2013年12月07日

向島百花園2

庭門を入ると左手に小さなお堂があります。
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隅田川七福神 福禄寿尊堂
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竹林もあります。石は何だかわかりません。
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木々は冬支度
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御成座敷(おなりざしき) 昭和61年に改築されたものです。
「御成座敷」は、百花園創設当時、百花園に集うお客様のために、酒井抱一が設計したと言われています.
座敷は、この地域で「水塚」といわれる、隅田川の洪水に対処するため、池を掘り、その土で塚(基壇)を築いたものの上に立てられています。11代将軍徳川家斉公がお成りになって以降、「御成座敷」とよばれるようになりました。
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園内には芭蕉の句碑をはじめ20数基の石碑があります。
江戸文人趣味豊かに作庭され、大名庭園とは趣を異にした草庭です。
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詩経」や「万葉集」に因む歴史的草花を植栽し、春や秋の七草をはじめ、四季それぞれの植物が植え込まれ、野趣豊かな庭園となっています。
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初代河竹新七追善しのぶ塚の碑
「 隅田川よ二面よと歌舞伎にも浄瑠璃にも世にもてはやさるる荵売は、安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵が勤め、前の河竹新七の作なり。そが正本を、ある人より贈られて久しゅう秘蔵せしは、名を嗣ぐ者の幸せと悦びしが、この度ここに埋みて、昔忍ぶの墳と名づけその故よし記しつくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後の世に遺さんとてのわざになんありける。明治13年(1880)3月」
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二代河竹新七追善狂言塚の碑
きょうげん塚
「二世河竹新七、俳名は其水、晩に古河黙阿弥と改む。壮年より演劇作者となり、古稀の齢を跨えて明治25年(1892)の春、喜の字の祝さえなしけるに、明くる年料らずも病のために身まかりぬ。その一生の間に書き綴りたる新作の狂言およそ三百余ほどありて、古来の作者に珍しきことなれば、その名を続ける門人等師のむすめと計り、これを後の世に伝えてんと、石を建てて狂言塚と名づけ、初代の名残りの荵塚になずらえて、しのぶの文字を書きつくることしかり。明治27年(1894)11月」
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二神石碑
くくのちの神
かやのひめの神

「この二柱の神は古事記上巻にある伊邪那岐伊邪那美二神が生んだ神話の中に出てくる神で久久能智神は木の神、鹿屋野比売神は野の神である 古事記上巻より 」
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日本橋石柱
日本橋の変遷は木橋、石橋、鉄橋時代と各あるが、石橋時代の模造品と思うが、文字は徳川慶喜と伝える。

その他 園内には、『飯島光峨翁之碑銘碑』、『茶筅塚と柘植黙翁句碑』、『大窪詩仏画竹碑』、『其角堂永機句碑』、『芭蕉「春もやや〜」の句碑』、『雪中庵梅年句碑』、『杉谷雪樵芦雁画碑』、『北元居士句碑』、『寶屋月彦句碑』、『鶴久子歌碑』、『矢田寫ニ翁句碑』、『螺舎秀民句碑』、『亀田鵬斎墨沱梅荘記碑』、『金令舎道彦句碑』、『月岡芳年翁之碑』、『七十二峰庵十湖句碑』、『芝金顕彰碑』、『千寿庵益賀句碑』、『『井上和紫句碑』、『最中堂秋耳句碑』、『山上臣憶良秋の七草の歌碑』など多数の石碑がありました。
次に園内の紅葉を楽しみます。

posted by うめのはな at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 墨田区