2013年11月30日

神田川クルーズ4

頭上を覆っていた高速道路がなくなり すっきりとしてきました。
22.後楽橋 文京区後楽ー 千代田区水道橋
構造 : 鋼製 アーチ 橋
完成 : 昭和 2年 (1927)
左手側には元々、水戸藩の藩邸があり、
そこの庭園が小石川後楽園から命名されています。
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写真では黄色の手すりの一部しかみえませんが 後楽園ブリッジです。
水道橋駅から東京ドームシティへ直接行ける、歩行者用の橋です。
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23.水道橋 文京区後楽ー 千代田区水道橋
構造 : 鋼製 桁橋
完成 : 昭和63年 (1988)
水道橋を右側に渡るとちょうどJR水道橋駅の入り口があります。
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江戸時代この橋の下流側に、神田川を渡る神田上水掛樋が架かっていました。

水道橋が見える橋、それが橋の名の由来となっています。
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ここは洪水を防ぐために設けられた分水路です。
御茶ノ水橋までは 渓谷のような景観のいい景色です。
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ドラマ「JIN」に出てきたような神田川の渓谷美です。
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江戸時代の初期に 「神田川」 が開削されてこの場所を流れるようになると、ここは 「お茶の水谷」 と呼ばれる深い渓谷になりました。
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中央線御茶ノ水駅付近の線路は、神田川に沿って構築された盛土上にあり、神田川と台地側切土に挟まれた地形上に位置するため現在防災工事 首都直下地震に備えた耐震補強工事を行っています。
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24.お茶の水橋  文京区湯島ー 千代田区神田駿河台
構造 : 鋼製 ゲルバー式 桁橋  
完成 : 昭和 6年 (1931)
「お茶の水」 の地名は、徳川家康 が鷹狩りに出掛けた際この辺りで休息し、 「高林寺」 の井戸水で入れたお茶がことのほか美味しく、この井戸水を将軍家がお茶に愛用したという逸話からきているとのことです。
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お茶の水の橋の橋桁(はしげた)の高さは かなり高いです。
この場所がいかに深くえぐられた 渓谷のような場所かわかります。
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御茶ノ水橋をくぐると ホームの電車と聖橋が見えてきます。
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2013年11月29日

神田川クルーズ3

15.南掘留橋 千代田区神田神保町ー 千代田区九段北
構造 : 3スパン 鋼製 桁橋
完成 : 昭和 3年 (1928)
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首都高西神田ランプがあるため圧迫感があり 暗いです。
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16.掘留橋  千代田区西神田ー 千代田区飯田橋
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ 橋  
完成 : 大正15年 (1926)
神田川掘削後、現在の 「日本橋川」 は三崎町の分流地点から、この 『堀留橋』 付近まで完全に埋め立てられて、いわゆる 「堀留」 になっていました。平成11年(1999) には、歩道や欄干などの修復が行われました。
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17.新川橋  千代田区三崎町ー 千代田区飯田橋
構造 : 3スパン 鋼製 桁橋  
完成 : 昭和 2年 (1927)
明治36年(1903) の 日本橋川再開削の後 江戸期に断ち切られていた日本橋川と神田川が再びつながりました。その工事によって掘られた水路の名前が新川。この橋の由来です。
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江戸東京再発見コンソーシアム の電気ボートとすれ違いました。
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桜並木のきれいなところです。
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18.あいあい橋 千代田区三崎町ー 千代田区飯田橋
(新たに架設された歩行者専用橋)
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 平成13年 (2001)
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逆光でみえませんが旧国鉄飯田町駅の再開発にともなう人道橋。
親柱には 『i-i bashi』
飯田橋の頭文字、アイデンティティのIを意味したり、「和気あいあい」などが橋の名の由来だそでうす。
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19.新三崎橋 千代田区三崎町 千代田区飯田橋
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 平成14年 (2002)
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三崎橋との間に中央線が通っています。
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飯田橋再開発事業に合わせて架け替えられました。
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20.JR中央線 総武線の橋です。
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21.三崎橋 千代田区三崎町ー 千代田区飯田橋
構造 : 鋼製 桁橋  完成 :
昭和29年 (1954)
右手には神田川を航行するゴミ運搬船と施設
その手前で、日本橋川が分流します。
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日本橋川では最上流の橋です。北側はもう神田川です。
合流地点からJR方向を見ています。
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この上のほうには 東京ドームが見えます。
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運搬船にごみを積み出す装置をもつごみ東京都清掃局の千代田清掃事務所三崎町中継所です。
清掃車で集められたごみは、ここで不燃ごみは運搬船に積み込まれ、この運搬船は神田川を下り、隅田川へ出て 東京湾内にある不燃ごみ処理センターに運ばれます。はしけ一隻でごみ収集車15〜20台分のごみを運べるほど輸送効率が良く、交通渋滞の緩和や排気ガスの低減に役立ちます。
江戸は水の都と言われるほど 川や運河が重要な交通路でした。
神田川が現在も「都心からのごみ搬出」に利用されているのです。
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奥に後楽橋が見えています。

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2013年11月28日

神田川クルーズ2

高速道路の下を船は行きます。
神田ジャンクションあたりです。
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鎌倉橋が見えてきました。
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8.鎌倉橋 千代田区内神-田- 千代田区大手町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
江戸城築城の際、資材を鎌倉から運び 陸揚げをしたのがこのあたりで、 鎌倉河岸(かし)と呼ばれ 賑わった場所でした。
鎌倉河岸の近くに架橋されたことから、この名前が付いたそうです。
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9.神田橋  千代田区神田錦町ー 千代田区大手町
構造 : 鋼製 3スパン 桁橋
完成 : 昭和55年 (1980)
将軍が上野・寛永寺に参拝するための 御成道 でもあったので、、警備が厳重な要所とされる橋でした。
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川も防衛上の理由で、蛇行しています。
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現在の橋は昭和55年(1980)、下を走る地下鉄千代田線の工事に伴って架け替えられたもの。
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10.錦橋  千代田区一ツ橋 ー千代田区大手町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ橋  
完成 : 昭和 2年 (1927)
すぐ近くの交差点の名前が錦町河岸。ここもかつて、江戸城建設の際に荷揚げが行われた場所です。付近は神田錦町と呼ばれています。
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コンクリートのアーチ橋がきれいになっているんですけど・・・
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錦橋 から 一ツ橋にかけての護岸には一部 石積み が残っています。
これら石垣のなかには、 普請を担当した大名の刻印が刻まれた 「刻印石(こくいんせき)をみることができます。
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11.一ツ橋 千代田区一ツ橋ー 千代田区一ツ橋
構造 : 鋼製 桁橋
完成 : 大正14年 (1925)
皇居内堀に最も近づくのが、この一ツ橋のあたりです。
このあたりにもかつて河岸がありました。
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徳川家康 が 江戸城 に入った頃には、この場所に 「丸太の一本橋」 が架かっており、『一ツ橋』 の橋名は、この 「一本橋」 から付けられたと伝えられている。
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アーチ状の 「橋台」 部分
少し先に共立講堂が見えます。
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12.雉子橋  千代田区一ツ橋 ー千代田区九段南
構造 : 鋼製 アーチ 橋  
完成 : 大正14年 (1925)
完成 : 大正14年 (1925)
外国からの使節をもてなすための 雉(きじ) や 鶏 を飼育する囲いがあったことから、 『雉子橋』 と呼ばれるようになったと言われています。

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13.宝田橋  千代田区神田神保町 千代田区九段南
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 昭和43年 (1968)
宝田橋の名の由来は、付近の宝田村からです。
現在この地名はなく この橋に残っているだけです。
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14.俎橋  千代田区神田神保町ー 千代田区九段北
構造 : 鋼製 桁橋
完成 : 昭和58年 (1983)
江戸名所図会にもその立派な橋の姿が描かれています。
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江戸時代から 「まな板」 のような 「板」 を渡しただけの簡素な橋だったことから『俎橋』 と呼ばれるようになったという。
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続きます。

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2013年11月27日

神田川クルーズ1(日本橋)

前回 日本橋クルーズの川めぐりをしてとてもよかったので 今回は神田川クルーズに参加しました。
日本橋船着場には その他の舟のクルージングもあってにぎわっていました。
私たちは前回と同じ会社のクルージングです。
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舟はオープンデッキで椅子とテーブルがあるので 飲食も可。
90分の船旅もまわりがよく見えて快適です。
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1.日本橋  中央区日本橋室町 ー中央区日本橋
完成 : 明治44年 (1911)
構造 : 2スパン 石造 アーチ橋
最初の架橋(かきょう)は、徳川家康が幕府を開いた 慶長8年(1603)と伝えられ、 翌年、東海道をはじめとする五街道の起点に制定されました。 重要な日本橋川の水路と交差する交通の要所として、 江戸経済の中心でした。
橋詰(はしずめ)には高札場(こうさつば)があり、 魚河岸があったことでも有名です。
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ここから 日本橋川を後楽園のほうに遡ります。
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2.西河岸橋  中央区日本橋室町ー 中央区八重洲
完成 : 大正14年 (1925)
構造 : 3スパン 鋼製 桁橋
橋の名の由来となった西河岸とは、江戸の台所事情を支えた日本橋魚市の西側の河岸。
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3.一石橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 平成13年 (2001)
構造 : 2スパン 鋼製 桁橋
その昔日本橋川は常磐橋で直角に折れ曲がり、外堀と道三堀が交わる水の十字路でした。江戸城の外堀が左手側に流れていました。
現在は、埋めたてられていて外堀通りの一部になっています。
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一石橋はその屈曲点の下流側に架かるの橋です。橋詰めには迷子知らせ石標があります。
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4.常盤橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 昭和元年 (1926)
構造 : 鉄筋コンクリート 石張り アーチ橋
水の十字路の下流側に架かるのが、石造りの常盤橋。
江戸城常磐橋御門に由来する橋ですが、「常盤」の文字が違います。
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橋の東側は日銀本店。
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5.常磐橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 明治10年 (1877) 構造 : 石造 2連 アーチ橋
常磐橋御門の石垣が残る常盤橋公園(字が違います)に架かる常磐橋は、歩行者専用橋です。
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現存する橋は、明治10年(1877)完成の 石造(せきぞう)2連アーチ橋。 江戸城の城郭門(じょうかくもん)「常磐橋門(ときわばしもん)」の 見附橋(みつけばし)として架けられたもので、 東京で最も古い石橋の一つといわれています。
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現在修復中工事をしています。
橋のたもとには重要文化財常磐橋門の跡が残されています。
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6.新常盤橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 昭和63年 (1988)構造 : 鋼製 桁橋
このあたりから 景色は変わり大手町ビジネス街となります。
新常盤橋のすぐ先で、日本橋川はJR線路をくぐります。
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7.JRの橋
鉄道のために架けられたアーチ橋であり、昭和初期の建造物
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JRの橋中央には「日本国有鉄道」の刻印があります。
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かつての鉄道省の紋章が、橋の中央にあるキーストーンに見ることが出来ます。

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2013年11月26日

日本橋・名水白木屋の井戸

神田川クルージングの舟に乗るため日本橋船着場に行きました。
チケットを買い 出航の時間まで近くをぶらり散歩しました。
 野村證券本社ビル前にあるのが三菱東京UFJ銀行 日本橋支店(旧村井銀行)の建物です。
三角形の鋭角な日本橋御幸ビル(旧日本橋東海ビル)ですがこのビル自体は1975年に建てられたものです。
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少し裏にまわると旧村井銀行(大正2年竣工、設計:吉武長一)の入口が保存されています。
日本橋御幸ビルの裏手にあるレトロな入口。
旧村井銀行のものを一部保存。
村井銀行は昭和2年に倒産。
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(入口部分の建築データ)
竣工 :1913年(大正2年)
所在地:東京都中央区日本橋1-7-17
設計 :吉武長一
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工事中のようでした。
日本橋COREDOの裏手にCOREDO日本橋アネックス広場があります。
その前に石碑がありました。
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漱石名作の舞台の碑
江戸っ子漱石はロンドンを舞台にした作品にも日本橋を言挙したほどだ。青春小説「三四郎」、倫理探求の名作「こころ」には、ここの路地の寄席や料理屋が描かれている。
平成17年6月吉日
早稲田大学第十四代総長 奥島孝康 識
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その隣に 「名水白木屋の井戸」の碑 
東京都指定旧跡  中央区日本橋1-4
名水白木屋の井戸  
「江戸時代のはじめ、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず付近の住民は苦しんでいました。
正徳元年(1711年)、白木屋二代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに着手しました。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともなって広く「白木名水」とうたわれてきました。
白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋1丁目交差点角にあったものを平成16年(2004年)ここに移設再現したものです。」
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白木屋は、近江商人大村彦太郎の創業、越後屋と肩を並べる呉服の大店でした。
1967年9月 「東急百貨店日本橋店」に改称しましたが1999年1月31日 閉店。
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残念ながら日本橋の名水は消失してしまいましたが名水白木屋の石碑と井戸を思わせる施設を造営して再現しています。
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2013年11月25日

水道橋

白山通りに戻り 水道橋駅に向かいます。
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東京ドームシティ.東京ドームホテルが見えます。
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水道橋駅前交差点です。
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水道橋親柱
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水 道 橋
全長 : 24.9 m  全幅 : 50.2 m  
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 昭和63年 (1988)
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水道橋記念プレート
北詰欄干には、「江戸名所図会」の「お茶の水」の図を彫った銅版が埋め込まれています。
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江戸の時代より木製の橋でした。大正13年の関東大震災以降、地震の被害を踏まえて、昭和3年(1928)に鋼製のアーチ型橋がかけられました。現在の橋は「昭和六十三(1988)年三月完成」。
「神田上水」 が神田川を渡ったのが、『水道橋』 の語源となった 「懸樋」 で、「お茶の水谷」 に架かるその姿は、江戸の名所にもなっていたといいます。
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神田川から見た 現在の水道橋です。
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水道橋の上から駅舎方向を見ています。
夕日がきれいでした。
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2013年11月24日

金刀比羅宮 東京分社

出世稲荷から水道橋駅のほうに400mほど行くと鳥居が見えて 黄色地に「しあわせさん。こんぴらさん。」の文字が・・・
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讃岐金刀比羅宮・東京分社」です。
丸に金の字の提灯は、金刀比羅宮おなじみの独自の金の字が使われています。
松平ョ重候下屋敷跡の説明板があります。
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松平ョ重候下屋敷跡
「 この地一帯(東京都立工芸高校 宝生能楽堂 金刀比羅宮東京分社)は高松松平家下屋敷のあったところである。
 高松松平家は松平ョ重を藩祖とし徳川光圀とは兄弟の関係にあった。爾来現13代のョ明氏に到るまで松平家は、四国にあって教育と経済の振興に力を尽して来た。
 特筆すべきは12代ョ寿氏で、氏は貴族院議長(1937年→1944年)として名声をはくし、わが国の議会政治史上に一点をとどめ、他方大正大震災の後、旧本郷区の要請で本郷学園を創設し、わが国教育面に大いなる貢献をした。」
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神社は金毘羅のほうを向いて西面しています。そんなに大きくはないのですが 参道には木々があってまわりとは雰囲気が違います。
“ 水道橋 の こんぴらさん ” として 親しまれています。
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「 手水鉢 」
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狛犬像の形は珍しくデフォルメされた容姿で、若干風変わりなもの。
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なんとなく愛嬌があって親しみやすい狛犬さんです。
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「讃岐金刀比羅宮・東京分社」  文京区本郷1-5-11
創建年代 文政2年(1819)板橋市左右衛門奉斎の金刀比羅神社
寛政5年(1793)高松藩上屋敷の邸内社
御祭神;大物主命・崇道天皇
「由緒 :文政2年(1819年)、板橋市左衛門の邸内祠として祀られたことに始まる。明治13年(1880年)には、神社として認められ、明治21年に当宮境外末社に加えられた。明治23年(1890年)には神田和泉町にあったものを、深川古石場町に移転、「深川のこんぴらさん」として親しまれた。しかし、昭和20年(1945年)、戦災にあい建造物を焼失。讃岐高松藩の邸内社として奉斎されていた水道橋金刀比羅神社と深川のこんぴらさんを合わせ祀り、昭和39年(1964年)、文京区本郷に遷座。以来「水道橋のこんぴらさん」として現在に至る。 」
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境内社 「 水道橋稲荷社 」
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駐車場の敷地というか隣にあります。
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稲荷社ですが 狐様は見当たりませんでした。
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こんな感じで鎮座しておられます。
隣は宝生能楽堂です。

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2013年11月23日

出世稲荷神社(春日稲荷神社)

春日通りから少し脇道に入る。
東京メトロ丸の内線が地上を走るあたりです
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道幅は狭く傾斜は急です。
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丸ノ内線後楽園駅がすぐそばです。
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旧東富坂

「むかし、 文京区役所があるあたりの低地をニケ谷(にがや)といい、 この谷をはさんで、 東西に二つの急な坂道があった。東の坂は、木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくるので、「鳶坂」といい、いつの頃からか、「富坂」と呼ぶようになった。(『御府内備考』による)富む坂、庶民の願いがうかがえる呼び名である。
また、 ニケ谷を飛び越えて向き合ってる坂ということから、 「飛び坂」ともいわれた。 明治41年(1908)、 伝通院から本郷 3丁目まで開通した路面電車の通り道として、 現在の東富坂(真砂坂)が開かれた。 それまでは、区内通行の大切な道路の一つであった。東京都文京区教育委員会」
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白山通り沿いはラクーアです。
ちょうどこの反対側 白山通りを1本入った路地に小さな神社があります。
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「出世稲荷神社」(春日稲荷神社)
文京区本郷1-33-17
御祭神:宇迦御魂命
寛永7年(1630)の鎮座
昭和40年に社殿建立。昭和50年に鳥居建立。
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「この辺昔、春日局宅地なりし時、鎮守のため勧請なり。春日局・・・出世ありしゆえ当社の神徳を崇め、出世稲荷と崇め奉るなり。」(旧事茗話)春日局は本名「ふく」父は明智光秀の重臣斉藤内蔵助利三である。戦いに敗れ、逆賊の家

族として苦しい生活をした。後、徳川三代将軍家光の乳母となり、江戸城大奥にて大きな力をもつに至った。
このあたりの片側を将軍から拝領し町屋をつくった。「御府内備考」によれば神社の土地

は拝領地28坪、外に27坪、小栗猶之丞より借地とある。享保2年焼失したので京都稲荷山の千年杉で御神体を作り祭った。
春日町起源のゆかりのある場所である。」
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この付近が春日局の屋敷だった時、邸内鎮守として創建、春日局が敗軍の将の娘から大奥の権力者へと出世したことから、出世稲荷と称されるようになったといいます。そういえば 後楽園駅前には大きな春日局像がありましたっけ・・・
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神社は西面。社殿の後方は傾斜地、ブルとビルの間の谷間のようなt敷地 で境内地の半分は児童公園となっています。
春日局さんも肩身の狭いことです・・・・
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石灯籠もこじんまりと控えめに。。。
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現在は本郷1丁目ですが 旧町名案内板があります。
旧春日町です。
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文京区の路地裏は古い建物などが残っていてなかなか面白いです。

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2013年11月22日

文京ふるさと歴史館

真砂坂上バス停から左に入ると 文京ふるさと歴史館があります。
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東京都文京区本郷4-9-29
歴史館について

「平成3年(1991)4月開館。
文京区は弥生土器命名の地として知られるとおり、古くから豊かな歴史をもっています。
江戸時代には武家と町人が暮らし、独特の産業や文化を形づくってきました。
明治時代には東京大学をはじめとする多くの学校がつくられ、さらに森鴎外や樋口一葉など著名な文人たちが活動の拠点とし、文教のまちの礎を築きました。
文京ふるさと歴史館では、文京区の歴史や文化財をあらゆる世代の方に伝え、触れてもらい、郷土に対する愛着や関心を深めるお手伝いをいたします。」
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「受け継がれた住まい−今に生きる文京の近代建築-」
平成25年10月19日(土)〜12月1日(日)
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「 文京の歴史的建造物は今」
文京区内にある歴史的建造物の現状を紹介。
瀬川家(旧古市家)住宅−苔庭と樹木にかこまれた静謐な空間−
本郷2丁目
明治20年代頃築
昭和初期改築
木造2階建
国登録有形文化財
旧安田楠雄邸庭園−四季折々の表情を演出する和の空間−
千駄木5丁目
大正8年築
木造2階建
東京都指定名勝
村川家住宅−百年の想いを受け継ぐ住まいの空間−
目白台3丁目
明治44年築
大正4年・9年・昭和8年増築
木造2階建
国登録有形文化財
3つの住宅を紹介する特別展です。
このうち旧安田楠雄邸庭園は見学しましたが 残りふつは イベント以外非公開なので見学したことがありません。
さまざまな資料や写真などを見ました。
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常設展は まちの風景 くらしの風景 文化の風景 というコーナーに分かれて展示してありました。
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文京区は文化の街であり多くの文人たちが住んでいました。
多くの古い建物なども残っています。
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文京ふるさと歴史館にある住宅です。
最初これも歴史館の建物かと勘違いして写真を撮りましたが 歴史館とは全く関係がありません。
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これはもうお屋敷としか言いようがないのです。
武家屋敷の長屋門.、門の脇に長屋が附属しています。
諸井邸(旧秩父セメント創業家)です。
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1906年(明治39年)4月上棟 木造2階建て
「諸井恒平氏は日本煉瓦製造の専務、のち秩父セメントを創設した実業家です。
主屋、長屋門、煉瓦蔵を建築し、現在も大切に住み続けられている。」
どなたも住んでいないのかと思っていましたら老婦人が ちょうどタクシーでお帰りになったようで門の中に入っていかれました。
きちんと手入れし 保存の意思があるのだろうと思われます。
再び大通りに戻り水道橋方向に向かいます。

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2013年11月21日

礫川(こいしかわ)浮世絵美術館(文京区)

都営大江戸線の春日駅で下りると目の前に文京シビックセンターがあります。
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文京区役所が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に1999年11月に竣工。地上28階・地下4階、高さ142m。東京23区の区役所の中では最も高い建物です。
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庁舎の25階北側には展望室があり、無料で東京の景観を楽しむことができる。室内照明の反射を避けるために傾斜のついた窓が特徴的。
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隣には講道館、講道館国際柔道センター
後楽園の観覧車も見えます。
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春日駅の地上 富坂下交差点そばの小石川春日ビルの5階に礫川(こいしかわ)浮世絵美術館があります。
普通の雑居ビルでこのウィンドウがなければ 気が付きません。脇の小さな入口から入ります。
エレベーターが1基。中に貼ってあったポスターです。
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礫川浮世絵美術館
文京区小石川1-2-3 小石川春日ビル5F
富士山世界文化遺産登録記念--浮世絵に見る富士山名画展
11月1日(金)〜24日(日)
そう広くない ビルの1室のドアを開けて入ります。
受付の人が一人だけ・・・
玄関で靴を脱ぎます。貸し切り状態。
礫川浮世絵美術館は、浮世絵の正しい理解と啓蒙をめざし、毎月約40点づつ新しい企画で掛け替えし展示しているとのこと。
今回はおなじみの北斎など富士を描いた浮世絵などが展示してありました。
小さな美術館ですが 浮世絵文化に対する熱意は伝わってきました。
交差点に戻ります。
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東富坂(真砂坂)
「 本来の「東富坂」は、この坂の南を通る地下鉄丸ノ内線に沿った狭い急坂である。現在は、「旧東富坂」と呼んでいる。もともとの坂は江戸の頃、木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくることから「鳶坂」といい、いつの頃からか「富坂」と呼ぶようになったという。
 現在の東富坂は、本郷3丁目から伝通院まで、路面電車(市電)を通すにあたり、旧東富坂上から春日町交差点まで新しく開いたゆるやかな坂道である。この市電は、1908年(明治41年)4月11日に開通した。現在、文京区役所をはさんで反対側にある坂を、「富坂(西富坂)」と呼び区別している。 文京区教育委員会」
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この坂を真砂坂上までのぼり 文京ふるさと歴史館に向かいます。

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2013年11月20日

表慶館の内部

中央エントランスホールから休憩室として開放されている部屋に行きます。
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中央部分の部屋です。
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奥は車いすの出入り口だそうです。
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休憩室には椅子とテーブルが置かれていました。
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1階展示室の窓ガラスは当時のものを使用しているそうです。
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展示のない表慶館の建築を見ることができます。
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左右の左の部屋だけ見ることができます。
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宮廷建築らしくシンメトリックに設計された階段です。
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2階は立ち入り禁止。
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サイドの階段の曲線と真鍮の手摺が美しい。
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階段上部
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階段タイル
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東洋館の模型が置かれていました。
「洛中洛外図屏風 舟木本」3Dプロジェクションマッピング「KARAKURI」 25分の1スケール投影してます。
2013年11月1日(金)〜2013年11月29日(金) (毎週 金) 17:00 〜 20:00
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中央ホールに戻ります。
内装にも工夫がなされた 宮廷建築を見ることができ しかも撮影可だったので 今回はこの表慶館だけでも十分楽しめました。

外に出ると表慶館外部の階段右側の植え込みに何やら石碑があります。
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表慶館の階段右側の植え込みにある中世の板碑
建武元年(1334)の年号があります。
約670年前に書かれた無名の筆者の文字です。
670年前 ここには何があったのでしょうか・・・
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2013年11月19日

東京国立博物館表慶館/国登録重要文化財

工事のため2011年12月より休館中だった表慶館でしたが 休憩スペースとして1階の一部を開放していました。
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旧東京帝室博物館表慶館 東京台東区上野公園13-9
竣工 1908年(明治41年)10月
設計 片山東熊、高山幸次郎
施工 新家孝正

構造 石・煉瓦造2階建て、銅板葺

建築面積 2,049.4m2
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表慶館
明治33年(1900)、皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して計画され、明治42年(1909)に開館した、日本ではじめての本格的な美術館です。設計は、J.コンドルの弟子で、東宮御所(現在の迎賓館)なども手がけた宮廷建築家の片山東熊。中央と左右に美しいドーム屋根をいただき、上層部の外壁面には製図用具、工具、楽器などをモチーフにしたレリーフがあります。明治末期の洋風建築を代表する建物として昭和53年(1978)、重要文化財に指定されました。
正面のファサードは、一階には四角い柱、二階にはイオニア式柱頭のオーダーが並び、正面両側にはライオン像。
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平成の大修理
2005年から、2007年まで屋根の修理や展示室内部の壁面の塗り替えが行われました。
表慶館にはエレベーターとトイレがなかったのですが今回のバリアフリー化工事で新たに設置されたようです。
中央に大ドーム、両翼に小ドームをもつ、左右対称のネオバロック様式になっている。
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東京国立博物館 みどりのライオン
近代彫刻の先駆者の大熊氏広の制作
ライオンが「あ」「うん」になっていて 狛犬風。
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正面入口壁 レリーフ
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ドームは東京駅丸の内駅舎のようです。
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ドーム型の天井には立体的に見えるように描かれた天井画が円を描いて並んでいます。
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1階エントランスホールからドームを見上げています。
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ドーム型の天井まで吹き抜け空間が広がっていて 明るいです。
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二階を支えているトスカナ式角柱
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床に敷き詰められているフランス産大理石モザイクタイル
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床のモザイクは七色の細かな大理石
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1Fエントランス(ドーム)の壁の装飾
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エントランスホールと二部屋のみ、展示室ではなく休息室として開放しています。
次に 展示室を見てみます。

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2013年11月18日

特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」平成館 特別展示室

東京国立博物館に行きました。
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特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」を見に行きました。
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平成館 特別展示室 2013年10月8日(火)〜2013年12月1日(日)
混んでいるかと心配しましたが ほどよい感じでゆっくり見ることができました。
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「京都でも見ることのできない京都」と銘打って 映画やテーマパークと同じ土俵で真っ向勝負しても負けない、という自負の下に企画された展覧会だそうです。都の賑わいと四季の景観を描く洛中洛外図の優品が一堂に会するほか、京都を象徴する3つの場所―京都御所、二条城、そして石庭で知られる龍安寺を飾った障壁画を通して、京都ならではの美の空間を体感できます。
たしかに 普通の展示とは違って楽しめました。
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第一部 「都の姿―洛中洛外図屏風」
「洛中洛外図屏風」は、室町時代から江戸時代の京の街を描いた屏風です。
現在、現存する屏風の7件が国宝・重要文化財に指定されており、会期中は前期と後期に分けて、そのすべてが展示されます。
来場者のお目当ては、「洛中洛外図屏風」のようで この部分が混んでいました。
描かれた京の都は、御所や寺などの建物のほか、貴族や僧侶、武士、庶民の暮らしが緻密に描かれており立ち止まって見ている人が多いからです。
「洛中洛外図屏風 舟木本」の高精細画像を4×4mの大型スクリーン4基に拡大投影しています
これは 細かい部分も拡大して見れるので よかったです。
第148回直木賞受賞作 等伯 〈上〉(下) 安部 龍太郎 著 を詠みました。
安土桃山の世に 絢爛豪華な画風で信長に重用された永徳率いる狩野派全盛の時代の永徳の驕り。そして等伯と 狩野永徳との確執。
独自の静かな画風で対抗し、遂に永徳を脅かすまでになった絵師・長谷川等伯のことなどを思い浮かべました。
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第2部 都の空間装飾─障壁画の美
1 王権の象徴─京都御所
2 仏法の荘厳─龍安寺
3 公儀の威光─二条城
第二会場に行くとすいていますので じっくり見ることができました。
超高精細映像4Kで体感する龍安寺石庭の四季
龍安寺石庭・秋 静止画像投影
一年にわたって超高精細映像4Kで撮影した「龍安寺の石庭」をほぼ実寸大(幅約16m)の巨大スクリーンに映し出し、空間として表現します。国内外を問わず人気を誇る石庭の移ろいゆく四季を体感できます。
四季の移ろい 色彩 音・・・まるで 「龍安寺の石庭」にいるような感じです。
これがすごく よかったです。東京で京都を感じました。
この 石庭で知られる龍安寺にまつわる展示ですが その12面のふすま絵は、明治の廃仏毀釈で散逸し、現在はアメリカのメトロポリタン美術館とシアトル美術館に収蔵されています。今回はそのうち「列子図襖」「琴棋書画図襖」が初めての里帰りをし展示されています。
二条城から全84面の障壁画を一挙展示
二条城二の丸御殿黒書院一の間、二の間を飾っていた、狩野尚信筆の障壁画、全69面と、城のシンボル、二の丸御殿大広間四の間を飾る狩野探幽筆「松鷹図」15面を展示。二条城の障壁画かこれほどの規模で出展されるのは史上初とのことです。

まさに「京都でも見ることのできない京都」です。
二条城の空間を再現した迫力ある展示でした。
個人的には この第二会場の二条城の狩野探幽筆「松鷹図」のほうが 絵もよかったし 迫力のある展示でよかったです。
最後に満足感と余韻を残して会場を出ました。
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10月17日に東京国立博物館東洋館に投影された、3Dプロジェクションマッピングの映像は インターネットミュージアムかYouTubeで見ることができました。この東洋館の外壁に投影されました。
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特別展のチケットで 本館や東洋館リニューアルオープン記念 特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」も見ることができるのですが パスしました。
そのかわり 表慶館の中を見学することにしました。

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2013年11月17日

ターナー展 東京都美術館(上野公園)

上野の東京都美術館で開催中の「ターナー展 英国最高の巨匠、待望の大回顧展!」に行ってきました。
秋晴れのいい天気で 上野公園はたくさんの人がいました。
混雑を心配しましたが 並ぶほどでもなくすんなり入場できました。
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ターナー展 2013
2013年10月8日(火)─12月18日(水)
東京都美術館 企画展示室
京都台東区上野公園8-36
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英国最高の巨匠、テート・コレクションによる待望の大回顧展!
2万点にもおよぶターナー・コレクションを所蔵するロンドンのテート美術館から、30点以上の油彩画と、水彩画、スケッチブックなど約110点を紹介する特別展。。東京展のみ国内所蔵の2点を特別出品。
やはり混んでいましたが 見るスペースは十分ありました.
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風景画の可能性を生涯を通して探求し続け、印象派の画家にも影響を与えたターナー。
英国美術の巨匠ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775〜1851)は、生涯を通じて風景画を描き続け、独自の絵画表現を極めた画家として知られています。10代の頃から英国の風景や名所を描く水彩画家として活動しました。 油彩画も描いていますが その画風は自然の大気や空  光 水や植物の息遣いまで感じられるものとなっています。
10代の習作から晩年の代表作まで並んでいます。
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初期のころの油彩画は 写実的で古典主義的な緻密な描写の絵が並び「 こんなのターナーじゃなくても描ける絵だわ」と友人。
すらっと延びた松の木が目立つ有名な「チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア」1832年作 を見て思わず「奇跡の一本松!」と私。
熱心に舐めるように鑑賞している人たちは「なんだこいつら!」と思ったでしょうね・・・
でも あの夏目漱石も名作「坊ちゃん」の中で赤シャツ”が「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と語っているシーンがあるのです。
本当のターナーの絵はどこだ・・と進んでいくと だんだんターナー「らしく」なってきました。
白く 黄色く輝く光の世界に入り込みます。
光あふれる 幻想的の風景画はいいですね〜
大気感を感じさせる独特な風景表現。
光のスペクトル的色彩表現がとても好きです。
風景画というより光の世界。
モダンアートに近づき 心で見る風景のように表現されています。
晩年はモネが白内障を患い、失明寸前の状態にあったこともあり、画面は限りなく抽象に近付いているのですが ターナーももしかしたら そうだったのかしら?
途中で おじさんが「グワッシュって何ですか?」と聞いていたのですが・・・不透明水彩絵の具のことなんです。
絵の具を塗ると下の絵の具が隠れてしまうものを不透明水彩絵の具といいますがポスターカラーなども不透明水彩絵の具の一つです。
説明の人は絵の具の一種ですと答えていました。
これだけまとめて ターナーの絵を見て満足して 東京都美術館を出ました。

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2013年11月16日

猿江恩賜公園(水琴窟 日本庭園)

猿江恩賜公園 南側日本庭園の四阿です。
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小川が流れ滝の音が心地よいです。
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まるで どこか高原に来ているような感じです。
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都会のオアシスです。
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それでも 門の外はコンクリートの街です。
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何やら案内板が見えます。
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水琴窟のようです。
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水琴窟(猿江恩賜公園内)

日本庭園で、縁先手洗鉢や蹲居(つくばい)の流水を利用した音響装置。地中に伏瓶(ふせがめ)を埋めるなどして空洞おを作り、そこにしたたり落ちる水が反響して、琴の音色に聞こえるようにした仕組み。江戸時代の庭師の考案という。
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地中の小洞窟に生ずる水滴音を反響させて地上に漏洩する音色を楽しむもので、洞水門の別名だそうです。
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楽しみに近寄ってみたのですが ・・・・ただの石と化しています。
水鉢に水を注ぐ仕組みが破損しているらしく 工事中で試すことができませんでした。
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しかたなく石段を降りると こんなものがあって 和みました。
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南側の石の門を出て 四ツ目通り 猿江2丁目バス停に向かいました。
昨日の夕焼け空が濃かったので思わずパチリ・・・
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2013年11月15日

猿江恩賜公園(南側地区日本庭園)

猿江恩賜公園 新大橋通り沿い南側公園入り口の門です。
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南側の住吉地区は、1924年(大正13年)に東京市に払い下げられ、1932年(昭和7年)に猿江恩賜公園として開園。
木立に囲まれた日本庭園となっていて 滝組、池、流れ、芦、北園には貯木場をモチーフにしたミニ木蔵(みにきぐら)の池があります。
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猿江材木蔵跡
『以降は、皇室所有の貯木場となり大正十三年に一部を猿江公園にした』
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猿江公園の石碑らしいいのですが 保存状態が悪く何が書いてあるのか全然わからないです。
石碑の上に猿の像が彫られているのがわかる程度。
門を入ってすぐにあります。
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巨石がごろごろあちこちに見られます。
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この猿江材木蔵の貯木法は木材を水中に沈めて腐るのを防ぐ方法だったそうです。そのために使われた重しの石は池の護岸に使われていつとのことですからこの巨石群もその名残なのでしょう。
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どこかの大名のお屋敷跡のような作りです。
公園というより 庭園な感じです。
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内門がありました。
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貯木場であった時代の景観を残すために作られたミニ木蔵の池。
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日本庭園ですねぇ・・・
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カモがたくさん泳いでいました。
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かえでばし
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小さな滝です。
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小川が流れています。
水と緑の公園には白サギやセキレイ、カワセミも居るそうです。
四阿が見えました。そちらに向かいます。

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2013年11月14日

猿江恩賜公園( 北側公園)

猿江恩賜公園に散歩に行きました。
急に寒くなって紅葉も進んでいます。
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猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)は、日本の東京都江東区猿江にある都立公園です。
1932年の開園です。
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1733年 - 江戸幕府公認の貯木場として開かれました。
1924年 - 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の成婚を記念して、猿江貯木場の一部を東京市に下賜(現在の南園部分)
1932年-現在の南側部分が猿江恩賜公園として開園しました。
1972年 - 猿江貯木場廃止、東京都が跡地を買収(現在の北園部分)。
1981年 - 北園、一部開園。
1983年 - 北園完成に伴い、全面開園。
都バス毛利2丁目バス停で降り 北側の公園から入りました。1722年(享保7年)隼町の毛利藤左衛門により毛利新田が開発されたことから毛利という地名になったそうです。
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銀杏が黄金色です。
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中央広場です。北側にある休憩所。
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南側に時計塔が見えます。
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時計塔です。お花見のシーズンは花見客でにぎわう場所です。
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散策路を通り 南側公園へと向かいます。
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新大橋通りに出るとティアラ江東(江東公会堂)が見えます。
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向かい側に南側入口の門が見えますが 通りを渡ることができず 四ツ目通りまでぐるっとまわりました。
横断歩道が欲しかった・・・・
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2013年11月13日

猿江神社≪境内社≫

猿江神社境内社の馬頭観音社です。
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馬頭観音社 馬頭観世音の刻印の上より「馬」の絵を彫り、「馬方」の絵の石と併わせた、大小1対の珍しい碑が祀られている。
旅行・交通安全、又、競走馬関係の参拝も多い。
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馬頭観音社
「馬頭観音とは密教系の進行である六観音の内、ヒンズー教の神、卑紐拏(びしゅぬ)が馬に化身して、魔物に奪われた聖典を取り戻したという説話が起源とされる。馬が周囲の草を食べ尽すように、一切の煩悩を打伏すといわれ、日本では奈良時代以降に信仰され、身近な動物への無病息災の民間信仰と共に江戸時代には旅の道中の安全、家畜の守り神として広く流布されるようになった。当社は創立不詳にて、長期境内に埋没していたが、昭和60年(1985)、「氏神と共に境内の馬頭観音を崇拝せよ」との告言により再び御姿を現わされ、人々の厚い信仰を享けている。形容は馬頭観音の刻印の上に馬の絵が彫られ、馬方の絵の石と併せた、大小一対の珍しい石碑で、研究者より注目されている。心願成就、旅行・交通安全のご利益もあるとされ馬に関わることから競走馬関係者の参拝も多い。又、近年前途の由来よりペットの無病息災祈願も増えている。〔勝守〕人生・勝負に勝つ〔馬頭観音守〕授与致します(案内板)」
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もう一つの境内社は藤森稲荷神社です。
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藤森稲荷神社
「創立不詳ながら、江戸時代初期には本所(墨田区)横綱町の江戸幕府御用材木蔵に、すでに祀られていた。
享保19年(1734)御用材木蔵と共に猿江の地(現在の猿江恩賜公園)に遷座された。明治以降は宮内省所管とない、この頃から猿江神社の宮司家により祭祀奉仕がなされている。亦、社殿が藤の木で囲まれ、毎年花の咲く季期に祭礼が行われていた事から、何時しか藤乃木魂を祀る「藤森神社」と称され、400年余に亘り木材作業に従事する人々の厚い信仰を享けてきた。
昭和52年(1977)春、東京都の都市計画による猿江貯木場の移転に伴い、現潮見駅前に遷座されるが、平成13年(2001)12月崇敬なる旧東京官材協同組合会長氏橋幸次郎氏及び東京広葉樹連合会々長長谷川健治氏他関係者氏の総意尽力で再び縁深きこの猿江の地に戻り、猿江神社の境内に安宮鎮座される。江戸時代より木材の守護神として商売繁盛、工事作業安全のご利益があるとされている。
尚、石燈篭一対(弘化5年〔1858〕)石水盤(貞享3年〔1686〕)は、区の有形文化財である。
宮司 神保恵一 謹書」
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石燈篭一対(弘化5年〔1858〕)
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【区指定重要文化財】野村屋五郎兵衛奉納水盤
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藤森稲荷神社のお狐さんは切れ長の目の公家顔です。
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白狐さんたちが並んでいます。とても仲良く見えます。
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狐さんは参拝者が奉納したのでしょうね。。。
猿江神社を出ました。

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2013年11月12日

猿江神社 1(江東区)

猿江神社 江東区猿江2-2-17
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祭神 天照大御神、宇迦之御魂命、猿藤太
猿江神社の社殿は 1931(昭和6)年に建てられたもので,日本最古のコンクリート社殿といわれています。
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国内でも最古の部類に入るといわれる鉄筋コンクリート造りの御社殿は、旧社殿が関東大震災にて焼失後、昭和六年に宮内庁設計技官の設計により当時としてはとても珍しい頑丈優美な造りの神社として再建されました。
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東京大空襲で、近隣一帯(深川)が灰燼に帰した時も奇跡的に難を免れ、焼け野原に建つ御社殿が遠くから望めたそうです。
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手水舎
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石造燈籠  昭和6年(1931)在銘 一対
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次は狛犬さんです。1対
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ちょっと怖い顔・・・
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石造狛犬昭和6年在銘一対(江東区登録文化財)
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由来記
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猿江神社由来記
「伝承として昔、康平年間(1058-1065)源頼義が奥州征伐(後三年の役)の頃、この附近の入江に勇々しき戦武士の屍がただよい着き、不思議にも其の屍より毎夜光明を発し村人この屍を丁重に葬る。
武士の鎧に源頼義の臣「猿藤太」と記しあり、又懐中よりありがたき経文一巻がいでたり。よって村人「猿藤太」の頭文字と入江の「江」をとりて、猿江稲荷と尊稱し、近郷近在の守護神となし、村落の敬神の地として仰ぎ奉り、豊作祈願、病気平癒、悪病退散、等のこの地の氏神社として祭り、又それより地名をも猿江村と稱えはじめ現在に至れり。
正に猿江の地名これより発祥せり。
尚、当時、この村落の氏神社である猿江稲荷神社は右末より「天照大御神」「宇迦之御魂神」とを御祭神としていたが武人猿藤太の御霊をも合せ加え、代々お祀り申し上げて参りました。江戸時代は猿江稲荷神社と稱し隣接せる、日蓮宗寺院本覚山妙寿寺の住職が代々守護管理を司っていたが明示以後、近年になり、神保宮司を祭官として招き、合せて村、町の発展と共に町内氏子の者達が、神社の護持運営にあたり現在に引き継がれた次第であります。
お恵み(ご利益)として,家内安全,病気平癒,商売繁昌
心願成就として霊験あらたかなり, 昭和六十一年丙寅八月吉日 文筆者  堀江候雄 」
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史跡顕彰
猿江地名発祥之地 平成十八年12月吉日 建之

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2013年11月11日

猿江稲荷神社(江東区)

江東区猿江にある猿江稲荷神社に行きました。
小名木川 扇橋閘門 東京メトロ住吉駅近くにあります。
目についたのが大きな石灯籠でした。
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石造燈籠 江東区登録文化財
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道路沿いの柵越しに見えるのが 猿江稲荷神社
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所在地 江東区猿江2-5-14

 猿江稲荷神社
「法華宗(本門流)本覚山妙壽院を務める猿江稲荷社は、「御府内備考」続編によりますと、その鎮守稲荷の御神体は「猿藤太木像」であります。
さらに縁起について、武州葛飾郡猿江村稲荷大明神略縁起仰稲荷大明神ト奉申ハ本地久遠成道ノ釈迦仏也と記され、本地久遠成道の釈迦仏とは法華経に説かれた教主釈尊で、法華の題目によって祀られた稲荷社であったことがわかり、現在も氏子妙壽会をはじめ遠近のご信者の篤い信仰を集めております。
  法華宗本覚山 妙壽寺 (現在 世田谷区北烏山)」
猿江神社」と御祭神は同じですが、この神社は、御霊ではなく御神体として木造をお祀りしているようです。またお寺が管理しているというところも異なります。
猿江神社に向かいます。
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神輿庫の前を通ります。
猿江神社例大祭は8月第1土・日曜日
8月第1土・日曜日3年に1度の本祭りは日曜日に神幸祭が行われ猿田彦を先頭に、神職・お囃子の後に古式のまま行列が神社から出発し、町会神輿の連合渡御を伴って氏子町会を巡幸する。
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石垣の間にかわいい2体のお狐様。何を話しているのかしら・・
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正面 猿江神社 社殿前に出ました。
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猿江という地名は 康平年間(1058年頃)に「源義家臣猿藤太」と書かれた鎧を着た武士の死体がこの地に流れ着き、住民たちが祠を建てねんごろに弔ったという伝説に由来する。名前の通り海岸に面した漁師町だったようで、江戸期にはすでに猿江村とよばれていた。

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2013年11月10日

貧乏神神社(江東区)

亀戸駅から徒歩3分ほど。都バスの水神森バス停前のサンストリートというショッピングモールの中に変わった神社があるというので 行って来た。
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神社というからにはそれなりの場所に鎮座しているのだろうと探したがよくわからない。
歩き回ったらモールの屋外 サンガーデンの一角にポツンと祠がありました。
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貧乏神神社だそうです。東京都江東区亀戸6-31-1
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貧乏神神社の本社は長野県飯田市だそうでこちらは分社にあたるとのことです。
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災いを福に変え、プラス思考の災禍転福、貧乏神神社.
「貧乏はお金の問題ではなく、心の問題」とのことで、貧乏から抜け出すには弱い心を叩く必要があると提唱しています。
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災禍転福貧乏神神社亀戸分社之栞

[ここは、自分自身の弱いこころに栖む「貧乏神」と縁を切る神社です。
信州飯田の有名な「災禍転福貧乏神神社」から皆様に幸せを差し上げるためこの地へ分社いたしました。
ここへ参詣して「良いことある、ある、ある」と念じてください。

強く念ずれば、必ず良い事に恵まれます。信州飯田の本宮に詣でれば、皆様方に更なるご利益を、お持ち帰りいただける事と信じております。」
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ハズレ馬券や宝くじをいれるポストもあります。
なかなか ユニークな神社でした。
以前は場所も広くて 案内人がいて 「叩く・蹴る・投げる」で貧乏神を追い出すという趣旨から
1.「貧乏神出ていけ! 出ていけ! 出ていけ!」と木柱の上部を棒で思いっきり3回叩く
2.同じように木柱の下部を3回蹴る
3.貧乏神が追い出された貧乏袋(布玉)を、的に向かって投げつける
4.拝む
というようなことを していたそうですがそれも取りやめ 今は ひっそりとしていただけでした。

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2013年11月09日

宇迦八幡宮(江東区)

江東区千田の 宇迦八幡宮に行く。
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宇迦八幡宮は、寛政9年村全体が一橋家の領家となっていたころは小さな祠でしたが、千田庄兵衛の信仰が篤く、神殿を造り千田神社と称し土地の産土神として崇められました。
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江東区千田12-8
祭神
宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
應神天皇(おおじんてんのう)
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宇迦八幡宮の由緒

宇迦八幡宮は、享保年間(1716-36)近江商人の千田庄兵衛が千田新田村を開拓、千田稲荷神社として創建したといいます。飢饉の際には穀物に代わって片栗を栽培するようお告げがあったといい、片栗八幡宮とも称されていました。戦後 宇迦八幡宮と称す。
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「亨保年間(1720年)近江の国の人千田庄兵工氏此の地に来り、時の幕府徳川八代将軍吉宗公に願い出て、此の土地を開拓せんと3年の長きを費やして村造りを固めなし、其の氏をとって武蔵野国南葛飾郡千田新田と名付けらる。後に寛政九年村全体が一橋家の領家となったので一橋領十万坪とも称したり。
 当神社はその当時小さな祠であったが、千田庄兵工敬神の念篤く、神殿を造り千田神社と称し土地の産土神として崇められる。
 たまたま土地に穀物の実らざるを嘆き当神社に祈願を籠め、神霊のお告げを受けて、これに代うるに片栗を栽培して農民の飢餓を救ったという古き伝説の故を以て、片栗八幡宮とも称す。」
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入母屋権現造り総桧銅板葺きの豪壮華麗なる社殿は戦災に依り焼失するも昭和27年(1952)7月戦前と同型同様の社殿を建設。
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社殿向拝には迫力がある竜の彫刻
昭和二十七年二月吉日 鵜澤睦次郎  光行作
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木鼻の獅子
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次は手水舎
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境内にある石碑は軍馬盛敬號之碑
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寺宝に、「貞享二年在銘の石造六角宝塔(妙法華経千部供養塔)」があります。
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江東区登録文化財 石造六角宝塔貞享2年在銘
高さは約3mで、大日・阿弥陀・釈迦・薬師・観音・勢至の六体の仏が彫られ、台座には「妙法華経千部供養塔」とある。
もともと永代寺に奉納されていたが、明治維新で廃寺となったため移転し、宇迦八幡宮が再建された際、現在地に移された。
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石造六角宝塔とみがわり地蔵
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「千田庄兵衛二百年祭記念」の石碑と その隣に新しい石の「みがわり地蔵」が祀られている。
水子供養のための参拝が多いらしい。

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2013年11月08日

江東区千田・扇橋界隈

江東区千田・扇橋界隈を歩いてみた。
千田でビルの片隅に観音堂があるのをみかけた。
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このビル 実は 光明寺というお寺なのです。
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光明寺 江東区千田9-7。
昭和五年(1930)、真宗出雲路派の説教所として創立。戦災で焼失。昭和二二年、現在地に再建、昭和二三年に光明寺と改称。昭和三六年、大谷派に属し、宗教法人となる。墓地は千葉県市川市にある。(江東区の民俗深川編より)
どうみても普通のビルです。片隅の祠が不思議な感じです。
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世薀夛観音
「せおんた」と読むというそうですが 「せんだ」なのかも。
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千田界隈は江戸時代には江戸で出た塵芥の埋立地であった。この埋立地を享保8年(1723年)に近江屋庄兵衛と井籠屋万蔵らが2年の歳月をかけて開発した。その際に、近江屋の名字が千田であったことから千田新田という名がついた。
その後、千田新田は深川石島に吸収されたが、1936年(昭和11年)に深川千田町として独立、1968年(昭和43年)の郵便番号導入に伴う住居表示実施からは千田という名称になった。
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石にも世薀夛・・・?
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千田 石島から扇橋へと歩きます。
ところどころに 古い建物が残っています。
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隣は更地で工事中
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古そうですけど・・・
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これは近代的で目立ったのでパチリ。
ベランダソーラー!!
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清洲橋通りでみつけた 洋品店の建物。
いつごろのものなのかわかりませんが その名とおり大正ロマンな感じでした。

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2013年11月07日

立教大学の東京都選定歴史的建造物(豊島区)

正門正面は本館(1号館/モリス館)東京都選定歴史的建造物です。
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建 物    建設年 大正 7 (1918)
設計者    設計者 マーフィー&ダナー建築事務所
構造・規模  煉瓦造り 1階(1)
大学正門の中央に位置し、チューダー様式を基調とした赤いレンガ造り
立教大学のシンボル的な存在。中央時計台の時計はイギリス・デント社製で、直径90cm。動力は分銅式で、5日に一度、手で巻く。
「正面からみて中央に塔屋をもつ大学本館を据え、左に図書館、右に緒聖徒礼拝堂(チャペル)を配して正面を構成し、さらに中央のの軸線を延長して、中庭を囲んで学生食堂を中心に左右に寄宿舎を整える構成となっている。
各建物の意匠はゴシックリヴァイバル様式を基調とし、簡素でありながら重厚な赤レンガ造りでまとめられている。  東京都生活文化局。」
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図書館旧館
構造・規模  煉瓦造り 2階
本館の左手に配置され、チューダー様式を基調とした赤いレンガ造り
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立教学院諸聖徒礼拝堂(チャペル)
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構造・規模  煉瓦造一部S造 1階一部  3階
本館の右手に配置
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チャペルは礼拝のほか コンサートや結婚式なども行われています。
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蔦が風格を表しているのかも・・・
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道路から写しています。
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学生食堂などみどころはまだあるのですが 写真も撮れないし奥にはいかずこのまま駅に向かいました。

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2013年11月06日

立教大学・池袋(豊島区)

旧江戸川乱歩邸を出て ヒマラヤ杉の並木道を歩きます。
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立教中学・高校の脇の道です。
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立教大学正門前に出ます。
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見学前に警備室にむかい見学の許可を得ます。
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キャンパスマップを貰います。
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道路からのほうがよく写真に撮れますよということで道路から写します。
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道路から写真を撮るのは制限できませんから・・と言っていました。
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面倒なことはいやなので 言葉通り道路から撮影しました。
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逆光でうまく写せません。
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道路からの撮影です。
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東京都選定歴史的建造物なのでじっくり見たいのですが 面倒。
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正門に戻りました。

posted by うめのはな at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 豊島区

2013年11月05日

旧江戸川乱歩邸土蔵(豊島区)

庭にまわります。
黒い土蔵があります。
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「旧江戸川乱歩邸土蔵」 (大正末期)豊島区指定有形文化財
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中に入れません。ガラス越しに見るだけです。
土蔵は、ごくまれにしか公開されないそうです。
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幻影城(土蔵=書庫)のなかは、書籍がじつに几帳面に整理されています。
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パンフレットの写真です。
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土蔵の前にも写真がありました。
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きわめて機能的な書庫になっているそうです。
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庭からガラス越しに展示品を見ることができます。
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「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」の色紙が見えます。
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応接室前です。
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洋館の応接間は、横溝正史ら作家仲間の社交場でした。
大理石のマントルピースや英国風の家具は乱歩が自ら選んだものだそうです。
とても粋でおおしゃれです。
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デスクも「昭和モダン」というレトロ感覚です。
レイアウトは乱歩自身が行ったとのことです。
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壁には還暦を記念したとされる肖像画が飾ってあります。
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この応接間は家具などについても案内の人が詳しく説明してくれました。
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旧江戸川乱歩邸を出ます。

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2013年11月04日

旧江戸川乱歩邸(豊島区)

JR池袋駅の西口から立教大学のほうへ5分ほど歩くと 大学前にふくろうの石碑があります。
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なんとも可愛いふくろうさんで 旧江戸川乱歩邸の表示があります。
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ふくろうの下部には「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」乱歩
乱歩はこの言葉を好んで色紙に書いたことで知らています。
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立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センター
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乱歩邸は現在は立教大学の所有になっていて、公開は

月・水・金曜(公開は水・金曜のみ)
(10時30分〜16時)
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東京都豊島区西池袋3-34-1
「平井太郎・平井隆太郎」という表札
平井太郎は乱歩の本名。隆太郎は息子さん
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玄関に行くアプローチで黒猫が走り去り びっくり!
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キャンパスに隣接する旧邸宅と2階建ての土蔵、計4万点近い蔵書、資料を遺族から買い取り、修復・整理。「大衆文化研究センター」として公開しています。
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係りの人が入口にいて ご自由に見てくださいとのことでした。
内部に立ち入ることはできないです。蔵書や資料を保管した「幻影城」と呼ばれる土蔵などは外から見ることができます。
玄関にもなつかしい本がガラスケースに入れられ並んでいました。
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引っ越し魔の乱歩は、なんと46回の引っ越しの末にこの地に引っ越してきたのだといいます。
昭和9(1934)年から昭和40(1965)年まで(40歳から71歳で亡くなるまで)住んでいた家です。
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乱歩が住んでいた当時の姿に修復したそうです。
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乱歩がこの家を借りることにした決め手は土蔵があること。「幻影城」とよばれる土蔵」は、邸宅の庭にあります。
庭のほうにまわります。

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2013年11月03日

牛嶋神社5(墨田区)

牛嶋神社社務所です。
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境内社小梅稲荷神社があります。
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小梅稲荷神社
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旧向島小梅町にあったと稲荷だと云われます。
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庭石のようなものがあります。
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次は神楽殿と手水舎です。
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 手水舎
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神楽殿
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大きな灯篭と水鉢
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牛嶋神社からも 東京スカイツリーがよく見えます。
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いったん 墨田区から離れます。

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2013年11月02日

牛嶋神社4『烏亭焉馬「いそかはすは」の狂歌碑』

牛嶋神社境内には『烏亭焉馬「いそかはすは」の狂歌碑』があります。
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烏亭焉馬「いそかはすは」の狂歌碑(牛嶋神社)
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墨田区登録文化財
  烏亭焉馬「いそかはすは」の狂歌碑

「いそかすは 濡れまし物と 夕立の 
   あとよりはるゝ 堪忍の虹」 
              談洲楼烏亭焉馬

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 この狂歌碑は裏面にあるとおり、初世烏亭焉馬自身が文化7年(1810)に建てた碑です。江戸落語中興の祖と称された烏亭焉馬は本名中村利貞、字は英祝、通称は和泉屋和助です。寛保3年(1743)生れ、本所相生町5丁目(現 緑1丁目)の大工の棟梁で、狂歌や戯文をよくする文化人としても有名でした。談州楼の号は五世市川団十郎と義兄弟の契りを結んだことから団十郎をもじったもの、また竪川に住むことから立川焉馬、職業が大工であることから「鑿釿言墨曲尺」とも号しました。
  元禄時代にひとつの話芸として確立された落語も、その後衰えていましたが、天明4年(1784)に向島の料亭武蔵屋において、焉馬が自作自演の「噺の会」を催し、好評を得たことから江戸落語が盛んになっていきました。寛政末年頃には現在の落噺の形が完成し、明治に入って落語という呼び方が定着しました。
 文政5年(1822)80歳で亡くなり、本所の最勝寺に葬られました。
 (現在は寺・墓 共に江戸川区平井に移転)。
 平成7年(1995)3月  墨田区
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殲蒙古仇碑記 力石(牛嶋神社)
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「八丁睦」と彫られた台の上に牛が線刻されている 日時計
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太田南畝詩碑 荻園加藤先生之碑もあるはずなですが どれがそうなのか確認できませんでした。
これかな・・・・と。
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井戸かしら?
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資料や参考にするものがないので 不明です。
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慰霊碑?

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2013年11月01日

牛嶋神社3 狛犬

牛嶋神社拝殿前には狛犬が3対あります。
それぞれ特徴ある狛犬です。(墨田区登録文化財)

江戸 獅子山
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左狛犬 獅子山 子落とし
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柔和で柔らかそうな体つきの親狛犬と、獅子山の下から親を見上げるぷっくりとしたお腹の子狛犬。
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右狛犬 獅子山 雄 かも。周りを見下ろす姿。
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左の狛犬に対し明らかに筋骨隆々として、太く逞しい四肢。
建立年号(石工) 文政11年(1828年) 台座には大正七年と記載

拝殿横に鎮座する江戸尾立ち 蹲踞 阿吽
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左狛犬 吽 江戸尾立ちの中でも、かなり初期型。
吽のにっこりと笑った顔がユーモラス。
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台座に奉納日が大きく記載
建立年号(石工) 享保14年(1729年)
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黒く焦げたように見えるのは関東大震災の時の影響でしょうか。

拝殿前 獅子山と並列して鎮座する 
右狛犬 阿 宝珠あり
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右狛犬 阿 巨大な宝珠あり
苔むしていて相当古そうな狛犬です。
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吽 江戸尾立ち 右顔に大きな欠けがあります。
建立年号(石工) 文化七年(1810年)二月奉納

もう一対狛犬があります。
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比較的新しい狛犬さんがいます。(昭和7年奉献)
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現在の場所に移転したとき 奉納されたものなのでしょうね。
posted by うめのはな at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 墨田区