2013年12月31日

お知らせ!

記事数が多くなりましたので 2014年1月1日からは 新規ブログになります。
梅の華ブログ 2 はこちらです。

http://umeno87sanpo.sblo.jp/


このブログはそのまま残ります。
新年度からは 飯田橋の続きから 東京散歩を書いていきます。
時間をみつけて またあちらこちら巡ります。
よろしくお願いします。
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来年はいい年でありますように!!続きを読む
posted by うめのはな at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

年越しそば

年越しそばを食べに日本橋へ行きました。
年末年始だからなのか 中央通りは日の丸が掲げられていました。
日本国の 日本橋って感じがしました。
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仕事が休みだからなのか 道路はすいていましたが 買い物客はたくさんいました。
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日本橋も 日本晴れ!高速道路がなければすっきり・・・・
日本橋を渡ってすぐのところにある 越前そばやさんです。
今年はもう3度目。
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御清水庵 清恵(越前蕎麦)
御主人の中本さんが福井出身で私と同郷。
福井弁で話す気さくな方です。
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越前おろしそばとミニソースかつ丼。
福井独特の 大根おろしをいれた蕎麦と甘いソースのカツ丼です。
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こちらはあかたかい 掛け蕎麦とミニソーツカツ丼。
日本橋川を眺めながら食事です。日本橋川クルーズの船がみえましたが この時期寒かろうなぁ。
そうこうしているうちにも 満席になり出ます。
年越しそばの注文が電話で入っていて ご主人さんは忙しそうでした。
他でも食べたし 田舎からも何度か送ってきたし今年は 越前そばばかり食べていたような気がします。
越前そばはやはり 太くてコシがあって 美味しいです。
江戸風の 細い白いつるんとのどを通るような蕎麦より 田舎の越前の蕎麦が大好きです。
また 来年も食べに行こう・・・・

posted by うめのはな at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年12月30日

銀座1丁目のアンテナショップ

年の瀬も押し迫ってまいりましたが 銀座1丁目のアンテナショップめぐりをしてきました。
福井のアンテナショップで 人気NO.1の「大福あんぱん」を購入。
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パンの中に大福が丸ごと入っていておいしいです!!
この時期 福井名物「水ようかん」も出ていました。
次に 高知。ショウガの食品を購入。
そして 沖縄。黒糖購入。
次に 広島 徳島と巡りました。
近くにアンテナショップが集まっていて 相乗効果かどこも混んでいました。
おいしいタルトの店があるというので行きました。
「キルフェボン グランメゾン銀座」
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この豪華ないちごタルト。白いいちごのほうは ホールで1万円を超えるお値段です。
とてもおしゃれなかわいいお店。カフェがあるというので入口を見たら「90分待ち」の表示。
諦めました。
駅に戻る途中みかけたのが 「コーヒーとカライライス
カレーやではなくてれっきとした喫茶店
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カレーライスではなくてニューキャッスル名物のカライライス(辛来飯)だそうです。
それよりも 隣の店の時計台が気になりました。
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銀座2丁目、天津飯店の上の時計台
ニューキャッスルの間には路地があり、その奥に喫茶店があったらしくその喫茶店が冷房装置を付けることになり、その大きな冷却装置を屋根の上に乗せた為 機械がみきだしになり それを隠すために周りを囲んで隠したとか。ついでに和光の時計台風にしたとのことです。
ちなみにこの時計は 8時を指したままうごいてはいません。
最初から止まったまま動かない時計なのか?
銀座には新旧 おもしろいものがあちこちにあって 楽しいです。

posted by うめのはな at 07:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2013年12月29日

東京水上倶楽部(飯田橋)

牛込橋から外堀を見ています。
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お堀を望む水上レストランとして知られる「カナルカフェ」が見えます。
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1918年に設立されたボートハウス「東京水上倶楽部」がそのルーツ。
1918年当時、東京には都民の為のレクリエーション施設などが無い状況でした。

初代東京市長である後藤新平氏と古川清(オーナーの祖父)が都民の為に何かできないかと考えた結果、外堀を利用したボート場建設を発案したとのことです。
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今はこんな感じで鳥たちの憩いの場です。
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桜の時期には こんな見事な景色になりカナルカフェは行列のできる店となりにぎわいます。
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東京水上倶楽部 東京都新宿区神楽坂1-9

「創業1918年 東京で最も古いボート場です。
当時は十人以上も乗れる大型の船をはじめ、100艘もの船が浮かんでいました。
600mのお堀の周りに明かりを灯し、夜間の営業、蛍、花火、灯篭流し、ラムネ、かき氷、江戸冗長を残したボート場は、都民の憩いの場でした。

現在、東京水倶楽部[CANAL CAFE]は、浄化活動に取り組み、2009年に、このお堀で蛍が生まれるまでになりました。
今後も、皆様の協力とともに、以前のような美しい外堀を目指して再生に取り組んでまいります。」
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外堀通りを歩きます。
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中央線の電車が見えます。
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春にはこんな素敵な景色になります。

posted by うめのはな at 07:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 新宿区

2013年12月28日

牛込見附跡

JR飯田橋駅西口前の交差点です。
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牛込見附跡。石垣の一部が道路の両側に対の形で残されています。
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「牛込見附」 門跡の石垣 (南西側)
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石垣の前に説明板があります。
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牛込見附跡 千代田区富士見2-9

  「江戸城外堀跡 牛込見附(牛込御門)跡

 正面とうしろの石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、ふたつの門を直角に配置した「枡形門」という型式をとっています。
 この牛込見附は、外堀が完成した寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、向い側の石垣の脇に保存されています。
江戸時代の牛込見附は、田安門を起点とする「上州道」の出口といった交通の拠点であり、また周辺には楓が植えられ、秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。
 その後、明治35年(1902)に石垣の大部分が撤去されましたが、現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。
かっての牛込見附の跡をイメージし、舗装の一部に取り入れています。千代田区」
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拡大写真。牛込見附(旧江戸城写真帳)
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堀にかかるのは牛込橋です。
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この 『牛込橋』 から 『新見附橋』 までの外濠は 「牛込濠」 と呼ばれ、 寛永13年(1636) に開削されているが、それまでは広大な草原であったという。
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牛込橋 千代田区富士見2・飯田橋4 〜 新宿区

「 この橋は、「牛込橋」といいます。
『御府内備考』によれば、江戸城から牛込への出口にあたる牛込見附(牛込御門)の一部をなす橋で、「牛込口」とも呼ばれた重要な交通路でした。また、現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる前は広大な草原で、その両側は「番町方」(千代田区側)と「牛込方」(新宿区側)と呼ばれてたくさんの武家屋敷が建ち並んでいたと伝えられています。
 最初の橋は、寛永13年(1636)に外堀が開かれたときに阿波徳島藩主の蜂須賀忠英によって造られましたが、その後の災害や老朽化によって何度も架け替えられています。
現在の橋は、平成8年(1996)3月に完成したもので、長さ46メートル、幅15メートルの鋼橋です。
平成8年(1996)3月 千代田区教育委員会」
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牛込見附の跡をイメージした模様が、舗装の一部に取り入れています。
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牛込橋は千代田区富士見二丁目から新宿区の神楽坂に通じている早稲田通りに架かっています。
当時千代田区側は番町方、新宿区側は牛込方と呼ばれ、旗本屋敷が並んでいました、その間は深い谷だったのを、水を引いて堀としたものだそうです。

posted by うめのはな at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年12月27日

東京大神宮

東京大神宮ー東京のお伊勢さまと呼ばれています。
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伊勢神宮には行けそうもないのでせめてこちらでお参りを・・・
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東京大神宮  千代田区富士見2-4-1
「明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遙拝殿として明治13年に創建された当社は、最初日比谷の地に鎮座していたことから、世に日比谷大神宮と称されていました。関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは飯田橋大神宮と呼ばれ、戦後は社名を東京大神宮と改め、今日に至っております。
東京のお伊勢さまと称えられ親しまれているのは、伊勢両宮(内宮・外宮)のご祭神である天照皇大神(日本国民全ての祖神)と豊受大神(農業、諸産業の守護神)のご分霊を奉斎していることによります。
また、日本で最初の神前結婚式を執り行ったことで有名な当社では、現在も神前において伝統的な結婚の儀式を守り伝えております。天地万物の生成化育つまり結び近年縁結びに御利益のある神社としても知られ、良縁を願う人々のご参拝も年々多くなっています。」
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縁結びのご利益か 若い人が多かったです。
恋みくじ が人気のようです。
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恋みくじの絵もお守りもとてもかわいい巫女さんの絵でした。
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この神社は、遠く離れた伊勢まで足を運ばずとも、都内で手軽に伊勢神宮を拝めるようにと、明治天皇のご裁断で創建された遥拝殿ということです。
東京大神宮は東京5大神社のひとつです。
5大神社
・明治神宮(原宿)
・靖国神社(九段)
・大國魂神社(府中)
・東京大神宮(飯田橋)
・日枝神社(赤坂)
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お正月前ですが人が多かったです。古いお札を収める場所もありました。
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こんなに参拝者が多いのは伊勢神宮式年遷宮の影響もあるのでしょうか。
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左手に境内社が見えます。
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境内社 飯富稲荷神社
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飯富稲荷神社 東京都千代田区富士見町2-4(東京大神宮境内)
「東京大神宮が明治13年(1880)に伊勢神宮の遥拝殿として日比谷に鎮座した時から奉斎されていた稲荷であると伝えられている。関東大震災後現在地に神宮とともに移った。衣食住と商売繁盛の守護神としての「稲荷大神」と土地の守護神「大地主大神」を祀っているほか、不出世の名優と謳われた九代目市川団十郎が驚い信仰を寄せていたことから芸能の神としても信仰されている。

衣食住商売繁盛・芸能

祭 日 初午祭三月、夏季大祭八月十五日 」
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鳥居は道路沿いぎりぎりですので正面から写せません。
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このあと 飯田橋駅に向かいます。

posted by うめのはな at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年12月26日

九段下〜飯田橋散歩路

東京メトロ東西線九段下駅で下り 九段下交差点に出ると和風の屋根の古い建物が見えます。
九段会館です。
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九段会館  千代田区九段南1丁目6-5
竣工 1934年(昭和9年)
昭和初期に流行した帝冠様式(ていかんようしき)の建物である。設計は同潤会アパートの川元良一、技術顧問として伊東忠太。
東日本大震災による天井落下死傷事故で閉館中。
九段下から飯田橋駅に通じる目白通りは「飯田橋散歩路(サンポーロ)」と名付けられ 「発祥の地」碑がたくさん建っています。
目白通りを行きます。
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ホテル・グランドパレスの前に東京女子医科大学発祥の地 の碑があります。
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東京女子医科大学発祥の地 千代田区飯田橋1-1
「吉岡彌生は明治33年(1900)12月5日、この地にあった至誠医院のなかに東京女医学校を創立しました。翌明治34年(1901)4月、同校は牛込区市ヶ谷仲之町に移転。のちに市ヶ谷河田町へ移転して現在の東京女子医科大学に続きます。吉岡彌生の至誠医院は明治41年(1908)に旧飯田町4丁目31番地に移り、関東大震災(1923)までありました。」
吉岡彌生は「至誠と愛に生きる」を建学の精神とし、女性の地位向上と我が国の近代医学史に大きな足跡を残しました。
もう少し行くと北辰社牧場跡 の碑があります。
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北辰社牧場跡 千代田区飯田橋1-5
「榎本武揚は明治の始め、北辰社牧場をここに開きました。幕臣榎本は文久2年(1862)オランダに留学を命じられ、当時のヨーロッパ事情や法律、化学などを広く習得しました。幕府が瓦解すると榎本は指揮下の海軍をひきいて函館までも転戦しましたが、黒田清隆や山田顕義らの率いる官軍の軍門に下り、捕われの身となります。しかし、彼の新知識を惜しまれて許され、新政府では幾多の要職を歴任しました。一方、旧幕臣子弟の為の育英黌農業科や北辰社牧場などを作りました。最盛期には乳牛が四,五十頭もいて新しい飲物、牛乳を提供していました。」
目白通りから東京大神宮へ向かう大神宮通りの入り口の角に建っているのが徽章業発祥の地 の碑です。
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徽章業発祥の地  千代田区飯田橋1-7
「この奥,大神宮通り向かって左側に 明治18年(1885),鈴木梅吉により 日本帝国徽章 商会が創られました。これは民間の徽章業のはじめで,特に明治末期,大正の初期にお いては 日本で唯一の徽章の製作工場として 大変栄えました。現在の徽章業の方々の大多 数は この商会の流れを汲み,徽章業は 飯田町の日本徽章商会から生まれた といわれてい ます。そして,現在もこのあたりは 徽章業に従事する人が沢山います。」
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大神宮通り入口です。
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東京大神宮。東京のお伊勢さまの文字があります。
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この通りは 日の丸が飾られています。(平日です)
商店街などでみられるカラフルな万国旗ではなく 日本国旗なのです。
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東京大神宮が見えてきました。
posted by うめのはな at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年12月25日

すみだ郷土文化資料館界隈

東京23区には各区に郷土資料館(室)があります。
すみだ郷土文化資料館は隅田公園近くにありました。
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東京都墨田区向島二丁目3番5号
残念ながら休館日でしたから入れませんでした。
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このすぐ下に佐多稲子旧居跡の案内板があります。
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 「佐多稲子はプロレタリア文学者であり、戦後は婦人民主クラブの創立に奔走して民主化運動に貢献しました。

明治37年生まれで、小学生のころから利発な文学少女でしたが、結核で亡くなった母親の治療費や父親の放蕩などで家計がひっ迫したために、11歳の時に父と祖母とともに叔父を頼って長崎から上京して、向島小梅町52番地(現在の隅田公園内)の家に身を寄せることになりました。
牛嶋尋常小学校5年に転入したものの、家計を助けるためにキャラメル工場で働かなければならず、小学校を中退してしまいました。
その後、働きながら小説や短歌を寄稿し、後に『キャラメル工場から』という作品にまとめられ、それが出世作となりました。

戦後、すぐに書かれた自叙伝ともいえる『私の東京地図』には、長く暮らした向島周辺のことが書かれています。向島町おこしの会」
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この界隈からもビルとビルの隙間にスカイツリーが見えます。
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墨堤通りと水戸街道に挟まれて 見番通りという細い道があります。
道の中ほどに 置屋の見番所があるところから 名付けられたようです。
見番通りを少し北上すると 三囲神社があります。


posted by うめのはな at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 墨田区

2013年12月24日

メリークリスマス

イースト21ホテルに行きました。
エレベーター前には 小さなクリスマスツリー。
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これはフロントフロアーのエレベーター前。
21階にも別のツリーがありましたから各階に趣向をこらしたツリーがあるのではなかろうか・・と。
もちろんロビーには大きなツリーがありました。
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21階には大きな窓があってこんな眺めです。
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晴れた日だったのでスカイツリーが正面に見えました。
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これは絶景!
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真下はこんな感じです。1階に降りて外に出ます。
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イースト21モール広場のイルミネーションです。
クリスマスの時期には毎年違った飾りつけで楽しませてくれます。
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夜になるときれいです。
メリークリスマス!!
posted by うめのはな at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2013年12月23日

東京駅で昼食

先日グラントウキョウノースタワー大丸東京店8Fのイノダコーヒでサンドイッチを食べました。
「イノダコーヒー」じゃなくて「イノダコーヒ」です。
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イノダコーヒは京都市に本店・本社を置くコーヒーのチェーン店。
正式名称には末尾の長音符は付かない。
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以前から友達がここのビーフカツサンド(¥1,890 )を食べたがっていたのでいい機会だといきました。
昼時少し前でしたが満席。すぐ席が空いて入ることができました。
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私はスモークサーモンサンドとクラムチャウダー (¥1,500)
濃い目のカフェオーレ付きでした。
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友人のは別料金でアラビアの真珠(ホットコーヒー)¥630
創業より「アラビアの真珠」と名付けたブレンドのコーヒーが特に有名。
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赤いコーヒーポットの絵柄が商標に使われています。
老舗のコーヒ店だけあって 香りとコクのあるとてもおいしいコーヒでした。
友人談:やわらかくてボリュームがあって 美味しかった。
posted by うめのはな at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年12月22日

上野公園の手形

上野公園の1番南の出入り口から入ると「国民栄誉賞受賞者の手形」があります。
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少し行くと左側に手形の石碑が並んでいます。
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このモニュメントのある入口です。
国民栄誉賞受賞者の手形です。
王貞治さんから順に並んでいるみたいです。
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美空ひばりさん
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渥美清さん
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長谷川町子さんはサザエさん!
上野公園といえば パンダが人気です。
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11月に上野動物園で写したパンダ。
以前のパンダは老いていたせいかいつも寝ていたのですが この子は元気そうです。
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元気のいい白熊さんも愛嬌があっていいですね。
今度またゆっくり動物園散歩してみます。


posted by うめのはな at 07:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 台東区

2013年12月21日

明治から昭和初期までの宮廷服(文化学園服飾博物館)

文化学園服飾博物館に行きました。
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(東京都渋谷区代々木3-22-7)
文化学園創立90周年記念特別展明治・大正・昭和戦前期の宮廷服 -洋装と装束-を見てきました。
2013年10月23日(水)〜12月21日(土)
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チラシにはこのような説明文がありました。
「明治時代から昭和戦前期には、天皇を中心とする体制のもとで独自の宮廷服が着用されました。明治政府は、近代国家建設のためにヨーロッパの制度や文物を積極的に導入し、この一環として、洋服を宮廷服とすることが決定されました。また一方では、伝統的な装束が着用される場合もありました。宮廷の儀式や行事のそれぞれに応じ、天皇・皇后・皇族・華族・文官・武官などの身分によって着用すべき服飾が詳細に定められ、これら宮廷服には近代日本の一側面が示されていると言えるでしょう。本展では、大礼服と呼ぶ男女の洋服、束帯や十二単、袿袴などを中心に80点余りを出品します」
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大正天皇の御祭服、皇族の束帯と十二単、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)と秩父宮勢津子妃の大礼服などをはじめとする宮廷服が展示されていました。
明治天皇がお召しになられたという陸軍の軍服の展示もあり、これは明治神宮のご神体ともなっている衣服だそうで、門外不出のところ、特別に借用されてこられたといいます。
1930年代に着用された陸軍将官の正装は、肩章の星の数や袖の模様で階級を示しているし 金色の刺繍も違っていて 身分や階級による違いがわかり面白いものでした。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の華族制度を採用しています。
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が新年拝賀の際に着用した大礼服は、膨らんだ袖と釣り鐘型のスカート、ビロードの長い引き裾が特徴。絹糸で菊の花の刺しゅうを施すなど日本の意匠の特徴を取り入れています。腰部から下りる赤いビロードのトレーンは、幅3m、長さ4mもの重く長いもので、裏側には取手があり、お付きの人がこの裾を持って歩いたそうです。
平成7年に亡くなられた秩父宮勢津子妃のものがたくさん展示されていました。
1Fに降りると 束帯や十二単ひとえなど日本の伝統的な装束が展示されています。
華やかな十二単や「御祭服ごさいふく」などもありました。
伝統的な装束ですが 靴が草履ではなく袴と共布のミュール風なのは驚きました。ですね。
昭和記念館や聖徳記念館など折にふれ 皇室関係の品々を見てきましたがこれだけそろっているのは初めてで 見てよかったです。
ずらりとならぶ男性の大礼服や軍服は壮観でした。ドレスより軍服のほうが豪華かも・・・
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いろいろな催しをやっているそうなので機会があればまた行きたいです。
posted by うめのはな at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館・芸術鑑賞

2013年12月20日

新宿駅〜文化学園

新宿駅南口から甲州街道に沿って歩きます。
街道の右側は新宿区ですが 左側は渋谷区代々木地区となります。
代々木は、予備校や各種学校の多いところです。
少し歩くと 街道左側におおきな 遊歩道が見えてきます。
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この遊歩道は玉川上水跡です。
玉川上水跡は、この先断続的ですが、高井戸宿まで小公園や遊歩道として整備されています。
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文化学園前の「玉川上水のモニュメント
玉川上水跡は暗渠となっています。
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玉川上水の記 
「かつてこの地には、玉川上水が流れていました。玉川上水は、江戸城下の急激な発展に伴う水不足を解消するため、江戸幕府により承応3年(1654年)に、開削された人口の水路です。全長は、多摩川上流の羽村取水口から四谷大木戸に至る約43キロメートルです。この上水は、江戸市中への飲料水の供給という本来の目的のほか、武蔵野台地の各地に分水され、飲料水、かんがい用水、水車の動力等に幅広く利用されました。明治31年、東京の近代水道創設に伴い、杉並区和泉町から淀橋浄水場の間に新水路が開設されたため、和泉町から四谷大木戸までの下流部は導水路としての役割を終え、余水路として使用されることとなりました。その後大部分が暗渠化され、現在では公園や道路として使われています。東京都水道局では、このゆかりの地にモニュメントを建立し、玉川上水に携わった先人の偉業を末永く後世に伝えるものです。このモニュメントは、明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた、玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時の煉瓦を一部使用して、ほぼ原寸大で再現したものです。平成15年1月 東京都水道局」
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文化学園前地球儀のオブジェ
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文化学園服飾博物館入口です。
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壁面前にある レリーフです。
代々木校発祥の地のレリーフのようです。
次 博物館の中に入ります。

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2013年12月19日

生誕100年!植田正治のつくりかた

東京駅 東京ステーションギャラリーに行きました。
「生誕100年! 植田正治のつくりかた」展
2013年10月12日(土)〜2014年1月5日(日)
1930年代の初期から晩年までの作品、約150点が展示
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植田正治(1913−2000)は鳥取県の現在の境港市出身。
砂丘に人物を配置した独特な演出写真で知られる写真家です。
独特の「演出写真」を撮り続けたました。
今回の写真展を見ても明らかに妃現実的な演出写真とわかるのに どこかで見たようなそんななつかしさがあふれていました。
撮影当時の 風俗 習慣なども感じられます。
おかっぱ頭の少女や おどけた少年。子供のころの思い出がよみがえります。
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パパとママとコドモたち」 1949年は長女の和子(カコ)の作文に沿った内容という設定の組写真の中の1枚。
家族の絆やほほえましさがあふれる 作文と写真です。
演出で自然な表情じゃないのに 日常が思い起こされてくるような感じでした。
植田正治は自分をアマチュアと規定し、鳥取県を離れることは無く、山陰の風土を土台にして制作を続けました。
あの時代にこのような写真家がいたことに驚きます。
何事も 変わったことをする人は叩かれるのですが植田自身、自分の演出写真はずいぶん「たたかれた」と懐古しています。
恵比寿・東京都写真美術館でも次のものを開催中です。
植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ−写真であそぶ−
2013年11月23日(土) 〜 2014年1月26日(日)
「植田正治のつくりかた」展が終わった最後の小さな展示室にて所蔵品を少しずつ公開しています。
今回は中村宏(1932〜)の「車窓」と「立入禁止」をテーマにした作品です。
柔らかい真綿と、硬い金属(真鍮)との対比を意識して作った作品や黄色と黒のストライプで構成される「立入禁止」がありました。

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2013年12月18日

「グランルーフ」東京駅

2013年9月20日、八重洲口の2大高層ビル「グラントウキョウノースタワー」と「グラントウキョウサウスタワー」をつなぐ巨大な歩行者空間「グランルーフ」がオープンしました。
東京駅に行ったついでに見てきました。
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八重洲中央口外からの眺めです。
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エスカレーターで2階に上ります。
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クリスマスイルミネーション用のゲートがありました。
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壁面が緑化され手この部分にもLEDライトがつけられていました。
夜はきれいなのかも。
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人がほとんどいませんでした。
歩行者通路上にある2階はICT(Information and Communication Technology、情報通信技術)ゾーンだということです。
携帯電話のお店がありました。
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長さ約230メートルの大屋根と幅最大9メートルの歩行者通路、15店舗が出店する商業ゾーンなどからなるとのことで 地下の飲食店はにぎわっているのかもしれません。
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「光の帆」をモチーフにした大屋根だそうです。
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海原に浮かぶ白い船が置かれていました。
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2階から見た八重洲通りです。
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2013年12月17日

KITTEの巨大クリスマスツリー

JR東京駅前に今年、オープンした商業施設「KITTE(キッテ)」のアトリウム設置されたに巨大なクリスマスツリーを見てきました。
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高さ約14.5メートルの本物のもみの木で、人工の雪が降り積もっているようにあしらっています。
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雪に見立てた光の粒が天井から降り注ぎます。
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天井からLEDのイルミネーションが降りそそぎ本物の雪のように見えます。
KITTE ライトアップ プログラム.
「クリスマスに相応しい情緒的な音楽と、アトリウム空間全体に雪がしんしんと降り注ぐような光の粒による照明演出で幻想的な空間を創り出します」HPの動画で見ましたが 幻想的で 本当に雪が舞っているようでした。
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裏側から写しました。
ミラーボールに光を照射することで、光の粒が天井から壁面を伝って舞い散るように降り注ぎ、屋外で雪が降り積もっているかのような光の演出を施したそうです。
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2階から見下ろしてみるのもいいものです。
屋内設置では日本最大級のツリーだそうです。
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かまくら風のオブジェです。
屋外の1階のテラスでは、街路樹15本に約2万7千個の発光ダイオード(LED)を飾っているとのことで夜はさぞかしきれいなことでしょうね。
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2013年12月16日

吉岡徳仁−クリスタライズ(東京都現代美術館)

同時開催中の吉岡徳仁−クリスタライズ。
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「クリスタライズ(Cytallize)」をテーマに、先鋭的な作品の数々を展示する個展
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入るといきなり無数の半透明な乳白色のストローの塊があって通路が造られています。
白の世界に入り いきなり体感温度が下がった気がします。
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この部屋は携帯電話での撮影が可です。
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虹の教会の部屋も携帯電話のカメラのみ撮影可です。
'虹の教会'。40cmのクリスタルプリズム500本でつくられたステンドグラスが壁に七色の光を映し出しています。
生きているバラを結晶化させた彫刻やウォーターブロック、白鳥の湖、蜘蛛の糸、レインボーチェア、レイオブライトなど30点ほどの作品が並んでいます。
このあと常設展を駆け足で見ました。
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常設の、「私たちの90年 1923−2013」、「「つくる、つかう、つかまえる」
広い展示室ですが人がほとんどいなくて・・・・
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なんか前にも見たことがあるような感じがすると思えば 以前企画展で行った「世界の測りかた」に似ているような・・・
「第1部 私たちの90年 1923-2013」
「 第2部 つくる、つかう、つかまえる −いくつかの彫刻から」
二つのテーマの展示です。
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広すぎる館内を地下から3階まで移動して しかも暑くて・・・
汗びっしょりになり 外に出ます。
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落ち葉舞う冬の木場公園を抜けて帰宅しました。

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2013年12月15日

うさぎスマッシュ展(東京都現代美術館)

「東京都現代美術館で開催中のうさぎスマッシュ展に行きました。
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東京都現代美術館 東京都江東区三好4-1-1
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「東京文化発信プロジェクト」事業の一環として開催されています。
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うさぎスマッシュ展 世界に触れる方法
2013年10月3日(木)から2014年1月19日(日)
常識や固定観念に一打(スマッシュ)を与え、観る人に新たな世界観をもたらす展覧会.
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エントランス。
本展の「うさぎ」という言葉は、単なる動物の種目をあらわすのではなく、「不思議の国のアリス物語」が地球上に出現して以来、「現実と非現実をつなぐワープゾーンの合い鍵」を意味することになっていることから うさぎのように長い耳で敏感に情報を収集し、アリスを「不思議の国」に連れていって別の世界観を見せてくれるようなアートを集めている。
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音声ガイド(300円)はうさ耳ヘッドフォンです。
男性がこれをつけている姿は かなり面白いです。
撮影可ですがフラッシュはダメ。
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一見しただけでは よくわからないが じっくり見て、感じて、考える、考えさせられる作品が多い。
ここは 時間をかけてじっくり体験してみるのがいいです。
しかし・・・暑いのでコートはロッカーに入れたほうが無難です。
 入ってすぐに迷宮の庭(レアンドロ・エルリッヒ)があります。
窓を覗くと隣の窓の風景が見えます。
ここが迷宮の入り口なのでしょう。
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考えるうさぎ
正確なタイトルは「丸太婦人と汚れたうさぎ 」
広いスペースにいくつもの展示があります。
政治的・社会的主張が昔よりも強くなっている感じがするものもあります。
No Numbers(リチャード・ウィルソン)
オイルを敷き詰めた部屋の真ん中に通路があり橋のような通路に立つと鏡のような不思議な浮遊感になります。
高所恐怖症の人はダメかも。
手すりにもオイルが塗ってあるので 荷物を置いて一人ずつです。
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触れる地球
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この写真は少し社会的な事象をテーマにしているのかも。
「においの風景_東京
東京のあちこちのにおいを集めた展示室もありました。
なかなか面白い展示でした。
次に 吉岡徳仁−クリスタライズに行きます。
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2013年12月14日

白髭神社〜東京スカイツリー

白髭神社を出てすぐのところにこんな説明板がありました。
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西川春洞・寧住居跡  親子二代にわたる書道家
東京都墨田区東向島3丁目4
「西川春洞 ( しゅんどう ) は、肥前唐津藩医を父に弘化四年 ( 1847 ) 日本橋の家で生まれました。
幼い頃、書を中沢雪城に学び、銭梅渓の書を習得しましたが、後に書風を一変し、徐三庚を中心とした江南の書風に拠り、わが国近代書道に新風をもたらしました。
そして、この地 ( 寺島村 1207番 ) に居を構え、多くの弟子を養成しました。
春洞は、地域の社寺や人々の求めに気軽に応じ、多くの作品を残し、大正四年この地に没しました。
春洞の息子・寧 ( やすし ) は、明治三十五年ここに生まれ、寺島小学校 ( 現第一寺島小学校 ) に学び、慶応大学では中国文学を専攻し、さらに書道史学の面でも多くの資料紹介や研究の成果を残し、昭和六十年に初夏として初めて文化勲章を受章しました。
平成元年五月・目黒区中町で没しました。
( なお、住居跡は階段下・約三十メートル先の右側の辺りです。  )
平成十二年三月 墨田区教育委員会」
墨堤通りに出て「すみまるくん」に乗ります。区内循環バスです。
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15番から乗り 言問い団子 長命寺などをまわりスカイツリーに行くバスです。
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『「むこうじま」の「むこう」とは、浅草からみて、隅田川の向こう側にあたる場所を指し
て、向こうの島と呼んだことによるとされています。当時、行政上の名前として「向島」が使われたことはなく、俗称でしたが、多くの文人墨客が作品の中で独特の想いと趣を込めて「向島」と著し、定着しました。
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「向島」の名前が正式な行政地名としてつかわれるようになったのは1891年(明治24年)に
向島小梅町、向島須崎町、向島中ノ郷町、向島請地町、向島押上町などといった町名が成立してからである。墨田区』
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押上駅から東京スカイツリー ソラマチに行きます。
今回は案内がてらソラマチ5F『産業観光プラザ「すみだ まち処」で一休み。
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スカイツリーのいっちばん上にある避雷針のレプリカで、通称「すみだのてっぺん」。
実物大だそうです。
墨田区を634分の1に縮小して描いた「すみだマップ」が床にあります。
問屋国分でおみやげなどを買いすみまるくんに乗り継いで 錦糸町へ。
そこで友人たちと別れ帰宅しました。

posted by うめのはな at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 墨田区

2013年12月13日

白鬚神社4

狛犬さんが江戸風でいい感じです。
文化三年銘狛犬一対(墨田区登録文化財)
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狛犬は文化12年(1815年)当時花柳界で知られた吉原の松葉屋半右衛門と山谷の料亭八百善の奉納したものです。
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作者は神田今川町の石工、六兵衛明貴の手になるものです。
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白鬚神社の「御宝前」に「奉納」されたものです。
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石灯籠
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石灯籠は旧寺島村出身の田中抱二と中山湖aによって奉納されました。
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神輿庫
神社神輿は嘉永元年(1848)行徳の後藤直光作
戦前は周辺三神社に計13基の神輿があり、最も大きい白鬚神社の神輿が「十三番」の番札をつけたことから、「十三番神輿渡御」とも呼ばれています。
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手水舎
白髭神社を出ます。
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2013年12月12日

白鬚神社3

白髭神社拝殿です。
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白鬚神社  墨田区東向島3-5-2
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昔は境内に松、欅などが多く繁り、白鬚の森と呼ばれて、向島八景、隅田川二十四景に数えられたほど、緑の美しいところだったそうです。
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江戸名所会図 白髭明神
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境内社
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諏訪社
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水神社
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「寿老神は 長生きする中国の伝説上の人物です。頭に頭巾をかぶり、白髪で、全ての人間の寿命が書かれた巻物を杖に結び、鹿を連れています。
白鬚神社の寿老神は祭神であるため、「寿老人」ではなく、「寿老神」としています。区内最古の神社のひとつといわれます。
平安時代に慈恵大師が関東に下ったおり、滋賀県に鎮座する白鬚大明神の分霊を勧請して祀ったのが始まりといわれます。」


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2013年12月11日

白鬚神社2

神楽殿の向こう 拝殿前にも石碑があります。
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「山玉向島講社の碑」
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富士講の講社が建立した「山玉向島講社の碑」
溶岩っぽいものや 富士山の形をしているものもあります。
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当時の講により結ばれた地域の人々の様子をうかがい知る貴重な資料として、区の登録文化財として指定されています。
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「岩瀬鴎所君之碑」
将軍継嗣問題で左遷・譴責を受け、寺島の岐雲園に蟄居していたそうです。
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白鬚大神の碑
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白鬚神社

 祭神 
猿田彦大神
天照大御神 高皇産霊神 神皇産霊神
大宮能売神 豊由気大神 健御名方神

「天暦5年(951)に慈恵大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神の御分霊をここにまっつたと、社伝の記録は伝えている。天正19年(1592)には、時の将軍家より神領二石を寄進された。
 当社の御祭神猿田彦大神が、天孫降臨の際に道案内にたたれたという神話より、後世お客様をわが店に案内して下さる神としての信仰が生れた。社前の狛犬は山谷の料亭八百善として有名な八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が文化12年(1815)に奉納したもので、その信仰のほどがしのばれる。明治40年(1907)には氏子内の諏訪神社を合祀した。
隅田川七福神 寿老人

 当社に寿老神を配し奉るのは、文化の頃この向島に七福神をそろえたいと考えた時に、どうしても寿老人だけが見当たらなかった。ふと白鬚大明神はその御名から、白い鬚の老人の神様だろうから、寿老人にはうってつけと、江戸人らしい機智を働かせて、この神を寿老人と考え、めでてく七福神がそろったといわれる。隅田川七福神に限り、寿老神と神の字を用いる所以である。」
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拝殿前の鳥居です。

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2013年12月10日

白鬚神社1

鳥居をくぐると 左側に古い石碑が並べておいてあります。
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一番先に目についたのが黒人塚
江戸時代にオランダ人に連れてこられた黒人の慰霊碑かと思いましたがそうではありませんでした。
浜辺黒人(はまべのくろひと)という江戸時代中期の狂歌師の石碑でした。
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 北島玄二「うつせみの」の歌碑(黒人塚)
「黒人塚」と大書して、右面に「天やこの人を生み 天やこの人亡る この人阡人の玄 崑崙一人に選る倚る」(原漢文)、左面に「うつせみのうつつにしばしすみた川 渡りそはつるゆめのうきはし」としています。
白鬚神社にあるもののうち一番の古碑で、寛政十二年(1800)と彫られた横に「玄二号黒人」の文字があります。
 
本名を北島玄二といい、玄の字が黒に通じることから黒人と号した.
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すぐ後ろの碑は四世今日庵「こころほど」の句碑。天保7年(1836)
「こころほど こと葉のたらぬ さくらかな」四世今日庵 元風
元風は本名を松本伊助といい、師一蛾につき、天保年間(1830〜1844)に活躍した江戸の俳人用です。
何やら絵のようなものが見える石碑があります。
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天広丸「くむ酒は」の狂歌碑
天広丸(1756〜1828)は本名を磯崎広吉、号を酔亀亭と名のり、宝暦6年(1756)鎌倉市今泉に生まれ、文政11年(1828)没
「くむ酒は 是 風流の眼なり 月を見るにも花を見るにも」
上部に酒を表すとみられる標記があります。
ひときわ大きい石碑と説明板があります。
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鷲津毅堂碑   高さ256cmの大碑
「鷲津毅堂は幕末明治の漢学者です。文政8年(1825)尾張に生まれました。
通称を毅堂または蘇州と号し、父、祖父ともに大変に徳望篤い人物でした。
 20歳のころ江戸に出て昌平黌に学び、嘉永6年(1853)久留米藩に仕え、次いで、尾張侯の招きに応じ侍読となり、さらに教授に進み、毅堂自身も子弟とともに学問に励みました。時に王政復古となり、藩主徳川康勝の議定官に任ぜられ国論を一定し、覇王の思想を隣藩にまで広めました。明治元年(1868)調停より権弁事を任ぜられ、明治2年(1869)大学少丞に転じます。そして権大書記官五等判事、司法少記官、東京学士会々員に列するなど明治政府の要職を歴任しました。明治15年(1882)司法権大書記官となりますが、同年、10月5日、58歳で歿しました。
なお、毅堂は永井荷風の母方の祖父にあたります。
本碑の篆額は三条実美、撰文は三島毅、書は巌谷一六による碑です。
 平成18年(2006)3月 墨田区教育委員会」
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「墨多三絶すみださんぜつ」の碑

 「墨田川の風物を詠じた佐羽淡斎の詩碑で、大窪詩仏が筆をとったものです。「墨多三絶」の篆額は巻菱湖の筆になります。建立年に当たる壬午は、文政5年(1822)のことです。
なお、絶とは五字または七字の四句で一体をなす漢詩のことで、三詩からなるので三絶と呼びます。
この碑(草書)は三囲神社の「本松斎一得翁之碑」(隷書)、隅田川神社の「無琴道人墓銘」(楷書)の両碑を加えて、大窪詩仏の三書体、すなわち『詩仏三碑』として世に知られています。
 維舟渡口歩汀名沙来飲祀前売酒家一
 道玻璃烟淡抹夕陽猶在半堤花
 不借朝南暮北風遊船如織日忽々沙鴎
 欲管繁華事閑睡落花流水中
 断磬聲中結夕陰堤彎岸繚寺門深
 鴎邊柳処元陳迹付与詩人吟至今
 上毛淡齋佐羽芳詩壬午冬日書詩佛老人大窪行
  平成18年(2006)12月 墨田区 」
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一番右に見える石柱は 春秋庵白雄「人こいし」の句碑 です。
「人こひし 火ともしころを さくらちる」
「于時文化歳在癸酉(1813)春3月 拙堂創建之 補助居行」
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「筆塚 中原耕張」
「つくつくし つめよ硯の すみ田川」
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力石もいくつかあります。
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神楽殿です。
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銀杏の木の奥に拝殿が見えます。

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2013年12月09日

百花園〜白鬚神社

向島百花園を出て白髭神社に向かいます。
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右手に200m程で いかにも下町という古い家並みの路地を歩きます。
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街角にある路地尊。お地蔵様でもいるのかしら・・と思えば消火栓。
「路地尊とは、路地の安全を守るシンボルです。名前の由来は「地域のコミュニティの場であり、災害時には避難路になる路地を大切にしながら自分たちの手でまちを守ろう」という考え方から、その名が付けられました。」とのことです。
そういえば東向島駅からの道でも見かけました。
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みごとな銀杏の白髭神社が見えてきました。
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白鬚神社  墨田区東向島3-5-2
天暦五年(951)近江国志賀郡境打颪(滋賀県高島市)琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の御分霊としてお祀りしたことが始まり。(隅田川七福神の寿老神)
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境内は黄金色
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白髭神社の鳥居です。
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鳥居を境内側から見ています。黒い案内板があります。
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寺島ナスの説明板です。
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寺島ナス
「かつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688〜1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村でしたが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。
 享保20年(1735)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬とす。」また、文政11年(1828)の「新編武蔵風土寄稿」には、茄子として、「東西葛西領中にて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」と江戸近郊の名産であることが記されています。
 農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ツ目、神田の土物店(青物市場)等出荷していました。江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。 平成9年度JA東京グループ」
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境内には 寺島ナスの鉢植えが2つありました。
もうナスは2〜3個しかなく終わりかけでした。
実は鶏卵ほどの大きさで、黒紫色で光沢のある皮は硬い。江戸時代に寺島村(現在の墨田区東向島付近)で盛んに栽培され、その後栽培が途絶えたものを、近年になり復活させたものだそうです。
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2013年12月08日

向島百花園3

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭です。
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大名庭園とは異なった美しさがあります。
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紅葉がきれいです。
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大きな銀杏の木が黄金色でした。
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庶民的なほっとする池です。
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落ち葉の中の散策路
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スカイツリーも見えます。
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落ち葉の中で咲いていた 野菊 キヨスミギクの名がありました。
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四阿です。
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梅洞水という 立木を利用した井戸です。
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路地琴(ろじきん)
路地琴とは、据え置き型の水琴窟(すいきんくつ)のこと。
上からひしゃくで水をかけると、壷の中で水滴の音が反響して、キーン、コーンと儚げで美しい音色を奏でます。
狭い路地に置いても水琴窟が楽しめます。
さっそく試してみました。水をかけたらキンコン キンコンと音がしました。
路地琴」を墨田区向島地域に広めることによって向島のまちを彩っていくことを目的として設立された プロジェクトで 墨田区のあちこちに置かれているそうです。
この百花園の名物は、全長約30mもの萩花のトンネル.今は トンネルの枠組みだけとなっていました。
次は白髭神社に向かいます。

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2013年12月07日

向島百花園2

庭門を入ると左手に小さなお堂があります。
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隅田川七福神 福禄寿尊堂
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竹林もあります。石は何だかわかりません。
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木々は冬支度
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御成座敷(おなりざしき) 昭和61年に改築されたものです。
「御成座敷」は、百花園創設当時、百花園に集うお客様のために、酒井抱一が設計したと言われています.
座敷は、この地域で「水塚」といわれる、隅田川の洪水に対処するため、池を掘り、その土で塚(基壇)を築いたものの上に立てられています。11代将軍徳川家斉公がお成りになって以降、「御成座敷」とよばれるようになりました。
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園内には芭蕉の句碑をはじめ20数基の石碑があります。
江戸文人趣味豊かに作庭され、大名庭園とは趣を異にした草庭です。
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詩経」や「万葉集」に因む歴史的草花を植栽し、春や秋の七草をはじめ、四季それぞれの植物が植え込まれ、野趣豊かな庭園となっています。
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初代河竹新七追善しのぶ塚の碑
「 隅田川よ二面よと歌舞伎にも浄瑠璃にも世にもてはやさるる荵売は、安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵が勤め、前の河竹新七の作なり。そが正本を、ある人より贈られて久しゅう秘蔵せしは、名を嗣ぐ者の幸せと悦びしが、この度ここに埋みて、昔忍ぶの墳と名づけその故よし記しつくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後の世に遺さんとてのわざになんありける。明治13年(1880)3月」
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二代河竹新七追善狂言塚の碑
きょうげん塚
「二世河竹新七、俳名は其水、晩に古河黙阿弥と改む。壮年より演劇作者となり、古稀の齢を跨えて明治25年(1892)の春、喜の字の祝さえなしけるに、明くる年料らずも病のために身まかりぬ。その一生の間に書き綴りたる新作の狂言およそ三百余ほどありて、古来の作者に珍しきことなれば、その名を続ける門人等師のむすめと計り、これを後の世に伝えてんと、石を建てて狂言塚と名づけ、初代の名残りの荵塚になずらえて、しのぶの文字を書きつくることしかり。明治27年(1894)11月」
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二神石碑
くくのちの神
かやのひめの神

「この二柱の神は古事記上巻にある伊邪那岐伊邪那美二神が生んだ神話の中に出てくる神で久久能智神は木の神、鹿屋野比売神は野の神である 古事記上巻より 」
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日本橋石柱
日本橋の変遷は木橋、石橋、鉄橋時代と各あるが、石橋時代の模造品と思うが、文字は徳川慶喜と伝える。

その他 園内には、『飯島光峨翁之碑銘碑』、『茶筅塚と柘植黙翁句碑』、『大窪詩仏画竹碑』、『其角堂永機句碑』、『芭蕉「春もやや〜」の句碑』、『雪中庵梅年句碑』、『杉谷雪樵芦雁画碑』、『北元居士句碑』、『寶屋月彦句碑』、『鶴久子歌碑』、『矢田寫ニ翁句碑』、『螺舎秀民句碑』、『亀田鵬斎墨沱梅荘記碑』、『金令舎道彦句碑』、『月岡芳年翁之碑』、『七十二峰庵十湖句碑』、『芝金顕彰碑』、『千寿庵益賀句碑』、『『井上和紫句碑』、『最中堂秋耳句碑』、『山上臣憶良秋の七草の歌碑』など多数の石碑がありました。
次に園内の紅葉を楽しみます。

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2013年12月06日

向島百花園1

入園口前には 園内の案内板があります。
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向島百花園 江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804〜1830年)に造られた庭園。
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[江戸時代文化2年(1805)頃、仙台出身の 骨董屋を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)が、向島の寺島村で元旗本、多賀氏の屋敷跡約3,000坪を購入し、鞠塢と親交 の深かった一流の文化人たちの協力を得て、文人趣味豊な庭園として創設。
昭和8年 (1933) 2月 国の 「名勝」に指定昭和13年に(1938) 当時の所有者から東京市に寄付戦災で、石碑以外は全て焼失しましたが、 昭和24年に復元昭和53年10月文化財保護法による「名勝及史跡」の指定現代に残る江戸時代花園唯一のものです。]
入園料150円
入口脇に 大きな石碑があります。
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東京市碑
(向島百花園)
向島百花園由来の碑 昭和十四年七月 東京市
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向島百花園には隅田川七福神 福禄寿尊があります。
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「隅田川七福神めぐり」は江戸時代から続いているもので、七福神詣の元祖とされている。
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正門を入りすぐに、庭門があります.
庭門には太田南畝(蜀山人)が「花屋敷」と記した扁額がかけられています。(複製)
左右の柱には「春夏秋冬花不断」と「東西南北客争来」の一対の聯(れん)が掛けられています。
大窪詩佛の書だそうですが 戦争で焼けているので複製です。
往時は、江戸中に百花園の名が知れ渡り、多くの庶民の行楽地として賑わいました。弘化2年(1845)には、12代将軍家慶の梅見の御成りがあり、明治になると皇室関係をはじめ、多くの著名人が来遊した記録が残っています。
中に進みます。

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2013年12月05日

東武博物館〜向島百花園

三越前駅から半蔵門線に乗って 東向島駅に行きました。
東武伊勢崎線乗り入れなので そのまま行けます。
東向島駅には東武博物館があります。
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東武博物館(とうぶはくぶつかん)は、東武鉄道に関する資料・車両などを収集・展示している博物館です。今回は入場せず 向島百花園に向かいました。道路沿いにも車両が展示してありました。
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1720型デラックスロマンスカー(東武博物館)
所在地 墨田区東向島4-28-16 
「1720系は昭和35年(1960)に就役し、浅草〜東武日光・鬼怒川方面へと走った特急電車です。当時の車両技術の粋を集めたオール電動車6両固定編成で、昭和48年(1973)までに7編成作られました。ジュークボックス付きのサロン室を備えるデラックス車両として長い間東武鉄道の看板特急でしたが、100系特急スペーシアにその女王の座をゆずる平成3年(1991)引退しました。」
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日光軌道線203(東武博物館
「日光軌道線は明治43年(1910)、日光精銅所の資材輸送を主目的に敷設されました。昭和22年(1947)に当社と合併しましたが、その後、観光客の増加にこたえ、開業以来使用していた旧形車を廃し、昭和28年(1953)・昭和29年(1954)に大形車を導入しました。この車両は昭和29年(1954)に汽車会社で造られた2車体3台車連接式の珍しい電車です。日光軌道線は、昭和43年(1968)に姿を消しました。」
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日光軌道線203

全長:18,550mm
幅  :2,200mm
高さ :3,702mm
線路をくぐり 向島百花園に向かいます。
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途中くすのき児童遊園に稲荷神社がありました。
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向島百花園の塀に沿って歩きます。
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向島百花園入口です。
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東京都墨田区東向島三丁目にある都立庭園です。
入園口が見えてきました。

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2013年12月04日

神田川クルーズ8(終)

柳橋をすぎると隅田川です。
川幅が広くなり 波があってしぶきがかかります。
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総武線鉄橋とスカイツリーが見えます。
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両国Jジャンクション。高速道路が川を渡ります。
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水上バスのホタルナとすれ違いました。
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新大橋ではヒミコと遭遇。
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隅田川にはいろいろな観光船がいます。
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次は水上バスです。
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振り向けば清洲橋とスカイツリーが見えました。
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永代橋をすぎます。
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新川の隅田川テラス沿いの桜並木が紅葉しています。
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ここをすぎると 舟は亀島川に入っていきます。
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隅田川の橋と亀島川〜日本橋までの記事は 日本橋クルーズ1〜6に書いています。(カテゴリーは中央区
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護岸の赤い蔦がきれいでした。
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日本橋船着場に戻りました。
ちょうど先のツアーの舟が付いたところです。
橋の上の赤いバスは乗り降り自由の観光バス スカイホップバス。
2階建てオープンバスです。
日本橋川・神田川と船で巡って 普段見ることのできない川の上からの景色を楽しみました。
江戸情緒が江戸の歴史が味わえました。
東京再発見のいい舟旅でした。

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2013年12月03日

神田川クルーズ7

32.和泉橋 千代田区神田佐久間町ー 千代田区神田東松下町
構造 : 鋼製 ヒンジ アーチ 橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
橋の北東には神田和泉町。橋の上を走るのは昭和通り。その上には首都高速が走ります。
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和泉橋』の名の由来は、伊勢の津藩藩主 「藤堂和泉守」 の上屋敷が近くにあったことからこの名が付いたといいます。
左岸上流の橋詰めには、05年に整備された防災船着き場があります。
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33.美倉橋 千代田区神田佐久間町ー 千代田区東神田
構造 : 鋼製 ヒンジアーチ 橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
三つの倉が橋の近くにあったから三倉と呼ばれるようになったとのこと。
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下流側には大きなガス管橋があります。
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34.左衛門橋 千代田区東神田ー 千代田区東神田
構造 : 鋼製 ヒンジアーチ橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
橋の下流側は、中央区と台東区の境。上流から千代田区です。
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左衛門は、江戸期にあった荷揚げ用の左衛門河岸からとりました。
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35.浅草橋 台東区浅草橋ー 中央区日本橋馬喰町
構造 : 鋼製 ヒンジアーチ 橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
左衛門橋をすぎると、たくさんの屋形船が 浮かんでいて、風景がガラリと変わります。
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江戸城外郭、浅草口に由来し 浅草から離れていますが、浅草の名前が付いた橋です。
橋の周辺は屋形船の基地になっていて、護岸の内側に船宿があります。
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36.柳橋 台東区柳橋ー 中央区東日本橋
構造 : 鋼製 タイド アーチ 橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
元禄11(1698)年に初架橋。現在の橋は関東大震災後架けられた鋼鉄橋。
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橋の周囲には柳の並木が作られていますが今は冬で 目立ちません。
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屋形船は江戸時代からありますが江戸文化を現在も引き継ぎ 船宿や屋形船がたくさん見られるこのあたりは タイムスリップしたような感じがします。
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神田川最下流の柳橋の向こうは隅田川です。
posted by うめのはな at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区