2012年11月21日

りんご

りんごの美味しい季節。
サクサクとして蜜があふれるようなりんごが好き。
昔はインドりんごと称して水分が少ないりんごがあった。
でも 日本のりんごが一番美味しい。
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子供の頃 熱を出したりお腹を壊したとき 母はりんごをすりおろしてくれた。
煮沸した木綿布でこして ジュースにしてくれたり すりおろしたまま食べさせてくれたりした。
熱のある体にとっては 甘く冷たいジュースがこのうえなく美味しいものだった。
その手間を考えもせず 何度も「飲みたい」といって困らせた。
少ししたら ジューサーを買ってその手間がなくなったのだけど 今度は後始末に困るとぼやいていた。
ジューサーが来ると りんごだけではなくいろいろなものが混ぜられて「栄養あるから」と飲まされることになって 次第にジュースと言わなくなっていった。
りんごジュースは市販でいくらでも買える。
だけど 子供の頃 母がすってくれた茶色のりんごジュースは今でも わすれられない。

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2012年10月28日

みかん

みかんを買う。

もうそんな季節なのだなぁ・・・と。
こたつでみかんは 定番だったけれど 都会暮らしではこたつそのものがなくて のんびりみかんを食べることもない。
食後のデザートとして食べるくらいになってしまった。

子供の頃は 箱にたくさんみかんがあって 好きなだけ食べていた。
兄などは一度に 何個も食べるものだから「そのうち顔が黄色くなるよ」といわれていた。
たしかにそうらしいが 柑皮症と黄疸は別物と知ってからは安心した。

冬はこたつでみかん・・・そんな ゆっくりした時間をすごした日々がなつかしい。
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2012年10月14日

スーパーに柿が売っていた。
ああ もうそんな時期なのだなぁ〜と。

新しい家に引っ越したとき 庭に何を植えようか・・・実のなる木がひとつあってもいい。そう思って苗木を買ってきたのが 富有柿だった。
 「桃栗三年、柿八年」と言われ、柿は実を結ぶまで長い年月を要するように言われていましたが 最近の苗は接ぎ木をしており、比較的早くから実をつけるようです。
たしか 植えてから3年ほどで実がなったと思います。
最初の年は数個。それから十数個になったのですが ある年はほとんど実がならなかったりもしました。
実を採る時期がむずかしく 遅れると 鳥にみなつつかれてしまいます。
鳥との競争のようですが 被害が無いときは 鳥さんのために・・と2〜3個残したりもしました。
十年ほど前 その地を離れてしまったので その柿の木が今もあるのかどうかは わかりません。

柿を見ながら そんなことを思い出してしまいました。
時々 おけさ柿を貰って食べていましたが あれは 甘くて美味しいから好きです。
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柿アレルギーになりませんように。。。。
古い写真を探したら 庭の柿が写っていました。なつかしいです。
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2012年10月11日

さやいんげん

子供のころいんげんの筋を取るのが いやだった。
ツメの間が黒くなるから・・
それでも それは子供の私のささやかなお手伝いのひとつだった。
そんなことを思い出しながら いんげんの筋を取る。
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そういえば 田舎ではなが〜い 三尺ささげといったか 50cmほどの長いものをジャガイモやあぶらあげと煮て食べていた。
田舎の味だけど なつかしく思えてくる。
東京ではあまりみかけないなぁと思いながら あれは本当は何だったのだろうか・・と。
いんげんなのか ささげなのか よく知らない。

田舎の家は街の中なので 畑などはない。庭も背戸というような 中庭だった。
線路向こうの 山の途中に畑があって農家ではないから 両親はそこで自分の食べる野菜などを趣味で作っていた。
いろいろなものを栽培していた。
野菜だけでなく お花も作っていた。

早朝 畑仕事から帰ってくる両親の姿を思い出す。
それは 私が大人になっても続いていた。
両親のささやかな 楽しみだったと思う。

そんな日があったのだと 元気な頃の姿を 思い出している。
あの畑は どうなったのだろうか・・・・・
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2012年09月26日

タバコの煙

ベランダに出ると 時々タバコの煙の匂いがする。
近隣の下の階あたりで だれかがベランダに出て吸っているのでしょう。自宅では禁じられているから 外で・・という軽い気持ちなのだろうけど 近隣には迷惑な話。掲示板にも 「近隣の迷惑になるから共有部分での喫煙はしないでください。 」と貼ってあるのだけれど 自分のベランダが 共有部分に当たると知る人が どれだけいるのだろうか。。と疑問に思う。
ベランダの煙は 洗濯物にタバコのにおいが付くし 私はすぐ 咳き込んでしまう。
嫌な思いをしている人は 多いと思う。

我が家は誰もタバコを吸わないし 実家も誰も吸わない。
だから タバコの煙にはとても敏感で 嫌な思いをする。

法事などで 親戚が集まると ヘビースモーカーが何人かいて 部屋中モクモクとなる。
文句の一つも言いたいけれど 何年かに一度のことで そこはじっと我慢する。なるべく遠くの席に座ったりして自衛するしかない。
田舎ではタバコ吸うことなど当たり前の権利なのでしょうね・・・
迷惑なものだという意識がそもそも 無いように思えた。
都会では 分煙が進んで 他人の前で吸いたいときは 断りを入れるか 外に出る。

歩行喫煙は 禁止のはずなのに時折 タバコを吸いながら歩く人を見かける。
こういう人は どこか他から来た人か マナーのない人と思い 離れて歩く。
罰金を取る 区もあっていろいろ工夫しているようだけど マナー違反の人はいる。

コンビニや珈琲ショップの前に 灰皿があるとそこは喫煙所となる。
東京駅丸の内北口 地下の喫煙所の白い天井は 飴色。通るときにいつも眺めては 密室の中の人の肺を想像してしまう。
余計なお世話なんですけどね。
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しかし 映画やドラマには タバコを吸う場面が多い。間を持たせるためなんだろうか・・・・・
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2012年09月24日

万年筆

今はほとんど使わなくなってしまった 万年筆。
万年筆をはじめて買ってもらったのは たしか中学に入学したときだったと思う。
ピンクの万年筆。とても大切にしていたのだけど いつの間にかなくしてしまった。
高校生になる頃には もっと書きやすいものを いくつか選んで買ったように思う。

その次に もらったのはずっしりと重い 銀のパーカーの万年筆。誕生日のプレゼント。
これはずいぶん書きやすくて 安い万年筆との違いに驚いたものです。
 だんだん万年筆など使わなくって 水性ボールペンだのボールペンだの安いものを使い そのうちほとんど文字を書くということがなくなって みなどこかにしまわれてしまっている。

世の中には いろいろな万年筆があって 手作りのものからオーダー品とお値段もいろいろ。金のペン先。うるしのボディ。そしてダイヤなど入れたりして おしゃれな持ち物 それ相応の身分を示す持ち物になっているかもしれない。

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というわけで 万年筆です。
今日は 私の誕生日であります。
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2012年09月22日

きゅうり

きゅうりは年中食べることができる。
塩もみ 浅漬け サラダと何でも美味しくいただける。

田舎では大きなきゅうりをあんかけ煮で食べていたのだけど あれは 加賀野菜の加賀太胡瓜だったらしい。
普通のきゅうり5本分の量があり 冬瓜と間違えられそうだけど れっきとした きゅうり。
これを 切ってだし汁で煮て あんかけにしておかかや生姜をかけて 食べる。
とろりとして 冷やしても美味しかった。皮を剥き、縦に二つ割にして中の種を取るので 子供でも食べやすい。
味は薄口しょうゆとみりん。できあがりは 黄金色のきれいな 料理です。

そんな風にして食べることもなくなってしまったので「きゅうりの煮たの・・・」は 懐かしい ふるさとの味です。
最近は きゅうりのからし漬けを食べています。
漬けというより からしと塩もみ。わりとさっぱりしていて美味しいです。
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これは 普通のきゅうりの絵。
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2012年09月20日

ピーマン

酢豚を作ろうと思い ピーマンを買いに行く。目的の産地のものはなかなかない。
探すと1個ずつ 袋に入った 秋田産があったので1個だけ買った。38円。高いのか安いのかといわれれば 大袋よりは高いのでしょうけど たくさんあっても困る。
しいたけは 長崎産乾ししいたけで代用することにした。
そういえば もう死語になっているけど 昭和の表現で頭がピーマンなんて言葉があったなぁ〜などと 思い出してしまった。

子供の頃は あの苦さというか独特の味が嫌で 好まなかったのですが 大人になるにつれて 食べることができるようになってきた。
「ピーマン」の呼称は、フランス語でトウガラシを指す piment 。英語では「sweet pepper」あるいは「bell pepper」と呼ばれる。
 日本ではパプリカといわれる 品種が綺麗なベル形の 赤や黄色のピーマンなのです。
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というわけで 今日はピーマン。
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2012年09月19日

サツマイモ

秋の味覚 サツマイモが 店頭に並ぶようになった。

サツマイモと言えば 関東で見かけるものはほとんどが「紅あずま」の系統。
たまに 安納芋もあるけれどこれは例外。

田舎で食べていたサツマイモとは少し違う。田舎では砂地のサツマイモがメインでした。

 石川県金沢近くの日本海岸の五郎島地区の砂地の畑で作ったサツマイモは「五郎島金時」といわれ肉色が白く 繊維が少なく 上品なおいしさ、甘さがある。
砂地の吸水性と通気性の兼ね合いがちょうど良く、ホクホクとした粉質である。金沢言葉で「コボコボ」というらしいが これは 粉質ではあるが決してパサパサではない、しっとりホクホクした状態をあらわすそうです。
今からおよそ300年前、元禄の時代に遠くさつまの国(鹿児島)から、加賀の国(石川県)へ種芋を持ち帰り、栽培を始め 五郎島にさつまいも栽培を伝えたのが太郎右衛門とのこと。

福井県を代表するサツマイモとしては福井県あわら市富津地区産のものに限られている「とみつ金時」。丘陵地で土壌がやや赤土を含む砂地で水はけが良く、海からの強い風が吹くところです。、ここで作られているとみつ金時は甘みが強く、適度な水分が詰まっているのが特徴です。

子供の頃はそういう サツマイモをおやつのように食べていたので 関東で食べるものはちょっともの足りないのです。
ふかしたり 焼いたり 秋にはサツマイモが身近にありました。
マンション住まいの都会ではサツマイモを買って 自宅で焼いて ふかして・・・という食べ方はなかなかできなくなりました。
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関東のサツマイモです。
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2012年09月17日

水族館(イルカ)

私が生まれ育った町には 小さな水族館がありました。
今では 現代的水族館になっていますし 入場料も1800円と高いのですが 当時は子供でもお小遣いを少しためれば入れるような値段でしたから 何度も行きました。
水槽のある本館と ペンギン アザラシ イルカなどのプールがあるだけの水族館でした。夏には水族館のプライベートビーチで泳ぐこともできましたし 子供用のプールもありました。でも季節はずれの水族館は当時は閑散としていました。現代的にしなきゃいけないのもわかります。

本館に入ると 真っ暗でひんやりとした独特の空気。酸素が濃いのかキーンと感じました。
目の前は2Fに吹き抜けの大きな水槽がありました。
そこでしばし目を慣らすと 水族館の元祖的な展示である「汽車窓式水槽」を順に見て行きました。
おなじみの日本海の魚やカニなどがいました。
天然の岩などを使っていました。実はこの強化硝子の古い水槽は今でも現役で使われているそうです。
このような数十年前の型の水槽が現役で活躍している水族館は、国内にはもうほとんどないらしいです。アクリルガラスになっていますからね。
窓型水槽を見て2Fに上がると 熱帯魚やタツノオトシゴ クラゲなどの小さな魚の展示がありました。これは一つ一つ額縁のような小さな水槽でした。 そして入り口の吹き抜けの水槽を上から見る事ができました。
現在どうなっているのかわかりませんがこの本館は現存しているそうです。

水族館は本当に好きでした。出入りの業者のおじさんが 一緒に車で連れていってくれ 無料で入れてくれたこともあります。中学生になると自転車で行きました。
年に二度ほど 学校で写生大会があり絵を描きました。
はやく絵を描いてしまい 水槽を見て歩くのが楽しみでした。
そんな絵なのですが なぜか毎年欠かさず 賞を貰いました。小学校中学校と一度も欠かしませんでした。
まぁまぁの出来だったのかもしれませんが入賞した 絵が戻ってくることはなく どんな絵を描いたのかほとんど記憶にありません。
副賞はたいてい 絵の具でしたから絵の具には困りませんでした。

水族館でも特に好きだったのが イルカです。
イルカを海で見たくて グアムまで出かけました。
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目の前で見ることができました。海で豪快に飛び跳ねましたし 遊びのつもりか船の後を付いてきました。
もちろん  アンダーウォーターワールド(グアム水族館)の100mの水中トンネルも見てきました。
水族館好きですから 沖縄美ら海水族館や大阪の海遊館はもちろんのこと 関東の水族館は訪問しました。
関東ではじめてみた 江ノ島水族館はやはり印象的でした。油壺マリンパーク 鴨川シーワールド 勝浦海中公園と見ましたし都内はもちろんあちこち行きました。
 私の水族館好きは 元祖 越前松島水族館からはじまっています。
ああいうシンプルな水族館はもうなくなってしまったのでしょうか・・・・いつでも気軽に入れる料金なら何度でも行きたいですが 1800円じゃ観光ついでにしか行けません。
そういう意味では 都立の葛西臨海水族園は安いかなぁ・・・小学生以下は無料。

イルカといえば竹芝客船ターミナル第2待合所にはイルカのオブジェがあります。
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硝子の壁面全部を使ったオブジェで 数頭のイルカが飛び跳ねています。
これを見ていると和みます。
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私もイルカの絵を描きました。
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2012年09月16日

うどん

以前千葉県に住んでいたとき 車で15分くらいのところに こだわりの「蕎麦屋」さんがあって それがとても美味しいので 時々出かけていって食べた。当時 普通の蕎麦屋に比べて 値段は高く ほんの3口で食べ終える 盛り蕎麦が 1000円だった。男の人は2枚食べないと満足できない量。しかも ご飯ものは一切無し。食べ残したりすると 店主の機嫌が悪くなり 次回からはお断り。むろん 子供はお断りで 夫婦でやっている 店でした。昼時と夕方2時間くらいずつしか開けていなかった。
松本で修行して開店したという店で その場で粉をひき 手打ちで蕎麦をつくるという 無愛想だけど美味しい蕎麦の店でした。
時代の流れもあって このようなこだわりの店が今も生き残っているかどうかはわかりません。

その店に たった1品だけ蕎麦以外の品がありました。
「釜揚げうどん」。かざり気もなく うどんとダシのきいた たれだけでたべるうどんは 蕎麦に負けず 美味しかったです。
それ以外にあのうどん以上のうどんに めぐり合ったことはまだ無いです。

うどんといえば 思い出すのが やはり子供の頃食べた うどんの味。
今思えば 単なる市販のゆでうどんで シコシコ感もなにもないゆでうどんなのですが かつおだしの効いた汁が美味しくてなつかくし感じます。
近くにうどんやさんがあって 母と時々食べに行きました。ご飯ものから 中華蕎麦にカレーまで何でもある食堂。その店の婦人と母が親しかったようです。母は一人では行かず必ず私をお供にしていきました。無愛想で可愛げのない私はおしゃべりもせずゆっくりとたべるので 婦人と話をするには都合がよかったみたいです。
家人へのいいわけにもなったようです。
かけうどんではなくて いつも「卵とじうどん」。子供の私にとってこれは 絶品。他のどのうどんより 美味しかったです。
体が弱かった私は熱を出し お腹をこわしたりで寝込むことが多かったのですが そんなとき 母はよく 出前を頼み「卵とじうどん」を食べさせてくれました。食欲がなくても うどんを食べると少し元気が出てきました。
あの「卵とじうどん」は 私にとって大切な思い出の味なのです。
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東京に来て一番残念だったのは うどんの汁が しょうゆ味でまっ茶色でしょっぱくて好みではなかったこと。
だからめったにうどんは食べません。
たまに薄い色の讃岐うどん風のものをみつけるとたべますが どうもピンときませんん。
それでも 関東風のうどんよりはましです。
だから どこかでうどんを食べるときは 「ざるうどん」と決めています。
これなら 薬味でなんとかたべることができます。
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インスタントラーメンなども地域によって 微妙に味が違うので ホンモノはその地に行って食べてみないとね。
東京に讃岐うどんの店は数多くあるけれど どれがホンモノなのか見分けがつきません。
博多とんこつラーメンも 博多で食べたものと 東京で食べたものとは違いましたし すすき野で食べたラーメンも東京で食べるものとは味が違いました。やはり本場で試してみないとね〜
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2012年09月15日

オムライス

オムライスは好き。
子供の頃から好きです。
子供の頃 デパートに行くと 「お子様ランチ」が定番でしたが 少し大きくなると「オムライス」になりました。
母の買い物には興味がなかったけれど お昼に食堂で食事をするのが楽しみでついて行きました。
家でも よく作ってくれたのですが デパートで食べるオムライスとはどこか違います。
母の作るオムライスもいいのだけど デパートのものには 独特の香りがあったように思います。

大人になって オムライスを食べることもなくなっていたのですが(それより 珍しい食べ物が巷にあふれていたせい) 10年ほど前 大森で名物というオムライスを食べました。
3~4個使っているという とろとろの卵のオムライスでした。とても美味しかったのだけど これは私が求める オムライスではありませんでした。

その後 日本橋で 創業昭和6年という 有名なお店の「オムライス」を食べました。
昔懐かしい味がして すごく美味しかったです。オムライスの本命というか これぞプロの技のオムライスで 文句なしです。
でも おいしすぎて 私の思い出の中のオムライスではありませんでした。シンプルでイメージ的には とても近かったです。

何度か オムライスを食べるのですが 卵が固すぎたり 柔らかすぎたり、味もケチャップそのままだったりで 合格品はありませんでした。
もちろん 自分で作っても納得のいくものはできません。
実家に帰ったとき 出前で オムライスを頼んで食べたのですが これも違いました。

デパートの大食堂のオムライスの味は 感傷的に美化されたものなのでしょうか・・・・
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何年か前に描いた オムライス。これは 日本橋のオムライスのイメージです。
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2012年09月14日

トマト

最近のトマトってあまり美味しくないように思う。
子供の頃食べたトマトは そのまま食べても甘くて みずみずしくて美味しかった。
品種が違うのかもしれないけれど えぐみがあったり固かったりして とてもそのまま食べる気にはならない。
サラダでドレッシングというのも良いけれど ウスターソースをかけて食べるのが私は好きです。

トマトも決して安くはないのに 先日の報道では 某大学のグループが100人で トマト投げをやる予定だったといっていた。
河川敷にブルーシートをひいてやるとのことでしたが 河川敷管理事務所の許可も事前にとらないまま計画したらしい。1日前に突然中止したとか・・・・

スペインのトマト投げは 熟しすぎた柔らかいの使うらしいし日本のものとは品種が違うのに 日本のトマトでやるのは無理っぽい感じがした。あたると痛そう。。。。第一 もったいない。ぐちゃぐちゃトマトを処理するのもすごく大変そう。
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あ〜〜完熟した美味しいトマト がぶっと食べたい。

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2012年09月13日

桐の花

「芭蕉の杖跡」 森村誠一 著 を読んだ。
 「おくのほそ道 新紀行」 と称し 芭蕉と同じように 深川から旅立つ森村氏の紀行文です。徒歩ではなく 文明を利用して 数回にわけて巡る旅です。
福井に立ち寄り 福井県知事と面談した時 福井県知事西川一誠エッセイ集 「桐の花」を貰ったということでした。
その エッセイが紹介されていました。
「初夏の頃、山際の美しい集落に桐の花がすっきりと咲く。 どこかの屋敷の桐のはずだが、しかし、どの家のものとも感じさせない。 独立した姿で凛としてあざやかな青を見せる。
こういう桐の花が好きである。 また、この村も、晩秋になるとたき火の煙があちこち野良にたなびく。 こういう景観がなくならないようにしたい」
そして知事が 詠んだ句が 「どの家の ものとも見えぬ 桐の花」

そういえば子供の頃 どの家にも 桐の箪笥があったように思える。もちろん 福井の実家にも古い桐の箪笥があります。
昔は 「娘が生まれたら桐を植え、嫁ぐ頃にその桐で作ったタンスを持たせよ」と言われていたそうです。
 桐は国内でもっとも軽い材料で、基本的に湿気を通さないので割れや狂いが少ない。 嫁入り道具に箪笥いっぱいの 着物を持たせるという習慣が続いていました。桐の箪笥は嫁入り道具にかかせないものだったのでしょう。

いろいろ思いをめぐらせながらなつかしく福井の章を読みました。
芭蕉は 福井では「天龍寺」に立ち寄ったことは確認されていますがその後は 曾良も北枝も同行していないので 永平寺における芭蕉の足跡は確認されていない。しかし 森村氏は芭蕉が立ち寄らないはずはないとの思いで ご自身は永平寺に立ち寄っています。

その後 敦賀気比での記述に 芭蕉とは外れるが「敦賀ムゼウム」に立ち寄ったとあります。第二次大戦中 ナチスの迫害を受けたユダヤ人を「杉原千畝」氏が人ユダヤ人の命を救うため 独断で通過ビザを発給した話は有名ですが その6000人のユダヤ人が日本に上陸したのがこの敦賀港だということです。
「敦賀ムゼウム」には 杉原千畝の命のビザや関係資料が展示されている。

桐の花は初夏、淡い紫色の花を鈴なりに咲かせる。葉が出る前に咲くので遠くからでも目立つ。
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絵は1輪だけを描いてみました。花は苦手・・・・

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2012年09月12日

茄子と生姜

9月になっても連日暑い。30度を超える暑さでいったい いつになったら涼しくなるのだろう。
カンカン照りなので 出かける気にもならず 体を動かすこともなくエアコンの効いた部屋にいる。
歩きたいという欲望もあるが 暑さに負けてしまう。

体をあまり動かさないから食欲も落ちる。お昼はさっぱりしたものを食べたくなり麺類となる。
蕎麦は大根おろしで食べる。冷やし中華はサラダ風で。うどんは 卵とじ。
ソーメンはさっぱりと ネギとノリ。
それに 茄子を焼く。そして生姜をすって しょうゆで頂く。
茄子の料理はいろいろあるけれど これが 一番美味しいと思う。

そろそそ秋ナス・・・美味しい季節となる。
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茄子と生姜。
しばらく 絵は描いていなかったが 描きはじめると絵描きも楽しい。
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2012年09月11日

キャベツ・白菜

キャベツと白菜が豊作で値崩れを防ぐため 廃棄・・とかいう記事を見た。
なんとも もったいないことだと・・・
キャベツも白菜も 高値のときは数百円していた。
普通は150円前後。安値のときは100円以下。こんなものなのですが 現在は130円くらい。時々98円。
そんな感じですから 決して値崩れはしていないと思う。
関東は 千葉 群馬 茨城 神奈川産などで たまに西日本産が入荷している。少し値段は高いが 私はあればそちらを買っている。
白菜は昨年 巨大なものだったのですが 今年はどうなんでしょ。
もう少ししたら 出回ってくると思いますが、去年のような巨大白菜はいやだな。

もう何年前だか忘れたが「月とキャベツ」という映画を見て 印象的でいいなぁ〜と思った。
その中の歌「One more time, One more chance」も好きだった。
山崎まさよしさん主演で もちろん歌も彼の歌です。

私自身も 20才くらいの頃 シンガーソングライターもどきで ギターを弾き 時々ステージに立っていたものだから この映画と歌が印象的でした。山崎さんのふわんとした雰囲気と歌がよかったです。

今日の絵は キャベツと白菜。質感がなかなか手ごわかったです。
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2012年09月10日

秋刀魚

昨日 東京・品川区で今年17回目となる恒例の 「目黒さんま祭り」が開かれ、たくさんの人が訪れたとのこと。
何故品川区なのか ということについては 目黒駅は、東京都品川区上大崎にあるからです。
来週は 反対側(目黒区)でも「さんま祭り」があるそうです。
ちなみに 品川駅は 港区なのです。

秋刀魚は旬のものですが 昨日スーパーで 1匹63円でした。大量にありました。
私は 青魚は食べることができないので買いませんでした。
先月 さんま不漁というニュースがあったようですが 今月に入り 三陸で豊漁になったらしい。

今日は「秋刀魚」の絵を描きました。
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なかなか難しかったです。
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2012年09月09日

梨(アレルギー)

毎年 知人の梨農家から 美味しい梨が送られてきて 食べていました。
今年も箱で送られてきたので ありがたく頂いています。
梨は大好きなので パクパク食べました。
ところが・・・食べるとどうも気分が悪い だるい 眠い、お腹も痛くなる。おまけに胸がつまって息苦しい。
気のせいだ、体調が悪いのだ・・で 何度か梨を食べるのですが食べるたび 同じ症状になる。これはおかしいと思い しばらく食べないと よくなる。どうやら 梨のアレルギーになってしまったみたいです。

いろいろ調べると 果実過敏症というのがあって 似たような症状なのです。
みずみずしい梨を目の前にして 食べることを断念しました。
入院中もキィウイアレルギーになったし 桃やメロンもあまり食べることはできないしで 梨だけが頼りだったのに・・・

というわけで もないのですが 久しぶりに梨の絵を描いてみました。
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あまりおいしそうじゃないですねーーーw
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2011年06月01日

あの日 3.11

あの日のことを忘れないうちに少し書こうと思う。
2011年3月11日 のことを。

東京都区内。東京駅まで数キロのところ マンション10F.

あの日 午後2時頃でかけようと思っていたのだが なんとなく午前中に用事をすませたほうがいいような気がして 11時頃出かけた。
1時ころには 帰宅し食事もすませて ほっと一息。

天気もよかったので洗濯物も取り入れのんびり PCに向かっていた。

2時46分。

PCがカタカタ揺れた。最初は あ・・地震かなと思ったくらいの揺れ。
そのうち 揺れが大きくなったのので部屋から出て TVをつけようとした。
揺れはだんだん大きくなっていった。リビングのドアが バタンバタンと閉まり始め 廊下側から手で押さえた。
廊下に出ていれば上から落ちてくるものはないしとりあえず無事かと思って トイレのドアをあけて
(ゆがんで使えなくなるのを防ぐため)玄関ドアも・・と思ったのだが 揺れが激しくて動けない。
たっているのがやっと・・・。腰を落としてひたすら耐えた。動けない。

大きなTV台が あっちこっちと滑った。ゴゴゴゴ・・音がする。ぎしぎし揺れる。この世の終わりかと思ったくらい。とうとう 東京直下型がおきたかと思った。

TV台がキャスターだったから ベランダ側の窓にあたって割れるかな・・と心配だったが どうやらコンセントが防いでくれたみたい。TVそのものは台に固定してあったから無事。
上を見れば 吊り下げ型の照明器具が ブランブランと大揺れをして 傘ははずれ今にも天井にぶつかって割れそうだった。そんなもののひとつや二つ割れたところで命に別状はないと 考えながら揺れが収まるのを待った。
震度5強。
隣接ビルの自動緊急地震速報のチャイムがピンポンパンポンなりっぱなしになっていた。

もし 予定通り午後出かけていたら と思うと 怖かった。

TVでは 緊急地震速報がでっぱなしで 東北・三陸沖が震源地と報道していた。
三陸沖でなんでこんなに揺れるのか・・と思ったらM8.4(後に M8.8 M9.0)とか表示されていた。揺れは長かった。2分40秒ほどだったそうだ。

とりあえず 家の中の点検。
TV台をもとに戻す。コンセントは抜けかかっていた。

箪笥 本箱 などすべての家具は 耐震用のマットなどガードしてあったので異常なし。
小型家電も粘着の耐震マットで付けてあったので無事。
食器棚本箱の硝子は 割れても飛び散らないよう テープを貼ってあったので無事。
キッチンの棚の上にあったカップめんがみな落ちて散乱していた。一番したに置いてあったペットボトルが倒れていた。
洗って流しの棚に乗せておいた 丼が1個落ちて割れていた。

部屋が乾燥しないようにと 机の上に洗面器に水を入れておいてあったんだけど すべてこぼれていた。棚の上にあった紙袋散乱。

人形ケースの人形は倒れていたが 破損なし。耐震マットのおかげで落ちることもなかった。
PCデスクの上の印刷機も耐震マットでくっつけてあったので無事。
キャスター付きの 引き出しケースなどは動いていた。

風呂 トイレ無事。
玄関のコート掛けもキャスターで動いていた。

洗濯機は3cmほど横にずれたみたいだが無事。

水道も出た。電気もついた。

点検が終わり こぼれた水を拭き 落ちたものを整頓し 部屋の外の様子をみようと思った。
余震は続いていたから そのたびに玄関ドアに モノをはさみ閉じ込められないようにしていた。

そのまま 玄関を出て エレベーターホールにいって 日本橋のほうを見た・・・とたんに ガタガタと防火扉が音をたてはじめた。
すぐ 大きな揺れが来て建物全体が震え始めた。歩くのもままならず 壁に手をつきながら部屋に戻った。これが 3時15分の茨城沖地震M7.4だった。

家人の安否を確かめたくても 電話はつながらなかった。
しかたなく メールを送った。cメール とEメール 両方。
どちらかが届けばいいと思い「こちらは無事です」との一言だけ。

余震の揺れに怯えながらTVを見ていた。
フジTV近くのお台場の火災が放映されていた。
そのうち 東北のほうの映像も入ってきて 津波が・・と言っていた。
画面を見れば じわじわと津波が押し寄せてきていた。
道路にまで水が来て あの車は大丈夫なのだろうか・・などと思っていた。
そのときは あんな大津波だとは思っていなかった。

夕方5時頃 空が真っ黒できのこ雲のようなものが遠く 千葉県のほうに見えた。
あれが 市原コスモ石油ガスタンク大爆発1回目だったそうだ。

空は黒くて墨を流したようで薄気味悪かった。おまけに雨まで降って・・・
地震の前後の空の色もおかしかった。
オーロラのような 黄色というかピンクというか・・淡いオレンジのような妙な空の色だった。

だから今でも ああいう空や 黒い墨を流したような空を見ると地震が起きるのではないかと不安になる。

夕方6時頃 家人から電話が入った。「あら 繋がったと驚いていた。何度かかけたみたいだった。
今日は帰宅を諦めて 仕事場に泊まる」という短い伝言。お互いの無事を確認しただけ。
もう一人の 家人からもメールが入る。どうやら 私からのメールが届いたらしい。
「無事です」との一言。

夕食を・・と思うけど 余震が怖くて火を使う気にならず ましてや買い物に出る気にもならずレトルトのものを レンジでチンして食べた。

とにかく 田舎に無事の電話を・・とかけてみたら 繋がった。
東京がそんなことになっているとは 先ほどまで知らず 電話したけどつながらなくて心配していたとのことだった。

TVはずっと つけっぱなし・・・。津波の被害が大きかったようだ。
原子力発電所は無事 自動停止したと報道していた。
そのときは よかった・・と信じていたのだが・・・・。

8時過ぎ 家人のもうひとりが歩いて帰宅した。1時間ほどで帰れたらしい。
どの道も 人であふれていたとのこと。

風呂と思ったが ガスが使えない!!

そうだ マイコンメーター・・と廊下に出て ガスメーターを操作して無事ガスも使えるようになった。

シャワーですませ ずっとTVを見ている。被害が甚大。
一晩中 緊急地震速報が流れ ビルのチャイムも絶え間なくなりうるさいほどになっていた。

揺れも大きく眠れない一夜だった。
自分の部屋のベッドには行かず 服のままリビングに布団を敷き横になっていた。

その日のうちに 緊急持ち出し袋を作った。
停電にそなえ 乾電池 ホッカイロ 懐中電灯 ヘルメット マスク ラジオなども手元に用意した。汲み置きの水を用意し 風呂にも水をいれ非常用にした。

トイレットペーパー 食糧 水が十分なことを確認した。
しばらく 外に出られなくても大丈夫だった。
エレベーターが止まってしまったので そのくらいの覚悟はした。(翌日には動いた)

そんな風にして あの日をすごしたのだった・・・・

早朝 かろうじて動いていた私鉄と地下鉄を乗り継いでもうひとりの家人が帰宅した。
3時間ほどかかったといっていた。

とにかく全員無事そろった・・・。。
posted by うめのはな at 15:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 絵とエッセイ