2013年10月31日

牛嶋神社2 撫牛

江戸時代の地図を見ると、牛嶋神社は「牛御前」と書かれています。
その名の通り古くから牛にまつわる信仰があります。本殿に向かって右側には「撫牛(なでうし)」と呼ばれる牛の像があります。
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自分の体の悪い部分と同じところを撫でると治ると言われています。
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牛嶋神社 石造神牛(撫牛) 墨田区登録文化財
「牛の御前」とも呼ばれる牛嶋神社の境内に、たたずんでいる石造の牛像があります。撫牛と呼ばれて親しまれているもので、自分の身体の痛いところと同じところをさすれば治るといわれています。さらには涎(よだれ)掛けを奉納し、それを生まれた子供に掛けると健康に育つともいわれています。
 撫牛自体には年号はありませんが、隣に建てられている「撫牛奉納碑」には文政8年(1825年)の記載があり、江戸時代から信仰されていました。
 明治の文人淡島寒月は「なで牛の 石は涼しき 青葉かな」と詠み、昭和の作家で近所に住んでいた堀辰雄も自伝的作品『幼年時代』の中で「私はそのどこかメランコリックな目ざしをした牛が大へん好きだった。」と記しています。墨田区教育委員会
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メランコリックなまなざしの牛さん。撫でてきました。
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千羽鶴をもって来た若い夫婦が牛を撫でていました。
脇にはいくつもの千羽鶴がかけられていました。
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「牛奉納」碑
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牛嶋神社の境内地奥の玉垣内には、3対の狛犬がありますが、その他に安政6年(1859年)銘の神牛1対が安置されています。この神牛は、2基とも同型です。台座を含めて総高212センチメートル、神牛像の高さは97センチメートル、安山岩製です。表情は厳しく、境内にある撫牛の温和な表情とは対照的です。
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牛嶋神社の通称「牛御前」にちなみ、狛犬のかわりに牛が奉納されたものと考えられています。
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左右とも像座に「奉納 願主 中之郷村 大工 久次郎」、台座に「大工中」と刻まれています。さらに右の像座には「安政六己未年三月吉祥日」、台座に「小梅村 石工 角治郎」と陰刻されています。
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包丁塚(食肉になった牛の慰霊塚)
下部の黒い石板には「慰霊 庖丁塚」と大きく描かれ、牛の後ろには次のような句が刻まれている。
「人の世の 奉仕に生きる牛 黙す目魚」
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2013年10月30日

牛嶋神社1 (墨田区)

隅田公園内というか隣接というか 牛嶋神社に行きました。
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道路側から見ています。
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牛嶋神社石造鳥居
「 この鳥居は、花崗岩製のもので高さが375センチメートルの明神型鳥居です。現在の神社境内の西門にあたります。柱には文久2年(1862年)正月の銘があり、右柱には「奉献 御手洗信七郎藤原正邦」と刻まれています。この人物は、子育地蔵堂(東向島三丁目2番)の傍らに奉納されている万延元年(1860年)の銘がある庚申塔にもその名が刻まれており、本所・向島と縁が深かったのではないかと思われます。
 関東大震災に被災して、神社が旧境内地(現在の向島三丁目周辺)から現在に移る際、共に移転してきましたが、鳥居自体の保存状態は良好と言えます。」
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牛嶋神社 向島一丁目4番5号 
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牛島神社の概要

「牛島神社は、墨田区向島にある神社です。牛島神社は、貞観年間(859-79)の頃慈覚大師が建立したと伝えられています。かつては牛御前社と称しており、その由来については、慈覚大師が一草庵で須佐之男命の権現である老翁に会った際の託宣により建立したと伝えます。本所総鎮守として崇敬を集め、明治時代には郷社に列格していました。」
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本殿前に構える三輪鳥居(みわとりい、別名・三ツ鳥居)
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三輪鳥居は、鳥居の様式の1つである。三ツ鳥居ともいう。

1つの明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたものである.
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ちょうど七五三の記念撮影中でした。
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東都屈指の大社殿
牛嶋神社は、貞観二年(860年)創建。本所地区の総鎮守で、墨田区のほぼ南半分に近いたいへん広い地域が氏子となっています。
御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、天之穂日命(あめのほひのみこと)、貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)。以前は弘福寺の裏手、今の桜橋の付近にあったそうですが、関東大震災後の昭和七年に現在の場所に移転しました。
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社殿は総檜権現作り。
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隅田公園側から見ています。
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こちらの鳥居は木製です。

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2013年10月29日

隅田公園2(墨田区)

「明治天皇行幸所碑」の近くにある石碑です。
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隅田公園水戸邸跡由来記
この場所は、かって徳川昭武(水戸徳川家)の屋敷であり明治天皇が幾度も訪れました。
そのことを記念して、昭和五年(1930)関東大震災の後に開園した隅田公園内に子孫である徳川圀順が建碑したものです。
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園内にはいくつかの史跡があります。
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富田木歩終焉の地
「富田木歩(とみたもっぽ)は本名を一といい、明治30年(1897)に墨田区向島2丁目の鰻屋の次男に生まれました。2歳のとき両脚の自由を失い、小学校に入学できず、彼はいろはカルタ等で遊びながら文字を覚えました。
 たびたびの洪水で家は貧乏のどん底に陥り、2人の姉は苦界に身を沈め、妹は女工に弟も内職の手伝い、彼も徒弟奉公に出ました。しかし仲間に辛く当られ仕方なくやめました。こうした苦しみと孤独の中で、彼は俳誌『ホトトギス』を知り、俳句に惹かれます。
 やがて、彼は臼田亜浪に師事して句作に精進し、その俳句は高く評価されるようになります。彼を理解し援助する新井声風という俳友もでき、彼に俳句を学ぶものもできました。しかし、妹も弟も肺患で死に彼自身も肺を病むといった苦境での句として、
   かそけくも 咽喉(うど)鳴る妹(いも)よ 鳳仙花(ほうせんか)
 木歩は関東大震災にあり、声風に背負われて墨堤に避難しましたが、枕橋が焼けて逃げられず、このあたりで焼死しました。26歳でした。
 平成元年(1989)3月 墨田区 」
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「二峯先生之碑」と「堀辰雄住居跡」説明板
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二峯先生とは、幕末から明治にかけて活躍した書家.
書家高林二峯の卒するを偲んで、倅で同じ書家の五峯高林寛が、二峯の墓所である円通寺の門前に建てた碑.
高林二峯は文政2(1819)年、榛名と妙義の山間、上野国(群馬県)碓氷郡下後間に生れたので二峯と号したという。諱(いみな)は信好、字は子述,多四郎といい、鵞翁とも号した。明治30年、齢79歳で没したという。篆額は勝海舟
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「堀辰雄住居跡」
明治39年、「風立ちぬ」等の名作で知られる堀辰雄は、母・志気とともに向島に移り住みました。翌年に志氣が向島須崎町の彫金師・上条松吉に嫁いでから、明治43年夏の大洪水で被害を受けるまでの間この場所で暮らしました。その後は、地元の牛島小学校から、芥川龍之介も学んだ両国の府立第三中学校(両国高等学校)に入学し、大正10年には中学校4年で第一高等学校理科乙類に入学しました。関東大震災の翌年4月には、松吉と向島新小梅町、現在の隅田公園隣の新築の家に引っ越しました。
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隅田公園からもスカイツリーがよく見えます。
隅田公園内には他に『野口雨情文学碑』、『墨堤植桜の碑』、『藤田東湖「天地正大気」の漢詩碑』、『「明治天皇海軍漕艇天覧玉座阯」の碑』、『隅田公園少年野球場』、『竹屋の渡し跡』、『花の碑』、『秋桜子句碑』、『山の宿の渡し跡』などがあります。
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2013年10月28日

隅田公園1・(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)

枕橋を渡ると隅田公園(墨田区側)です。
隅田公園は隅田川の両岸、墨田区と台東区にまたがる臨水公園で、都内有数の桜の名所です。
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入口からスカイツリーが見えました。
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隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)
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向島一丁目付近は、江戸時代には小梅村と呼ばれる農村地帯でした。
元禄六年(1693)、水戸徳川家は幕府からこの地を拝領し、下屋敷が置かれました。
明治維新後、この下屋敷水戸徳川家の本邸となり、「小梅亭」と呼ばれることになり ました。しかし大正十二年(1923)の関東大震災で焼失し、その跡地は隅田公園と して生まれ変わりました。
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汐入りの池
「現在の日本庭園は、隅田公園が整備される以前にこの地にあった水戸徳川邸の遺構を活用しています。
 ここには江戸時代、水戸藩の下屋敷があり、主に蔵屋敷として使われていました.明治維新後は一時上げ地となりましたが、その後下賜され、水戸徳川家当主が関東大震災で家が全壊するまで代々ここに住みました。当時は最後の将軍徳川慶喜もよく来ていたようで、数多くの写真が残されており、立派な門や洋風建築が建てられていた在り日の姿が伺えます,
 関東大震災以後、隅田公園の区域に取り込まれ、邸内の池(当路は汐入の池)等の遺構を活用し、日本庭園へと形を変えて現在に伝えられています。」
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隅田公園
所在地:向島一丁目、二丁目、五丁目
面積:80947.38平方メートル
開園年月日:昭和6年3月24日
桜の本数:353本(ソメイヨシノ、シダレザクラ、サトザクラ
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明治遷都後初の宮中花見 
「江戸時代、花見の名所としての地位を確立していった墨堤は、明治時代になってもその魅力を増していきました。
 明治時代になり、明治天皇がそれまでの都を京都から江戸に移しました。天皇家では、平安時代から宮中の花宴を代々開催していましたが、昭治維新の混乱期や東京遷都で中断していました。 1875年(明治8年)花宴の再開において、明治天皇は東京で初めて行う花宴の会場に、この墨堤の水戸徳川家小梅邸を選びました。
その際に詠んだ歌がここに残されています。いかにも王政復古の気負いに満ちた若い帝の歌で、新都の歴史を訪ねたという歌です。」
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明治天皇御製
『花くはし櫻もあれと此やと ( 宿 ) の』
『世々のこゝろを我はと ( 問 ) ひけり』
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「明治天皇行幸所碑」
このほか園内にはいくつかの史跡があります。
続きます。

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2013年10月27日

枕橋(墨田区)

東京スカイツリー前の川を北十間川と言います。北十間川は隅田川に合流しますが そこに水門があります。
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源森川水

北十間川に流れ込む隅田川の水は、ここで水量を調整されています。通常は開放されていますが、高潮や津波、地震のときには、閉鎖され、吾妻橋下流の江東デルタ地帯を守っています。
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現在隅田川とは水門で仕切られていますが、水門の手前に 第一橋梁(河川の最下流に架かる橋)として恥じない立派な石造りの橋があります。
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枕橋。東京都墨田区向島1丁目付近
吾妻橋一丁目と向島一丁目を結ぶ橋
構造・形式 単径間コンクリートアーチ
橋長(m) 25.4 橋幅(m) 18.0
現橋架設年 昭和3年(1928)
創架 寛文2年(1662)。
北十間川が隅田川に合流する第一橋梁。
江戸時代源森橋とも呼ばれた。
現橋は震災復興事業橋である。
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橋に埋め込まれている当時の風景のレリーフ。
源森橋の北に水戸藩の下屋敷(現隅田公園)があり、そこに入る掘割に新小梅橋という小橋が並んであったため、ふたつ並びし枕橋と小唄にも謡われていました。
新小梅橋は後に撤去され、源森橋は別の橋に名を譲り、明治8年に元の源森橋だけが単独で枕橋と呼ばれるようになりました。
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親柱はビール樽の形。ここにはアサヒビールの工場がありました。
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「枕橋茶や」閉店してしまって 今はツタに覆われています。
その前でウェディングドレス姿で何やら撮影していました。
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東武線と高速道路が上を交差しますがここからも東京スカイツリーがよく見えます。
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枕橋南が リバーピア吾妻橋で 北側は隅田公園になっています。
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墨田区役所前の通りを隅田公園方面に渡しています。

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2013年10月26日

東京スカイツリーソラマチ5F・産業観光プラザ すみだ まち処

とうきょうスカイツリー4Fのスカイアリーナから ソラマチの中に入りました。
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振り向けばスカイツリーがそびえ立っています。
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エスカレーターに乗り5Fへ。
ソラマチ内は撮影禁止です。
ソラマチ5F(イーストヤード)は「Japan Experience Zone」です。
今日の目的はココ!
このJapan Experience Zoneは、いわゆる「観光・イベントスペース」です。
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『産業観光プラザ すみだ まち処』にむかいます。
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広いスペースで 「特産」「ものづくり」「まちあるき」「歳時」の4テーマ別に展示ゾーンが分かれていて、墨田区の産業や文化、歴史・観光スポットなどをきめ細かに紹介しています。

墨田区が世界に誇るものづくり産業の素晴らしさや、観光情報、特産品の紹介・展示販売などが行なわれています。

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すみだの産業、文化、歴史、観光、グルメ情報がここに凝縮されています。
街歩きのパンフレットをもらったり 街歩きツアーに参加することもできます。
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スカイツリー最上部避雷針の実寸大模型「すみだのてっぺん」、墨田区を634分の1に縮小して描いた「すみだマップ」、エリアごとにむ観光スポットを紹介するコーナーなdがあります。
「すみだのものづくり」「すみだの特産」では 伝統工芸品の実演や販売もあります。
江戸の粋なお土産はいいですよ。ここで 少々お買いものしました。
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「下町の粋・江戸の粋・事(こと)」を基本コンセプトに商品展開する「IKIJI」。ポロシャツ・ニットなどのファッション、雑貨小物まで様々あります。江戸切子や革製品 染色品など 見とれてしまいました。
片隅にはすみだの味が楽しめるお茶屋さんもありました。かなり広いです。
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スカイアリーナから写した5階の連絡ブリッジです。ここを通ります。
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通路から写してみました。
この通路は 東京スカイツリーの出口フロアにつながっています。
とても広いフロアーです。エスカレーターで下に降ります。
色々なお店がありますが 東京にあるデパチカとか都心のビルの中にある店などが並んでいるという感じで 目新しくもないので素通りしました。地方から来る人にはいろいろなお店が集まっていていいかも。。。
しかしツアーでは 買い物する時間があるだろうか・・・と気がかり。
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今回は「すみだ まち処」だけを目的にスカイツリーに行ってみました。

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2013年10月25日

東京スカイツリー(墨田区)

錦糸町駅北口から 東京都営交通 「東京→夢の下町」という観光路線バスが出ています。
東京スカイツリーから浅草〜上野へ行くバスです。
都営バスですから 1回乗車200円。1日券なら何度乗り降りしても500円なので観光にはお得で便利です。
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東京スカイツリー駅入り口でバスを降ります。
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バス停から上を見上げたら 雲に隠れたスカイツリーが見えました。
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横断歩道で信号を待っていたら 雲が切れました。
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位置関係の地図です。
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東武橋を渡ります。
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東京スカイツリーの足下を流れる北十間川周辺が、墨田区おしなり公園として整備されています。
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橋を渡ると ぐっと大きく見えます。
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すみだ水族館入口です。水族館は5Fです。
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エスカレーターから見た とうきょうスカイツリー駅です。
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4Fはタワー入口で デッキや屋外の通路があります。
そこから見上げたスカイツリーです。
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通路には入場待ちなのか たくさんの人がいました。
みなそれぞれカメラを構えるのですが近すぎて・・・・
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東京スカイツリーエントランス。4Fスカイアリーナという広場になっています。
個人の入場はここから。入場整理券をもらう列ですが。
この整理券は当日券を購入するために1時間以上並ぶ場合に配られるものです。
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11時ころでしたが 入場は13時となっていましたからこの日は2時間くらいの入場待ち時間でした。
平日で曇りだったのですが いつもこのくらいは混んでいます。
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広場はハロウィンの飾りつけでした。
ツリーに上る気はないので 次 ソラマチに入ります。
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2013年10月24日

リバーピア吾妻橋〜錦糸町(墨田区)

墨田区役所前です。
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すみだリバーサイドホール前です。区役所に隣接。
ここで北斎漫画を見ました。
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区役所の窓に映る東京スカイツリー。その前にある説明版は浩養園跡。
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墨田区役所(浩養園跡)所在地 墨田区吾妻橋1-23

 「この地は常陸谷田部藩細川氏・駿河沼津藩水野氏・越前福井藩松平氏・秋田藩佐竹氏の屋敷として移り変わり、とりわけその邸内の庭が名園として聞こえていました。
 文政5年(1822)水野忠成の別邸となって、池を中心に石をふんだんに用いた林泉式庭園を築造。丘を築き、浅草寺五重塔・隅田川吾妻橋を望むものでした。万延元年(1860)佐竹氏に移り、浩養園・佐竹の庭として一層有名となり、明治23年から一般公開もされ、多くの人々の憩いの場ともなっていました。
 その後、明治33年(1900)札幌麦酒東京工場がここに設置され、明治39年(1906)には第二本麦酒吾妻橋工場となり、煉瓦造りの建物が庭園のなかばを占めました。大正9年(1920)の工場拡張やつづく震災によって、その面影は失われました。
 平成に入って墨田区役所・アサヒビール本社・住宅都市整備公団ビル等も建ち、現状のようになりました。
 平成3年(1991)3月  墨田区」
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リバーピア吾妻橋です。地図にある複合施設。
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リバーピア吾妻橋は旧アサヒビール吾妻橋工場跡地に建築された高層ビル群の総称。
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水上バスから見るとこんな感じです。
金色の巨大オブジェクトとビアジョッキ型ビルはアサヒビール社。
このオブジェをデザインしたのは、フランス人のフィリップ・スタルク氏(パリのエリゼ宮のインテリアの改装を担当)
琥珀色の本部ビルの「アサヒビールタワー」はジョッキに入ったビールをデザインしている(上部の白い部分が泡)。
墨田区役所と公団住宅も見えます。
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区内循環バス「すみだ百景 すみまるくん、すみりんちゃん」に乗りました。
バスの屋根には、3ルートそれぞれの地域の特色を表す絵が描かれています。
これは南部ルート すみまるくんです。運賃100円
シンボルカラーは「江戸時代に起源をもつ色から発想される江戸の粋のイメージ」で江戸紫。
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車内には力士の手形やサイン、手ぬぐいなど相撲にまつわる品々が飾られていました。
スカイツリーを車内から見上げることができるよう、天井にガラス窓がついています。
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ここは押上駅。東京スカイツリーをバスの車内から写しました。
押上駅からそのまま錦糸町にむかいます。
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これも車内から。京成橋付近
絶景スポットらしく 橋の上にはカメラを構えた人がたくさんいました。
終点 総武線「錦糸町駅」北口です。
金色の大きな輪の巨大オブジェに驚きます。
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JR錦糸町北口モニュメント
経緯:墨田区は、1987年「音楽都市」をめざして街づくりをすることを宣言し、錦糸町駅北口再開発事業で交通広場の吸気・排気塔の利用によるモニュメント計画を策定し、音楽都市すみだを象徴する作品をテーマに、専門業者5社のコンペで選ばれた作品が設置されることになった。
名称:ECHO
曲玉の部分は、楽譜のへ音記号をモチーフにデザインし、左右5本ずつのワイヤーは五線譜を表している。
設置年:1997年9月
作者:ローレン・マドソン(米国)
アメリカ国内の銀行、病院、警察などの公共施設に多くの作品を展示している。ニューヨーク、イスラエル、バンクーバーなど世界各地の美術館に作品が所蔵されている。」説明文より
五線譜とヘ音記号を2つ組み合わせたものだなんて 説明を読むまでわかりませんでした。

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2013年10月23日

「ぱらぱら北斎 漫画カフェ〜北斎を知ろう」すみだリバーサイドホール ギャラリー

墨田区役所の「すみだリバーサイドホール ギャラリー」で開催中の展示イベントを見てきました。
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「ぱらぱら北斎 漫画カフェ〜北斎を知ろう」
すみだリバーサイドホールギャラリー
墨田区吾妻橋一丁目23番20号・墨田区役所に併設
平成25年10月10日から10月23日
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 「葛飾北斎の生誕地である墨田区が開設準備を進めている「すみだ 北斎美術館」(建設地:墨田区亀沢2-7 緑町公園内)について多くの方々に知っていただくとともに、北斎に親しんでいただくために、“すみだと北斎”プロモーション実行委員会では、この秋、むすぶ“北斎” ひろがる“すみだ”の企画第一弾として展示イベント「ぱらぱら北斎 漫画カフェ〜北斎を知ろう」を開催します。北斎の代表作の一つである『北斎漫画』をはじめ、北斎が手掛けた幅広い絵手本の世界を紹介するほか、オリジナルに忠実に作成した絵手本のレプリカを手に取って鑑賞できるスペースも設けます。(説明文より)」
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連作でもって町人の動きを豊かに表現していることもパラパラ漫画のようなものの原形で、北斎は、連続して動かせば、動きのあるアニメのようになることがわかっていたのかもしれません。
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『大田記念美術館』で 「北斎と暁斎−奇想の漫画」展を見ましたから今回のはほんのさわりだけという感じですが北斎を知ろうという目的なのでスタンプで遊べたりもしていいのではないかと思いました。
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東京都・すみだ水族館、スタンプで"北斎の魚図鑑"を作るワークショップ開催。
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北斎漫画って ユニークでユーモラスで面白いですねぇ〜
「すみだ 北斎美術館」が完成したら 行ってみましょう。
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2013年10月22日

池袋駅〜豊島区立郷土資料館(豊島区)

自由学園明日館からみた東側の屋根越しの蔦の家が気になったので帰り道に寄ってみました。
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民家のようでしたが 蔦が覆っていてすごかったです。
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消防署から自由学園のほうに向かう道にはこんな標識がありました。
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目白庭園。東京都豊島区目白3-20-18
気になって行ってみたかったのですが 西武線の線路の向こう側なので今回はパス。
豊島区立目白庭園は池泉回遊式の庭園。
庭園内には、雑誌「赤い鳥」を由来にした木造瓦葺平屋建ての数寄建築の「赤鳥庵」や、六角浮き見堂が配されています。

大通りに出ると豊島区立勤労福祉会館ビルがあり 注意しないときがつかないのですがこの七階に豊島区立郷土資料館があります。
資料館というより資料室でした。
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東京都豊島区西池袋2-37-4勤労福祉会館7階
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常設展は,雑司が谷鬼子母神,駒込・巣鴨の園芸,長崎アトリエ村,池袋ヤミ市の4つのテーマに分けて行われている。
展示室にはミニチュアで再現されたアトリエ村やら、池袋駅前の闇市のジオラマなどがあり、古地図をガラス越しに眺めることが出来る。収蔵品展示室では、企画展の展示が行われている。
東京23区各区に、それぞれの郷土資料館が設置されていますが 他から比べると見劣りしました。
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池袋での食事はなんでもありすぎて迷いに迷って 結局a la campagne(ア・ラ・カンパーニュ)池袋店でランチのキッシュを食べました。
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神戸発祥のケーキやさんなので 本当はケーキが食べたかったのですがランチのほかにおなかに入るゆとりはありませんでした。
それがとても残念です。
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近くでみつけた ステンドグラスの教会です。
シャロンゴスペルチャーチ東京都豊島区西池袋5-2-1
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池袋のコンサートホール付き教会でスタインウェイ・グランドピアノの会場だそうです。

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2013年10月21日

自由学園明日館5(豊島区)

食堂の中央にある暖炉です。
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六角椅子
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六角形の背に水平のスリットが特徴的です。
ライトもしくは遠藤がデザインしたと考えられます。
ライトは家具も建物の一部と考えていました。、常に建物と家具との調和を考えていました。
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この建物は天井裏を持たず、そのまま屋根の形になっているため 天井が高く圧迫感がありません。
中二階の食堂の暖炉脇の数段の階段を上ります。
バルコニーと呼ばれる部分に ライトの資料室がありさまざまな資料と 等身大の写真があります。
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バルコニー部分から 中央ホールを見下ろせます。
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大きな窓です。
「建物の象徴ともいえるこの大きな窓のてっぺんの角度が、他の部屋の梁、照明器具、椅子の背もたれなど、ありとあらゆるところに取り入れられています。」
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前庭の中央の大きな窓は 明日館の象徴です。
ライトは ホールの窓には高価なステンドグラスを使用する代わりに、木製の窓枠や桟を幾何学的に配して工費を低く抑え、象徴的で統一感のある造りにしています。
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バルコニーから中央ホールに移動しました。
天井に見えるのがバルコニー部分です。ホールは礼拝堂だったということで広いです。
「建物の高さを抑え水平線を強調し、部屋同士を区切らずにひとつの空間として緩やかに繋ぐといった特徴のライトの意匠、プレイリースタイル(草原様式)が明日館の特徴です。」
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かつて女学生たちが毎朝の礼拝をしていたというホールでお茶とお菓子をいただけます。
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喫茶付見学600円。見学のみ400円。
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柔らかな日差しと木のぬくもりの中でゆったりとした時間を過ごしました。
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西側の壁面には、生徒が描いた旧約聖書「出エジプト記」の壁画があります。
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この壁画は修理工事で発見されたそうです。
壁画の存在は、以前から古い写真等で確認されていました。、厚く塗られた壁の下に現在まで色鮮やかに残されていたのは大きな驚きだったとのことです。
「この壁画は創立10周年を記念して、当時、学園の美術教師を務めていた美術家・石井鶴三の指導の下、生徒たちの手によって描かれました。「見よ、火の柱、雲の柱…」という旧約聖書出エジプト記に材をとった、自由学園校歌の一節がモチーフとなっています 」(明日館説明文)

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2013年10月20日

自由学園明日館4(豊島区)

平屋造りの明日館ですが、一段高くなっているのが食堂。
大ホールの裏側は中二階になり、そこが食堂です。
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特徴的な照明と 窓からの柔らかい自然の光がさしこみ落ち着いた雰囲気です。
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手作りのあたたかい昼食をいただくことは、羽仁夫妻が願った教育の基本でした。
そのため、当時の学校建築としては珍しく食堂が校舎の中心に設計されています。
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木のぬくもりが感じられます。
小食堂に置かれている古い家具は遠藤新のデザインによるもの。
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遠藤新は、予算の制約あるなかで非常に頭を悩ませてこ

のデザインを考え出しました。
椅子、机それぞれにあるスリットは でコスト削減のための工夫だそうです。
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1922年の女子学生の体格に合わせた椅子はひとまわり小さく小学生の椅子のようでした。
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統一された幾何学的な建具のデザインで 部屋の梁、照明器具、椅子の背もたれなどの角度が統一されています。
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自由学園明日館は、「建物は使ってこそ維持保存ができる」という理念のもと、使いながら文化財を保存する「動態保存」のモデルとして運営されています。そのため、重要文化財に実際に触れ、建物の息遣いを身近に感じることができます。
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木の柔らかな雰囲気がいいです。
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外光を巧みに取り込み,幾何学的な装飾を用いて変化に富ませています。
ライト自身がデザインしたという照明は,当時からのものだそうです。
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電球を吊るすV字型の吊子が装飾的な照明。
この吊子は、設計図の段階では計画されていませんでした。
事現場を見てライトは、「天井が高すぎた」とその日のうちにこの吊子をデザインしたといわれています。
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食堂から階段を少し登って南に出ると、そこは大ホールのバルコニー。
ライトの資料が展示してあります。

小階段を上り 資料室に行きます。
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2013年10月19日

自由学園明日館3(豊島区)

受付から東校舎内に入ると婦人之友社羽仁先生記念展示室があります。
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明治36年に羽仁夫妻は「婦人之友」の前身「家庭之友」を創刊.
婦人之友社の100年に及ぶ歩みと現在までの活動を展示しています。
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なつかしい本が並び 実際に手に取ってみることのできるコーナーもあります。
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椅子がかわいい。
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自由学園工芸研究所の手作りクッションかも。
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大谷石をふんだんに使っています。
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大谷石と木材を多用した質素な造り
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大教室。自然光だけです。
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木造で漆喰塗の建物
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幾何学模様で統一されています。
「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。
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廊下天井の明かりとり。
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中央ホールへの階段
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ホール前の西校舎へ続く廊下も大谷石。
次 ホールに入ります。

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2013年10月18日

自由学園明日館2(豊島区)

受付から入ると 東校舎です。
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東校舎には婦人之友社展示室などがあります。
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西校舎はいろいろな教室に利用されているようです。
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西側教室入口
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敷地の奥にJMショップがありますがその前にあった 梟です。
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自由の梟 、大谷石製。
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柱にも大谷石を使用しています。
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これは東側外から見た明日館。
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明日館のまえにある 講堂です。
自由学園講堂 1927(昭和2)年
重要文化財 設計 : 遠藤新
生徒の増加でホールが手狭となり,遠藤新が設計した。
設計のコンセプトは明日館と同じ。
内部は見学しませんでしたから外観のみ。
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次は内部見学です。


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2013年10月17日

自由学園明日館1(豊島区)

池袋駅のメトロポリタン口から5〜6分ほど歩く。表通りから細い道に入ると 住宅地があり道を右に左にと入っていくと 自由学園明日館があります。
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重要文化財自由学園 明日館 東京都豊島区西池袋2-31-3
自由学園明日館(みょうにちかん)は、1921年(大正10)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。
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自由学園明日館 重要文化財
竣工
中央棟 : 1921年(大正10年)
西教室棟 : 1922年(大正11年)
東教室棟 : 1925年(大正14年)

設計 フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、遠藤新
施工 女良工務店

構造
中央棟 : 木造平屋建て、一部2階、半地下、鉄板葺
西教室棟 : 木造平屋建て、鉄板葺
東教室棟 : 木造平屋建て、鉄板葺

建築面積 中央棟 : 639.6m2
西教室棟 : 178.9m2 東教室棟 : 179m2
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受付で喫茶付見学券600円を払い 内部見学します。まずは 外観から見学します。
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奈良の平等院鳳凰堂をイメージしたのだとかでホールを中心とした両脇に教室を抱えたつくりです。
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設計 のフランク・ロイド・ライトは建設途中でアメリカに帰国してしまったそうで、正面に向かって右側の教室棟は、あとを引き継いだ遠藤新による設計とのこと。、左右の教室棟は、細かい部分で違いが見られるそうです。右側の教室棟にある煙突は、左側で使用している暖炉の煙突と左右対称に見せるためのダミーとのことです。
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東校舎
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西校舎
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軒高を低く抑えて水平線を強調した立面,幾何学的な装飾は,「プレーリーハウス(草原様式)」と呼ばれる一連のライト作品の意匠を象徴している。また,日本に残るライト作品の特徴である大谷石が多用され,基本構造が現在の2×4工法の先駆けと云われるなど他の日本建築には見られないライトの作風を良く示している。

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2013年10月16日

雑司が谷旧宣教師館「旧マッケーレブ邸」

雑司が谷旧宣教師館は改修工事が終わってこの4月からふたたび公開されています。
門を入ると塗り替えた白い外壁に緑のストライプの洋館が目に入ります。
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雑司が谷旧宣教師館 東京都豊島区雑司が谷1-25-5
設計 J・M・マッケーレブ
構造 木造 階数 地上2階 建築面積 113.03m2
竣工 1907年(明治40年
東京都有形文化財(建造物)
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玄関ポーチの方杖(ほおづえ)など、カーペンターゴシック様式の特徴が随所にみられます。
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わずかに張り出した窓が部屋を広く見せています。
外壁に特徴のあるシングル様式と呼ばれるデザインで、きわめてシンプル。
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窓ガラスの桟にも特徴があり さまざまな意匠が凝らされている。
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屋根にもちょっとした工夫がされています。
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居室の外側にサンルームのような感じです。日本家屋で言えば縁側のようなもの。和室は雨仕舞いなどの関係から、もともと畳の部分の端を直接外部と接することは避けて、そこに縁側とか廊下といった板の間の部分を設えています。そういう風な感じで サンルームが部屋を取り囲んでいて とても明るいです。
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居室が直接 風雨にさらされたり 日光が当たらないようになっています。
案内では“ベランダ”と称されています。暑さ 寒さ対策でしょうか。
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マントルピースはアールヌーボー風のタイルを使い、ケヤキ材の前飾。
アメリカ風の建物ながら天井は2階には格子に割竹が使われています。
階段を上がったところに浴室があったのも特徴です。
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これはパンフレットの写真です。食堂。
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内部撮影は 申請して許可を得なければなりません。
パンフレットに要点が書かれていたので パスしました。
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都内でも数少ない明治期の宣教師館
「明治40年にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自邸として建てたもので、豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築であり、東京都内でも数少ない明治期の宣教師館として大変貴重なものです。
木造総2階建て住宅で、全体のデザインはシングル様式であり、細部のデザインはカーペンターゴシック様式を用いており、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を写した質素な外国人住宅です。
平成元年1月から館内に関連資料などを展示し、一般公開を行っています(入館料無料)。なお、旧宣教師館は「旧マッケーレブ邸」として、平成11(1999)年3月3日に東京都有形文化財(建造物)に指定されました。」
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2013年10月15日

雑司ヶ谷霊園~雑司が谷旧宣教師館(豊島区)

東京メトロ有楽町線の東池袋駅で降りて 雑司ヶ谷霊園にむかいました。
高速道路に沿ってしばらく歩き右折すると 雑司ヶ谷霊園です。
いちょう通りをそのまままっすぐ歩きます。
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雑司ヶ谷霊園 (御鷹部屋跡) 豊島区南池袋4-25-1
このあたりには、江戸時代中期の享保4年(1719)以降、幕府の御鷹部屋がありました。
御鷹部屋には、鷹匠頭をはじめ目付、同心など常時7、80名がおり、鷹狩りに用いる鷹の飼育や訓練などを行っていました。
また、鷹狩りの際には、将軍が立ち寄って休息したり、食事をとったりしたこともあったようです。

霊園内散歩が目的ではないので 墓には目もくれず歩きましたが 途中で見かけたのがこの標識。
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日本女子大の成瀬仁蔵先生の墓があるらしいです。
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次が 竹久夢二の墓の説明板。
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竹久夢二の墓 墓の文字は画家の有島生馬。
雑司が谷霊園 1種8号9側32番

明治17年(1884年)岡山に生まれる。
昭和9年(1934年)51歳でこの世を去る。
大正期〜昭和初期にかけて画家として活躍。
墓というより 石碑のようだなと これは写真に撮りました。
銀杏の実が落ちて 目がかゆいので足早に歩き 霊園を抜けました。
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「旧宣教師館通り」にはこんなプレートがはめ込まれていました。
旧宣教師館の建物の前までは、わずかな距離だけれど「旧宣教師館通り」と名付けられています。
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雑司が谷旧宣教師館 雑司が谷1-25-5
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東京都指定有形文化財
「雑司が谷旧宣教師館は明治40年にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建てた豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築であり、都内でも数少ない明治期の宣教師館として大変貴重なものです。
 この建物は木造総2階建て住宅で、全体のデザインはシングル様式、細部はカーペンターゴシック様式を用いており、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を示した質素な外国人住宅です。」
建物は無料で入館できます。次に 中に入ります。

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2013年10月14日

日本女子大学成瀬記念館(文京区)

日本女子大の正門 すぐ左手に赤い煉瓦の建物があります。
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日本女子大学成瀬記念館 文京区目白台2-8-1
赤煉瓦のロマネスク調の建物
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日本女子大学の創立者、成瀬仁蔵の偉業をしのび、教学の理念や大学の歴史を明らかにするため、昭和56年の創立80周年の記念事業として開館しました。
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横側は 上部に白い装飾のついた窓が並びます。
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この白い部分は人と人が向い合せているデザインだそうです。
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正面です。
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正面上部。
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ここを入り 赤じゅうたんの階段を上ると創立者成瀬仁蔵氏の蔵書など学園史を中心とした資料を整理、保存している収蔵室があります。
天井がアーチ型で高く 自然光を取り入れていて とても明るいです。
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ロビーの吹き抜けには、「春夏秋冬・天地の生物」を描いた6点のフレスコ画がはめ込まれています。
これがまた淡い色合いで 素敵です。
階段正面 東西の窓を飾るステンドグラスは、雲間をいずる「光」と「校章」だそうです。
構内を 奥に進むと (不忍通りから入るとすぐ) 旧成瀬仁蔵住宅(成瀬記念館分館)があります。
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旧成瀬仁蔵住宅は、1901(明治34)年の日本女子大学校開校に際して建てられた校長宅で、創立時の建物としては現存する唯一のもの。
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この建物と家具14点が2007年10月、文京区指定有形文化財に指定されました。
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非公開なので 住宅の様子は全くわかりませんでした。
日本女子大が創設された明治34年(1901年)に、教師館の一軒として建設された、典型的な和風建築。
2階は、大正時代に本格的な西洋風意匠で増築。
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創設者の成瀬仁蔵は、大正8年(1919年)に亡くなるまで、ここを住居としていました。
真夏日の暑い日でしたが 木々に囲まれ少々 湿気っぽい気がしました。
管理もたいへんなことでしょうね。


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2013年10月13日

目白通り・目白坂(文京区)

先日 三越日本橋店に出店していた 関口フランスパンがおいしかったので 江戸川橋駅近くの本店まで行きました。
この店は何度か前を通り気になっていたのですが いつもタイミングが悪くて買うことができなかったので今回は 買う!と決めて行きました。
お店は 東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅近くの目白坂にあります。
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関口フランスパン 目白坂本店 東京都文京区関口2-3-3
もらったパンフレットによれば 日本のフランスパンの元祖。
「東京市小石川区の関口町に在住していたカトリック教会の司祭ペトロ・レイが、教会経営の孤児院の子どもたちに授ける職業訓練を、文化的なものにしたいと孤児院の子供たちの中から長尾ナ二(後の関口フランスパン職工長)を選び仏印に送り出し本格的にフランスパンの製法を、勉強させました。帰国後、教会敷地内に製パン工場を建て明治21年(1888年)4月小石川関口教会(現関口教会)付属、聖母仏語学校製パン部として創業。日本における本格派フランスパンの誕生。これが後の関口フランスパン(1914年(大正3年)創業)です。」
要約すればこのようなことが書いてありました。
パンを買う前に 店内でクラブハウスサンドイッチを食べました。
広く落ち着いた店内で1時間もゆっくりしてしまいました。
目白坂を椿山荘のほうに行くと 目につくものがあります。
今回は パンを買う目的で 坂の上から逆に下りてきましたが この坂かなり長くて上るのはちょっと大変です。
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椿山荘 文京区関口2-10-8
江戸時代、上総久留里藩主黒田豊前守の下屋敷であった。
明治に入り山県有朋の邸宅となり、椿が多くあったところから椿山荘と呼ばれた。
大正年間に藤田家の所有となった。
庭の築造は19世紀末といわれている。
園内には広島県から移築された室町末期の三重塔がある。
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講談社野間記念館 文京区関口2-11-30
講談社初代社長野間清治氏が収集した「野間コレクション」と称される美術品を中心に展示。
また、講談社の出版事業にかかわる貴重な出版文化遺産も数多く展示される。
建物は、旧社長宅を改装し、4つの展示室と休憩室からなる。
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和敬塾本館(旧細川侯爵邸) 文京区目白台1-21-2
和敬塾本館(旧細川侯爵邸)は、細川家第16代細川護立侯により昭和11年(1936年)に建てられた、昭和初期の代表的華族邸宅です。
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旧高田老松町 町名由来板
明治5年、高田四ツ谷町の内と高田四ツ谷下町を併せ、さらに旧土井能登守(越前大野藩6万石)、小笠原信濃守(播磨安志藩1万石)、細川越中守(肥後熊本藩54万石)の下屋敷と武家地を合併した。そして町名を高田老松町とした。
旧高田老松町76番地の細川邸の門前にむかし2株の老松があり、鶴亀松といった。左手の松は見上げるように高くて鶴の松といい、右手の松はやや低く平なのを亀の松と呼んだ。
町名は、この縁起のよい老松からとったといわれる。鶴の松は明治38年頃枯れ、亀の松は昭和8年頃枯れた。
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椿山荘や旧細川邸については 以前のブログや写真で紹介しているので省略。
目白坂をのぼりきったあたりは日本女子大学です。
道路から 塀に沿って見えたのは 成瀬記念講堂です。
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日本女子大学成瀬記念講堂 文京区目白台2-8-1
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明治39年(1906)に建設。
大正12年(1923年)関東大震災に遭遇し大きな被害を受けたが、翌年、内部の造作を残して再建された。
外壁は板壁に変えているが、木骨トラスやステンドグラスなどは当時のままである。
高村光太郎作の「成瀬仁蔵胸像」が中央にある。
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次は成瀬記念館へ・・・

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2013年10月12日

木場公園都市緑化植物園

キバナコスモスを見たついでに 木場公園の都市緑化植物園に行きました。
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木場ミドリアムは緑の壁でした。
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ボランティア「木場公園友の会」によって美しく維持・管理されています。
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秋らしい小菊です。
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コスモスもかわいいです。
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なつかしいもの見つけてしゃがんでしまいました。
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ほおずきです。子供のころ遊んだ記憶がよみがえりました。
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猫じゃらしのようなオオケタデの花が咲いています。
あかまんまの花のお父さんみたい・・・・かも。
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センニチコウが色とりどり咲きかわいいです。
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メキシカンセージが手を広げたように咲いています。
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ミニトマト・・・と近寄ってみたら ソラナムの実でした。
他にもたくさんの花が咲いています。
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ミドリアムの前は木場公園ジョギングコースのスタート地点です。
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少し暑い日でしたが ひさしぶりの訪問でしたから気持ちよかったです。
秋の公園はこれからが 紅葉しなりきれいです。
そのうち 秋を探しに行きます。

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2013年10月11日

キバナコスモス(木場公園中地区)

木場公園大橋下のキバナコスモスを見に行きました。
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もうそろそろ終わりかとは思いますが 中地区の畑です。
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キバナコスモスの向うに秋を感じさせるパンパスグラスが見えます。
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橋の上から見ています。
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こちらは見ごろを過ぎたみたいです。
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橋の上からは東京スカイツリーがきれいに見えます。
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2013年10月10日

平井諏訪神社4富士塚(江戸川区)

平井諏訪神社内にある富士塚です。
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鳥居の奥に富士塚と祠があります。
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江戸川区の有形民俗文化財に登録されています。
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江戸川区登録有名民俗文化財(民俗資料)
 平井の富士塚 昭和59年(1984)2月登録

「富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
 平井の富士塚は、大正9年(1920)ごろ、旧下平井村の丸星講の人たちによって造られました。登山道が2つに分かれ、1本は頂上に、もう1本は中腹の小御嶽神社に通じています。頂上の石祠には、大正9年(1920)の造立銘があり、小御嶽神社の前には、丸富の講紋と、「小御嶽神社」と刻まれた石祠があります。塚の高さは約1.5メートルです。
 境内の絵馬堂の内壁には、丸富講が大正2年(1913)に奉納した絵馬があります。
 平成14年(2020)1月 江戸川区教育委員会」
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大正二年に奉納した図額。富士山から御光がさしています。
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高さはわずか1.5m。
これに登ることで富士山に登ったのと同じ御利益が得られるようにと願って作られたものです。
五合目に小御嶽神社を配したり石造物があります。
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頂上の石祠には、大正9年の造立銘があるそうです。
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石碑には、島村安兵衛が大正10年3月に、境内の土地63坪を奉納したと刻んであります。
和竿 竿師 島村安兵衛さんのことでしょうか・・・・
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富士塚の前にも諏訪神社の鳥居がありますから そこから出ました。

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2013年10月09日

平井諏訪神社3 旧社殿(江戸川区)

平井諏訪神社の 境内社稲荷神社です。
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この稲荷神社の社殿は旧本殿で、天保十四年(1843)の建立。
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左側に 稲荷塚があります
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社殿が完成した昭和44年に 旧本殿は移築されました。
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外壁彫刻が映える旧本殿
天保14年(1843)11月の再建。 頭梁は越後国蒲原郡田島村出身の山際万吉、藤原鎮路とのこと。
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本殿の扉、左右を方立。
左右の方立は、梅と尾長鳥?
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『江戸川区登録有形文化財』
天保14年(1843)の再建で、外壁彫刻が江戸後期の神社建築の過飾的な特色をよく伝えています。
本殿正面扉の上の板蟇股は、松と桜
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後藤安五良常善が得意とする水引虹梁と向拝柱の巻竜。
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龍は宝珠を持っていません。
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龍は向拝虹梁に体を巻きつけています。
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横から見ています。頭貫に見返り獅子
本殿の脇障子の彫工は森桂雲「刻銘」がありました。
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あまりに見事な彫工で 見とれてばかりで細部の写真を撮れませんでした。
ひとつひとつ見ていくと どれも見事な細工です。機会があれば再訪してじっくり見てみたいです。
国の文化財でもいいような気がしますが・・・・・

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2013年10月08日

平井諏訪神社2(江戸川区)

平井諏訪神社の石燈籠です。
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一見新しそうに見えますが 年代は確かめませんでした。
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手水舎は身を清めるための手水が用意されています。
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富士山の溶岩からお水がでています!
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絵馬堂大正二年に丸富講より奉納された額があります。
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ちょっと愛嬌のある顔の狛犬さん。
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この奥には ご神木と<旧本殿:稲荷神社>があります。
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ご神木は大きな銀杏の木です このイチョウの木 江戸川区保護樹に なっています。
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この奥に 旧本殿:稲荷神社があります。
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2013年10月07日

平井諏訪神社 1(江戸川区)

夏に平井聖天燈明寺に行ったとき 隣にある平井諏訪神社に行きました。
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 諏訪神社 江戸川区平井6-17-36
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「平井諏訪神社は、江戸川区平井にある諏訪神社です。平井諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建、下平井村の鎮守社だったといいます。昭和8年、四所神社・稲荷神社を合祀しました。」
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江戸川区教育委員会による平井諏訪神社の由緒

「祭神は建御名方命で、享保年間(1716-1735)、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。
境内中央の社殿は、昭和四十二年に命じ百年を記念して建てられ(四十四年完成)、その旧社殿が境内北隅に移築されています。
諏訪神社旧本殿

天保十四年(1843)の再建で、外壁彫刻が江戸後期の神社建築の過渡的な特色をよく伝えています。
平井の富士塚

大正九年頃、旧下平井村の丸富講の人びとによって造られました。境内の絵馬堂には、丸富講が大正二年に奉納した図額もあります。」
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社殿は昭和42年9月に明治100年を記念して建てられました。コンクリート製。
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社殿の扁額は、東京の大黒講の人たちが奉納したようです。
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東京都神社名鑑による平井諏訪神社の由緒

創立年月は不詳であるが、下平井村(現在の平井二・三・四・五・六丁目)の鎮守社として奉斎され、御本殿(現在の稲荷社)は天保十五年(一八四四)十一月再建されたものである。明治当初まで、隣接の平井聖天が別当を相勤めた。明治三十九年拝殿を新設し、昭和十一年境内全般低湿のため、氏子の浄財をもって境内を土盛、社殿の改修をなした。昭和八年、四所神社・稲荷神社を当社へ合祀した。
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2013年10月06日

矢口書店・古賀書店

神保町古書店街 靖国通り神保町交差点と専大前交差点の中間に位置するレトロな建物があります。
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矢口書店&古賀書店です。
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矢口書店・古賀書店
1928(昭和3)年
設計・施工 : 不明
千代田区神田神保町2-5-1
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「洋風のファサードを意識した矢口書店・古賀書店・旧澤書店は、昭和3年に建てられた木造3階建ての建物で、古書店街である神田神保町の風景を特徴づける景観資源です。
 神田神保町は、一部を除きほとんどが戦災を免れています。歴史的建造物は神田神保町の1丁目に集中しており、震災復興期に建てられた看板建築が多く、意匠も互いが競い合うように創造的でユニークなものが多く見られます。千代田区観光協会」
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音楽書専門の古賀書店
古賀書店の創業は大正の初頭で、音楽専門店となったのは昭和の初めの頃。
クラシック愛好家が信頼を寄せる老舗の音楽専門店
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映画・演劇書専門の矢口書店、
映画・演劇・演芸・戯曲・シナリオの店
上方落語関連書も人気
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外壁に石造りを擬したモルタル塗りの装飾が刻まれていて、通り側にペディメントを向けています。
建物は昭和3(1928)年築。
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横から見ています。
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矢口書店・創業は1918(大正7)年
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建物の奥にも、(有)篠崎運送店と書かれた建物が見えます。
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この建物も看板建築で同じころ建てられたように思えます。
篠崎運送店そのものは 創業昭和27年で関東一円に本を配送しているそうです。
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その隣の建物も古いです。
古い建物が3つ並んでいるのもこのあたりでは珍しくなってしまいました。
神保町を歩くと 町並がすっきりしていることに気が付きます。
写真を写していて気が付くのですが 電線がないのです。
地中化されていので 外灯はありますが電柱はありません。
都内19区の国道 都道は80%地中化がすすんでいるそうです。
2020年までには100%にする予定だとか・・・
我が家の近隣も地中化が進んでいます。
外国人が日本に来て 驚くのは街中の電線だそうですから 景観 防災のためにもいいことなのでしょう。

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2013年10月05日

神保町専大前交差点

神保町さくら通りを抜けると 専大前交差点南側に古風な建物が目に入ります。
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うなぎ専門料理店の今荘(いまそう)。角地を切り欠いて玄関を設け、玄関は唐破風、最上部は神社のような破風があり、その下に大きな丸窓があります。一見 遊郭風の建物です。昭和初期の木造3階建てです
1933(昭和8)年
設計 : 佐藤組
施工 : 不明
千代田区神田神保町3-15-1
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その反対側 さくら通り角にあるのが中華そば成光。
建造時期不明。改装したらしく 外観はとてもきれいです。
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木造2階建て。代田区神田神保町2-23-2
看板建築なのでしょうが地味な建物で 2階の窓の形や装飾的な軒蛇腹の意匠から見て、昭和初期のものと思われます。
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側面から見ます。2階の壁上部にわずかに装飾があります。
40年ほど前は中華屋ではなくお菓子屋さんだったそうです。
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昭和のレトロ感が漂う建物で 二階の窓が趣のある建物です。
靖国通り沿いに 戻ります。
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通りにある歴史と文化の散歩道の標識です。
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神田本屋街散歩は、靖国神社から靖国通りを神田小川町まで至る約1.7kmのみちのりです。
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旧飯田町と神田本屋街
 江戸時代このあたり一帯は、武家地であり、町屋は九段坂北側の旧飯田町だけであった。。この旧飯田町には、かつて文人などが多く住み、滝沢馬琴ゆかりの地でもあり、明治時代には尾崎紅葉を主宰者とする硯友社があった。
神田神保町周辺は、明治以後、周辺の大学拡張に伴って学生の街として発展した。
震災復興後の昭和初期には 銅板や装飾を施した街並みが続き、古書店が数多くの木を並べる町となった。
この本屋街の規模は世界に類を見ないもので。周辺の出版関連会社とともに、日本の文化や科学を支える役割を担っている。

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2013年10月04日

旧相互無尽会社・神保町さくら通り

8月に神田神保町すずらん通りを歩いたのですが 今度は反対側のさくら通りを歩いてみました。
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すずらん通りから西、神田神保町二丁目側の地域がさくら通り
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ここはほとんどオフィス街で 古書店や商店なども少なく 商店街というより、周辺と同じくビルの並ぶ通りです。
そんな中でみかけたのがこの建物です。
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周囲のビルと比べると、レトロ感のある建物です。
昭和初期にあった無尽会社(現在は相互銀行)の店舗でこのビルは1930年(昭和5年)、安藤組の設計により建てられました。
銀行にしては入口も小さく 奥行きもない建物で小口にお金を貸す事をメインにした金融機関の施設だと思われます。
戦後は相互銀行法の制定により第一相互銀行となり平成元年・太平洋銀行、破綻後わかしお銀行、平成15年三井住友銀行千代田営業部として使用され、平成17年に営業部が移り閉鎖されたそうです。今は神保町ビル別館として貸しビルになっているらしいです。
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旧相互無尽会社(現神保町ビル別館)
設計:安藤組 施工:安藤組
竣工:昭和5(1930)年
構造:鉄筋コンクリート造4階建て
所在地:東京都千代田区神田神保町2-19
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全面が褐色のスクラッチタイル貼り。1階部分には4連の大きなアーチ窓が並び、側面の窓格子や小さなテラスのある窓など、昭和初期に流行した凝った意匠です。
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この窓の意匠は 学士会館に似ています。
当時流行のスクラッチタイルとテラコッタです。
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側面の窓格子
戦時中に米軍が「歴史的・文化的に価値の高い書籍が集まる神保町は空爆禁止区域に指定」としたため、戦災を免れていると聞きました。
せっかく残った 隠れた町の名建築の一つですから なんとか保存していってほしいです。

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2013年10月03日

竹内栖鳳展 近代日本画の巨人 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館『竹内栖鳳展 近代日本画の巨人』に行ってきました。
竹橋駅の改札を出ると チケット売りのカウンターが・・・えっ?そんなに混むのか・・と思いつつ その場でチケットを購入しました。
ぞろぞろと竹橋を渡る人 みな美術館に行く人です。駅に向かう行列もあって 混んでいるのだと思いつつ美術館へ向かいます。
すると やはり窓口でチケットを買う行列があって 駅で買っておいてよかった!と思いました。
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竹内栖鳳展 近代日本画の巨人 

東京国立近代美術館 (北の丸公園3-1) 企画展ギャラリー
2013年9月3日〜10月14日
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今回の展覧会で出品される本画は100点あまり。1957年に開催された回顧展以来の大規模展です。
展覧会には初出品となる絵馬《龍神渡御の図》(1887年)をはじめ、《富士図》(制作年不詳、本間美術館)、《花に蔵》(1934年、個人蔵)など主要作品、重要作品を網羅しています。
栖鳳は、1864年に京都に生まれ、四条派の幸野楳嶺に学び、京都画壇の近代化の旗手として活躍しました。後進にも多大な影響を与えたその作風は、積極的に西洋美術をはじめ、日本画の他派の筆法なども取り入れました。
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動物画を描かせて栖鳳の右に出る人はいないというほどですが 栖鳳が描いたとても愛らしい動物たちにも多く出会えます。
会場には獅子や象、熊、鹿といった大きな動物から兎や仔犬、猫といった身近な動物たちが並びます。
「班猫」はパンフレットにありますが なんともいえないしぐさでi生きているようです。
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西洋画の光の表現を取り入れたと言われる金獅子(表の看板を撮影)
ふわふわの鬣 毛並の一本一本の細密な描写、風格のあるライオンさんが今そこにいるみたいです。
ふっと風が吹いたらあの毛が揺れそうな気配までしてきます。本当に繊細で緻密な筆です。
対になった 向かい合わせの獅子の絵もありますが やはりこの絵が一番いいです。
さまざまなバージョンの獅子が数点展示されています。
年代順に展示されていて、ヨーロッパ絵画に学んだ遠近法と陰影を使った作品や、水彩画のように色づけした作品などもあります。ダイナミックで力強いタッチの絵もあり 作風を模索していたようです。
栖鳳の旅の写生帖が展示されていますが このスケッチが自由でのびのびしていてとてもよかったです。
人物画などもありましたが 美人画なら上村松園がいいです。
かなり混んでいましたが わりとゆっくり見ることができました。
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常設展は見ないで 余韻を残したまま美術館を出ました。

posted by うめのはな at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館・芸術鑑賞

2013年10月02日

上野公園界隈 台東区

上野公園に行くときはいつも上野駅にあるフレンチレストラン「ブラッスリー・レカン」で食事します。
昭和7年に創られた由緒ある上野駅貴賓室を再現しているだけあって天井が高く、アールデコ様式に創られた懐古の空間はとてもいい感じです。
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ただし昼時は並ぶほど混むので 11時すぎの食事になります。
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ランチコースがあります。
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この日はマッシュルームのクリームスープ。
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魚のコースは真鯛のポアレ
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お肉のコースは子羊のソテー
最後にコーヒーか紅茶がつきます。
まったりとしていたいのですが お客が待っているので早々に出ます。
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上野公園を歩くと 道路にある東京都のマンホールのふたの模様が桜の木だと気が付きます。
なかなか粋なはからいです。
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蜀山人の碑(しょくさんじんのひ)
上野公園四番

 一めんの花は碁盤の
 上野山 黒門前に
 かかるしら雲   蜀山人
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碑面には、大書してこの歌を刻む。ついで、蜀山人についての説明、碑建設のいきさつを、細字で刻んでいる。歌の文字は蜀山人の自筆であるという。蜀山人は姓を大田、名を覃、通称を直次郎といった。蜀山人はその号である。南畝・四方赤良など、別号多く、一般には大田南畝と呼ぶ。幕臣であったが、狂文・狂歌を良くし、漢学・国学を学んで博識であった。江戸文人の典型といわれ、狂歌の分野では唐衣橘洲・朱楽管江とともに、三大家と評された。文政六年(一八二三)没。
 江戸時代、上野は桜の名所であった。昭和十三年、寛永寺総門の黒門跡に、その桜と黒門を詠み込む蜀山人の歌一首を刻んだ碑が建てられた。郷土色豊かな建碑といっていい。 台東区教育委員会
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正岡子規記念球場
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この球場の名前を冠している正岡子規は、明治初期に日本に野球が紹介されて間もない頃の愛好者であり、1886年(明治19年)から1890年(明治23年)頃、この球場がある上野公園内で野球を楽しんでいたという。
このような功績を称え、上野恩賜公園開園式典130周年を記念し、2006年(平成18年)7月21日に上野恩賜公園野球場で句碑の除幕式と正岡子規記念球場の愛称が披露された。句碑には「春風や まりを投げたき 草の原」の句が刻まれている。
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上に見えるは 東比叡山 寛永寺 清水観音堂 月の松
詳細は以前のブログで。
http://umeno87.sblo.jp/article/68860469.html


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