2013年12月22日

上野公園の手形

上野公園の1番南の出入り口から入ると「国民栄誉賞受賞者の手形」があります。
ueno (56).JPG
少し行くと左側に手形の石碑が並んでいます。
ueno (55).JPG
このモニュメントのある入口です。
国民栄誉賞受賞者の手形です。
王貞治さんから順に並んでいるみたいです。
ueno (51).JPG
美空ひばりさん
ueno (54).JPG
渥美清さん
sazae.jpg
長谷川町子さんはサザエさん!
上野公園といえば パンダが人気です。
panda.JPG
11月に上野動物園で写したパンダ。
以前のパンダは老いていたせいかいつも寝ていたのですが この子は元気そうです。
uenozoo.jpg
元気のいい白熊さんも愛嬌があっていいですね。
今度またゆっくり動物園散歩してみます。


posted by うめのはな at 07:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 台東区

2013年10月02日

上野公園界隈 台東区

上野公園に行くときはいつも上野駅にあるフレンチレストラン「ブラッスリー・レカン」で食事します。
昭和7年に創られた由緒ある上野駅貴賓室を再現しているだけあって天井が高く、アールデコ様式に創られた懐古の空間はとてもいい感じです。
uenoy (10).JPG
ただし昼時は並ぶほど混むので 11時すぎの食事になります。
uenoy (11).jpg
ランチコースがあります。
uenoy (7).jpg
この日はマッシュルームのクリームスープ。
uenoy (8).jpg
魚のコースは真鯛のポアレ
uenoy (9).jpg
お肉のコースは子羊のソテー
最後にコーヒーか紅茶がつきます。
まったりとしていたいのですが お客が待っているので早々に出ます。
uenoy (4).jpg
上野公園を歩くと 道路にある東京都のマンホールのふたの模様が桜の木だと気が付きます。
なかなか粋なはからいです。
uenoy (2).jpg
蜀山人の碑(しょくさんじんのひ)
上野公園四番

 一めんの花は碁盤の
 上野山 黒門前に
 かかるしら雲   蜀山人
uenoy (1).JPG
碑面には、大書してこの歌を刻む。ついで、蜀山人についての説明、碑建設のいきさつを、細字で刻んでいる。歌の文字は蜀山人の自筆であるという。蜀山人は姓を大田、名を覃、通称を直次郎といった。蜀山人はその号である。南畝・四方赤良など、別号多く、一般には大田南畝と呼ぶ。幕臣であったが、狂文・狂歌を良くし、漢学・国学を学んで博識であった。江戸文人の典型といわれ、狂歌の分野では唐衣橘洲・朱楽管江とともに、三大家と評された。文政六年(一八二三)没。
 江戸時代、上野は桜の名所であった。昭和十三年、寛永寺総門の黒門跡に、その桜と黒門を詠み込む蜀山人の歌一首を刻んだ碑が建てられた。郷土色豊かな建碑といっていい。 台東区教育委員会
uenoy (6).jpg
正岡子規記念球場
uenoy (5).JPG
この球場の名前を冠している正岡子規は、明治初期に日本に野球が紹介されて間もない頃の愛好者であり、1886年(明治19年)から1890年(明治23年)頃、この球場がある上野公園内で野球を楽しんでいたという。
このような功績を称え、上野恩賜公園開園式典130周年を記念し、2006年(平成18年)7月21日に上野恩賜公園野球場で句碑の除幕式と正岡子規記念球場の愛称が披露された。句碑には「春風や まりを投げたき 草の原」の句が刻まれている。
uenoy (3).JPG
上に見えるは 東比叡山 寛永寺 清水観音堂 月の松
詳細は以前のブログで。
http://umeno87.sblo.jp/article/68860469.html


posted by うめのはな at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年07月28日

隅田川花火。。。。

昨夜は食事の後 花火の写真を撮ろうと 開始30分くらいして 住まいの北側に出たのですが・・・
思ったより風が吹いてて 雨粒が当たってきた。
防災メールも3通来て 竜巻注意報と書いてありました。大丈夫かなと様子見つもりでした。
それでも花火は上がっていたし スカイツリーもぼんやりながら見えていました。
カメラを構えて撮ろうとしたら 雨風が強くなり あわてて1枚だけ写しましたが 雨で花火はよく見えませんでした。
ドアをあけて部屋にもどるとTVの映像もかなりの雨で 中止となりました。
スカイツリーと花火を撮ろうと思ったのに 残念。もう少しはやく 出ればよかった。
このあとすぐ すごい雷雨となりました。日中はいい天気だったのにねぇ〜
IMGP9550.JPG
とにかく 急いで撮った ぶれぶれ写真が1枚残りました。
花火は打ち上げが電子制御されているので あれだけ濡れたら再使用できないとTVで言っていました。
また 来年・・・・
posted by うめのはな at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年06月10日

谷中散歩(日暮里界隈)

カヤバ珈琲を出て 谷中霊園のほうに少し歩くと 明治・大正・昭和の近代木彫を発展させた彫刻家・平櫛田中の旧居宅があります。
東京都台東区上野桜木2-20-3
yanaka (8).jpg
平櫛田中(ひらくしでんちゅう1872ー1979)は、彫刻を学ぶため明治30年に上京し、高村光雲、岡倉天心、横山大観らの縁で谷中・上野桜木に合わせて70年以上暮らしました。彫刻一筋のため生活に苦労しました。
大正8年、横山大観、下村観山、木村武山ら、日本美術院の画家たちの支援により建てられたアトリエ付き住宅です。大正11年には傍らに伝統的日本家屋を建て、家族とともに小平に転居する昭和45年まで暮らしました。その後、旧アトリエ・住宅は故郷の 岡山県井原市に寄贈され、現在は通常非公開です。NPO法人や芸大などの協力で維持管理されているそうです。
谷中霊園を横断し( 墓には興味がないのでスルー)日暮里駅に出る。
yanakagoten.jpg
日暮里御殿坂
「西日暮里三丁目と台東区谷中七丁目の境を七面坂から日暮里駅方面へ下る坂。江戸時代から用いられていた呼称である。
 当時の絵図などから、天王寺(現谷中墓地)の下を通り芋坂下に続いていたいたことがうかがえる。
 天保九年(一八三八)刊の「妙めを奇談」は寛永(一六二四〜四四)の頃、白山御殿(将軍綱吉の御殿)や小菅御殿(将軍御膳所)と同様の御殿がこのあたりにあったことにより付いたというが、坂名の由来は明確ではない。荒川区教育委員会」
荒川区と台東区の境界にあります。このあたりは道路をはさんで 荒川区と台東区にわかれます。
yanaka (3).jpg
御殿坂を登りきった先にあるのが 経王寺
東京都荒川区西日暮里3-2-6
「経王寺は1655年に建立された日蓮宗の寺。山号 大黒山。本堂隣の大黒堂には日蓮上人が作ったとされる大黒天が鎮守として祀られている。経王寺は江戸時代終わりの1866年に上野戦争(上野彰義隊の戦い)で敗走した幕府軍(彰義隊)をかくまったため新政府軍の攻撃を受けた。そのとき発砲した弾の跡が今も山門に残されている。 」


そこからもう少し歩くと そこが「夕やけだんだん」です。
yanaka (4).jpg
上からの眺めです。
2011年までは夕やけだんだんの「道路中央部」に大島桜がありました。
横から幹が出て、通りの中央部で上に伸びている大きな桜で花が咲くころはきれいでした。
yuuyakda.JPG
ちょっと小さいですが 真ん中に桜の花が見えます。以前の写真です。
yanaka (6).jpg
現在はありません。樹齢60年以上ということで根元が腐って危険だということで切られてしまいました。
yanaka (5).jpg
これは脇にある桜の木です。
谷中銀座商店街を行きます。TVなどでずいぶん有名です。谷中銀座は距離は短いが趣のある商店街。下町独特の雰囲気があり・・・といいたいのですがどうも観光客目当ての商店街になってるように思えます。約70軒のお店が並んでいる。中でもお総菜屋さんやお肉屋さんなどがやはり下町ならでは雰囲気でした。
yanaka (7).jpg
よみせ通り 

谷中銀座を 道なりに行くとある商店街で、不忍通りの東側に並行しており、西日暮里の道灌山下交差点近くまで続く。
こちらはう〜ん・・・どこでも見られるような人の通りの少ない商店街でした。
yanakayukiji.JPG
谷中で忘れちゃいけないのが 築地塀
観音寺の築地塀(台東区谷中5−8−28 )赤穂浪士の供養塔のあるお寺
平成 4年(1992)台東区まちかど賞を受賞
造られたのは200年以上前に遡るという観音寺の築地塀ついじべいですが、関東大震災で一部崩壊し戦災を免れ、日々小さな崩れを起こしては補修されつつ現在に至ります。「築地塀」とは土で塗り固められた塀のことで補強のため層状に板や瓦を埋め込まれたものだそうです。

posted by うめのはな at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年06月09日

カヤバ珈琲 (台東区谷中)

前にブログで上野桜木町の古い民家、カヤバ珈琲について書きましたが 今回再訪しました。
2012年12・01のブログです。
一、二階とも二方に出桁造の軒をまわす姿が特徴的な町家型のこの建物大正5年(推定)の建設以降、ミルクホール、かき氷・あんみつ店、などを経て昭和13年に「カヤバ珈琲店」となりましたが 平成18年に一旦閉店。平成20年、 NPO法人たいとう歴史都市研究会が借り受け、あたらしい運営者により「カヤバ珈琲」が復活しました。
kayaba.jpg
東京都台東区谷中6-1-29
言問通りの上野桜木の交差点にある、古い木造2階建てのお店ですが お客さんはかなり入っていました。
お二階へどうぞと言われ二階へあがります。
kayaa (8).JPG
靴を脱いで 昔の狭い階段で2階へ行きます。和室が2つありました。
kayaa (1).JPG
大正5年に建てられた木造の家屋は老朽化で使いにくくなった箇所のみ修繕し、外観はほとんど手を付けず、常連客だった人たちの記憶を残しつつ改装されました。
kayaa (2).JPG
前の道路を大きな自動車が通ると 地震のようにがたがた揺れます・・・・
メニューはほとんど以前のままです。
kayaa (3).JPG
かわいい絵入りのメニューで いろいろ迷いましたが結局名物メニューだった、ルシアンを注文。
kayaa (4).JPG
ルシアンとは、カヤバ珈琲の名物で、コーヒーとココアを半分ずつで割ったものです。なんとなく癖になりそう・・・
そして 開店当時からの名物メニューだという玉子サンド。
kayaa (6).JPG
ひとかけ 食べてしまいましたが このパンは普通のかなり厚めのパンでサンドイッチ用のパンではないです。
それに ふわふわの厚焼き玉子。からしがほんのりと効いて すごく美味しかったです。
ふと 隣のテーブルを見ると・・・なんと下が見えるではありませんか!!
kayaa (7).JPG
一部 ガラス張りになっていて 下が見えます。
1階の天井もガラス天井で大正時代の梁と天井が見えるようになっていました。

posted by うめのはな at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年06月08日

上野東照宮 続 

絵だけの上野東照宮の唐門前には マッチョな狛犬さんがいます。
正統派狛犬というか 胸が強調された狛犬です。
tkoma (3).jpg
唐門前の狛犬。大正3年(1914)
作者:「石工 酒井八右衛門/彫刻 大竹豊吉」
tkoma (1).jpg
唐門前にはたくさんの銅燈籠もあります。
utosyou (1).jpg
銅燈籠
全48基。国指定重要文化財。寛永慶安年間に諸大名が奉納。竿の部分には、寄進した大名の姓名と官職名・奉納年月等が刻字されています。多くは慶安四年(1651)の家康公36回忌に奉納されたものです.
唐門両側6基は徳川御三家(紀伊・水戸・尾張)より寄進されたものです。
家康公の13回忌に藤堂高虎が奉納した1基が最も古く、形も南円堂形と特徴的です。
燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇で構成されています。
dtouro.jpg
藤堂高虎が奉納した寛永5(1628)年のもので,その燈籠の台座部分と石の台座に獅子のレリーフがあります.
utosyou (2).jpg
御水舎
銅燈籠のそばにあります。大きな鈴が下がっています。水盤には水はなく、機能していない。
utosyou (14).jpg
反対側の御水舎です。
utosyou (5).jpg
明治初期のもので石造である。
utosyou (4).jpg

utosyou (11).jpg
次は神楽殿です。
tkagura.jpg
1874年、深川木場組合奉献。
屋根の勾配の美しさは都下随一といわれています。
毎年お花見の時期には御神楽の奉納が行われます。
鳥居のほうに参道を戻ると 五重塔が木々の間に見えます。
utosyou (6).jpg
旧・寛永寺五重塔 【重要文化財】
寛永8年(1631)、土井利勝が寄進した塔は、寛永16年(1639)に焼失しました。現在の塔は、焼失後に寄進されたものです。五重塔は、上野動物園内に位置しています。団子やから行けるかとまわりましたが どうめぐっても近寄れないです。
近寄ってみようと思うなら 動物園に入園するしかない・・というのが なんとなく不満でした。
IMG_3898.JPG
2009年春に写した五重塔です。
最後に上野といえば忘れちゃいけないこの人・・・
usaigu.jpg
西郷隆盛像
作者は高村光雲で、明治31年12月18日に除幕式が行なわれました。
身長:370.1cm
胸囲:256.7cm
足 : 55.1cm
連れている犬の刻みは、後藤貞行で犬は「ツン」という名前です。

posted by うめのはな at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年06月07日

上野東照宮(上野恩賜公園)

お化け灯籠を見て 上野東照宮の参道へと向かいます。
大きな鳥居があります。
utosyou (7).jpg
石造明神鳥居 寛永10年(1633年)国指定重要文化財。
1633年(寛永10年)酒井忠世建築奉納。明神型鳥居。
石材には備前の御影石が使用されている。
基礎工事が万全だったため、関東大震災の折にも少しも傾かなかった。
utosyou (8).jpg
鳥居かをくぐると 山門?・・ん?神社に山門はなかろう・・・
utosyou (12).jpg
これは慶安4年、阿部重次が建築奉納したもの。
本来は門ではなく、社前右側にあった御水舎の上屋だけを昭和39年に門として移築したものだそうです。水舎門。
阿部 重次 : 武蔵岩槻藩第2代藩主。 大坂城代を務めた初代藩主・阿部正次の次男。
徳川家光のもとで老中をつとめる。
utosyou (9).jpg
水舎門も貴重な江戸時代の建造物です。
utosyou (10).jpg
水舎門の内側、東照宮の額があります。
ここから唐門までの参道には両側にずらりと石灯籠がならびます。
tousyoisi (1).jpg
石灯籠

200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年(1651年)に諸大名より奉納されたものです。
参道両脇に整然と並んでいる石灯籠は武士が神君をお守りしているようだと称えられています。
石灯籠の参道を進んでいくと、絵のように華麗な唐門が見えてきます。
IMGP8957 (2).jpg
実は絵です。
現在本殿が修理中で、建物を覆う 大きな養生パネルに、実物大の絵が描かれているのです。
utosyou (3).jpg
平成20年12月23日から平成25年12月31日まで保存修復工事。
上野東照宮
 「藤堂高虎は上野山内の屋敷の中に、徳川家康を追慕し、家康を祭神とする宮祠を造った。これが上野東照宮の創建といわれている。あるいは、寛永四年(1627)、宮祠を造営したのが創建ともいう。正保三年(1646)、朝廷は家康に「東照宮」の宮号を贈り、それ以後、家康を祭る御宮を東照宮と呼ぶようになったのである。
現在の社殿は、慶安四年(1651)三代将軍家光が大規模に造り替えたもの。その後数回、修理を加え、現在にいたる。本殿の構造は、手前から拝殿・幣殿・(石の間ともいう)・本殿からなり、その様式を権現造りという。社殿は東京都内でも代表的な、江戸時代初期の権現造り。華麗荘厳を極め、金色堂とも呼ぶ。
 本殿・拝殿・幣殿は、唐門・透塀とともに構造・様式がすぐれ、貴重であるので、 国の重要文化財に指定されている。参道入口の石造明神鳥、唐門前に並ぶ銅燈籠五十基国指定の重要文化財である。」
 IMG_3896.JPG
2009年に写した 唐門です。
参道を戻ります。

posted by うめのはな at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年06月06日

上野大仏(上野東照宮)

清水観音堂から上野精養軒のほうにむかいます。
赤い鳥居が目に入ります。
uenop (3).jpg
これは「花園稲荷神社」です。「花園稲荷神社は「穴稲荷」「忍岡稲荷」とも呼ばれ創建年代は諸説あるが、 江戸時代初期にはすでに存在していた」との説明版がありました。参拝はせず写真を1枚だけ写しました。上野山の守護神といわれているが縁結びのご利益があるとか・・・。
uenop (1).jpg
上野精養軒です。
そのお隣にあるのが 時の鐘です。
uenop (4).jpg
寛文6年(1666)に設けられた鐘で、江戸の市民に時刻を知らせていた「時の鐘」です。当時、江戸市中には9カ所の時鐘があり、上野の時鐘は「花の雲鐘は上野か浅草か」と松尾芭蕉に詠まれたほど江戸市民に馴染み深いものでした。
uenop (7).jpg
大仏山と呼ばれる小さな丘から見た 時の鐘です。
大仏山の丘の上にはかってその名のとおり大きな釈迦如来座像が安置されていました。「上野大仏」です。
最初に大仏が建ったのは寛永8年(1631年)、粘土に漆喰塗りの釈迦如来坐像。
万治年間 (1660年) に青銅製の釈迦像となり、元禄11年 (1698年)には大仏殿も建立されました。その後は火災や地震の度に修復を繰り返してきたが、関東大震災で頭部が落下。
昭和15年(1940年)には戦況の悪化による金属供出令で顔面をのぞく頭部、胴体が軍に供出され、上野の大仏様は消えてしまいました。
uenop (6).jpg
昭和47年(1972年)寛永寺に保管されていた顔面部がレリーフとして安置され現在の上野大仏となりました。「これ以上落ちない」ことから「合格大仏」と言われています。
”大仏を 埋めて白し 花の雲”    子規
大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建 立され、本尊として薬師三尊像が祀られている。
uenop (5).jpg
パゴダとはミャンマー様式の仏塔のことで、「釈迦の住む家」であるとされている。
高さ十五メートル、内部には中央に薬師如来、左側に月光菩薩、右側に日光菩薩を安置している。この薬師三尊像は、江戸末期まで東照宮境内にあった薬師堂の本尊で、明治初期の神仏分離令によって寛永寺に移管、さらにパゴダの本尊として迎えられた。
大仏山を下りると 大きな石燈籠があります。
uenop (2).jpg
お化け燈籠(上野恩賜公園 上野東照宮)
1632年に佐久間勝之より奉納された石灯籠は高さ6.8m、笠石の周囲約4mとあまりにも大きいので「お化け灯籠」と呼ばれており、名古屋の熱田神宮の石灯籠、京都南禅寺の大石灯籠と合わせて日本三大石灯籠のひとつに数えられています。
tousyoisi (2).jpg
東照宮の水舎門に続く参道の石灯籠です。参道にはたくさんの石灯籠が並んでいます。

posted by うめのはな at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年06月05日

清水観音堂 (上野恩賜公園)

上野公園の南端、不忍池を見渡す崖の上に、朱塗りの大きな舞台があります。
ukiyomizu (2).JPG
まるで京都の清水寺のようです。これが、上野・寛永寺の堂舎の一つ、清水(きよみず)観音堂です。
uenokiyomizu (1).jpg
清水観音堂  台東区上野公園 1-29
建築年: 寛永8年(1631)
構  造: 木造平屋
特  徴: 小規模ながら京都の清水寺を模した懸造り様式の建築物
uenokiyomizu (2).jpg
国指定重要文化財
 東比叡山 寛永寺 清水観音堂

 [清水観音堂(きよみずかんのんどう)は、寛永寺を開創した天海が京都の清水寺を模して寛永8年(1631年)に創建した。当初、現在地より100m余り北方の擂鉢山(すりばちやま)上にあったが、元禄7年(1694年)この地へ移築し、現在に至っている。堂宇は、桁行五間、梁間四間、単層入母屋造り、本瓦葺。とくに不忍池に臨む正面の舞台造りは、江戸時代より浮世絵に描かれるなど、著名な景観である。
 近年老朽化が目立ち、平成2年(1990年)より全面的な解体・修復工事を実施、平成8年(1996年)5月に完成した。この間、移築年代を元禄9年(1696年)とする定説をくつがえす、元禄7年(1694年)の棟札が発見されるなど、さまざまな事実が明らかとなっている。
 本尊は千手観音座像で京都清水寺より奉安したもの。秘仏で平常は厨子内に安置するが、毎年2月初午の日にのみ開扉され、多くの参詣者が訪れる。 平成10年(1998年)3月 台東区教育委員会]
uenokiyomizu (4).jpg
本堂です。
uenokiyomizu (5).jpg
規模  懸造り部:木造 黒塗り 桁行九間 梁間三間 貫二段 舞台型
uenokiyomizu (6).jpg
上屋部:木造 朱塗り 入母屋造り 本瓦葺き 桁行五間 梁間四間 勾欄付舞台
ukiyomizu (3).jpg
本堂正面が舞台造りです。舞台としてはなかなか広々としていて眺めもよい。
uenokiyomizu (3).jpg
2013年1月17日、月の松が150年ぶりに復活しました。独特の枝ぶりが特徴の月の松
tukinomatu.jpg
円形にくるりと一回転する枝は足立区の造園職人の手によるもの。「この造形を生み出すことは難しく、都内でもわずかな職人しかできない。
江戸時代から庶民に親しまれており、江戸の名所を描いた歌川広重の連作浮世絵シリーズ「名所江戸百景」には「上野山内月のまつ」「上野清水堂不忍ノ池」の2枚に描かれている。しかし、明治初期の台風で消失したままとなっていた。
hirosige.jpg
『名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池』
 歌川広重 画 安政3年/1856年
高さや規模が誇張されていると思われる
uenokiyomizu (7).jpg
清水観音堂の近くには天海大僧正毛髪塔がありました。
mouhatu.jpg
天海大僧正は、寛永二十年(1643)十月二日に百八歳で示寂(じじゃく)されました。(諡号(しごう) 慈眼大師)
墓所は日光山輪王寺に造られ、當山には弟子の晃海(こうかい)が供養塔を建立し、後に伝来していた毛髪を納めた宝塔も建立されました。(都指定旧跡)
uenokiyomizuy.jpg
摺鉢山古墳(すりばちやまこふん)

 摺鉢山は、その形状が摺鉢を伏せた姿に似ているところから名付けられた。ここから弥生式土器、埴輪の破片などが出土し、約千五百年前の前方後円形式の古墳と考えられている。現存長七十メートル、後円部径四十三メートル、前方部幅は最大部で二十三メートル。後円部の道路との比高は五メートルである。丘上は、かつての五條天神社、清水観音堂鎮座の地であった。五條天神社の創立年代は不明であるが、堯恵法師は『北国紀行』のなかで、文明十九年(一四八七)に忍岡に鎮座する五條天神社を訪れた際、
契りきて たれかは春の初草に 忍びの岡の 露の下萌と、うたっている。現在、上野公園忍坂脇に鎮座。清水観音堂は、寛永八年(一六三一)寛永寺の開祖天海僧正により建立されたが、寛永寺根本中堂建立のため、元禄七年(一六九四)現在地に移転した。現在、丘上は休憩所となっているが、昔のまま、摺鉢の形を保っている。
posted by うめのはな at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年03月10日

池之端児童遊園/旧都電停留所(台東区)

不忍通りを歩いていると 動物園少し手前に 都電の電車が見えた。
かつて都電 20系統「池之端七軒町」停留所のあった場所に「池之端児童遊園」が作られたそうです。
20132281.jpg
旧都電停留所

 「ここ、池之端児童公園は、かつて都電停留所(池之端七軒町)のあった場所です。
 昭和 30年代の都電全盛期の時代には、20系統(江戸橋-須田町)、37系統(三田-須田町)、40系統(明神町車庫前-銀座七丁目)と三つの路線が走っていた区間でしたが、昭和 42年(1967)12月に37、40系統が廃止、昭和 46年(1971)3月には 20系統も廃止になり、池之端七軒町(廃止時は池之端二丁目に改称)の停留所は姿を消しました。
 平成 20年(2008)3月、都電停留所だったこの場所に都電車両を展示し、地域の歴史が学べ、まちのランドマークとなる児童公園として整備しました。使用したレールは、東京都交通局荒川線で使われたものを再使用しました。台東区」
201322840.JPG
都電 7500形(7506号)

 「ここに展示された都電は 7500形といわれる形式で、昭和 37年(1962)に製造された旧 7500形を車体更新したものです。
 旧 7500形は昭和 59年(1984)以降、台車と主要機器を流用した車体更新が施され現在の 7500形となり、都電で初めて冷房装置が搭載されました。この車両は、平成 20年(2008)1月まで都電荒川線(三ノ輪橋-早稲田)を走行し、平成 20年 2月 1日東京都交通局より台東区に譲渡されました。」
201322836.JPG
説明板がありました。

201322839.JPG
展示目的なので乗車は出来ません。

posted by うめのはな at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年03月09日

大名時計博物館.勝山藩下屋敷跡(台東区)

谷中小学校から大名時計博物館を目指します。
このあたりは ずいぶんと高台です。それらしきものを見つけました。
立派な壁に囲まれていて古そうですが 随分と広い敷地です。
2013228172.JPG
入り口に 「大名時計博物館」と書かれた木札が置かれ その横には「勝山藩下屋敷跡」の石標です。
2013228173.JPG2013228175.JPG
勝山藩は岡山県旧真島郡2万3千石の藩主とのこと。江戸の下屋敷跡が大名時計博物館になっているようです。
門を入ると“掟”は右の通り。という木札があります。入場料300円と書いてあります。
201322827.JPG
広い敷地に樹木がうっそうと生い茂り 古い家屋や倉庫のような建物があります。
2013228181.JPG
亜熱帯植物が生えていたり 一方で日本庭園の名残もあってきちんと保存されている下屋敷跡の庭園とは思えません。
2013228180.JPG
奇妙な感じがしていると 庭先で声がして 博物館らしき建物のほうへ誘導します。庭仕事をしていたみたいです。
300円払って 靴を脱いで入ります。中は撮影禁止です。
hina005.jpg
沿革と概要

「大名時計は、陶芸家・上口愚朗が生涯にわたり収集したものです。江戸時代の貴重な文化遺産を長く保存するために、昭和26年3月
{財団法人上口時計保存協会」を勝山藩の下屋敷跡に設立、初代の理事長になりました。
昭和45年{10月上口愚朗没後、二代目の上口氏などが昭和49年4月「大名時計博物館」を開館。親子に二代にわたり設立した博物館です。」
特色

「大名時計は、江戸時代に「大名のお抱えの御時計師達が、長い年月をかけて手ずくりしたものです。
制作技術・機構・材質などの優れた「大名時計」は美術工芸品で、
世界に類をみない日本独特の時計です。時刻は、ヨーロッパで使用された24時間の定時法の時刻とことなり、不定時法を用いています。
不定時法とは、夜明けから日暮れまでの昼を六等分した時計です。夜明けと日暮れは、季節によって変わるため昼の長さと夜の長さが変わり、いっときの長さが変わる時刻です。これらの江戸時代の大名時計を展示し博物館です。」
hina004.jpg

大名時計のほかに外国製時計・明治・大正時代の日本製時計・参考文献
東京都指定の有形文化財88点。
掛時計・艪時計・台時計・尺時計・枕時計・印籠時計・御籠時計・置時計・和前時計・香盤時計。
大人:300円 大学生 高校生:200円 中小学生:100円 (団体割引20名以上一名50円割引)

休館日

月曜日   7月1日から9月30日   12月25日から1月14日
館内は30畳ほどの広さでワンフロアという感じ。櫓時計が多いですが、他にも和時計が数種類展示されています。少しかび臭い・・・
見学者は渡地たち2名だけ。あとから一人。大きなもの小さなもの珍しいものなどを見ますが どうにも落ち着かない。ここは耐震は大丈夫なのだろうか・・などと少し心配。
靴を履いて庭に出れば またうっそうとした庭があり、石像があり 廃車になった自動車があったりもして きつねにつままれたような 雰囲気で敷地をでます。
帰りは屋敷の東にある「三浦坂」を下ります。
201322832.JPG
勝山藩主(幕末慶応の頃に藩名を真島藩と改めた)は三浦氏でこの名がついたそうです。
『御府内備考』は三浦坂について、「三浦志摩守下屋敷の前根津の方へ下る坂なり、一名中坂と称す」と記している。三浦家下屋敷前の坂道だったので、三浦坂と呼ばれたのである。安政三年(一八五六)尾張屋版の切絵図に、「ミウラサカ」・「三浦志摩守」との書き入れがあるのに基づくと、三浦家下屋敷は坂を登る左側にあった。
201322833.JPG
三浦坂を下っていくと「ねんねこや」という猫だらけのお店があります。
全てが猫関連という“猫スポット”で飲食もできるようです。
言問通りに出て 根津駅をめざしました。

posted by うめのはな at 07:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 台東区

2013年03月08日

三崎坂/旧谷中三崎町

千駄木駅からさんさき坂を登る。
三崎坂千駄木駅に通じる三崎坂通りにあるせんべい屋さんです。
201322821.JPG
「団子坂 菊見せんべい総本店」です。明治8年創業という老舗です。四角い堅焼き煎餅が名物で、文豪にも愛された味だそうです。
三崎坂(さんさきざか)
「三崎(さんさき)」という地名の由来には諸説あるが、駒込・田端・谷中の三つの高台にちなむといわれる。安永2年(1773)の『江戸志』によると、三崎坂の別名を「首ふり坂」といい、30年ほど以前、この坂の近所に首を振る僧侶がいたことにちなむという。
 平成16年(2004)3月 台東区教育委員会」
2013228167.JPG
旧谷中三崎町という下町まちしるべの案内板がありました。
旧谷中三崎町
上野台と本郷台の間が入江だった頃、駒込、田端、谷中の三つの丘が岬のように見えたことに因んだ町名
江戸時代の元禄年間(1688-1704)には谷中とは別の町屋となっている。1871(明治4)年に谷中三崎町南側、谷中三崎町北側と2地区に分かれるが、1873(明治6)年には大円寺など六ヵ寺を合わせ江戸時代と同様の谷中三崎町となった

三崎坂下の文京区との区境には藍染川が流れていて、暗渠化した跡はクネクネと曲がった道となった。「へび道」という。
こんな要旨で書かれています。
2013228168.JPG
坂の途中にある いせ辰 谷中本店
千代紙で有名ないせ辰です。江戸後期の元治元年(1864)創業という老舗です。千代紙と和文具、おもちゃ、縁起物の張子などの江戸民芸小物が所狭しと並べられています。
201322824.JPG
台東区立谷中小学校三崎坂の中ほどに位置している
2013228171.JPG
この学校の正門は何と入母屋式で瓦屋根という古風な作りになっている。しかも正門に続く壁は黒字に白の格子の入ったナマコ造りである。
2013228170.JPG
通りに面して大名時計のモニュメントがある。時代劇のセットのような感じです。谷中の町にふさわしい建物。同校は明治35年(1902)の創立で、この校舎は平成3年に完成した。
この大名時計のある前庭をすぎ右折して 「大名時計博物館」に向かいます。海外から来た時計(定時法)を和時計の不定時法に改造したものそんな和時計を集めた私設博物館です。

posted by うめのはな at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年03月04日

横山大観記念館(台東区)

上野・池之端にある横山大観記念館に行きました。
2013228185.JPG
横山大観記念館
東京都台東区池之端1−4−24
201322842.JPG
台東区の史跡にも指定されている京風数寄屋造りの記念館は、大観が生前暮らしていた客間・アトリエなどを、そのまま展示スペースとして公開しており、建物の随所に大観ならではの工夫が凝らされています。
門の前には横山大観顕彰碑があります。
横山大観顕彰碑

「横山大観先生は近代日本画壇の代表的巨匠である 明治元年水戸藩士酒井捨彦の長男として水戸に生れ 本名を秀麿 母方の横山の姓を継ぐ。明治26年東京美術学校卒業 校長岡倉天心に愛されて 終生大きな感化を受けた 明治30年東京美術学校助教授となったが1年で職を辞し岡倉天心が創設した日本美術院に下村観山 菱田春草とともに日本画の革新運動を起こした その後美術研究のためインド ヨーロッパ各地及び中国などを視察し 師天心の思想である東洋の理想をうけつぎ 新しい日本画を創造した。
明治45年からこの地に居し 画筆をとる 昭和10年帝国美術院会員 昭和12年第1回文化勲章受章
代表作に「無我」「瀟湘八景」「生々流転」の他多くの水墨山水 富士山などがある
昭和32年5月台東区名誉区民に推載された 昭和33年2月歿 90歳

昭和43年10月 東京百年を記念し建立する 東京都台東区長 上條貢」
201322848.JPG
ここをくぐると受付があります。
開館日:木・金・土・日曜日 
201322847.JPG
紅梅が咲いていました。
2013228191.JPG
玄関前です。
2013228194.JPG
ここが玄関です。
靴を脱ぎます。この先は 撮影禁止です。
「西洋画の画法を取り入れた新しい画風の研究を重ね、「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる線描を抑えた独自の没線描法の絵画を次々に発表していった、近代日本画壇の巨匠と呼ばれる横山大観。彼が生前に語っていたのは「私の死後はこの土地を財団法人に寄付し、公的資産として、日本美術界のために役立てて欲しい」。という思いでした。この思いを受け遺族や日本美術院同人・関係者らが大観の作品や遺品、画稿、習作、スケッチ帳を寄贈し、1976年9月1日に「財団法人横山大観記念館」が設立されました。」
hina002.jpg
企画展「富士づくし
2013年1月10日(木)〜3月31日(日)
「大観は富士をこよなく愛し、特に後半生は多彩な富士を描いたことでも有名です。 横山大観すなわち富士という印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。 企画展「富士づくし」では、「霊峰飛鶴」を始めとする富士を主題とした作品を中心に富士、筑波、日本アルプスの山々を描いた27mにもおよぶ絵巻作品「四時山水」なども展示。大観の心がとらえた美しい日本の風景を存分に堪能することができます。 」
建物の構造や内装のデザインには、大観の画家ならではの工夫が凝らされており、見どころのひとつとなっています。
客間の柱などは節の残る丸太をそのまま使用しています。晩年は2階に上がることができず 一階の第二客間を画室として使用しました。

先日訪問した世田谷の旧小坂邸に疎開していたこともありますが 昭和20年の東京大空襲により旧住居が焼失したため、大観はしばらく熱海伊豆山の別荘に移り住みました。また角間温泉(長野県) 安代館別館 嶽心荘は昭和初期に 横山大観の別荘として建てられたものです。名付けたのは大観自身で、今も「嶽心荘」と直筆で書かれた書が大広間に飾られている。四棟からなる建物は百十坪、庭園は千五百坪で、囲炉裏、アトリエ、居間、浴室などがある。現在は旅館として使用されています。

和風建築の邸宅と 日本庭園。撮影ができず残念ですが 案内の人が丁寧に説明してくれました。習作・スケッチや陶磁器、着物の絵付けなども展示されていますし 交流のあった画家たちの写真もあります。作品は 各部屋に溶け込むように展示されていて 違和感無く建物と作品を楽しむことができました。

posted by うめのはな at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2013年03月02日

旧安田楠雄邸のひなまつり(文京区千駄木)

前から一度行ってみたかった 旧安田楠雄邸のひなまつりに行ってきました。
なにせ5日間だけなので 今年こそは!と予定に入れていました。
201322866.JPG
旧安田楠雄邸[東京都文京区千駄木5-20-18] 安田楠雄氏は、安田財閥の創始者・安田善次郎の孫.
旧安田邸歳時記:上巳の節句(旧安田楠雄邸のひなまつり) 2月27日(水)〜3月3日(日) 5日間連続公開
yasudahina.jpg
「旧安田楠雄邸では、五節句行事を定番として行っています。人日の節句に続いて、今年も上巳の節句(ひなまつり)を行います。安田家から寄贈された七段の雛飾りは、昭和7年生まれのご長女のために誂えられたもので、昭和16年生まれの次女の内裏雛も最上段に並びます。三代永徳斎作の人形の美をお楽しみください。」
hina001.jpg
残月の間に飾られています。
201322897.JPG
七五三のときの可愛い着物もありました。
201322892.JPG

201322893.JPG
日本橋・ 三代目永徳斉の作
これらの見事な人形を作った三代永徳斎は彼は1904年のセントルイスで行なわれた万国博覧会のために渡米し、日本展示館の茶業組合の陳列装飾担当者として御殿風の部屋の中に、茶の湯の式に臨む等身大の生き人形(生きた人間のように見える人形)2体を制作しました。それらが目に留まり20年もの間アメリカで、博物館の産業館用の作品を作り続けました。
その後60歳を越えてから日本に戻り、明治から昭和初期に三代にわたって、皇族や財界人らに愛された人形師「永徳斎」(えいとくさい)一族の第三代目となります。日本の伝統的な巧みの技が、100年以上も前にアメリカに持たらされたことは驚きですが アメリカでの作品はほとんどが失われており長い間アメリカにいたのに どうやって人形つくりの技術を磨いたのか謎でした。旧安田邸ボランティアの渡米調査が始まりました。少しずつ謎が解けていっただけでなく、三代永徳斎が100年前に作った作品を「チャイナ」と書かれた箱の中から発見しました。それは日本の茶摘みから箱詰めまでの作業を表現したもので、里帰りさせ、日本で修理しました。日本で展示したのち 再びアメリカに戻されました。(その写真もみせていただきました。)アメリカでは 精巧なジオラマのようなものを作っていたのでしょう。まさに日本の技です。100年前に単身渡米し、その卓越した技でアメリカの博物館展示に新しい息吹を吹き込んだ一人の職人が 三代目永徳なのです。
というような話をボランティアの人が話してくれました。
201322896.JPG
残月の間にはお茶席が設けられていました。
旧安田楠雄邸内の様子は後日書くことにします。
まずは 雛飾りだけ。
posted by うめのはな at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2012年12月05日

京成電鉄博物館動物園駅跡

国立博物館から東京藝大に向かう交差点、ちょうど藝大旧正門と黒田記念館がある交差点に コンクリートの古い建造物がある。
それが 京成電鉄博物館動物園駅跡である。
20121122ueno24.JPG
近寄ってみると たしかに駅名とプレートがある。
20121122ueno25.JPG
名   称:京成電鉄 旧博物館動物園駅
設 計 者:中川俊二
所 在 地:台東区上野公園13-23
竣 工 年:1933
「1933年(昭和8年)の京成本線開通に合わせ、東京帝室博物館・東京科學博物館・恩賜上野動物園や東京音樂學校、東京美術學校などの最寄り駅として開業した。しかし、老朽化や乗降客数の減少が響いたため、1997年(平成9年)に営業休止、2004年(平成16年)に廃止となった。廃止後も駅舎やホームは現存する。」
20121122ueno28.JPG
ホームの有効長が短いため、最も短い4両編成しか停車することができず 廃止された。
地下の壁面には東京芸術大学の学生が描いたとされる「ペンギン」「ゾウ」の絵画があり 内部にはパンテオンばりのドームがある。
地下施設のホームや改札も休止前の状態を保っており、列車が通過する際のわずかの間に見ることができる。
戦争中に、国鉄の蒸気機関車の、防空壕として利用された。
20121122ueno137.JPG
地上の出入口は、皇室用地だった東京帝室博物館の敷地内と上野動物園旧正門へ続く2か所があった。
20121122ueno173.JPG
博物館前から夕暮れの大噴水広場を抜け駅に向かう。
20121122ueno5.JPG
上野駅中央改札口には 浅草 羽子板市のお知らせと大きな縁起熊手がありました。
posted by うめのはな at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2012年12月04日

東京藝術大学赤レンガ2号館

1号館の隣にあるのが2号館。
旧東京図書館書籍庫。

この建物は、東京図書館の書籍庫として建てられました。 1号館同様、全ての開口部に鉄扉が付設されました。

教育博物館は1877年(明治10年)1月に上野公園に創設され、 1881年(明治14年)7月に東京教育博物館に改称しました。 1885年(明治18年)6月には湯島にあった東京図書館が上野公園に移り、 東京教育博物館と合併しました。
20121122ueno93.JPG
都選定歴史的建造物 東京藝術大学赤レンガ2号館
所在地 台東区上野公園12番8号
建設年 明治19年(1886)
設計 小島憲之
構造・規模 煉瓦造、地上2階建
概要
旧東京図書館書籍庫。現存する煉瓦造としては、隣接する赤レンガ1号館に次いで都内で2番目に古い。入口の尖塔アーチや最上部の丸窓などが特徴的
20121122ueno85.JPG

20121122ueno82.JPG
2号館は旧東京図書館書籍閲覧所の書庫として建てられた。
20121122ueno89.JPG
3階の鉄扉付き丸窓が印象的な2号館。
20121122ueno90.JPG
おしゃれな玄関
g221122ueno94.JPG
玄関入口には、狛犬も・・・・
以前はなかったのです。詳しい 由緒がわかりませんでした。
20121122ueno87.JPG20121122ueno88.JPG
この2号館 現在は、文化財保存科のアトリエだそうです。

posted by うめのはな at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2012年12月03日

東京藝術大学赤レンガ1号館

東京藝術大学音楽学部正門を入ります。
20121122ueno72.JPG
古風な外観の守衛室があり そこで構内立ち入りの許可をもらいます。
すぐ見えるのが 都選定歴史的建造物 東京藝術大学赤レンガ1号館
20121122ueno74.JPG
赤レンガ1号館
竣工 1880年(明治13年)
所在地 東京都台東区上野公園12-8
設計 林忠恕
構造 煉瓦造2階建て
概要 旧上野教育博物館書籍閲覧所書庫。東京に現存する最古の煉瓦造で、明治初期建築の意匠の特徴をさまざまに有している
20121122ueno75.JPG
旧教育博物館書籍閲覧所書籍庫。
「明治13年(1880)に竣工された都内に現存する最古のレンガ建築です。この建物は、教育博物館の書籍庫として建てられたもので、耐火を重視し、すべての開口部に鉄扉を付設するなどの不燃性を重視した造りとなっています。築124年を迎えた平成22年(2010年)に耐震改修事業の一環により全面改修が施されました。」
20121122ueno76.JPG

20121122ueno77.JPG
東京では珍しい明治初期の煉瓦造建築です。  耐火を重視した鉄扉が窓の一つひとつに取り付けられています。
20121122ueno80.JPG
書籍庫として耐火を重視し、すべての開口部に鉄扉を付設するなどの不燃性を重視したつくりが幸いし、127年を経た今も現存しています。
20121122ueno95.JPG
木造屋根で瓦葺き屋根のレンガ造り建築です。

posted by うめのはな at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2012年12月02日

上野桜木 旧吉田屋酒店

カヤバ珈琲の対面にあるのが 旧吉田屋酒店・下町風俗資料館付設展示場
20121122ueno110.JPG
正面入口には板戸と格子戸の上げ下げで開閉する揚戸(あげと)。
所在地 台東区上野桜木2-10-6

台東区指定有形民俗文化財
 旧吉田屋酒店
     平成元年(1989)指定

「 かつて谷中6丁目の一角にあった商家建築。吉田屋酒店は江戸時代以来の老舗であった。旧店舗の建物が台東区に寄贈され、明治から昭和初期にいたる酒屋店舗の形態を後世に遺すため、昭和62年(1987)移築復元して、当時の店頭の姿を再現、展示している。平成元年(1989)には、1階店舗と2階部分及び道具・文書類が台東区指定有形民俗文化財となった。
 棟札によれば、明治四43年(1910)に新築して、昭和10年(1935)に一部改築したもの。正面は1・2階とも出桁造りで商家特有の長い庇を支え、間口を広く使って販売・運搬の便を図った。1階は店と帳場で、展示している諸道具類や帳簿などの文書類も実際に使用されていたもの。帳場に続く階段をのぼると三畳半と八畳の部屋があり、店員等が使用していた。向かって右側の倉庫部分は、外観のみを明治43年(1910)の写真にもとづいて復元した。店舗後方の和室部分は構造的補強の必要から増設したものである。
 平成16年(2004)3月 台東区教育委員会」
20121122ueno112.JPG
 看板や徳利などの道具類は、総数215点。大正から昭和初期に使われたものです。一部を展示。
20121122ueno113.JPG
秤・漏斗(じょうご)・枡・樽・徳利・宣伝用ポスターや看板など酒類の販売に用いる道具や商いに関する資料を展示
20121122ueno121.JPG
文書類は、総数42,329点。明治34年から昭和46年に至るまでの帳簿や伝票など。中でも、約9000点に達する太平洋戦争中の配給関係文書は、質量ともに貴重な史料群だそうです。
20121122ueno114.JPG
たしかに 東京では貴重な珍しい建物かもしれませんが 私のふるさとにはこういう建物がまだたくさん残っているので さほど感激はなかったです。どこかの地方にもまだ現役で営業しているお店があるのではないか・・・と。
もしかしたらあのようなポスターなどもそのままに・・・。

posted by うめのはな at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2012年12月01日

上野桜木の古民家

上野桜木の交差点に古い喫茶店がある。
大正5年築出桁造の町家、カヤバ珈琲。現役で営業中。
20121122ueno108.JPG
TVでも紹介されていましたが 憩いの場・芸術談義の場として長年親しまれてきたが、平成18年秋、惜しまれながらも閉店。
取り壊しの危機に平成21年、たいとう歴史都市研究会とSCAI THE BATHHOUTHが協力し、カヤバ珈琲を復活させました。
内装はきれいにしているみたいです。谷中の街で長年親しまれてきた面影、ルシアン、たまごサンドなど往時の名物メニューを残しつつ、新メニューを加え町の人や観光客に親しまれ 保存 復活させたという建物です。この次は名物 ルシアンでも飲んでみましょう。
20121122ueno127.JPG
藝大のほうに少し戻った交差点にあるのが 上野桜木会館
明治末期の建物。洋画家寺井力三郎の生家である。台東区が改修を行い、区民のための貸しスペースにしました。老朽化のため、2階部分は残せませんでしたが、庭園や内観の暖炉などに昔の面影を残しています。
20121122ueno105.JPG
そのすぐ隣にあるのが登録有形文化財建造物 市田家住宅。
市田邸は、明治40 年に日本橋の布問屋市田善兵衛氏により建築され、戦後は長女春子氏のもと、東京芸大声楽科学生を下宿させてきた上野桜木の伝統的な住まいである。築100年という伝統的なつくりの家に、若い世代が住みながら維持管理をすることで、日本家屋の利便性、保存活用の課題、歴史を活かしたまちづくりを学んでいます。平成13 年よりこの建物を借り受け 座敷や蔵等を公開スペースとして随時イベントを催しています。
20121122ueno104.JPG
市田家住宅主屋:明治/1907/1912-1925増築
「木造2階建、瓦葺、建築面積111u
日本橋布問屋の隠宅として建設。寄棟造,桟瓦葺,外壁押縁下見板張の木造2階建で,6畳と8畳座敷を東西に並べて西と南面に縁を廻し,東側南北に玄関・茶の間・台所を配し,座敷上部に2階を増築する。。」
20121122ueno106.JPG
市田家住宅表門 明治/1907頃

木造、瓦葺、間口2.0m、袖塀付

「主屋玄関の南に東西棟で建つ。間口1間,切妻造,桟瓦葺の腕木門で,上部の小壁に横長の連子窓を嵌め込み,柱・腕木・垂木等に面を取るなど丁寧なつくり。南面道路からやや後退して建ち,上部黒漆喰塗,腰縦板張,板葺の袖塀を従えて瀟洒な表構えを見せる」
市田家住宅裏門 市田家住宅蔵 なども登録有形文化財(建造物)に指定されています。

貴重な文化遺産の解体の危機を みなで協力して 知恵を出し合い 保存 利用できているのは嬉しいことです。

posted by うめのはな at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2012年11月30日

東京藝術大学正木記念館

都選定歴史的建造物
所在地 台東区上野公園12番8号
建設年 昭和10年(1935)
設計 金澤庸治
構造・規模 RC造、地上2階建
概要
東京美術学校5代校長・正木直彦の業績を記念して建てられた作品陳列館。昭和初期に流行したRC造の躯体に城郭風の屋根を載せた帝冠様式が特徴
20121122ueno37.JPG
「正木記念館 東京美術学校の第五代校長である、正木直彦の長年にわたる功労 (校長32年間在任、帝国美術院院長、各博覧会審査官等) を記念するために建設されました。近世和風様式の鉄筋コンクリート造で、内部1階には陳列ケースを置いていました。
2階は正木校長の希望によって日本画を陳列するための書院造の和室が、当時の財界人等からの作品寄贈と、美術学校教官たちの担当によって設けられました。和室の展示室は、今日では大変珍しく、東京都内で唯一のものとなっています。1階展示室は平櫛田中の作品その他を展示するスペースとして、不定期に公開されています。」
m1122ueno33.JPG
沼田一雅が昭和11年に製作した陶造の「正木直彦先生像」
20121122ueno39.JPG
1階展示室入り口
20121122ueno40.JPG

20121122ueno41.JPG
白の漆喰壁、入母屋の瓦屋根.
20121122ueno44.JPG

20121122ueno46.JPG

20121122ueno29.JPG
新大学美術館の新設に伴い移転された、現在の美術学部の正門の位置にあった旧正門です。
20121122ueno55.JPG
美術館のちかくにある樫の巨木。老木という感じで、手厚い保護がされている。
posted by うめのはな at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2012年11月29日

東京藝術大学旧東京美術学校玄関

都選定歴史的建造物
所在地 台東区上野公園12番8号
建設年 大正2年(1913)
設計 文部省建築課(鳥海他郎)・大澤三之助・古宇田實
構造・規模 木造
概要 昭和47年の学校本館取り壊しの際、玄関部分のみ正木記念館中庭に移築。周囲とよく調和しており、移築保存の好例
20121122ueno135.JPG20121122ueno43.JPG
鬼瓦屋根を用いた重厚な作りが特徴
20121122ueno50.JPG20121122ueno36.JPG

20121122ueno51.JPG

20121122ueno47.JPG


20121122ueno131.JPG
東京藝術大学正木記念館と並んでいるので 大名屋敷の門のような感じがしました。
posted by うめのはな at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2012年11月28日

東京藝術大学 陳列館

旧東京美術学校陳列館
「東京藝術大学陳列館 は大学美術館の本館ができるまでは、 芸術資料館のメイン・ギャラリーとして長く親しまれてきた展示室です。 外壁に貼り付けられた赤いスクラッチタイルは、芸大の中でも少なくなってしまいました。 1階は窓のある空間、2階はトップライトを生かした、高い天井を持つ空間で、 それぞれの展示室の個性が際立っています。 後年中2階と3階が増築されましたが、現在では当初の状態に復元されています。 」
20121122ueno57.JPG
都選定歴史的建造物
旧東京美術学校陳列館 1929(昭和4)年
鉄筋2階建
延429平米
昭和4年(1929)5月竣工
設計 岡田 信一郎 東京都台東区上野公園12-8
20121122ueno58.JPG
内部は展覧会が開催中のみ公開されます。
20121122ueno61.JPG
入り口階段付近
20121122ueno62.JPG
赤い布は開催中の山下了是 染色作品展.
階段下から見た会場入り口前
20121122ueno64.JPG
二階は広い展示室で3Fにあたる部分に窓がぐるりとあって天井が高く明るいです。
20121122ueno130.JPG

20121122ueno66.JPG
玄関前には 旧二重橋飾電燈があります。
20121122ueno59.JPG
1886年に当時の宮内省がドイツのハートコート社に注文し同21年(1888 年)に竣工したもの。 新宮殿造営(本学吉村教授設計)に伴い二重橋架け替え工事のため宮内庁から移管し、この場所に設置。
20121122ueno67.JPG
  両たもとに設置された4基のうちの1基です。
残り3基のうちひとつは 皇居東御苑にあります。
IMG_0119.JPG
 明治村(愛知県犬山市)と東京電力 電気の史料館(神奈川県横浜市鶴見区)のロビーにもあるということですが 実物を確認していません。明治21年の皇居造営に際しては、麹町に発電所を設けて送電、この飾電燈をはじめ皇居内に明かりをともしたそうです。
posted by うめのはな at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2009年11月14日

上野 旧岩崎邸庭園

 IMG_0061.JPG IMG_0049.JPG IMG_0060.JPG IMG_0032.JPG IMG_0071.JPG IMG_0034.JPG



昨日は雨に降られることもなく曇りの日でしたが
寒い日でした。

上野 東京都美術館の「冷泉家 王朝の和歌守展」
を見ました。
チケットもらったので行ったけど 
写本だの和歌だのの書ばかりで
見てもよくわからないし つまらなかった。

見る人が見ればそれはすばらしいのだろうけど。
その後 旧岩崎邸庭園に行きました。
無料開放日でした。でも 人は少なかったです。
何度か行ったことはあるのですが 
カメラを持っていったのは はじめてです。

「時の風が吹く庭園」ということですが 
財閥系のお金をふんだんに使った洋館内部は
すばらしかったです。
設計はジョサイア・コンドル。
近代建築の夜明けを象徴する
もので 当事は15000坪の敷地に20棟も
あったそうですが 現在は3棟。

洋館は明治期の上流階級を偲ばせる西洋木造建築。
書院造りを貴重とした和館。当事は550坪と
洋館を遥かにしのぐ規模だったそうで
家族 使用人の住まい 倉庫 事務所などはこちら
だったそうです。

別棟に山小屋風のビリヤード場も残されています。

天井の刺繍もヴィクトリア建築とミントン タイル 。
そして復元されたという金唐革紙(きんからかわし)。
和紙なのに革のような見栄えと手触りの壁紙が
すばらしかったです。

聞くところによれば 敗戦時米軍に占領されたとき 
壁紙は黒いペンキで
塗りつぶされてしまったそうですが 
その後修復時に
この金唐革紙が発見され 
上田尚氏によって復元されたそうです。

黒ペンキで塗るだなんて 
価値のわからんものは何するやらね・・・。

和館で抹茶を飲み 庭園を見て
湯島に向かいました。

東京散歩アルバム 旧岩崎邸庭園
http://umeno87.sakura.ne.jp/sanpo.htm
posted by うめのはな at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区