2013年12月28日

牛込見附跡

JR飯田橋駅西口前の交差点です。
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牛込見附跡。石垣の一部が道路の両側に対の形で残されています。
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「牛込見附」 門跡の石垣 (南西側)
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石垣の前に説明板があります。
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牛込見附跡 千代田区富士見2-9

  「江戸城外堀跡 牛込見附(牛込御門)跡

 正面とうしろの石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、ふたつの門を直角に配置した「枡形門」という型式をとっています。
 この牛込見附は、外堀が完成した寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、向い側の石垣の脇に保存されています。
江戸時代の牛込見附は、田安門を起点とする「上州道」の出口といった交通の拠点であり、また周辺には楓が植えられ、秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。
 その後、明治35年(1902)に石垣の大部分が撤去されましたが、現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。
かっての牛込見附の跡をイメージし、舗装の一部に取り入れています。千代田区」
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拡大写真。牛込見附(旧江戸城写真帳)
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堀にかかるのは牛込橋です。
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この 『牛込橋』 から 『新見附橋』 までの外濠は 「牛込濠」 と呼ばれ、 寛永13年(1636) に開削されているが、それまでは広大な草原であったという。
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牛込橋 千代田区富士見2・飯田橋4 〜 新宿区

「 この橋は、「牛込橋」といいます。
『御府内備考』によれば、江戸城から牛込への出口にあたる牛込見附(牛込御門)の一部をなす橋で、「牛込口」とも呼ばれた重要な交通路でした。また、現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる前は広大な草原で、その両側は「番町方」(千代田区側)と「牛込方」(新宿区側)と呼ばれてたくさんの武家屋敷が建ち並んでいたと伝えられています。
 最初の橋は、寛永13年(1636)に外堀が開かれたときに阿波徳島藩主の蜂須賀忠英によって造られましたが、その後の災害や老朽化によって何度も架け替えられています。
現在の橋は、平成8年(1996)3月に完成したもので、長さ46メートル、幅15メートルの鋼橋です。
平成8年(1996)3月 千代田区教育委員会」
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牛込見附の跡をイメージした模様が、舗装の一部に取り入れています。
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牛込橋は千代田区富士見二丁目から新宿区の神楽坂に通じている早稲田通りに架かっています。
当時千代田区側は番町方、新宿区側は牛込方と呼ばれ、旗本屋敷が並んでいました、その間は深い谷だったのを、水を引いて堀としたものだそうです。

posted by うめのはな at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区