2013年03月09日

大名時計博物館.勝山藩下屋敷跡(台東区)

谷中小学校から大名時計博物館を目指します。
このあたりは ずいぶんと高台です。それらしきものを見つけました。
立派な壁に囲まれていて古そうですが 随分と広い敷地です。
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入り口に 「大名時計博物館」と書かれた木札が置かれ その横には「勝山藩下屋敷跡」の石標です。
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勝山藩は岡山県旧真島郡2万3千石の藩主とのこと。江戸の下屋敷跡が大名時計博物館になっているようです。
門を入ると“掟”は右の通り。という木札があります。入場料300円と書いてあります。
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広い敷地に樹木がうっそうと生い茂り 古い家屋や倉庫のような建物があります。
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亜熱帯植物が生えていたり 一方で日本庭園の名残もあってきちんと保存されている下屋敷跡の庭園とは思えません。
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奇妙な感じがしていると 庭先で声がして 博物館らしき建物のほうへ誘導します。庭仕事をしていたみたいです。
300円払って 靴を脱いで入ります。中は撮影禁止です。
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沿革と概要

「大名時計は、陶芸家・上口愚朗が生涯にわたり収集したものです。江戸時代の貴重な文化遺産を長く保存するために、昭和26年3月
{財団法人上口時計保存協会」を勝山藩の下屋敷跡に設立、初代の理事長になりました。
昭和45年{10月上口愚朗没後、二代目の上口氏などが昭和49年4月「大名時計博物館」を開館。親子に二代にわたり設立した博物館です。」
特色

「大名時計は、江戸時代に「大名のお抱えの御時計師達が、長い年月をかけて手ずくりしたものです。
制作技術・機構・材質などの優れた「大名時計」は美術工芸品で、
世界に類をみない日本独特の時計です。時刻は、ヨーロッパで使用された24時間の定時法の時刻とことなり、不定時法を用いています。
不定時法とは、夜明けから日暮れまでの昼を六等分した時計です。夜明けと日暮れは、季節によって変わるため昼の長さと夜の長さが変わり、いっときの長さが変わる時刻です。これらの江戸時代の大名時計を展示し博物館です。」
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大名時計のほかに外国製時計・明治・大正時代の日本製時計・参考文献
東京都指定の有形文化財88点。
掛時計・艪時計・台時計・尺時計・枕時計・印籠時計・御籠時計・置時計・和前時計・香盤時計。
大人:300円 大学生 高校生:200円 中小学生:100円 (団体割引20名以上一名50円割引)

休館日

月曜日   7月1日から9月30日   12月25日から1月14日
館内は30畳ほどの広さでワンフロアという感じ。櫓時計が多いですが、他にも和時計が数種類展示されています。少しかび臭い・・・
見学者は渡地たち2名だけ。あとから一人。大きなもの小さなもの珍しいものなどを見ますが どうにも落ち着かない。ここは耐震は大丈夫なのだろうか・・などと少し心配。
靴を履いて庭に出れば またうっそうとした庭があり、石像があり 廃車になった自動車があったりもして きつねにつままれたような 雰囲気で敷地をでます。
帰りは屋敷の東にある「三浦坂」を下ります。
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勝山藩主(幕末慶応の頃に藩名を真島藩と改めた)は三浦氏でこの名がついたそうです。
『御府内備考』は三浦坂について、「三浦志摩守下屋敷の前根津の方へ下る坂なり、一名中坂と称す」と記している。三浦家下屋敷前の坂道だったので、三浦坂と呼ばれたのである。安政三年(一八五六)尾張屋版の切絵図に、「ミウラサカ」・「三浦志摩守」との書き入れがあるのに基づくと、三浦家下屋敷は坂を登る左側にあった。
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三浦坂を下っていくと「ねんねこや」という猫だらけのお店があります。
全てが猫関連という“猫スポット”で飲食もできるようです。
言問通りに出て 根津駅をめざしました。

posted by うめのはな at 07:51| Comment(6) | TrackBack(0) | 台東区
この記事へのコメント
12年ほど前に西日暮里の医者へ茨城県から特急を使ってかよってましたが、待ち時間が長く上野界隈を歩いて散歩しました。印象深かったのは徳川慶喜公と鳩山一郎元首相のお墓。東大医学部。浅草寺。ぶらぶらしているうちに大名時計の博物館に入りました。出るときに見たら勝山藩下屋敷と書いてあって、びっくりしました。じつは祖父の出身藩でして。最近知りましたが、鳩山家は勝山藩江戸留守居役だそうで。さらにさらに私の家の宗家が徳川慶喜家と親戚だそうで。ぶらぶらと歩いてましたが、何か不思議な小さな旅になってしまいました。
Posted by アットランダム at 2013年09月29日 17:38
鳩山家の祖先は岡山に縁があるのですね。
音羽御殿も見学しましたが 政治家の成金だとばかり思っていました。考え直さねば・・・
あなたの宗家が徳川慶喜家と親戚とは由緒ある家系なのですね。
江戸を歩くと 思いがけない史実に出会います。
大名家が集まっていましたから その名残があちこちに残っています。
谷中のあたりはまだまだ 不思議な場所が残っているのでいつ行ってもひとつやふたつ驚きに出会います。
Posted by うめのはな at 2013年10月01日 11:53
ちょっと興ざめですが因縁話をひとつ。
徳川慶喜さんの長男の徳川公爵さんは、東京都内で心中事件を起こして亡くなっているんですが、お相手の女の人。私の実家の近く(長野県境を越えますが)の大きな旅館(現在はホテル)の娘さんなんですね。明治、大正時代の徳川家を書いた本に書いてあり、腰が抜けました。(慶喜さんのお墓は塀で囲まれておりご家族のお墓もありました)
主旨にそぐわないので掲載は不要ですが。
Posted by アッとランダム at 2017年02月18日 22:54
[業務連絡]
徳川義久公の心中事件はインターネット検索ででてきません。私の読んだ本は「徳川慶喜家残照」と「徳川慶喜家の子供部屋」ですので、どちらかに書かれていたと思われますが、手元に本がなくて確認できません。お騒がせしました。
Posted by アットランダム at 2017年02月18日 23:31

>アットランダムさん
今日 コメントに気が付きました。
ごめんなさい。
徳川慶久公爵は 自殺説も流れたようですが 睡眠薬カルモチンの量を間違えて服用したとなっていますね。
心中事件なら なおさら 隠したかったでしょうね。
Posted by うめのはな at 2018年01月08日 20:57


>アッとランダムさん
慶喜公の墓所は 谷中霊園ではないのですか?
Posted by うめのはな at 2018年01月08日 21:02
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