2013年12月31日

年越しそば

年越しそばを食べに日本橋へ行きました。
年末年始だからなのか 中央通りは日の丸が掲げられていました。
日本国の 日本橋って感じがしました。
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仕事が休みだからなのか 道路はすいていましたが 買い物客はたくさんいました。
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日本橋も 日本晴れ!高速道路がなければすっきり・・・・
日本橋を渡ってすぐのところにある 越前そばやさんです。
今年はもう3度目。
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御清水庵 清恵(越前蕎麦)
御主人の中本さんが福井出身で私と同郷。
福井弁で話す気さくな方です。
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越前おろしそばとミニソースかつ丼。
福井独特の 大根おろしをいれた蕎麦と甘いソースのカツ丼です。
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こちらはあかたかい 掛け蕎麦とミニソーツカツ丼。
日本橋川を眺めながら食事です。日本橋川クルーズの船がみえましたが この時期寒かろうなぁ。
そうこうしているうちにも 満席になり出ます。
年越しそばの注文が電話で入っていて ご主人さんは忙しそうでした。
他でも食べたし 田舎からも何度か送ってきたし今年は 越前そばばかり食べていたような気がします。
越前そばはやはり 太くてコシがあって 美味しいです。
江戸風の 細い白いつるんとのどを通るような蕎麦より 田舎の越前の蕎麦が大好きです。
また 来年も食べに行こう・・・・

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2013年12月30日

銀座1丁目のアンテナショップ

年の瀬も押し迫ってまいりましたが 銀座1丁目のアンテナショップめぐりをしてきました。
福井のアンテナショップで 人気NO.1の「大福あんぱん」を購入。
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パンの中に大福が丸ごと入っていておいしいです!!
この時期 福井名物「水ようかん」も出ていました。
次に 高知。ショウガの食品を購入。
そして 沖縄。黒糖購入。
次に 広島 徳島と巡りました。
近くにアンテナショップが集まっていて 相乗効果かどこも混んでいました。
おいしいタルトの店があるというので行きました。
「キルフェボン グランメゾン銀座」
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この豪華ないちごタルト。白いいちごのほうは ホールで1万円を超えるお値段です。
とてもおしゃれなかわいいお店。カフェがあるというので入口を見たら「90分待ち」の表示。
諦めました。
駅に戻る途中みかけたのが 「コーヒーとカライライス
カレーやではなくてれっきとした喫茶店
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カレーライスではなくてニューキャッスル名物のカライライス(辛来飯)だそうです。
それよりも 隣の店の時計台が気になりました。
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銀座2丁目、天津飯店の上の時計台
ニューキャッスルの間には路地があり、その奥に喫茶店があったらしくその喫茶店が冷房装置を付けることになり、その大きな冷却装置を屋根の上に乗せた為 機械がみきだしになり それを隠すために周りを囲んで隠したとか。ついでに和光の時計台風にしたとのことです。
ちなみにこの時計は 8時を指したままうごいてはいません。
最初から止まったまま動かない時計なのか?
銀座には新旧 おもしろいものがあちこちにあって 楽しいです。

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2013年12月04日

神田川クルーズ8(終)

柳橋をすぎると隅田川です。
川幅が広くなり 波があってしぶきがかかります。
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総武線鉄橋とスカイツリーが見えます。
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両国Jジャンクション。高速道路が川を渡ります。
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水上バスのホタルナとすれ違いました。
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新大橋ではヒミコと遭遇。
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隅田川にはいろいろな観光船がいます。
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次は水上バスです。
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振り向けば清洲橋とスカイツリーが見えました。
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永代橋をすぎます。
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新川の隅田川テラス沿いの桜並木が紅葉しています。
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ここをすぎると 舟は亀島川に入っていきます。
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隅田川の橋と亀島川〜日本橋までの記事は 日本橋クルーズ1〜6に書いています。(カテゴリーは中央区
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護岸の赤い蔦がきれいでした。
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日本橋船着場に戻りました。
ちょうど先のツアーの舟が付いたところです。
橋の上の赤いバスは乗り降り自由の観光バス スカイホップバス。
2階建てオープンバスです。
日本橋川・神田川と船で巡って 普段見ることのできない川の上からの景色を楽しみました。
江戸情緒が江戸の歴史が味わえました。
東京再発見のいい舟旅でした。

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2013年11月27日

神田川クルーズ1(日本橋)

前回 日本橋クルーズの川めぐりをしてとてもよかったので 今回は神田川クルーズに参加しました。
日本橋船着場には その他の舟のクルージングもあってにぎわっていました。
私たちは前回と同じ会社のクルージングです。
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舟はオープンデッキで椅子とテーブルがあるので 飲食も可。
90分の船旅もまわりがよく見えて快適です。
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1.日本橋  中央区日本橋室町 ー中央区日本橋
完成 : 明治44年 (1911)
構造 : 2スパン 石造 アーチ橋
最初の架橋(かきょう)は、徳川家康が幕府を開いた 慶長8年(1603)と伝えられ、 翌年、東海道をはじめとする五街道の起点に制定されました。 重要な日本橋川の水路と交差する交通の要所として、 江戸経済の中心でした。
橋詰(はしずめ)には高札場(こうさつば)があり、 魚河岸があったことでも有名です。
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ここから 日本橋川を後楽園のほうに遡ります。
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2.西河岸橋  中央区日本橋室町ー 中央区八重洲
完成 : 大正14年 (1925)
構造 : 3スパン 鋼製 桁橋
橋の名の由来となった西河岸とは、江戸の台所事情を支えた日本橋魚市の西側の河岸。
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3.一石橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 平成13年 (2001)
構造 : 2スパン 鋼製 桁橋
その昔日本橋川は常磐橋で直角に折れ曲がり、外堀と道三堀が交わる水の十字路でした。江戸城の外堀が左手側に流れていました。
現在は、埋めたてられていて外堀通りの一部になっています。
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一石橋はその屈曲点の下流側に架かるの橋です。橋詰めには迷子知らせ石標があります。
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4.常盤橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 昭和元年 (1926)
構造 : 鉄筋コンクリート 石張り アーチ橋
水の十字路の下流側に架かるのが、石造りの常盤橋。
江戸城常磐橋御門に由来する橋ですが、「常盤」の文字が違います。
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橋の東側は日銀本店。
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5.常磐橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 明治10年 (1877) 構造 : 石造 2連 アーチ橋
常磐橋御門の石垣が残る常盤橋公園(字が違います)に架かる常磐橋は、歩行者専用橋です。
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現存する橋は、明治10年(1877)完成の 石造(せきぞう)2連アーチ橋。 江戸城の城郭門(じょうかくもん)「常磐橋門(ときわばしもん)」の 見附橋(みつけばし)として架けられたもので、 東京で最も古い石橋の一つといわれています。
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現在修復中工事をしています。
橋のたもとには重要文化財常磐橋門の跡が残されています。
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6.新常盤橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 昭和63年 (1988)構造 : 鋼製 桁橋
このあたりから 景色は変わり大手町ビジネス街となります。
新常盤橋のすぐ先で、日本橋川はJR線路をくぐります。
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7.JRの橋
鉄道のために架けられたアーチ橋であり、昭和初期の建造物
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JRの橋中央には「日本国有鉄道」の刻印があります。
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かつての鉄道省の紋章が、橋の中央にあるキーストーンに見ることが出来ます。

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2013年11月26日

日本橋・名水白木屋の井戸

神田川クルージングの舟に乗るため日本橋船着場に行きました。
チケットを買い 出航の時間まで近くをぶらり散歩しました。
 野村證券本社ビル前にあるのが三菱東京UFJ銀行 日本橋支店(旧村井銀行)の建物です。
三角形の鋭角な日本橋御幸ビル(旧日本橋東海ビル)ですがこのビル自体は1975年に建てられたものです。
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少し裏にまわると旧村井銀行(大正2年竣工、設計:吉武長一)の入口が保存されています。
日本橋御幸ビルの裏手にあるレトロな入口。
旧村井銀行のものを一部保存。
村井銀行は昭和2年に倒産。
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(入口部分の建築データ)
竣工 :1913年(大正2年)
所在地:東京都中央区日本橋1-7-17
設計 :吉武長一
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工事中のようでした。
日本橋COREDOの裏手にCOREDO日本橋アネックス広場があります。
その前に石碑がありました。
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漱石名作の舞台の碑
江戸っ子漱石はロンドンを舞台にした作品にも日本橋を言挙したほどだ。青春小説「三四郎」、倫理探求の名作「こころ」には、ここの路地の寄席や料理屋が描かれている。
平成17年6月吉日
早稲田大学第十四代総長 奥島孝康 識
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その隣に 「名水白木屋の井戸」の碑 
東京都指定旧跡  中央区日本橋1-4
名水白木屋の井戸  
「江戸時代のはじめ、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず付近の住民は苦しんでいました。
正徳元年(1711年)、白木屋二代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに着手しました。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともなって広く「白木名水」とうたわれてきました。
白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋1丁目交差点角にあったものを平成16年(2004年)ここに移設再現したものです。」
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白木屋は、近江商人大村彦太郎の創業、越後屋と肩を並べる呉服の大店でした。
1967年9月 「東急百貨店日本橋店」に改称しましたが1999年1月31日 閉店。
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残念ながら日本橋の名水は消失してしまいましたが名水白木屋の石碑と井戸を思わせる施設を造営して再現しています。
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2013年09月18日

日本橋川クルーズ6

船」は隅田川から日本橋川へと向かいます。
最初に見えるのが日本橋川に架かる 豊海橋です。
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豊海橋は隅田川から日本橋川への入口にかかる橋。日本橋川の第一橋梁である豊海橋は、梯子を横にしたような構造はフィーレンディール橋と呼ばれ、永代橋との景観上のバランスを考慮してレトロなデザインと白とブルー(欄干部分)の組み合わせで設計された。シンプルなデザインのなかに鋲止形式という古い形態を残し、重量感のある鉄骨橋梁の代表例として貴重である。
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鋼製 フィーレンディール 橋  完成 : 昭和 2年 (1927)
中央区 新川 1丁目 ー 中央区 日本橋 箱崎町
最初に橋が架けられたのは江戸時代の中期、元禄11年(1698) と伝えられている。
豊海橋』 の橋名からも想像がつくように、江戸時代には海からも近い場所であった。
現在の橋は昭和 2年(1927) に震災復興橋として改架されたものです。
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重量感のある鉄骨橋梁の代表例として、貴重な橋となっており、中央区民有形文化財 にも指定されている。
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湊橋が見えてきます。
創架は江戸時代の前期、延宝7年(1679) であると伝えられている。
霊岸島(現在の新川)と対岸の箱崎を結ぶ為に架けられました。
周辺が江戸湊への出入り口だった為に「湊橋」となりました。
この付近から日本橋にかけては、江戸の流通の中心地でした。
このあたりには、醸造業等の会社が見られます。銚子や野田などから醤油を運び、川に面した河岸に荷揚げをしていた名残です。
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湊橋   日本橋箱崎町〜新川1丁目
完成 : 昭和 3年 (1928)
鉄筋コンクリート製 アーチ 橋

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カラータイルでお洒落に化粧されている。
遠くから眺めても目立つおしゃれな橋です。
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この一帯の河岸は 「新堀河岸」 と呼んだそうです。
『湊橋』 北詰の少し上流側には、「行徳河岸」 と呼ばれる河岸もあった。
上総(千葉県) の 「行徳」 方面との間で船の往来が盛んであったことによる。
橋にはそれを物語る舟のマークが付いています。
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再び亀島川日本橋水門を左手に見て日本橋川を戻ります。
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茅場橋 湊橋をすぎるとまた高速道路が頭上を覆います。
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鎧橋
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日本橋川を覆う首都高速 風情がない!!
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あっという間に45分のクルージングが終わり 日本橋船着場に戻りました。
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この舟は江戸東京再発見コンソーシアム主催の舟めぐりの電気ボートです。
定員10名の小さな舟ですがゆっくり舟散歩ができるコースがあり いつか乗ってみたいと思います。
今回の日本橋クルーズはこれで終了です。

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2013年09月17日

日本橋川クルーズ5

中央大橋をくぐると 青い色の永代橋が見えます。
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東京スカイツリーも見えます。
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永 代 橋(えいたい ばし)
3スパン 鋼製 タイドアーチ 橋  完成 : 大正15年 (1926)
『永代橋』 は、中央区新川 と 江東区永代 の間で、「永代通り」 が 「隅田川」 を渡る橋。
「帝都東京の門」と言われたこの橋は、ドイツ ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにし、現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもある。
創架は元禄11年(1698)、 当時は木橋 、その木材は 「上野寛永寺」 本堂造営の余材を使ったと伝えられている。
文化4年8月の深川八幡の祭礼に押し寄せた人の重さで永代橋が落下し 多数の犠牲者がでました。
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現在の 『永代橋』 は、震災復興事業により大正15年(1926) に架設されたアーチ橋。
2007年(平成19年)6月18日、都道府県の道路橋として初めて、勝鬨橋・清洲橋と共に永代橋が国の重要文化財(建造物)に指定された。
夕刻から22時まで青白くライトアップされ とても美しいです。
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隅田川大橋。3スパン 鋼製 桁橋  完成 : 昭和54年 (1979)
『隅田川大橋』 は、中央区日本橋箱崎町 と 江東区佐賀 の間で「人形町通り(水天宮通り)」 が 「隅田川」 を渡る橋。
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「首都高速道路 9号 深川線」 建設のために「隅田川」 を渡る高速用高架橋が必要になり、それに併せて一般道路用の橋も同時に架設された。上下に 2段構造の橋となっており、上段部分が 「首都高速道路」 の高架橋、下段部分が一般道路の、 『隅田川大橋』 である。
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清 洲 橋の中央にスカイツリーが見えるという絶景なポイントです。
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『清洲橋』 3スパン 鋼製 吊橋  完成 : 昭和 3年 (1928)
中央区日本橋中洲 と 江東区清澄 の間で「清洲橋通り」 が 「隅田川」 を渡る橋で、橋名は当時の両岸の町名 「深川清澄町」 と 「日本橋中洲町」 から命名されている。
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美しいフォルムの吊り橋で遠くからの眺めも素晴らしい。
モデルにしたのは、美橋として有名なドイツのライン川に架かる 『ビンデンブルグ橋』
男性的なイメージの 『永代橋』 に対して、 『清洲橋』 は女性的で優美なシルエットの代表的な橋であると言われ 「震災復興事業の華」と謳われた。
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清洲橋から船は戻ります。
これは読売新聞社の建物。真ん中が空洞なのは 近隣の風の通り道と採光を考えての設計とのことです。
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リバーシティ21を背景に見る永代橋も素敵です。
船は再び 日本橋川へと向かいます。


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2013年09月16日

日本橋川クルーズ 4

『南高橋』 は 「隅田川」 と 「亀島川」 の合流地点に架かっています。
そこには「亀島川水門」 の高い壁があります。
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亀島川から見た亀島川水門
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隅田川から見た亀島川水門
上流の日本橋川との分岐点である日本橋水門と、河口の亀島川水門の2つの防潮水門でで完全に閉め切ります。隅田川との合流点は海に近いため、高潮の発生時に川が逆流して洪水を引き起こす可能性があります。、東京では、5弱程度以上の揺れを観測すると都内の水門を閉じることになっているそうです。
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隅田川に出ると視界が広がります。
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水門を出ると目の前に見えるのはリバーシティ21(佃)
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霊岸島水位観測所が見えます。
1884年、霊岸島量水標(現在の東京都中央区新川、当時の隅田川河口にあたる)における1873年から1879年までの験潮記録をもとに決定された。
ここは、「旧」とも言うべき場所で、現在はシンボル的になっています。ただし、観測は続けられているとのことです。現在、この役割を担っているのは油壺検潮所です。
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観測所シンボルタワー
現在の霊岸島水位観測所

 「日本の水準原点を生んだ霊岸島水位観測所も、その後の東京湾の埋立てや隅田川の河川水の影響があり、水準原点の検証をするための観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。
 現在の霊岸島水位観測所は、荒川水系の工事実施基本計画や改修計画の策定及び改訂のための基礎データの観測を続けていますが、隅田川のテラス護岸の施行に伴い平成6年(1994年)5月に元の位置から約36m下流に観測所を移設しました。
 元の観測所の位置には、その歴史的経緯を長く後世に伝えるため、観測柱を正面にシンボル柱として設置しました。また、新しい観測所の3角形のフレームは、土木や建築の設計図などに高さを表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部はA.P.0mを指し、その一辺の長さは観測所位置のある東経139°47’にちなみ13.947mとしています。

 観測室については、斜方十二面体という形で立方体それぞれの面に勾配45°の四角錐を付加したような形をしていて、川に沿って視点を移動していくと正方形、正六角形、八角形と変化して見えるものです」
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水門と観測所シンボルタワー
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対岸の大島川水門。江東区永代1丁目。
大島川水門は隅田川と大横川とを境する防潮水門です。
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豊洲の高層ビル?マンション群。
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相生橋が見えます。トラス橋。中央区 佃 2丁目ー江東区 越中島 2丁目
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中央大橋です。東京都中央区新川2丁目
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1993(平成5)年に開通した隅田川にかかる橋。 ?長さ約211m。
隅田川はフランスのセーヌ川と友好河川提携をしているため、パリから贈られた彫像が設置されている。
中央大橋をくぐります。

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2013年09月15日

日本橋川クルーズ 3

亀島川は亀島という町名に由来し、亀島の町名の由来には、町に瓶(かめ)を売る者が多く住んでいたという説と、町内の入堀に地蔵橋が架けられ亀に似た小島があった説があります。
「亀島川」 は、「日本橋川」 の 『茅場橋』 の先から(南) 側に分流する支流です。
約1Kmの短い川ですが5つの橋が架かっていて 隅田川に合流します。
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霊岸橋 中央区 日本橋茅場町 1丁目ー 中央区 新川 1丁目 
霊岸橋』 の名称は、現在の新川一帯が 「日本橋川」 ・ 「亀島川」 ・ 「隅田川」 に周囲を囲まれた 「島」 であり、この地区を 「霊岸島」 と呼んだことによるとのことです。
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昭和60年(1985) に完成
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このあたりは 江戸時代は越前堀とも言われ、明治時代には越前堀という、地名にもなった。
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頭上を覆う高速道路もなくなって 昭和のカホリのする川沿いを船は進みます。
民家のプライベート護岸のような感じです。
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見えてきたのは2つ目の新亀島橋
『霊岸橋』 の約 200m下流に位置している。
この橋の創架は明治15年(1882) で、当時は 木橋 でした。
下流側に元禄時代からあったといわれる 『亀島橋』 に対して、新しく架けた橋ということで 「新」 の字を冠して名付けられた。
大正15年(1926) には震災復興事業によって、鋼製の桁橋に架け替えられている。
現在の 『新亀島橋』 は旧橋が老朽化のため、護岸の耐震工事に合わせて、平成7年(1995) に架け替えられたものである。
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廻船」 をモチーフにしたデザインでまとめ橋上バルコニーが設置されている。
欄干にはめ込まれたプレートも波で統一。
バルコニーのプレートは 「大川をのぼる廻船」「廻船の荷下し」
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このあたりは テラスがあるので ボートが係留されています。
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3番目の橋は 亀島橋
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亀島橋の欄干手すりやのレリーフは亀の甲羅の模様。
この亀島川の橋際には、堀部安兵衛や東洲斎写楽・伊能忠敬の住まいがあったと伝えられて、更には御用絵師狩野祐清の居宅もあったとのこと。幽霊横町のほか代官屋敷・矢場など言われたそうです。
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亀島橋は地下鉄日比谷線八丁堀駅の近くです。
八丁堀の名前は江戸時代に作られた堀(運河)に由来します。
八丁堀は寛永年間(1624〜1643年)に造られた堀で、長さが八町(約872m)であることから八丁堀えしたが現在は存在しません。
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4番目は高橋です。高橋は、鍛冶橋通りにもなっています。
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『高橋』 の由来は、「隅田川」 への合流地点に近く、江戸湊からの船が頻繁に航行する場所なので、大型船の航行を妨げないよう、橋を 「高く」 架けたことによるといわれている。
江戸時代前半の正保年間(1644〜1647)に架けられたときは木橋。
現在の橋は昭和58年 (1983)完成
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ピンクの橋です。波をイメージしたデザインの欄干。
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階段状のテラス護岸がみられますが そもそもは護岸の耐震補強のためにつくられたものだそうです。
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船着き場のようです。このあたりは船溜まりというか広くなっていました。
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亀島川の5番の橋は南高橋です。
白い鉄骨が美しい橋です。
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南高橋 創架は昭和 7年(1932)
関東大震災後の復興計画の一環として、新たに架設されたもので、橋の本体は 「隅田川」 に架かっていた 『旧・両国橋』 の中央部分を移設したものである。
隅田川 の 『旧・両国橋』 は 明治37年(1904) に架設されたトラス橋で、大正12年(1923) の関東大震災後に現在の 『両国橋』 に架け替えられたが、比較的被害の小さかった橋の中央径間部分を、ここ 『南高橋』 に利用した。
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明治・大正期に数多く架設された 「トラス橋」 の現存する貴重な資料でもあり、中央区の有形文化財に指定されている。


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2013年09月14日

日本橋川クルーズ 2

日本橋より四半世紀ほど遅れて下流にかけられた江戸橋。江戸橋周辺は江戸(入江の戸・船着場)として家康以前から栄えていたので江戸の起源はこのあたりかも知れません。
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江戸橋(日本橋室町1丁目・日本橋本町1丁目〜日本橋1丁目)

現在の橋は昭和2年(1927年)震災の復興計画の一環として架けられた鋼製アーチ橋。
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ジャンクション建設のために川幅を広げたという経緯もあり、江戸橋は神田川水系最大の橋幅。橋上は、昭和通り。
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石垣も少し残ります。欄干の細かい連続模様がきれいです。
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江戸橋たもとのブリッジ型ビルは三菱倉庫本社ビル
外観だけ残して改修中です。
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江戸橋ジャンクション
日本橋川もゆるやかにカーブします。高速道路に頭上をおおわれます。
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日証館 東京都中央区日本橋兜町1-10 1928(昭和3)年の建設
このあたりのことは2013年2月のブログで書いています。
日証館(旧東京株式取引所)

http://umeno87.sblo.jp/article/62563269.html
地上からでは玄関前の建物しかみえなかったので 川に面した様子が見えるのはうれしい。
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船を思わせる屋上の塔も見えます。
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鎧橋 (日本橋小網町〜日本橋兜町・日本橋茅場町1丁目)
橋の名はこの付近にあった「鎧の渡し」「鎧稲荷」にちなむ一方、源義家所縁の「兜塚」があり、これが現在の兜町の由来ともいわれます。
広重の名所江戸百景「鎧の渡し小網町」があります。明治5年にこの橋ができるまでは、この一帯には橋がなく「鎧の渡し」があったそうです。
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東京証券取引所の正面脇で日本橋川を渡る鎧橋。
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明治 5年(1872)、 三井家 などの豪商が 木橋 を架けたのが始まりという。
明治21年(1888) には鉄骨製のトラス橋に架け替えられ、現在の 『鎧橋』 は、昭和32年(1957) に旧橋の老朽化に伴なって架け替えられたもので3スパンの鋼製桁橋。
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明治時代の名残化・・赤レンガも見えています。
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場橋(日本橋茅場町1丁目〜日本橋小網町)
橋の欄干の手摺の上に三角形を三つ連ねたデザインが面白い。
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茅場橋
茅場橋の名前は、南詰め側の町名(茅場町)に由来。徳川家康の江戸城築城の際、神田橋門外にいた茅商人たちが橋の南詰辺りで茅を切って積む置き場であった為に「茅場橋」となった。

今では東京証券取引所のまわりに証券会社があつまる、日本の金融の中心地です。
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右方向に亀島川日本橋水門が見えます。
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日本橋川正面は湊橋です。橋脚は鉄筋コンクリート造りの3連アーチです。
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亀島川日本橋水門
亀島川は日本橋川から茅場町の先で分岐・南下し、亀島橋付近で東に大きくカーブして隅田川に合流する川(水路)です。
船は 水門をくぐり 亀島川へと・・・

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2013年09月13日

日本橋川クルーズ 1

日本橋を通ったら 日本橋川クルーズの受付をやっているのを見かけたのでさっそく申し込みました。
近くに住んでいながら なかなか機会がなかったので 予約なしで当日乗れるのはありがたいです。
3つほど別会社のクルージングがありましたが 今回は30分後ちょうど13:00に出航する 「東京湾クルージング」会社のものにしました。
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その日は本当にたまたまで不定期運航とのことでした。
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エスエスNANO1 定員40名 水洗トイレ付。
屋根はオープンですが ちょうど曇りの日でよかったです。
一応麦わら帽子が用意されていました。
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45分。料金は1500円。日本橋船着場から出て 隅田川 清洲橋 永代橋を見て戻ってくるコースです。
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下から見る日本橋
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ここにも獅子がいます。
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この高速道路・・なんとかならないでしょうかね。
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お江戸日本橋の風景。どうしてこんな風にしたのか・・・あきれます。
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日本橋の端の裏側です。石が焦げています。
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関東大震災の爪痕だそうです。
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西河岸橋 完成 : 大正14年 (1925)
『西河岸橋(にしがし ばし)』 は、中央区日本橋 と 日本橋室町 の間の通称 「日銀通り」 と呼ばれる小さな通りの日本橋川に架かる橋。
西河岸橋』 の名称は、当時この橋の南側が 「東京市 日本橋区 西河岸町」 であったことから付けられている。
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創架は明治24年(1891) で、鋼製のトラス橋でした。
明治の赤レンガの橋げただけが残っています。
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いったんUターンしてまた 日本橋船着場にもどります。
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石垣と昔の排水溝が見えます。
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すぐ目の前は野村證券ビルです。
日本橋川(にほんばしがわ)は、東京都千代田区および中央区を流れる一級河川。
日本橋川は、40年前に首都高速道路がその上を通るまでは、江戸時代のはじめから360年間、日本橋を中心として江戸・東京の賑わいの中心でした。

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2013年09月12日

日本橋 山本山で休憩

以前にも銀座線の新型車両について ブログに書きましたが 再び三越前駅で新型車両に出会いました。
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銀座線新型車両1000系
http://umeno87.sblo.jp/article/69812218.html
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2020年までには全部この車両に変わっているでしょうね・・・
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三越前から日本橋を渡ると 野村證券ビルがあります。
竣工 :1930年(昭和5年)
所在地:東京都中央区日本橋1-9-1
設計 :安井武雄
施工 :大林組
構造 :鉄骨鉄筋コンクリート造7階建て
このビルについても以前の日本橋散歩で書いていますが 細長い体躯は船底、7階の白いプラスターは艦橋、頂部の塔はマストと船を連想させる建物です。
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日本橋1丁目です。山本山さんのお店で一休みしました。
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店の一番奥にある喫茶室です。
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山本山さんと言えば 海苔というイメージですが 実は日本茶の製造加工・販売もしています。
創 業  元禄3年4月 (1690年) の老舗です。
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日本橋菓子司「長門」の和菓子セットをいただきました。
「長門」はさくら通りにあるこれまた老舗の和菓子やさんです。
煎茶は好きなものを選べるので 私は宇治茶を。友達は 玉露を注文。
お湯もポットでつけてくれるので 互いに飲み比べできます。
香りのいい美味しいお茶を楽しみました。

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2013年07月19日

有楽町から丸の内

有楽町から丸の内あたりまで歩く。
目につくビルがいくつかあります。
まず 日本を代表する名門ホテルである 帝国ホテル東京新本館
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竣工年:1972年
高さ:17階
延床面積:240,250u(新本館+インペリアルタワー)
建築主:帝国ホテル
設計:高橋貞太郎
施工:鹿島建設・清水建設・大林組
所在地:東京都千代田区内幸町1-1-1
要人ではエリザベス英女王やフォード米大統領などが宿泊している。
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日本生命日比谷ビル(日生劇場)
設計: 村野・森建築事務所
竣工: 1963年
施工大林組
所在地 東京都千代田区有楽町1-1-1
完成時の座席数は1358、現在の座席数は1,330。重厚な外観と幻想的な内装を持つ建物として知られる。
鉄骨鉄筋コンクリート造8階建、地下5階。オフィス部分と日生劇場から構成される複合ビルである。
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日比谷サンケイビル(旧:大正生命日比谷ビル)
竣工年:1992年
施工:鹿島建設
設計:kajima design
高さ:12階 延床面積:5,880.63u
所在地:東京都千代田区有楽町1-9-1
旧称「大正生命日比谷ビル」。2000年に破綻した大正生命保険が本社として使用していた .
重厚で凝ったデザインになっています立て替える前のビルを模したものと思われます。
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丸の内パークビルディング
東京都千代田区丸の内二丁目
3つのオフィスビルを解体して一体的に再開発されました。
解体された丸ノ内八重洲ビルは1928年(昭和3年)竣工の近代建築であるため、一部がファサード保存され丸の内パークビルディングの外壁として保存・活用された。
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ファサードは保存された丸ノ内八重洲ビルの一部 です。
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内側はこんな通路になっています。

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2013年07月18日

東京国際フォーラム(ガラス棟)

有楽町駅です。上野ー新橋間連絡線として明治末期に建設されて以来、関東大震災、東京大空襲を生き残った貴重な鉄道遺産である赤レンガが見えます。
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駅前にある東京国際フォーラムに行きました。
ガラス張りの巨大アトリウムが輝きを放つ東京国際フォーラム。
ガラスの吹き抜けホール(ガラス棟)は「船」を題材にしており、その巨大な外観と共に、構造を露出した内部が象徴となっています。
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東京国際フォーラムは、国際コンペによって最優秀作品となったラファエル・ヴィニオリ氏の設計によるもので、大小4つのホール群からなる「ホール棟」と「ガラス棟」から構成されています。
世界でも類を見ない総ガラス張りの光あふれる大アトリウムが特徴のガラス棟の大屋根は、全長208mの船底の形です。
屋根鉄骨2,500tの重量を2本の大柱で支えています。
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東京国際フォーラム
設計者: ラファエル・ヴィニオリ(Rafael Vinoly)
構造設計:渡辺邦夫
設備設計:森村設計
施工 :大林組、鹿島建設、安藤建設、錢高組、五洋建設、藤木工務店、森本組、地崎工業、勝村建設所長 
葛和敬章受賞 :BCS賞(1998)
所在地: 東京都千代田区丸の内三丁目5番1号
竣工 1996年5月
3,600枚のガラスが鮮やかな曲線を描くアトリウムは 陽光がふりそそぎ明るいです(この時期は少し暑い)。
船底のような天井の下 中空に架かるブリッジやスロープの回廊となっています。空中散歩のように下を見下ろすことができます。
この国際フォーラムと似たような天井は 京都駅(JR西日本)です。
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京都駅(JR西日本)
建築設計:原広司 / アトリエファイ建築研究所
施工:京都駅ビル建設工事JV(大林・鉄建・大鉄他JV)
竣工:1997年7月
用途:駅舎・複合施設
構造:鉄骨造+鉄骨鉄筋コンクリート造
階数:地上16階、地下3階 (高さ60m、横幅470m、奥行80m)

BCS賞(1999)
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京都駅ビル中央駅舎部のコンコースは、4000枚のガラスを使用した正面と大屋根で覆う広々とした吹き抜け(横幅147m、奥行29m、高さ50m)になっている。吹き抜けの最上部には地上45mの空中径路が通っています。
大階段は段数171段、高低差は11階建てビルに相当する35m、全長は70mある。

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2013年07月17日

銀座 奥野ビル

銀座1丁目裏通り、奥野ビルのギャラリーに行きました。
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この奥野ビルについては 2013年03月28日のブログで紹介しました。
http://umeno87.sblo.jp/article/64121590.html
1932年に「銀座アパートメント」として建てられた地上6階(+1階、後に屋上に追加)、地下1階のビルです。
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ビルの左右で時期をずらして建設されたため、外から見ると2つのビル、中に入ると1つの建物。
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階段もそのまま2カ所にあります。並んでいてしきりはガラス窓です。
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階段が並んで二つある構造はとてもユニークです。境界のガラス窓が鏡かと錯覚しました。
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各部屋は小さくトイレも共同だそうです。
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建物はレトロでも、それぞれの室内はほとんどがきれいに改装されて、ギャラリーや事務所などになっています。
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入口は堅牢そうな感じで入ってすぐにエレベーターがあります。
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階数を針で刺し、ドアは手動というエレベーターです。扉は重くて開けるのにコツがいりそうです。
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花の銀座でまだこいういうものが残っているのはうれしいものです。
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内部はまだまだ頑丈そうなのですが 外壁はかなり古びていました。
外壁にも丸窓がついていて レトロな感じです。

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2013年07月16日

銀座の天使ちゃん

銀座4丁目といえば和光。
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下から建物を見上げています。銀座のランドマーク的建物です。
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銀座和光(旧服部時計店)
設計:渡辺仁
施工:清水組
竣工:昭和7(1932)年
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り
所在地:東京都中央区銀座4-5-11
和光から少し数寄屋橋方面に行くと 天賞堂があります。
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その天賞堂銀座本店の角にかわいい天使がいます。
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銀座の名所の一つとして知られています。この天使ちゃんは男の子です。
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天使ちゃんがやってきたのは1997年のこと。壁からそっと覗き見る姿は愛らしいです。天使 と てんしょうどうの言葉から、「キューピッド役」を果たし、ハートを射止められたカップルの来店を狙ったものだそうです。
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そっと のぞいてカップルを探す姿はかわいいです。
矢をすぐに放てるように、弓矢を体の左側にしっかり持って、お店の角から顔を出して、歩いてくるカップルを狙っています。
一度 いなくなったこともあるそうで 心配したみんなが探したところ、数百メートル離れた路上 にいたそうで 誘拐されたのか 自分で歩いていったのか・・・・どうかはわかりませんがそれから固定されたとのことです。
銀座に行ったら ぜひ天使ちゃんに会いに行ってくださいな。
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2013年07月15日

銀座 記念碑など

東京メトロ有楽町線・銀座一丁目駅近く カルティエ銀座2丁目店の壁面に「東京銀座通電気燈建設之図」プレートがあります。
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銀座2丁目のカルティエ前は、電気を使った街灯が初めて建てられた場所。
明治十五年十一月(1882)当地に初めてアーク灯が灯され、銀座に不夜城が現出した当時の模様を描いた錦絵を彫刻したものです。
『明治15年11月 ここに始めてアーク燈をつけ 不夜城を現出した当時の錦絵を彫刻してその記念とする  昭和31年10月1日』
アメリカ製発電機を用いて二千燭光のアーク灯が点灯されたそうで、こちらはガス灯よりもはるかに明るく、「まるで昼間のようだ」と人々を驚かせた。
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銀座発祥の地 東京都中央区銀座2丁目
銀座役所趾
慶長17年(紀元2272年 西暦1612年)
徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す
当時町名を新両替町と称せしも 通称を銀座町と呼称せられ
明治2年 逐に銀座を町名とする事に公示さる
   昭和30年4月1日建之 銀座通連合会
「銀座」は江戸時代金貨(小判)を扱う金座に対し、銀および銀貨の鋳造・取締りを司った幕府の機関で、慶長6年(1601年)に伏見に創設されました。同11年には駿河にも設けられ、同13年伏見銀座は京都に、同17年駿河銀座は江戸(現在の銀座2丁目。当時は新両替町)に移されました。これが銀座の地名の起こりです。
次は銀座4丁目のミキモト前です。
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2013年は養殖真珠発明120周年だそうです。
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真珠王記念碑  中央区銀座4-5-5 
碑文「 御木本幸吉翁は本年九十五歳養殖真珠の創始者で真珠王の名は全世界に及んでゐる當處南北十間の地は翁の店舗の場所である 昭和二十八(1953)年四月 銀座通聨合會」
昭和28年、幸吉翁95歳の時、真珠王の名を馳せた翁の功績に対し、銀座の誇りであるとしてこの碑が建立されました。
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2013年07月08日

銀座1丁目界隈アンテナショップ

銀座1丁目界隈に各県のアンテナショップがあります。有楽町の交通会館には前からいろいろあったのですが通りに面して出店したところがありますので行ってみました。もちろんお目当ては 福井のアンテナショップ。南青山にもあります場所柄利用しにくかったです。
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これが 食の国 福井館です。食に特化したお店で売れ行きNo1は地元の野菜だとか・・・残念ながらミニトマト以外 売り切れて何もなかったです。こじんまりしたお店の中にはイートインがありました。サバエドッグに興味をひかれましたが おなかいっぱいで食べられません。なんでも ごはんと豚肉をとんかつののように衣をつけて揚げたもので歩きながら食べれるソーツカツ丼だそうです。銀座なら近いので次回はきっと・・・・。あぶらあげやわかめ 梅干しなど、焼きサバ寿司とかいろいろ福井の食べものがあってうれしいです。
隣は 高知県。龍馬さんが立ってお迎えです。
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こちらは福井よりはるかに大きく野菜やしょうがお酒 ゆず お茶などたくさん並んでいました。
高知はしょうがですねぇ〜なるべく国産を食べたいので買いました。ミレービスケットも高知県です。馬路村のゆずも昔から使っています。
その隣は沖縄です。こちらのお店も大きいです。黒糖や沖縄でしか味わえない食べ物がたくさん売っていてお客さんも入っていました。
銀座1丁目のにはその他 広島や山形などのアンテナショップが並んでいます。
広島ものぞいてみたりしました。
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銀座柳通り

銀座一丁目と二丁目の間、地下鉄有楽町線の地上にあたる銀座柳通り。この画像は、銀座一丁目駅10番・11番出口付近の様子(中央通りと昭和通りの間)。
銀座1丁目 みずほ銀行前の歩道には銀座の柳由来の碑がありました。
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東京都中央区銀座1-7先
銀座の柳由来
銀座の柳は明治二十年ごろ銀座通りに植えられて以来大正九年撤去昭和六年復活の変転を経ながら数多くの詩歌にうたわれ人々に親しまれてきた銀座のシンボルとなった柳も樹勢の衰えもあって昭和四十三年歩道の大改修に当たり移植の止むなきに至った。
いまふたたびこの通り一帯に柳を迎えて「銀座柳通り」と名づけるに際し永く銀座の柳の由来を伝えるため碑を建立する 。銀座通聯合会

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2013年06月22日

銀座線新型車両1000系

地下鉄銀座線日本橋駅で電車を待っていたら 運よく旧1000形のDNAを受け継いだレモンイエローの車両が来た。
これはもう 写真を撮らねば・・と乗車せず写真を撮りました。もっとも2分後には次が来るのですものね。
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旧1000形の車体色は、当時、ベルリンの地下鉄に使用されていた車体色を模したものであり、地下にあっても晴れやかな明るさがあるということで採用されました。車体は、昭和2年の地下鉄開業当時から約40年間にわたり親しまれた銀座線旧1000形をモチーフとし、当時の車体色を再現するなどレトロ調のデザインとしました。

今から約85年前(大正15年)に設計された旧1000形の車体色に関する資料は残っていませんでした。ですから設計担当者地下鉄博物館に何度も通い 保存されている旧1000形の色と色見本を比べ 納得のいく色を見つけ出したそうです。
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銀座線新型車両1000系は2012年4月に営業運転を開始しました。レトロな色にする一方 環境配慮型の車両として、消費電力削減や走行騒音低減のための最新技術を取り入れているそうです。
レモンイエロー色の車体には銀座線のラインカラーを基調としたオレンジとホワイト、さらに東京メトロのコミュニケーションマークの背景色(「ハートM」の右側にある「東京メトロ」ロゴの背景色)「ダークブルー」の3色を配している。
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2013年、地下鉄車両では初の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
この1年ほどは1編成で1日十数往復でしたが 今年6月より、銀座線新型車両1000系を順次追加導入。2013年度は11編成66両を導入し、2016年度までに銀座線の車両をすべて1000系に置き換える計画だそうです。
まだ 数少ないレモンイエローの車両に巡り合えたのは ラッキーでした。次回は乗り込みたいです。
余談ですが この銀座線 場所柄時々有名人を見かけます。
渋谷からだと アナウンサー、芸能人など。
おとといは 阿川佐和子さんがすぐ近くに座っておられました。

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2013年04月05日

日本橋さくら通り

先月末 日本橋さくら通りに行きました。日本橋さくら通りは東京都中央区八重洲にある東京駅から茅場町方面に伸びる、約1kmの細い通りです。歴史は結構古く、昭和11年に桜が植樹された後に戦災で焼失し、昭和31年に改めて植樹されその時に『さくら通り』と命名されました。 東京都中央区八重洲1丁目5
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東京駅八重洲北口から茅場町に向かう二車線の一方通行の通りで、日本橋付近では左手に老舗の高島屋を望みながら続いています。

 桜の季節には約169本植えられている桜がトンネルを作り出します。日没後にはライトアップでさらにその美しさを際立たせています。
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八重洲〜日本橋はオフィス街なのですが 桜の咲くころのこの通りだけは 別の地区のようです。桜まつりも開催されます。
日本橋高島屋の1階正面ステージには、「2013春 華のおもてなし」が行なわれ、華道家元 四十五世 池坊専永による作品を展示してありました。
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その脇には日本橋高島屋開店80周年記念としてジオラマ作家 山本高樹氏が制作した開店当時(1933年)の日本橋高島屋(日本生命館)のジオラマを展示中でした。
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山本高樹 昭和幻風景 ジオラマ展は昨年10月に8階ホールで開催されました。ブログ記事です。

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2013年03月29日

銀座・ヨネケイビルディング

都銀座2丁目の中央通りにあるメルサ銀座2の裏側の通りに都選定歴史的建造物 ヨネイビルディング があります。。
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ヨネイビルディング 旧米井商店本社ビル
都選定歴史的建造物

所在地    中央区銀座 二丁目8番20号
建 物    建設年 昭和 5 (1930)
設計者    設計者 森山松之助
構造・規模  木造一部 SRC造 6階
調和性を重視した「ストリートアーキテクチャー」の一例。
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「ヨネイビルディングは、震災後、銀座に林立したオフィスビルの中で現存し、当時の趣を維持しているビルの一つであり、建てられた頃は銀座が大きく発展し、モボ・モガが街を闊歩していた。
 1階の外壁は、建築当時の状態をよく残しており、中世ロマネスク風の意匠で、らせん模様の柱をとつつけた大小のアーチ窓が石張りの重厚な壁面に軽快な印象を与えている。全体に調和生を重視した意匠で、突出したー直線の帯状の装飾により輪郭をきっちり枠どっている。
 東京都生活文化局」
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1階部分は、竣工当時の状態を残していて、 中世ロマネスク風の螺旋模様の柱をもつアーチ窓が特徴的です。
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ちなみに、NHKの連続テレビドラマ「梅ちゃん先生」で梅子の姉・松子の勤務する会社が入居するビルとしてロケが行われたそうです。

銀座に A.レーモンドの設計したビルがあります。
教文館・聖書館ビルです。
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教文館・聖書館ビル
中央区銀座4-5-1 /1933年竣工
設計:A. レーモンド /SRC造9階・一部8階
1885年(明治18年)創業の老舗。現在の社屋は銀座通りと松屋通りとに面した場所に構える。2011年12月現在、路面店として営業している銀座で唯一の書店である。
改装が繰り返されたようで竣工当時の面影はあまりないそうです。
内部のエレベーターや床に面影が残っているらしいです。

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2013年03月28日

銀座・レトロな建物

大通りから一歩裏に入るとノスタルジックなレトロ建築があります。
1932(昭和7)年竣工の銀座アパートメント(現:奥野ビル)です。
九段会館や青山同潤会アパートを設計した川元良一の建築。
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現:奥野ビル
中央区銀座1-9-8 /1932年頃竣工 /設計:川元設計事務所/RC造
スクラッチタイル張りの雑居ビル。最上階は明らかに増築と思われます。
スクラッチタイル: 引っ掻いたような表面のタイルで、平らなタイルとは異なる独特の風合いをもつ。大正から昭和初期にかけて流行した。
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現在も入居者がいて 中に入れます。エレベーターに特徴があるそうですが 外観だけ見ました。
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1F玄関の丸窓がレトロな雰囲気です。
裏通りを歩くと 古い建物に気が付きます。
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昭和通りにある竹田ビルです。銀座2-11-6 1932( 昭和7年)施工 最上部は増築です。数少ない戦前派のビルのひとつです。
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銀座に残る戦前のビルですが建て替えになるのか 改装するのかシャッターが降ろされていました。 
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変わらぬ堅実な手仕事が評判を呼ぶ「むさしや足袋店

住所:東京都中央区銀座4-10-1
1874年創業、銀座の一角に静かに佇む老舗の足袋店。顧客には著名な演歌歌手や歌舞伎俳優、芸者衆がいるほか、日本舞踊や茶道の生徒さんが先生にすすめられて、訪ねてくることも多いそうです。
足にあわせたオーダーメイドも可能だそうです。
2月に写したものです。半世紀以上この地で営んでいました銀座むさしや足袋店は11月30日に移転のため閉店しました。
解体ですから 現在はもうこの建物はないかも・・・
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松屋東別館。中央区銀座3-7-9
1927年 設計者 不明 施工:清水組
銀座の松屋デパートの裏の駐車場のさらに裏に建っている古いビル。「震災復興〈大銀座〉の街並みから―清水組写真資料―」によると日本酸素株式会社が本社として建てたビルで、昭和2年に竣工している。清水組の施工である。
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アールデコ調なファザードが特徴。
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2013年03月16日

江戸歌舞伎発祥の地

京橋大根河岸青物市場跡の石碑のすぐそば 道路沿いに大型で凝ったデザインの記念碑が建っている。
江戸歌舞伎発祥の地 の石碑です。所在地 京橋3-4先
「江戸歌舞伎は、寛永元年(1624)中村座の猿若勘三郎が中橋(日本橋と京橋の中間)で櫓をあげたのに始まります。まもなく、市村座がこれに続き、やがて森田座、山村座が上演を公認されました。
  明暦以後、人形浄瑠璃等も含めて芝居見物は堺町、葦屋町、木挽町の3町に限られたので、4座はここに集まり、この3町は魚河岸と並んで最も江戸っ子的な気風を育んだ地となりました。「役者の氏神」といわれた市川団十郎をはじめ、市川団蔵、岩井半四郎、尾上菊五郎などのスーパースターが絶大な人気を得、文化・文政期には『東海道四谷怪談』で名を残した鶴屋南北(四代目)が出現、また、長唄の杵屋六左衛門、囃子の田中伝左衛門なども輩出し、まさに江戸歌舞伎は大衆文化の項点に立つようになりました。山村座が取り潰される原因となった絵島・生島事件(1714)は、この頃すでに歌舞伎が庶民に限らずあらゆる階層の人々を熱狂させるものとなっていたことを示しています。 」
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碑の中央には 勘亭流の書体で「江戸歌舞伎発祥之地」とあり, 和文と英文で 碑文が書かれている。
碑文
「史跡 江戸歌舞伎発祥之地 大谷竹次郎題
寛永元年二月十五日 元祖猿若中村勘三郎 中橋南地と言える此地に猿若中村座の芝居櫓を上ぐ これ江戸歌舞伎の濫觴也 茲に史跡を按し斯石を鎮め 国劇歌舞伎発祥の地として永く記念す
昭和三十一年七月 江戸歌舞伎旧史保存会」
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中村座の始祖、猿若勘三郎は歌舞伎の「猿若」で、天下の名優とうたわれ、元和8年(1622年)、江戸に下り、「猿若座」(中村座)の櫓をあげました。この地に太鼓櫓を許されたのは寛永元年(1624年)ですが江戸城に近いという理由で長谷川町へ移転、のち境町へ転じています。
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中村座(なかむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で江戸三座のひとつ。座元は中村勘三郎代々。控櫓は都座。
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東京都江戸東京博物館に中村座の正面部分が原寸大で復元されています。
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2013年03月15日

京橋大根河岸青物市場跡

 銀座1丁目交番側の高速道路下あたりに、京橋大根河岸青物市場跡の石碑があります。
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京橋大根河岸青物市場跡

所在地 中央区京橋3-4先
 寛文4年(1664年)に水運のよい京橋川に野菜の売り場が設けられ、昭和10年(1935年)に築地に市場が移されるまで、庶民の台所を支える青物市場として栄えました。

 冬になると10本まとめにしたたくさんの大根が舟から下ろされ、まるで大根の花が咲いたようだったため、大根河岸といわれたといいます。
京橋大根河岸生誕350年記念行事のお知らせがありました。
「築地市場青果部の歴史は古くその源は徳川4代将軍家綱の時代、寛文の頃(1661〜1673年)まで遡ります。
平成26年(2014年)にはその源である「京橋大根河岸」の生誕350年を迎えます、
数寄屋橋から京橋に移転、昭和の始めまで「京橋大根河岸」と称し青果物を手広く扱い江戸庶民の台所を賄ってきました。
当時は亀戸大根・練馬大根・小松菜・東京うど・滝野川牛蒡・品川蕪・千寿葱・寺島茄子・馬込人参・内藤南瓜・早稲田茗荷等々の江戸野菜が所せましと商われておりました。
昭和10年(1935年)中央卸売市場が築地に開設されたのを機に当時の問屋集団が卸売会社を結成し入場し今日の市場取引の基礎を築きました。
築地市場は間も無く新設される豊洲市場に移転を致します、設備や取引は近代化をされますが古き良き伝統は守り続けたいと存じます。
その古き良き伝統を忘れない為と築地市場の青果部が日本一になることを祈願しこの行事を企画しました。
平成24年6月から2年間、大根を毎月1回350本を無料配布いたします。京橋大根河岸会 事務局」
毎月 大根を配布しています。今月は3月8日に配布されている様子がTVで放映されていました。
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京橋と京橋川の説明板があり 写真がありました。
大根河岸のにぎわい
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大根河岸
 「大根河岸は、数寄屋橋辺りに形成されていた青物市場が火災にに遭った後、水運の便が良い京橋の北西沿岸に移転したことに始まるとされる。この河岸地では、大根の入荷が多かったことから大根河岸と呼ばれて大変なにぎわいを見せていた。しかし、大正12年(1923)の関東大震災の後に中央卸売市場が築地に完成したことにより、大根河岸も昭和10年(1935)に移転した。
 なお、この地にある「京橋大根河岸青物市場跡」の碑は京橋大根河岸会会員により昭和34年(1959)に建立されたものである。」
京橋
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明治初期(井上安次・版画)中央区立京橋図書館蔵
 「名称の由来について「新撰東京名所図会」では「京橋川に架する橋にて。日本橋、江戸橋に対して名けたるものなり」とあり、また、日本橋から東海道を通って京へ向かう最初の橋にあたることから名付けられたともされる。
 橋の創架については様々な設があり明らかではないが、「京橋区史」によると京は古来より其の名著はる。
創架の年は慶長年間なるが如し」とある。また「新撰東京名所図会」には「創建は詳かならされとも。其の年月は日本橋と大差なかるべし」とあるので、この橋は慶長年間(1596〜1615)に初めて架けられたと考えられる。京橋は、幾度か架け替えが行われ、明治8年(1875)には橋長11間(約19.8m)幅員8間(約14.4m)の石造りアーチに架け替えられた。その後、市区改正事業に伴い明治34年(1901)に橋長、幅員共に10(約18m)の鉄橋となった。この橋は大正11年(1923)の拡幅工事により架け替えられ、昭和4年(1929)にも架け替えが行われたが、昭和38〜40年の京橋川埋め立てに伴い撤去された。
 なお、京橋の親柱は明治8年のものが橋北詰め東側と橋南詰め西側に、大正11年のものが橋南詰め東側に保存されている。」
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明治40年頃・中央区立京橋図書館蔵
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大正・中央区立京橋図書館蔵
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大正初年・京橋 都電と市街  中央区立京橋図書館蔵
京橋川
 「外堀から北紺屋町(現在の八重洲二丁目)と南紺屋町(現在の銀座1丁目)との間に分かれて東に流れ、白魚橋先で川、桜川(八丁堀)・三十間堀と合流した。延長0,6Km。江戸時代には、比丘尼橋、中之橋、京橋、三年、白魚が架かる。
 その開削年代は詳らかではないが、家康の江戸入り後、慶長年間(1596〜1615)に行われた最初の天下普請で外堀とともに開削された水路であるとされる。比丘尼橋と中之橋間の左岸には新河岸、中之橋と京橋間の左岸には大根河岸、京橋と白魚橋間の左岸には、竹河岸、右岸には白魚河岸があった。
 京橋川は昭和38〜40年に埋め立てられて、屋上に東京高速道路株式会社の自動車道路がある細長いビルにかわった。現在、自動車道路の下は飲食店や駐車場になっている。中央通りと交差する京橋跡には「京橋大根河岸青物市場跡」と「江戸歌舞伎発祥の地」の碑(京橋三丁目4番地先)、京橋の親柱(京橋三丁目5番地先・銀座一丁目2番地先・11番地先)と「煉瓦銀座の碑」(銀座一丁目11番地先)が建っている。」
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昭和2年・大根河岸の朝(川瀬巴水)
太田区立郷土博物館所蔵

竹河岸

 竹河岸は、京橋川の北東沿岸の京橋と白魚橋間にある河岸地で、竹商人が多くいたことから里俗で呼ばれていた。竹の多くは、千葉県から高瀬舟に載せられて京橋川に入って来たものや、群馬県から筏に組んで送ったものであったという。
 青竹が連ねられている竹河岸の様子は、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれており、その光景は目にさわやかな風物詩であった。
白魚河岸

 京橋川の西沿岸に設けられた河岸で、享保年間(1716〜1736)南方に設けられた白魚屋敷にちなで白魚河岸と呼ばれていた。
新河岸

 京橋川の北西沿岸の比丘尻橋と中之橋との間にある河岸地で薪炭を扱う問屋が立ち並んでいたことから呼ばれていた。
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江戸名所百景 京橋竹河岸
中央区立京橋図書館所蔵
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昔は運河と河岸の問屋街

 「江戸の人口は中期以後100万とも110万ともいわれ、この膨大な人口を支える物質の供給は、大量輸送のできる海上、河川運輸に頼っていました。海に面した商業地である中央区域には、このための運河や河岸が幾つとなく設けられ、なかでも日本橋川、京橋川、三十間堀、八丁堀の河岸は水運の大動脈ともいえる要路でした。日本橋川につながる船入り堀には塩河岸・米河岸・小舟河岸・堀留河岸があり、米穀類や塩物・乾物類の問屋倉庫が白壁を見せて並び、京橋川に沿つては薪河岸・竹河岸等の名のとおり薪炭・竹木類を扱う問屋が並んでいました。
  また、海産物は室町1丁目から小舟町にかけての日本橋川に沿った一帯に魚市が立って、大いに賑わいました。
  このように商業活動が盛んになってくると、商人たちの間で組織がつくられるようになりました。日本橋では元禄7年(1694)大阪から上がってくる諸荷物の荷受け問屋たちが集まって、海難などの積荷の共同損害保障をはかる十組問屋が誕生。文化10年(1813)にはこれが発展、変化し一種の独占団体である株仲間となりました。なお、魚市場では、本町船組、本小田原組、本船町横店組、安針町組の四組問屋がつくられました京橋と京橋川の案内板より

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2013年03月14日

ホテル西洋銀座

京橋親柱の前にあるのが ホテル西洋銀座です。
東京都中央区銀座一丁目11番2号
江戸東京博物館と同じ菊竹清訓氏による設計
銀座テアトルビルの竣工に伴い、87年3月に開業した客室数77室の小規模ホテルであるホテル西洋銀座は、 スモール&ラグジュアリーという独自路線で日本を代表するセレブリティホテル。内装が品がよくゴージャスとのことです。
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2008年11月21日、「ミシュランガイド東京日本語版2009」の「快適なホテル格付け順」で、「黒い家マーク5つ」を獲得しました。
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日本で初めてコンシェルジュサービスを導入し更に全室に日本で唯一の24時間バトラー(執事)サービスを取り入れました。バトラーとは執事のこと。小規模ながら、品格があり、なおかつ温もりが感じられ海外や国内の有名企業のトップや著名人が、自宅のように寛いでいるということです、おもてなしの態勢が整っていて 居心地の良さにリピーターとなった人が多いそうです。“セレブなホテル”としてスケールではなく質で対抗したのがホテル西洋銀座です。
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しかし残念ながらホテルが入居する銀座テアトルビルが売却されることに伴い、「銀座テアトルシネマ」や「ル テアトル銀座 by PARCO」とともに、2013年5月31日をもって営業を終了し閉館することとなりました。
そのお隣にあるのが 警察博物館です。
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警察博物館
東京都中央区京橋3丁目5番1
入り口にピーポくんが見えます。
警察博物館(けいさつはくぶつかん)とは、警視庁の歴史と活動に関する資料を展示している日本の博物館で入場は無料。
1Fに実物の白バイなどが展示されているそうです。今回は外観だけの見学です。
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2013年03月13日

銀座一丁目交番/銀座煉瓦之碑・ガス灯

明治、大正の古い親柱が残る京橋跡に建つ銀座一丁目交番(警視庁築地警察署)は、絵本の中のおうちのようで かわいらしい。
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東京都中央区銀座1-2-4
これは 前出の大正11年(1922)の親柱の柱頭と同じデザインなのです。
1984(昭和59)年竣工 署員から募集したデザインを取り入れ、大成建設の桜井凱昌氏が設計してたのだそうです。
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交番は古い洋館風の煉瓦造りで明治の京橋と銀座煉瓦街を思い起こす雰囲気です。丸窓を中心に、全体に鋭角を排除し造りが温かく感じられます。
交番の前の道路反対側の大正の親柱の隣には「煉瓦銀座の碑」とガス灯が置かれています。
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煉瓦銀座之碑(れんがぎんざのひ)
 
中央区銀座1-11-2/東京メトロ・京橋駅、銀座1丁目駅
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明治5年(1872年)2月26日に発生した銀座大火は銀座全域を焼き尽くし、その猛威は築地方面までおよんだ。当時の東京府知事、由利公正(ゆりこうせい)は、羅災した銀座全地域を不燃の煉瓦造りの街にすることを計画し、煉瓦街が35戸造られた。また、街路照明はガス燈が採用された。
由利公正(1829-1909) 福井藩士の子として生まれる。藩主松平慶永の顧問、横井小楠の実学思想に影響を受け、当時、窮迫していた藩財政の再建に成功、優れた手腕を発揮した。明治政府の発足当初、新国家の基本方針を示した「五箇条の御誓文」の草稿を作成した。その後、東京府知事、元老院議官、貴族院議員などの要職を歴任した。
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明治5年(1872年)の大火の後、街の不燃化が計画されて銀座煉瓦街が建設され、以後この煉瓦街と街路樹の柳は銀座の名物となった。煉瓦街も柳も街の発展とともに姿を消したが、その後煉瓦が発掘されたのを契機に昭和31年(1956年)当時のままの「フランス積み」という方式で再現し、そこに煉瓦の碑が建てられた。
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 碑のそばには明治7年(1874年)のガス燈の実物が復元されており、さらにその隣には大正11年(1922)に造られた京橋の親柱が残されている。
明治7年に東京にガス灯が初めて点灯された時に、京橋から金杉橋の間に85基のガス灯が設置されたので、京橋は東京のガス灯発祥の地でもあります。
ガス灯は復元保存です。灯柱は当時のものを利用し、灯具は再現されたもので、古い上向きマントル一灯タイプのガス灯です。これは裸火ガス灯だった頃の名残。昭和62年に設置。
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これらの碑のある前の建物は「銀座テアトルビル」です。
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2013年03月12日

京橋の親柱

京橋から銀座へ向かう。中央通りの高速道路下に京橋の親柱が保存されている。
京橋の親柱
区民有形文化財・建造物
  所在地: 中央区京橋三丁目及び銀座一丁目(旧京橋橋詰)
  「京橋は、江戸時代から日本橋とともに有名な橋でした。橋は、昭和34年(1959年)、京橋川の埋め立てによって撤去され、現在では見られませんが、その名残をとどめるものとして、三本の親柱が残っています。

 橋北詰東側と南詰西側に残る2本の親柱は、明治8年(1875)当時の石造の橋のものです。江戸時代の橋の伝統を引き継ぐ擬宝珠(ぎばし)の形で、詩人佐々木支陰の筆によって、「京橋」「きやうはし」とそれぞれ橋の名が彫られています。
 一方、橋南詰東側に残る親柱は、大正11年(1922年)にかけられた橋のものです。石及びコンクリート造で、照明設備を備えたものです。

 京橋の親柱は、明治、大正と二つの時代のものが残ることから、近代の橋のデザインの変化を知ることができる貴重な建造物として、中央区民文化財に登録されています。」
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 「京橋は日本橋と同時代の慶長年間に架橋されたものです。東京市が区政をしいたとき、その名を採って区名としたほど市民に親しまれ江戸中期にはここの擬宝珠に縄を結んで願うと咳止めに効くといわれました。現在はちょうど高速道路の下となっていますが、橋畔南詰にその一部を残し、京橋記念碑となっています。
京橋は明治8年(1875)、江戸時代の木造の橋より、石造単アーチ橋へと架け替えられました。
 現在、その時の親柱2基と大正11年(1922)に設置された照明設備つき親柱1基が中央通りの歩道に建てられています。
 京橋川は昭和34年に埋め立てられ、京橋も撤去されましたが、明治・大正の京橋の姿をしのばせるものです。 」
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京橋記念碑
所在地 中央区京橋3-5先

 京橋は古来より其の名著しる。創架乃年は慶長年間(1596〜1614)なるの如し。明暦以降しばしば架換へらし大正11年(1922年)末現橋に改築せしる。この橋柱は明治8年(1875年)石造り架換へられたる時乃擬寶珠欄干の親柱をして橋名の書は明治の詩人 佐々木支陰乃揮毛す係るものなり。昭和13年(1938年)5月
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この親柱の形が 交番の建物になっています。

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2013年03月11日

明治屋京橋ビル(中央区)

京橋の中央通り沿いに建つ輸入食材や高級品などを扱うスーパー『明治屋』の京橋店は
民間建築として初めて建物の地下部分と地下鉄銀座線の京橋駅に直結するよう計画して建てられた現存最古のビルです。
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明治屋京橋ビルは明治屋の本社ビルとして昭和8(1933)年3月に建てられました。手掛けたのは辰野金吾などと並ぶ工部大学校(現東大工学部)造家学科一期生、曽禰達蔵の曽禰中条建築事務所です。
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曽禰の晩年(80歳)の作品であり 華美な装飾はないものの、昭和初期のハイレベルな建築技術とイタリア・ルネサンス様式による秀麗な細部装飾が施されたビルです。蛇腹や照明をよく見るととても凝った造りです。
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明治屋京橋ビル
  区指定有形文化財(建造物)
  所在地: 京橋二丁目2番8号
「明治屋京橋ビルは、昭和8(1933)年3月、株式会社明治屋の事務所と店舗を兼ねた本社社屋として建設されました。当ビルは、戦前期に日本で最大規模かつ最良の設計組織と称された曾禰中條建築事務所が設計した鉄骨鉄筋コンクリート造(地上8階・地下2階)のオフィスビルです。
 イタリア・ルネサンス様式による秀逸な建築デザインとともに、昭和初期の高度な建築技術を反映させた貴重な近代建築です。特に当ビルは、曾禰達蔵が手掛けた希少な現存作品で、虚飾を排しつつも繊細かつ華麗な装飾が随所に表現されています。
 また、民間建物では初めて建物地階部分と地下鉄駅とを連結させるように計画して造られており、地下鉄駅と一体化して建設された現存最古のビルとして、歴史的にも文化的にも価値のある建物となっています。
 東京大空襲や周辺の環境の変化を乗り越えて今日まで保存されてきた明治屋京橋ビルは、昭和史を語り継ぐ貴重な文化財であるとともに、近代建築史上重要な建造物といえます」
竣工 :1933年(昭和8年)
所在地:東京都中央区京橋2-2-8
設計 :曾禰中條建築事務所
施工 :竹中工務店
構造 :鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階、地下2階
備考 :平成21年 中央区民文化財、区指定有形文化財
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1・2階は他の古いデパートにも見られるファサード。竣工当初は6・7階がレストラン中央亭の客室、8階が調理場で、アーチ窓の上に「RESTAURANT CHUOTEI」のネオンがありました。
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「アメリカ型オフィスビル」とも言われ ニューヨークなんかもでよく見かける形です。
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地下鉄の入り口です。
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明治屋ビルは耐震化と修理工事を実施して保存されている。隣接地は再開発で大きなビルが建設中でした。出来上がったらあまり目立たなくなるかも・・・。
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2013年02月20日

山二証券(近代建築)

東京証券取引所(東証アローズ)の西側 見学者受付がある角にレトロな建物が2つ並んでいる。
この界隈には多くの証券会社が集中していますが 戦前の建物ということでこの二つの建物は貴重なものです。
山二証券旧成瀬証券の建物は どちらも同じ設計者(西村好時)だそうです。
角地にある 山二証券の建物から見て行きます。
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山二証券 東京都中央区日本橋兜町4-1
旧山二片岡商店 1920年代(大正末期)
設計 : 西村好時
施工 : 清水組
鉄筋コンクリート造4階建て
西村好時は第一銀行の営繕部に長い間籍を置き、この当時の銀行建築の第一人者でした
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外壁は、1階部分が石貼り、上層部はタイル貼りの仕上げ。屋根はスペイン瓦を用い、煙突があり、丸窓や飾りのあるアーチ窓を部分的に配したスパニッシュで。鉄筋コンクリート造り、見る方向によって3階建て、又は2階建てに見えますが奥にもう1階あるので実は4階建てという建物です。
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1階は石造りで2階から上はタイル貼りになっています。
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丸窓にアーチ窓。凝った装飾がされています。
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建物全体を覆う屋根瓦は適度な傾斜をもち ヨーロッパの旧市街の建物の様です。
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北側の出入り口にも装飾があります。
兜町の周囲の高層のビルの谷間に昭和初期の 古き時代を思い起こさせる建物があり 現在もきちんと営業をしているということに感激しました。
そのお隣もまた 同じ時期に作られた建物です。
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2013年02月19日

兜神社(中央区日本橋)

兜町の日証館のすぐとなり、首都高速道路の高架下で、見落としがちな場所に (そこだけ木立があります)兜神社があります。
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兜神社  中央区日本橋兜町1-8
兜町」は平将門の兜を埋めて塚にした所を兜山と云ったところから由来しているという。その地に祀られたのが兜神社である。兜神社の縁起は平將門の兜が一番古い(伝承の中での起源)縁起であるが、他に兜神社の由来は源義家が奥州往きの途中に暴風に出会い鎧を沈めて竜神に祈って無事を祈った場所に、都への帰途兜を埋めて塚を築き埋めて神を祭ったという故事を縁起とするものもある。」

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江戸時代、弘化2年(1845年)版の「楓川鎧の渡古跡考」の地図に、牧野亭の東北隅鎧の渡附近に鎧稲荷(平将門を祭ったのが起源ともいわれている。)と兜塚が描かれており、この頃既に当地の鎮守として又魚河岸へ出入りする漁民により信仰を集めていた。
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 明治4年(1871年)、東京商社(三井物産の前身にあたる商事会社)の移転に伴い、鎧稲荷と兜塚は鎧の渡と兜橋の中間に遷された。この時兜塚として祭られていた源義家公の御神霊を、兜神社として社を創建して祀り、更にこの神社は鎧稲荷と合併して、新たに兜町の鎮守・兜神社として定められた。
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夜には門が閉められるのでしょう。真新しい門があります。
「世話人会」の手で兜神社」の由来というパンフレットも設置されており、信仰厚い神社だと伺えます。
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境内には兜岩があります。
兜岩(兜塚)
所在地 中央区日本橋兜町1-8 (兜神社)
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兜岩の由来
  現在社前左にある兜岩の由来には、左記の諸説があるが、その裏付となるものは何も残っていない。
(1)源義家奥州より凱旋の際、東夷鎮定のため、兜を楓川のほとりに埋め一塊の塚となし、これを兜塚といつた。

(2)前九年の役の頃、源義家が東征のみぎり岩に兜を縣けて戦勝を祈願したことからこの岩を兜岩と呼ぶようになった。

(3)俵藤太秀郷(藤原秀郷)、平親王(平将門の尊称、天慶3年(940年)2月14日戦死)の首を打って兜に添へて是まで持来れるが、兜をば弦に埋めて塚となし兜山と云う。
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奥の石碑は明治27年と刻まれていますが何の石碑かよくわかりませんでした。

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