2013年09月30日

「第60回日本伝統工芸展」日本橋三越本店

日本橋三越で開催中の国内最大規模の公募展「日本伝統工芸展」に行ってきました。
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第六十回 日本伝統工芸展 東京展
2013年 9月18日(水)〜 9月30日(月)
日本橋三越本店 東京都中央区日本橋室町1-4-1
この公募展は 戦後、急激な生活様式の変化により消滅の危機にさらされた全国の伝統工芸の保護・育成のため、昭和29年に誕生したそうです。
今年は第60回。陶芸、漆芸、金工、木竹細工、染織、人形、諸工芸(ガラス、七宝など)の7部門で、現代の匠(たくみ)たちが、心技体をひとつにして臨む“美”の競演です。
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本館・新館 7F二つの会場ですが たくさんの人が観に来ていました。
たくさんの伝統工芸をみていると 日本の技もまだまだ健在なのだと少し安心しました。
この中からのちの世に 重要文化財として残っていくものがあるのでしょうね。
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何らかの賞を得た作品はどれもすばらしいのですが この着物がひときわ目を引きました。
20日にご鑑賞された天皇、皇后両陛下が桑の葉で染められているこの「半夏生」という作品をご覧になり「桑の葉っぱから?」と興味深そうに質問されていたというニュースを見ていたせいかもしれません。
7部門で入選した616点と、過去の受賞作品などを展示しています。本日まで。
一つ上の屋上にて 休憩。
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日本橋三越屋上
http://umeno87.sblo.jp/article/43029742.html
以前のブログで三越の屋上について書いています。
この三越の屋上ですが 1957年5月日本橋三越の屋上に屋上遊園地が誕生しました。
その屋上遊園地の名前は「こどもの夢の国 楽しいディズニーランド」。
1957年、米ディズニーと契約が結ばれ期間限定とはいえ、ディズニーランドが日本で初めて誕生しました。
シンデレラ城や、アトラクションなどが設置され、まさに小さなディズニーランドだったそうです。
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2013年09月29日

共立講堂(千代田区)

白山通りに面した 学士会館の対面は共立講堂です。
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千代田区景観まちづくり重要物件
 昭和13年(1938年)3月20日落成。構造設計は、東京タワーの設計者としても知られる内藤多仲博士、また意匠設計は前田健二郎氏。外観は縦型の付け柱によるゴシック調にデザインされ、また屋根の形状は切妻型で、当時としては大変モダンな意匠となっています。当時、規模・設備においても日比谷公会堂と並ぶ大講堂で、他に比類する講堂はありませんでした。外部使用を認めたことから、「日本の文化の殿堂」としての役割を果たすようになりました。戦後はこのような大講堂が都内にも少なく、音楽関係の公演のメッカとして知れわたりました。ここを足場として巣立っていった演奏家たちも少なくありません。ラジオ・テレビのスイッチを入れれば必ず共立講堂からの中継が流れ、共立講堂の名は全国に知れ渡りました。
 昭和31年内部を全焼。翌32年(1957)に落成を迎えました。再建には文化的ホールとして、音響および照明に充分な工夫がなされました。中でも音響については、日本フィルハーモニー交響楽団指揮者の渡辺暁雄氏の指導を受けました。
 その後、関係法令の改正や社会環境の変化にともない貸しホールとしての使用を終了いたしました。
火災後、構造体はそのまま残りましたが、内部および外部の一部が損傷したため、屋根は丸型の連続ボールドに架け替えられ、外装タイルも張替えられました。近年、外壁の痛みが激しくなってきたため、平成19年(2007年)に、外壁タイルの張替工事 を行いました。施工にあたっては、昭和13年(1938)に建てられた当時の様子にできるだけ近い状態となるように配慮されました。
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所在地 一ツ橋二丁目 2 番 1 号.
設計者 内藤多仲(構造)、前田健二郎(意匠).
竣 工 昭和 13 年(1938).
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内藤多仲博士は東京タワーの設計者としても知られる日本耐震工学の祖です。
耐震耐火の鉄筋コンクリート造りで、1号館(現在の中高校舎)と同時に設計施工されました。
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共立女子大学の講堂で、一般に神田共立講堂と良く呼ばれていました。
外部使用を認めたことから、「日本の文化の殿堂」としての役割を果たすようになった。
フォークミュージック全盛の1970年代“フォークの聖地”と呼ばれました。
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タイルと自然石の組み合わせによる表情と質感で、歴史あるホールにふさわしいファサードを演出。
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消防法の改正により一般に貸出しすることが不可能となり、現在は大学の入学式や卒業式そして学園祭などの催し物に使われるだけになっているそうです 。
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今回の地図です。

posted by うめのはな at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年09月28日

学士会館 続(千代田区)

学士会館の中に入ってみます。
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玄関の照明です。
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エレベーターと階段。
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玄関から左に続く 長い廊下は赤じゅうたん。
1Fにはレストランがあり 誰でも食事をすることができます。
外に出ますと学士会館の角に石碑があります。
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「新島襄 生誕の地」の記念碑です。
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新島襄先生誕生之地
「同志社大学の創立者として知られる新島襄先生は、上野(群馬)安中藩三万石、板倉伊予守の家臣の子として藩上屋敷(現在の神田錦町、学士会館付近)で生まれました。
長じて藩士となり蘭学を修めましたが、元治元年(1864)脱藩し密航し米国に渡りました。米国で洗礼を受け、アーモスト大学を卒業しました。
明治維新の後、岩倉具視遣外使節に随行し、各国の教育制度を調査しました。帰国後、京都を拠点に伝道活動に励み、明治8年(1875)年同志社英学校、同10年(1877)年同志社女学校を創立しました。引き続き大学設立を目指し尽力中に明治23年(1890)にその生涯を閉じました。
 例年2月12日の生誕日には、生誕地近郊の学士会館で生誕祭りが行われています。」
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正面玄関脇には「東京大学発祥の地」の碑があります。
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学士会館の所在地は、我が国の大学発祥地です。
神田錦町に在った東京開成学校と、 神田和泉町から本郷元富士町に移転していた東京医学校とが、 1877年(明治10年)4月12日に合併して東京大学が創立されました。 創立当初は、法・文・理・医の四学部を以て編成され、本郷富士町にあった医学部を除く、 法・文・理の三学部の校舎は、現在の学士会館が建っている神田錦町に設けられました。 その後、東京大学は1885年(明治18年)までに本郷へ移転しました。
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この地を我が国最初の大学すなわち「東京大学発祥の地」とし、平成3(1991)年には記念碑が建立さ れました。
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学士会館の玄関前をすぎて右にまがると「日本野球発祥の地」の碑があります。野球のボールを握った手の記念碑です。
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日本に初めて野球を伝えた とされるホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを 記念して、2003(平成15)年に建立された「日本 野球発祥の地」のモニュメントです。
ホーレス・ウィルソン氏は教師として、1871 (明治4)年にアメリカから来日し、1872(明治5) 年から6年間、この地で授業のかたわら生徒達に野 球を教え、これによって日本全国に野球が広まった といわれています。
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記念碑はブロンズ製で、高さ 2.37メートル。ボールには世界地図が描かれ、アメ リカと日本を縫い目によって結ぶことで“野球の国 際化”を表現しています。
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2013年09月27日

学士会館(千代田区)

除水会館の先 一ツ橋交差点にあるのが 学士会館です。
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学士会館 千代田区神田錦町3-28
学士会館は、関東大震災後に建築された震災復興建築。
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外壁が昭和初期に流行したスクラッ チタイルで覆われた4階建ての旧館は1926(大正15)年6月に着工、1928(昭和3)年5月20日に開 業いたしました。総工費は約106万円。関東大震災 の教訓をいかした、当時では極めて珍しい耐震・耐 火の鉄骨鉄筋コンクリート造りとなっています。
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【国登録有形文化財】
「 東京大学は明治10年(1877)、東京開成学校と東京医学校が合併して当該地一帯に開設され、明治18年(1885)までに本郷に移転しました。学士会は明治19年(1886)創立の旧帝国大学出身者の同窓会です。現在の建物は昭和3年(1928)に竣工し、学士会事務局以外に会議室、結婚披露宴会場、ホテル、レストランとしても利用されています。
 SRC造による関東大震災後の復興建築で,玄関の半円大アーチやスクラッチタイルの外観,窓廻り2・3層の直線基調と4層の曲線基調の対比などに特徴があります。設計は東京駅の構造設計などを担当した佐野利器氏と帝国ホテルの設計を担当した高橋貞太郎氏。
 平成15年に国の登録有形文化財に登録されました。
また、この地は日本野球発祥の地でもあります。このほか、敷地内には同志社大学の創設者である新島襄生誕地の碑があります。千代田区観光協会」
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竣工 1928年(昭和3年)
設計 佐野利器、高橋貞太郎
施工 戸田組

構造 鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て、地下1階

建築面積 1,839.30m
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ドラマ「半沢直樹」では、201号室、201号室前ロビー、1階廊下が撮影で使われました。
201号室は 最終回で香川照之さん演じる大和田常務が、半沢に土下座させられた場所です。
一目みようと 多くのファンがこの学士会館を訪れているそうです。
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正面玄関
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「学士会館の地盤の基礎には約1300本の松杭が打ち込まれていますが、近年行われた松杭の調査では腐朽 は全く見られませんでした。その際、切り出された 松杭の一部は、現在会館1階の談話室に展示してい ます。」とのことです。
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戦時中の金属供出で失われた左右の大灯籠は2003年(平成15年)に復元。
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斬新、かつモダンで重厚な雰囲気です。
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終戦後の同年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されて閉館。高級将校の宿舎や将校倶楽部として使用されていました。
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旧館を尊重するかのように一歩後退 して建つ5階建ての新館は、1937(昭和12)年9月20日に増築開業。
設計者は藤村朗。
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右の4階建てが旧館(昭和3年)
左後方が新館(昭和12年増築)
1877(明治10)年に創立された東京大学が、1886(明治19)年3月、総合大学としての「帝国大学」となり謝恩会がきっかけで「学士会」が始まりました。 旧帝国大学7校の出身者の親睦と知識交流を目的とした場に発展 していきました。
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「学士会は、1913(大正2)年1月に初めて会館と呼べる西洋風の木造2階建ての施設を創建しましたが、同年2月、神田三崎町で起きた大火により焼失。この復興に向けて準備を進め、1923(大正12)年9月1日、基礎工事を開始する予定でしたが、奇しくもその日、関東大震災に襲われて計画は延期。その上、それまで利用していた仮会館も焼失しました。焼失と再建を繰り返し、ついに1928(昭和3)年、現在の学士会館が建設されました。」説明文です。

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2013年09月26日

如水会館(千代田区)

一ツ橋を渡ってすぐが白山通り 一ツ橋河岸交差点です。
如水会館が見えます。
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一ツ橋河岸
江戸時代に入ると河岸には問屋を商う商人やその蔵が集まり、一つの商業集落を形成していました。
江戸の町の河岸機能. 河岸とは、海・河川から運ばれてきた各種の資材・食料・人などを積み下ろす場所のこと。
江戸時代の物流の主役は水運でした。 かって町名が神田一ツ橋の時代もあったこの一ツ橋界隈は江戸の経済の中心地でした。
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如水会館 東京都千代田区一ッ橋2-1-1
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一橋大学の同窓会が 如水会。大学が移転して残った建物が如水会館。
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大正3年11月14日に開催された創立総会で如水会と命名された。(如水会の名称は、故渋沢栄一翁が礼記にある「君子交淡如水」より命名)
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如水会館は如水会のクラブ会館として建設された建物で、運営は東京會舘が行っているものの土地建物は如水会の所有となっている。
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1982年 昭和57年9月16日、如水会ビルディングとして竣工落成
旧如水会館
設計者, 曾禰中條建築事務所
竣工年,1919年 昭和54年9月末に閉館
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当時の面影は低層部の連続アーチに見られる。
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一橋講堂(1932年竣工) の跡地でもある。
2012年5月に一橋記念講堂(現・一橋講堂)が学術総合センタービルにできた。
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2013年09月25日

一ツ橋 

東京メトロ竹橋駅で降りる。
パレスサイドビルディングの前を通り平川門のほうへ行く。
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パレスサイドビルディングは修繕中か足場が組まれていました。
1964年着工、1966年竣工。
東京都千代田区一ツ橋一丁目1番1号
ここは一ツ橋1丁目1番地1号なのです
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平川門です。
平川門は江戸城の裏門、大奥に最も近いので、大奥女中達の出入りする通用門でもあり 、御三卿(清水・一橋・田安)の登城口でもあったようです。 太田道灌(どうかん)(1432〜1486)のころからここに門が作られていて、当時、門の前には上平川村や下平川村などがあったため、平川門となりました。
高麗門(第一門)、渡櫓門(第二門)、木橋(城門形式一式)が、昔のまま残っているのはこの門 だけ。
この門は別名、不浄門とも言われ、罪人や遺体はここから出されたそうです。当然殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は重罪人とされ、城内の座敷牢に留め置かれた後、一関藩主田村邸へお預けとなるために城外へ出されるときに、この平川門から出されました。
この門から皇居東御苑に入ることができます。
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信号を左に曲がると 一ツ橋
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大正十四年(一九二五)架設
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白山通りですが上は高速道路です。
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江戸期に一ツ橋御門が置かれ、見附橋としての一ツ橋がかけられていた。その場所と 名前. を受け継ぐ橋である。 震災復興橋梁である。 意匠・構造の特徴. 隅田川右岸につく られたラーメン橋台橋 12 脚のうち、当時の姿を現存する唯一の橋。
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あまり日が当たらないせいか水が汚いです。
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橋の北側の袂には、由緒書きがありました。
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一ツ橋
 「この橋を一ツ橋といい、内濠川に架かる見附橋です。徳川家康が江戸城に入ったころは、大きな丸木が一本架けられていて、その名で呼ばれていたといいます。寛永図(一六二四〜一六四三)には、一ツ橋とかかれています。
 橋の近くに、松平伊豆守の屋敷があったので、伊豆橋ともいわれたことがあります。その屋敷あとに、八代将軍吉宗の第四子徳川宗尹が、御三卿の一人として居をかまえていました。そこで橋の名をとって一ツ橋家と称したといわれています。
 明治六年(一八七三)一ツ橋門を撤去、現在の橋は大正十四年(一九二五)架設、長さ一九.六メートル、幅二八メートル、コンクリート造り。
 橋の北側、如水会館の一帯は商科大学(現一橋大学)のあった所です。
 平成元年十一月 千代田区教育委員会」
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向かい側の南詰めに石垣が見えます。
そのすぐそばにちいさな公園のようなものがあります。
石碑と説明板があります。
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一橋徳川家 屋敷跡
 一橋徳川家は、寛保元年(1741年)徳川八代将軍吉宗の第四子宗尹(むねただ)が江戸城一橋門内に屋敷を与えられたことがはじまりである。
 一橋家・田安家・清水家は御三卿と呼ばれ、御三卿は将軍家に世継ぎがなく、御三家(尾張・紀伊・水戸)にも将軍となりうる該当者がいない場合に将軍を送り込める家柄で、十万石の格式をもち、直属の家臣団を持たず、将軍家の身内として待遇された。
 当家は、二世治済(はるさだ)の長男家斉(いえなり)が十一代将軍となり、水戸家より入った一橋九世が徳川最後の十五代将軍徳川慶喜(よしのぶ)であり、御三卿の中でも幕政に深く関わった。
 敷地は広大で、この一角の他気象庁・大手町合同庁舎付近まで及んでいた。

posted by うめのはな at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年09月24日

江戸東京博物館界隈

江戸東京博物館の常設展は何度も見ているので 今回は見ないで出ました。
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特集展は一度常設展に入ってからしか見れません。
日本橋を渡ってから下に降ります。
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江戸東京博物館を出て 歩行者用通路を少し歩くと 橋の欄干があります。
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言問橋の欄干と縁石
「言問橋は、1928年(昭和3)に完成した、いわゆる震災復興橋梁のひとつである。1945年(昭和20)3月10日未明の東京大空襲の際、浅草方面から向島方面へ避難しようとする人びとと、その反対側に渡ろうとする人びとが橋上で交叉し、身動きがとれない状態となった。人だけでなく、荷車やリヤカーも通行を妨げた。そこへ火が燃え移り、橋上はたちまち大火炎に包まれた。
橋上では逃げるすべもなく、多くの市民が焼死した。
1992年(平成4)の言問橋の改修工事にあたって、当時の欄干と縁石が撤去されることとなったため、東京大空襲の被災資料として、その一部を当館に譲っていただいた。」
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博物館の展示物のひとつで、言問橋にあった欄干とその縁石。
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古びた手すりで 注意して見なければ気づかないような存在でした。
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その少し先 駐車場入り口の植え込みには大きな亀に乗った徳川家康像
巨大と言ってもいい大きさの亀。
山下恒雄東京学芸大名誉教授(当時)が鍛金(過熱した金属を槌で叩く金属加工法)により製作。台座は、亀に似た幻獣・贔屓(ひき)で、重き荷を背負うのを好むといわれます。ちなみに亀の姿は、河川が走る江戸の町に因んで「水の神」ともいわれる亀の存在をかけたものともいわれます。その上に幕府の将軍職が15代続いたことに因んだ15段の台座を設え、鷹狩り装束の立像が置かれています。像の左手には、家康が好んだという鷹狩りに用いた鷹がとまっているという凝った意匠の像です。
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出てすぐ右の 第一ホテル両国の壁の前には 何やら立札が・・・
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置いてけ堀・御竹蔵跡

 「この辺りには、幕府の資材置き場だった御竹蔵があり、その周りには掘割がありました。
 ある日、町人がこのあたりの堀で釣りをしたところ、たくさん魚が獲れたので、気を良くして帰ろう

とすると、堀の中から「置いてけ!」という怪しい声がしました。逃げるように家に帰って、恐る恐る魚籠をのぞくと、釣れた魚が一匹も入っていませんでした。これが、本所七不思議の一つ、「置いてけ堀」の話です。話の内容や場所には諸説があり、置いてけ堀は「錦糸堀」との節もあります。作られたのは寛政年間(一七九八〜一八〇一)といわれ、七つ以上の話が伝えられています。 墨田区」
御竹蔵
[御竹蔵は横網町公園横網町公園 から江戸東京博物館や両国国技館両国国技館 までを含む広い範囲わたって資材の保管場所として使われました。(初期は竪川近く、吉良屋敷近くまであったようです。)
御竹蔵は当初、建築用の資材が保管されていましたが、今の猿江公園の御材木蔵に移されるようになると、蔵前蔵前 同様米蔵となりました。明治維新明治維新 後は陸軍の施設として使われました。  (「御竹蔵」より]
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『本所七不思議之内 置行堀』歌川国輝・画

宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』 にも 「第三話 置いてけ堀」があります。
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都営地下鉄大江戸線の両国駅 エレベーターを降りてすぐのところには こんなオブジェがありました。
お相撲さんです。国技館や相撲部屋がある街の象徴です。
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JRの両国駅近くにはお相撲さんの石像があちこちにあります。

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2013年09月23日

特集展「オリンピックがやってくる1964-2020」江戸東京博物館

特別展を見たあと特集を見ました。ここは撮影可能でした。
今からおよそ50年前に、ここ東京で行われた第18回大会に焦点をあて、当時の人々を熱気で包んだ一大イベントを改めて振り返ります。
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2020オリンピック・パラリンピック開催都市決定記念
特集展「オリンピックがやってくる1964-2020」
会期:2013年9月14日(土)〜10月20日(日)
江戸東京博物館 5階常設展示室 第2企画展示室
この展示ですが 博物館の予定表では9月10月は 空白でした。
8日に開催地が決定し、14日には展覧会をオープンさせています。
開催地が東京になることを見越して準備してこないと、これだけの展示は不可能です。
必ず 開催できると願いを込めて準備してあったのでしょうね。東京都の意気込みと本気力を見せる展示です。
1964年に行われた第18回オリンピック東京大会に焦点をあて、日本中を沸かせたスポーツの祭典を4つのテーマで振り返ります。
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「第1章 復興の東京」
戦後の焼け野原の東京の写真などがあります。焼け落ちた東京駅や新宿駅前。
悲惨な戦争の爪痕がうかがえます。
そして 急速に復興していく 東京の姿も見られます。
戦後10年 その頃の町の様子を、空撮写真を中心に展示しています。
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第2章 オリンピックをもう一度
1940年(昭和15)開催の第12回大会。
「幻の東京オリンピック」を中心に展示。当時の設計図を見れば現代風で今あっても違和感のなり近代的な建物です。
準備した様々な品 すごろくなど貴重な資料が公開されています。じっくり見ます。非常に興味深い展示です。
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第3章 オリンピックがやってくる
1959年(昭和34)5月、第18回大会を東京で開催することが決定。
競技会場の建設をはじめとして、各競技会場へのアクセスの向上があらゆる面で図られ、整備されます。
ワシントンハイツ(在日米軍施設)  1954年(昭和29)9月19日撮影の写真がありましたが ここは1946年(昭和21年)に建設され、1964年(昭和39年)に日本国に返還されて取り壊されるまで存在しました。
東京オリンピック選手村の本村・代々木選手村として整備 選手村と国立代々木競技場などになりました。
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新幹線 高速道路 地下鉄 モノレール・・
各競技会場へのアクセスの向上があらゆる面で図られ、急ピッチで整備されました。
その結果あの日本橋を覆の高速道路となったわけですが・・・
都民の準備、マナー向上や地域の美化運動なども積極的に行われました。
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衛生環境向上のため ゴミ収集のための蓋つきポリバケツなども推奨され東京都で急速に普及したそうです。
オリンピックの準備に大わらわとなった東京の姿 準備期間の様子を当時の写真やポスター等を紹介しています。
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オリンピックを見るためのカラーテレビもできました。
こんなに小さいものだったと初めて知りました。
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第4章 オリンピックが始まった
アジア地域で初の開催となったこの大会を、関連資料などが展示してあります。
東京オリンピック日本代表選手用公式ブレザーやユニフォーム。
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会期中の熱気や喜びが展示品から伝わります。
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いろいろな記念品やポスター 記念切符 グッズなど展示されています。
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もちろん 建築物の設計図や写真。鉄道 デザイン 種々楽しめます。
昔懐かしい ソノラマのソノシートなども置いてありました。
1964年に開かれた東京オリンピック、く今ほど情報網が発達していなかった頃のオリンピック。
知っているようで知らなかったその姿を垣間見ることができました。

展示場を出ると目の前には2020年のオリンピックの概要も合わせて展示紹介コーナーがあります。
仕事がはやい・・・寄せ書きなどの願いや笑顔が写真展示されています。
 都税である法人事業税を国税化して国が平成20年度から現在まで累計で約8,000億円を召し上げられてきた事実があります。そして、その財源は46道府県に再配分されてきました。
47都道府県の中で唯一国の地方交付税を受けない不交付団体である 東京都から財源を奪う行為として当時 石原都知事は「自治体の財布の中に手を突っ込む国家権力の一方的な発動だ」と怒っていました。
そんな状況の中 すでに積み立てた東京オリンピック・パラリンピック開催準備基金は4000億円以上あるそうです。 その日のために準備してきたことがうかがえます。
この基金がなければ財政的にも 都民の理解を得られず 招致は難しかったでしょうね。
スポーツ用品の製造 建設関連部品などは地方で製造していますし 物流も活発化していきます。経済効果は150兆とのいわれています。
東京オリンピック開催で 地方の関連産業が活発化していくと思われます。

この特集展は 常設展のチケットで見ることができます。

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2013年09月22日

明治のこころ −モースが見た庶民のくらし−

誘われて 両国の江戸東京博物館へ行きました。
江戸東京博物館 開館20周年記念特別展
「明治のこころ −モースが見た庶民のくらし− 」 
会期:平成25年9月14日〜12月8日
【会  場】 江戸東京博物館 1階展示室
実は こんな特別展があるなんてぜんぜん知りませんでした。
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「 本展では、大森貝塚の発見者として名高いエドワード・モース(1838-1925)による日本民具や写真のコレクションが、アメリカ・ピーボディ・エセックス博物館とボストン美術館から一挙に里帰りします。明治初期の子どもたちの姿をとらえた貴重な写真や、実際に使われていた生活道具から、江戸と明治の狭間を生きた庶民たちの暮らしと心を展観します」江戸東京博物館の説明文
 大森貝塚の発見者として知られるエドワード・モース氏は1877(明治10)年から3度にわたって日本を訪れています。
研究の手を休めて商店街を散策することが好きだった様でコレクションは生活感あふれたものです。
日本の庶民の暮らしや心根に魅せられ、多彩な品々を収集し持ち帰りました。
モース自身が収集した民具、陶器をはじめ、日記、スケッチ、写真などが公開されています。
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入場すると目の前に 大きな写真があります。
モース氏です。
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そしてその隣には  明治の子どもたちの笑顔の写真。
ここだけは撮影可です。
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飛び切りの笑顔で 見ていて飽きません。
今も昔も 子供の笑顔に勝るものはないようです。
「明治の名もなき日本人の「こころ」とは何だったのか。 全米最古の博物館といわれるピーボディー・エセックス博物館とボストン美術館に所蔵される「モース・コレクション」から、選び抜かれた320点の生活道具や陶器を展示。」
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当時どこでも見ることができた 生活道具や大工道具、そして陶器が並びます。
このようなものを見ていると 生活感がありまるで タイムスリップしたような感覚になります。
目の前に 明治の人たちが表れて 笑顔でもてなしてくれそうな気がします。
大工道具のところでは 気難しい職人気質の人がこだわりの技を見せてくれそうです。
明治の庶民の日常は失われた現代の何かを教えてくれそうです。
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街角の風景 暮らし そして信仰・・・
失われた明治の日常がおよそ140年の時を経てよみがえります。
企画展の後半は陶磁器が並びます。
写真で コレクションの陶磁器はボストン美術館のモース専用棚に収蔵されてる様子が見えますが それは膨大な量です。
中には初めて「里帰り」した陶器もあるそうで、まさに日本がなくしたものを彼がとっておいてくれた・・と言えます。
暗い中で生き人形が何体か浮かび上がります。ぎょっとしましたが 日本ではよくみかける本ものそっくりの人形です。
昔からひな人形や浄瑠璃人形 山車の人形 菊人形など生き人形は珍しいものではありません。
等身大の日本人を再現した人形は珍しいものだったのでしょうか・・・
失われた明治の日常を見ることができる すばらしい特別展でした。
あまり知られていないのでしょうか それともまだ会期はじめだからでしょうか 会場はすいていました。
ゆっくり 見ることができます。

posted by うめのはな at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館・芸術鑑賞

2013年09月21日

ルーヴル美術館展〜地中海 四千年のものがたり

東京都美術館で開催中の、「ルーヴル美術館展〜地中海 四千年のものがたり」を観に行きました。
2013年7月20日から9月23日まで で会期末が近いせいか平日というのに 混んでいました。
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東京都美術館は動物園前から右に行くのですが 人の流れがみなそちらに向いています。
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美術館に入る人の流れが 多いこと・・・これは、ちょっと ダメかな・・と思いつつ 入館すると 「ただいま混雑しています」の立札。
並ぶようなら やめよう・・と会場入り口に行くと すんなり入れました。
しかし 混んでいることには間違いない。人の頭の群れ・・・
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「古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術、古代エジプト美術、古代オリエント美術、イスラム美術、絵画、彫刻、美術工芸品、素描・版画の全8美術部門が、総力を挙げて「地中海」をテーマに企画。300点近くの多彩な作品で地中海世界をご紹介します。」
説明にある通り ユーラシア大陸とアフリカ大陸にはさまれ、数かずの文明を生み出してきた“地中海”にスポットを当てたものです。
見所は何と言ってもパンフレットにもなっている『ギャビーのディアナ』です。
日本初公開のアルテミス像。通称「ギャビーのディアナ」と呼ばれている狩りの女神アルテミス像ですが 360度像の周りをまわって見ることができます。美しかったです。
1808年にルーヴルに収蔵されて以来、初めて館外に出品されました。
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序章 地中海世界―自然と文化の枠組み
第一章  地中海の始まり―紀元前2000年紀から前1000年までの交流
第二章 統合された地中海―ギリシャ、カルタゴ、ローマ
第三章 中世の地中海―十字軍からレコンキスタへ(1090‐1942年)
第四章 地中海の近代―ルネサンスから啓蒙主義の時代へ(1490‐1750年)
第五章 地中海紀行(1750‐1850年)
このような構成なのですが 小物の耳飾や腕輪は金銀 宝石ちりばめた豪華で美しいものです。
とにかく 人の頭が邪魔をして思うように見えないので 興味あるものだけを見ることにしました。
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ヨーロッパ地中海の歴史を学び 神話や古代文明 文字に詳しいひとなら一日見ていても飽きないものなのでしょうが この人の群れでは落ち着いてみることもできませんでした。
パンフレットにあるような文化財的なものを中心に見ました。
B.C.2000頃のギリシアの作品に始まり、エジプトの像や木棺が続きますが 壁画や 発掘された壁の古代文字 宗教画 などは わからないので さっと流し見でした。神話の世界も大きな神像以外は さっと見ただけです。
プロメテウスの伝説が刻まれた石棺は すごかったです。
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ギリシアの影響を受けたエジプトのイシス神像は、まるでヴィーナス像です。
大きな彫像はよく見ることができましたが 絵や小物は頭越しに覗くしかなかったです。
文明が進むにつれ 材料や色彩が変化していくのも面白いです。
トルコの織物なども 西洋と東洋の文化の交差する場だと感じられるものでした。
最終章にはオリエンタリズムな絵画が並んでいました。レバノンの風景 地中海の港の絵などずらりと並んでいましたが 疲れてしまってそこはもう駆け足で歩くだけ・・・
平日でこうなのだから 最終日を含む3連休はどうなるのだろう と思いつつ 出ました。
今回は 無料で見たので 人の頭越しでも我慢できましたが 高いお金払ってみるのに思うように見れないのは嫌だなぁ・・・
好きな人は何度も通うそうです。この展示の多さでは 一日じゃとてもじっくりとみれない気がします。
posted by うめのはな at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館・芸術鑑賞

2013年09月20日

関東大震災90年特別展 墨田区横網町公園

墨田区の横網町公園の前を通りかかったら ちょうど関東大震災90年特別展とい表示が見えたので 行ってみました。
復興記念館は8月20日はリニューアルオープンしました。
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震災復興記念館 都・選定歴史的建造物
竣工 1931年(昭和6年)4月
東京都墨田区横網2-3 横網町公園内
設計 伊東忠太、佐野利器
鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て
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二つの特別展を復興記念館で開催
特別展「蘇った90年前の震災絵」
企画展「子どもが見た関東大震災」
開催日程:平成25年8月20日〜9月23日
展示室に入ると、宮城前を埋め尽くす避難民を撮影した大パノラマ写真があります。
90 年前の 9 月 1 日、関東大震災で 10 万5千人が亡くなり、. 墨田区の横網町公園(旧陸軍被服廠跡)では3万8千人が焼死されました。悲惨な写真ですが貴重な記録写真の数々が並んでいます。
子供たちの 絵などもありました。
地震計が記録した 記録紙も展示されています。
これは 帝大 今村明恒助教授が1911年に今村式強震計を開発したものです。
明恒は、震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録から、関東地方では周期的に大地震が起こるものと予想し、1905年に、今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告しましたが 社会問題になり世間を騒がせるとのことで上司であった大森房吉らから世情を動揺させる浮説として攻撃されました。しかし関東大震災が起こり 明恒の警告が現実のものとなった。その後、関東大震災の地震を予知した研究者として「地震の神様」と讃えられるようになりました。
焦げて溶けた ガラスや 金属製品なども展示されています。
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東京都慰霊堂です。
竣工 1930年(昭和5年) 横網町公園内
設計 伊東忠太
鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て
関東大震災の犠牲者を弔うために建てられました。
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東京都慰霊堂は、大正12年(1923)9月1日に発生した、関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられました。
当初は「震災記念堂」と名付けられましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲などによる犠牲者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約163,000体の御遺骨が安置されています。

posted by うめのはな at 07:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 墨田区

2013年09月19日

旧富士見橋

江東区臨海部の豊洲6丁目〜有明2丁目間に道路橋(新)富士見橋が架設されました。
有明北地区と豊洲地区間の東雲運河を渡る全長201mの橋で 新市場やオリンピック会場を結ぶ重要な橋になっていくと思えます。富士が見えるから富士見橋という名になったとは思うのですが 確認はしていません。
江東区内には 別の場所に富士見橋がありました。
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江東区東陽六丁目〜東陽五丁目間 横十間川
南詰 東陽5丁目から
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北詰 東陽6丁目 から
昭和4年(1929) 長20.5m、幅11.0m 1径間鋼製桁橋 震災復興橋梁
桁の部分がそのまま高欄(欄干)になっているプレート・ガーダー橋(下路式桁橋)
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親柱がなく、橋名は橋の高欄に描かれる
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富士見橋 江東図書館蔵 
尾張屋板江戸切絵図・本所深川絵図(文久2年-1862-)に(不二見橋)とある。
さぞかし眺めのいい場所だったのでしょう。
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平成25年(2013)3月 撤去、廃橋となり、旧富士見橋とする。
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橋の記憶の案内板
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ベンチに生まれ変わった(旧)富士見橋の欄干
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現在この下には川はありません。

posted by うめのはな at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年09月18日

日本橋川クルーズ6

船」は隅田川から日本橋川へと向かいます。
最初に見えるのが日本橋川に架かる 豊海橋です。
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豊海橋は隅田川から日本橋川への入口にかかる橋。日本橋川の第一橋梁である豊海橋は、梯子を横にしたような構造はフィーレンディール橋と呼ばれ、永代橋との景観上のバランスを考慮してレトロなデザインと白とブルー(欄干部分)の組み合わせで設計された。シンプルなデザインのなかに鋲止形式という古い形態を残し、重量感のある鉄骨橋梁の代表例として貴重である。
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鋼製 フィーレンディール 橋  完成 : 昭和 2年 (1927)
中央区 新川 1丁目 ー 中央区 日本橋 箱崎町
最初に橋が架けられたのは江戸時代の中期、元禄11年(1698) と伝えられている。
豊海橋』 の橋名からも想像がつくように、江戸時代には海からも近い場所であった。
現在の橋は昭和 2年(1927) に震災復興橋として改架されたものです。
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重量感のある鉄骨橋梁の代表例として、貴重な橋となっており、中央区民有形文化財 にも指定されている。
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湊橋が見えてきます。
創架は江戸時代の前期、延宝7年(1679) であると伝えられている。
霊岸島(現在の新川)と対岸の箱崎を結ぶ為に架けられました。
周辺が江戸湊への出入り口だった為に「湊橋」となりました。
この付近から日本橋にかけては、江戸の流通の中心地でした。
このあたりには、醸造業等の会社が見られます。銚子や野田などから醤油を運び、川に面した河岸に荷揚げをしていた名残です。
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湊橋   日本橋箱崎町〜新川1丁目
完成 : 昭和 3年 (1928)
鉄筋コンクリート製 アーチ 橋

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カラータイルでお洒落に化粧されている。
遠くから眺めても目立つおしゃれな橋です。
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この一帯の河岸は 「新堀河岸」 と呼んだそうです。
『湊橋』 北詰の少し上流側には、「行徳河岸」 と呼ばれる河岸もあった。
上総(千葉県) の 「行徳」 方面との間で船の往来が盛んであったことによる。
橋にはそれを物語る舟のマークが付いています。
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再び亀島川日本橋水門を左手に見て日本橋川を戻ります。
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茅場橋 湊橋をすぎるとまた高速道路が頭上を覆います。
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鎧橋
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日本橋川を覆う首都高速 風情がない!!
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あっという間に45分のクルージングが終わり 日本橋船着場に戻りました。
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この舟は江戸東京再発見コンソーシアム主催の舟めぐりの電気ボートです。
定員10名の小さな舟ですがゆっくり舟散歩ができるコースがあり いつか乗ってみたいと思います。
今回の日本橋クルーズはこれで終了です。

posted by うめのはな at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年09月17日

日本橋川クルーズ5

中央大橋をくぐると 青い色の永代橋が見えます。
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東京スカイツリーも見えます。
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永 代 橋(えいたい ばし)
3スパン 鋼製 タイドアーチ 橋  完成 : 大正15年 (1926)
『永代橋』 は、中央区新川 と 江東区永代 の間で、「永代通り」 が 「隅田川」 を渡る橋。
「帝都東京の門」と言われたこの橋は、ドイツ ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにし、現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもある。
創架は元禄11年(1698)、 当時は木橋 、その木材は 「上野寛永寺」 本堂造営の余材を使ったと伝えられている。
文化4年8月の深川八幡の祭礼に押し寄せた人の重さで永代橋が落下し 多数の犠牲者がでました。
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現在の 『永代橋』 は、震災復興事業により大正15年(1926) に架設されたアーチ橋。
2007年(平成19年)6月18日、都道府県の道路橋として初めて、勝鬨橋・清洲橋と共に永代橋が国の重要文化財(建造物)に指定された。
夕刻から22時まで青白くライトアップされ とても美しいです。
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隅田川大橋。3スパン 鋼製 桁橋  完成 : 昭和54年 (1979)
『隅田川大橋』 は、中央区日本橋箱崎町 と 江東区佐賀 の間で「人形町通り(水天宮通り)」 が 「隅田川」 を渡る橋。
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「首都高速道路 9号 深川線」 建設のために「隅田川」 を渡る高速用高架橋が必要になり、それに併せて一般道路用の橋も同時に架設された。上下に 2段構造の橋となっており、上段部分が 「首都高速道路」 の高架橋、下段部分が一般道路の、 『隅田川大橋』 である。
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清 洲 橋の中央にスカイツリーが見えるという絶景なポイントです。
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『清洲橋』 3スパン 鋼製 吊橋  完成 : 昭和 3年 (1928)
中央区日本橋中洲 と 江東区清澄 の間で「清洲橋通り」 が 「隅田川」 を渡る橋で、橋名は当時の両岸の町名 「深川清澄町」 と 「日本橋中洲町」 から命名されている。
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美しいフォルムの吊り橋で遠くからの眺めも素晴らしい。
モデルにしたのは、美橋として有名なドイツのライン川に架かる 『ビンデンブルグ橋』
男性的なイメージの 『永代橋』 に対して、 『清洲橋』 は女性的で優美なシルエットの代表的な橋であると言われ 「震災復興事業の華」と謳われた。
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清洲橋から船は戻ります。
これは読売新聞社の建物。真ん中が空洞なのは 近隣の風の通り道と採光を考えての設計とのことです。
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リバーシティ21を背景に見る永代橋も素敵です。
船は再び 日本橋川へと向かいます。


posted by うめのはな at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年09月16日

日本橋川クルーズ 4

『南高橋』 は 「隅田川」 と 「亀島川」 の合流地点に架かっています。
そこには「亀島川水門」 の高い壁があります。
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亀島川から見た亀島川水門
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隅田川から見た亀島川水門
上流の日本橋川との分岐点である日本橋水門と、河口の亀島川水門の2つの防潮水門でで完全に閉め切ります。隅田川との合流点は海に近いため、高潮の発生時に川が逆流して洪水を引き起こす可能性があります。、東京では、5弱程度以上の揺れを観測すると都内の水門を閉じることになっているそうです。
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隅田川に出ると視界が広がります。
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水門を出ると目の前に見えるのはリバーシティ21(佃)
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霊岸島水位観測所が見えます。
1884年、霊岸島量水標(現在の東京都中央区新川、当時の隅田川河口にあたる)における1873年から1879年までの験潮記録をもとに決定された。
ここは、「旧」とも言うべき場所で、現在はシンボル的になっています。ただし、観測は続けられているとのことです。現在、この役割を担っているのは油壺検潮所です。
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観測所シンボルタワー
現在の霊岸島水位観測所

 「日本の水準原点を生んだ霊岸島水位観測所も、その後の東京湾の埋立てや隅田川の河川水の影響があり、水準原点の検証をするための観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。
 現在の霊岸島水位観測所は、荒川水系の工事実施基本計画や改修計画の策定及び改訂のための基礎データの観測を続けていますが、隅田川のテラス護岸の施行に伴い平成6年(1994年)5月に元の位置から約36m下流に観測所を移設しました。
 元の観測所の位置には、その歴史的経緯を長く後世に伝えるため、観測柱を正面にシンボル柱として設置しました。また、新しい観測所の3角形のフレームは、土木や建築の設計図などに高さを表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部はA.P.0mを指し、その一辺の長さは観測所位置のある東経139°47’にちなみ13.947mとしています。

 観測室については、斜方十二面体という形で立方体それぞれの面に勾配45°の四角錐を付加したような形をしていて、川に沿って視点を移動していくと正方形、正六角形、八角形と変化して見えるものです」
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水門と観測所シンボルタワー
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対岸の大島川水門。江東区永代1丁目。
大島川水門は隅田川と大横川とを境する防潮水門です。
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豊洲の高層ビル?マンション群。
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相生橋が見えます。トラス橋。中央区 佃 2丁目ー江東区 越中島 2丁目
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中央大橋です。東京都中央区新川2丁目
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1993(平成5)年に開通した隅田川にかかる橋。 ?長さ約211m。
隅田川はフランスのセーヌ川と友好河川提携をしているため、パリから贈られた彫像が設置されている。
中央大橋をくぐります。

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2013年09月15日

日本橋川クルーズ 3

亀島川は亀島という町名に由来し、亀島の町名の由来には、町に瓶(かめ)を売る者が多く住んでいたという説と、町内の入堀に地蔵橋が架けられ亀に似た小島があった説があります。
「亀島川」 は、「日本橋川」 の 『茅場橋』 の先から(南) 側に分流する支流です。
約1Kmの短い川ですが5つの橋が架かっていて 隅田川に合流します。
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霊岸橋 中央区 日本橋茅場町 1丁目ー 中央区 新川 1丁目 
霊岸橋』 の名称は、現在の新川一帯が 「日本橋川」 ・ 「亀島川」 ・ 「隅田川」 に周囲を囲まれた 「島」 であり、この地区を 「霊岸島」 と呼んだことによるとのことです。
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昭和60年(1985) に完成
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このあたりは 江戸時代は越前堀とも言われ、明治時代には越前堀という、地名にもなった。
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頭上を覆う高速道路もなくなって 昭和のカホリのする川沿いを船は進みます。
民家のプライベート護岸のような感じです。
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見えてきたのは2つ目の新亀島橋
『霊岸橋』 の約 200m下流に位置している。
この橋の創架は明治15年(1882) で、当時は 木橋 でした。
下流側に元禄時代からあったといわれる 『亀島橋』 に対して、新しく架けた橋ということで 「新」 の字を冠して名付けられた。
大正15年(1926) には震災復興事業によって、鋼製の桁橋に架け替えられている。
現在の 『新亀島橋』 は旧橋が老朽化のため、護岸の耐震工事に合わせて、平成7年(1995) に架け替えられたものである。
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廻船」 をモチーフにしたデザインでまとめ橋上バルコニーが設置されている。
欄干にはめ込まれたプレートも波で統一。
バルコニーのプレートは 「大川をのぼる廻船」「廻船の荷下し」
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このあたりは テラスがあるので ボートが係留されています。
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3番目の橋は 亀島橋
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亀島橋の欄干手すりやのレリーフは亀の甲羅の模様。
この亀島川の橋際には、堀部安兵衛や東洲斎写楽・伊能忠敬の住まいがあったと伝えられて、更には御用絵師狩野祐清の居宅もあったとのこと。幽霊横町のほか代官屋敷・矢場など言われたそうです。
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亀島橋は地下鉄日比谷線八丁堀駅の近くです。
八丁堀の名前は江戸時代に作られた堀(運河)に由来します。
八丁堀は寛永年間(1624〜1643年)に造られた堀で、長さが八町(約872m)であることから八丁堀えしたが現在は存在しません。
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4番目は高橋です。高橋は、鍛冶橋通りにもなっています。
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『高橋』 の由来は、「隅田川」 への合流地点に近く、江戸湊からの船が頻繁に航行する場所なので、大型船の航行を妨げないよう、橋を 「高く」 架けたことによるといわれている。
江戸時代前半の正保年間(1644〜1647)に架けられたときは木橋。
現在の橋は昭和58年 (1983)完成
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ピンクの橋です。波をイメージしたデザインの欄干。
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階段状のテラス護岸がみられますが そもそもは護岸の耐震補強のためにつくられたものだそうです。
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船着き場のようです。このあたりは船溜まりというか広くなっていました。
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亀島川の5番の橋は南高橋です。
白い鉄骨が美しい橋です。
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南高橋 創架は昭和 7年(1932)
関東大震災後の復興計画の一環として、新たに架設されたもので、橋の本体は 「隅田川」 に架かっていた 『旧・両国橋』 の中央部分を移設したものである。
隅田川 の 『旧・両国橋』 は 明治37年(1904) に架設されたトラス橋で、大正12年(1923) の関東大震災後に現在の 『両国橋』 に架け替えられたが、比較的被害の小さかった橋の中央径間部分を、ここ 『南高橋』 に利用した。
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明治・大正期に数多く架設された 「トラス橋」 の現存する貴重な資料でもあり、中央区の有形文化財に指定されている。


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2013年09月14日

日本橋川クルーズ 2

日本橋より四半世紀ほど遅れて下流にかけられた江戸橋。江戸橋周辺は江戸(入江の戸・船着場)として家康以前から栄えていたので江戸の起源はこのあたりかも知れません。
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江戸橋(日本橋室町1丁目・日本橋本町1丁目〜日本橋1丁目)

現在の橋は昭和2年(1927年)震災の復興計画の一環として架けられた鋼製アーチ橋。
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ジャンクション建設のために川幅を広げたという経緯もあり、江戸橋は神田川水系最大の橋幅。橋上は、昭和通り。
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石垣も少し残ります。欄干の細かい連続模様がきれいです。
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江戸橋たもとのブリッジ型ビルは三菱倉庫本社ビル
外観だけ残して改修中です。
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江戸橋ジャンクション
日本橋川もゆるやかにカーブします。高速道路に頭上をおおわれます。
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日証館 東京都中央区日本橋兜町1-10 1928(昭和3)年の建設
このあたりのことは2013年2月のブログで書いています。
日証館(旧東京株式取引所)

http://umeno87.sblo.jp/article/62563269.html
地上からでは玄関前の建物しかみえなかったので 川に面した様子が見えるのはうれしい。
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船を思わせる屋上の塔も見えます。
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鎧橋 (日本橋小網町〜日本橋兜町・日本橋茅場町1丁目)
橋の名はこの付近にあった「鎧の渡し」「鎧稲荷」にちなむ一方、源義家所縁の「兜塚」があり、これが現在の兜町の由来ともいわれます。
広重の名所江戸百景「鎧の渡し小網町」があります。明治5年にこの橋ができるまでは、この一帯には橋がなく「鎧の渡し」があったそうです。
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東京証券取引所の正面脇で日本橋川を渡る鎧橋。
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明治 5年(1872)、 三井家 などの豪商が 木橋 を架けたのが始まりという。
明治21年(1888) には鉄骨製のトラス橋に架け替えられ、現在の 『鎧橋』 は、昭和32年(1957) に旧橋の老朽化に伴なって架け替えられたもので3スパンの鋼製桁橋。
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明治時代の名残化・・赤レンガも見えています。
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場橋(日本橋茅場町1丁目〜日本橋小網町)
橋の欄干の手摺の上に三角形を三つ連ねたデザインが面白い。
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茅場橋
茅場橋の名前は、南詰め側の町名(茅場町)に由来。徳川家康の江戸城築城の際、神田橋門外にいた茅商人たちが橋の南詰辺りで茅を切って積む置き場であった為に「茅場橋」となった。

今では東京証券取引所のまわりに証券会社があつまる、日本の金融の中心地です。
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右方向に亀島川日本橋水門が見えます。
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日本橋川正面は湊橋です。橋脚は鉄筋コンクリート造りの3連アーチです。
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亀島川日本橋水門
亀島川は日本橋川から茅場町の先で分岐・南下し、亀島橋付近で東に大きくカーブして隅田川に合流する川(水路)です。
船は 水門をくぐり 亀島川へと・・・

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2013年09月13日

日本橋川クルーズ 1

日本橋を通ったら 日本橋川クルーズの受付をやっているのを見かけたのでさっそく申し込みました。
近くに住んでいながら なかなか機会がなかったので 予約なしで当日乗れるのはありがたいです。
3つほど別会社のクルージングがありましたが 今回は30分後ちょうど13:00に出航する 「東京湾クルージング」会社のものにしました。
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その日は本当にたまたまで不定期運航とのことでした。
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エスエスNANO1 定員40名 水洗トイレ付。
屋根はオープンですが ちょうど曇りの日でよかったです。
一応麦わら帽子が用意されていました。
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45分。料金は1500円。日本橋船着場から出て 隅田川 清洲橋 永代橋を見て戻ってくるコースです。
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下から見る日本橋
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ここにも獅子がいます。
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この高速道路・・なんとかならないでしょうかね。
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お江戸日本橋の風景。どうしてこんな風にしたのか・・・あきれます。
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日本橋の端の裏側です。石が焦げています。
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関東大震災の爪痕だそうです。
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西河岸橋 完成 : 大正14年 (1925)
『西河岸橋(にしがし ばし)』 は、中央区日本橋 と 日本橋室町 の間の通称 「日銀通り」 と呼ばれる小さな通りの日本橋川に架かる橋。
西河岸橋』 の名称は、当時この橋の南側が 「東京市 日本橋区 西河岸町」 であったことから付けられている。
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創架は明治24年(1891) で、鋼製のトラス橋でした。
明治の赤レンガの橋げただけが残っています。
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いったんUターンしてまた 日本橋船着場にもどります。
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石垣と昔の排水溝が見えます。
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すぐ目の前は野村證券ビルです。
日本橋川(にほんばしがわ)は、東京都千代田区および中央区を流れる一級河川。
日本橋川は、40年前に首都高速道路がその上を通るまでは、江戸時代のはじめから360年間、日本橋を中心として江戸・東京の賑わいの中心でした。

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2013年09月12日

日本橋 山本山で休憩

以前にも銀座線の新型車両について ブログに書きましたが 再び三越前駅で新型車両に出会いました。
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銀座線新型車両1000系
http://umeno87.sblo.jp/article/69812218.html
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2020年までには全部この車両に変わっているでしょうね・・・
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三越前から日本橋を渡ると 野村證券ビルがあります。
竣工 :1930年(昭和5年)
所在地:東京都中央区日本橋1-9-1
設計 :安井武雄
施工 :大林組
構造 :鉄骨鉄筋コンクリート造7階建て
このビルについても以前の日本橋散歩で書いていますが 細長い体躯は船底、7階の白いプラスターは艦橋、頂部の塔はマストと船を連想させる建物です。
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日本橋1丁目です。山本山さんのお店で一休みしました。
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店の一番奥にある喫茶室です。
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山本山さんと言えば 海苔というイメージですが 実は日本茶の製造加工・販売もしています。
創 業  元禄3年4月 (1690年) の老舗です。
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日本橋菓子司「長門」の和菓子セットをいただきました。
「長門」はさくら通りにあるこれまた老舗の和菓子やさんです。
煎茶は好きなものを選べるので 私は宇治茶を。友達は 玉露を注文。
お湯もポットでつけてくれるので 互いに飲み比べできます。
香りのいい美味しいお茶を楽しみました。

posted by うめのはな at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年09月11日

アートアクアリウム COREDO室町

アートアクアリウムの会場はコレド宝町三井ホールです。
4Fが入口で 5Fが会場。
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11時からで 平日の11時半ころ行ったのにかなり混んでいました。
混むときは 入場もロープに沿って並ぶようです。
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会場前には 浴衣のマネキンが・・・
「ECO EDO 日本橋 ゆかたアートアクアリウム特典]があるそうです
浴衣姿もチラホラ見かけました。
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この金魚車、会場の中に置かれていました。
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ショップには ブリキの金魚なども並んでいます。
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カフェのメニューも金魚のマキアート
出入り口のロビーは ガラス窓で外がよく見えるのですが・・あっと驚きました。
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正面には三井本館が・・・
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ドラマ「半沢直樹」の本店として使われているロケ地です。
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下からでは 上部のこんな細かい模様まで見えません。
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以前のブログでも三井本館については書いています。
http://umeno87.sblo.jp/article/62298141.html

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その隣は 三越日本橋店
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こういう風に見えるのは この位置からだけでしょう。
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ライオンさんのいる正面玄関の上の造作もよく見えます。
三越については このブログ参照。

http://umeno87.sblo.jp/article/62255875.html
歴史的建造物 大好きの私にとっては 思いがけずいい景色に出会えて金魚より感動的だったかも。


posted by うめのはな at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館・芸術鑑賞

2013年09月10日

アートアクアリウム2013 日本橋

東京・日本橋で開催中のアートアクアリウム2013に行きました。
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昨夏同様 約5千匹の金魚を、和をモチーフにした様々な水槽の中で展示する「アートアクアリウム展」です。
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3回目となる今年は “江戸・金魚の涼”をテーマにしています。
光と映像で演出された金魚たちです。
こういう ゼリーカップのような水槽も並んでいます。多種多様な珍しい金魚の水槽もたくさんあります。
金魚の種類が多いだけでは 金魚屋さんになってしまいます。
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違うのは あくまでもアートなのです。
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会場は暗いです。人が多かったです。
暗い会場に浮かび上がるのは 光で演出されたアートアクアリウムです。
フラッシュをたかなければ写真撮影はOK。
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「華魚繚乱」や「カレイドスコープ金魚」の水槽など小型の水槽もたくさんありますが ひときわ目を引くのがこれです。
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巨大金魚鉢「大奥」
青や赤のライトが変化していきます。
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一番上は直径1mほどもある大きな金魚鉢。
奥方様を頂点に 艶やかな“女の園”をうまく表現した作品です。
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見どころ2つ目は キモノリウム
「京友禅」最高峰の白地の着物を水槽に埋め込み、生きた本物の金魚 を泳がせます。
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生きた金魚と3Dプロジェクションマッピングで表現されます。
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色と柄の変化が楽しめます。
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本物の着物2点が並んでいるのですが似たような柄になるのが面白いです。
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きれいで楽しかったです。
混み合う会場の奥に進むとまた人だかりです。
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空飛ぶ金魚に見える超大作「水中四季絵巻」です。
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「水中四季絵巻」は、四季が移り変わっていく様子を映像でまとめた作品でやはり3Dプロジェクションマッピングで表現しています。
日本の四季が映像で映し出され 金魚がゆらゆら余らを富んでいるかのように泳ぎます。
金魚の影が墨絵のようで幻想的に見えます。
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上映時間は5分程度。エンドレスで上映されています。椅子もありますが 立ち見もびっしり。
写真撮影は思うようにはできませんでした。
なかなか楽しかったです。

<ECO EDO 日本橋 アートアクアリウム 2013 & ナイトアクアリウム>
■期間 2013年7月13日(土)〜9月23日(月・祝)
■休み 期間中は無休
■時間 11:00〜23:30
 アートアクアリウム 11:00〜19:00/ナイトアクアリウム 19:00〜23:30
■場所 日本橋三井ホール(コレド室町5F※入口は4F)

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2013年09月09日

越前おろし蕎麦「御清水庵 清恵」日本橋

日本橋に前から行きたいと思っていたお店があるので 御所の花を見たついでに行ってきました。
越前おろし蕎麦が食べられるお店 日本橋 「御清水庵 清恵」 です。
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三越前駅B6出口すぐ 日本橋のふもとです。
東京都中央区日本橋室町1-8-2 日本橋広末ビル 1F
窓際の席は川に面していて日本橋川が見えます。
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外から見るとお店で食事中の様子ががこんな風に見えます。
このお店、何から何まで福井なのです。
福井県の郷土料理や地酒はもちろんのこと 福井県名物の「越前おろしそば」を食べさせてくれるお店なのです。
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入り口には絆という加山雄三さんの色紙が・・・
福井弁でしゃべるご主人さんは きさくなかたです。自ら接客しています。
この日ちょうど「ハモの天丼」がサイドメニューと書いてあって 「うわ!ハモ!めずらしい!」と叫んだら 200円で小丼がつけられるとのことさっそく「越前おろしそば」と一緒に注文しました。
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お店は繁盛していて次々にお客さんが来るのですが ご主人がそばに来て「福井の人やろ?」
「三国です。わかる?」っていうと「わかるさぁ 福井弁になってる」と。
どうも福井の人と話すと 福井弁のなまりがでるようですww
「三国のどこ?」と聞いてくるので駅の近くと答えると あるお店の名を出して・・「あ〜そこ 同級生!」なんて話が合ってしまいます。
お客の合間を縫って 席にきては話します。
このご主人・中本さんは11年前に脱サラをしてこの日本橋にお店を出したそうです。
「サラリーマンやってたんにゃけど 脱サラするって言ったらみなに 1年で泣いて帰ってくると笑われた」と話してくれました。
福井の美味しいものを東京で・・福井の良さを知って貰うために、東京のど真ん中にお店を出したそうです。
器は越前焼、テーブルも武生の木工製品。福井にこだわるご主人です。
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越前おろしそば 600円 にハモの小天丼200円。
かつおぶしとねぎ。そばつゆ。蕎麦湯がついています。
友達に福井式食べ方を教えます。
かつおぶしとねぎを蕎麦の上にかけ そのうえからそばつゆをぶっかけます。
そばにかけられた大根おろしは夏になると辛みが増す青首大根を使用していると話してくれました。
ほどよい辛味でなつかしい福井の味でした。
ハモ!ふわっとしていて 衣はさくっとしていて美味。
関東じゃハモはなかなか食べることができません。
さっぱりしていておいしいです。
子供のころはすり身にしたものをお吸い物にしてよく食べました。
福井県産のそば粉 ダシに使う醤油も福井のものを使用しているそうです。
花らっきょ、小鯛のささ漬け、すこ、ヘシコ 焼きサバ寿司 など福井ではおなじみのお品書きが並び 福井の地酒も並んでいます。
お店もお昼時で忙しそうなので食べ終わって早々に出ることにしました。
「また来ての!10月にはカニも入るしの」と声をかけてくれました。
なつかしい福井の味に満足して 福井弁に出会ってうれしい気分でした。
そんな気分で 日本橋高島屋の前のさくら通りに行くと・・・
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え?福井坂井市観光PRキャンペーン?テントがあります。
どうやら5日6日限定で名産品を販売しているようです。
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日本橋イベントスペース
地域活性化センター 地域づくり情報課
 越前・坂井市(福井県)の特産品PRキャンペーン
9月5日(木)〜6日(金)
【内容】 坂井市の海・里・山のもたらす食の特産品をPRします。福井県産米コシヒカリを100%使用した「元祖焼き鯖寿司」、3年かけて作られ、シャキシャキした歯ざわりが楽しめる「花らっきょ」、今が旬の産地直送「豊水梨」などを試食・販売します。
【販売予定品】 元祖焼き鯖寿司(福井県産米コシヒカリ100%使用)、花らっきょ各種(三年子(さんねんご)栽培梨(豊水)
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こんなところにも ふるさとが・・・
でも らっきょしか残っていなかったです。
らっきょを買いお話しすると 三国の人でした。
出身はどこかと聞かれたので 三国神明・・と答えました。それ以上言うと絶対素性がバレます。
皆が顔見知りのような狭い町なのでねww
ふるさとのなまりなつかし・・・日本橋 の日でした。

posted by うめのはな at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2013年09月08日

『安野光雅が描いた「御所の花展」』

この夏は暑くて 出かける機会が少なく芸術鑑賞から遠ざかっていましたが ようやく少し涼しくなった6日に 日本橋高島屋に「安野光雅が描いた御所の花」展に出かけました。
混んでいるだろうと予測していきましたが やはり混んでいました。チケットを買うのに並びました。
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招待券などの人も多いので並んでいる間にも人はどんどん入っていきます。
人の頭が邪魔をしますが 不思議なもので車の渋滞のごとく 一定の場所をすぎればすいすいなのです。
おそらく グループで見に行った人たちがお話ししながら見ているので そこからなかなか先にすすまないのだろうと思いました。
そういう時は すいている絵から見て すこし戻ると意外とすきすきでよく見れるものです。
要領よく見て回りましたがなにしろ130点という量で 見ても見てもまだ 夏だ・・とかそんな感じでした。
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原生林に近い生態系が残されている吹上御苑。宮内庁の計らいで、一般の人は立ち入れない箇所に咲く草花をスケッチし、描き上げた水彩画130点が展示されています。
天皇皇后両陛下は 7月3日東京都千代田区三番町の彌生(やよい)画廊でご覧になりました。
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(少し大きい画像で文字も読めます。)
「2011年1月〜2012年4月までに計26回にわたり御所を訪れて完成させたものです。新春に春の香りを運ぶロウバイやニホンスイセン、春の訪れを告げるレンゲ、五月晴をバックに美しく咲き誇るバラや緑に映えるヤマボウシ、秋の深まりと共に可憐に咲くワレモコウやミヤギノハギ、色のない冬に赤い実を添えるイイギリなど、いずれも両陛下の思いが込められた植物です。それらの美しさや生命力を、安野光雅が描き出しています。」
道端で見かける草花も繊細で、、優しくて 、質素でいて凛として上品で気高く まさに御所の花なのです。
生の絵が画像でみるより もっと淡く自然な色でとても素敵でした。
水彩画の絵の具のにじみや濃淡がとてもいいです。
安野さんは「皇居の自然は自分たちだけのものではないとの両陛下のお考えから、映像や写真で記録がされてきた。絵でも残したいとのご意向で私が描くことになり、光栄に思います」と話しています。
130点という絵を堪能して 出ますとミュージアムショップ。ここで驚きました。
本や絵葉書など 安野さんのグッズを買う人の行列・・・・
レジ待ちがぐるりととぐろを巻いています。ここが最後尾ですなどという プラカードを持ったお兄さんがいました。
日本橋高島屋8階ホール(中央区日本橋2−4−1)
残念ながら明日 9日まで。


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2013年09月07日

神田すずらん通り文房堂

神田神保町”すずらん通り”、三省堂の裏口の正面に老舗画材店の「文房堂」があります。
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株式会社文房堂 千代田区神田神保町1-21-1
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創業明治20年(1887年)神田区小川町にて創業。
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このビルは関東大震災前の1922(大正11)年の竣工。
当時ではまだ珍しい鉄筋造りであった為、倒壊を免れました。
1990年に改築されたがファサードは保存された。
千代田区より「都市景観賞」を授与。
同年区の要請もあり外壁のみを保存。
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「1922(大正11)年に建築で、関東大震災にも耐え、神田では一面の焼け野原に文房堂など数件だけが無傷で残りました。1990年の改築時、千代田区からの要請もあり伝統ある正面の外壁だけを保存し、特殊工法により背面の建物を建て替えました」
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千代田区景観まちづくり重要物件
 「明治20年(1987)創業の老舗の画材店。靖国通りの一本南のすずらん通りに商店街にたつ本社ビルは、大正11年(1922)に竣工しました。関東大震災まで、すずらん通りはこの地域のメインストリートで、いまも商店街には看板建築が数多く残っています。その中でひときわ目を引くのがこの文房堂ビル。表面に筋状の引っかき傷をたくさんつけて焼き上げ、独特の趣のある重厚感をもつ「スクラッチタイル」がで仕上げられています。3階窓のアーチや正面に施されている素焼きの陶器で作られた花飾りの装飾が素敵です。
 4階はギャラリーとして公開されています。」
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文房堂は日本初の国産油絵具を製造販売した老舗の画材店。
現在の画材全般の基礎をつくったともいえるお店です。
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明治39年現在の神田すずらん通りに店舗を新築。
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地下1階から7階までアートグッズ。
アートに関するありとあらゆるものが置かれた店内は博物館みたいです。
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梅原龍三郎、岸田劉生、藤田嗣治などに長く愛されたそうです。
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4Fにあるギャラリーでは、若手作家を中心にした企画展を開催している。
今回の神保町歩きはとりあえず 終了です。
いつかまた さくら通り方面に行きたいです。
posted by うめのはな at 09:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年09月06日

すずらん通り「はちまき」

神田古書店街は文豪なども通ったといわれていますが 神保町にある(庶民派)老舗天ぷら屋、「はちまき」の店頭に写真が飾られています。
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千代田区神田神保町1-19
これも看板建築です。創業昭和6年。
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開店前ですが立ち止まり写真を眺める人がいます。
神田明神下の高級料亭で15年ほど修業を積んだ後、創業者が昭和6年(1931)にオープンしたとのこと。
現在は3代目。
この次は開店11時半に行き 名物江戸前の天ぷらを食べてみたいです。
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店の表には白黒の集合写真が飾ってあり歴史を物語ります。
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終戦直後、戦災にあっても焼け残ったこの店に 文豪や銀幕のスターたちが通ったそうです。
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昭和二十年代から、江戸川乱歩、新田次郎、吉川英二など作家クラブの面々が店の二階に毎月集まり、それが二十七日だったために“二七会”と名づけられたそうです。
写真には作家クラブのメンバーとともに江戸川乱歩夫人と、店の先代主人が写っています。
店内には色紙や写真などが飾られていて、その中には江戸川乱歩やエノケン(榎本健一)、井伏鱒二など色紙があり、厨房にも竹下登などの色紙があるそうですが 現在のご主人には 誰が書いたものかわからないものもあるそうです。
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隣はこんなふうに空地になり工事中でした。
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すずらん通り ちょうど三省堂の裏にあたる場所です。

posted by うめのはな at 07:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年09月05日

神田すずらん通り商店街

すずらん通りを歩きます。
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石畳風の商店街で 飲食店などが集まっていてとても賑やかな通りです。
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シャッターが下りているのは 開店前の時間帯に歩いたからです。
お昼前は写真も撮れないほど 人が多いので10時ころ行きました。
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信画堂 千代田区神田神保町1-11
絵具・画材専門店。
1998年4月築で新しいのですが外壁の装飾がおしゃれです。
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清泉堂 千代田区神田神保町1-3-3
額縁専門店
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光風館ビル 千代田区神田神保町1-15
すずらん通りにあった看板建築は減ってしまいましたが2軒長屋形式の建物(光風館ビル)は健在。
1F店舗以外は改装されていないようです。
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檜画廊 千代田区神田神保町1丁目17?1
1973年 開廊 建物がいつ建てられたのかはわかりません。
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鶴谷洋服店 千代田区神田神保町1-3
洋服店としての歴史は終わり 現在は雑貨店のようですが看板はそのままです。
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すぐ隣の建物は 昔は老舗の喫茶「ラドリオ」でした。
現在のラドリオの入り口は、脇の細い小径にあります。
表通りと小道の2か所の入り口があったのですが 表通りはこのようになくなり「LADO」というアートスタジオになっています。
半分のスペースになりましたが ラドリオは健在です。
posted by うめのはな at 09:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年09月04日

一誠堂書店・ざぼうる

神保町交差点 白山通りから見えるのは「さくら通り」です。
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さくら通り入口。千代田区神田神保町2-9。
ちょうどその対面にすずらん通りがありますが 靖国通りとすずらん通りの間にある路地に「さぼうる」があります。
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様々なメディアで紹介されている老舗の喫茶店です。
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店の入口にはトーテムポールと赤電話。
やけに鬱蒼とした山小屋風の外観。
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50年以上もの歴史を持つ老舗の喫茶店でドラマや映画のロケにも度々登場する有名な店。
再び 靖国通りにもどります。
この通りで 注目すべき建物があります。
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一誠堂書店。千代田区神田神保町1-7
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設計:東京都市建築研究所、
施工:大林組、
建築年:1931(昭和6)年
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右から読む文字が建物の古さを物語っています。
お店の入り口上部はステンドグラスです。
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一誠堂書店」は神保町の中でも名門といわれる、格式高い古書店です。
1903年(明治36年)、新潟県長岡市にて酒井宇吉氏によって創業。
1906年(明治39年)、神保町に移転。
100年以上もの歴史ある老舗の書店で日本の作家・文化人に愛され、柳田國男、志賀直哉、川端康成、井上靖、三島由紀夫、松本清張などが贔屓にしていた古書店だそうです。
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モダン系だけどすっきりとしたした外観。 そこそこ装飾も付けていておしゃれです。
最上部にある装飾がアクセント。
5階建てというのは当時では高層ビルだったでしょうね。
現在は周りのビルの中にうもれて あまり目立ちません。
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2階以上はタイル張りなのですが 出隅部分にはきちんと役物がつかわれている 丁寧な作りです。
隣は空地でになっていました、何が建つのやら・・・
この一誠堂書店は屋上に農園があるそうです。緑が少し見えています。

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2013年09月03日

神保町古書店街 靖国通り

神保町古書店街は東西は駿河台下交差点から専大前交差点までの靖国通り沿い、神田すずらん通り沿い、南北は神保町交差点からJR水道橋駅東口までの白山通り沿いにほとんどの店舗が集中しています。
この古書店街は、明治10年代(1880年代)にこの地域に相次いで創立された法律学校、明治法律学校(明治大学)、英吉利法律学校(中央大学)、日本法律学校(日本大学)、専修学校(専修大学)などの学生が多い地域であるため需要をあてこんで、古書店が集まり130年の歴史を持ちます。戦災にもあわなかったので古い建物が残っています。
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神保町古書店街を靖国通りに沿って歩きました。
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書泉グランデ」は、三省堂書店本店や東京堂書店とならぶ、神田の街を代表する大型書店の一つ。
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大久保書店(千代田区神田神保町1-7)
靖国通りに面した場所にある古書店。鉱物学、地質学、古生物に関する書籍を取り扱っている数少ない専門店。
古い建物のままです。
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少し先には 同じような建物があります。今は一部が壊され残っている建物は少ないですが このあたりは十一軒長屋でした。
隣は「本と街の案内所」です。
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案内所の建物は昭和初期に建てられた十一軒長屋の一角で、外観はそのまま残っています。
『本と街の案内所』は神保町に関する情報を総合的に提供する拠点として、2007年10月にオープン。
大型書店や古書店を含め約200もの書店が集まる世界最大級の”本の街”神田神保町の情報や案内の拠点です。
東京都神田神保町1-7-7  11:30−18:00
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並びに 明倫館書店の看板が見えます。
自然科学系の学術書専門店数学関連は充実。
1941年(昭和16年)から60年以上。もともと理工学書の専門店でした。
この店は何度も通いました。理工学 数学の参考書専門書は値段が高いので古書に頼るしかなかったです。
手前に見えるのが 大雲堂書店
神保町駅がすぐで 古書店めぐりの起点となる店。大正の関東大震災前に創業の老舗。
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神保町交差点。白山通りと 靖国通りの交差する場所。
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岩波ホール:千代田区神田神保町2−1 岩波神保町ビル10F
岩波ホールは岩波神保町ビル内に有る映画館。
日本で初めて各回完全入れ替え制定員制を実施
会員制度が有る
外国映画上映の場合は字幕の読めない未就学児の入場を実質的に断わる
客席数:220席(うち2席は可動式、車椅子対応)
1974年から世界の埋もれた名作映画の発掘上映を行っているミニシアターの元祖です。


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2013年09月02日

明大通り〜駿河台下交差点

明大博物館を出ると 交差点から楽器店の後ろにYWCAの建物が見えます。
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YWCAビルの一帯は、江戸末期の幕臣・小栗上野介の屋敷がありました。
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小栗上野介の屋敷跡
千代田区神田駿河台1-8
江戸幕府の外交官。幕臣、新潟奉行忠高の子。
上野介は、安政6年(一八五九)目付となり翌、万延元年日米修好通商条約批准書交換のため新見正興、村垣範正に従って渡米しています。帰国後、外国奉行など要職につき、また幕府の財政たて直しや薩長打倒を策し戊辰戦争徹底抗戦を唱え、のち新政府に捕らえられ生涯をとじました。
交差点の角地は現在 駿河台日大病院の新築工事中です。
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その隣は 日本大学カザルスホール
http://umeno87.sblo.jp/article/66316685.html
以前の ブログ参照
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明大通りを下っていくと 駿河台下の交差点です。
駿河台下交差点は『書店街』『スポーツ用品店街』『楽器店街』が交わる場所にあり、各ジャンルの有名店が向かい合っています。
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信号の目の前にあるのが 三省堂書店神保町本店
神保町の街に息づく本のデパートです。
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三省堂の本社ビル
竣工年:1981年
高さ:8階
所在地:東京都千代田区神田神保町1-1
三省堂は1881年(明治14年)創業の老舗。「大辞林」「新明解国語辞典」の出版元で辞書・辞典に特に強みをもっている。
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交差点の少し手前の路地が 富士見坂
靖国通りと錦華通りが合流する交差点から、明大通りに抜ける短い坂道。昔はも富士山がよく眺められたのでしょうね。
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富士見坂 千代田区神田小川町三丁目
『この坂を富士見坂といいます。『新撰東京名所図会』には「駿河台南甲賀町の内、袋町に通づる筋より南へ、猿楽町一丁目と小川町との間を下る坂、富士見坂と呼ぶ。風景賞すべきの地にはあらざるも、遠く富士を望むを得べし。富士見坂の名もこれに基しか」とかかれています。富士見坂という名の坂は、千代田区だけでも三ヶ所あります。富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町二丁目の間にあります。』

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2013年09月01日

明治大学博物館(神田駿河台)

JR御茶ノ水駅・御茶ノ水橋口です
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少し気温が下がった日 再び神田駿河台に行きました。
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明大通りには 最新設備を備えた明大リバティタワー地上23階・地下3階の校舎(高さ約120m)があります。
その手前に 生涯教育棟、アカデミーコモンがあります。
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明治大学を創立した3人の青年法律家、岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操の肖像と、建学の精神「権利自由 独立自治」が刻印されたレリーフが玄関前にあります。
東京都千代田区神田駿河台1-1 アカデミーコモン
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地階には明治大学博物館・阿久悠記念館 があります。
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博物館は1929年の開設。日本史の教科書でおなじみの法令の数々や拷問刑罰具、日本考古学の発掘史を彩った重要遺物が展示され、年間8万人が訪れます。
阿久悠記念館では、日本を代表する作詞家・作家の阿久悠さん(文学部卒)の書斎や自筆原稿などを展示しています。
【入場料・入館料】 無料 (特別展は有料の場合があります)
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長崎べっ甲細工の展示があったのでそれを見に行ったのですが 展示品そのものは少なく べっ甲のこぶりの帆船が展示されているのが目玉です。正面の 3つの展示ケースだけです。
そのまわりは商品部門 の展示です。
漆器・染織品・陶磁器等の伝統的工芸品の原材料、製造工程、技法・意匠の種別等を紹介。世界にたぐい稀な意匠表現の豊富さを誇る日本の伝統的工芸品の全体像を端的に一覧でき 日本の伝統工芸を学ぶことができます。
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 刑事部門では、日本の歴史的な法を紹介するコーナー、江戸時代の捕者や裁き、仕置きなどの資料を展示するコーナー、海外の拷問・処刑具を紹介するコーナーなど、5つのコーナーが設けられています。
刑事部門の前身、同大学刑事博物館は1929年に設立されました。
ギロチンとニュルンベルクの鉄の処女の復元模型は、我が国唯一の展示資料です。
鉄の処女は実物よりもスケールが小さいそうです。
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考古部門 旧石器時代から古墳時代にいたる各時代の遺跡調査をしてきた明治大学考古学研究室の発掘成果を展示。
出土資料が重要文化財に指定されているものもある。この兜はレプリカなので実際かぶることができます。
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「商品」「刑事」「考古」の各部門は個別の博物館として存在していたが、2004年に新校舎への移転に伴い、3博物館が統合されました。
明治大学の「学校史」のコーナーもあります。
 開館時間は、午前10時から午後4時30分まで
2014年には「東京国際マンガ図書館」もオープンするそうです。

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