2013年09月09日

越前おろし蕎麦「御清水庵 清恵」日本橋

日本橋に前から行きたいと思っていたお店があるので 御所の花を見たついでに行ってきました。
越前おろし蕎麦が食べられるお店 日本橋 「御清水庵 清恵」 です。
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三越前駅B6出口すぐ 日本橋のふもとです。
東京都中央区日本橋室町1-8-2 日本橋広末ビル 1F
窓際の席は川に面していて日本橋川が見えます。
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外から見るとお店で食事中の様子ががこんな風に見えます。
このお店、何から何まで福井なのです。
福井県の郷土料理や地酒はもちろんのこと 福井県名物の「越前おろしそば」を食べさせてくれるお店なのです。
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入り口には絆という加山雄三さんの色紙が・・・
福井弁でしゃべるご主人さんは きさくなかたです。自ら接客しています。
この日ちょうど「ハモの天丼」がサイドメニューと書いてあって 「うわ!ハモ!めずらしい!」と叫んだら 200円で小丼がつけられるとのことさっそく「越前おろしそば」と一緒に注文しました。
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お店は繁盛していて次々にお客さんが来るのですが ご主人がそばに来て「福井の人やろ?」
「三国です。わかる?」っていうと「わかるさぁ 福井弁になってる」と。
どうも福井の人と話すと 福井弁のなまりがでるようですww
「三国のどこ?」と聞いてくるので駅の近くと答えると あるお店の名を出して・・「あ〜そこ 同級生!」なんて話が合ってしまいます。
お客の合間を縫って 席にきては話します。
このご主人・中本さんは11年前に脱サラをしてこの日本橋にお店を出したそうです。
「サラリーマンやってたんにゃけど 脱サラするって言ったらみなに 1年で泣いて帰ってくると笑われた」と話してくれました。
福井の美味しいものを東京で・・福井の良さを知って貰うために、東京のど真ん中にお店を出したそうです。
器は越前焼、テーブルも武生の木工製品。福井にこだわるご主人です。
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越前おろしそば 600円 にハモの小天丼200円。
かつおぶしとねぎ。そばつゆ。蕎麦湯がついています。
友達に福井式食べ方を教えます。
かつおぶしとねぎを蕎麦の上にかけ そのうえからそばつゆをぶっかけます。
そばにかけられた大根おろしは夏になると辛みが増す青首大根を使用していると話してくれました。
ほどよい辛味でなつかしい福井の味でした。
ハモ!ふわっとしていて 衣はさくっとしていて美味。
関東じゃハモはなかなか食べることができません。
さっぱりしていておいしいです。
子供のころはすり身にしたものをお吸い物にしてよく食べました。
福井県産のそば粉 ダシに使う醤油も福井のものを使用しているそうです。
花らっきょ、小鯛のささ漬け、すこ、ヘシコ 焼きサバ寿司 など福井ではおなじみのお品書きが並び 福井の地酒も並んでいます。
お店もお昼時で忙しそうなので食べ終わって早々に出ることにしました。
「また来ての!10月にはカニも入るしの」と声をかけてくれました。
なつかしい福井の味に満足して 福井弁に出会ってうれしい気分でした。
そんな気分で 日本橋高島屋の前のさくら通りに行くと・・・
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え?福井坂井市観光PRキャンペーン?テントがあります。
どうやら5日6日限定で名産品を販売しているようです。
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日本橋イベントスペース
地域活性化センター 地域づくり情報課
 越前・坂井市(福井県)の特産品PRキャンペーン
9月5日(木)〜6日(金)
【内容】 坂井市の海・里・山のもたらす食の特産品をPRします。福井県産米コシヒカリを100%使用した「元祖焼き鯖寿司」、3年かけて作られ、シャキシャキした歯ざわりが楽しめる「花らっきょ」、今が旬の産地直送「豊水梨」などを試食・販売します。
【販売予定品】 元祖焼き鯖寿司(福井県産米コシヒカリ100%使用)、花らっきょ各種(三年子(さんねんご)栽培梨(豊水)
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こんなところにも ふるさとが・・・
でも らっきょしか残っていなかったです。
らっきょを買いお話しすると 三国の人でした。
出身はどこかと聞かれたので 三国神明・・と答えました。それ以上言うと絶対素性がバレます。
皆が顔見知りのような狭い町なのでねww
ふるさとのなまりなつかし・・・日本橋 の日でした。

posted by うめのはな at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2013年08月24日

福井三国サンセットビーチの写真

春五月に一通のメールが届いた。ふるさとにある温泉施設ゆあぽーとの運営会社からでした。
このブログに載せてあった 写真を宣伝用パンフレットに使いたいと 使用許可を求めたものでした。
何より驚いたのはこの温泉施設は 町の施設だったはずなのにいつの間にか 民間会社のものになっていたことでした。
ネットで調べたら ちゃんとした会社のようでHPもありました。
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福井三国のサンセットビーチです。使用希望は これ!!
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サンセットビーチの夕日と三国町
http://umeno87.sblo.jp/article/41862769.html
このブログの中にある写真です。
断る理由もないし こんなものでよければ・・とフルサイズの写真3枚添付で パンフレットに使用していいですよと返事をしました。
ただし 著作権は放棄しません。の一文を添えています。
ありがとうございますの メールは来ましたがその後がないんですねぇ。
もうパンフレットはできあがっているはずなのに 使用したのか 使用しなかったのか全く連絡がなくて 事後が不明です。
使用したのならその旨 一言 見本でも添えて。使用しなかったのなら しなかったの一言。
会社組織なら 連絡があってもいいと思うのですが。。。。。
著作権は放棄していないのですけどねぇ〜〜そこも あいまいなまま。
どなたか福井・三国温泉ゆあぽーとのパンフレット見かけたら 教えてくださいな・・・・
ちゃんとした会社なら やはり連絡欲しかったなぁ。。。って無理な要求なんでしょうかね。
私も絵を描いてみたいと思う写真があったとき ちゃんとそれを写した人に お願いしてから絵をかきます。
できあがったら こんな絵が描けましたと 見本を添えてお礼の報告をしていました。
それが 当然のマナーだと思っていたわけです。
昔なら手紙や電話で直接やりとりをしたから そんな一方通行的なことはなかったのでしょうね。
ネットというの相手の顔がみえないだけに 注意しなければならないことたくさんあります。
情報倫理ーネチケットといいます。
とまぁ・・・我が写真のことが こんな風に気になっているわけです。
posted by うめのはな at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2012年05月17日

福井のあぶらあげ

昨日 根津美術館に行った帰りに 福井のアンテナショップへ寄った。
いろいろ欲しいものがあったので買い物。

売れ行きNo.1という 大福あんぱん〈210円)を買う。食べたみたら パンの中に大福が入っているので食感がなんとも言えず絶妙だった。これは美味しかった!
No.2は塩こうじ。これは季節柄パス。
福井のあぶらあげが No.3です。福井のあぶらあげは美味しい。ましてや 谷口の。。とくれば買わずにはいられない。だって福井でもすぐ売り切れてしまうものだからです。
東京であぶらあげといえば おなじみの「うすあげ」のこと。
普通の 分厚いのは「厚揚げ」です。これが 福井のあぶらあげとは 似て非なるものです。
福井のあぶらあげは 分厚いのですが 厚揚げではないのです。
関東に出てきて あぶらあげかと思い 食べた厚揚げの硬くてまずかったこと・・・それ以来 厚揚げは嫌いになりました。

子供の頃から あぶらあげといえば福井では 分厚いあぶらあげでしたから 厚揚げが あぶらあげだと思って買ったのにぜんぜん別物だったのです。
というわけで 買いました。
そしたら 係り員の人が 「今夜 NHKのためしてがってんで 福井のあぶらあげの放送します」と教えてくれたので へぇ〜いいタイミングと思い 帰宅してTVみました。

福井はあぶらあげ王国。消費が日本一。からはじまり その美味しさ 製法の違いなどなど紹介していました。いやぁ〜手間かけて作っているのはじめて知りました。1枚のあげにつき約1時間、揚がり具合を見ながら100回以上手作業でひっくり返しじっくりと揚げているとのことでした。

福井にいたころは これ以外のあぶらあげが存在することなど思いもしなかったのですから 身近で当たり前のように食べていましたからね。

改めて 福井のあぶらあげの美味しさを実感したわけです。
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14cm四方、厚さ4cm。あげたては 表面がカリカリ。中はほくほく。う〜ん揚げたてを食べたいですが 買ったものをレンジで1分。フライパンで表面を焼いたら カリカリほくほくで美味しくいただけました。
posted by うめのはな at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2012年04月19日

深川と三国

私は現在 東京・深川地区に住んでいます。
江戸時代の深川地区です。
この地に住んで 6年になります。
運河が多く 桜並木も多く 歴史も古く 情緒があります。。
公共施設も整っているし 交通の便も 買い物の便もよく 住みやすくていいところです。
歴史は古くて まだまだ知らないことばかりです。
時代物小説の舞台といえば 日本橋 深川 吉原・・ってくらいなところです。

深川は明暦ごろ、主に材木の流通を扱う商業港として栄え大きな花街を有していた。
芸者さんは 江戸から見て 辰巳の方角にあったということで 「辰巳芸者」と呼ばれた。
気風がよくて情に厚く、芸は売っても色は売らない心意気が自慢という辰巳芸者は 粋の象徴でした。(現江東区の地名 辰巳は埋立地で全く関係がない。)

材木商人として財を成した紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門も一時邸を構えたり 曲亭馬琴はこの地で生まれ、平賀源内や松尾芭蕉、伊能忠敬なども深川に住んだ。清澄庭園は紀伊国屋文左衛門の屋敷跡である。

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芭蕉翁
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伊能忠敬

そういえば 三国と共通することもあるなぁ・・と。
材木商 豪商が出入りし 花街があった。
木場という地名。
粋な芸者 辰巳芸者に 出村芸者。
芭蕉の高弟・支考から文台を授かり「日和山吟社」を結成し三国の俳諧を隆盛に導いた。
共に 水運で栄えた町であるということ。
砂村新左衛門 ゆかりの地でもある。
探せばもっとあるかもしれない。今はそれほど知識がないのでわからない。

幸い 深川にはさまざまな資料館があるし 100年以上の歴史がある深川図書館にはその種の資料がたくさんあるのでおいおい学んで行きたいです。
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建物自体は改築されて当時のものではない。
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2012年04月18日

福井県三国町紀行18 最終章

今回の三国行は4月1日〜4日でした。
前日の3月31日 東京は春の嵐。
滞在中の4月2日も全国的な大嵐。東京では交通機関がストップし 早期帰宅命令が出るような状況でした。
幸いにもその大嵐を避けて 往復できましたが 2日に予定していた三国巡りは出来ませんでした。
ほんの少ししか巡れなかったのが残念です。
もっともっと すばらしい場所がたくさんあります。またの機会を楽しみにします。
その日はひたすら コピー資料を読んでいましたが 三国町百年史 福井県史 坂井郡史 などの分厚い本は読むことができませんでした。せめて 三国町百年史だけでも 読みたかったです。
実家に揃っているので そのうち読みたいと思います。
それと 三味線。前出の 竹よしさんのお師匠さんに習っていた時の 三味線が使われずに置いてありました。ギターを弾いていた私としては 少しくらい弾いてみたかったですね。
これも次の機会です。

(04/05)福井県三国町紀行1 旧森田銀行
(04/06)福井県三国町紀行2 旧岸名邸
(04/07)福井県三国町紀行3 古い町並みを歩く
(04/08)福井県三国町紀行4 出村遊郭跡1
(04/09)福井県三国町紀行5 旧地蔵町延命子安地蔵尊
(04/09)福井県三国町紀行6 神明神社
(04/10)福井県三国町紀行7 出村遊郭跡2
(04/11)福井県三国町紀行8 出村遊郭跡3
(04/12)福井県三国町紀行9 三国湊
(04/13)福井県三国町紀行10 エッセル堤
(04/14)福井県三国町紀行11 みくに龍翔館
(04/14)福井県三国町紀行12 ふるさとグルメ
(04/15)福井県三国町紀行13 三国駅 えちぜん鉄道
(04/16)福井県三国町紀行14 高速バス 昼特急1 東京〜福井 
(04/16)福井県三国町紀行15 高速バス 昼特急2 東京〜福井 
(04/17)福井県三国町紀行16 高速バス 昼特急3 福井〜東京
(04/18)福井県三国町紀行17 三国節

出村遊郭跡の記事を書くにあたり「研究紀用」第1号 昭和の三国出村遊郭 岡 安夫氏の 資料を読ませていただきました。
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福井県三国町紀行17 三国節

子供のころから 見よう見真似で覚えてきた 「三国節」について語ろうと思う。
北前船で繁栄した町。 花柳界の酒席で古くから歌われていたのが「三国節」
「三国節」の由来は、宝暦(1761)年に三国神社を建てる際に、性海寺第30代陽山上人が作ったといい、敷地内の地固めの作業に集まっていた門徒達が歌った「土搗き唄」であるといいます。七七七五調の歌詞を基本として、最後の5文字を2回繰り返します。
更に下の句を繰り返す古い甚句のような感じ。相撲甚句も江戸時代の享保年間に流行歌として定着
し やはり七七七五調です。幕末明治時代に花柳界で流行したのが本調子甚句です。
前出の「三国お座敷芸伝承会」の小冊子にも お座敷芸として三国節や相撲甚句が載せられていました。
明治期にはあまり歌われなかったといいますが レコード化して地元でも歌われるようになったとのこと。伝承のためか 私たちは小学校から踊りを覚えました。運動会やお祭りなどには必ず踊りました。夏祭りの時でしょうか そろいの浴衣と編み笠で 町中を練り歩きました。
飛び入りも大歓迎で みなそれぞれ 踊り歩きました。
今でも 帯のまち流し という名で続いているそうです。

「やしゃで〜やのしゃで やのしゃでやしゃで
やしゃでやのしゃで こちゃしらぬ

やしやでやのしやで やのしやでやしやで
やしやでやのしやで こちや知らん」

みくに節を「やのしゃ」とも言う。冒頭の句から出ている。
夜叉という字があてられる説もあるが
「やしや=やしゃご=玄孫」「やのしゃ=玄孫の子」の意で子孫繁栄の歌という説もある。
みくに節を唄う際には必ずこの句をもって最後のしめくくりとする。

○三国三国と 通う奴ぁ馬鹿よ
  帯の幅ほど ある町を
  ある町を ある町を   帯の幅ほど ある町を

○岩が屏風か 屏風が岩か 海女の口笛(呼ぶ声) 東尋坊 
  東尋坊 東尋坊 海女の口笛(呼ぶ声) 東尋坊

こんな感じで延々と歌が続きます。120くらあるそうですが 覚えているのはこの3つくらいです。子供には 意味不明の歌がたくさんありましたから。

私は踊るのがすきなんです。血が騒ぐというか 日本人!というか 盆踊りなど輪になって踊っていると飛び入りしたくなります。
ヨサコイ祭りや 阿波踊り エイサー踊りも好きで見に行きました。
子供の頃から 「三国節」を踊ってきた影響かもしれません。

http://obi392.org/ 三国湊 「帯のまち流し」
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2012年04月17日

福井県三国町紀行16 高速バス昼特急3福井〜東京

東京に戻るバスは 福井駅午前7:30発。
朝早いけれど 夕方前に東京に着くので都合がいい。えちぜん鉄道で福井に着いたのが 6:50分くらい。朝食は駅の立ち食いのうどんですませた。昼の弁当を買おうと思うけど コンビニしか開いていない。しかたなくコンビニ弁当を買う。
バスターミナルで どちらのバスかなと待つ。今度は京福バスだった。
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福井駅東口で乗り込んだのは10人足らず。
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定刻に出発。「途中交通事情で東名が通れない場合は 中央高速にまわります」とのアナウンスがあった。福井は雨・風強い。敦賀まで 乗客を拾うと20人くらいになった。
神田PA。9:12着 9:22発。
10分の休憩、雨はほとんど降っていない。
この京福バスのラッピングはユニーク。
一目で福井のバスだとわかる。なかなか面白い発想。
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福井でバスに乗ってから ずっと眠っていて 休憩になるたび起こされる。
次に目覚めたのは 浜名湖SA。11:10着 11:20発。
雨上がりという状況でした。再び眼る。ところがまた起こされる。
外は快晴。富士山がくっきり。これは写真をとあわてる。
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桜が咲いていて きれいでした。富士も見たので 弁当を食べる。まずかった・・・
福井駅でもっと別の駅弁でも買えればいいのにショップが開く時間が遅いのが不満です。
順調に走り 足柄SA。13:10 着 13:20発
快晴です。空調の風が直接当たって 顔が寒い。前の人は係員になんとかならないかと言っていた。
いろいろ調節するのだけど どうしても後から冷たい風が当たる。
しかたなくマスクをし 顔にタオルをかけ毛布をかぶっていた。
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また眠っているうちに 池尻大橋。14:22着。
何人かが降り 新宿でもかなり降り 東京まで行く人は7〜8人になった。
見慣れた場所をバスは走り 15:30 定刻に東京駅日本橋口バスターミナルに着いた。
呉服橋のバス停は目の前。少し待つとバスが来たので乗る。
地下鉄で数分ですが大手町駅まで歩くより バスのほうが楽なのです。こうして無事 帰宅しました。

往復共に 運転手さんは2人。交代で運転したみたいです。休憩時の乗客の確認もきちんとしていました。
posted by うめのはな at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2012年04月16日

福井県三国町紀行15 高速バス昼特急2東京〜福井 

東京駅から丸の内 お堀のまわりを通り 半蔵門で新宿通りへ。
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そのまま四ツ谷を経て 12:00新宿駅南口バスターミナルへ。代々木駅がすぐです。12:20分発らしいけれどはやく着き過ぎたのか20分ほど待った。ここで乗ってくる人もいました。
池尻大橋を通り 東名高速へと向かいます。
2時間おきに3回休憩しますが 原則10分。食事の時間はないです。
新宿をすぎたあたりで 弁当を食べました。
最初の休憩は 足柄SA。13:40着 13:55発
トイレによります。15分の休憩だったので パンなど買う人もいました。
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しばらくすると 富士山が見えてきました。
半分くらい雲がかかっていて残念でしたが ここで写真を撮っておいてよかったのです。
この後 すっぽりと雲に隠れてしまいました。
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お腹が膨れると眠くなる。リクライニングで快適に眠れます。
目覚めたら 浜名湖SA。15:45着 16:00発。
ここも15分の休憩。
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浜名湖は桜が咲いていてきれいでした。お店をうろうろしましたが何も買わず。
トイレはバスの中にあるのですが みな休憩時は SAのトイレに行くみたいで、バスのは使われた形跡がなかったです。
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また 眠ります。
次の休憩は神田PA。18:00着 18:20発
早く着いて時間調整のためか20分もの休憩。しかしここには 弁当など売っていませんでした。
ここを出てすぐ 東京駅で買った弁当を食べました。
敦賀 IC19:00着
ここから 乗客を降ろしていきます。
19:10 武生 19:15 鯖江と乗客を降ろしいよいよ福井市内へ。
そして 定刻通り 20:00に 福井駅東口に到着しました。

ぜんぜん疲れていませんし 思ったより快適だったし 眠れたしでよかったです。
迎えに来ていた車に乗り三国へ向かいました。

これが 東京〜福井の高速バス 昼特急です。
往復で12000円という ありがたい料金でした。新幹線だと 片道15000円くらいです。
posted by うめのはな at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

福井県三国町紀行14 高速バス昼特急1東京〜福井 

三国に観光に行く人はほとんどが ツアーか車だと思う。それだと 何も不便は感じないでしょう。
もより駅は JRの芦原温泉駅になるのだけど 三国まで行くのに とても不便。
バスは1時間に1本とかで それも車で20分で三国駅までいけるのに海側を ぐるっとまわって1時間ほどかかる。何より料金が高額!電車利用客にはとても不便で 福井駅で降りて 「えちぜん鉄道」を使うほうがいい。しかし芦原温泉駅からのバスなど 考えないと個人客はますます足が遠のくでしょうね。

今回 眼の手術後ということで 飛行機はダメ。新幹線は重い荷物抱えての乗換えがいや。
ってことで 高速バス 昼特急をはじめて使いました。
東京駅バスのターミナル前のバス停は自宅すぐ近くのバス停のルートであるから便利だったこと。
時間は新幹線より3時間ほどよけいにかかるが 急ぐ旅でもないし 何より料金が新幹線の半額以下であるということで バスを選んだ。

事前に往復の席の予約を入れる。コンビニで支払いなど予約ができた。
東京駅八重洲南口バスターミナル 午前11:40発である。
自宅からバスに乗り 呉服橋で降りる。大丸で買い物をする。
昼はお弁当を作ったが 夕食分を買わなければならなかった。
お土産など調達して いよいよバスターミナルへ。

京福バスと福井鉄道の交互運行らしく どっちのバスかなぁ・・と楽しみに待つ。
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バスが来た。福井鉄道のバスだった。
チケットを確認 大きな荷物はバスの下へ。
いよいよ乗り込んだ。
席は 後ろのほう。3人で行ったので3列横並び。
3列席 リクライニング 毛布 スリッパ フットレスト カップホルダー テーブル 付きで個々にカーテンがついているので プライバシーも保てます。
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中ほどにトイレもあるので安心です。
定刻に出発。席は1、2席空いていただけでほぼ満席でした。
posted by うめのはな at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2012年04月15日

福井県三国町紀行13 三国駅 えちぜん鉄道

東京に戻る日。早朝 三国駅に行く。
駅前にはまだ人がいなかった。
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寒い駅舎。待合室の椅子に座布団がかけられていて 心使いを感じた。
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えちぜん鉄道に乗った。
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早朝6時ころなので 無人駅でした。
乗る時に整理券をとって 着いた駅で清算しました。
ワンマン電車で 乗降口は一番前の扉だけでした。
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最初少なかった人も 徐々に増えてきました。
50分ほどかけて 福井駅に到着しました。
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えちぜん鉄道写真は別の記事にもあります。
posted by うめのはな at 10:01| Comment(2) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2012年04月14日

福井県三国町紀行12 ふるさとグルメ

福井は何もかもが美味しい。
空気に水。水がいいから米も美味しい。
野菜も新鮮で美味しい。
それに 海の幸も美味しい。

あわただしい帰省で 食べたものは おろし蕎麦と八番ラーメン。
それに お刺身 焼き鯖 などなど。
お刺身の新鮮だったこと!


遠縁にあたる店で 会食したときのこと。
いか刺しが美味しくて 私が1人前、いや義姉もつられて 私もと、2人前追加した。
東京の感覚では 1人前は小皿に 数切れが相場である。
出てきて びっくり!
1人前とは イカ1杯のことだったのである。大きな皿に丸ごと切りそろえられたイカを見て、唖然として 声をそろえて「どうしよう・・食べきれない!」
そりゃ その前に甘エビだのなんだの盛り合わせをたっぷり食べているのだもの。
結局 みなでわけて食べることになった。
うーーん。食材が豊富だとこういうことになるのね。
それに安いから驚きました。
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煮物 焼き物 刺身に 酢の物 和え物 漬物 天ぷら などなどフルコースにたけのこご飯。
お酒瓶で2本はあけて ビールだのソフトドリンクだの飲んで食べて 一人5000円程度なのだから都会では考えられない値段でした。東京でこれだけ食べて飲めば一人1万でもすまないでしょうね。

定番おみやげも買いました。
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みたらし団子も食べたのだけど 子供の頃食べた みたらし団子の味ではなかった。
これはこれで 黒蜜で美味しいのですが 昔の団子の味は甘くもなくしょっぱくもなく なんというか表現できない微妙な味でした。
posted by うめのはな at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

福井県三国町紀行11 みくに龍翔館

三国の町の中心部の道路には こんなマンホールの蓋があった。
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模様は三国町を見下ろす高台に立つ郷土資料館(みくに龍翔館)である。
明治12年に建てられた龍翔小学校を忠実に復元したもので 千石船の5分の1の模型、高さ7mの三国祭の山車など数多くの郷土の資料が展示されています。
高さ33メートル、木造5階、八角型という奇抜な洋館で 幻想画家として知られているエッシャーの父親であるG・A・エッセルがデザインしたとされている。
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この建物の設計については論議があったそうです。最近設計という記述はデザインに変更されています。

 明治期の龍翔小、設計者で新説 エッセルでなかった
(福井新聞、2010年3月17日午前7時55分)

「明治時代初期に、五層八角という西洋風のデザインで坂井郡三国町(現福井県坂井市三国町)に建てられた龍翔(りゅうしょう)小について、設計者は、これまで伝えられてきたオランダ人技師、G・A・エッセルではなく、エッセルが大阪から連れてきた日本人の技師だった−との新説を、神戸女学院大講師(建築史学)の川島智生氏(52)が唱え、このほど発刊された学校教育関係の冊子で発表した。
川島氏は、エッセルが帰国後に書いた「日本回想録」の中で、当時の三国の様子や印象に触れているのに、龍翔小が登場しないことを疑問視。龍翔小設計に積極的にかかわったのではなく、現場の最高責任者だった大阪の大工の棟梁(とうりょう)、柳自知(やなぎじち)に設計を依頼した可能性が高い、とみている。
川島氏によると▽龍翔小のような五層八角の建物がエッセルの母国オランダに存在しない▽龍翔小建設とほぼ同時期の1860年前後に、同じデザインの建物が、米国で大流行したこと−などを理由に挙げる。特に米国ミシシッピ州ロングウッドに現存している「ホラー・ナットの八角形住宅」は外観、間取りとも龍翔小にそっくりという。
川島氏は「エッセルは当時、日本に滞在していた米国や英国の技師に、八角形住宅が紹介された書物を見せてもらい、それを柳に示したのでは。エッセルはもともと河川工事の技術者で、今のビル十階建てに相当する、巨大な木造建築物の設計ができたとは考えられない」としている」

こんな記事を見つけました。

作家の 篠田真由美さんも「2011.01.22」の文でエッセル設計とされている 龍翔館を見たときの印象に「なんだかこの塔の形は見た覚えがあるぞ」違和感を覚えたと書いている。
済生会と龍翔小学校の建設年がどちらも明治12年。
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「山形市に今も残る旧済生会病院(現山形市郷土資料館)である。もちろん完全に同じではない。済生会はドーナツ型のプランの正面玄関部分が塔になっていて、それも二階部分が十六角形、三階が四角形、四階が八角形で、二階と四階の屋根はそれぞれ十六と八の多面体ドーム屋根が載っている。龍翔館は全体が八角形五階建てのプランで、最上部の八角塔の上に八面のドーム状屋根がかかり、これは済生会の屋根よりずっと丸みが強い。しかし一見した印象は似ている。というより、こうしたプランを持つ建築は日本では特にあまり類例がないから、なおさら似て見えるのだ。」
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龍翔小学校も当時は木造だったそうです。模型がありました。
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本で見たのだけれど 幕末の慶応4年(1868年)に開業した、日本最初の本格的ホテル 築地ホテル館も西洋の洋館で奇抜なデザインだった。
建築技師R・P・ブリジェンスの基本設計の下、清水組(清水建設)二代喜助が実施設計と施工。
惜しいことに 銀座の大火でたった4年で燃えてしまった。
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明治期の西洋建築はなかなか面白いものです。
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2012年04月13日

福井県三国町紀行10 エッセル堤

時計を見る。3時半には戻らなくてはいけない。エッセル堤まではいけそうもない。残念ながら 戻ることにした。三国に来るたび 訪れている場所なので 以前写した写真がある。携帯で解像度は低いが これがエッセル堤。
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もう1枚 1年半ほど前の三国海水浴場から見た エッセル堤。
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三国港突堤(エッセル堤)は九頭竜川の河口右岸先端部より西方に突き出た突堤のことで、明治11年から18年に国の御雇外国人技師としてオランダから招かれたエッセルが設計し、同じくオランダ人のデ・レーケの指導監督で造られた、日本初の西洋式捨石防波堤です。
平成15年12月25日、文化財保護法の規定により重要文化財に指定されました。

堤長511m,幅約9mの石造構造物で,防波堤の構造は「粗朶沈床といわれるものです。築後100年以上経った現在の突堤は1970年(昭和45年)に新堤(約400m)が接続され,全長927mに延長されました。

エッセルは三国港に突堤を設ける設計を行ったが、帰国するまぎわに工事が着手され、直接工事を指導できなくなった。そこで、デ・レーケが引き継ぎ指導を行うため、たびたび三国を訪れた。「明岩益造」は明治の初めに「三国港突堤」の工事が行われたさい、大阪から来た有能な水理工手であったが事故により亡くなった。
湊の人たちは彼の墓を建てて、死を惜しみ功績を称えるため、墓の裏面に碑文を彫った 。墓を建てた人たちの名前が台座に31名刻まれているが、その最初に「和蘭国 列幾氏 保斯氏」とあるが、列幾はデ・レーケのことであろう。とさまざまな資料に書いてあった。
では 実際に三国港防波堤を造ったのは この人たちなんですね。

子供の頃 大人たちに「波止場で泳いではいけない」と言われました。
構造上 大きな石の下にもぐりこむと死体も 上にあがってこれなくなると 言われました。それにここは深くなっているので波も荒いのです。
地元の子供たちはその教えを守っていましたが 他からやってきた人たちは知らないので波止場から飛び込み 水死した人もいました。悲しいことです。
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それでも釣り人はいましたし 私たちもするめを 棒の先につけて蟹などを釣って遊びました。
飛び込むこと 波止場の側で泳ぐこと それだけはしませんでした。今は立ち入り禁止になっているそうです。
この三国海水浴場は サンセットビーチと言われ 夕日が美しい浜辺です。
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夏には花火大会が行われます。水中花火の迫力は格別です。
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2012年04月12日

福井県三国町紀行9 三国湊

川沿いに歩く。戦災に遭わなかった三国は、江戸や明治期の廻船業の蔵や倉庫などが残っている。
しかし車社会になるにつれて 母屋が建替えられたり 蔵や倉庫は駐車場などにされていった。
1948年の写真では 護岸道路はなく船が直接倉庫に出入りしていたのがわかる。
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その後 護岸には高い堤防や道路ができ 海運業の港から 漁港として変化していく。
河口近くには 魚市場がある。漁船が停泊している。

それにしても人に出会わない。
旧岸名邸、ここは2日行ったが2日とも スタッフ1人だけ。
旧森田銀行は 他に2名の見学者がいた。
町中を歩いているときは ほとんど人に出会わなかった。
私たちだけが 闊歩していたのである。

三国の人は働き者だからみな仕事をしているのだろうか。
「〇〇さん いなるけぇ(いる)?」と声をかけながら近所の人が家に上がりこんで話をしに来るのが 普通のことだったから今でも そんな感じなんだろうか。

うちに来ていた近所のおばさんなど 毎日のように
「あんたぁ いなるけ?」とやってきては長話をしていた。
「なんか ようけ?(何か用)」と母が聞けば
「そんなとんじゃくじゃござんせん!(それどころではない)」
といいつつ どうでもいいことを半日は話していたようだ。

海沿いから1本中の道に入る。国登録有形文化財「眼鏡橋」がある。
下を「えちぜん鉄道が走る」
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「この橋は、北陸線から三国へ支線が敷設されたことにより、大正2年(1913)に建設された 橋の形式は、斜角右60度の斜めアーチ、半円断面のトンネルで 煉瓦造りの「ねじりまんぽ」と呼ばれる珍しい技術を採用している。
 この技法は、明治初期からの約40年ほどの期間に、関西を中心に用いられた 現在、全国に29箇所しか確認されてず 県内ではこの橋のみである。 平成16年(、国登録有形文化財に指定された。」 説明版より。
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全景を撮ろうと思うのだが 草が繁っていたり布団を干していたりで近寄れず。
三国湊駅まで行くことにした。
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 歩いているとようやく老婆に出会った。
旧型のポストが珍しくて写真を撮っていたとき
「めずらしいやろぉ。ここだけや。もうここしかないんやよ。」そう言って立ち止まってくれた。
店先には 動かぬ老人が一人座っていた。
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この店は 夏の海水浴シーズンには 店先に浮き輪や麦藁帽子が並びアイスやカキ氷 ジュースなど並べてした店。ここまで歩くと 海はもうすぐ・・と実感したものである。
子供の頃は遠いと思っていた海までの道も 大人になって歩けばたいした距離ではないと感じた。

駅へ行く。
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アテンダントさんがいて 笑顔で挨拶してくれました。
「眼鏡橋の写真がとりたいので 入っていいですか?」
というと 快くホームに入れてくれました。
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「ありがとう!」
このえちぜん鉄道のアテンダントさんを描いた「ローカル線ガールズ」は面白かったですよ。
廃線から市民の願いを受けて奇跡の復活させ えちぜん鉄道アテンダントたちの乗客を 「もてなす心」を描いた実話です。
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今は乗れませんが東京に戻る日に ちゃんと乗ります!!

この先にあるは 魚市場と海水浴場。
さて・・・次は。。。
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2012年04月11日

福井県三国町紀行8 出村遊郭跡3

その前に 訪ねたい場所があったので 行ってみた。

遊女たちが通ったという 鉱泉湯跡。
この鉱泉湯は火災で焼けて 後にアパートとなったがそれも今はない。
子供の頃 鉱泉湯に入ったことを覚えている。
そこからすぐのところに 三国座があった。
こちらも 解体されアパートとなったが近年 火災で焼けて現在は 空き地となっている。
そのすぐ後ろの 小路に入ると 小さな弁天さんがあり 遊女たちがお参りしていたとのことである。出村の遊女たちの出身地は全国津々浦々だったらしいが 楼主は体を気を使ったり 将来のために裁縫を教えたり 自立に備えさせたという。
この出村の人たちは 気軽に遊女に声をかけ 話をしたというのも一つの特徴である。
その証拠に 「べっぴんさん」と呼んだり 名がわかっていれば 〇〇さん と呼んでいたそうだ。わけへだてなく 付き合っていたという。
出村の繁栄は 遊郭にありと自覚していたのであろう。
公娼制度が廃止され 遊郭が消えたあと地元に残り 好いた人と結婚したり お妾さんとしてそのまま自宅を与えられて子供を生み 生活していた人もいる。
時折 大人たちが「あそこの〇〇さんは 女郎だった・・とか二号さんだ」とか言う噂話が聞えてきても それは侮蔑の意味ではなく ごく自然な流れから出た話であるから子供の私たちの耳にも入ってきていた。小さな子供からみれば 遊郭だの 女郎だの 二号だのの意味は全くわからないのであるが、その意味がわかる頃には 町はすっかりひとつになって どこがどうなのだかわからなくなっていた。

・唄の上ハ町 情けの出村 わづか隔てて 地蔵坂(三国節)

2月に洲崎遊郭跡を歩いて ブログにも書いたがその遊郭の様子とは少し違う感じがした。

さて 川沿いに出ました。
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水のある風景はやはり好きです。
地元では 九頭竜川とは言わず 「大川」と言っていた。隅田川も「大川」と言われていました。
今は堤防があって少々風情がなくなっているが洪水に悩まされていたから仕方がない。
川沿いの風景もすこしずつ変化してきているようですね。

貰った「三国湊街中散策マップ」の中にあった写真を紹介しておきましょう。
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三国湊駅のほうに向かいます。
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2012年04月10日

福井県三国町紀行7 出村遊郭跡2

神明神社の周辺にも 遊郭楼跡らしい建物が残っている。
昭和の出村遊郭。なぜ「出村」なのか?滝谷が丸岡藩の飛び地だったからか。
遊郭が「滝谷出村」の中にあるからそう呼ばれて来たということ。
旧幕藩制時代に 九頭竜川河口の沿岸地域に 福井藩(三国湊)と丸岡藩(滝谷村)の境界線があった。丸岡藩の中に遊郭があったとのこと。詳細は調べていないので私にはわからない。明治4年二つの藩の港は坂井港と統一される。

北前船の寄港地として知られた三国湊。 寛永年間には船問屋が57軒も軒を連ねていたといい、出村、上町、松ヶ下といった場所を中心に花街があったといい、三国の遊女は「三国小女郎」と呼ばれ、三国節の中でも唄われています。

・酒は酒屋で 濃茶は茶屋で 三国小女郎は 松ヶ下。
・義理に迫りし三国の小女郎 涙流した思案橋
・江戸の吉原 三國の小女郎 初にむかへて 出來た遊廓
・三國小女郎の その昔より眞情づくなら まけはせぬ
・小女郎一人に 新兵衛さんが二人 どうせ一人は 波の上(玉屋新兵衛と出村新兵衛)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1309649/1
国会図書館デジタル化資料 桃井若狭之介・三国小女郎・玉屋新兵衛 若狭・越前

http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-big.php?shiryo_no=006-2724
早稲田大学演劇博物館浮世絵閲覧システム =「玉屋新兵衛」と「三国小女郎」

上記サイトで三国小女郎の絵を見ることができます。

また 「金が降る降る 三國の出村 船が出るたび 入るたび」 と唄われ繁栄ぶりが伺える。

{三国湊では、当初松ケ下にあったが、湊が西へ伸びるとともに、西へ移動し、万治二年に町立てされた上新町に牛頭天王宮が勧請されるとその周囲に集まるようになった。また、それに続く丸岡藩領の滝谷出村にも遊女町が形成された。
寛政元年の上新町の戸数は高持七八軒、無高三二二軒、合計四〇〇軒であり、人口は男五一〇人、女六四〇人であった。そのうち遊女持の家(置屋)が二二軒、遊女は一〇〇人であった}(『三国町史』)。

{滝谷出村については、享保五年に「家数三百七十、傾城八十五人、流行長谷川」という記録がある(『三国町史』)。この長谷川というのが、俳諧で著名な哥川であり、彼女のように相当な教養を身につけた遊女もいたのである。}(出所)『福井県史』より。

北前船で繁栄した町も鉄道網の普及や 道路整備で次第に衰退するが 
昭和33年3月31日 公娼制度が廃止されるまで 出村遊郭は残っていた。

神明神社近くの滝本区といわれた地区には 現在でも数件が当時のまま残っているそうです。
その中の一軒です。
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まだ 人が住んでいるので詳細は書きませんが 1軒に7〜8人の遊女を抱えていたそうです。 正面は格子戸。笏谷石を敷いた広い玄関。入り口座敷に 長火鉢のある座敷。玄関入るとすぐの階段を登ると4畳半の小部屋が7つ8つあります。
ここは知り合いの家で 何度か行きましたが 日の当たらない薄暗い家だったのを覚えています。

遊郭跡だったせいか 昔は飲食店やスナック、バー 楼を改築したような旅館がありましたが 歩いてみるとほとんど 営業はしていません。更地になっていたり 新築されたりしていました。

この民家をまっすぐ行くと九頭竜川沿いに出ます。
このまま 三国湊を歩いてみましょう。
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2012年04月09日

福井県三国町紀行6 神明神社

ゆるやかな坂を下る。交差点右は旧三国北小学校。私の母校である。現在は みらい館。残っているのは校庭の桜並木だけで 学校は高台に移転している。しかし卒業記念植樹や記念碑やなんてのはどうなったのだろうか。うやむやになって壊されてしまったのだろうか。面影すら無い。
左に下れば 川のほうに出る。正面突き当りが神明神社。
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子供の頃にはこの馬はなかった。台座だけが残っていてその上に乗って遊んだものだ。
戦争中に金物として供出されたとのことだった。みな「おしんめさん」と親しみをこめて言っていた。「お神明さん」が「おしんめさん」になったのでしょう。

三国湊では三国神社が指定県社であり、神明神社は指定郷社である 。
明治の初め福井藩であった三国と丸岡藩に属した滝谷が合併し新しい三国となった時、話し合いで三国を代表する神社として三国神社が決められ、神明神社は近郷18ヶ村の郷社となったそうです。
神明神社は400年以上前から存在したといわれ、祭神として天照大神と継体天皇を祀っている  継体天皇の離宮があった清王枚岡神社の流れを継ぐとされる。
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神明神社は境内社も多く、比古那神社(少比古那命)、金刀比羅神社(大国主命)、稲荷神社(豊受姫神)、八幡神社(応神天皇)、辰巳(巽)川神社(日本武尊)、大玉神社(聖徳太子)、味坂神社(薬師如来)の7社がありがあり三国湊では最も多い。
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三国はもともと信仰心の厚い地域である。寺社の数もとても多い。
少し歩けば あちこちに 寺社がある。
神明神社にも祭礼がある。
その折 奉納される舞いが「浦安の舞」である。
この舞は昭和15年皇紀二千六百年祝典の際に作られたもので、心安(うらやす)の国(大和の国)の安寧のために舞うもので 氏子の神明・滝谷と新興の住宅地であるつつじヶ丘の三国湊では四の部といわれる地区の女子が舞うことになっている。私の時は 小6の女子と決まっていたのだが 今はどうなのでしょう。私も舞いました。恥ずかしながら 当時の写真です。鈴を鳴らす舞もあります。
当日のため 毎晩練習したことを思い出しました。楽しい思い出です。
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顔は・・・ ごめんね!

このあたりも 昭和の出村遊郭の名残のある場所です。
通りに出て 再び出村遊郭跡を散策してみましょう。
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福井県三国町紀行5 旧地蔵町延命子安地蔵尊

見返り橋から坂道を登ると 広場がある。ここが地蔵尊。
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泰澄大師が717年に彫刻した延命地蔵菩薩が祀られています。
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子安地蔵尊は別の小さな御堂に祀られていました。小さな覗き穴があって お地蔵様を拝むことができましたが大きな石のお地蔵様で赤い涎掛けと帽子をつけていました。相当古いものだとわかります。「お地蔵さん」と地元の人は呼びます。
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安産祈願のお地蔵さんとして地元の人々に親しまれ愛されているようです。
現在は神明という地名は その前には 橋本区、それ以前は地蔵町といわれたようにこのあたりはお地蔵さん名義の土地が多く借地として家を建てているところが多いそうです。
もしかしたら昔はあたりがお地蔵さんの広大な敷地だったのかもね。出所不明の古地図見つけました。
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年に一度 7月にお地蔵さんのお祭りがあります。本御堂は泰澄大師が祀られているとか書いてあるものも見かけられますが 地元の人に聞けば 不思議な石が安置されているとのこと。
天変地異 厄災 の前触れに 湿気もないのにその石が濡れる・・まるで泣いているかのようになる、との言い伝えがあるそうで お祭りの時にはその石を見ることができるそうです。私も見てみたいものです。
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本当かどうかはわかりませんし 誰がその前触れをみたのかもわかりませんけど そう信じられているからには昔そういう事実があったのかもしれません。でも 現在は本尊として 大切にされいつも見ることができないから前触れがあってもわかりませんよね。

地蔵町の人はとても長生きです。お地蔵さんのおかげです。と地元の人が言っていました。
実はこのお地蔵さん。子供の頃の私の遊び場の一つでした。
子供会などの行事で集合するのがこのお地蔵さん前の広場。
昔は本堂の後ろには何もなかったので 柵を乗り越え 裏に廻ったりして遊びました。
そんな大切な建物だとも知らず 遊んだり走ったり 登ったりしていました。
ですからとても思いで深い郷愁のある大事な場所です。
お祭りには 隣の会館が開かれ 催しがあり 本堂も開かれそのときだけ上がることができましたね。お参りに来る人お賽銭を入れると 大きなドラのようなものをごぉ〜〜〜んとたたく係りの人がいました。
この広場の先にある道に入ると 旧地蔵町メインストリート。
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緩やかに道は下り その先には神明神社があります。そちらに向かいます。
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2012年04月08日

福井県三国町紀行4 出村遊郭跡1

前回の写真の履物店と並んだ3軒の民家の奥に坂道がある。
この角あたりに福井藩の木戸ノ口(通用門)があったそうです。
一番奥の紅白の標識あたりを含み以南 福井藩。以北が丸岡藩と分かれていた。
坂道は 通称「新道」と呼ばれ おそらく日和山を削って 木場町を埋め立てたときに新しく出来た道なのであろう。
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昭和の三国出村の遊郭 岡 安夫 氏 資料より 日和山図

新道を下ると九頭竜川そば 丸岡藩側に思案橋がある。
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出村の色町を前に 行こうか戻ろうか思案した場所だとか言われているが 思案橋の名の発祥は吉原遊郭らしい。ここも手前きわ以南が福井藩、以北丸岡藩であった。

・出村思案橋 戻ろか行こか 何の思案橋 行くがよい〈三国節)

この思案橋から少し行くと 昔は芸者置屋、料理屋、飲食店、雑貨屋、履き物屋、道具屋などさまざまな店が立ち並んでにぎわっていたそうである。
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そんな中のひとつが 三好達治が愛した 元料亭「たかだや」である。
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その近くには 三国詩歌文学館碑(全12基)の一つ 哥川の説明版があった。
遊女を退いたあとは「豊田屋」という遊女屋のあるじとなったとか。
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このあたりの民家ですが趣が残っていますよね。
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高田屋さんの少し先 地蔵尊に登る坂の手前 辰巳川にかかるのが「見返り橋」
「見返り橋」の名のとおり出村で遊んだ帰りに、この橋の上で楽しかったことを振り返ったことから付いた名らしい。しかしその辰巳川は幅2〜3mほどの小さな川である。一時ひどく汚染されたが 現在水質はよくなっているようで小魚がいた。
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一時 「火の太鼓」の映画の撮影のため赤い橋になっていたが 後に普通のガードレール。最近このようなものになったとか。

さて次は この坂を登り 地蔵尊へと向かいます。
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2012年04月07日

福井県三国町紀行3 古い町並みを歩く

旧岸名邸にみられるように 三国では、母屋の間口は四〜五間が一般的で川沿いの家は奥行きが深くウナギの寝床といわれる細長い家が多い。
一階はみせ・おえ(居間)・ざしき、二階はざしき、の間取りが一般的である。
商家は 蔵 荷蔵を持ち川まで通り抜ける作りであった。
九頭竜川沿いには連続する無数の蔵が並んでいたが 次第に解体されたり 駐車場になったりして町並みは変化している。

旧岸名邸や旧森田銀行の回りにはまだ 当時のままの家屋が残っている。
あいにくの暴風で 遠方には出かけられなかったが 帰宅途中に写したものです。

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骨董屋という看板があるが ここは酒店になっていたと思う。
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少しだけ見えるのは 内田家跡の大きなタブノキ。内田家の祖は朝倉家の家臣と伝えられ、元禄16年(1703)に三国湊へ来住。屋号を室屋と号し廻船業を営み財を成しました。
住居跡には 看板とタブノキだけが残っていました。ここは明治15年に開設された町立三国病院が建っていた場所だと記憶している。

「6代目当主惣右衛門は天保の大飢饉に際して三国神社の造営設備を主唱実行し、窮民を救済するという大きな功績を遺しました。今は屋敷跡のタブノキがその繁栄の面影を伝えています。」
(みくに歴史を生かすまちづくり推進協議会立看板より)

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三国湊座。三国の情報発信拠点みたいな場所で レンタサイクルやお土産・飲食、イベントスペースとか。ちなみにその昔 三国座という映画館があった。
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花街のあった 三国では芸者さんが多かったです。小唄 三味線 俳句 太鼓や踊り などなど多才な技能を身につけていたそうです。縁あって三国お座敷芸伝承会が出した小さな本を見ましたが 吉原に負けず劣らず 多芸な伝承が文字と絵で描かれていて面白かったです。相撲まで座敷で見せたのですねぇ。三国お座敷芸伝承会では三味線の体験などもできるそうです。
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骨董屋さんの看板が残っています。
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普通にすんでいる家屋。
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高見順の生家。当時の福井県知事坂本ソ之介の私生児として生まれた高見順 「・・・ 祝福されない誕生を 喜ばれない 迎えられない 私生児の ひっそりとした誕生 ・・・」「私は歓迎されない者として生まれた」といっているように、誕生のことについて生涯苦しんでいた 「故郷喪失の荒涼たるなかに行きてゐる」
などと描いているが ふるさとへの思いは強かったのだろう。
「おれは荒磯の生まれなのだ
おれの生まれた冬の朝
黒い日本海ははげしく荒れていたのだ
怒涛に雪が横なぐりに吹きつけていたのだ
おれが死ぬときもきっと
どどんどどんととどろく波音が
おれの誕生のときと同じように
おれの枕もとを訪れてくるのだ」
という詩を書いている。荒磯遊歩道にこの詩の文学碑があります。
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その生家のすぐ近くにある蕎麦屋さんです。
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玄関前にある 蕎麦挽きの石。
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越前おろし蕎麦を頂きました。
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近くの履物屋さん。
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その前の民家。

さて次は出村遊郭を歩くことにしましょう。
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2012年04月06日

福井県三国町紀行2 旧岸名邸

三国町には、片流れ2階建ての前下屋を持つ「かぐら建て」という特有の形態を持つ妻入りの町家がある。また、平入りの町家も多く残っていて、三国特有の町並みが見られる。
「かぐら建て」はとくに川方の問屋の建築に多くみられ、商家の格式の高さを示している。

材木商だった旧岸名邸は 三国町の伝統的町屋形態である「かぐら建」の典型的な建物です。、大正2年の大改修でほぼ現在の形となりました。外壁は土塗壁に下見張、屋根は越前赤瓦で棟押えは笏谷石、用材は秋田杉や青森ヒバ等が使用されています。
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カグラ建て母屋
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玄関前の青い石は福井県産特有の笏谷石。
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みせにが車たんす。車のついたタンスで火事・水害のとき大事なものを運び出せます。
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おえには船箪笥。船が転覆してもこの箪笥は浮くそうです。家紋入りで持ち主がわかります。
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笏谷石の通り庭は海側へと通じている。海側には蔵がある。へっつい(かまど)や流しが左側に、右は座敷となっている。
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トイレはモダンな瀬戸焼。風呂は五右衛門風呂でした。201242mikuni43.JPG
代々使った産湯の桶もありました。
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1F座敷には 紫檀の座卓と三国仏壇。
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背戸といわれる中庭。これは火事の時延焼を防ぐ役目や 長い家屋のため 明かり取りの役目があります。
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2Fには哥川のコーナーや掛け軸などが展示されています。
滝谷出村荒町屋の抱え遊女であった「哥川(かせん)」は「永正寺」住職の巴浪から俳諧を学んだ。哥川は教養豊かで容姿端麗、茶、華、香、書に通じ「奥そこのしれぬさむさや海の音」など多くの名句を残した。
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奥の間は 立机式(宗匠の就任式)の再現。この家の先祖が「日和山吟社」の初代宗匠で300年続いている。1707年に芭蕉十哲の一人である美濃派の各務支考が三国湊へ来たのがきっかけである。
壁の色は 群青 紅 黄土色で当時としてはモダンな作りである。
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玄関の出入り口はくぐり戸になっていて 荷を運んだりするときには紐で上に上がるしくみです。
これを「蔀戸」(しとみど)と言います。
水琴窟もあるそうですが見せてもらえませんでした。

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これが 入場するともらえるパンフレットです。

スタッフの人は問えばきちんと説明してくれますし 案内もしてくれます。

次は町並み散策です。
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2012年04月05日

福井県三国町紀行1 旧森田銀行

田舎に帰省してきた。
ぶらりと街中を歩いてみた。
子供の頃には 気が付かなかったいろいろなものが目に付いた。
あんなに遠いと思っていた 町の中が意外と狭かった。
急で長いと思っていた坂が緩やかで短いのだと気がついた。
大人になって 別の感覚で見るというのもまたいいものだと気がついた。

さて三国町といえば江戸時代から 北前船の寄港地として栄えた港町。
そんな栄華の名残りがある町。豪商がいたりして栄えた町で 色街・花街ありの歴史もあり特徴的な町並みが残る町でもある。また 文化人が多く滞在したりで文化的歴史も残る街である。

詳細は後に語るとしてまずは 登録有形文化財である 「旧森田銀行」から。

廻船業生業とした豪商であった森田家が明治27年創業したのが「森田銀行」であり1920年に完成した鉄筋コンクリート造2階建の近代建築の本店。
外観は西欧の古典主義的なデザイン、内部は豪華な漆喰模様があります。内部の装飾も細かい細工が施されています。
設計:山田七五郎 棟梁:四折 豊
鉄筋コンクリート2階建て 陸屋根、塔屋付き、タイル張り、ルネサンス形式

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高杯冠型装飾(復元)
森田銀行は後に 福井銀行と合併し1994年まで三国支店として営業していました。
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煙突(復元)
子供の頃はごく普通にこの銀行に行っていました。
文化的な価値のある建物だとは誰も教えてくれませんでしたし そこにあるのが当然という感じで古臭い建物だな〜程度にしか思っていませんでした。
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外観はレンガ風だが実はタイル張り。
こんな貴重で素敵な建物だと大人になってはじめて知ったわけで 内部を詳細にみたのも初めてでした。こじんまりとしていますが 都会に残っている明治の建物に負けない立派なものでした。
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吹き抜けの天井漆喰の装飾 アカンサスのモチーフのように見えるが・・
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マーブル仕上げの柱 大理石の柱でなく、漆喰の左官仕事!
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二階は回廊になっています。丸の内の明治生命館の小型版という感じです。
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会議室
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腰板の象嵌
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戸棚の内側は布地。モダン!
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カーテンボックス上部の象嵌
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花綱飾り彫刻
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階段手すり上部
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寄木細工や七宝焼きも・・
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漆喰の装飾がみごとです。
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外観は左右対称のつくりです。

人は少なくゆっくりと見学できましたし 案内の人も親切でした。
クレームがひとつだけ。
ギャラリーとして貸し出して催しを行っているとかで 灯りの展示会をやっていましたが 特徴ある長い受付のカウンターや古い暖炉の上にも作品があって どうにもよくなかった。
写真を撮る気にもならなかった。
遠くからの見学者は 内部の造作を見に来るのであって そこに新しいものがあれば興ざめします。
まぎらわしく展示してあるから余計 イラつきました。二階からの吹き抜け部分にもしっかり展示品があって 空間の美を写すことはできませんでした。文化財として価値のある建物なのだからこういうやり方は考えたほうがいいです。

次は旧森田銀行をあとにして 旧岸名邸へと向かいます。
posted by うめのはな at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2012年02月07日

越前坂井うららの極味膳

福井県坂井市の食材を使った膳料理を市内50店舗(うち17店舗は越前がにを使った「かに膳」)が提供する「越前坂井 うららの極味(きわみ)膳」の販売が昨年末で2カ月がたった。販売数は2271膳、売り上げは約626万円で、事業を展開する坂井市商工会は「滑り出しとしてはまずまず」

という記事を見た。
「越前坂井うららの極味膳 」というHPもある。
これは おいしそうで食べてみたい!
何より地元産の食材というのがいい。
新鮮だし水もなじみ美味しいと思う。

参加条件は

第 一 条 地域の素材を活用した料理であること (地産地消、伝統食文化)
第 二 条 通年で提供できるものであること (ただし、季節ごとに食材の変更は可能)
第 三 条 市内で調理し、かつ提供されるもの (地産地食)
第 四 条 オリジナリティにこだわり料理から地域の食文化がイメージできること (食文化の再発見)
第 五 条 商品名には必ず「膳(ZEN)」の言葉をつけること 

だそうです。
地産地消の極みみたいで食育に良い。
ちなみに うらら という言葉の意味は 方言で「私たち」という意味。

あの原発事故後 食材選びに悩んでいます。
西日本産があれば 多少値段が高くてもそれを選びます。
しかし 悲しいかな・・・それは少ないです。関東モノが多いです。

「JA越前たけふ」が全農を離脱したせいか 時々 JAえちぜんブランドの ネギやサトイモ が置かれています。でもすぐ売れてなくなります。武生のえちぜん蕎麦もすぐ売れてなくなりました。

全農の縄張りやしばりがあるせいか なかなか福井の農産物は入ってきません。
米は 富山産は見かけますが 越前コシヒカリは見かけません。
魚も 石川や富山は見かけますが 福井というのはめったに見かけません。
どうしてなんでしょう。

関東の人は食材を選ぶ人がかなりいます。
多少高くても少しでも安全なものをと思って買います。
西日本のものはすぐ売れてなくなります。
政府や自治体や農協の基準地以下は信用しません。
抜き打ち検査で やはり出てました〜ってこと多いですしね。

もっと福井産のものが食べたい・・・

「さらなる販売数増に向けた取り組みを計画。2月に、ふくいの食アンバサダーでフランス料理シェフ三國清三さん(東京都)と県の健康長寿ふくい推進特別アドバイザー、服部幸應さん、福井市出身でふくいの食アンバサダー、友田晶子さんを招き、極味膳の食べ歩きテレビ番組を制作、放映する。」

なんて取り組みやるそうですが
それなら 東京のほうに野菜出荷してくれませんかねぇ〜

三國シェフのお店なんて予約じゃないと食べれないし 高級すぎますし。
普通のものを普通に買って食べたいというのがささやかな願いです。

春に帰省したら 極味膳 どこかで食べてみよう。。。
posted by うめのはな at 11:25| Comment(2) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2012年01月22日

三国港のまないた石

子供の頃 何度となく言い聞かされていた奇妙な石についての言い伝えがある。
まないた石というそうだけど 昔 悪い殿様いて その殿様の側室を笑わせるため 妊婦の腹を切り裂いていた 石だという言い伝えです。その腹を割いた石が まないた石とのこと。 悪名高い 松平忠直である。

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まな板の部分1枚が長辺約180cm、短辺約160cm、厚さ約40cm。
福井市街南西の足羽山で産出される笏(しゃく)谷(だに)石でつくられている。
実はこの石 昭和4年以降3ヵ年の事業、三国港の工事の際引き上げられた石だそうです。

表の銅版に彫られた内容

 「三国港修築記念碑 
 昭和四年度以降三年継続事業として、工事費拾四万円をついやし、河口の水面五千余坪を埋めたて築港を造り、商業、漁業の発展を図る 
 市村慶三・斎藤直橘・小浜浄鉱・大達茂雄(歴代福井県知事名)」

裏の銅版に彫られた内容

「この石には不可思議な傳説が二つ語り傳へられて居ります そのことを私は耳に致しましてから再度の夢みにどうかしてこの石を明るい世界へ浮ばせたいと思ひまして近親のものにもはかつて記念の碑を建てることに致しました

傳説の一
北海道のさる物持から庭石にと注文をうけながら年に一度の出船までに間に合はなかつたのでそのまま港口に捨てられ長い恨をのんで埋もれてゐたのだ

傳説の二
福井藩忠直卿の亂行沙汰の節はらみ女腹切りの臺石に使はれてゐたのを恨の妖魔として河口深く埋もれてゐたのだ

漁港修築の記念に 謎のまま 永遠に残したいものと希つて居ります

昭和七年 四 月 十 日
   株式會社 飛鳥組
     代表者 飛 鳥 文 吉」

はたして真実はいかに?
でも地元の言い伝えは 腹きり石なんですよね・・・・
posted by うめのはな at 10:54| Comment(2) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2011年03月09日

ふくい南青山291

根津美術館から246号に向い プラダのビルの信号を左に入る。
少し歩いたところ 南青山会館前に ふくい南青山291という 福井のアンテナショップがある。
福井の特産品 名産品などを置いている店。

食べたいものがあって寄ったのだけど ちょっと残念な品揃え。
店の半分は和紙だの絹織物などの 地場産業・伝統工芸品の売り場。
食品は半分くらい。

まず越前蕎麦。
半生でもいいから 殻ごとひいた10割の黒い越前蕎麦が欲しかったのに置いてなかった。永平寺蕎麦の乾麺はあった。越前そばでも 白いそばしかなかった。

羽二重餅。
賞味期限が 2日しかないもの、それも売れ残りというような数しかなかった。種類は1つ。
いつも食べている 有名な店のものはなかった。いつものは真空パックなので日持ちして お土産やギフトに都合がいい。

水羊羹。
1種類しかなく 残り1箱しかなかった。
その1箱を買って帰り 食べたけどこれは水ようかんではない。
井村屋の缶入りようかんみたいで 寒天が多く固め。
いつも食べている のどごしつるりんの水羊羹ではなかった。
友達も楽しみにしていて 買ったけど残念がっていた。

焼き鯖寿司。
ハーフが1点売れ残っていただけで 買う気にもならなかった。
夕食に買って帰ろうと思ったのに残念。
他に食べ物はなかった。

けんけら。
これも袋小さめでいつものとは違う。1種類しか置いてなかった。残念。

他にもろもろ買いましたが なぜ特定の業者のしか置いていないのか。
これはもう 味で選んでいるのではなく しがらみで選んで置いているとしか思えない。強いコネでもあるのだろうか。

せっかくのアンテナショップ。ふるさとの味を求めて または お土産に買って美味しかったから また食べたい・・そんな人が来る店ならば 買う人の気持ちになって品を選んだらどうだろうか・・・
それとも宣伝のためだけで 商売は二の次なのだろうか。。。

観光のアピールも目につかなかった。

もしかして 入札制度なのだろうか・・・。
などといろいろ考えてしまった。

せめて越前蕎麦でも食べたかったのに 食べる場もなかった・・・
有磯亭という地元の料理店があるのだけど クローズしてました。

そして 場所が悪い。
南青山、しかも246から5分も入った路地裏の店など よほどの用がなければ 行かない。
東京駅などのまわりにある各県のアンテナショップならついでに・・という気持ちにもなるだろうが・・・・。

店員も愛想のない男女二人がいて これはバイトか・・地元の人じゃないんだろうなぁ〜などと思って どうせ商売するなら 愛想いい もっと地元の商品をわかっている人を置いたほうがいい。などと つい思ってしまった。

県の人はどんな風に思っているのだろうか・・・。ビジネスとしてなりたつことは考えていないのだろうか。こういうアンテナショップは人の集まるところにあるべきだと思う。新潟は表参道ヒルズのすぐそばだし 八重洲駅前は北海道、など東京駅界隈が多い。
なぜ南青山なんだろう。それも表通りではないところに・・。
場所代もそう安くはないだろうに。
聞く所に寄れば 20年契約で移転できないとか・・。
誰がどんな風にして この場所と決めたのだろうか 気になるところです。

都会人をなめんなよ〜
ふるさとのものなら 何でもいいというわけではないんですよ。
忙しい都会人だからこそ 便利な場所にあるべき。
東京人は 田舎人と違って南青山なんぞに反応はしないです。

291は ふくい と読ませるつもりだろうけど ぱっと見て にくい にしか見えなかった。w
ネーム付けもセンスがよくないなぁ〜と思いました。
福井の人 ごめんね〜

悪口じゃないんだよ。

良くなって欲しいから気が付いたこと言っているだけですよ。
だって私のふるさと だもの。
posted by うめのはな at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2010年11月26日

サンセットビーチの夕日と三国町

風車をみたあと 日本海側に出て海沿いに車を走らせた。

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越前松島 東尋坊 雄島 ナホトカ座礁の場所
国民休暇村を通り過ぎるが
海沿いの松林の 松枯れには少し驚いた。
枯れて切られた松が多かった・・・
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海沿いを走ると
夕方になり夕日がまぶしかった。
福井三国海水浴場は サンセットビーチと名を変え
夕日の沈む海辺としても有名になった。
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海辺には温泉施設 ゆあぽーとがあって その大浴場からも
沈む夕日が見える。
この日は休日で 駐車場も満車。

三国港の魚市場沿いの道路は 蟹などのお土産を買う車で
いっぱいだった。

温泉は諦めて 戻ることにした。

名物 水ようかんと 三国饅頭を買って帰る。
この水羊羹は 普通の羊羹とは違い
冬だけのお菓子です。

とても柔らかでのどごしにつるん。水分の多いようかんです。
あずきと黒砂糖ですが、味も甘すぎず美味しいです。

冬になるとどこの家でもこたつで 水ようかんですね〜

三国饅頭は 酒饅頭で皮は薄く甘すぎないあんがびっしりで
美味しいです。
甘酒に小麦粉を加え発酵熟成させた種で包んであるのでお酒独特の
甘い香りがします。

福井県では結婚式の際にお嫁さんを迎える家の2階の窓から
酒まんじゅうをまく『まんじゅうまき』という儀式があります。

なつかしいふるさとの味がしました。

みあげれば丘の上には みくに龍翔館(三国町郷土資料館)。
明治12(1879)年建築の五層八角形の龍翔小学校の外観を復元した総合博物館。
北前船関係の資料や自然、歴史、民俗、文学、美術など三国の全てが分かる
様々な資料を展示している。

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三国湊が最も栄えた明治12年(1879年)オランダ人エッセルによって
デザインされた木造五階建八角形というユニークな形状の小学校
「龍翔小学校」の外観を模して復元し、
三国全体を見渡せ白山を遠望し坂井平野を眼下に見下ろす緑ヶ丘の高台に
鉄骨鉄筋コンクリート造で完成、昭和56年(1981年)11月に開館しました。

そのうち機会があればまたのんびりいくことにしよう。
今回はお見舞いのための急ぎ旅で時間がなかった・・・。
posted by うめのはな at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2010年11月25日

北潟湖畔の風車

福井県と石川県の県境にある北潟湖畔に大きな風車があるというので
見に行った。

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写真の島は 鹿島の森。

大聖寺川の河口と北潟湖に囲まれた陸続きの島は、
八幡社(鹿島神社)の社叢として原生林のような森が守られ、
国の天然記念物に指定されています。
標高30m、周囲600m、面積約3haでタブノキなどの暖帯性照葉樹などが茂り
数百年は人の手が入っていないという原始の森だそうです。

湖畔の反対側の丘陵地に風車がありました。

この風車は、電源開発株式会社が福井県あわら市富津地区に10基設置したもので、
その最大発電量はあわら市内の全世帯の1年間分の消費電力量をまかなう
くらいだそうです。

大きな風車ですが 本当にゆっくりと廻るので遠くから見ると
止まっているようにも見える。
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加賀市と日本野鳥の会が飛来する野鳥と生態系に悪影響を及ぼす恐れが
あるとして、J-POWERに建設場所の変更を求める要望書を提出したそうです。

米国でのバードストライク総数は年間約10億羽であるが、
風車によるものは0.01%であり、窓ガラスなどに比べて
きわめて低い数字であるといえる。とある。
また英国王立鳥類保護協会も、「適切に設置された風力発電所は、
鳥類に大きな脅威を及ぼさないと考える」と表明している。

あわらの風力発電では、ガンが渡ってくる時期の朝夕に、
風車をとめて対応するそうです。

突如あらわれる風車の群。
すぐ近くまで行くことができます。

まわりが何もない小高い丘の上で 畑の真ん中に ポツンポツンと
建っています。
どこか 他の国みたいな景色でした。

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大きいなぁ〜と近くで見上げましたが 全体像は
カメラには収まりませんでした。

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また日本海の海辺からも見えました。

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福井県浜地海水浴場からみた風車です。
posted by うめのはな at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2010年11月24日

えちぜん鉄道

連休を利用して福井に行った。

昼過ぎに出かけ 新幹線で米原、特急しらさぎに乗り換え
福井駅。
そこからえちぜん鉄道に乗った。
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福井駅東口から 地上に出て通路を渡ると小さな駅。
昔はJRから同じ構内のホームに乗り換えられたのだけど
今は JRのホームが高架になったので いったん外に出なく
てはならない。
乗り換え時間が短いときは きついかも。

窓口で切符をかわなくてはならない。
これは手売りの紙切符。
いまどきめずらしい。

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なにせ1両しかない車両で10分ほど前から
改札口に並ばないと座れそうもない。
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基本的にワンマン運転だが、昼間の列車には女性アテンダントが乗務し、
乗車券の販売・回収や車内アナウンス、観光案内、お年寄りの
サポートなどすることで 有名になった。

電車は福井市内を短い間隔で駅に止まり
単線のため 信号待ちなどもあって 都会では
考えられないほど ゆっくりと走る。

市内をすぎると まわりは田んぼばかりで少し
スピードをあげる。

終点は東尋坊など観光地の三国港駅だけど そこまで
750円だとか・・・

営業キロ 25.2km
駅数 22駅
平均駅間距離 1.2km
所要時分 44分
表定速度 34.4km/h

東京に住む人にとっては時間がかかり運賃が高いと感じるが
沿線の人にとっては 貴重な通勤 通学の足である。

2001年京福電気鉄道越前本線列車衝突事故でしばらく
休業していたが えちぜん鉄道が買取り2003年開業した。

夕方の便だったので 乗客は地元民らしきひとたち。
女子大生らしき3人連れと隣り合わせたけれど
ローカル色豊かで ほほえましかった。

何もかも 何年かずれているなぁ・・・と。。。

30分に1本のローカル電車は のんびりまったり走り
無人駅が多いのか後ろの扉しか開かなくて運転手が切符を
回収したりのワンマン運転でした。
posted by うめのはな at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事

2010年08月19日

福井県立恐竜博物館

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田舎に帰省したので皆で
福井県立恐竜博物館に行った。

恐竜を主たるテーマとした自然史博物館である。
展示内容の量・質共に極めて高く
、日本における恐竜博物館の代表。
世界でも数少ない恐竜博物館を代表してカナダにある
ロイヤル・ティレル古生物学博物館、
中国にある自貢恐竜博物館と並んで、
世界三大恐竜博物館と称される。

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広大な無柱空間の館内は 明るく斬新なデザインで
建築設計は黒川紀章。

空間を取り巻くスロープの階層は
表参道ヒルズに似ているが 
こちらのほうは2000年夏の
開館で 先である。

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所狭しと恐竜骨格や化石・標本、ジオラマ、
復元模型などが展示されている。

車で行ったが 途中から駐車場町待ちの行列。
しかたなく並ぶ。
1kmは並んでいただろうか。

ようやく入館できたが 混雑しているので
常設展だけ見ることにした。

銀色に光るドームの内部にある展示室は、
「恐竜の世界」「地球の科学」「生命の歴史」
の3つのゾーンから構成されています。

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FLASH不可ですが 撮影はOKでした。
40体もの恐竜骨格をはじめとして千数百もの標本が
ありました。
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好きな人はかなり楽しめます。
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どきどき恐竜発掘ランドでは岩石を削り化石を
見つけ出す 作業をすることができるそうで 
大勢の子供たちが
体験していました。

帰り道 越前竹人形の里へ寄り
竹田にある 大きな水車を見て戻りました。

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posted by うめのはな at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ふるさと記事