2013年12月28日

牛込見附跡

JR飯田橋駅西口前の交差点です。
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牛込見附跡。石垣の一部が道路の両側に対の形で残されています。
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「牛込見附」 門跡の石垣 (南西側)
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石垣の前に説明板があります。
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牛込見附跡 千代田区富士見2-9

  「江戸城外堀跡 牛込見附(牛込御門)跡

 正面とうしろの石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、ふたつの門を直角に配置した「枡形門」という型式をとっています。
 この牛込見附は、外堀が完成した寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、向い側の石垣の脇に保存されています。
江戸時代の牛込見附は、田安門を起点とする「上州道」の出口といった交通の拠点であり、また周辺には楓が植えられ、秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。
 その後、明治35年(1902)に石垣の大部分が撤去されましたが、現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。
かっての牛込見附の跡をイメージし、舗装の一部に取り入れています。千代田区」
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拡大写真。牛込見附(旧江戸城写真帳)
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堀にかかるのは牛込橋です。
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この 『牛込橋』 から 『新見附橋』 までの外濠は 「牛込濠」 と呼ばれ、 寛永13年(1636) に開削されているが、それまでは広大な草原であったという。
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牛込橋 千代田区富士見2・飯田橋4 〜 新宿区

「 この橋は、「牛込橋」といいます。
『御府内備考』によれば、江戸城から牛込への出口にあたる牛込見附(牛込御門)の一部をなす橋で、「牛込口」とも呼ばれた重要な交通路でした。また、現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる前は広大な草原で、その両側は「番町方」(千代田区側)と「牛込方」(新宿区側)と呼ばれてたくさんの武家屋敷が建ち並んでいたと伝えられています。
 最初の橋は、寛永13年(1636)に外堀が開かれたときに阿波徳島藩主の蜂須賀忠英によって造られましたが、その後の災害や老朽化によって何度も架け替えられています。
現在の橋は、平成8年(1996)3月に完成したもので、長さ46メートル、幅15メートルの鋼橋です。
平成8年(1996)3月 千代田区教育委員会」
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牛込見附の跡をイメージした模様が、舗装の一部に取り入れています。
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牛込橋は千代田区富士見二丁目から新宿区の神楽坂に通じている早稲田通りに架かっています。
当時千代田区側は番町方、新宿区側は牛込方と呼ばれ、旗本屋敷が並んでいました、その間は深い谷だったのを、水を引いて堀としたものだそうです。

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2013年12月27日

東京大神宮

東京大神宮ー東京のお伊勢さまと呼ばれています。
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伊勢神宮には行けそうもないのでせめてこちらでお参りを・・・
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東京大神宮  千代田区富士見2-4-1
「明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遙拝殿として明治13年に創建された当社は、最初日比谷の地に鎮座していたことから、世に日比谷大神宮と称されていました。関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは飯田橋大神宮と呼ばれ、戦後は社名を東京大神宮と改め、今日に至っております。
東京のお伊勢さまと称えられ親しまれているのは、伊勢両宮(内宮・外宮)のご祭神である天照皇大神(日本国民全ての祖神)と豊受大神(農業、諸産業の守護神)のご分霊を奉斎していることによります。
また、日本で最初の神前結婚式を執り行ったことで有名な当社では、現在も神前において伝統的な結婚の儀式を守り伝えております。天地万物の生成化育つまり結び近年縁結びに御利益のある神社としても知られ、良縁を願う人々のご参拝も年々多くなっています。」
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縁結びのご利益か 若い人が多かったです。
恋みくじ が人気のようです。
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恋みくじの絵もお守りもとてもかわいい巫女さんの絵でした。
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この神社は、遠く離れた伊勢まで足を運ばずとも、都内で手軽に伊勢神宮を拝めるようにと、明治天皇のご裁断で創建された遥拝殿ということです。
東京大神宮は東京5大神社のひとつです。
5大神社
・明治神宮(原宿)
・靖国神社(九段)
・大國魂神社(府中)
・東京大神宮(飯田橋)
・日枝神社(赤坂)
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お正月前ですが人が多かったです。古いお札を収める場所もありました。
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こんなに参拝者が多いのは伊勢神宮式年遷宮の影響もあるのでしょうか。
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左手に境内社が見えます。
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境内社 飯富稲荷神社
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飯富稲荷神社 東京都千代田区富士見町2-4(東京大神宮境内)
「東京大神宮が明治13年(1880)に伊勢神宮の遥拝殿として日比谷に鎮座した時から奉斎されていた稲荷であると伝えられている。関東大震災後現在地に神宮とともに移った。衣食住と商売繁盛の守護神としての「稲荷大神」と土地の守護神「大地主大神」を祀っているほか、不出世の名優と謳われた九代目市川団十郎が驚い信仰を寄せていたことから芸能の神としても信仰されている。

衣食住商売繁盛・芸能

祭 日 初午祭三月、夏季大祭八月十五日 」
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鳥居は道路沿いぎりぎりですので正面から写せません。
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このあと 飯田橋駅に向かいます。

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2013年12月26日

九段下〜飯田橋散歩路

東京メトロ東西線九段下駅で下り 九段下交差点に出ると和風の屋根の古い建物が見えます。
九段会館です。
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九段会館  千代田区九段南1丁目6-5
竣工 1934年(昭和9年)
昭和初期に流行した帝冠様式(ていかんようしき)の建物である。設計は同潤会アパートの川元良一、技術顧問として伊東忠太。
東日本大震災による天井落下死傷事故で閉館中。
九段下から飯田橋駅に通じる目白通りは「飯田橋散歩路(サンポーロ)」と名付けられ 「発祥の地」碑がたくさん建っています。
目白通りを行きます。
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ホテル・グランドパレスの前に東京女子医科大学発祥の地 の碑があります。
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東京女子医科大学発祥の地 千代田区飯田橋1-1
「吉岡彌生は明治33年(1900)12月5日、この地にあった至誠医院のなかに東京女医学校を創立しました。翌明治34年(1901)4月、同校は牛込区市ヶ谷仲之町に移転。のちに市ヶ谷河田町へ移転して現在の東京女子医科大学に続きます。吉岡彌生の至誠医院は明治41年(1908)に旧飯田町4丁目31番地に移り、関東大震災(1923)までありました。」
吉岡彌生は「至誠と愛に生きる」を建学の精神とし、女性の地位向上と我が国の近代医学史に大きな足跡を残しました。
もう少し行くと北辰社牧場跡 の碑があります。
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北辰社牧場跡 千代田区飯田橋1-5
「榎本武揚は明治の始め、北辰社牧場をここに開きました。幕臣榎本は文久2年(1862)オランダに留学を命じられ、当時のヨーロッパ事情や法律、化学などを広く習得しました。幕府が瓦解すると榎本は指揮下の海軍をひきいて函館までも転戦しましたが、黒田清隆や山田顕義らの率いる官軍の軍門に下り、捕われの身となります。しかし、彼の新知識を惜しまれて許され、新政府では幾多の要職を歴任しました。一方、旧幕臣子弟の為の育英黌農業科や北辰社牧場などを作りました。最盛期には乳牛が四,五十頭もいて新しい飲物、牛乳を提供していました。」
目白通りから東京大神宮へ向かう大神宮通りの入り口の角に建っているのが徽章業発祥の地 の碑です。
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徽章業発祥の地  千代田区飯田橋1-7
「この奥,大神宮通り向かって左側に 明治18年(1885),鈴木梅吉により 日本帝国徽章 商会が創られました。これは民間の徽章業のはじめで,特に明治末期,大正の初期にお いては 日本で唯一の徽章の製作工場として 大変栄えました。現在の徽章業の方々の大多 数は この商会の流れを汲み,徽章業は 飯田町の日本徽章商会から生まれた といわれてい ます。そして,現在もこのあたりは 徽章業に従事する人が沢山います。」
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大神宮通り入口です。
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東京大神宮。東京のお伊勢さまの文字があります。
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この通りは 日の丸が飾られています。(平日です)
商店街などでみられるカラフルな万国旗ではなく 日本国旗なのです。
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東京大神宮が見えてきました。
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2013年12月23日

東京駅で昼食

先日グラントウキョウノースタワー大丸東京店8Fのイノダコーヒでサンドイッチを食べました。
「イノダコーヒー」じゃなくて「イノダコーヒ」です。
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イノダコーヒは京都市に本店・本社を置くコーヒーのチェーン店。
正式名称には末尾の長音符は付かない。
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以前から友達がここのビーフカツサンド(¥1,890 )を食べたがっていたのでいい機会だといきました。
昼時少し前でしたが満席。すぐ席が空いて入ることができました。
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私はスモークサーモンサンドとクラムチャウダー (¥1,500)
濃い目のカフェオーレ付きでした。
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友人のは別料金でアラビアの真珠(ホットコーヒー)¥630
創業より「アラビアの真珠」と名付けたブレンドのコーヒーが特に有名。
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赤いコーヒーポットの絵柄が商標に使われています。
老舗のコーヒ店だけあって 香りとコクのあるとてもおいしいコーヒでした。
友人談:やわらかくてボリュームがあって 美味しかった。
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2013年12月18日

「グランルーフ」東京駅

2013年9月20日、八重洲口の2大高層ビル「グラントウキョウノースタワー」と「グラントウキョウサウスタワー」をつなぐ巨大な歩行者空間「グランルーフ」がオープンしました。
東京駅に行ったついでに見てきました。
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八重洲中央口外からの眺めです。
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エスカレーターで2階に上ります。
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クリスマスイルミネーション用のゲートがありました。
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壁面が緑化され手この部分にもLEDライトがつけられていました。
夜はきれいなのかも。
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人がほとんどいませんでした。
歩行者通路上にある2階はICT(Information and Communication Technology、情報通信技術)ゾーンだということです。
携帯電話のお店がありました。
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長さ約230メートルの大屋根と幅最大9メートルの歩行者通路、15店舗が出店する商業ゾーンなどからなるとのことで 地下の飲食店はにぎわっているのかもしれません。
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「光の帆」をモチーフにした大屋根だそうです。
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海原に浮かぶ白い船が置かれていました。
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2階から見た八重洲通りです。
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2013年12月17日

KITTEの巨大クリスマスツリー

JR東京駅前に今年、オープンした商業施設「KITTE(キッテ)」のアトリウム設置されたに巨大なクリスマスツリーを見てきました。
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高さ約14.5メートルの本物のもみの木で、人工の雪が降り積もっているようにあしらっています。
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雪に見立てた光の粒が天井から降り注ぎます。
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天井からLEDのイルミネーションが降りそそぎ本物の雪のように見えます。
KITTE ライトアップ プログラム.
「クリスマスに相応しい情緒的な音楽と、アトリウム空間全体に雪がしんしんと降り注ぐような光の粒による照明演出で幻想的な空間を創り出します」HPの動画で見ましたが 幻想的で 本当に雪が舞っているようでした。
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裏側から写しました。
ミラーボールに光を照射することで、光の粒が天井から壁面を伝って舞い散るように降り注ぎ、屋外で雪が降り積もっているかのような光の演出を施したそうです。
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2階から見下ろしてみるのもいいものです。
屋内設置では日本最大級のツリーだそうです。
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かまくら風のオブジェです。
屋外の1階のテラスでは、街路樹15本に約2万7千個の発光ダイオード(LED)を飾っているとのことで夜はさぞかしきれいなことでしょうね。
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2013年12月03日

神田川クルーズ7

32.和泉橋 千代田区神田佐久間町ー 千代田区神田東松下町
構造 : 鋼製 ヒンジ アーチ 橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
橋の北東には神田和泉町。橋の上を走るのは昭和通り。その上には首都高速が走ります。
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和泉橋』の名の由来は、伊勢の津藩藩主 「藤堂和泉守」 の上屋敷が近くにあったことからこの名が付いたといいます。
左岸上流の橋詰めには、05年に整備された防災船着き場があります。
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33.美倉橋 千代田区神田佐久間町ー 千代田区東神田
構造 : 鋼製 ヒンジアーチ 橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
三つの倉が橋の近くにあったから三倉と呼ばれるようになったとのこと。
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下流側には大きなガス管橋があります。
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34.左衛門橋 千代田区東神田ー 千代田区東神田
構造 : 鋼製 ヒンジアーチ橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
橋の下流側は、中央区と台東区の境。上流から千代田区です。
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左衛門は、江戸期にあった荷揚げ用の左衛門河岸からとりました。
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35.浅草橋 台東区浅草橋ー 中央区日本橋馬喰町
構造 : 鋼製 ヒンジアーチ 橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
左衛門橋をすぎると、たくさんの屋形船が 浮かんでいて、風景がガラリと変わります。
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江戸城外郭、浅草口に由来し 浅草から離れていますが、浅草の名前が付いた橋です。
橋の周辺は屋形船の基地になっていて、護岸の内側に船宿があります。
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36.柳橋 台東区柳橋ー 中央区東日本橋
構造 : 鋼製 タイド アーチ 橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
元禄11(1698)年に初架橋。現在の橋は関東大震災後架けられた鋼鉄橋。
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橋の周囲には柳の並木が作られていますが今は冬で 目立ちません。
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屋形船は江戸時代からありますが江戸文化を現在も引き継ぎ 船宿や屋形船がたくさん見られるこのあたりは タイムスリップしたような感じがします。
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神田川最下流の柳橋の向こうは隅田川です。
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2013年12月02日

神田川クルーズ6

29.万世橋 千代田区外神田ー 千代田区須田町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
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レンガ造りの構造物は、旧国鉄万世橋駅の遺構です。
1912年につくられた「万世橋駅」は関東大震災で焼失。1925年(大正14年)に再生しましたが 1943年に駅としての機能は休止。
その後交通博物館として愛されてきました。
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2006年に閉館。2013年 100年の時を経て2013年、赤レンガアーチの味わいはそのままに残し、新たな商業施設として「mAAch ecute(マーチエキュート)」がオープンしました。
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おしゃれなお店に生まれ変わっていて旧万世橋駅の開業時(明治45年)に作られたホーム部分を展望デッキとして整備しました。
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万世橋から手を振る人々。秋葉原が近いので人通りが多いです。
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写真にある水路は「真島町雨水幹線」と言われるもので 谷中2丁目の通称「へび道」を起点として根津、不忍通りの下を通って万世橋まで流れている雨水下水道幹線だそうです。
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親柱の下に小窓がたくさん…階段もあります。
ここは以前公衆トイレとして使用されていたそうです。
万世橋をすぎて すぐ見えるのがJRの橋です。
30.JRの橋
アーチ部分に隠れて少し 見えているのが 神田ふれあい橋です。
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31.神田ふれあい橋 千代田区神田佐久間町ー千代田区神田東松下町
構造 : 歩行者専用 鋼製 桁橋  
完成 : 平成 1年 (1989)
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上流側に隣接する新幹線の高架。新幹線の工事用の橋でしたが、地元の要望により工事完了後も撤去しないで、人道橋として供用されています。
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南側川沿いにに柳森神社が見えます。 室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社で、境内の福寿社は「おたぬき様」と呼ばれているそうです。
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次は和泉橋です。
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2013年12月01日

神田川クルーズ5

御茶ノ水駅です。工事用の橋げたがあって 聖橋がよく見えません。
「御茶ノ水駅」の線路上空に、御茶ノ水橋口と聖橋口を結ぶ人工地盤(約2,900u)を設置し 駅のバリアフリー化工事をしています。
5年後の2018年度の工事完了予定だそうです。
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25.聖橋 千代田区 神田 駿河台ー文京区 湯島
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ 橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
神田川、JR中央線、外堀通りをまたぐ橋です。神田川部分がコンクリートアーチになっていて 橋は船から見上げた時に最も美しく見えるようにデザインされています。通り過ぎてから振り向いて写しました。
ニコライ堂と湯島聖堂、ふたつの聖堂を結ぶことから聖橋といいます。
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26.地下鉄(東京メトロ)・丸の内線
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JR中央総武線の下にある神田川のところで短い距離ですが、地上に出ています。
丸ノ内線の電車と聖橋のいい場面に出合いました。
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神田川は時代に取り残されたような古い建物が並んでいます。
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27.JRの橋(総武線神田川橋梁)
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向こうに見えてきたのは 昌平橋です。
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28.昌平橋 千代田区外神田ー 千代田区淡路町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ 橋  
完成 : 大正12年 (1923)
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昌平の名は、近くの湯島聖堂に祀られる孔子の故郷に由来します。
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孔子の生地 「昌平郷」 にちなんで 「昌平學(昌平坂学問所)」 と名付けたとき 近くの神田川に架かる 『一口橋』 を 『昌平橋』 に改名したということです。
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この橋は江戸期から明治 昭和と橋の位置や架け替え名まえの変更 などの複雑な歴史をもっています。
歩道部のアーチ側面をレンガ張りにするなど、景観にも配慮がなされレストランなどが川に面して営業しています。
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次は万世橋。
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2013年11月30日

神田川クルーズ4

頭上を覆っていた高速道路がなくなり すっきりとしてきました。
22.後楽橋 文京区後楽ー 千代田区水道橋
構造 : 鋼製 アーチ 橋
完成 : 昭和 2年 (1927)
左手側には元々、水戸藩の藩邸があり、
そこの庭園が小石川後楽園から命名されています。
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写真では黄色の手すりの一部しかみえませんが 後楽園ブリッジです。
水道橋駅から東京ドームシティへ直接行ける、歩行者用の橋です。
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23.水道橋 文京区後楽ー 千代田区水道橋
構造 : 鋼製 桁橋
完成 : 昭和63年 (1988)
水道橋を右側に渡るとちょうどJR水道橋駅の入り口があります。
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江戸時代この橋の下流側に、神田川を渡る神田上水掛樋が架かっていました。

水道橋が見える橋、それが橋の名の由来となっています。
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ここは洪水を防ぐために設けられた分水路です。
御茶ノ水橋までは 渓谷のような景観のいい景色です。
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ドラマ「JIN」に出てきたような神田川の渓谷美です。
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江戸時代の初期に 「神田川」 が開削されてこの場所を流れるようになると、ここは 「お茶の水谷」 と呼ばれる深い渓谷になりました。
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中央線御茶ノ水駅付近の線路は、神田川に沿って構築された盛土上にあり、神田川と台地側切土に挟まれた地形上に位置するため現在防災工事 首都直下地震に備えた耐震補強工事を行っています。
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24.お茶の水橋  文京区湯島ー 千代田区神田駿河台
構造 : 鋼製 ゲルバー式 桁橋  
完成 : 昭和 6年 (1931)
「お茶の水」 の地名は、徳川家康 が鷹狩りに出掛けた際この辺りで休息し、 「高林寺」 の井戸水で入れたお茶がことのほか美味しく、この井戸水を将軍家がお茶に愛用したという逸話からきているとのことです。
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お茶の水の橋の橋桁(はしげた)の高さは かなり高いです。
この場所がいかに深くえぐられた 渓谷のような場所かわかります。
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御茶ノ水橋をくぐると ホームの電車と聖橋が見えてきます。
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2013年11月29日

神田川クルーズ3

15.南掘留橋 千代田区神田神保町ー 千代田区九段北
構造 : 3スパン 鋼製 桁橋
完成 : 昭和 3年 (1928)
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首都高西神田ランプがあるため圧迫感があり 暗いです。
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16.掘留橋  千代田区西神田ー 千代田区飯田橋
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ 橋  
完成 : 大正15年 (1926)
神田川掘削後、現在の 「日本橋川」 は三崎町の分流地点から、この 『堀留橋』 付近まで完全に埋め立てられて、いわゆる 「堀留」 になっていました。平成11年(1999) には、歩道や欄干などの修復が行われました。
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17.新川橋  千代田区三崎町ー 千代田区飯田橋
構造 : 3スパン 鋼製 桁橋  
完成 : 昭和 2年 (1927)
明治36年(1903) の 日本橋川再開削の後 江戸期に断ち切られていた日本橋川と神田川が再びつながりました。その工事によって掘られた水路の名前が新川。この橋の由来です。
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江戸東京再発見コンソーシアム の電気ボートとすれ違いました。
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桜並木のきれいなところです。
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18.あいあい橋 千代田区三崎町ー 千代田区飯田橋
(新たに架設された歩行者専用橋)
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 平成13年 (2001)
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逆光でみえませんが旧国鉄飯田町駅の再開発にともなう人道橋。
親柱には 『i-i bashi』
飯田橋の頭文字、アイデンティティのIを意味したり、「和気あいあい」などが橋の名の由来だそでうす。
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19.新三崎橋 千代田区三崎町 千代田区飯田橋
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 平成14年 (2002)
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三崎橋との間に中央線が通っています。
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飯田橋再開発事業に合わせて架け替えられました。
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20.JR中央線 総武線の橋です。
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21.三崎橋 千代田区三崎町ー 千代田区飯田橋
構造 : 鋼製 桁橋  完成 :
昭和29年 (1954)
右手には神田川を航行するゴミ運搬船と施設
その手前で、日本橋川が分流します。
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日本橋川では最上流の橋です。北側はもう神田川です。
合流地点からJR方向を見ています。
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この上のほうには 東京ドームが見えます。
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運搬船にごみを積み出す装置をもつごみ東京都清掃局の千代田清掃事務所三崎町中継所です。
清掃車で集められたごみは、ここで不燃ごみは運搬船に積み込まれ、この運搬船は神田川を下り、隅田川へ出て 東京湾内にある不燃ごみ処理センターに運ばれます。はしけ一隻でごみ収集車15〜20台分のごみを運べるほど輸送効率が良く、交通渋滞の緩和や排気ガスの低減に役立ちます。
江戸は水の都と言われるほど 川や運河が重要な交通路でした。
神田川が現在も「都心からのごみ搬出」に利用されているのです。
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奥に後楽橋が見えています。

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2013年11月28日

神田川クルーズ2

高速道路の下を船は行きます。
神田ジャンクションあたりです。
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鎌倉橋が見えてきました。
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8.鎌倉橋 千代田区内神-田- 千代田区大手町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
江戸城築城の際、資材を鎌倉から運び 陸揚げをしたのがこのあたりで、 鎌倉河岸(かし)と呼ばれ 賑わった場所でした。
鎌倉河岸の近くに架橋されたことから、この名前が付いたそうです。
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9.神田橋  千代田区神田錦町ー 千代田区大手町
構造 : 鋼製 3スパン 桁橋
完成 : 昭和55年 (1980)
将軍が上野・寛永寺に参拝するための 御成道 でもあったので、、警備が厳重な要所とされる橋でした。
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川も防衛上の理由で、蛇行しています。
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現在の橋は昭和55年(1980)、下を走る地下鉄千代田線の工事に伴って架け替えられたもの。
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10.錦橋  千代田区一ツ橋 ー千代田区大手町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ橋  
完成 : 昭和 2年 (1927)
すぐ近くの交差点の名前が錦町河岸。ここもかつて、江戸城建設の際に荷揚げが行われた場所です。付近は神田錦町と呼ばれています。
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コンクリートのアーチ橋がきれいになっているんですけど・・・
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錦橋 から 一ツ橋にかけての護岸には一部 石積み が残っています。
これら石垣のなかには、 普請を担当した大名の刻印が刻まれた 「刻印石(こくいんせき)をみることができます。
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11.一ツ橋 千代田区一ツ橋ー 千代田区一ツ橋
構造 : 鋼製 桁橋
完成 : 大正14年 (1925)
皇居内堀に最も近づくのが、この一ツ橋のあたりです。
このあたりにもかつて河岸がありました。
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徳川家康 が 江戸城 に入った頃には、この場所に 「丸太の一本橋」 が架かっており、『一ツ橋』 の橋名は、この 「一本橋」 から付けられたと伝えられている。
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アーチ状の 「橋台」 部分
少し先に共立講堂が見えます。
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12.雉子橋  千代田区一ツ橋 ー千代田区九段南
構造 : 鋼製 アーチ 橋  
完成 : 大正14年 (1925)
完成 : 大正14年 (1925)
外国からの使節をもてなすための 雉(きじ) や 鶏 を飼育する囲いがあったことから、 『雉子橋』 と呼ばれるようになったと言われています。

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13.宝田橋  千代田区神田神保町 千代田区九段南
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 昭和43年 (1968)
宝田橋の名の由来は、付近の宝田村からです。
現在この地名はなく この橋に残っているだけです。
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14.俎橋  千代田区神田神保町ー 千代田区九段北
構造 : 鋼製 桁橋
完成 : 昭和58年 (1983)
江戸名所図会にもその立派な橋の姿が描かれています。
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江戸時代から 「まな板」 のような 「板」 を渡しただけの簡素な橋だったことから『俎橋』 と呼ばれるようになったという。
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続きます。

posted by うめのはな at 06:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年10月06日

矢口書店・古賀書店

神保町古書店街 靖国通り神保町交差点と専大前交差点の中間に位置するレトロな建物があります。
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矢口書店&古賀書店です。
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矢口書店・古賀書店
1928(昭和3)年
設計・施工 : 不明
千代田区神田神保町2-5-1
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「洋風のファサードを意識した矢口書店・古賀書店・旧澤書店は、昭和3年に建てられた木造3階建ての建物で、古書店街である神田神保町の風景を特徴づける景観資源です。
 神田神保町は、一部を除きほとんどが戦災を免れています。歴史的建造物は神田神保町の1丁目に集中しており、震災復興期に建てられた看板建築が多く、意匠も互いが競い合うように創造的でユニークなものが多く見られます。千代田区観光協会」
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音楽書専門の古賀書店
古賀書店の創業は大正の初頭で、音楽専門店となったのは昭和の初めの頃。
クラシック愛好家が信頼を寄せる老舗の音楽専門店
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映画・演劇書専門の矢口書店、
映画・演劇・演芸・戯曲・シナリオの店
上方落語関連書も人気
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外壁に石造りを擬したモルタル塗りの装飾が刻まれていて、通り側にペディメントを向けています。
建物は昭和3(1928)年築。
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横から見ています。
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矢口書店・創業は1918(大正7)年
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建物の奥にも、(有)篠崎運送店と書かれた建物が見えます。
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この建物も看板建築で同じころ建てられたように思えます。
篠崎運送店そのものは 創業昭和27年で関東一円に本を配送しているそうです。
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その隣の建物も古いです。
古い建物が3つ並んでいるのもこのあたりでは珍しくなってしまいました。
神保町を歩くと 町並がすっきりしていることに気が付きます。
写真を写していて気が付くのですが 電線がないのです。
地中化されていので 外灯はありますが電柱はありません。
都内19区の国道 都道は80%地中化がすすんでいるそうです。
2020年までには100%にする予定だとか・・・
我が家の近隣も地中化が進んでいます。
外国人が日本に来て 驚くのは街中の電線だそうですから 景観 防災のためにもいいことなのでしょう。

posted by うめのはな at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年10月05日

神保町専大前交差点

神保町さくら通りを抜けると 専大前交差点南側に古風な建物が目に入ります。
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うなぎ専門料理店の今荘(いまそう)。角地を切り欠いて玄関を設け、玄関は唐破風、最上部は神社のような破風があり、その下に大きな丸窓があります。一見 遊郭風の建物です。昭和初期の木造3階建てです
1933(昭和8)年
設計 : 佐藤組
施工 : 不明
千代田区神田神保町3-15-1
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その反対側 さくら通り角にあるのが中華そば成光。
建造時期不明。改装したらしく 外観はとてもきれいです。
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木造2階建て。代田区神田神保町2-23-2
看板建築なのでしょうが地味な建物で 2階の窓の形や装飾的な軒蛇腹の意匠から見て、昭和初期のものと思われます。
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側面から見ます。2階の壁上部にわずかに装飾があります。
40年ほど前は中華屋ではなくお菓子屋さんだったそうです。
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昭和のレトロ感が漂う建物で 二階の窓が趣のある建物です。
靖国通り沿いに 戻ります。
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通りにある歴史と文化の散歩道の標識です。
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神田本屋街散歩は、靖国神社から靖国通りを神田小川町まで至る約1.7kmのみちのりです。
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旧飯田町と神田本屋街
 江戸時代このあたり一帯は、武家地であり、町屋は九段坂北側の旧飯田町だけであった。。この旧飯田町には、かつて文人などが多く住み、滝沢馬琴ゆかりの地でもあり、明治時代には尾崎紅葉を主宰者とする硯友社があった。
神田神保町周辺は、明治以後、周辺の大学拡張に伴って学生の街として発展した。
震災復興後の昭和初期には 銅板や装飾を施した街並みが続き、古書店が数多くの木を並べる町となった。
この本屋街の規模は世界に類を見ないもので。周辺の出版関連会社とともに、日本の文化や科学を支える役割を担っている。

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2013年10月04日

旧相互無尽会社・神保町さくら通り

8月に神田神保町すずらん通りを歩いたのですが 今度は反対側のさくら通りを歩いてみました。
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すずらん通りから西、神田神保町二丁目側の地域がさくら通り
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ここはほとんどオフィス街で 古書店や商店なども少なく 商店街というより、周辺と同じくビルの並ぶ通りです。
そんな中でみかけたのがこの建物です。
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周囲のビルと比べると、レトロ感のある建物です。
昭和初期にあった無尽会社(現在は相互銀行)の店舗でこのビルは1930年(昭和5年)、安藤組の設計により建てられました。
銀行にしては入口も小さく 奥行きもない建物で小口にお金を貸す事をメインにした金融機関の施設だと思われます。
戦後は相互銀行法の制定により第一相互銀行となり平成元年・太平洋銀行、破綻後わかしお銀行、平成15年三井住友銀行千代田営業部として使用され、平成17年に営業部が移り閉鎖されたそうです。今は神保町ビル別館として貸しビルになっているらしいです。
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旧相互無尽会社(現神保町ビル別館)
設計:安藤組 施工:安藤組
竣工:昭和5(1930)年
構造:鉄筋コンクリート造4階建て
所在地:東京都千代田区神田神保町2-19
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全面が褐色のスクラッチタイル貼り。1階部分には4連の大きなアーチ窓が並び、側面の窓格子や小さなテラスのある窓など、昭和初期に流行した凝った意匠です。
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この窓の意匠は 学士会館に似ています。
当時流行のスクラッチタイルとテラコッタです。
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側面の窓格子
戦時中に米軍が「歴史的・文化的に価値の高い書籍が集まる神保町は空爆禁止区域に指定」としたため、戦災を免れていると聞きました。
せっかく残った 隠れた町の名建築の一つですから なんとか保存していってほしいです。

posted by うめのはな at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区

2013年09月29日

共立講堂(千代田区)

白山通りに面した 学士会館の対面は共立講堂です。
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千代田区景観まちづくり重要物件
 昭和13年(1938年)3月20日落成。構造設計は、東京タワーの設計者としても知られる内藤多仲博士、また意匠設計は前田健二郎氏。外観は縦型の付け柱によるゴシック調にデザインされ、また屋根の形状は切妻型で、当時としては大変モダンな意匠となっています。当時、規模・設備においても日比谷公会堂と並ぶ大講堂で、他に比類する講堂はありませんでした。外部使用を認めたことから、「日本の文化の殿堂」としての役割を果たすようになりました。戦後はこのような大講堂が都内にも少なく、音楽関係の公演のメッカとして知れわたりました。ここを足場として巣立っていった演奏家たちも少なくありません。ラジオ・テレビのスイッチを入れれば必ず共立講堂からの中継が流れ、共立講堂の名は全国に知れ渡りました。
 昭和31年内部を全焼。翌32年(1957)に落成を迎えました。再建には文化的ホールとして、音響および照明に充分な工夫がなされました。中でも音響については、日本フィルハーモニー交響楽団指揮者の渡辺暁雄氏の指導を受けました。
 その後、関係法令の改正や社会環境の変化にともない貸しホールとしての使用を終了いたしました。
火災後、構造体はそのまま残りましたが、内部および外部の一部が損傷したため、屋根は丸型の連続ボールドに架け替えられ、外装タイルも張替えられました。近年、外壁の痛みが激しくなってきたため、平成19年(2007年)に、外壁タイルの張替工事 を行いました。施工にあたっては、昭和13年(1938)に建てられた当時の様子にできるだけ近い状態となるように配慮されました。
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所在地 一ツ橋二丁目 2 番 1 号.
設計者 内藤多仲(構造)、前田健二郎(意匠).
竣 工 昭和 13 年(1938).
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内藤多仲博士は東京タワーの設計者としても知られる日本耐震工学の祖です。
耐震耐火の鉄筋コンクリート造りで、1号館(現在の中高校舎)と同時に設計施工されました。
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共立女子大学の講堂で、一般に神田共立講堂と良く呼ばれていました。
外部使用を認めたことから、「日本の文化の殿堂」としての役割を果たすようになった。
フォークミュージック全盛の1970年代“フォークの聖地”と呼ばれました。
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タイルと自然石の組み合わせによる表情と質感で、歴史あるホールにふさわしいファサードを演出。
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消防法の改正により一般に貸出しすることが不可能となり、現在は大学の入学式や卒業式そして学園祭などの催し物に使われるだけになっているそうです 。
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今回の地図です。

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2013年09月28日

学士会館 続(千代田区)

学士会館の中に入ってみます。
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玄関の照明です。
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エレベーターと階段。
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玄関から左に続く 長い廊下は赤じゅうたん。
1Fにはレストランがあり 誰でも食事をすることができます。
外に出ますと学士会館の角に石碑があります。
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「新島襄 生誕の地」の記念碑です。
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新島襄先生誕生之地
「同志社大学の創立者として知られる新島襄先生は、上野(群馬)安中藩三万石、板倉伊予守の家臣の子として藩上屋敷(現在の神田錦町、学士会館付近)で生まれました。
長じて藩士となり蘭学を修めましたが、元治元年(1864)脱藩し密航し米国に渡りました。米国で洗礼を受け、アーモスト大学を卒業しました。
明治維新の後、岩倉具視遣外使節に随行し、各国の教育制度を調査しました。帰国後、京都を拠点に伝道活動に励み、明治8年(1875)年同志社英学校、同10年(1877)年同志社女学校を創立しました。引き続き大学設立を目指し尽力中に明治23年(1890)にその生涯を閉じました。
 例年2月12日の生誕日には、生誕地近郊の学士会館で生誕祭りが行われています。」
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正面玄関脇には「東京大学発祥の地」の碑があります。
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学士会館の所在地は、我が国の大学発祥地です。
神田錦町に在った東京開成学校と、 神田和泉町から本郷元富士町に移転していた東京医学校とが、 1877年(明治10年)4月12日に合併して東京大学が創立されました。 創立当初は、法・文・理・医の四学部を以て編成され、本郷富士町にあった医学部を除く、 法・文・理の三学部の校舎は、現在の学士会館が建っている神田錦町に設けられました。 その後、東京大学は1885年(明治18年)までに本郷へ移転しました。
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この地を我が国最初の大学すなわち「東京大学発祥の地」とし、平成3(1991)年には記念碑が建立さ れました。
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学士会館の玄関前をすぎて右にまがると「日本野球発祥の地」の碑があります。野球のボールを握った手の記念碑です。
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日本に初めて野球を伝えた とされるホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを 記念して、2003(平成15)年に建立された「日本 野球発祥の地」のモニュメントです。
ホーレス・ウィルソン氏は教師として、1871 (明治4)年にアメリカから来日し、1872(明治5) 年から6年間、この地で授業のかたわら生徒達に野 球を教え、これによって日本全国に野球が広まった といわれています。
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記念碑はブロンズ製で、高さ 2.37メートル。ボールには世界地図が描かれ、アメ リカと日本を縫い目によって結ぶことで“野球の国 際化”を表現しています。
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2013年09月27日

学士会館(千代田区)

除水会館の先 一ツ橋交差点にあるのが 学士会館です。
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学士会館 千代田区神田錦町3-28
学士会館は、関東大震災後に建築された震災復興建築。
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外壁が昭和初期に流行したスクラッ チタイルで覆われた4階建ての旧館は1926(大正15)年6月に着工、1928(昭和3)年5月20日に開 業いたしました。総工費は約106万円。関東大震災 の教訓をいかした、当時では極めて珍しい耐震・耐 火の鉄骨鉄筋コンクリート造りとなっています。
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【国登録有形文化財】
「 東京大学は明治10年(1877)、東京開成学校と東京医学校が合併して当該地一帯に開設され、明治18年(1885)までに本郷に移転しました。学士会は明治19年(1886)創立の旧帝国大学出身者の同窓会です。現在の建物は昭和3年(1928)に竣工し、学士会事務局以外に会議室、結婚披露宴会場、ホテル、レストランとしても利用されています。
 SRC造による関東大震災後の復興建築で,玄関の半円大アーチやスクラッチタイルの外観,窓廻り2・3層の直線基調と4層の曲線基調の対比などに特徴があります。設計は東京駅の構造設計などを担当した佐野利器氏と帝国ホテルの設計を担当した高橋貞太郎氏。
 平成15年に国の登録有形文化財に登録されました。
また、この地は日本野球発祥の地でもあります。このほか、敷地内には同志社大学の創設者である新島襄生誕地の碑があります。千代田区観光協会」
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竣工 1928年(昭和3年)
設計 佐野利器、高橋貞太郎
施工 戸田組

構造 鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て、地下1階

建築面積 1,839.30m
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ドラマ「半沢直樹」では、201号室、201号室前ロビー、1階廊下が撮影で使われました。
201号室は 最終回で香川照之さん演じる大和田常務が、半沢に土下座させられた場所です。
一目みようと 多くのファンがこの学士会館を訪れているそうです。
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正面玄関
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「学士会館の地盤の基礎には約1300本の松杭が打ち込まれていますが、近年行われた松杭の調査では腐朽 は全く見られませんでした。その際、切り出された 松杭の一部は、現在会館1階の談話室に展示してい ます。」とのことです。
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戦時中の金属供出で失われた左右の大灯籠は2003年(平成15年)に復元。
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斬新、かつモダンで重厚な雰囲気です。
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終戦後の同年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されて閉館。高級将校の宿舎や将校倶楽部として使用されていました。
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旧館を尊重するかのように一歩後退 して建つ5階建ての新館は、1937(昭和12)年9月20日に増築開業。
設計者は藤村朗。
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右の4階建てが旧館(昭和3年)
左後方が新館(昭和12年増築)
1877(明治10)年に創立された東京大学が、1886(明治19)年3月、総合大学としての「帝国大学」となり謝恩会がきっかけで「学士会」が始まりました。 旧帝国大学7校の出身者の親睦と知識交流を目的とした場に発展 していきました。
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「学士会は、1913(大正2)年1月に初めて会館と呼べる西洋風の木造2階建ての施設を創建しましたが、同年2月、神田三崎町で起きた大火により焼失。この復興に向けて準備を進め、1923(大正12)年9月1日、基礎工事を開始する予定でしたが、奇しくもその日、関東大震災に襲われて計画は延期。その上、それまで利用していた仮会館も焼失しました。焼失と再建を繰り返し、ついに1928(昭和3)年、現在の学士会館が建設されました。」説明文です。

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2013年09月26日

如水会館(千代田区)

一ツ橋を渡ってすぐが白山通り 一ツ橋河岸交差点です。
如水会館が見えます。
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一ツ橋河岸
江戸時代に入ると河岸には問屋を商う商人やその蔵が集まり、一つの商業集落を形成していました。
江戸の町の河岸機能. 河岸とは、海・河川から運ばれてきた各種の資材・食料・人などを積み下ろす場所のこと。
江戸時代の物流の主役は水運でした。 かって町名が神田一ツ橋の時代もあったこの一ツ橋界隈は江戸の経済の中心地でした。
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如水会館 東京都千代田区一ッ橋2-1-1
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一橋大学の同窓会が 如水会。大学が移転して残った建物が如水会館。
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大正3年11月14日に開催された創立総会で如水会と命名された。(如水会の名称は、故渋沢栄一翁が礼記にある「君子交淡如水」より命名)
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如水会館は如水会のクラブ会館として建設された建物で、運営は東京會舘が行っているものの土地建物は如水会の所有となっている。
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1982年 昭和57年9月16日、如水会ビルディングとして竣工落成
旧如水会館
設計者, 曾禰中條建築事務所
竣工年,1919年 昭和54年9月末に閉館
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当時の面影は低層部の連続アーチに見られる。
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一橋講堂(1932年竣工) の跡地でもある。
2012年5月に一橋記念講堂(現・一橋講堂)が学術総合センタービルにできた。
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2013年09月25日

一ツ橋 

東京メトロ竹橋駅で降りる。
パレスサイドビルディングの前を通り平川門のほうへ行く。
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パレスサイドビルディングは修繕中か足場が組まれていました。
1964年着工、1966年竣工。
東京都千代田区一ツ橋一丁目1番1号
ここは一ツ橋1丁目1番地1号なのです
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平川門です。
平川門は江戸城の裏門、大奥に最も近いので、大奥女中達の出入りする通用門でもあり 、御三卿(清水・一橋・田安)の登城口でもあったようです。 太田道灌(どうかん)(1432〜1486)のころからここに門が作られていて、当時、門の前には上平川村や下平川村などがあったため、平川門となりました。
高麗門(第一門)、渡櫓門(第二門)、木橋(城門形式一式)が、昔のまま残っているのはこの門 だけ。
この門は別名、不浄門とも言われ、罪人や遺体はここから出されたそうです。当然殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は重罪人とされ、城内の座敷牢に留め置かれた後、一関藩主田村邸へお預けとなるために城外へ出されるときに、この平川門から出されました。
この門から皇居東御苑に入ることができます。
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信号を左に曲がると 一ツ橋
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大正十四年(一九二五)架設
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白山通りですが上は高速道路です。
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江戸期に一ツ橋御門が置かれ、見附橋としての一ツ橋がかけられていた。その場所と 名前. を受け継ぐ橋である。 震災復興橋梁である。 意匠・構造の特徴. 隅田川右岸につく られたラーメン橋台橋 12 脚のうち、当時の姿を現存する唯一の橋。
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あまり日が当たらないせいか水が汚いです。
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橋の北側の袂には、由緒書きがありました。
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一ツ橋
 「この橋を一ツ橋といい、内濠川に架かる見附橋です。徳川家康が江戸城に入ったころは、大きな丸木が一本架けられていて、その名で呼ばれていたといいます。寛永図(一六二四〜一六四三)には、一ツ橋とかかれています。
 橋の近くに、松平伊豆守の屋敷があったので、伊豆橋ともいわれたことがあります。その屋敷あとに、八代将軍吉宗の第四子徳川宗尹が、御三卿の一人として居をかまえていました。そこで橋の名をとって一ツ橋家と称したといわれています。
 明治六年(一八七三)一ツ橋門を撤去、現在の橋は大正十四年(一九二五)架設、長さ一九.六メートル、幅二八メートル、コンクリート造り。
 橋の北側、如水会館の一帯は商科大学(現一橋大学)のあった所です。
 平成元年十一月 千代田区教育委員会」
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向かい側の南詰めに石垣が見えます。
そのすぐそばにちいさな公園のようなものがあります。
石碑と説明板があります。
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一橋徳川家 屋敷跡
 一橋徳川家は、寛保元年(1741年)徳川八代将軍吉宗の第四子宗尹(むねただ)が江戸城一橋門内に屋敷を与えられたことがはじまりである。
 一橋家・田安家・清水家は御三卿と呼ばれ、御三卿は将軍家に世継ぎがなく、御三家(尾張・紀伊・水戸)にも将軍となりうる該当者がいない場合に将軍を送り込める家柄で、十万石の格式をもち、直属の家臣団を持たず、将軍家の身内として待遇された。
 当家は、二世治済(はるさだ)の長男家斉(いえなり)が十一代将軍となり、水戸家より入った一橋九世が徳川最後の十五代将軍徳川慶喜(よしのぶ)であり、御三卿の中でも幕政に深く関わった。
 敷地は広大で、この一角の他気象庁・大手町合同庁舎付近まで及んでいた。

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2013年09月07日

神田すずらん通り文房堂

神田神保町”すずらん通り”、三省堂の裏口の正面に老舗画材店の「文房堂」があります。
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株式会社文房堂 千代田区神田神保町1-21-1
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創業明治20年(1887年)神田区小川町にて創業。
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このビルは関東大震災前の1922(大正11)年の竣工。
当時ではまだ珍しい鉄筋造りであった為、倒壊を免れました。
1990年に改築されたがファサードは保存された。
千代田区より「都市景観賞」を授与。
同年区の要請もあり外壁のみを保存。
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「1922(大正11)年に建築で、関東大震災にも耐え、神田では一面の焼け野原に文房堂など数件だけが無傷で残りました。1990年の改築時、千代田区からの要請もあり伝統ある正面の外壁だけを保存し、特殊工法により背面の建物を建て替えました」
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千代田区景観まちづくり重要物件
 「明治20年(1987)創業の老舗の画材店。靖国通りの一本南のすずらん通りに商店街にたつ本社ビルは、大正11年(1922)に竣工しました。関東大震災まで、すずらん通りはこの地域のメインストリートで、いまも商店街には看板建築が数多く残っています。その中でひときわ目を引くのがこの文房堂ビル。表面に筋状の引っかき傷をたくさんつけて焼き上げ、独特の趣のある重厚感をもつ「スクラッチタイル」がで仕上げられています。3階窓のアーチや正面に施されている素焼きの陶器で作られた花飾りの装飾が素敵です。
 4階はギャラリーとして公開されています。」
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文房堂は日本初の国産油絵具を製造販売した老舗の画材店。
現在の画材全般の基礎をつくったともいえるお店です。
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明治39年現在の神田すずらん通りに店舗を新築。
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地下1階から7階までアートグッズ。
アートに関するありとあらゆるものが置かれた店内は博物館みたいです。
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梅原龍三郎、岸田劉生、藤田嗣治などに長く愛されたそうです。
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4Fにあるギャラリーでは、若手作家を中心にした企画展を開催している。
今回の神保町歩きはとりあえず 終了です。
いつかまた さくら通り方面に行きたいです。
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2013年09月06日

すずらん通り「はちまき」

神田古書店街は文豪なども通ったといわれていますが 神保町にある(庶民派)老舗天ぷら屋、「はちまき」の店頭に写真が飾られています。
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千代田区神田神保町1-19
これも看板建築です。創業昭和6年。
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開店前ですが立ち止まり写真を眺める人がいます。
神田明神下の高級料亭で15年ほど修業を積んだ後、創業者が昭和6年(1931)にオープンしたとのこと。
現在は3代目。
この次は開店11時半に行き 名物江戸前の天ぷらを食べてみたいです。
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店の表には白黒の集合写真が飾ってあり歴史を物語ります。
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終戦直後、戦災にあっても焼け残ったこの店に 文豪や銀幕のスターたちが通ったそうです。
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昭和二十年代から、江戸川乱歩、新田次郎、吉川英二など作家クラブの面々が店の二階に毎月集まり、それが二十七日だったために“二七会”と名づけられたそうです。
写真には作家クラブのメンバーとともに江戸川乱歩夫人と、店の先代主人が写っています。
店内には色紙や写真などが飾られていて、その中には江戸川乱歩やエノケン(榎本健一)、井伏鱒二など色紙があり、厨房にも竹下登などの色紙があるそうですが 現在のご主人には 誰が書いたものかわからないものもあるそうです。
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隣はこんなふうに空地になり工事中でした。
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すずらん通り ちょうど三省堂の裏にあたる場所です。

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2013年09月05日

神田すずらん通り商店街

すずらん通りを歩きます。
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石畳風の商店街で 飲食店などが集まっていてとても賑やかな通りです。
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シャッターが下りているのは 開店前の時間帯に歩いたからです。
お昼前は写真も撮れないほど 人が多いので10時ころ行きました。
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信画堂 千代田区神田神保町1-11
絵具・画材専門店。
1998年4月築で新しいのですが外壁の装飾がおしゃれです。
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清泉堂 千代田区神田神保町1-3-3
額縁専門店
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光風館ビル 千代田区神田神保町1-15
すずらん通りにあった看板建築は減ってしまいましたが2軒長屋形式の建物(光風館ビル)は健在。
1F店舗以外は改装されていないようです。
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檜画廊 千代田区神田神保町1丁目17?1
1973年 開廊 建物がいつ建てられたのかはわかりません。
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鶴谷洋服店 千代田区神田神保町1-3
洋服店としての歴史は終わり 現在は雑貨店のようですが看板はそのままです。
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すぐ隣の建物は 昔は老舗の喫茶「ラドリオ」でした。
現在のラドリオの入り口は、脇の細い小径にあります。
表通りと小道の2か所の入り口があったのですが 表通りはこのようになくなり「LADO」というアートスタジオになっています。
半分のスペースになりましたが ラドリオは健在です。
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2013年09月04日

一誠堂書店・ざぼうる

神保町交差点 白山通りから見えるのは「さくら通り」です。
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さくら通り入口。千代田区神田神保町2-9。
ちょうどその対面にすずらん通りがありますが 靖国通りとすずらん通りの間にある路地に「さぼうる」があります。
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様々なメディアで紹介されている老舗の喫茶店です。
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店の入口にはトーテムポールと赤電話。
やけに鬱蒼とした山小屋風の外観。
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50年以上もの歴史を持つ老舗の喫茶店でドラマや映画のロケにも度々登場する有名な店。
再び 靖国通りにもどります。
この通りで 注目すべき建物があります。
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一誠堂書店。千代田区神田神保町1-7
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設計:東京都市建築研究所、
施工:大林組、
建築年:1931(昭和6)年
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右から読む文字が建物の古さを物語っています。
お店の入り口上部はステンドグラスです。
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一誠堂書店」は神保町の中でも名門といわれる、格式高い古書店です。
1903年(明治36年)、新潟県長岡市にて酒井宇吉氏によって創業。
1906年(明治39年)、神保町に移転。
100年以上もの歴史ある老舗の書店で日本の作家・文化人に愛され、柳田國男、志賀直哉、川端康成、井上靖、三島由紀夫、松本清張などが贔屓にしていた古書店だそうです。
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モダン系だけどすっきりとしたした外観。 そこそこ装飾も付けていておしゃれです。
最上部にある装飾がアクセント。
5階建てというのは当時では高層ビルだったでしょうね。
現在は周りのビルの中にうもれて あまり目立ちません。
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2階以上はタイル張りなのですが 出隅部分にはきちんと役物がつかわれている 丁寧な作りです。
隣は空地でになっていました、何が建つのやら・・・
この一誠堂書店は屋上に農園があるそうです。緑が少し見えています。

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2013年09月03日

神保町古書店街 靖国通り

神保町古書店街は東西は駿河台下交差点から専大前交差点までの靖国通り沿い、神田すずらん通り沿い、南北は神保町交差点からJR水道橋駅東口までの白山通り沿いにほとんどの店舗が集中しています。
この古書店街は、明治10年代(1880年代)にこの地域に相次いで創立された法律学校、明治法律学校(明治大学)、英吉利法律学校(中央大学)、日本法律学校(日本大学)、専修学校(専修大学)などの学生が多い地域であるため需要をあてこんで、古書店が集まり130年の歴史を持ちます。戦災にもあわなかったので古い建物が残っています。
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神保町古書店街を靖国通りに沿って歩きました。
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書泉グランデ」は、三省堂書店本店や東京堂書店とならぶ、神田の街を代表する大型書店の一つ。
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大久保書店(千代田区神田神保町1-7)
靖国通りに面した場所にある古書店。鉱物学、地質学、古生物に関する書籍を取り扱っている数少ない専門店。
古い建物のままです。
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少し先には 同じような建物があります。今は一部が壊され残っている建物は少ないですが このあたりは十一軒長屋でした。
隣は「本と街の案内所」です。
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案内所の建物は昭和初期に建てられた十一軒長屋の一角で、外観はそのまま残っています。
『本と街の案内所』は神保町に関する情報を総合的に提供する拠点として、2007年10月にオープン。
大型書店や古書店を含め約200もの書店が集まる世界最大級の”本の街”神田神保町の情報や案内の拠点です。
東京都神田神保町1-7-7  11:30−18:00
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並びに 明倫館書店の看板が見えます。
自然科学系の学術書専門店数学関連は充実。
1941年(昭和16年)から60年以上。もともと理工学書の専門店でした。
この店は何度も通いました。理工学 数学の参考書専門書は値段が高いので古書に頼るしかなかったです。
手前に見えるのが 大雲堂書店
神保町駅がすぐで 古書店めぐりの起点となる店。大正の関東大震災前に創業の老舗。
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神保町交差点。白山通りと 靖国通りの交差する場所。
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岩波ホール:千代田区神田神保町2−1 岩波神保町ビル10F
岩波ホールは岩波神保町ビル内に有る映画館。
日本で初めて各回完全入れ替え制定員制を実施
会員制度が有る
外国映画上映の場合は字幕の読めない未就学児の入場を実質的に断わる
客席数:220席(うち2席は可動式、車椅子対応)
1974年から世界の埋もれた名作映画の発掘上映を行っているミニシアターの元祖です。


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2013年09月02日

明大通り〜駿河台下交差点

明大博物館を出ると 交差点から楽器店の後ろにYWCAの建物が見えます。
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YWCAビルの一帯は、江戸末期の幕臣・小栗上野介の屋敷がありました。
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小栗上野介の屋敷跡
千代田区神田駿河台1-8
江戸幕府の外交官。幕臣、新潟奉行忠高の子。
上野介は、安政6年(一八五九)目付となり翌、万延元年日米修好通商条約批准書交換のため新見正興、村垣範正に従って渡米しています。帰国後、外国奉行など要職につき、また幕府の財政たて直しや薩長打倒を策し戊辰戦争徹底抗戦を唱え、のち新政府に捕らえられ生涯をとじました。
交差点の角地は現在 駿河台日大病院の新築工事中です。
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その隣は 日本大学カザルスホール
http://umeno87.sblo.jp/article/66316685.html
以前の ブログ参照
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明大通りを下っていくと 駿河台下の交差点です。
駿河台下交差点は『書店街』『スポーツ用品店街』『楽器店街』が交わる場所にあり、各ジャンルの有名店が向かい合っています。
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信号の目の前にあるのが 三省堂書店神保町本店
神保町の街に息づく本のデパートです。
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三省堂の本社ビル
竣工年:1981年
高さ:8階
所在地:東京都千代田区神田神保町1-1
三省堂は1881年(明治14年)創業の老舗。「大辞林」「新明解国語辞典」の出版元で辞書・辞典に特に強みをもっている。
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交差点の少し手前の路地が 富士見坂
靖国通りと錦華通りが合流する交差点から、明大通りに抜ける短い坂道。昔はも富士山がよく眺められたのでしょうね。
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富士見坂 千代田区神田小川町三丁目
『この坂を富士見坂といいます。『新撰東京名所図会』には「駿河台南甲賀町の内、袋町に通づる筋より南へ、猿楽町一丁目と小川町との間を下る坂、富士見坂と呼ぶ。風景賞すべきの地にはあらざるも、遠く富士を望むを得べし。富士見坂の名もこれに基しか」とかかれています。富士見坂という名の坂は、千代田区だけでも三ヶ所あります。富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町二丁目の間にあります。』

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2013年08月31日

小学館ビルなど(神保町駅界隈)

3日ほど前 神保町に行った。 話題になった「小学館ビル」の前を通りました。
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小学館本社(小学館ビル)東京都千代田区一ツ橋二丁目3番1号
竣工年:1967年
高さ:9階
今の小学館ビルは老朽化や現在の建築基準に合致していないという理由で建て直すことになりました。
9月に解体されてしまうということで 8月9日に名残惜しんで漫画家たちが1Fの壁や窓に漫画を描きました。それがまた25人の豪華メンバーの生絵ということで 噂になり人がが集まり 報道され とうとう整理券をくばり 内部公開をしたあの「小学館ビル」です。
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今月26日には白いカバーをして内部が見えないようにしてしまいました。
翌日に通りかかったので すでに白いカバーがガラス窓にかけられていました。
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それでも 女子高生らしき制服を着た団体さんが2〜30人出てきたので 特別に見せているんだろうなぁ・・と。
新社屋は2016年春に完成するそうです。みかけはまだまだ 大丈夫そうなんですけどね・・・
隣は集英社ビルです。
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集英社神保町ビル(集英社本社)東京都千代田区一ツ橋2-5-10
竣工年:1990年
高さ:10階
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その並びには救世軍日本本営のビルがあります。
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神田神保町ビル 東京都千代田区神田神保町2-17
竣工年:1985年
高さ:10階
キリスト教の教派団体「救世軍」の日本本営/神田小隊がおかれている。
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この3つのビルは神保町の駅のすぐそばです。

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2013年08月23日

紅梅坂・ 御茶ノ水駅

御茶ノ水駅聖橋口です。
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JR御茶ノ水駅  千代田区神田駿河台四丁目
駅舎は、昭和7年に建てられた鉄筋コンクリート造の建物で、元は2階建てで近年に3階部分を増築しました。
ホームが擁壁と神田川に挟まれていること、駅舎がホームより高い位置にありかなり狭隘な場所にあることなど、構造上・立地上の問題からバリアフリー対応が十分に行われず、車椅子用のリフトはあるが、エレベーターやエスカレーターは設置されていない。
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ホームから見た聖橋。大がかりな工事中です。
「2010年度末からバリアフリー整備を行うことがJR東日本より発表された。線路上空に人工地盤を設置し、改札内に自由通路を新設し、御茶ノ水橋口駅舎および聖橋口の駅前広場機能の整備を行う。また、聖橋口駅舎を移設してエレベーターやエスカレーターなどを設置することによりバリアフリー整備を行う。」
ということで その工事なのかも。
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御茶ノ水橋から見た聖橋と駅ホーム。
 御茶ノ水 聖橋 ( ブログ参照)

http://umeno87.sblo.jp/article/55925427.html
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これは御茶ノ水橋から水道橋方向を写したものです。

聖橋改札口から本郷通りに出て ニコライ堂に行く坂は紅梅坂 です。
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右に井上眼科病院、左はニコライ堂の石垣。
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昔、ニコライ堂は石垣を積まれた高台の敷地に建っているので遠くからでも見る事が出来たので 近代都市となりゆく東京の新しいランドマークでした。
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紅梅坂(こうばいざか)  所在地 千代田区神田駿河台4
「この坂を紅梅坂(こうばいざか)といいます。 このあたりは紅梅町とよんでいたので、この坂名がつきました。 淡路町に下る幽霊坂(ゆうれいざか)とつながっていましたが、大正13年(1924)の区画整理の際本郷通りができたため、二つに分かれた形になりました。 『東京名所図絵』には 「東紅梅町の中間より淡路町2丁目に下る坂あり、もと埃坂(ごみざか)と唱えしに、 維新以後、 淡路町の幽霊坂と併せて紅梅坂と改称せり」とかかれています。

 昭和50年(1975)3月 千代田区」
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明治地図(明治40年)を見ると、ニコライ堂のあたりは東紅梅町となっている.
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「江戸時代からの通称である紅梅坂」に由来するとの説明がある.
八月 暑い中所用で 数日間御茶ノ水に通い 合間を見て街歩きをしました。
今回は これにて終了ですが 神田駿河台界隈はまだまだ見て回るところが多いので次の機会に歩いてみます。

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2013年08月22日

東京復活大聖堂(ニコライ堂)

御茶ノ水といえばニコライ堂です。
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東京復活大聖堂(ニコライ堂)
所在地 千代田区神田駿河台4-1-3
重要文化財  昭和37年(1962)6月21日文部省指定

 「この聖堂は明治17年(1884)3月に起工し工期七年を以って明治24年(1891)2月完成したもので、設計者はロシア工科大学教授シチュールポフ博士、工事監督は、英国人コンドル博士です。

 頂上までの高さ  35m
 建坪  318坪
 壁厚  1 ~ 1.63m

 日本最大のビザンチン式建造物として知られております。
 日本ハリストス正教会は、キリスト教の旧教で(東方正教会・The Orthodox Church)全世界各国にある正教会のなかのひとつの独立した教会です。正教会はキリスト教のなかの本家ともいうべき立場を保ち、初代からの伝承を守り今日に至っています。

古代に存在した五つの独立教会の四つの総主教区、コンスタンチノープル、エルサレム、アンティオケ、アレキサンドリアの総主教区を中心としギリシャやバルカン半島の国々の国教であり、現在ではヨーロッパや南北アメリカにも分布しています。
 各正教会は国単位でまとまっていますので、本山は各国の首府にあります。したがって日本正教会の本山は、当地東京復活大聖堂(ニコライ堂)です。全世界の正教会は、お互いが密接に結びつき信仰生活を分かち合うことによって、ひとつの共同体となっています。
 全世界には約3億余りの集りです。 日本ハリストス正教会教団」
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正門です。ニコライ堂は以前のブログ参照。
御茶ノ水 ニコライ堂
http://umeno87.sblo.jp/article/55946009.html
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正門をすぎ明大通りのほうに歩きます。
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聖堂とは別の建物が見えてきます。
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西のほうの門です。
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敷地内には神学校、信徒会館であるニコライ会館、伝道会などに使われる旧ニコライ学院、東京大主教(日本府主教を兼任)館、亜使徒聖ニコライ記念聖堂があります。
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ニコライ学院は、日本にロシア正教を伝えた宣教師ニコライ(1836〜1912)に由来するロシア語学校でした。
経営していたのは「ニコライ堂」を本山とする宗教法人「日本ハリスト正教会教団」でした。
ニコライが1872年、本拠地をこの地に構え、間もなく「ニコライ学院」を開設しました。
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「ニコライ学院」は、気軽にロシア語を学べる学校として人気があり、多くの著名人も通ったそうです。
リトアニア領事館領事代理としてユダヤ人にビザを発行したことで知られる杉原千畝(聖名:パーウェル)は正教徒であり、ニコライ堂敷地内にあったニコライ学院で教鞭をとったことがあるそうです。
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残念ながら1996年に120年の歴史に幕をおろし閉校しました。
聖堂から紅梅坂に沿って西門に行くと この建物を見ることができますが たいてい聖堂だけ見学する人が多いです。

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2013年08月21日

先人達の銅像・御茶ノ水

甲賀坂の標識がある日本大学歯学部 総合歯学研究所 1号館前には銅像があります。
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東京都 千代田区 日本大学大学院歯科研究部1号館
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川合渉先生胸像
生没年 明治18年(1885)〜昭和34年(1959) 分類 歯科医学者
略歴  シカゴ大卒。大正10年日大専門部歯科教授となる。日大歯科医学校校長などをへて昭和24年日大歯学部長に就任。
このあたり池田坂の通りでもいくつかの銅像が目につきます。
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池田坂の途中日本大学歯科病院 脇です。
佐藤運雄先生像
生没年 明治12年1879)〜昭和39年(1964) 分類 歯科医
略歴  東京に生まれる。アメリカに留学し、ラッシュ医大卒。南満州鉄道大連病院医長兼南満医学堂教授などをへて、大正11年日大専門部歯科長。昭和18年日大学長、20年日大理事長。また日本歯科医師会会長などをつとめた。著作に「医学歯学辞典」。
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その隣日本大学歯学部2号館には鈴木勝先生像
生没年 明治36年(1903)〜昭和62年(1987) 分類 歯科医
略歴  福島県柳津町大成沢に生まれた。昭和2年(1927)日本大学専門部歯科を卒業。昭和7年日本大学専門部歯科助教授、歯学部長、理事学長を経て、昭和44年日本大学第6代総長、昭和46年松戸歯科大学初代学長(現在の日本大学松戸歯学部)、昭和48年勲一等瑞宝章受賞、昭和59年日本大学名誉総長となる。その他日本歯科医学会会長、大学設置審議会会長、医道審議会委員、日本学術会議会員、私学研修福祉会理事長など多くの役職を努めた。
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対面日本大学歯学部3号館には中川大介先生胸像。
生没年 明治20年(1887)〜昭和29年(1954) 分類 歯科医学者
略歴  山口県萩市に生まれる。明治41年東京歯科医専(現東京歯大)卒。東洋歯科医専、日大専門部の教授をへて、昭和18年日大歯科科長。歯科教育審議会委員などをつとめた。昭和29年日大名誉教授。
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大正14年(1925)11月神田区駿河台北甲賀町13番地(2号館の現在地)に日本大学専門部歯科校舎及び付属病院が建設されたが、昭和10年(1935)9月付属病院を分離することとなり、道路を隔てた向い側に歯科付属病院が設置された。
日本大学100周年記念植樹のプレートがありました。
この辺は 銅像があちこちにあります。目についたものだけ写真に撮りました。

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