクリートで円形に土止めが施されているもので、小山の頂上には、浅間神社の小祠がある。
富士塚は区内の神社にもいくつかあるが、逆井の富士が最も大きく有名である。(江戸川区の文化財より)
sakaifuji (6).jpg
上からの眺めです。すぐ前は道路です。赤い旗が見えます。
sakaifuji (5).jpg
近くには広重の絵の逆井の渡しがあります。次 そこへ行きます。

posted by うめのはな at 06:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川区