2013年12月29日

東京水上倶楽部(飯田橋)

牛込橋から外堀を見ています。
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お堀を望む水上レストランとして知られる「カナルカフェ」が見えます。
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1918年に設立されたボートハウス「東京水上倶楽部」がそのルーツ。
1918年当時、東京には都民の為のレクリエーション施設などが無い状況でした。

初代東京市長である後藤新平氏と古川清(オーナーの祖父)が都民の為に何かできないかと考えた結果、外堀を利用したボート場建設を発案したとのことです。
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今はこんな感じで鳥たちの憩いの場です。
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桜の時期には こんな見事な景色になりカナルカフェは行列のできる店となりにぎわいます。
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東京水上倶楽部 東京都新宿区神楽坂1-9

「創業1918年 東京で最も古いボート場です。
当時は十人以上も乗れる大型の船をはじめ、100艘もの船が浮かんでいました。
600mのお堀の周りに明かりを灯し、夜間の営業、蛍、花火、灯篭流し、ラムネ、かき氷、江戸冗長を残したボート場は、都民の憩いの場でした。

現在、東京水倶楽部[CANAL CAFE]は、浄化活動に取り組み、2009年に、このお堀で蛍が生まれるまでになりました。
今後も、皆様の協力とともに、以前のような美しい外堀を目指して再生に取り組んでまいります。」
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外堀通りを歩きます。
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中央線の電車が見えます。
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春にはこんな素敵な景色になります。

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2012年12月15日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑〉6 周辺史跡

国立競技場のそばの植え込みに 御鷹の松がある。絵画館前庭西側。
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所在地 新宿区霞ヶ丘町1 (明治神宮外苑)
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  御鷹の松(お鷹の松)
「大正7年(1918)明治神宮外苑競技場(現国立霞ヶ丘競技場)造成のために買上げた霞岳町の敷地内に境妙寺という古寺があった。昔、徳川3代将軍家光(1603〜1651)が鷹狩の途中この寺に休息していたところ、江戸城から飛び去っていた、「遊女」と名づけた愛鷹が飛んで来て、庭前の松の枝に止まったので家光は大へん喜び、この松をその鷹の名をとって「遊女の松」と名づけたと伝えられる。後の世の人々が「お鷹の松」或いは地名をとって「霞の松」とも呼んだ。碑文にある2代目の松(樹齢推定200年 高さ4メートル)は昭和39年(1964)、東京オリンピック開催のための拡張工事の際に取り去られ、碑石は競技場代々木門内に移設されていたが、このたび現在地に移し、新たにこれに黒松を配したものである。
 昭和54年(1979)10月 明治神宮外苑」
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その近くにあるのが 建国記念文庫。
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所在地 新宿区霞ヶ丘町8 (明治神宮外苑)

  建国記念文庫
「昭和41年12月9日、建国日制定審議会は2月11日を建国記念の日として答申、即日法律によって発布された。この間、数十万通に及ぶ、記念日制定の希望・意見書が進達されたので、ここに建国記念文庫を建設し、これを保管する事にした。
建設費は総て国民の浄財である。これは、現下の国民が等しく建国を思う情熱の結果であり、千年万年の子々孫々に伝え、以て後日の語り草にしたいのが、記念文庫設立の目的である。

 建物は、わが国が建国当時、米穀を以て立国としたことを想い、奄美大島の高倉様式を移築しその屋上にテンパガラスを施行し、ここに書類を保管した。書は、出雲大社の神門の布施杉の材に佐藤大寛が墨書した。
礎石は、坂上田村麻呂将軍の東征により、平和国家が確立された故事に鑑み、奥州厳作山の石垣白河石を以て施工した。
 昭和44年(1969)2月11日
 元建国記念日制定審議会長 菅原通済記」
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神宮球場脇を通り 銀杏並木のほうに行く。道路がカーブしたあたりに〈絵画館むかって右)御観兵榎がある。
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所在地 港区北青山1-7 

  御観兵榎
 「この外苑の敷地は、もと陸軍の青山練兵場で、明治天皇の御台臨のもとにしばしば観兵式が行われ、なかでも明治23年(1890)2月11日の憲法発布観兵式や、明治39年(1906)4月30日の日露戦役凱旋観兵式などは、特に盛大でありました。聖徳記念絵画館の壁画「凱旋観兵式」(小林万吾画)にその時の様子が描かれており、当時の盛儀が偲ばれます。明治天皇がご観兵される時は、いつもこの榎の西前方に御座所が設けられたので、この榎を「御観兵榎」と命名し永く保存しておりましたが、平成7年(1995)9月17日老令(樹齢200余年)の為台風12号余波の強風により倒木しました。遺木の一部は聖徳記念絵画館内に名木「ひとつばたご」の遺木と共に保存されております。
 平成8年(1996)1月、初代御観兵榎の自然実生木(推定樹齢60年)を苑内より移植し、「2代目御観兵榎」として植え継ぎました。
 平成8年(1996)1月吉日 明治神宮外苑」
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 「初代 御観兵榎」
 榎
にれ科えのき属、樹齢200余年と推定される。
 幹廻り、2.2メートル 高さ、9メートル
枝張り、16メートル
 碑石 
石材は伊豫(愛媛県)青石、天然石
 題字 
東郷平八郎書
明治38年(1905)日本開海戦においてロシアバルチック艦隊を壊滅させた、当時の連合艦隊司令長官 東郷神社の祭神
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今回の絵画館周辺史跡めぐりは ここまでです。
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国立競技場(旧明治神宮競技場)
外苑の諸施設の中で最も早く、大正13年10月25日に竣工し、同月、第1回明治神宮競技大会(名称はいく度か変わりましたが、現在の国民体育大会の基となった大会)が開かれその後陸上を始め各種の競技・球技場として活躍してまいりました。
昭和39年の東京オリンピック大会を機に、国立のスタジアム建設に全面協力し、昭和31年外苑より国に譲渡、改修後6万人収容の大競技場として現在に至るまで大いに活用されております。
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明治神宮野球場
神宮球場が完成したのは東京六大学野球連盟が結成された翌年の1926年(大正15年)である。
絵画館をはじめとする外苑全体のバランスを考えて建物その他の高さは制限され、外野には芝生・植え込みを多くしスタンドも美観を損じないことを主眼に造成されました。大正14年12月、敷地造成工事に着手、翌15年1月に起工式を行い10月22日に竣工しました。

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2012年12月14日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)5.周辺史跡

絵画館向かって左 前庭の植え込みに樺太国境画定標石があります。
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所在地 新宿区霞ヶ丘町1 (明治神宮外苑)

  樺太国境画定標石
  明治39年(1906)〜明治40年(1907)
 「明治37年(1904)、8年の日露戦役の講和条約でカラフトの北緯五十度以南は、日本の領土となりました。
その境界を標示するため、日露両国委員は、明治40年(1907)9月4基の天測標と17基の小標石を建てて境界を確定しました。
 この境界標石は、外苑創設に際し、明治時代の1つの記念物として、樺太庁が之を模造し外苑に寄贈したものです。当時苑内北方隅の樹間に在りましたが、この度、全国樺太連盟よりの、これが顕彰周知方の篤い要望に応えて、絵画館前の現地に移し整備配置しました。
 日本側の菊の紋章の背面には露国の鷲の紋章が刻んであります。
 又、聖徳記念絵画館の壁画「樺太国境画定」(安田稔画)には、両国委員が境界標を建設する光景を史実に基づいて描いた絵画が展示されております。
 昭和54年(1979)6月2日 明治神宮外苑」
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反対側には なんじゃもんじゃの木 があります。
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渋沢榮一の女婿で明治神宮の造営に尽力された阪谷芳郎(東京市長、琴子夫人は渋沢榮一の二女)が揮毫した立派な碑と説明板が植こみにあります。
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なんじゃもんじゃの木
「和名「ひとつばたご」俗名「なんじゃもんじゃ」と呼ばれる名木で、5月のはじめ頃に白い清楚な花を咲かせ、満開時は雪が被ったように見え、神宮外苑の名物のひとつとなっています。
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初代 ヒトツバタゴ(六道木)俗名 なんじゃもんじゃ
      大正13年天然記念物指定

  なんじゃもんじゃの木碑
 「この木は、和名「ひとつばたご」俗名「なんじゃもんじゃ」と呼ばれ昔からこの地内にあった名木です。5月始めの頃、白い清楚な花が咲き、満開時は雪を被ったように見えます。
この木の親木は古く幕末の頃、ここから南へ約400メートルの六道の辻にあったので、「六道木」とも呼ばれた珍しい木である。
明治18年(1885)にこのあたりは青山練兵場となったが、時の政府は所有者、萩原三之助からこれを買上げそのまま残した。
明治36年(1903)、白井光太郎博士(元帝国大学教授)が政府にこの木の保護願いを出し、種々尽力したため大正13年(1924)12月天然記念物の指定を受け保護されることになった。
然し樹齢百数十年といわれた名木も遂に昭和8年(1933)枯死した。
練兵場に枝を広げて立つ明治39年(1906)頃の六道木の姿は、絵画館の壁画「凱旋観兵式」(小林万吾画)の中に描かれており、またその遺木の一部絵画館内に飾られている。
ここにあるひとつばたごは、2代目六道木で、明治36年(1903)頃白井博士が根接法により得たものであると伝えられている。
この由緒ある名木を、できるだけ多くの方にご覧いただくため、このたび碑石と共にここに移し植えたものである。
ひとつばたごの名称は、江戸時代の植物学者水谷豊文が、尾州二ノ宮山中(愛知県)でこの木を発見し名づけたものと伝えられるもくせい科に属する落葉樹で、国内では愛知、岐阜、対馬に産し、都内では十数ヶ所に見られる。
 昭和53年(1978)12月 明治神宮外苑」
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次は絵画館のまわりの史跡を見てみます。

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2012年12月13日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)4.周辺

絵画館前の池の両側に3本ずつ合計6本植えられ綺麗に刈り込まれている「シロマツ」があります。
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これは珍しい“松”です。
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説明板には「中国名:白皮松。日本では比較的珍しく、中国では王宮寺院などに多く植えられています」と記されています。
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シロマツ
中国北西部原産のマツで、日本では比較的珍しく、絵画館前庭の池の両側に整然と3本ずつ植えられております。
中国では王宮、寺院などに多く植えられており成木は、樹皮がはがれて白い肌がまだらに現れます。
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迷彩服のようです。
老木は樹皮が薄く剥げて灰白色になることから和名がつけられ、「ハクショウ」という別名です。日本の赤松や黒松の針葉は2枚ですがシロマツの針葉は3枚です。空海が中国で投げた三鈷鉦が日本に飛んできて掛ったという伝説のシロマツが高野山金剛峯寺の金堂と御影堂の間にあり、「サンコノマツ(三鈷の松)」と呼ばれ、神聖な松として扱われています。
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そのシロマツの前の広場、国旗掲揚台までの舗装はひび割れが多いです。ここはなんと 日本最古のアスファルト舗装だそうでfす。
日本最古のワービット工法によるアスファルト舗装(明治神宮外苑)
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  明治神宮外苑の舗装
 「明治神宮外苑の道路の舗装は、東京市(当時)でも大規模で本覚益那加熟アスファルト混合物を用いた舗装であり、1926年(大正15年)1月に完成しました。
 この工事は、我が国においてワービット(Warrenite-Bitulithicの略)工法を採用した最初の工事であったばかりでなく、アスファルトは国産品(秋田県豊川産)を使用し、当時の最新鋭機による機械化施工が行われました。
この舗装は長い年月の使用に耐え、左図の濃色の箇所(下の写真)が66年間(1992年改良)にわたって車道として使われてきたことは、驚嘆に値します。また、この案内板の前の舗装は当時のまま現存しており、日本における車道用アスファルト舗装としては最古のものです。」
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説明版に書かれています。
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   当時の工事概要
(1)発注者:明治神宮造営局
(2)施行面積:59,096u
(3)施行費用:167,135円
(4)工期:1924年5月〜1926年1月
(5)監督者:工学博士・藤井眞透

  平成16年度 土木学会選奨土木遺産
対象構造物 聖徳記念絵画館前通り
受賞理由 東京を代表する道路景観であり、ワービット工法を利用したわが国最古級の車道用アスファルト舗装である。
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表面はゴツゴツしています。実物のコアーを触って確かめることもできました。
貴重な土木遺産は いつまでも大切に保存したいものです。
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2012年12月12日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)3

外に出ます。目の前には四角い大きな池があります。
絵画館のほか、重要文化財の附(つけたり)として指定されているものを見ます。
角池(壁面蛇口付、外周路地を含む) - 絵画館正面にあり、1959年(昭和34年)から3年間「かっぱ天国」という名で子供用プールとして使用された。
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池の前にある国旗掲揚塔です。大きな台座の上に2頭の一角獣が躍動しています。

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葬場殿趾円壇 絵画館の裏手にあります。
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葬場殿跡(明治神宮外苑)

所在地 新宿区霞ヶ丘町1 (明治神宮外苑)

明治天皇が明治45年(1912)7月30日にお亡くなりになり、その御葬儀が9月13日に全国民の悲しみのうちにこの場所(当時の青山練兵場)で行われました。ここがその時に御柩車が置かれた葬場殿のあとです。
中央の大木はこのことを記念して植えられた楠の木です。
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葬場殿趾のクスノキの大樹です。大正元年9月13日、明治天皇の御大葬が旧青山練兵場で執り行われた際、棺の車が安置されたことを記念して建立され、石段の中央には楠が植えられました。
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丸池(噴水付、腰掛4台を含む) - 神宮外苑のいちょう並木の終点付近にあります。
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ちょうどいちょう祭りでいろいろな屋台が出ていました。
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噴水装置 1984.10 竣工 荏原製作所
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このほかにも 史跡が絵画館のまわりにいくつかあります。
順に紹介して行きます。

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2012年12月11日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)2

階段を登る。チケットブースまでは 撮影可。
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チケット売り場の前のわずかな部分も撮影可です。
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この扉の内側はホールです。
ここから 内部は撮影不可です。
外観は花崗岩貼り、中央に径15メートルのドームを戴く左右対称の構成。
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とてもすばらしいドーム部分のホールでした。
階段下に写真と説明板がありました。その写真です。
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外壁は岡山県万成産の花崗岩石貼り、中央の頂部にドーム、左右対称の両翼部が展示廊となっている。中央正面階段よりアーチ型の玄関を入ると内部は大広間となり、その大空間壁面は国産大理石、小部にタイルを用い、石膏の装飾紋様等を配されている他、ステンドグラスによる採光も考慮された荘麗なつくりである。都選定歴史的建造物でもある。
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 「聖徳記念絵画館は、わが国最初期の美術館建築で、直線を強調した造形表現により、記念性の高い重厚な外観意匠を実現しており、高い価値が認められる。またドームのシェル構造や絵画室の採光などに先駆的な技術が取り入れられており、わが国の建築技術の発展を知る上でも重要である」
自然採光が使われているので柔らかな光で心地よい場所です。
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同じく説明板の写真です。天井部分は自然採光。
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「明治天皇を中心に成し遂げられた、維新の大改革、その輝かしい時代の勇姿と歴史的光景を史実に基づいた厳密な考証の上で描かれた80枚の名画。
一流画家による優れた芸術作品であり、政治、文化、風俗の貴重な歴史資料でもあります。
壁画は、明治天皇のご生誕から崩御までの出来事を、「画題」の年代順に前半を日本画40枚、後半を洋画40枚で展示しております。」

入館時もらったパンフレットには絵のリストや写真が載っています。
縦3メートル、横2.5メートルの絵です。
 画題(日本画) 画家
1 御降誕 高橋秋華  
2 御深曾木 北野恒富  
3 立親王宣下 橋本永邦 
4 践祚 川崎小虎  
5 大政奉還 邨田丹陵  
6 王政復古 島田墨仙 
7 伏見鳥羽戦 松林桂月  
8 御元服 伊東紅雲 
9 二条城太政宮代行幸 小堀鞆音  
10 大総督熾仁親王京都進発 高取稚成 
11 各国公使召見 広島晃甫
12 五箇條御誓文 乾南陽  
13 江戸開城談判 結城素明  
14 大阪行幸諸藩軍艦御覧 岡田三郎助  
15 即位礼 猪飼嘯谷
16 農民収穫御覧 森村宜稲
17 東京御着輦 小堀鞆音  
18 皇后冊立 菅楯彦  
19 神宮親謁 松岡映丘  
20 廃藩置県 小堀鞆音  
21 岩倉大使欧米派遣 山口蓬春  
22 大嘗祭 前田青邨  
23 中国西国巡幸長崎御入港 山本森之助 
24 中国西国巡幸鹿児島着御 山内多門  
25 京浜鉄道開業式行幸 小村大雲
26 琉球藩設置 山田真山  
27 習志野之原演習行幸 小山栄達  
28 富岡製糸場行啓 荒井寛方  
29 御練兵 町田曲江 
30 侍講進講 堂本印象  
31 徳川邸行幸 木村武山  
32 皇后宮田植御覧 近藤樵仙 
33 地方官会議臨御 磯田長秋 
34 女子師範学校行啓 矢沢弦月 
35 奥羽巡幸馬匹御覧 根上富治
36 畝傍陵親謁 吉田秋光 
37 西南役熊本籠城 近藤樵仙 
38 内国勧業博覧会行幸啓 結城素明  
39 能楽御覧 木島桜谷  
40 初雁の御歌 鏑木清方   
画題(洋画) 画家
41 グラント将軍と御対話 大久保作次郎  
42 北海道巡幸屯田兵御覧 高村真夫 
43 山形秋田巡幸鉱山御覧 五味清吉  
44 兌換制度御治定 松岡寿  
45 軍人勅諭下賜 寺崎武男 
46 条約改正会議 上野広一 
47 岩倉邸行幸 北蓮蔵
48 華族女学校行啓 跡見泰 
49 東慕慈恵医院行啓 満谷国四郎  
50 枢密院憲法会議 五姓田芳柳  
51 憲法発布式 和田英作
52 憲法発布観兵式行幸啓 片多徳郎  
53 歌御会始 山下新太郎  
54 陸海軍大演習御統監 長原孝太郎 
55 教育勅語下賜 安宅安五郎  
56 帝国議会開院式臨御 小杉未醒  
57 大婚二十五年祝典 長谷川昇  
58 日清役平壤戦 金山平三  
59 日清役黄海海戦 太田喜二郎
60 広島大本営軍務親裁 南薫造  
61 広島予備病院行啓 石井柏亭  
62 下関講和談判 永地秀太
63 台湾鎮定 石川寅治 
64 靖国神社行幸 清水良雄  
65 振天府 川村清雄  
66 日英同盟 山本鼎  
67 赤十字社総会行啓 湯浅一郎  
68 対露宣戦布告御前会議 吉田苞  
69 日露役旅順開城 荒井陸男 
70 日露役奉天戦 鹿子木孟郎 
71 日露役日本海海戦 中村不折  
72 ポーツマス講和談判 白滝幾之助  
73 凱旋観艦式 東城鉦太郎  
74 凱旋観兵式 小林万吾  
75 樺太国境画定 安田稔
76 観菊会 中沢弘光  
77 日韓合邦 辻永  
78 東京帝国大学行幸 藤島武二  
79 不豫 田辺至 
80 大葬 和田三造   
 
どれも見ごたえのある絵でしたが 一番盛り上がったのが 47 岩倉邸行幸 北蓮蔵
病床の岩倉具視を見舞う天皇。布団に起き上がる岩倉。その布団の上ひれで伏している女性は誰でなぜ 布団に乗っているのか・・・という話になったわけです。おそらく体を支えているのだろうということに落ち着き 体力のある若い 嗣子具綱の婦搦qでした。

「明治16年7月19日、車駕、右大臣岩倉具視の邸に臨みて、其の疾患を問わせたまう。是より先、具視病みて家に臥護するや、是月5日、親しく之を問わせたまいしが、是日早旦病革なる旨聞しめし、俄に駕を命じて再び之を親問あらせらる。儀衛未だ備わらず、当直の近衛士官纔に騎従す。具視其の報を聞き、左右に命じ衣を更めんとすと雖も、哀憊甚しく、起臥自由を失う、乃ち袴を衾上に置き以て礼装に代ふ。既にして車駕至り、具視の褥室に臨みたまいて曰く、具視如何と。具視の妻槙子、嗣子具綱の婦搦q二人側に侍す。具視乃ち搦qに扶けられて纔に半身を起し、合唱して天皇を拝す。感涙雙頬に滂沱たるのみ、復た一語の能く奉答するなし、一座黯然たり。」

岩倉具視は、翌日の7月20日逝去。享年59歳でした。

その他 天皇の馬の剥製などを展示する小部屋などもホールにあります。 地下におりる大理石の階段部分には化石などもみえました。

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2012年12月10日

聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)1

信濃町駅から聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)に行く。
2011年(平成23年)、「直線的意匠と先駆的技術を採用した、わが国初期の美術館建築」と評価され、明治神宮宝物館と共に国の重要文化財に指定された。
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起工 (1919年)大正8年3月5日
竣功 (1926年)大正15年10月22日
設計 一般公募156点の1等小林正紹氏の原図を基に明治神宮造営局において修正しました。
構造 鉄筋コンクリート造り、外壁は岡山県万成産花崗石、画室を除く壁面、中央大広間は、国産大理石と一部タイルを使用しています。
規模 長さ 東西112メートル 南北34メートル
高さ 中央ドーム頂点 地上32.1メートル
両翼 地上16.7メートル
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鉄筋コンクリート造、建築面積2348.52平方メートル、地下1階、銅板葺 1棟
東京都新宿区霞ヶ丘町1番1号
重文指定年月日:20110620
重要文化財
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  聖徳記念絵画館
「徳川幕府を改め、日本史上空前の大改革・明治維新が断行され、西欧の諸国が300年を要した国家の近代化を、僅か40年ばかりで成しとげた輝かしき明治の時代。当代一流画家の筆に成る館内展示の80面の大壁画が、明治天皇を中心に、わが国近代化へと飛躍の姿・歴史事件の数々を静かに語りかけてくれます。生きた明治史の教室といえましょう。]

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横や裏側を見ます。
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正面右
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正面 左
外観は花崗岩貼り、中央に径15メートルのドームを戴く左右対称の構成。

絵画館のほか、以下の物件が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。

葬場殿趾円壇 - 絵画館の裏手にある
角池(壁面蛇口付、外周路地を含む) - 絵画館正面にあり、1959年(昭和34年)から3年間「かっぱ天国」という名で子供用プールとして使用された。
丸池(噴水付、腰掛4台を含む) - 神宮外苑のいちょう並木の終点付近にある 
これらのものは順に見て行きます。

「神宮外苑の中心的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な絵画を展示している。維持管理は宗教法人明治神宮の予算で賄われており、他からの援助は一切受けていない。警察官により常に厳重に警備されている。」
まず 入館します。入館料(施設維持協力金):500円

[この建物は明治天皇・昭憲皇太后お二方御一代の輝く御業績を後世に伝えるため造営されたもので、80枚の壁画は当代一流の画家が心血を注いで描いたものであります。」
チケットの裏にはそう書かれています。

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2012年12月07日

明治神宮外苑銀杏並木

神宮外苑の銀杏並木を通ってきた。
何度か 歩いたことはあるけれどたいていまだ少し緑が残っていたり散るのがまだだったりでした。それはそれで グラデーションの色できれいなのだけど 今回は少し遅くてみごとな黄金色。しかも遊歩道は黄金色のじゅうたん。
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上部が散ってしまった木もあった。銀杏祭りは12月9日まで。
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いつもと違い 絵画館のほうから青山通りに向かって歩いた。
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遠近感を考えて植えてあるので本当は青山通りから入るのがいいかも。
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遊歩道の外側は人が通れないのでこんなふわふわ葉っぱの道でした。
入り口には銀杏並木について 長い説明文の板がありました。
銀杏並木(明治神宮外苑)
所在地 港区北青山2-1 (明治神宮外苑)
1926年(大正15年)の明治神宮外苑創建に先立って、1923年(大正12年)に植栽されたもので、並木の総本数は雄木44本、雌木102本の合計146本である

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青山通りから絵画館を見ると、イチョウ(銀杏)の並木が絵画館が中心になるように沿って植えられており、遠近法を用いて実際の距離より絵画館が遠方にあるように表現されているのも特徴的。

  明治神宮外苑之記碑
  石碑の題字 
「明治神宮外苑之記」
明治神宮奉賛会 総裁 閑院宮載仁親王殿下の篆書
  撰文
明治神宮奉賛会 会長 徳川家達
  石材
東北仙台産の板岩
高・地表4メートル 幅・1.8メートル 厚・0.36メートル
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2012年11月20日

放生寺(西早稲田)

前回早稲田訪問のとき 穴八幡宮について書きましたが その隣にあるのが「放生寺」です。
放生寺(ほうじょうじ)は東京都新宿区西早稲田二丁目にある高野山真言宗準別格本山の寺院である。山号は光松山(こうしょうざん)。本尊は聖観世音菩薩で、「江戸三十三箇所」の第15番、「御府内八十八箇所」の第30番である。
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放生寺は金銀融通の御札「一陽来福」創始のお寺。
穴八幡宮とは元々不可分であったため、神仏習合の江戸時代に始まった「一陽来復」の札の授与は穴八幡と放生寺の双方で行われている。ただし放生寺の札は「一陽来福」と1文字異なる。
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  一陽来福の由来
 「現在暦や易占の礎となっている書物は「宿曜経」と云い弘法大師空海が平安時代に初めて中国から我が国に伝えたものであります。当山授与の一陽来福は冬至(陰極まって一陽を生ずる)を示す一陽来腹に因み、観音経の「福聚海無量」と云う偈文より「福」の字を結んで一陽来福と名付けられました。一家の居間に、毎年定められた恵方に向けて貼り、資生招福・金銀融通を祈願する霊験あらたかな観音さまの御札です。
 江戸天保年間に、冬至前7日間真言密教による観音法の御祈祷を修して、別当放生寺が信徒に授与したのが始まりです。以来、今日に至るまで御修法を師資相傳継承し、冬至より節分迄の間授与致しております。一陽来福が当山由来でありますことは、虫封じと共に古老諸彦の熟知される所であります。 光松山 放生寺」
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所在地 新宿区西早稲田2-1-14

高野山真言宗
 威盛院 光松山 放生寺

 「放生寺は寛永18年(1641)威盛院権大僧都法印良昌上人が高田八幡(穴八幡宮)の造営に尽力され、その別当寺として開創されたお寺です。
 良昌上人は、高野山奥の院、安芸宮島さらには諸国を修行していた折の寛永16年(1639)2月霊夢の中に老翁現れ、「将軍家の若君が辛巳の年の夏頃御降誕あり、汝祈念せよ。」と告げられ、直ちに堂宇に籠もって大願成就まで祈願致したところ、同年厳有院殿(4代家綱公)が御降誕されました。その後、このことが上聞に達し、大献院殿(3代家光公)が当山に御参拝になり正保3年(1646)御厄除の御祈祷を厳修、慶安2年(1649)良昌上人より寺社の由緒も聞かれ、「威盛院光松山放生会寺」の寺号を賜り付近一帯は放生寺門前と称されていました。爾来、将軍家の崇信殊の外篤く徳川家代々の祈願寺として葵の紋を寺紋に、また江戸城登城の際には寺格として独礼登城三色(緋色、紫色、鳶色)の衣の着用を許されました。
 さらには、御遊猟の際に当山を御膳所に命ぜられるなど、徳川實記には放生寺と将軍家との往来が詳細に記されております。
 開創当時から明治までは、神仏習合により穴八幡別当放生寺として寺と神社は同じ境内地にあり、代々の住職が社僧として寺社一山の法務を司っておりましたが、明治2年(1869)、当山16世実行上人の代、廃仏毀釈の布告に依り、境内を分割し現今の地に本尊聖観世音菩薩が遷されました。
 このように当山は、徳川家由来の観音霊場として広く知られ殊に本尊聖観世音菩薩は融通虫封観世音と称され、御府内88ヶ所霊場第30番札所、江戸33観音第15番札所として多くの人々の尊信を集めております。」
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放生寺本殿
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厄除け修行大師

真言宗の開祖である弘法大師空海の若き日の修行時代の姿の立像です。
敷石の下には四国八十八カ所の霊場全てのお寺の砂が敷かれていて、左より時計回りで「南無大師遍照金剛」と唱えながら巡ると四国八十八カ所をお参りしたのと同じご利益が得られるそうです。
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地蔵菩薩
「お地蔵さまはそのお名前が示すとおり、大地のように踏まれても怒ることなく、屈することもなく大きな慈悲心で全てのものを育み救ってゆこうとする無尽蔵の力をもった菩薩さまであります。
 左手に蓮華宝珠、右手には?杖を持つ僧形で、お地蔵さまの御誓願は生と死の両界において、危ない処や淋しい処また、子供のように弱い者に対して力を貸してゆこうとするものであります。鎌倉時代、民間信仰にとり入れられ賽の河原では童児の救済者として和讃にまで唱えられ子育地蔵・子安地蔵の名で古くから信仰されております。
 光松山 放生寺」
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馬頭観世音菩薩
 「観世音菩薩化身の内、唯一の忿怒像であり怒りが強い程、内には人を救うお力(慈悲の心)も大きく、また馬は大食いであるということから人々の悩みや苦しみ(煩悩)を喰べ尽くすと云われます。   光松山 放生寺」
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左にあるのは放生供養碑。
ひときわ目立つ赤いお堂は神変大菩薩のお堂です。


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神変大菩薩
「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)は、通称、役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれ、飛鳥時代から奈良時代にその名を馳せた呪術者です。
修験道の開祖であり、山岳信仰の第一人者でもあります。
山野を駆け巡って修行したことから、今日では特に足腰の弱い方を救ってくれるといわれています。 」


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大きな銀杏の木がありました。新宿区みどりの文化財のプレートがありました。
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2012年11月19日

玄国寺〈高田馬場)

所在地 新宿区高田馬場1-12-10。
真言宗豊山派の寺院、豊島八十八ヶ所霊場。第七十二番。
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玄国寺山門
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山門脇地蔵尊。
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境内碑文による玄国寺の縁起
旧くは中野宝仙寺の末寺であったが、元禄九年音羽護国寺の末寺となる。龍池院と号すること古くは大寺にて境内広く南方の尾陽公戸山屋敷より北方土屋氏の屋敷までひとつづきなる大なる池あるが故に龍池山と号す。
草創は承和年中(834-847)真雅僧正再営の説あり。慶長六年(1601)頃現在地に創建され、延宝年中、法印盛源中興し、世々諏訪神社の別当を兼ねていた。
本尊は「三弁火焔の阿弥陀如来」、座像にて三尺余、行基菩薩の作、別に名付けて「こころみの阿弥陀」とも称す。
武蔵風土記に「寺宝一顆あり。安産與楽の玉と称す。北条遠江守時政の子相模守義時の妻難産のおり江の島弁財天に参籠して感得し、その加護によって安産あり。また、その玉、密々御本丸に用としてしばしば奉る。縁ありて当寺に寄附される。」
境内墓地に隣接して「土屋地蔵尊」あり。源兵衛村土屋薩摩守氏(旗本2700石)下屋敷の井戸より出現した石像で別名「田植え地蔵尊」とも言う。種々の願いを叶え、霊験あらたかなる故に堂宇を建立す。
「江戸名所図会」(天保年間刊行)によれば、このあたり諏訪谷村と呼ばれ、諏訪神社並びに別当玄国寺ありてその境内には鐘楼堂、地蔵堂、聖天堂などがあった。
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玄国寺庫裏
 諏訪神社の別当寺 (べっとうじ) (江戸時代、神社に付属して置かれた寺院)である玄国寺 (げんこくじ) の庫裏 (くり) には明治の元勲である岩倉具視 邸の書院が移築保存されている。明治初年らしく和洋折衷だが、堂々とした和風建築に洋風のシャンデリアがなんの異和感も与えないという。大正十五年(一九二六)ころ馬場先門にあった岩倉邸の一部をそっくり移築した。開化期を偲ばせる貴重な文化遺産である。
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本堂
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玄国寺鐘楼
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玄国寺六角弁天堂
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墓地には 文化財の土屋地蔵尊(田植地蔵) 庚申塔(江戸時代) などがあるそうですが 墓地には行きませんでした。
 土屋地蔵尊は、源兵エ村土屋薩摩守氏(旗本2700石)下屋敷の井戸より出現した石像で、別名「田植え地蔵尊」とも言う。
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2012年11月18日

諏訪神社〈高田馬場)2

本殿・本堂の正面左右に一対で向き合う新旧2対の狛犬と 新旧2つの石灯籠があります。
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狛犬の後ろに見えるのが 校倉造り 神輿庫。
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    校倉造り 神輿庫
「校倉とは奈良時代に神社佛閣が宝蔵として盛んに作った純日本的高床式の倉庫です。
現存する有名なものに正倉院があり、二月堂、手向山八幡、唐招提寺などの校倉も現存しています。
然しこれらの校倉はすべて木造で、これをコンクリートで作ることは、技術的にも様式的にもむずかしく、知る限りではまだ一棟も完全なものがありません。
当社では今回数少ない専門的技術人を得て、ここにコンクリートによる完全な校倉造りの大神輿の倉庫を建造しました。
大変珍しく、貴重な建物ですから大切に保存して下さい。
 昭和52年(1977)6月25日 諏訪神社」
境内末社(本社に付属する小神社のことです。)
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境内末社の一つである「御嶽神社」
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境内末社の一つである「稲荷神社」
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庚申塔(こうしんとう)
 「庚申塔は、庚申塚ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。庚申塔の石形や彫られる神像、文字などはさまざまですが、申は干支で猿に例えられることから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多いです。同様の理由で庚申の祭神が神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもあります。庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多いです。 」
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新宿区登録有形民俗文化財
 塞神三柱の塔
     平成5年(1993)3月5日指定

「天和2年(1682)に造立された舟形の石塔で、中央に「塞神三柱」、その右側に「諏訪上下大明神」および「正八幡大菩薩」、また左側には「天(以下欠損のため不明)」および「稲荷大明神」と刻まれている。
 また、その上方には右に月形、左に日形が彫られている。
 塞神は、村の境や峠に祀られる、境界を守護する神とされ、石塔としては江戸時代に南関東地方を中心に盛んに造立された。
 諏訪神社の塞神塔は区内で唯一のもので、また、「塞神三柱」の文字が刻まれた例は少なく、大変貴重である。
 平成6年(1994)6月 東京都新宿区教育委員会」
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   聖蹟
 明治天皇射的砲術天覧所趾
明治十五年十一月九日近衛射的場開場式ニ臨御同十五年十一月二十九日射的砲術ヲ天覧アラセラレタ所ナリ
 昭和十八年十二月 東京都
「 明治15年(1882)、諏訪の森近衛射的場が神社前に出来ました時、明治天皇の行幸があり、当社境内よりその射撃遠州を御覧になられました。その折、畏くも天皇より神酒、鴨を賜り、氏子の歓喜、感激は大変なものでした。その後、御社伝の屋根には菊の御紋を付ける様になり、又射的場にみえられる各宮殿下には、皆当社の社務所に御休息遊ばされました。
只今拝殿に掲げてある神号額も小松宮彰仁親王殿下の御真筆であります。昭和18年(1943)には当天覧所址は東京都より行幸史跡に指定されました。」
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『江戸名所図会』諏訪神社
森に囲まれて社殿が建っている様子が描かれています。
神社の左側にあるのが、諏訪神社の別当寺であった玄国寺です。
次 玄国寺に行きます。

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2012年11月17日

諏訪神社(高田馬場)1

日本館の少し先に諏訪神社がある。通りに面しているが一歩中に入ると木々が生い茂り音は気にならない。
諏訪の森(恋の森)
「この諏訪神社一帯は歌人 在原業平夫婦が、お互いに道に迷いこのあたりで寝て夜明けを迎えるとお互いが近くにおり再会したとの伝承があります。 」
諏訪神社:所在地 東京都新宿区高田馬場1-12-6
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夫婦楠(相生楠)
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「創建は、平安時代の弘仁年間(810〜824)。
小野篁(おののたかむら)が大国主命(オオクニヌシノミコト)事代主命(コトシロヌシノミコト)を祀ったのが起源とされています。
その後、源頼朝が奥州征伐の際に戦勝を祈願してここに立ち寄り、勝利したのち、文治五年(1189)、ここに社殿を建てたと伝えられています。
応仁三年(1469年)には大田道灌により改築されますが、その後、焼失。
江戸時代に入り、尾張藩の初代徳川義直が信濃国(長野県)の諏訪神社のご祭神武御名方命(たけみなかたのみこと)を合わせて祭り、ここを再建し、名称を諏訪神社と改めました。
江戸時代には、近隣の人たちの信仰を集め、戸塚村、大久保村、百人町の鎮守として親しまれました。」
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昭和55年(1980)に落成した荘厳な諏訪神社の新社殿。
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手水舎(諏訪の霊泉)
 「当社の境内より湧き出る水は、眼病、諸病に霊験有りとして、多くの人々がお水取りにみえました。現在の手水舎の水も何百年も湧き出ている霊水です。」
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神楽殿
 「神道の神事、儀式において、神さまに奉納するための歌や舞を行う場所です。当社、夏の例大祭では里神楽が行われます。 」
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次に 続きます。

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2012年11月16日

日本館〈高田馬場)

学習院旧正門から明治通り諏訪町交差点のほうに戻り 少し入ったところに「日本館」というレトロ調の建物があります。
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東京都新宿区高田馬場1-9-1 
竣工 昭和11年(1936) 
構造 木造2階建て
アクセス 副都心線 西早稲田駅 徒歩3分
JR 高田馬場駅 徒歩10分 
文化財というわけでもないのだけれど  昭和11年に建てられた洋館風の建物は戦災にも耐え、70年以上経った今も早稲田の学生たちを受け入れているという建物です。
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早稲田といえばかつては下宿屋の町。昭和30年代から40年代までは、4、50軒の下宿屋があったが、今も残っているのは2、3軒になってしまったそうです。男子専用で、夕食付きの値段は手ごろです。
部屋は、主に4畳半+床の間・押入れ付きが24室あって、池のあ美しいる中庭まで付いているとか・・・
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当時は相当にしゃれた下宿屋だったのでしょうね。

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2012年11月15日

「学習院旧正門」

スコットホールを出て 明治通りのほうに向かう。ゆるやかな坂道の左側は学習院女子大学等。赤レンガの塀が続く。
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学習院女子大の門が途中にあります。
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数分歩くと明治通りに出ます。諏訪町交差点を少し左に行くと学習院女子大・女子高等科・女子中等科の正門です。
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重要文化財「学習院旧正門」として昭和48(1973)年6月2日文部大臣指定。
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重要文化財学習院正門 がくしゅういんせいもん
竣工 1877年(明治10年)
所在地 東京都新宿区戸山3-20-1 
構造 鋳鉄製

「この鋳鉄製の門は、はじめ明治10(1877)年に学習院が神田錦町に開かれた時、正門として建てられた。

製作は埼玉県川口市の鋳物工場で、唐草文様をあしらった和洋折衷の鉄門は、明治初年の文明開化時の様式と技術を伝える貴重な文化財である。
明治19年(1886)の火災で校舎が焼失し、学習院が移転した後 この門は 各所を転々としたが、昭和5年(1930)に目白の本院構内に戻り、 その後昭和25年(1950)にこの地に移され現在、学習院女子大学・学習院女子中・高等科の正門として使用されている。」

昭和48年(1973)6月に国の重要文化財に指定されました。
門の老朽化が進んでいたことと、明治通りの拡幅工事に伴い、正門の解体修理と移設が行われ、平成19年(2007)12月に設置が完了。造られた当時と同じ朱色に修復され蘇りました。

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正門からのアプローチは桜並木。桜花の徽章は本居宣長の「敷島の大和心を人問はゞ朝日に匂ふ山桜花」の歌の精神をとったもので、明治10(1877)年10月創立当初より使用。桜の季節はきれいでしょうね。

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2012年11月14日

早稲田奉仕園スコットホール(内部)

2階は会議室になっています。
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旧教室と書かれています。
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小会議室から大会議室を見る。
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旧SOCIALROOMと書いてあります。
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暖炉があります。
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譜面台もありました。
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ドアには教室のルームナンバーがあります。
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廊下から階段ホールを見る。
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地下への階段。
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地下です。
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地下には旧音楽室や大食堂、旧料理場がありました。
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地下はギャラリーになっていて 貸し出しされています。旧ビリヤードルームです。
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トイレ前の廊下ですが トイレは旧宿直室となっています。設計図ににはなく築後外に建てられました。
13:00から ガイドツアーがあり3F屋根裏部屋も見せてくれるとのことでした。
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この階段を登ったところですが今回はパスしました。
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外に出ればこういうプレートがありました。
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2012年11月13日

早稲田奉仕園スコットホール(階段)

講堂脇から2階へあがる階段部分です。
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3階への階段も見えます。
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踊り場から二階。
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踊り場の照明
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踊り場の窓
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3階への階段
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古いオルガンが置いてありました。
次に部屋を見ました。
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早稲田奉仕園スコットホール(講堂)

エントランスから中に入ると 正面に講壇があります。
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パイプオルガンが見えます。
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側面のアーチ窓。礼拝堂特有の柔らかな光です。
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壁のアーチ。
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天井のライト
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壁の照明。
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二階席の窓の明かり。
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下から見た二階席。
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天井といい この二階の手すりといい明治学院の礼拝堂に似ています。
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二階席から見下ろしてみました。
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講堂の前方左側にドアがありそこを出ると二階に行く階段がありました。
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次に2階を見ました。
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2012年11月12日

早稲田奉仕園スコットホール(外観)

東京文化財ウィークの東京都選定歴史的建造物特別公開で早稲田奉仕園 スコットホールが本日12:00〜15:00に公開されました。
内部の見学ができるのは本日12日だけなので さっそく行ってきました。写真撮影も可でした。
まずは 外観から。
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早稲田奉仕園 スコットホール(2号館) 1921年(大正10年)/1991(平成3)年改修
東京都選定歴史的建造物
竣工 1921年(大正10年)
所在地 東京都新宿区西早稲田2-3-1
設計 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories)
構造 煉瓦造2階建て(塔屋のみ3階)、半地下1階
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スコットホールについて
「スコットホールは日本の近代西洋建築を数多く手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築事務所の設計原案に基づき、内藤多仲・今井兼次の手により1922年に竣工した赤レンガ組積造りの建物です。キリスト教の礼拝が行われる他に、結婚式、音楽コンサートなどに利用され、人々に親しまれています。

1990年東京都より「歴史的建造物の景観意匠保存」の指定を受け、多くの人々の寄付・協力によって、構造の補強と外観の全面改修保存が行われました。」
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講堂入り口玄関。
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財団法人早稲田奉仕園。設立の趣旨は 「早稲田奉仕園は創設以来、キリスト教精神に基づき、国際的な視野に立って社会を洞察し、他者と共に生きる人間形成の場としての働きをしています。
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1923年(大正12年)の関東大震災で塔屋の一部が崩落し補修された以外は、 現在もほぼその原形が保たれています。
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創立者ベニンホフ博士の像。[その歴史は1908年(明治41)米国バプテスト教会の宣教師であったH.B.ベニンホフ博士が、早稲田大学の創始者大隈重信の依頼を受け、キリスト教主義の学生寮「友愛学舎」を開いたことに始まります。
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駐車場側から。
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切妻面。
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塔屋部。ここから入ると2Fへの階段があります。
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半地下部。
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半地下入り口。ギャラリーになっています。

講堂(チャペル)正面に受付があり いろいろなパンフレットを頂きました。 1Fから見学しました。
次は 講堂から・・・・

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2012年11月05日

穴八幡神社(早稲田)

早稲田通りの交差点に赤い鳥居が見える。穴八幡神社である。
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柱の下の金色の部分が藁座でその下が亀。そして台石。亀が苦しそう・・・
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亀、これは鳥居の台座を「亀腹」と呼ぶことが由縁であるとのこと。
享保13年(1728)には徳川将軍家男子の誕生を祝う流鏑馬やぶさめ(新宿区指定無形民俗文化財)が奉納されるようになりました。
鳥居の脇に流鏑馬の像があります。
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高田馬場の流鏑馬(穴八幡神社)

説明版がありました。
「所在地 新宿区西早稲田2-1-11 (穴八幡神社)

新宿区指定無形民俗文化財
 高田馬場の流鏑馬
     昭和63年(1988)3月4日指定

 享保13年(1728)徳川将軍吉宗が世継嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝に高田馬場で流鏑馬が奉納された。
 明治維新以降中断し、昭和9年(1934)に皇太子(現天皇)誕生祝のため再興され、数回行われたが、戦争のため中断された。昭和39年(1964)流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和54年(1979)からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年10月10日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
 古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。
 平成4年(1992)8月 東京都新宿区教育委員会 」

石段を登ると朱色の山門が見えます。随神門です。
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1998年竣工の随神門で、1945年(昭和20年)5月の東京大空襲で炎上し50年ぶりに再建。門の中には右大臣と左大臣が鎮座。
随神門は、「清水組」の創業者である清水喜助が、1848年(嘉永元年)4月に穴八幡神社からご下命を受けて建築したもので、その出来栄えは当時、江戸中の評判になったと云われています。

本殿に向かって右側に布袋像の水鉢があります。
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新宿区指定有形文化財  工芸品                                        
「1649年(慶安2年)の紀年銘がある水鉢で、 同年家光が江戸城吹上御苑にあったものを穴八幡神社へ奉納したと伝えられている。布袋像は、左足を立てて水鉢を脇にかかえ、容姿は中国近世の弥勒像に類似し、作柄も優れている。他に類例のない特異な形をしており、また、布袋像の古様を示すものとして貴重である。 平成4年8月 東京都新宿区教育委員会 」
布袋尊記
「穴八幡宮は康平年間八幡太郎義家が奥州の乱を夷げ凱陣の途に創祀す。慶安元年三代将軍徳川家光江城鎮護の為宏壮なる社殿を再興幕府の祈願所として重んぜらる。明治維新の後は 皇室歴代の御蟲封を謹修し奉る。神徳彌光を増し崇敬年々数を加え手水舎は昭和二十年の戦災にて本社詣殿守と同時に類焼し延實再建の時大森信濃守の奉納せる巨水盤亦破碎し了ぬ。今茲氏子崇敬者の篤志に依て手水舎の新築成就す。内に境内南麓霊窟の傍に磐座せし布袋の尊像を移して安置せり。この像は始め江戸城吹上の御庭にありしを慶安二年社殿竣工の節家光将軍奉納に係る東都随一の霊像にして古来信仰者最も多し。もと手水鉢たけし由縁を以て此所に移すに當り縁起を畧述して碑に刻す。
 昭和四十四年九月吉日 穴八幡神社宮司 齋藤直成題並誌 」

本殿です。
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戦災で焼失して、慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿を再興。祭神は、八幡宮を守護神とし、應神天皇、仲哀天皇、神功皇后。穴八幡は一陽来復のお守りが有名。
商売繁盛・金融業繁盛・金銀融通・勝馬券祈願・除災招福、虫封じの御利益。
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「穴八幡宮は、寛永13年(1636年)に松平左衛門尉直次という武士が射術の練習のためここに的山を築き、弓矢の守護神である八幡神の小さなほこらを営んだことにはじまります。のち、社僧良昌が草庵を建てようとして、ほら穴を発見。そこに金銅の阿弥陀如来像が建っていたといいます。当時、阿弥陀如来像は八幡神の本地仏とされて人々の崇敬を集めたことから『穴八幡』とよばれるように。こうして、江戸城の北の鎮護として将軍家の祈願所となりました。」
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菊のご紋が見られます。
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金色の亀です。
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神武天皇の遥拝所です。神武天皇遥拝所は、天孫降臨の高天原など全国津々浦々にあるそうです。
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とても広い場所があったのですが 流鏑馬は戸山公園で行われます。

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2012年11月04日

早稲田大学坪内博士記念 演劇博物館

演劇博物館も観た。工事中で塀に囲まれていて最初場所がわからず その辺にいた学生に聞いたが 3名とも「知らない」「わからない」とめんどくさそうに答えるだけだった。
どういうことだ?・・と思いながら探した。銀杏並木の狭い通路の向こうにそれらしき建物が見えた。
日本で唯一演劇を専門的に扱う博物館として知られる。工事中の塀で全景が写せませんでした。
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新宿区指定有形文化財(建造物)
 演劇博物館
     昭和62年(1987)3月12日指定
「 正式には早稲田大学坪内博士記念演劇博物館という。
 昭和3年(1928)10月に坪内逍遥の古稀と「シェークスピヤ全集」の完訳を祝って学界・演劇界の有志1500名余の協賛により建設された。建築の意匠は逍遥の発案によりイギリスのエリザベス朝(16世紀後半)の様式で、シェイクスピア時代の劇場フォーチュン座を模して設計されている。
 鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階、建坪は約400平方メートルで、内部は逍遥記念室をはじめ8つの展示室、図書閲覧室がある。
 また、外部は実際にシェイクスピア劇が上演できるようになっており、館の正面は舞台、2階の廊下は上舞台、建物の両翼は桟敷、前庭は一般席となる。
 なお、正面舞台上に掲げてあるラテン語は「全世界は劇場なり」という意味で、シェイクスピア時代の劇場グローブ座に掲げてあった看板の句である。
 平成3年(1991)11月 東京都新宿区教育委員会」
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入り口のドアは銅製でした。
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建物の前面に掲げてあるラテン語“Totus Mundus Agit Histrionem”(全世界は劇場なり)は、 シェイクスピア時代の劇場「グローブ座」に掲げてあった看板の句です。

1Fは企画展でした。
『八代目市川團十郎』展
『不滅の俳優 池部良の世界』展
現代演劇シリーズ 第40弾『グローブ座 ―現代に甦ったシェイクスピア劇場― 』展
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1Fの廊下だけ撮影可でした。
2Fは民族芸能、逍遥記念室。3Fは常設展示です。古代から現代への日本の演劇にいついて展示しています。
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坪内逍遙胸像と台座歌碑(早稲田大学)

「台座上の坪内逍遥胸像は、彫刻家、長谷川栄作氏の願望により昭和37年(1962)に鋳造されてもので、逍遥の「シェイクスピア」講義の姿である。
また、台座は、早稲田大学後援会事業資金、池田恒雄氏、近桂一郎氏の協力により演劇博物館創立70周年記念に建立され、歌碑の内容は逍遥を偲んだ会津八一の自筆の和歌である」
 「むかしひと
 こゑもほからに
 たくうちて
 とかしし於もわ
 みえきたるかも
    秋神道人」

受験前に建物前にある像の右手と握手すると早稲田と縁が出来、合格する、と言われているそうである。

posted by うめのはな at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 新宿区

2012年11月03日

早稲田大学會津八一記念博物館

東京都文化財ウィークの期間に公開中の 早稲田大学會津八一記念博物館に行きました。
学園祭の準備中であちこち 騒がしかったですが 見学しました。
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大隈講堂も2007年12月4日、重要文化財(建造物)に指定されています。
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「會津八一記念博物館」は、早稲田大学名誉教授今井兼次(1895〜1987)30歳の時の作品で、図書館として1925年(大正14年)に建設されました。その後、新図書館完成で改修され、1998年(平成10年)5月から會津八一記念博物館となりました。学内で最も古い建物のひとつであり、1999年(平成11年)には 「東京都選定歴史的建造物」に指定されています。
博物館では、會津八一博士が私財を投じて集めた中国の明器や銅鏡、美術作品などが公開されています。
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一階のホールは、装飾の施された床や六本の円柱があり その円柱の上部の装飾に見とれますが何より 驚いたのは大階段の上の 天窓からの柔らかな明かりに浮かび上がる 「明暗」の大きな絵画でした。
「明暗」横山 大観・下村 観山 1927年合作 直径445cmは 大階段に近づくにつれ、隠れていた太陽が徐々にその姿を現します。
2Fのロビーからもう少し近くでこの絵を見ることができますが やはり1Fホールの南側から徐々に近づいてみるのが一番いいと思います。
漆黒の暗雲の中から日輪が上るその瞬間を描いたといいます。まさに「明暗」なのです。

1Fは大隈記念堂として大隈重信氏の資料が展示されているほか 企画展示室となっています。
2F大閲覧室部分は、外観は多角形をなしマンサード風の屋根だが、内部は漆喰による円形ヴォールト天井。
常設展示室になっていますが この閲覧室だけみてもすばらしかったです。
残念ながら 外観写真だけで 内部撮影は禁止でした。

posted by うめのはな at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 新宿区

2012年04月21日

新宿御苑 八重桜

昨日 久しぶりに新宿御苑に八重桜を見に行きました。
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平日で そんなに混んでもいないし 八重桜は見ごろだし ソメイヨシノは散っていて花びらのじゅうたんのようだし ちょうどよかったかも。
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大木戸門から入り ぐるっと廻って 新宿門から出ました。

ちょうどお昼時で 遠足の子供たちが芝生の上でお弁当を食べていたり 大きな桜の木の下でもシートをひいてお弁当を食べている人がたくさんいました。
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中国人らしき団体さんや バスツアーで来ている 外国人の姿もありました。
のどかで美しい風景をまったりと眺めて歩きました。
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広くて全部廻りきることはできませんので 八重桜を中心にあちらこちら。
ギョイコウは開花してまもないのか まだ少し小さめの花でした。
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ハンカチノキも まだ小さかったですね。
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季節限定の さくらアイスが美味しかったです。
posted by うめのはな at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 新宿区