2013年12月14日

白髭神社〜東京スカイツリー

白髭神社を出てすぐのところにこんな説明板がありました。
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西川春洞・寧住居跡  親子二代にわたる書道家
東京都墨田区東向島3丁目4
「西川春洞 ( しゅんどう ) は、肥前唐津藩医を父に弘化四年 ( 1847 ) 日本橋の家で生まれました。
幼い頃、書を中沢雪城に学び、銭梅渓の書を習得しましたが、後に書風を一変し、徐三庚を中心とした江南の書風に拠り、わが国近代書道に新風をもたらしました。
そして、この地 ( 寺島村 1207番 ) に居を構え、多くの弟子を養成しました。
春洞は、地域の社寺や人々の求めに気軽に応じ、多くの作品を残し、大正四年この地に没しました。
春洞の息子・寧 ( やすし ) は、明治三十五年ここに生まれ、寺島小学校 ( 現第一寺島小学校 ) に学び、慶応大学では中国文学を専攻し、さらに書道史学の面でも多くの資料紹介や研究の成果を残し、昭和六十年に初夏として初めて文化勲章を受章しました。
平成元年五月・目黒区中町で没しました。
( なお、住居跡は階段下・約三十メートル先の右側の辺りです。  )
平成十二年三月 墨田区教育委員会」
墨堤通りに出て「すみまるくん」に乗ります。区内循環バスです。
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15番から乗り 言問い団子 長命寺などをまわりスカイツリーに行くバスです。
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『「むこうじま」の「むこう」とは、浅草からみて、隅田川の向こう側にあたる場所を指し
て、向こうの島と呼んだことによるとされています。当時、行政上の名前として「向島」が使われたことはなく、俗称でしたが、多くの文人墨客が作品の中で独特の想いと趣を込めて「向島」と著し、定着しました。
msasisumida.jpg
「向島」の名前が正式な行政地名としてつかわれるようになったのは1891年(明治24年)に
向島小梅町、向島須崎町、向島中ノ郷町、向島請地町、向島押上町などといった町名が成立してからである。墨田区』
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押上駅から東京スカイツリー ソラマチに行きます。
今回は案内がてらソラマチ5F『産業観光プラザ「すみだ まち処」で一休み。
mukoujima (138)).jpg
スカイツリーのいっちばん上にある避雷針のレプリカで、通称「すみだのてっぺん」。
実物大だそうです。
墨田区を634分の1に縮小して描いた「すみだマップ」が床にあります。
問屋国分でおみやげなどを買いすみまるくんに乗り継いで 錦糸町へ。
そこで友人たちと別れ帰宅しました。

posted by うめのはな at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 墨田区
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