2013年12月26日

九段下〜飯田橋散歩路

東京メトロ東西線九段下駅で下り 九段下交差点に出ると和風の屋根の古い建物が見えます。
九段会館です。
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九段会館  千代田区九段南1丁目6-5
竣工 1934年(昭和9年)
昭和初期に流行した帝冠様式(ていかんようしき)の建物である。設計は同潤会アパートの川元良一、技術顧問として伊東忠太。
東日本大震災による天井落下死傷事故で閉館中。
九段下から飯田橋駅に通じる目白通りは「飯田橋散歩路(サンポーロ)」と名付けられ 「発祥の地」碑がたくさん建っています。
目白通りを行きます。
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ホテル・グランドパレスの前に東京女子医科大学発祥の地 の碑があります。
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東京女子医科大学発祥の地 千代田区飯田橋1-1
「吉岡彌生は明治33年(1900)12月5日、この地にあった至誠医院のなかに東京女医学校を創立しました。翌明治34年(1901)4月、同校は牛込区市ヶ谷仲之町に移転。のちに市ヶ谷河田町へ移転して現在の東京女子医科大学に続きます。吉岡彌生の至誠医院は明治41年(1908)に旧飯田町4丁目31番地に移り、関東大震災(1923)までありました。」
吉岡彌生は「至誠と愛に生きる」を建学の精神とし、女性の地位向上と我が国の近代医学史に大きな足跡を残しました。
もう少し行くと北辰社牧場跡 の碑があります。
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北辰社牧場跡 千代田区飯田橋1-5
「榎本武揚は明治の始め、北辰社牧場をここに開きました。幕臣榎本は文久2年(1862)オランダに留学を命じられ、当時のヨーロッパ事情や法律、化学などを広く習得しました。幕府が瓦解すると榎本は指揮下の海軍をひきいて函館までも転戦しましたが、黒田清隆や山田顕義らの率いる官軍の軍門に下り、捕われの身となります。しかし、彼の新知識を惜しまれて許され、新政府では幾多の要職を歴任しました。一方、旧幕臣子弟の為の育英黌農業科や北辰社牧場などを作りました。最盛期には乳牛が四,五十頭もいて新しい飲物、牛乳を提供していました。」
目白通りから東京大神宮へ向かう大神宮通りの入り口の角に建っているのが徽章業発祥の地 の碑です。
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徽章業発祥の地  千代田区飯田橋1-7
「この奥,大神宮通り向かって左側に 明治18年(1885),鈴木梅吉により 日本帝国徽章 商会が創られました。これは民間の徽章業のはじめで,特に明治末期,大正の初期にお いては 日本で唯一の徽章の製作工場として 大変栄えました。現在の徽章業の方々の大多 数は この商会の流れを汲み,徽章業は 飯田町の日本徽章商会から生まれた といわれてい ます。そして,現在もこのあたりは 徽章業に従事する人が沢山います。」
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大神宮通り入口です。
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東京大神宮。東京のお伊勢さまの文字があります。
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この通りは 日の丸が飾られています。(平日です)
商店街などでみられるカラフルな万国旗ではなく 日本国旗なのです。
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東京大神宮が見えてきました。
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posted by うめのはな at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区
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