2013年12月20日

新宿駅〜文化学園

新宿駅南口から甲州街道に沿って歩きます。
街道の右側は新宿区ですが 左側は渋谷区代々木地区となります。
代々木は、予備校や各種学校の多いところです。
少し歩くと 街道左側におおきな 遊歩道が見えてきます。
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この遊歩道は玉川上水跡です。
玉川上水跡は、この先断続的ですが、高井戸宿まで小公園や遊歩道として整備されています。
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文化学園前の「玉川上水のモニュメント
玉川上水跡は暗渠となっています。
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玉川上水の記 
「かつてこの地には、玉川上水が流れていました。玉川上水は、江戸城下の急激な発展に伴う水不足を解消するため、江戸幕府により承応3年(1654年)に、開削された人口の水路です。全長は、多摩川上流の羽村取水口から四谷大木戸に至る約43キロメートルです。この上水は、江戸市中への飲料水の供給という本来の目的のほか、武蔵野台地の各地に分水され、飲料水、かんがい用水、水車の動力等に幅広く利用されました。明治31年、東京の近代水道創設に伴い、杉並区和泉町から淀橋浄水場の間に新水路が開設されたため、和泉町から四谷大木戸までの下流部は導水路としての役割を終え、余水路として使用されることとなりました。その後大部分が暗渠化され、現在では公園や道路として使われています。東京都水道局では、このゆかりの地にモニュメントを建立し、玉川上水に携わった先人の偉業を末永く後世に伝えるものです。このモニュメントは、明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた、玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時の煉瓦を一部使用して、ほぼ原寸大で再現したものです。平成15年1月 東京都水道局」
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文化学園前地球儀のオブジェ
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文化学園服飾博物館入口です。
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壁面前にある レリーフです。
代々木校発祥の地のレリーフのようです。
次 博物館の中に入ります。

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2013年07月26日

青山学院間島記念館「愛の像」

旧間島記念館の前には、1907年に米国聖公会から派遣された宣教師であり建築家のJ・M・ガードナーによって設計された「弘道館」がありましたが 関東大震災で大破しました。そのデザインをベースに、1929(昭和4)年に中央図書館として再建されました。
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入口前にある 対の外灯です。
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エントランス部分。どことなくお屋敷の雰囲気です。
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1階中央ホール部分には、万代順四郎が寄贈した「愛」の像(横江嘉純作、1930年設置)が飾られています。
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愛の像 間島記念館1階ホール
(横江嘉純作)

(昭和5年8月設置)
万代順四郎氏寄贈
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万代順四郎氏は1907(明治40)年青山学院高等科を卒業、在学中にキリスト教徒となりました。
母校青山学院において、理事長・校友会会長などを歴任、1952(昭和27)年以降は、財務理事として青山学院の復興・諸施設の充実、経営の改善・合理化など健全財政の礎を築きました。また、奨学金制度の必要性を痛感し、巨額の私財を学院に寄付されました。これを基金として発足したのが「青山学院万代奨学金」です。
間島記念館は青山学院の象徴ともいえる建物ですね。

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2013年07月25日

青山学院間島記念館(渋谷区)

キャンパス中央ロータリーに北面して建つ間島記念館です。
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正面入口のアーチ開口、正面にコリント式の円柱を連ね、それが高い基壇をなす一階部分に載る姿は古代ローマ神殿を思わせます。
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本格的な古典主義的構成を持つ建築物。
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登録有形文化財(建造物)
竣工 1929年(昭和4年)
設計施工
清水組
鉄筋コンクリート造3階建、建築面積208u
東京都渋谷区渋谷4-22他
登録年月日:20080418
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【間島記念館】
1929(昭和4)年に図書館として建設されました。関東大震災後の校舎復興を機に、中央図書館を新築することになり、校友会会長であり理事であった間島弟彦氏がその資金の寄付を申し出られ、死後に愛子夫人がその遺志を継いで建設されました。
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両翼部は縦長窓で垂直性を強調し、上部コーニスをデンティルで飾る。
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ネオ・ルネサンス様式です。

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2013年07月24日

蔦の絡まるチャペル(青山学院・渋谷区)

青山学院ベリーホール(登録有形文化財) は現在は本部棟として利用されています。
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歴史と風格が漂う重厚な建物です。
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大正6年までヴォーリズ建築事務所のスタッフだったJ.H.ヴォーゲルが原案を提供とのことです。
ヴォーゲルは独立して上海に赴く以前の五年間は、近江八幡のヴォーリズ建築事務所に在籍し、中心的なメンバーとして活躍していた人物です。
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エントランス。内部は入れませんので入口だけ。
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正面左手側が平屋建ての礼拝堂。アーチ型の窓が並びステンドグラスの柔らかな光につつまれているそうです。
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階段のステンドグラスが見えています。
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青学の校友会館である青学会館で結婚式を挙げる場合に、青学卒業生に限ってこのチャペルが利用できるそうです。
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チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂は ペギー葉山氏の代表的な歌である『学生時代』の中にでてくる「蔦の絡まるチャペル」です。
同建物の前には、「学生時代」の歌碑が2009年に建立されています。
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2013年07月23日

青山学院ベリーホール (渋谷区)

正門から銀杏並木を歩くと キャンパス中央ロータリーに古い建物が見えてきます。
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青山学院ベリーホールです。
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国登録有形文化財(2008年3月)
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青山学院ベリーホール 登録有形文化財(建造物)

竣工 1931年(昭和6年) 清水組
鉄筋コンクリート造3階地下1階建、建築面積817u
東京都渋谷区渋谷4-22他
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キャンパス中央ロータリーに西面して建つ。RC造3階建の主体部北端に平屋建の礼拝堂を設け、これと対称性を保って南端にも平屋建が付く。主体部や正面車寄はバットレスで飾り、欠円アーチや尖頭アーチ、簡明な細部彫刻を配す。ネオ・ゴシック風意匠になる。
1931(昭和6)年に神学部校舎として建築されたが、現在は本部棟として利用されている。
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「ベリーホール」は、1905年から1931年まで神学部で教鞭をとり、神学部長になられたA.D.ベリー先生が、関東大震災で倒壊した青山学院の校舎復興のための募金活動に尽力されたため、後年、校舎建築に貢献された功績をたたえて、「ベリーホール」と命名されました。
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鉄筋コンクリート造3階建(一部平屋建)、地階・屋上を有する。正面左手側が礼拝堂で、左右対称の構成とするため右手部分も平屋建とした。ゴシックを基調とした厳格な左右対称の建築物。
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石造りのように見えますが 大理石チップを混ぜたモルタルの金鏝の洗い出し仕上げ。
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「ベリーホール」内には、チャールズ・オスカー・ミラー夫人の遺志による寄付金で建設された「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」があり、講壇の横には、現役で活躍するパイプオルガンとしては、日本最古ともいえる1932(昭和7)年ドイツ・ヴァルカー社製のパイプオルガンが備えられています。

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2013年07月22日

青山学院(渋谷区)ジョン・ウェスレー

青山キャンパスの正門右側の総合研究所ビルの入口の壁に、立像があります。
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金文字で「John Wesley preaches love and peace in Christ for the world」と刻まれています。
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ジョン・ウェスレー(John Wesley、1703年6月28日(ユリウス暦6月17日) - 1791年3月2日)
18世紀のイングランド国教会の司祭で、その後メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導した人物で、「キリスト者の完全の教理」を説き、愛における完全は、信仰によって、この地上で、今、実現するということを強調しました。
青山学院は、メソジスト派の一つである米国メソジスト監督教会の信仰と祈りによって、創立された学校の一つです。
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西門の近くには ウェスレーホールがあります。
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この隣にはアイビーホールがあります。
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2013年07月21日

青山学院のレリーフ(渋谷区)

「青山」の地名は、江戸初期に徳川家康の側近だった青山忠成(江戸町奉行)の拝領地だったことに由来しているといわれています。江戸時代には大名や幕臣の屋敷が数多くあり、現在の青山学院大は伊予西条藩松平家上屋敷跡だそうです。
実は 青山学院の住所は東京都渋谷区渋谷4なのです。現在は「青山」という住所はないのです。
正確には、R246を挟んで、港区の「北青山」と「南青山」になっています。一帯の総称として、「青山」という表現が使われています。
向かい合う こどもの城と国連大学を含む一帯は、山城淀藩稲葉家下屋敷跡でした。江戸市街地の外縁部に当たり,大名下屋敷,武家屋敷が多かったのです。
青山学院に縁のある人物などのレリーフを見てみます。
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ジョン・フランクリン・ガウチャー(John Franklin Goucher、1845年6月7日 - 1922年7月19日)

1868年ディキンソン大学卒業。名誉神学博士・名誉法学博士。キリスト教教育事業に惜しみなく莫大な金額の私財を献じ、6万ドルを超える援助は美會神学校をはじめ、青山の土地購入資金、二度にわたる校舎の建築資金、その他教職員の給与の一部にまでおよびました。青山学院は事実上ガウチャー博士の私財をもって設立されたと言っても過言ではありません。
ジョン・F・ガウチャー個人の寄付によって1882(明治15)年秋、総額6千円で、伊予西条藩松平左京大夫上屋敷跡地約3万坪を購入した。
これが、現在の青山キャンパスの中心となったのである。
2001年に建てられたガウチャー・メモリアル・ホールも彼の功績を称えて名付けられました。
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ジュリアス・ソーパー(Julius Soper、1845年2月15日 - 1937年2月5日)
青山キャン青山学院の源流である築地にあった「耕教学舎」(1878年)の実質的な設立者。博士は、米国メソジスト監督教会宣教師として1873(明治6)年夫人とともに来日し、38年間宣教と教育に貢献しました。1878(明治11年、津田仙などの協力を得て築地に英学と漢学を教授する「耕教学舎」を開校しました。「耕教学舎」はスクーンメーカー女史が開校された「女子小学校」とともに、青山学院の源流のひとつ

となっています。
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ドーラ・E・スクーンメーカー(Dora E. Schoonmaker、1851年11月14日 - 1934年12月5日)
アメリカ合衆国のメソジスト派の伝道師であり、23際の若さで来日。青山学院の最も古い源流であり、明治期の女子教育の開拓的学校である「女子小学校」を開設.
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ロバート・サミュエル・マクレイ(Robert Samuel Maclay、1824年2月7日 - 1907年8月18日)
「美會神学校」(1879年)創立者
アメリカ合衆国の宣教師、東京英和学校(現・青山学院大学)総理(初代院長)
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アーサー・D・ベリー
1902(明治35)年来日。1905(明治38)年に青山学院神学部教授となり、1908(明治41)年から1931(昭和6)年まで神学部長の職にあって、教育の充実と施設拡充に力を尽くしました。
関東大震災で倒壊した神学部校舎再建のため、自ら募金活動の中心に。「ベリーホール」はその功績を称えて名付けられました。
これらのレリーフはベリーホール前にあります。

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2013年07月20日

青山学院大学・青山キャンパス

小雨ふる日でしたが 青山学院大学に行きました。
正門ではなく記念館のほうの門から入りました。
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正面に見えるのが総研ビル(14号館)です。
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正門から正門から間島記念館まで銀杏並木です。秋は黄金色で美しいでしょう。
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ガウチャー・ホール/1887(明治20)年、ガウチャー博士の寄付により完成。1887年には現在の大学記念館のあたりに美しい洋風校舎が彼の献金によって建てられ、ガウチャー・ホールと称されました。

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1894(明治27)年6月20日、東京大地震により大破損したガウチャー・ホールは補修使用されてましたが、1906(明治39)年、新ガウチャー・ホールの建設により取り壊されました。
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新ガウチャー・ホール/1906(明治39)年に完成。1923(大正12)年9月1日、関東大震災により倒壊。
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キャンパスの建物には建てられた順に1号館、2号館と番号が付いています。
1号館・2号館はキャンパス内で最も古い建物。
1号館と同じ、大正15年(1926)に建てられた2号館です。
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青山学院大学 2号館
東京都渋谷区渋谷4-4-25
竣工年:1926年(昭和元年)

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2013年06月29日

旧千葉常五郎邸(ロアラブッシュ)南青山

渋谷区の六本木通りから路地に入った閑静な住宅街に「南青山のかわいいクッキー城」と呼ばれる建物があります。
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旧千葉常五郎邸(ロアラブッシュ
東京都渋谷区渋谷4−2−9
この旧千葉邸は、昭和9年の建物で常五郎が旧佐賀藩主鍋島家の令嬢と結婚する際に立てたものといわれています。
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明治時代の三大タバコ商の一つ、千葉商店に生まれた資産家・千葉直五郎が、息子・常五郎の結婚祝いのために建てたと言われその豪華さゆえに「男爵の邸宅」と噂されたそうです。
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チューダー様式の外観は円錐形の尖塔を持ち、重厚感漂うヨーロッパの古城のようです。
正面には、獅子の口から水が滴るスパニッシュスタイルの壁泉があります。
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東京都庭園美術館と並ぶ貴重なアール・デコの館ですが細部にはスパニッシュ風の要素がみられます。
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1934年(昭和9)竣工 黒川仁三が設計、竹中工務店が建設。
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現在はロアラブッシュという高級レストランで 食事をすると館内の見学ができるそうです。
玄関ホールにも天使をモチーフにした壁泉が設けられとても豪華だそうです。
リノベーションされた建物ですが 一般的な「歴史的建造物」として取り上げられることがあまりないようです。
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2013年06月28日

紅ミュージアムとふるさと雑感

紅ミュージアムを訪問したとき 紅花の産地最上から千石船で酒田から敦賀港へ運ばれ京の都へ・・というような説明をしていただきました。
わがふるさと三国湊へもその紅花を積んだ千石船は来ていたのではないかと思い調べてみました。
詳細はネットだけではわかりませんが 三国港の積み荷に紅花という表記は見つけました。
三国湊は北前船 千石船で栄えた港町です。
江戸中期になると北前船交易」が始まりました。三国湊も、海運で上方(関西)・瀬戸内・山陰・東北・北海道から物品が集まり、物流の一大集積地としてたいへん賑わい湊町には北前船を所有する廻船問屋をはじめ、様々な物品を販売する商店らが軒を並べ、町は大きく発展しました。それは明治に入っても鉄道が普及するまでは続きました。
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自宅にあった 千石船の写真ですが 積み荷を降ろしている様子がわかります。
廻船問屋が集まり 船荷が付き 船員たちでにぎわえば そこには遊郭 花街ができます。三国湊には遊郭がありました。
そういう古い旧楼の建物はいくつも現存していますし 今でも住まいとしている人たちがいます。
友人の家もそうなのですが たいてい家の中は暗いのです。表通りは格子のある広い部屋 玄関は土間で 背戸と呼ばれる小さな中庭があります。2階は4畳半程度の小部屋がいくつもあって 子供のころは不思議な造りだと思っていました。
遊郭はなくなっていましたが 芸者さんは多かったように思えます。子供の頃も 花街の名残は残っていて 三味線や小唄が聞こえる町でした。古い町並みが残る港町。置屋や揚屋があり 芝居小屋などもあったというところです。
紅をひく 遊女や芸者さんたち・・・「滝谷出村については、享保五年に「家数三百七十、傾城八十五人、流行長谷川」という記録がある(『三国町史』」
(2012.04/08)福井県三国町紀行4 出村遊郭跡1
(2012.04/10)福井県三国町紀行7 出村遊郭跡2
(2012.04/11)福井県三国町紀行8 出村遊郭跡3

このブログのふるさと紀行にも書いてあります。
粋な芸者さんたちの姿は 料亭や温泉場が近かったせいか子供のころまでよく目にしました。

親戚は昔でいう髪結いさんでした。出張の化粧箱には 櫛などのほか鬢油 コテ(火を使うもの)などが化粧道具と一緒に入っていました。もちろん白塗りの刷毛や紅筆も。古いものが家宝として残っていました。
かつては口紅などの紅は紅花から。紅花は血行促進作用がある生薬で、唇の血行が良くなり紅をとった後もほんのり紅いのだとか ....

子供のころ年に一度のお祭りには(北陸三大祭のひとつ 三国祭り)振袖を着て 子供でも化粧をしてもらえました。
紅筆でひく 赤い口紅。
ちょっぴり大人に近付いたような気がしました。

高校生になると 背伸びしてつけたのがキスミーのシャインリップ。
ツヤがあって 透明感があって少女から大人へと変化していく年ごろの大切なアイテムでした。
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先日 紅ミュージアムで子供のころどこかで見たような感じのする 展示品を見て 紅を見て そんなことを思い出してしまいました。
そういえば 親戚の髪結いのおばさんは 一段上の座敷の長火鉢に座り キセルをふかしていたっけなぁ・・・粋なおばさんでしたが 旦那さんはいなかったように思う。死ぬ時も粋に アッ!と言ったきりコロリと死んでしまって誰にも迷惑をかけなかったそうです。
小柄でひ弱に見えましたが 着物の着付けで帯を締めるときはぶっとびそうなくらい力があって 時間がたっても緩まなかったです。
そんなおばさんに目元 口元 こっそり紅をひいてもらったことを思い出しました。

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2013年06月25日

福井県アンテナショップ・ふくい南青山291


 岡本太郎記念館から青山骨董通りに戻り小原流会館の細い道を入ると 福井県アンテナショップ・ふくい南青山291があります。(港区南青山5丁目4-41)
この近くに来ると必ずと言っていいほど 寄ります。なんせ わざわざ行くには少し利用しにくい場所にあるのでなかなか買い物だけのために行くことはないです。
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前に利用した時は客も少なく品物もいまいちでしたが どうやら品物も接客もいろいろ再考したようで 品物も厳選されていたようです。
不愛想だった店員さんじゃなかったのが何よりで お客さんも増えているようでした。
福井は美味しいものが多いですから リピーターは多いと思います。
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食事処も前と変わっていました。
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玄関では恐竜博士がお出迎えです。今回は食べ物ばかりいろいろ買いました。大福あんぱん(210円)人気NO.1だそうですが前回買ってすごく美味しかったので買いました。わかめやうめぼし みそなどなつかしい故郷の味に出会えるのがうれしいです。
越前そばのイートインでもあればなぁ・・・と思っていましたが 今年4月に銀座1丁目に2号店ができたようで そこでにはイートインがあるそうです。『食の國 福井館』(東京都中央区銀座1-3-3 銀座西ビル1F)は食のみに特化した専門店だそうで 銀座なら自宅から近いので買い物だけでも利用できます。それにあのあたりは各県のアンテナショップが集中していますから いろいろなものを買うことができるので今度からは銀座を利用しようと思っています。
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2013年01月27日

神宮橋・原宿駅

明治神宮の鳥居のすぐそばには 明治神宮ならではの公衆電話が・・・
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実は宝物殿そばの自販機も同じ屋根でした。
目の前は神宮橋です。
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宝物殿にあるのが古い橋標です。
所在地 渋谷区神宮前

 「神宮橋は大正9年(1920)、明治神宮の造営時に山手線を跨いで架けられ、当時としては珍しく、鉄骨を使用したコンクリートの橋桁であった。橋の装飾は最も苦心したところで、御影石の高欄部分には黒松を吹寄植して橋を渡る人々に下を走る列車を気付かせないよう配慮すると共に橋詰には石燈籠を現代化した親柱を建てた。
 多くの人々に親しまれてきたこの橋も、寄る年波には勝てず、60有余年間その使命を十分に果たし、新しい橋に架け替えられた。
この新しい橋は古い橋の姿をできるだけ損なわないように高欄は御影石を使って再現し、親柱は当時の石材を補修してそのままの形に復元した。そして、歩道部分の舗装には御影石を組合せてその中に渋谷区の木「けやき」をデザインして配置し、新しい原宿の町にふさわしく明るい感じとしたものである。
 昭和57年(1982)9月  東京都」
そして原宿駅です。
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原宿駅

竣工 1924年(大正13年)
所在地 東京都渋谷区神宮前1-18-20
構造 木造2階建て

英国調ハーフティンバーの装飾と、小さな搭を備えているのが印象的な洋風木造駅舎。
関東の駅百選の認定プレートがあります。
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明治神宮の最寄駅である原宿駅は1906(明治39)年10月30日に開業しまし。現在の駅舎は関東大震災の翌年、1924(大正13)年の建築です。
この駅舎は、東京都内に現存する最古の木造駅舎です。二階建てで、尖塔付きの屋根に白い外壁という、イギリス調のデザインです。
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山手線ホーム、臨時ホームのほか 少し離れたところに 皇族専用の宮廷ホームが有ります。
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山手線ホームから見た駅舎です。

原宿という駅名は、開業当時近隣にあった地名、原宿(豊多摩郡千駄ヶ谷村大字原宿)からだそうです。
明治神宮宝物殿前には当時の様子を語るJA東京の説明板がありました。

代々木野と周辺の村落
「ここ明治神宮の境内は、かつて代々木野といわれ武蔵野の一部で、草深き原野は四季折々の山野草が咲き競っていました。それまで、寒村であった江戸に徳川家康が幕府(1603)を置いた事から、江戸周辺の原野は拓かれ、あちこちに集落が形成されました。
 寛永年間(1624〜44)には諸大名の別邸や旗本の屋敷などが作られましたが、代々木野(当境内)には元熊本藩主、加藤忠廣の別邸が造営されました。当境内周辺には原宿村・千駄ヶ谷村・代々木村・穏田村・上渋谷村などの集落があり、米、麦、蕎麦などのほか、ナス、ダイコン、ニンジンなど、江戸で不足する野菜類を主に生産し、神田や日本橋に出荷していました。

1867年、江戸幕府が崩壊し、明治政府が誕生すると、かつての大名屋敷の多くは空き家となり、青山周辺は市街化が進んだのに比べ、原宿村など、周辺の村々は、明治中期の頃まで、田園の景観をとどめていました。 」

現在の原宿駅前は相変わらず混雑していました。

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2013年01月26日

明治神宮 大鳥居/宝物展示室

南神門を出てしばらく歩くと正参道の右手に神宮御苑北門があります。
そこをすぎ、南参道と北参道の出合い口のところに大鳥居(第二鳥居)があります。
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 大鳥居
「我が国で最も大きい木造の『明神鳥居』。昭和50年(1975)12月23日建替竣功、篤志家により奉献。形式寸法共に大正9年(1920)創建の鳥居に同じ。原木は台湾丹大山の樹齢1,500年に及ぶ扁柏。
高さ12メートル   柱と柱の間 9.1メートル   島木の長さ 15.5メートル
柱の径 1.2メートル   笠木の長さ 17メートル」
重さが13tもあり、木造の明神鳥居としては日本一の大きさです。
一代目の鳥居は昭和41年に落雷で損傷を受け、この鳥居は二代目の鳥居です。一代目の大鳥居は明治神宮が創建された大正9年に完成しました。この鳥居の材木は檜(ヒノキ)ですが、国産の檜ではなく台湾産です。明治神宮御造営の時に台湾総督府より献木されたもので、阿里山(アーリーシャン)の西腹より伐採されたそうです。樹齢は1200年以上に達していたといわれます。
この大鳥居の近くには文化館があり食事や休憩ができるようになっています。おみやげ物やさんもあります。
 文化館
「明治天皇践祚130年の記念事業として平成9年(1997)に竣功しました。総ガラス張りの近代的な建物で、明治の文化と心を現代に広めるため2階には宝物展示室を兼ね備えているほか、参拝者の便に供するため、レストラン・無料休憩所等があります。」
この文化館には宝物展示室があります。
宝物殿のチケットで入館できます。
宝物展示室                                
 「平成9年、明治天皇践祚(せんそ=天皇の位につかれること)130年の佳年を記念して建造された明治神宮文化館。その中に、宝物殿の別館として宝物展示室が開館しました。宝物展示室では「明治のこころ」を今に伝える御祭神ゆかりの品々を中心に展示しています。
 特に春と秋には特別展が開催され、日頃目にすることの出来ない貴重な資料が公開されます。
 さまざまな困難を乗り越え、近代国家建設を果たした輝かしい明治という時代を振返っていただきたいと存じます。 」
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「明治神宮の名宝」展が開催中で見てきました。
『幼學綱要』や御屏風など、明治天皇、昭憲皇太后両御祭神みゆかりの品々を展示しています。
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特別展示ジオラマ「明治天皇御葬列」
 「明治天皇百年祭事業として明治天皇御大喪時の御葬列ジオラマを作成し、文化館宝物展示室にて初公開中です。行列全景2万人の御葬列と轜車(じしゃ)中心部分500人が製作されました。 」
入館するとすぐこのジオラマがあるのですが こんなにも人の列が・・・と思いました。
天皇の祭祀の時の衣類などもあって興味深かったです。

文化館出て 神宮橋のほうへ南参道を歩くと 酒樽があります。
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 清酒菰樽
「明治神宮の御祭神明治天皇様は、明治の御代に我が国の様々な産業を奨励し技術の振興に御心を注がれ日本の興隆と近代化を成し遂げられました。
また、我が国の国母と慕われた昭憲皇太后様と共に両御祭神の広大無辺な御聖徳は国民ひとしく仰ぎ奉るところであります。
ここに奉供されています菰樽は、ご縁を以て永年当神宮へ奉納を頂いております甲東会を始め、昭和38年(1963)に結成された明治神宮全国酒造敬神会会員、また全国各地の敬神の念厚き酒造家より献納されたものであります。
ここに、ご奉献頂いた酒造各社に衷心より感謝申し上げますと共に、酒造業を始めとした我が国の伝統文化を担う諸産業が益々栄えますことをご祈念申し上げます。 明治神宮」
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 葡萄酒樽
 明治天皇御製
 「よきをとりあしきをすてて外國に
  おとらぬくにとなすよしもがな」
「和魂洋才」を旨とし、わが国の伝統のこころを守りつつ、西洋の優れた文物を採り入れた明治時代。御在世中、まさ国民の模範となって近代化を推し進められた明治天皇は、断髪、洋装をはじめ衣食住の様々な分野において西欧文化を積極的に採り入れられました。食文化においても率先して要職をお召し上がりになり、西洋酒としては特に葡萄酒をお好みになられました。
ここに奉供されております葡萄酒樽は、ブルゴーニュ東京事務所代表でブルゴーニュ名誉市民、シャトー・ドゥ・シャイイホテル・オーナーでもある佐多保彦氏の呼びかけにより、葡萄酒産地として名高いフランス共和国ブルゴーニュ地方は醸造元各社より献納されたものであります。ご縁により遠く海を越えご奉献頂いた方々に衷心より感謝を申し上げますとともに、御祭神の世界友好への深い御心を戴き、わが国とフランスとの親交が一層深まりますよう祈念致します。明治神宮」
そして鳥居です。
原宿駅方面から南参道に入る場合はこれが最初の鳥居です。
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この鳥居を出て原宿駅に向かいます。

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2013年01月25日

明治神宮 御社殿

明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祭神とし、初詣では例年日本一の参拝者を集めている。1月19日に行ったのですが かなりの参拝者がいました。
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明治神宮のおみくじには吉凶はなく、天皇・皇后の作られた詩文・和歌が書かれています。戦後、明治神宮は一宗教法人となり、おみくじを出すことになりましたが、 一般神社のよう吉凶ではなく、ふさわしい独特のおみくじにしたいと考えたそうです。

ちなみに、明治天皇は93,032首、昭憲皇太后は27,825首もの歌を作られているそうです。その中から人倫道徳を指針とするものを30首選んだとか・・・
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明治神宮の宮の字に「ノ」がはいっていません実は明治神宮だけではなく、伊勢神宮のおふだにも「ノ」が入っていないのです
明治神宮は大正9年11月1日創建されました。その第一日目より直会殿でおふだを授与したのですが、そのおふだを書いたのが、当時明治神宮造営局の第六代副総裁・床次竹二郎でした。そしてそのおふだには「ノ」が入っていなかったのです。
 以来明治神宮のおふだは、この字を基本にしてきたのです。「宮」の書体の種類は35種類あります。
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西神門から入りました。東神門、南神門とあります。
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大きな夫婦楠があります。
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 夫婦楠 めおとくす
この楠は大正9年(1920)の御鎮座当時の献木され、御祭神の御加護のもと樹勢瑞々しき大樹に育った御神木であります 両樹木は「夫婦楠」として親しまれ、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴となっております。
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神楽殿には10組以上もの結婚式の名札がありました。新郎新婦が何組もいました。
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 神楽殿 
平成の御大典記念事業として造営されたもので、明治神宮崇敬会及び全国崇敬者よりの多大な奉賛により平成5年(1993)に竣功しました。神楽舞、舞楽を奏しての厳粛な祈願祭を随時奉仕しています。
客殿
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南神門鳥居
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社殿はこの南神門の正面です。
ここを出て 大鳥居に向かって歩いていきます。

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2013年01月24日

明治神宮宝物殿 3

「宝物殿内には、御祭神にゆかりの深い御物、日常ご使用の机、文房具、箪笥、ご愛読の書籍、ご着用の装束、ご乗車の馬車、その他の調度品が陳列されています。」
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五箇條の御誓文や教育勅語の実物や天皇と皇太后御着用の礼装、明治の元勲たちの書、明治神宮鎮座の絵巻などと貴重な実物ばかりです。
なかでも 十二単(御(唐衣)や英国製の六頭曳儀装車(鳳凰車)は目を引きます。
立派な英国製の「六頭曳儀装車」は明治22年2月11日の憲法発布記念日の観兵式に使われたものです。

壁には馬堀法眼喜孝「歴代天皇御肖像」124面 神武天皇〜昭和天皇が並びます。
日本書紀の時代の天皇のお顔って・・・想像なのだろうなぁ・・でも遺伝子的に にているような気もしますけど・・・どうなんでしょ。
また 聖徳記念絵画館壁画の下絵もすべて並んでいます。
「明治天皇紀 附図」81葉ですが この附図が壁画と「異なる構図」のものが何枚かあって見つけてはあれ?と思ったりしていました。
すでに 壁画(縦3メートル横2.5〜2.7メートル)80点を見ていたのでなかなか面白かったです。
聖徳記念絵画館壁画の下絵を作成した二世芳柳(にせいごせだほうりゅう)は聖徳記念絵画館の壁画の考証図の作成を命ぜられ、心血を注いでその制作に邁進したといいます。
特別な日を除き 土・日・祭日のみ 開館。内部は撮影禁止。

東廊に中倉の鬼瓦が置かれています。
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中倉の鬼瓦は、福島県会津産の薬掛仕上で、 鬼面の幅が1.15m、高さ1.1m、鬼瓦全体の高さは2.4mあります。 現在の中倉の屋根の鬼瓦は、1982年(昭和57年)の改修工事の際に作られたものです。

大鳥居切り株
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「 此の切株は現在の大鳥居の原木で直径1.2メートル、樹齢約2000年をかぞえます。
 明治神宮の大鳥居(第二鳥居)は我が国で最も大きい木造の鳥居であります。現在の大鳥居は二代目で、御鎮座当時(大正9年(1920年)) の形式、寸法とも全く同じものです。御鎮座当時のものは山麓の檜の原木で建立されたものでしたが、昭和41年7月落雷により傷がつきましたので、篤志家の奉納により昭和50年12月23日再建いたしました。
 初代の大鳥居は装いも新たに現在埼玉県の大宮市の武蔵一宮神社にたてられております。(説明版)」

北前千石船
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北前千石船, 彌榮丸, 昭和47〜48年, 日本一船匠 野田房吉作
「この模型船は唐人お吉時代西暦1850年頃のものを作ったものです。
北前千石船は江戸中期より大正初期まで使用された船で大正元年には三隻残っていましたが現在は一隻もありません。
北前と云うのはこの船の航路が北海道から日本海瀬戸内海を経て大阪に至る間を航行していたので名付けられたものです。
この船の著しい特長は左右の舷側に波除のあることで この波除けは出船のときに青竹で取り替えられたものです。
積荷は上りは米、下りはにしん、かずのこ、昆布。砂糖、などの高級品を積んだものです。(説明版)」
和船造りの船大工、野田房吉さんは 重要無形文化財に推薦されたこともある「名人」です。

初代神宮橋の橋標
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大正9年に最初の神宮橋が竣工。
神宮橋は大正9年(1920)、明治神宮の造営時に山手線を跨いで架けられ、当時としては珍しく、鉄骨を使用したコンクリートの橋桁であった。橋の装飾は最も苦心したところで、御影石の高欄部分には黒松を吹寄植して橋を渡る人々に下を走る列車を気付かせないよう配慮すると共に橋詰には石燈籠を現代化した親柱を建てた。多くの人々に親しまれてきたこの橋も、寄る年波には勝てず、60有余年間その使命を十分に果たし、新しい橋に架け替えられた。
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宝物殿の次はいよいよ 社殿に行きます。

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2013年01月23日

明治神宮宝物殿 2

中倉をはじめとするほかの重要文化財を見て行きます。
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中倉横から。
(左右対称なのでどちらか一方の写真。)
東西廊
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東西倉
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東西橋廊
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東西渡廊
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北廊 事務所 車寄 など
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東西廊から橋廊への階段など
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東西橋廊を渡り 中倉に入ります。
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2013年01月22日

明治神宮宝物殿 1

明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする神宮です。面積約70万平方メートルの境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国よりの献木が植樹された。

所在地 渋谷区代々木神園町1-1 (明治神宮)
北参道から入りました。
入り口です。
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    「 定

 1 車馬ヲ乗入ルコト
 1 魚鳥ヲ捕ルコト
 1 竹木ヲ伐ルコト
 右境内ニ於テ禁止ス」

大正9年(1920)の制札。
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北参道の鳥居です。
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木漏れ日の参道です。しばらく行くと広場があります。
明治神宮宝物殿が見えてきます。
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正門が入場口になっています。500円でチケットを買うと 文化館の宝物展示室も入場できます。
明治神宮宝物殿は明治天皇ゆかりの御物を収蔵・展示するための施設として明治神宮造営局の大江新太郎が設計を行い、大正10年(1921)に竣工しました。 展示施設の中倉を中心として各建物を左右対称に配置した構成で、中心建物を高床とし、校倉造(あぜくらづくり)や寝殿造(しんでんづくり)などを基調とした独特の和風意匠でまとめています。わが国の伝統的な建築様式を集成し、力強い造形表現を実現しており、高い価値が認められる。また、建物全体を鉄筋コンクリート造とした和風意匠の建築物ではわが国最初期のものであり、建築技術史上においても重要である。
明治神宮宝物殿
都・選定歴史的建造物

竣工 1921年(大正10年)11月
所在地 東京都渋谷区代々木神園町1-1
設計 設計担当:大江新太郎、監督:志知勇次
施工 長崎橋本組
構造 鉄筋コンクリート造平屋建て
この建物は、奈良正倉院の校倉風大床造の様式を模した、 わが国初期の鉄筋コンクリート建築の代表作です。
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中倉です。全体がカメラに入りません。
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空の青い筋ですが 飛行機雲とも思えないし何なんでしょう。時間をおいてこれだけではなく何本もこのような筋が見られました。
明らかに移動しているものもありました。隕石か?などと思いました。
重要文化財 :明治神宮宝物殿 13棟
大正10年(1921年)竣工。鉄筋コンクリート造。中倉(附:陳列箱8基、鬼瓦1箇)、東西倉、東西廊、東西橋廊、東西渡廊、北廊、車寄、事務所、正門の計13棟が近代和風建築として国の重要文化財に指定され、土塁2箇所が附(つけたり)指定となっている。
太刀 銘助茂(1972年盗難、所在不明)
順に見て行きます。
まず 正門です。
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正門を入ると正面に中倉があり その前は広場です。
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左右に東西廊があり そこから展示室(中倉)に入ります。
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東西廊

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2013年01月21日

明治神宮御苑

清正井は明治神宮御苑内にあります。
明治神宮御苑は、江戸時代初期熊本藩主加藤清正、後に彦根藩主井伊直孝の下屋敷の庭園でしたが、明治時代に宮内庁所管となり代々木御苑と称されていました。入場料は500円です。
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「苑内には隔雲亭(かくうんてい)、お釣台、四阿(あずまや)、菖蒲田(しょうぶだ)、清正井(きよまさのいど)などがあり、曲折した小径が美しい笹熊の間を縫い、武蔵野特有の面影をとどめている名苑です」
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入場して少し下ると隔雲亭があります。見所には立て札があります。
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隔雲亭
「元の隔雲亭は明治三十三年明治天皇の御思召によりましたが、戦災により消失したので、昭和三十三年、篤志の寄付と社殿御造営残材とにより一部増築して再建したものであります。」
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この前方は美しい庭園になっていて南池が見えます。
南池
面積凡そ八〇〇〇平方米(約2400坪)
この奥の 清正井を主な水源とし、睡蓮の花咲く夏の頃の眺めは殊に美しく、冬は水鳥の楽園です。
水面に張り出して御釣台があります 。大きな鯉がたくさん見えました。
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御釣台
明治時代に天皇様の思召により設けられ皇后様には時々御釣りを楽しまれたと伝えられています。
この南池から清正井までずっと菖蒲園が続きます。
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菖蒲園
「この菖蒲園は明治30年頃明治天皇の御思召により優秀な品種を集め植えられたもので、当時は八十余種でしたが、現在では百五十種・大株一千五百株を数え、緑の谷間に咲き競う景観は環境のよさと共に見事です。
 花菖蒲には江戸(東京)種、伊勢種、肥後(熊本)種の三系統がありますが、ここの花菖蒲は江戸種です。
花期は例年六月上旬から七月上旬です。」
雪でぬかるむ小路を歩き四阿(あずまや)を越えて清正井に向かいます。一番端なので かなり歩きます。

都会では珍しい湧水の井戸です。
東京都の調査では水温は四季を通じて15度前後と一定していて、毎分60リットルの水量があるそうです。
清正井
「この地に下屋敷を構えて居た加藤清正が掘ったと伝えられ、一年中絶ゆることなく湧き出る清水は 南池の水源となり掘り方の光明と水質の優秀なことは早くから世に知られています。」
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2009年(平成21年)12月25日から突如、清正井目当てに行列が延々と続く事態が起こりました。
数時間待ちの行列になったそうです。
ある芸人が番組でこの井戸のご利益を力説したことから 清正井はパワースポットとして注目を浴びたのです。
19日は十数人の列でした。小路から下りたところにあるので 危なくないように警備員がいて入れ替わりの指示をします。
小鳥が水のみにきています。清らかな水で 手を触れてみましたが 冷たくはなかったです。井戸水だとわかりました。

 「清正井」のあるこの地は江戸時代、加藤家の下屋敷があり加藤清正の子・忠広が住んでいたことは間違いないようですが、清正本人が住んでいたかは定かではありません。まもなく加藤家が絶え、その後井伊家の下屋敷となりました。 
昔から「清正井(きよまさのいど)」といわれ加藤清正が自ら掘ったとされています。ただし加藤清正が掘ったかどうかまでは定かではないそうです。
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2013年01月20日

明治神宮雪景色

昨日19日、明治神宮に行ってきました。
14日に雪が降ったのでまだ少し残っているだろうなぁ〜と予想はしていたのですが 雪景色には少々驚きました。
北参道から入った池も半分は凍っていました。
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宝物殿前の広場は一面雪景色・・・
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ここはセントラルパークかと思えるような景色です。
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参道は除雪されていましたが まわりの森はまだ残雪があって時々バサリと音をたてて雪が落ちます。折れた枝が痛々しかったです。
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御苑の中の南池も凍っていました。
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ここは兼六園か・・・と思ってしまいそうです。
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菖蒲園は一面雪と氷です。
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菖蒲園の一番奥に あの有名な「清正の井戸」があります。
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2012年12月17日

ヒカリエのトイレ(渋谷)

渋谷に新しくできた ヒカリエShinQsのトイレがすごいという噂や紹介番組があったので行ってみた。
5階〜B3階(1.2Fは除く)の6つのトイレを見学してきた。
それぞれ テーマが違うトイレで内装や流れる音楽 香りが違ってはいましたが 思っていたほど豪華ではなかった。
レストルームやソファなどがあるトイレは会員制でカードがなくては入れないので見学できなかったのです。そこは 写真で見ると豪華な部屋のようでしたけど 6つのトイレはテーマが違う程度でした。
ターゲットである女性の”キモチのスイッチを切り替える”ための究極の音楽空間を創出する。ということらしく ヒーリング音楽のようなものが流れていました。
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スイッチルームは「レストルームを超えた、新たな集いの場所」だそうです。
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とまぁ 買い物もせずトイレだけ見てきました。各階のスイッチルームの前には椅子がいくつかあって自動販売機などもあって 休憩できるようになっていたのが よかったです。
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2012年07月18日

渋谷区立 鍋島松濤公園

松涛美術館から少し足を伸ばして 渋谷区立 鍋島松濤公園に行った。
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「元々当地一帯は江戸時代には紀州徳川家の下屋敷があったところで、1876年(明治9年)に佐賀の鍋島家に払い下げられた。鍋島家は当地に茶園を開いて「松濤園」と名付け、「松濤」という名で茶の販売も行っていた。1932年(昭和7年)になると茶園は廃止され、湧水池のある一角が児童遊園として整備され、1932年(昭和7年)に東京市に寄贈された後、1950年(昭和25年)からは渋谷区に管轄が移されて現在に至っている。渋谷区HPより」
公園名は、かつてこの地にあった茶園 『松濤園』に因んで名付けられたとのことです。
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入り口に 説明版があるのですが汚れているし はげていてよく読めませんでした。
半分くらいは 遊具のある児童公園で 残りは水車小屋のある自然湧水の池です。公園の面積は5012m2。その池の周りに遊歩道があります。坂のある土地ですから遊歩道のまわりは小高くなっていて 緑も多く そこもまた遊歩道になっています。春には桜が咲くそうですが 日本庭園というより中央に池があるだけの公園という感じです。
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手入れがされていないのか 池の中の小島も背丈ほどの草で埋まっていましたし 水も汚くにごっていました。
2008年に写した写真ですが 小島の石灯籠もちゃんとわかりアヒルがいましたが 今回は亀しか見かけませんでした。
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 鍋島松涛公園 所在地 渋谷区松濤2-10-7
「この松涛園は、紀州徳川家の下屋敷跡を購入した鍋島家が明治年間に士族授産のために開いた茶園の名であり、松涛(しょうとう)とは茶の湯のたぎる音から出た名で、この銘の茶を生産していました。それがもとになって、昭和3年(1928)にこのあたりの松涛という町名が生まれました。
 ここの池は渋谷粘土層植えの宙水の自然ゆう水点で、もとは区内にも数多くの泉がありましたが、現在では区内には少ない自然ゆう水のひとつです。
 昭和7年(1932)に鍋島家から東京市に寄贈され、昭和9年(1934)から渋谷区の管理に移り、戦後に区立の公園となりましたが、池の周囲だけに昔の面影が残されています。 渋谷区教育委員会」
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すぐ近くには 戸栗美術館(旧鍋島藩屋敷跡)もあります。
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