2012年09月01日

空飛ぶ広報室

  空飛ぶ広報室    有川浩/著   幻冬舎 2012.7

航空自衛隊の広報室を描いたものです。昨年の夏に発売予定でしたが あの東日本大震災で発売を延ばしました。
最終章に 「あの日の松島」が描かれています。
発売日を延期してまでどうしても書きたかったということです。

少年時代からずっとブルーインパルスのパイロットになりたかった 空井。難関のパイロットに内定した時 不慮の事故でP免になってしまった。戦闘機パイロット空井大祐29歳が転勤した先は防衛省航空自衛隊航空幕僚監部広報室。
室長の鷺坂、美人・柚木、槙博己、片山、ベテラン広報官比嘉。
 マスコミのリカの担当になるが、敵視する態度と人格を傷つけるようなひどい質問などなど・・・それでも きちんと対応しなければ 一方的にマスコミの標的となってしまう 自衛隊。
そんな中で 成長していく空井の姿と 航空自衛隊のことをうまく描いている。

そういえば 「暴力装置」といった アホな政治家もいましたっけ・・

そして あの日の松島・・・
これを読めば 何も語る必要はない。
航空自衛隊松島基地の人たちのことが書いてあります。
「ありがとう。自衛隊」と自然に言葉が出てきます。
航空自衛隊広報物語が 感動の1冊になりました。
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2012年08月20日

「日和下駄 」 永井荷風

東京市中散歩の記事を集めて『日和下駄』と題す。ではじまる 一名「東京散策記日和下駄」ですが 東京散歩を心がけている私にとっては興味深い本です。
これは 全文が 青空文庫で読めます。
この内容がなんとなく 頭に入っていて 最近読んだ本が 「日和下駄とスニーカー―東京今昔凸凹散歩」 大竹 昭子 著です。

「四ツ谷在住の著者。
永井荷風『日和下駄』を片手に東京の 坂、崖、水、寺、地図、路地、夕陽・・を探して歩いた写真と手書き地図入りのエッセイ。
約百年前、江戸切絵図を携え、東京の町を日和下駄でからから歩いた荷風先生の足跡をたどろうスニーカーで歩く。」

とあっては 読まずにはいられない・・と読んでみました。
永井荷風も四ツ谷住まいでした。

著者は 上野〜鶯谷の崖から 東京の坂、谷などを歩きます。谷中 根津 千駄木などなどおなじみの場所を巡るのですが(この界隈は私も歩いたので よく知っています。)鶯谷の南口は 北口より高いところにあって あまりよく知られていないのですが 寛永寺のほうに行くことができます。 何より興味深かったのが 四ツ谷界隈を中心に描いていた部分です。水の章です。

東京には 3大貧民窟があったという。、四谷鮫河橋〈迎賓館そば)、芝新網町(浜松町駅のそば)、下谷万年町(上野駅のそば)らしい。 
「日和下駄 永井荷風」第八 閑地 にも「鮫ヶ橋の貧民窟」と描かれています。
「鮫河橋谷町」と呼ばれていた谷地の貧民街のことですが 今は瀟洒なマンションが建っていたりする住宅地です。 迎賓館の西門前の坂を下りると  坂の途中から右手には南元町公園と呼ばれる公園が見えます。この公園あたりが東京市最大のスラム街だったという 「旧地名鮫河橋谷町」である。四谷の台地と赤坂の台地の間の谷だったわけです 。第8章『閑地(あきち)』の中で、当時 火避け地として空き地になっていたこの場所から貧民窟を眺めた印象を書いている。現在南元町公園の片隅には、「せき止め稲荷」のわきに「鮫河橋地名発祥の地」という「石碑」が建っている。知る人ぞ知る という感じです。

赤坂御用地には 鮫河橋門があり、「皇宮警察本部・赤坂護衛署・鮫河橋門警護派出所」がある。忘れ去られようとしている鮫河橋の名が皇宮警察の派出所に残されているというのも 面白い事です。

何気なく 通っていた場所に思いもしない 歴史があることは珍しくない。
そういう意味でも  「日和下駄」の東京散策は発見があって 面白いです。

涼しくなったら私もまた 東京発見散歩に出かけよう・・・

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2012年08月01日

海賊とよばれた男 

海賊とよばれた男 上/下 百田尚樹/著 講談社
2冊とも一気に読んでしまった。
読んでいる最中も 読んだ後も 興奮してしまうような内容。
主人公である国岡鐵造の自伝的小説。
しかし それだけではなかった・・・

戦後 借金だけが残った 国岡はそれでも生き残った社員を一人も 首にしなかった。
戦争に行った社員の家族には その間も給料を支払っていたというから驚き。
社員は家族。タイムカートなし、出勤簿なし、馘首なし、定年なしという絶対的信頼において社員を大切にしてきた。
それは 国を大切にするということに繋がるという考えである。

石油から戦争がはじまり 戦後も石油で日本を牛耳ろうとする外資。
石油連盟などという 外資に乗っ取られたようなグループとの熾烈な戦い。
権力 官僚 政治 ・・・大きな敵は次々と襲い掛かる。今も昔も変わらぬ組織。

裸一貫国のため 国民のためと 信頼で築いてきた個人商店をつぶしてしまおうという圧力に果敢に立ち向かっていった社員たち。おそらくそれは 社員を家族として大切にしてきたからみな 頑張ってくれたのであろう。

昭和28年、「七人の魔女」と呼ばれる強大な力を持つ国際石油メジャーと大英帝国を敵に回して イランにタンカーを送り込んだ日章丸事件。これで日本は救われたのかもしれない・・・と思った。

戦争に負けたが 日本人としての誇りと尊厳は失っていない。
「ただちに建設にかかれ」・・と 敗戦2日目に社員に言った言葉通り 日本の再建のために走り回った男の生涯が描かれていた。

これは 実在の人物の歴史的実話である。
石油を武器に変えて世界と闘った男とは何者なのか・・読めばすぐわかります。

彼が こよなく愛した「仙崖」の絵を見に 丸の内の「皇居の見える美術館」に行ってみよう。。。
あそこは 落ち着くし皇居がよく見えて美しい景色だし 癒される美術館でさすが人を大切にしていると改めて思った。。。

日本人なら石油をめぐって 何が起こっていたのか 真実を知るために 是非読みたい1冊です。
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2012年07月23日

惜櫟荘だより

『惜櫟荘だより』佐伯 泰英 (著) 岩波書店 (2012/6/21)
歴史的建造物に興味があるので 読んだ。

岩波別邸(惜櫟荘)熱海市海光町1/1941年/設計吉田五十八
1941年、岩波茂雄は静養を目的とし、熱海に惜櫟荘を建てた。

作家である佐伯 泰英氏が縁あって譲り受けた岩波書店の別荘惜櫟荘の完全修復の過程をおいながら
これまで 出会った人たちのエピソードなどを語ったもの。

思い出話はともかくこの名建築と言われる 惜櫟荘の解体から 完全修復までの過程を興味深く読んだ。
「設計図もない中、パズルを解くような解体・修復工事が始まり、やがて、「五十八マジック」ともいうべき独創的な仕掛けが、次つぎ明らかに・・・・」
読んでいても そのすばらしさが伝わってきました。吉田五十八の当初の設計を尊重し、細部にわたり長く保存するための手立てが講じられているのが よくわかりました。

惜櫟荘(旧岩波別邸)
設計 吉田五十八
解体復元 板垣元彬建築事務所
施工 水澤工務店

写真も添えられています。その美しい借景や建築美を見て 実物を見てみたくなりました。
これだけのものを 個人で修復し保存 維持に努めていることに畏敬の念を覚えました。

だんだん少なくなっていく 日本の名建築。家屋などは後世のために大事に守っていきたいものです。

吉田五十八氏の設計の武家屋敷風の趣がある数寄屋造りの建物が成城五丁目にあります。(旧猪股邸)世田谷区の説明によれば
「内部は、伝統的な和風建築に見られる柱や長押、天井の回り縁といった部材をできる限り取り除き、すっきりとした吉田流と言われる近代数奇屋の特徴が随所に見られます。」とのことです。
また回遊式日本庭園もすばらしいとのことで 一度見学したいと思いました。

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2012年04月26日

遊女・豐田屋歌川 

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遊女・豊田屋歌川―北前船で栄えた三国湊の女流俳人 
著者:久保 悌二郎(くぼ ていじろう)無明舎出版

「近世北越の俳壇を彩り、加賀千代女と並び称された俳人・豊田屋歌川は遊女でもあった。その謎に包まれた生涯像を、三国湊の北前小問屋・湊屋と豊田屋の盛衰を軸に描く!」

三国出身の人のブログで紹介されていたので 本を探した。
幸い 都の図書館にあったので借りることができ、読んでみた。

第1章 豊田屋歌川を探して
第2章 歌川が生きた時代の俳諧の世界
第3章 三国湊について
第4章 北前船と三国湊

伝説で語られる歌川についての話からはじまり 当時の俳諧の世界。そして 三国湊について、福井藩と丸岡藩のことなどが語られ 最後に北前船で栄えた三国湊の様子か ら著者のルーツにまで踏み込んでいる。歌川の墓の謎にも・・・

俳句のことはよくわからないので 3,4章に興味がいきました。
日文研のデーターベース 近世畸人伝 加賀千代女 追記に越前歌川女として述べられているのでそちらを参照してください。
http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/kijinden/
kijinden_141.html
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2012年04月25日

福島原発事故独立検証委員会調査・検証報告書

書名  =  福島原発事故独立検証委員会調査・検証報告書
著者名  =  福島原発事故独立検証委員会/〔編〕
出版事項  =  ディスカヴァー・トゥエンティワン 2012.3
形態事項  =  403p 26cm
著者標目  =  日本再建イニシアティブ1575円
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「2011年3月の東日本大震災から1年、2012年2月28日に「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)は、独自に調査・検証をすすめていた東京電力福島原発事故について「調査・検証報告書」をまとめ発表した。
当初、非売品として限定部数のみ作成されたが、各メディアで報道がなされると問い合わせが殺到。
「国民の視点からの検証」である報告書を広く世論に訴えたい、とディスカヴァーからの発売が決定いたしました。」

とのことで 時間をかけて 読みました。
 「第1部 事故・被害の経緯」、「第2部 原発事故への対応」「第3部 歴史的・構造的要因の分析」
「第4部 グローバル・コンテクスト」。

第一部第二部は 体験談や聞き取り調査などを交えている。これらは すでに報道などで明らかになっている部分もあってそんなに目新しい事は書かれていなかったように思う。
3、4部は少し専門的な感じでした。

すでに知っていることでしたが 官邸の対応のまずさや ドタバタぶり。連絡網の不備などは描かれていた。
SPEEDIに関して言えば 福島県には情報が送られていたが 破棄されていたということも最近わかってきたが この中でも データ公表が遅れた理由等も描かれていた。

東電側の対応などの検証がほとんどないのが残念。

138ページ 7行目。
ナチュラル研究所の測定データーの部分。3月15日12時21分 89cpm(0.89mSv/h)このデーターの間違いはダメでしょう。
桁が違います。正しくは(0.89μSv/h)ですから1000倍です。
これ見た時 我が目を疑いました。こんなにひどい汚染が日野市で・・・と。
ナチュラル研究所のHPデーターで確認すると やはり間違いでした。
第2刷では訂正されているのでしょうか・・・

最後に最悪のシナリオが添付されていました。
首都圏を含む 200km圏内の避難のシナリオです。

私も昨年の3月15日には危機感を抱いていて 避難用の荷物を作っていました。
しかし 避難と言っても3000万人 4000万人じゃね・・・
交通機関も麻痺しているときに どこへどうやって避難したらいいのか パニックになるだけでしょうね。

2011年03月28日の日記で 自宅にあったGM計数管(ガイガーカウンター)で測定をはじめたと書きましたが 最近は 簡易型のエアーカウンターSで計測していますが 内も外も0.05μSv/h以下です。
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2012年04月20日

築地ファントムホテル

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翔田 寛 (著) 出版社: 講談社 (2012/2/17)
発売されてすぐ この本を読んだ。
明治5年に焼失した日本最初の西洋式ホテルの、焼け跡から宿泊客の刺殺死体が発見された。横浜のイギリス人写真家、フェリックス・ベアトは 英語を教えている青年・東次郎を伴い 報道写真を撮るべく築地を訪れる。そして 通訳として宿泊客 関係者から事情を聞くこととなる。
ストーリーは 目撃証言の鎧武者と刀を持った侍風の男。二重三重に張られた伏線。
そして衝撃の結末と とても面白かった。明治初期の横浜や江戸の様子がわかり興味深かった。庶民の暮らし 当時の風景 日本人の気質がよく描かれていた。
 
ストーリもさることながら 裏表紙に描かれている ホテルの平面図に興味がいった。
そして 主人公ベアトと西洋ホテルが 実在していたものだと知った。
ベアトについても 少し調べてみました。

フェリックス・ベアト フェリーチェ・ベアト(Felice Beato、1832年 - 1909年1月29日)は、イタリア生まれのイギリスの写真家。
東アジアの写真を撮影した初期の写真家の一人である。
特に日本で撮影したのは、肖像写真、風俗写真、名所、都市の風景などで、、東海道の風景が有名である。ベアトの写真は、江戸時代を撮影した希少性があり数多く残されている。
・F.ベアト写真集 1 F.ベアト/ 幕末日本の風景と人びと 明石書店 2006.7 26cm
・F.ベアト写真集 2 F.ベアト/ 外国人カメラマンが撮った幕末日本 明石書店 2006.4 26cm

築地ファントムホテルは 築地ホテル館のことですが。ファントムは 亡霊・幽霊という意味なんでしょう。しかし 内容を知る前の 私の第一印象は 塔屋が戦闘機みたいだからかなと思いました。
築地ホテル館 は当時 江戸ホテルとも呼ばれたそうですが 消失してしまったのが残念です。
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2012年02月06日

放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響

書名  =  放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響
副書名  =  チェルノブイリ原発事故被曝の病理データ
著者名  =  ユーリ・I.バンダジェフスキー/著
     久保田護/訳   合同出版 2011.12 111p 21cm

出版社の紹介文:
チェルノブイリ原子力発電所事故によって汚染された地域の住民の健康状態に関して、ゴメリ医科大学が10年にわたって実施した剖検を含む医学的調査、および動物実験の結果を評価し、人体の各器官に起こる病理学的変化を考察したものである。
病変は全身の臓器に認められたが、とくに放射性セシウムの毒作用に注目し、生体中の長寿命放射性元素による一連の症候群(SLIR)を強調した。
 体内に取り込まれた放射性セシウムによる健康影響を考える一助に。

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半分は原文なので 日本語訳は50ページほど。

wikiなどを参考にすれば
「ユーリ・バンダジェフスキー博士は 
ベラルーシ政府への批判によるものと思える 不当な理由での逮捕により2001年に8年の実刑判決を受け 服役していた。
実際にバンダジェフスキーの逮捕は彼がセシウムの医学的影響に関する研究論文を発表した直後に行われた。 
冤罪だとアムネスティが抗議した。

自らの無実と共に、過去10年間ゴメリ医大で国からの援助や資金を受けずにセシウムの健康への影響を解明する研究に取り組んできたことを獄中より訴え、バンダジェフスキーの投獄に対する国際世論の高まりに押される形で、刑期途中の2005年に釈放された。

ベラルーシ政府は『(チェルノブイリ原発事故による)放射線は人体の健康にほとんど影響しない』という見解を現在でも堅持しており、現在、ベラルーシを国外追放となり、ウクライナ・キエフ州のイヴァンキブ(Ivankiv)中央病院に勤務している。

10年にわたるデーターからは心臓をはじめとして、腎臓、肝臓、甲状腺・胸腺・副腎などの内分泌臓器に高いセシウム137の集積と組織障害が起こることがわかる。
実際ベラルーシでは心筋の疾患が増えている。
解剖した結果ですから、非常に信頼性が高い。」とのことです。

作業員などの心筋梗塞による突然死も 日本政府から見れば 放射能と関係がないという発表になるでしょう。がんよりも 心臓疾患 白内障などの病気が増える心配がある。
子供に限らず 大人でも同じです。

被曝の影響は胎児や子供に大きく生じ、遺伝の影響が次世代に現れる可能性や食品汚染による内部被爆がとても懸念されます。

「直ちに健康に影響はありません」は7回しか言っていないそうですが あれだけ日本中の人が放射能に怯え心配している時期に しかも食品汚染や土壌汚染の実態がわからない時期にああいう発言はするべきではなかったと思います。

専門家も
急性障害のことを言っていると思う。だけど、(障害には)急性障害と晩発障害がある。晩発障害は数年とか数十年経ったあとに『がん』ができる障害。そのことを一切言わないで安心安全と言うのはおかしい。
と述べています。

専門的な本かもしれませんが 図やグラフなどのデーターが多く わかりやすいので セシウム137の影響の真実を知りたいかたは是非 一読を・・・。
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2012年02月05日

大江戸今昔

大江戸今昔マップ   東京を、江戸の古地図で歩く
 かみゆ歴史編集部/編 新人物往来社 

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こんな本を読んだ。読むというより眺めて楽しんだ。
古地図の上に 現在の道路や路線、施設を記載した少し透明な地図が重ねられるようになっているので 今と昔が比較できなかなか面白い。
町のつくりが江戸時代とあまり変わらないこと、神社・仏閣 史跡などは今も健在であること。
大名屋敷はそれなりの大型施設として残っていることなどがわかる。

江戸13区。本所深川あたりから向島 品川宿から 染井王子あたりまで 西は新宿 渋谷くらいまでと限定されている。
あの赤坂溜池は本当に溜池で神田上水 玉川上水が整備されるまでは上水として使用されていた。
土地が低いので今でも 大雨時は水があふれる場所である。
品川あたりは 東海道線の外は海であった。その昔 駿河台あたりの山を削って埋め立てたそうな。

しかし 面白いのは渋谷 青山あたりは ド田舎だったことである。
「川ひとつ 丘五つ 谷二十」といわれ 渋谷川(明治通りあたり)が郊外との境であった。現246号青山通りだけが 大山詣出の人が行きかう道であった。青山も渋谷と同じく畑や荒地であった。
むろん 白金台や目黒 代官山あたりも 田 百姓地と記されている。

あの高級地が 百姓地ってねぇ・・・・

続きます。
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2012年02月01日

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、1880年10月28日 - 1964年5月7日)は、アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。

ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。YMCA活動を通しキリスト教の普及活動をした。
讃美歌などの作詞作曲した音楽家でもある。

1941年(昭和16年)に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗った。日本名、米来留は「アメリカより来りて日本に留まる」との意味を持ち、生涯伝道の志を失わなかった。

主に近江八幡で活動したが 日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けその作品は 教会 病院 学校 個人邸と1600にものぼる。
都内では明治学院大学礼拝堂 早稲田奉仕園スコットホール 山の上ホテルなどが有名。

太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから、「天皇を守ったアメリカ人」とも称される。

実は 恥ずかしながら 今まで知識がまったくありませんでした。

負けんとき ヴォーリズ満喜子の種まく日々上・下 玉岡かおる/著   新潮社 2011.11

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これを読んで とても感動したので ノンフィクションも続けて読みました。

メレル・ヴォーリズと一柳満喜子   愛が架ける橋
Grace Nies Fletcher/著 平松隆円/監訳 水曜社2010/11 
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 実にすばらしい人たちだったと改めて感慨深く思った次第です。

数々の逆境を乗り越え、近江八幡でのミッションを通し世界との「愛の架け橋」になろうとしたキリスト者夫妻の愛の生涯を描いたものですが まさに無償の愛を貫いた生き方で 感動しました。
人はこんなにも 優しくいたわり 他人のために尽くせるものなのだと・・・。

そのうち暖かくなったら メレル・ヴォーリズさんの歴史的建造物でも見て歩きたいです。
できれば いつか近江八幡の記念館を訪ねてみたいです。
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2012年01月26日

砂村新田について

三国町と砂村新左衛門のかかわりから 江東区の砂村新田のことも気になったので
「元八幡と砂村新田 」関 清春 著 という本を図書館で借りて読んだ。

砂村新田は砂村新左衛門主導の下、砂村新四郎らが江戸時代初期の万治年間に開発した。
深川から先は 干潟のようなところだったらしいが
三角州のような場所を基点に干拓が行われたものと思われる。この辺りの小高い洲が宝六島と呼ばれていたことから、新左衛門はこの新田に「宝六島新畠」と名づけた。後に「砂村新田」となる。

砂村新田はどうやって 造られたかの考証がある。
江戸のゴミを埋め立てたという説もあるが まてよ・・
江戸は究極のエコ都市。食べられるものは食べ 燃やせるものは燃やす。
布もボロボロになるまで使用し最後は薪となる。
し尿も肥料となり 捨てるものはほとんどない。
それなのにはたして 埋め立てるほどのゴミが出てしかも遠い砂村まで運んだのだろうか・・・
そうなれば この本の関さんが言っている通り 干拓事業だったのではないだろうかという説のほうが真実味がある。
中川に流れてくる 土砂や大川の土砂などを使用したのだろう。
運河のごとく 縦横にある仙台堀川 大横川 横十軒川など多数の川も船の行き来に大切な交通手段だったろうし 当然川底の土砂もすくっていたのであろう・・・
そんな風に書かれていた。

しかし砂村一族というのは 優秀な土木技術者集団だったのですね。

新左衛門が勧請した八幡(現在の富賀岡八幡宮)の辺りは江戸時代に「元はちまん」と呼ばれる景勝地だったらしく 広重の名所江戸百景に描かれている。桜の名所だったそうな。

以前深川資料館で 歌川広重による有名な『名所江戸百景』の特別展を見た。

目録と118枚の図絵から成る江戸末期の名所図会の集大成の展示。
深川資料館は江戸の庶民の暮らしを知るにはとてもいいところです。
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そのブログはこちらです。

http://umeno87.sblo.jp/article/42115777.html

名所江戸百景 「砂むら元八まん」をみると元八まんの社殿は描かれておらず、江戸湾を背景とした鳥居のみが描かれている。葦原があり地面が直接海面に接してる様子がうかがえる。

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前記の元八幡の立て札にも書いてあるように桜と松がたくさん植えられていた。
江東区はあちらこちらが桜並木の名所だし区の木には「クロマツ」が指定されている。

「元八幡(富賀岡八幡宮)の名称は、一説によると、富岡八幡宮を最初に勧請した所で、寛永年間(1624-1643)の初めに今の深川へ移し、そのため、寛文5年(1665)に旧地を元八幡と称したといわれています。
この付近は松樹が生茂り、前方は広大なる海面で、風光明媚な所であったといわれています。また「江戸名所図会」や、安藤広重の「名所江戸百景」などにも当時の様子が描かれています。(江東区掲示より)。」

富賀岡神社には
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砂町新田開拓者 砂村新左衛門顕彰碑 がある。
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そういえば 富岡八幡宮の本祭りは盛大で 54基ほどの神輿がでるが昨年は
震災で中止になった。今年はまた水掛けのにぎやかな神輿が繰り出すのだろうか・・・
楽しみです。

2008年度の祭りの写真です。

http://umeno87.sakura.ne.jp/fukagawa/maturi.html

三国の祭りは5月。大きな山車が数台出て狭い町中を練り歩きます。
子供の頃は 三国神社まで 何度出かけていったことやら・・
両側に たくさんの露店が並び それはそれは大賑わいなのです。
お祭りっていいなぁ・・・。
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2012年01月24日

三国町と砂村新左衛門

三国湊の改修工事のブログを書いたばかりだけど 実は町の中でも
埋め立て工事が行われていたことを最近 三国町の人のブログで知った。
江戸時代の歴史好きの私は さっそくいろいろ調べてみた。

三国にも木場町というのがありそこは 江戸時代に日和山を削って土砂を下に落とし埋め立てところだそうです。その工事を行ったのが 砂村新左衛門。
ブログで紹介されていた 本「砂村新左衛門 溝手正儀 著」をさっそく読んだ。
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わくわくしながら三国町のページを念入りに読んだ。
地図も見た。
ああ〜あそこか!!と思い出す。
辰巳川という小さな川が流れていて 神明3丁目あたりからは 高台になっていて
その川沿い崖上ぎりぎりに家が並んでいる。
そして 昔遊郭があったあたりからは 坂になり高台となっている。
私が好きな水羊羹やさん それから昔はくじらのカツを売っていた場所。
ああ・・あのあたりが昔は川だったのか・・と。

金鳳寺という古い寺や 商店街はたしかに高台にある。
昔は映画館もあったっけなぁ・・とかいろいろ思い出す。
木場町という呼び名は 聞いたことがあまりなかったけれど 川沿いにある古い家の
つくりをみれば 納得がいく。

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本の中の図を見れば 木場町の河岸とは反対側は崖になっている。

日和山を削ったというのもよくわかった。ちなみに、「日和山」という地名は全国各地にあり、港近くにある高台で船の行き来や天気を眺めていたところだそうです。


三国町の商家は カグラ建てというつくりが多い。
三国ではうなぎの寝床といわれる間口の狭い 奥行きの長い家が多い。
通りに面して「カグラ建」の主屋が建てられ店があり、その後方に「せど」と言われる中庭をつくる。この中庭を挟んで「くら」(土蔵)が建てられ、さらにその奥の川沿いに「にぐら」
がある。真ん中に土間の通路があることから 船の荷を直接荷揚げしていた名残であろう。
資料からちょいと図を拝借しました。
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三国の古い写真や地図などの資料は
陣内秀信 岡本哲志 著
『舟運を通して都市の水の文化を探る』という論文に詳細があります。
とても参考になりました。

砂村新左衛門といえば 東京江東区の砂町ゆかりの人でもある。
深川は昔から 木場があり 貯木場があった。今でも木場駅木場の町名はあるが
貯木場は新木場に移転している。
さてその深川に隣接しているのが 砂町であり昔の砂村である。
砂町というのは 単なる地名かと思っていました。海岸へりの砂地だったのかなぁ・程度。

江戸の都市改造が進む最中の1659年(万治2年)、砂村新左衛門が訪れ、この地で新田開発を行った。これが砂村新田となった。これは現在の南砂一丁目〜七丁目と東砂八丁目に相当する。北端には、境川(現・清洲橋通り。)

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この砂村新田に関しては 今「元八幡と砂村新田」関 清春 著
を読んでいるので 続編をかくことにします。
2012531sunamati97.JPG
元八幡には こんな立て札もあります。

そういえば 木場あたりにも辰巳芸者という名が残っています。
深川不動尊も成田山東京別院だし 三国にも成田山別院があります。
三国町との縁を感じました。

史実というのは知ればしるほど面白い!!
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2011年11月07日

チェルノブイリ・ハート : 原発事故がもたらす被害の実態  マリアン・デレオ

1986年に起きたチェルノブイリ原発の大惨事から16年後、国土の99%が放射能で汚染されたベラルーシ。この国の乳幼児死亡率は他のヨーロッパ諸国に比べて3倍も高く、肢体不自由で生まれた子どもは事故前に比べて25倍、内臓に明らかな異常をもって生まれてくる子どもが大勢いる。今なお続く放射能汚染の重篤な健康被害を映し出したドキュメント。2003年第76回アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞受賞作品

チェルノブイリ・ハートとは、“穴のあいた心臓”、“生まれつき重度の疾患を持つ子ども”の意味である。
ベラルーシでは現在でも、新生児の85%が何らかの障害を持っている。1986年4月26日、旧ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で爆発事故が起き、国際評価尺度レベル7に達した。
放射性降下物はウクライナ、ベラルーシ、ロシアを汚染した。原発から北東へ約350キロ以内に、高濃度汚染地域「ホット・ゾーン」が約100ヶ所も点在し半径30キロ以内の居住は禁止されている。
映画は、ホット・ゾーンの村に住み続ける住民、放射線治療の現場、小児病棟、乳児院の実態に迫る。

61分 - ‎PG-12 指定 - ‎ドキュメンタリー
ヒューマントラストシネマ渋谷 -で公開中。
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「チェルノブイリハート」の完全ガイドブックは 840円。合同出版社。
映画の内容を文字起こし しているので 映画をを見ることが出来ない人にはお勧めです。

‎PG-12 指定 とあるように かなり衝撃的な映像があります。
本では 少しの写真ですが 映像だとかなりの奇形児が。
自然に涙がでてきます。とても衝撃的です。

この国では乳児の死亡率が極端に高く、肢体不自由で生まれてくる
子供がそれまでの25倍になった。 正常に生まれてくる割合は10%〜20%しかない。
遺棄乳児院には4歳までそれ以後は精神病院へ。
心臓に穴があいていても免疫力がなくて手術できず死んでいく子も耐えない。

甲状腺がんになっている思春期の子供たち。17歳までが児童だそうです。
原発事故の当時 胎児だったり 乳児 幼児だった子供たちが15年を経て癌や白血病になっている。そして その当時思春期だったり被災地にいたり原発事故の処理にあたったひとたちに生まれた子供たちが今 「チェルノブイリハート」だったり 癌や奇形児として生まれてくる。
そんな悲惨な状況を 現地に入り 取材したドギュメンタリーとして 公開された。

これはある意味 衝撃的である。

2006年4月28日には国連総会で放映され 日本でも 2011年7月27日 衆議院第一会館にて上映会が開催されたようです。一体何人の議員が見たのやら・・・。

〜190トンの放射性ウラニュームと放射性黒鉛が空気中に拡散し延べ60万人のリクビダートル(清掃人)が大量の放射線を浴び、13000以上が死亡した。
避難民の総数は40万人を超え、汚染地域では2000以上の集落が廃村になった。だが一際大きな放射能被害を受けたのは、子供たちだった・・・・。〜

・ベラルーシ・ミンスク市(爆心から300Km) この地方の甲状腺がん発生率は1万倍に増加した。
ノヴィンスキ精神病院(ミンスク郊外)には重度障害児が収容されている。脊髄損傷と脳性麻痺の子供は全員知的障害を持つ。

・チェルノブイリから200Kmの汚染地域にある高校で生徒の体内にあるセシウム137を調査。
『セシウムはがんを誘発させやすい。消化器系、心臓、肝臓、腎臓そして肺です』と科学者は言う。

・ヴェスノバ精神病院(ベラルーシ南部)曲がった腕の少年、腰から下を引きずって歩む少年。両手をできものに覆われた少年。

・ゴメリ市(チェルノブイリから80Km・人口70万人)
遺棄乳児院「ナンバーワンホーム」。親が奇形や障害に手に負えなくなって、ここに捨てていくのだ。水頭症の子供が多い。脳が頭蓋骨に収まっていない。背中から肝臓が飛び出している子供。
乱暴に扱う看護師・・・。もっと優しくして!と叫べば 『これ以上良くならないのだから』と叫ぶ。

・ゴメリ私立病院
ブラコフスキー医師『健常児が生まれる確立は15〜20%。放射能の影響があります』赤ちゃんは出生 後、免疫システムが弱いので死亡することが多い。ベラルーシの乳児死亡率はヨーロッパ諸国の3倍。

・ゴメリ市立小児病院
心臓に重大な欠陥がある。同じ病気に苦しむ患者が7,000人も心臓手術を待っている。

などなど・・・ちょっとだけ紹介しました。

「チェルノブイリ・ハート」の現実は、何年か後には「フクシマ・ハート」の現実になるのでしょうか。あまりにも遅すぎる 対応。あまりにも楽観的な考え方。一体この国はどうなっているのだろうか。

福島の原発事故直後「ただちに健康に影響は無い」と繰り返し叫んでいた日本人の男がいる。
たしかに ただちに・・ではないかもしれない。
しかし 数年後 10年後 20年後のことを考えて言った言葉なのだろうか・・・。

食品による内部汚染が一番危険なのに あのいい加減な暫定基準値。
足し算を知らない御用学者たちは 口をそろえ一度や二度食べても大丈夫です。。と。

低線量被爆については これから勉強するとか。。。遅すぎる!

2005年6月末に米国科学アカデミーが低線量放射線被曝による発がんなどのリスクについて、「放射線被曝には、これ以下なら安全」と言える量はないと発表している。

2006年にはホルミシスは欠陥のある理論 ジョーン・ピータソン・マイヤーズが発表されている。

欧州放射線リスク 委員会科学議長のクリストファ・バズビーは「日本政府の無責任ぶりは犯罪的だと思う。子どもに平気で高い被爆を させている。都合がいいというだけで短期間でこれほど基準を変えてしまうとは、この判断は間違いなく多くの 子どもを死に至らせるだろう。文明国のやることとは思えない」と警鐘を鳴らしている。

*チェルノブイリ・ハート 動画で検索すれば YouTubeでかなり衝撃的映像を見ることができます・・・・。
posted by うめのはな at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2011年05月30日

原発労働記 堀江邦夫(著)を読んだ

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ノンフィクションライターである堀江さんは原子力発電所の「素顔」が見えない事にいらだちを感じ、1978年9月から翌1979年4月にかけて、実際に労働者として原子力発電所での作業に従事した。

大量の放射能を浴びながらテイケン(定検)作業に従事する下請け労働者たち。福島第一原発他に身を投じた渾身のルポ「原発ジプシー」復刻版。
堀江さんもかなり被爆しているし 詳しくは知らないが大病を何度も患ったらしい。

下請け 孫請け ひ孫請けと雇われた労働者たちは 給与を半分以上ピンはねさせられながらも 原発を渡り歩く。お金が欲しい。ただそれだけ。だが ピンはね給料は日当15000円が5500円になりその中から宿泊費食事代などひかれ 手元にはいくらも残らない。
今で言う 派遣会社のような組織があって 定期点検のたびに労働者を集めてくる。
当時の労働者の放射線被曝を防ぐ意識が低かったし 管理教育も低かった。
わかってはいても 被爆基準を守っていたら 働く人がいなくなる。
そして 基準は無視され 労災はなかったことになる。
電力会社は労働事故を表に出さないため 治療費 給与を保証し労災の申請をさせない。
ひどい事故でも 救急車は呼ばすひそかに 車で運ぶ。そしてみせかけの事故0が続く。

防護服やマスク 放射線などの管理もずさんだし 自分がどれだけ被爆しているか知らないで働く人も多い。

その労働は 過酷な環境での修理 汚染処理や掃除 など社員がやらないものは下請けにやらせる。
ずさんな放射線の管理、過酷な労働 、原子炉燃料棒真下での被爆しながらの作業など労働の実態を白日の下にさらした貴重な本。

美浜 福島第一 敦賀と現場の様子が描かれているが 福一の構内図や 原子炉建屋や格納容器の内部など作業現場の詳しい図なども載っている。

福島では 一体どれほどの東電社員が実際現場で作業しているのだろうか。
もしかしたらそれは ほとんどがどこかから集められた下請け 孫請け作業員ではなかろうか。

そしてこの本の内容よりもっと過酷な現場で作業しているのだろうと思うと涙がでそうになる。

なにより怖かったのは こんなずさんで欠陥だらけの原発を何十年も動かし続けてきたということ。
当時から欠陥だらけではないか。その管理も 保守も 緊急時の対応もなにもかも。。。。
そして隠蔽体質は昔も今もかわらなかった。

安全を守るために被爆覚悟の人海戦術なくしては動かない原発。
そして事故の後も 被爆覚悟の人海戦術なくしては収束できない原発。
そして多くの人を被爆させ苦しめる原発。
こんなもの いらない。

posted by うめのはな at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書