2013年11月25日

水道橋

白山通りに戻り 水道橋駅に向かいます。
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東京ドームシティ.東京ドームホテルが見えます。
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水道橋駅前交差点です。
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水道橋親柱
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水 道 橋
全長 : 24.9 m  全幅 : 50.2 m  
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 昭和63年 (1988)
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水道橋記念プレート
北詰欄干には、「江戸名所図会」の「お茶の水」の図を彫った銅版が埋め込まれています。
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江戸の時代より木製の橋でした。大正13年の関東大震災以降、地震の被害を踏まえて、昭和3年(1928)に鋼製のアーチ型橋がかけられました。現在の橋は「昭和六十三(1988)年三月完成」。
「神田上水」 が神田川を渡ったのが、『水道橋』 の語源となった 「懸樋」 で、「お茶の水谷」 に架かるその姿は、江戸の名所にもなっていたといいます。
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神田川から見た 現在の水道橋です。
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水道橋の上から駅舎方向を見ています。
夕日がきれいでした。
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2013年11月24日

金刀比羅宮 東京分社

出世稲荷から水道橋駅のほうに400mほど行くと鳥居が見えて 黄色地に「しあわせさん。こんぴらさん。」の文字が・・・
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讃岐金刀比羅宮・東京分社」です。
丸に金の字の提灯は、金刀比羅宮おなじみの独自の金の字が使われています。
松平ョ重候下屋敷跡の説明板があります。
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松平ョ重候下屋敷跡
「 この地一帯(東京都立工芸高校 宝生能楽堂 金刀比羅宮東京分社)は高松松平家下屋敷のあったところである。
 高松松平家は松平ョ重を藩祖とし徳川光圀とは兄弟の関係にあった。爾来現13代のョ明氏に到るまで松平家は、四国にあって教育と経済の振興に力を尽して来た。
 特筆すべきは12代ョ寿氏で、氏は貴族院議長(1937年→1944年)として名声をはくし、わが国の議会政治史上に一点をとどめ、他方大正大震災の後、旧本郷区の要請で本郷学園を創設し、わが国教育面に大いなる貢献をした。」
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神社は金毘羅のほうを向いて西面しています。そんなに大きくはないのですが 参道には木々があってまわりとは雰囲気が違います。
“ 水道橋 の こんぴらさん ” として 親しまれています。
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「 手水鉢 」
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狛犬像の形は珍しくデフォルメされた容姿で、若干風変わりなもの。
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なんとなく愛嬌があって親しみやすい狛犬さんです。
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「讃岐金刀比羅宮・東京分社」  文京区本郷1-5-11
創建年代 文政2年(1819)板橋市左右衛門奉斎の金刀比羅神社
寛政5年(1793)高松藩上屋敷の邸内社
御祭神;大物主命・崇道天皇
「由緒 :文政2年(1819年)、板橋市左衛門の邸内祠として祀られたことに始まる。明治13年(1880年)には、神社として認められ、明治21年に当宮境外末社に加えられた。明治23年(1890年)には神田和泉町にあったものを、深川古石場町に移転、「深川のこんぴらさん」として親しまれた。しかし、昭和20年(1945年)、戦災にあい建造物を焼失。讃岐高松藩の邸内社として奉斎されていた水道橋金刀比羅神社と深川のこんぴらさんを合わせ祀り、昭和39年(1964年)、文京区本郷に遷座。以来「水道橋のこんぴらさん」として現在に至る。 」
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境内社 「 水道橋稲荷社 」
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駐車場の敷地というか隣にあります。
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稲荷社ですが 狐様は見当たりませんでした。
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こんな感じで鎮座しておられます。
隣は宝生能楽堂です。

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2013年11月23日

出世稲荷神社(春日稲荷神社)

春日通りから少し脇道に入る。
東京メトロ丸の内線が地上を走るあたりです
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道幅は狭く傾斜は急です。
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丸ノ内線後楽園駅がすぐそばです。
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旧東富坂

「むかし、 文京区役所があるあたりの低地をニケ谷(にがや)といい、 この谷をはさんで、 東西に二つの急な坂道があった。東の坂は、木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくるので、「鳶坂」といい、いつの頃からか、「富坂」と呼ぶようになった。(『御府内備考』による)富む坂、庶民の願いがうかがえる呼び名である。
また、 ニケ谷を飛び越えて向き合ってる坂ということから、 「飛び坂」ともいわれた。 明治41年(1908)、 伝通院から本郷 3丁目まで開通した路面電車の通り道として、 現在の東富坂(真砂坂)が開かれた。 それまでは、区内通行の大切な道路の一つであった。東京都文京区教育委員会」
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白山通り沿いはラクーアです。
ちょうどこの反対側 白山通りを1本入った路地に小さな神社があります。
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「出世稲荷神社」(春日稲荷神社)
文京区本郷1-33-17
御祭神:宇迦御魂命
寛永7年(1630)の鎮座
昭和40年に社殿建立。昭和50年に鳥居建立。
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「この辺昔、春日局宅地なりし時、鎮守のため勧請なり。春日局・・・出世ありしゆえ当社の神徳を崇め、出世稲荷と崇め奉るなり。」(旧事茗話)春日局は本名「ふく」父は明智光秀の重臣斉藤内蔵助利三である。戦いに敗れ、逆賊の家

族として苦しい生活をした。後、徳川三代将軍家光の乳母となり、江戸城大奥にて大きな力をもつに至った。
このあたりの片側を将軍から拝領し町屋をつくった。「御府内備考」によれば神社の土地

は拝領地28坪、外に27坪、小栗猶之丞より借地とある。享保2年焼失したので京都稲荷山の千年杉で御神体を作り祭った。
春日町起源のゆかりのある場所である。」
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この付近が春日局の屋敷だった時、邸内鎮守として創建、春日局が敗軍の将の娘から大奥の権力者へと出世したことから、出世稲荷と称されるようになったといいます。そういえば 後楽園駅前には大きな春日局像がありましたっけ・・・
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神社は西面。社殿の後方は傾斜地、ブルとビルの間の谷間のようなt敷地 で境内地の半分は児童公園となっています。
春日局さんも肩身の狭いことです・・・・
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石灯籠もこじんまりと控えめに。。。
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現在は本郷1丁目ですが 旧町名案内板があります。
旧春日町です。
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文京区の路地裏は古い建物などが残っていてなかなか面白いです。

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2013年11月22日

文京ふるさと歴史館

真砂坂上バス停から左に入ると 文京ふるさと歴史館があります。
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東京都文京区本郷4-9-29
歴史館について

「平成3年(1991)4月開館。
文京区は弥生土器命名の地として知られるとおり、古くから豊かな歴史をもっています。
江戸時代には武家と町人が暮らし、独特の産業や文化を形づくってきました。
明治時代には東京大学をはじめとする多くの学校がつくられ、さらに森鴎外や樋口一葉など著名な文人たちが活動の拠点とし、文教のまちの礎を築きました。
文京ふるさと歴史館では、文京区の歴史や文化財をあらゆる世代の方に伝え、触れてもらい、郷土に対する愛着や関心を深めるお手伝いをいたします。」
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「受け継がれた住まい−今に生きる文京の近代建築-」
平成25年10月19日(土)〜12月1日(日)
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「 文京の歴史的建造物は今」
文京区内にある歴史的建造物の現状を紹介。
瀬川家(旧古市家)住宅−苔庭と樹木にかこまれた静謐な空間−
本郷2丁目
明治20年代頃築
昭和初期改築
木造2階建
国登録有形文化財
旧安田楠雄邸庭園−四季折々の表情を演出する和の空間−
千駄木5丁目
大正8年築
木造2階建
東京都指定名勝
村川家住宅−百年の想いを受け継ぐ住まいの空間−
目白台3丁目
明治44年築
大正4年・9年・昭和8年増築
木造2階建
国登録有形文化財
3つの住宅を紹介する特別展です。
このうち旧安田楠雄邸庭園は見学しましたが 残りふつは イベント以外非公開なので見学したことがありません。
さまざまな資料や写真などを見ました。
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常設展は まちの風景 くらしの風景 文化の風景 というコーナーに分かれて展示してありました。
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文京区は文化の街であり多くの文人たちが住んでいました。
多くの古い建物なども残っています。
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文京ふるさと歴史館にある住宅です。
最初これも歴史館の建物かと勘違いして写真を撮りましたが 歴史館とは全く関係がありません。
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これはもうお屋敷としか言いようがないのです。
武家屋敷の長屋門.、門の脇に長屋が附属しています。
諸井邸(旧秩父セメント創業家)です。
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1906年(明治39年)4月上棟 木造2階建て
「諸井恒平氏は日本煉瓦製造の専務、のち秩父セメントを創設した実業家です。
主屋、長屋門、煉瓦蔵を建築し、現在も大切に住み続けられている。」
どなたも住んでいないのかと思っていましたら老婦人が ちょうどタクシーでお帰りになったようで門の中に入っていかれました。
きちんと手入れし 保存の意思があるのだろうと思われます。
再び大通りに戻り水道橋方向に向かいます。

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2013年11月21日

礫川(こいしかわ)浮世絵美術館(文京区)

都営大江戸線の春日駅で下りると目の前に文京シビックセンターがあります。
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文京区役所が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に1999年11月に竣工。地上28階・地下4階、高さ142m。東京23区の区役所の中では最も高い建物です。
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庁舎の25階北側には展望室があり、無料で東京の景観を楽しむことができる。室内照明の反射を避けるために傾斜のついた窓が特徴的。
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隣には講道館、講道館国際柔道センター
後楽園の観覧車も見えます。
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春日駅の地上 富坂下交差点そばの小石川春日ビルの5階に礫川(こいしかわ)浮世絵美術館があります。
普通の雑居ビルでこのウィンドウがなければ 気が付きません。脇の小さな入口から入ります。
エレベーターが1基。中に貼ってあったポスターです。
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礫川浮世絵美術館
文京区小石川1-2-3 小石川春日ビル5F
富士山世界文化遺産登録記念--浮世絵に見る富士山名画展
11月1日(金)〜24日(日)
そう広くない ビルの1室のドアを開けて入ります。
受付の人が一人だけ・・・
玄関で靴を脱ぎます。貸し切り状態。
礫川浮世絵美術館は、浮世絵の正しい理解と啓蒙をめざし、毎月約40点づつ新しい企画で掛け替えし展示しているとのこと。
今回はおなじみの北斎など富士を描いた浮世絵などが展示してありました。
小さな美術館ですが 浮世絵文化に対する熱意は伝わってきました。
交差点に戻ります。
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東富坂(真砂坂)
「 本来の「東富坂」は、この坂の南を通る地下鉄丸ノ内線に沿った狭い急坂である。現在は、「旧東富坂」と呼んでいる。もともとの坂は江戸の頃、木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくることから「鳶坂」といい、いつの頃からか「富坂」と呼ぶようになったという。
 現在の東富坂は、本郷3丁目から伝通院まで、路面電車(市電)を通すにあたり、旧東富坂上から春日町交差点まで新しく開いたゆるやかな坂道である。この市電は、1908年(明治41年)4月11日に開通した。現在、文京区役所をはさんで反対側にある坂を、「富坂(西富坂)」と呼び区別している。 文京区教育委員会」
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この坂を真砂坂上までのぼり 文京ふるさと歴史館に向かいます。

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2013年10月14日

日本女子大学成瀬記念館(文京区)

日本女子大の正門 すぐ左手に赤い煉瓦の建物があります。
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日本女子大学成瀬記念館 文京区目白台2-8-1
赤煉瓦のロマネスク調の建物
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日本女子大学の創立者、成瀬仁蔵の偉業をしのび、教学の理念や大学の歴史を明らかにするため、昭和56年の創立80周年の記念事業として開館しました。
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横側は 上部に白い装飾のついた窓が並びます。
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この白い部分は人と人が向い合せているデザインだそうです。
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正面です。
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正面上部。
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ここを入り 赤じゅうたんの階段を上ると創立者成瀬仁蔵氏の蔵書など学園史を中心とした資料を整理、保存している収蔵室があります。
天井がアーチ型で高く 自然光を取り入れていて とても明るいです。
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ロビーの吹き抜けには、「春夏秋冬・天地の生物」を描いた6点のフレスコ画がはめ込まれています。
これがまた淡い色合いで 素敵です。
階段正面 東西の窓を飾るステンドグラスは、雲間をいずる「光」と「校章」だそうです。
構内を 奥に進むと (不忍通りから入るとすぐ) 旧成瀬仁蔵住宅(成瀬記念館分館)があります。
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旧成瀬仁蔵住宅は、1901(明治34)年の日本女子大学校開校に際して建てられた校長宅で、創立時の建物としては現存する唯一のもの。
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この建物と家具14点が2007年10月、文京区指定有形文化財に指定されました。
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非公開なので 住宅の様子は全くわかりませんでした。
日本女子大が創設された明治34年(1901年)に、教師館の一軒として建設された、典型的な和風建築。
2階は、大正時代に本格的な西洋風意匠で増築。
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創設者の成瀬仁蔵は、大正8年(1919年)に亡くなるまで、ここを住居としていました。
真夏日の暑い日でしたが 木々に囲まれ少々 湿気っぽい気がしました。
管理もたいへんなことでしょうね。


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2013年10月13日

目白通り・目白坂(文京区)

先日 三越日本橋店に出店していた 関口フランスパンがおいしかったので 江戸川橋駅近くの本店まで行きました。
この店は何度か前を通り気になっていたのですが いつもタイミングが悪くて買うことができなかったので今回は 買う!と決めて行きました。
お店は 東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅近くの目白坂にあります。
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関口フランスパン 目白坂本店 東京都文京区関口2-3-3
もらったパンフレットによれば 日本のフランスパンの元祖。
「東京市小石川区の関口町に在住していたカトリック教会の司祭ペトロ・レイが、教会経営の孤児院の子どもたちに授ける職業訓練を、文化的なものにしたいと孤児院の子供たちの中から長尾ナ二(後の関口フランスパン職工長)を選び仏印に送り出し本格的にフランスパンの製法を、勉強させました。帰国後、教会敷地内に製パン工場を建て明治21年(1888年)4月小石川関口教会(現関口教会)付属、聖母仏語学校製パン部として創業。日本における本格派フランスパンの誕生。これが後の関口フランスパン(1914年(大正3年)創業)です。」
要約すればこのようなことが書いてありました。
パンを買う前に 店内でクラブハウスサンドイッチを食べました。
広く落ち着いた店内で1時間もゆっくりしてしまいました。
目白坂を椿山荘のほうに行くと 目につくものがあります。
今回は パンを買う目的で 坂の上から逆に下りてきましたが この坂かなり長くて上るのはちょっと大変です。
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椿山荘 文京区関口2-10-8
江戸時代、上総久留里藩主黒田豊前守の下屋敷であった。
明治に入り山県有朋の邸宅となり、椿が多くあったところから椿山荘と呼ばれた。
大正年間に藤田家の所有となった。
庭の築造は19世紀末といわれている。
園内には広島県から移築された室町末期の三重塔がある。
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講談社野間記念館 文京区関口2-11-30
講談社初代社長野間清治氏が収集した「野間コレクション」と称される美術品を中心に展示。
また、講談社の出版事業にかかわる貴重な出版文化遺産も数多く展示される。
建物は、旧社長宅を改装し、4つの展示室と休憩室からなる。
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和敬塾本館(旧細川侯爵邸) 文京区目白台1-21-2
和敬塾本館(旧細川侯爵邸)は、細川家第16代細川護立侯により昭和11年(1936年)に建てられた、昭和初期の代表的華族邸宅です。
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旧高田老松町 町名由来板
明治5年、高田四ツ谷町の内と高田四ツ谷下町を併せ、さらに旧土井能登守(越前大野藩6万石)、小笠原信濃守(播磨安志藩1万石)、細川越中守(肥後熊本藩54万石)の下屋敷と武家地を合併した。そして町名を高田老松町とした。
旧高田老松町76番地の細川邸の門前にむかし2株の老松があり、鶴亀松といった。左手の松は見上げるように高くて鶴の松といい、右手の松はやや低く平なのを亀の松と呼んだ。
町名は、この縁起のよい老松からとったといわれる。鶴の松は明治38年頃枯れ、亀の松は昭和8年頃枯れた。
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椿山荘や旧細川邸については 以前のブログや写真で紹介しているので省略。
目白坂をのぼりきったあたりは日本女子大学です。
道路から 塀に沿って見えたのは 成瀬記念講堂です。
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日本女子大学成瀬記念講堂 文京区目白台2-8-1
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明治39年(1906)に建設。
大正12年(1923年)関東大震災に遭遇し大きな被害を受けたが、翌年、内部の造作を残して再建された。
外壁は板壁に変えているが、木骨トラスやステンドグラスなどは当時のままである。
高村光太郎作の「成瀬仁蔵胸像」が中央にある。
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次は成瀬記念館へ・・・

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2013年05月05日

御茶ノ水〜湯島1丁目(文京区)

医科歯科大の裏手に東京ガーデンパレスという ホテルがあります。
日本私立学校振興共済事業団の建物です。学会で来られた先生方が泊まったり 私学の組合員がよく利用します。
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私もよく利用します。 レストラン オーロラで食事しました。この日は洋食のランチとデザート。
ランチタイムは1000円のセットがあるので 昼時は混み合います。
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ステーキランチ(スープ サラダ パン コーヒー)1500円
ランチデザート 200円
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以前は壁の上から滝のような水が出ていていい眺めだったのですが 節電か節水かで 水は出ていませんでした。
ホテル玄関を出てすぐの敷地内の植え込みに「済生学舎と野口英世」の案内板があります。
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済生学舎と野口英世  湯島1丁目7

「済生学舎は、医学者長谷川泰(1842〜1919)が「済生」(広く民衆の病苦を済う)の理念のもと、医術開業試験の予備教育を目的として、明治9年(1876)4月9日に現本郷2丁目5の地に創設された。明治12年学舎は火災により焼失したが、仮校舎の時期を経た後、明治15年長谷川泰の自宅を含めたここ東京ガーデンパレスの地に済生学舎は再建された。
 『志を得ざれば、再び此の地をふまず』と野口英世が医学の志をたて故郷会津を後にしたのは明治29年(1896)9月、英世19歳の時であった。上京して現湯島1丁目10あたりに下宿し、早くも10月に内務省医術開業試験前期に合格した。
 その後、港区伊皿子にあった高山歯科医学院の学僕となった。明治29年11月医術開業試験後期準備のために済生学舎に入学。下宿先を旧本郷区にあった大成館に移した。明治30年秋の後期試験に打診法の実技が含まれていたため、英世は東京帝国大学の外科教授近藤次繁博士により左手の手術を受けている。晴れて医術開業試験後期に合格した英世は、11月湯島の順天堂医院に入り、同医院医事研究会主事を嘱託された。その後、北里柴三郎博士の伝染病研究所や横浜検疫所勤務を経てアメリカへと旅立った。
 文京は、野口英世が世界に雄飛する原点の地である。  文京区教育委員会 平成17年3月」
そのわきの角を曲がるとゆるやかな坂です。
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「樹木谷(じゅもくだに)坂」の案内板があります。
 ●樹木谷坂   文京区湯島1-7と10の間
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「地獄谷坂とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の路を北へ、新妻恋坂まで下る坂である、そして、新妻恋坂をはさんで、横見坂に対している。
 「御府内備考」には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。尭恵法印の「北国紀行」のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・ならびに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて、しめの内に武蔵野々遠望かけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず」とある。天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社の周辺のようすである。
徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷の名が生まれた。
地獄谷坂と呼ばれたのは、その音の訛りである。
なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創設した。その後、伝習所は現東京家政大学へ発展した。 文京区教育委員会」
その樹木坂を下ると左角に「おりがみ会館」があります。
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幕末の安政5年(1859)創業というのれんを持つ和紙染めの専門店。現在の社名は「(株)ゆしまの小林」ですが、以前は「小林染紙店」。染紙・千代紙製造の老舗です。文京区の六つの文化遺産に指定されているそうです。六つの文化遺産とは、「鴎外記念館」「弥生美術館」「永青文庫」「文京一葉会館」「オルゴールの小さな博物館」と「おりがみ会館」だそうです。
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折紙教室や折紙工房 折り紙 千代紙など和紙の販売のほか 2階の展示室にいろいろな種類の連鶴が展示されていました。

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2013年03月07日

旧安田楠雄邸見学(千駄木)

「台所」には 床下収納があり収納棚も当時としては画期的なもの。「鈴木式高等炊事台」と呼ばれ特許が取得されていた大正時代 当時のシステムキッチン。天窓がズラリと取られ明るい台所です。使用中で中に入ることはできませんでした。木の冷蔵庫が見えます。
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浴室のシャワーは珍しい。ボイラーで沸かされた。洗い場は広い。
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2階に行きます。
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2階書院
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障子が美しい。
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2階大広間、床の間
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二階からの眺めも美しく 目の前に枝垂れ桜の木があります。
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長い1本の丸太を使っています。
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二階の水屋の天袋のふすま紙は水ころもだそうです。
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1階に下り 明るい廊下を渡って玄関に向かいます。
玄関から奥へ建物が雁行しています。どの部屋も南向きで 明るいです。
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旧安田低はお庭も素晴らしくよく手入れされています。
藤田氏が建物や庭園に凝らした趣向の数々に魅了され、安田家の方々がそれらを守ったために、大正時代の意匠をそのまま見ることができます。いつまでも大切に保存していって欲しいものです。

開館日:水曜・土曜10:30〜16:00
維持修復協力金:500円
見学時 靴下着用のこと。持ち物は受付に預けます。
布の素敵な袋物が貸し出され 貴重品のみ入れます。
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2013年03月06日

旧安田楠雄邸庭園(東京都指定名勝)

旧安田楠雄邸庭園に行く。
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文京区千駄木にある大正の近代和風建築として、東京都名勝として一般公開されています。大正7年、豊島園の開園者として知られる藤田好三郎がこの地を取得し、邸宅を建設しました。
大正12年、安田財閥の創始者安田善次郎の娘婿善四郎が購入し、昭和12年に長男楠雄が相続した。関東大震災と第二次世界大戦の被災を免れほぼ完全な形で残され、庭を含めた屋敷の環境がよく保存されていました。平成7年楠雄氏他界の後、遺族から財団法人日本ナショナルトラストに寄贈され、歴史的建造物として修復管理されています。
■施工:清水組
■所在地:東京都文京区千駄木5-20-18
■用途:住宅
■竣工:1919年
■構造:木造   
<土地>1486.03平方メートル  
<建物床面積>599.56平方メートル                  
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建物は、伝統的な和風建築の書院造数寄屋造を継承しながらも、内部に洋風の応接間を設けるなど、和洋折衷のスタイルも取り入れた造りです。施工は現在の清水建設が当時の粋を尽くし、当時は珍しく高価であった国産「栂材」を多用しています。外観は室町時代の書院造りの意匠の「鵜形」、内部建築は、和室は備後たたみを敷き詰め、建具の組子は全て面取り漆の額、玄関の格天井など贅沢なつくり。
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玄関を入るとすぐ電話室があります。
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畳敷きの廊下が美しい。
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この建物は基本的に和館だが、応接室とサンルームだけは洋風となっている。
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蓄音機が見えます。ピアノも戦前の製品らしい。大正手漉きガラスです。
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いす用火鉢です。下は炭をいれるところ。
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大きな暖炉。造作材は「胡桃」漆喰の白が引き立つ。大正手漉きガラス、カーテンは大正8年そのまま。
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柱に施された動物の彫り物。
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凝った装飾の丸テーブル。
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サンルーム。
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約450坪の広々とした敷地にゆったりと建てられた本格的な木造建築で 庭園は美しいです。
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残月の間には雛飾りがありました。(前述)
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屋根のひさしが幅広く 日差しや風雨を防ぎます。
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格天井は決して華美ではないが、きれいな市松模様をえがいている。
残月の間の隣は:家族の生活空間である茶の間。
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三代のお写真が・・・
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このふすまの中は水屋です。
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廊下を隔てて 前は台所です。
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2013年03月05日

千駄木・団子坂

千駄木駅から 団子坂を上る。
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坂の途中に団子坂の由来という説明版がありました。
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  団子坂      文京区千駄木2と3の間
「潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。
「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ふ云々」(御府内備考)
 「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。また「御府内備考」に七面堂が坂下にあるとの記事があり、ここから「七面坂」の名が生まれた。「潮見坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。
 幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であった。また、この坂上には森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。 文京区教育委員会 平成10年3月」
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 坂の途中の 立派な石垣が気になります。 
団子坂を上り切った右側に今も古い石垣塀が残る。戦前は岡本銀行頭取岡本善治邸であったとのことです。
現在は日本中にある「薮そば」の元祖は団子坂に江戸時代開業したそうです。堀田七兵衛が「幕末の名舗、団子坂の蔦屋の連雀町店を明治13年に譲りうけました。「団子坂蔦屋」(蔦屋の周りは、竹やぶが多く、何時しか客が屋号を言わず「藪蕎麦」と呼ばれるようになったそうです。
団子坂は『菊人形』発祥の地でもあります。秋になると団子坂の両側には菊人形の小屋がたちならんだということです。
旧安田邸・島薗邸は団子坂を上がり1つ目の信号を右折します。するとそこはお屋敷町です。
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倉のあるような大きなお屋敷が点在します。
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マンションも多く見られますが閑静な高級住宅街です。
千駄木3丁目は、林町と呼ばれ、高級住宅街として有名な街です。
「お屋敷町」は、明治末期には銀行の頭取たちが多く住み、銀行通りと呼ばれていた。安田邸もその1つで、実業家藤田好三郎氏(遊園地豊島園の創設者)が建て、後に安田財閥の安田家が譲り受けて住んでいました。
その旧安田邸をすこしすぎると 文京区教育委員会の文化財表示板があり作家の宮本百合子さんの生家跡と書かれていました。
現在は中條邸の門柱が残っているだけです。
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旧安田邸に入る前に腹ごしらえ。フレンチレストラン「ブラッスリー・ペルル」でのランチをいただきました。
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まわりに飲食店などないこの高級住宅地では貴重なお店ですので 予約席が多くて早く行かないと席がありません。
本格派のプチフレンチ店ですがカジュアルレストランと称して気軽に利用してもらいたいとの店の意向が、、価格も安く、味も良く、感じのいいお店でした。ランチは1900円のコースです。紅茶か珈琲つき。美味しかったです!
満足してお店を出れば 順番待ちの人がいました。
旧安田邸に向かいます。
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2010年10月30日

和敬塾本館(旧細川侯爵邸)

旧細川邸の建物内部公開日に申し込んであったので 雨の日でしたが
28日に行ってきました。

江戸川橋駅で降りて ソレイユ(フレンチビストロ)でまずは食事。
ここは 大当たり!!手(チョキ)
ランチコースなんと1000円!
前菜をひとつ メインをひとつ選べて パンに珈琲か紅茶付き。
それが また全部 美味しい。こんな美味しいの久しぶり。
デザートが200円で追加でき これまたすごく美味しいデザート。
しめて1200円で食べられるフレンチです。

いつも混んでいるから予約客が多いみたいです。

目白通りをだらだらと登り、椿山荘でしばし時間調整。
トイレなど借り まったりとすごし14時集合なので
ゆっくりと 和敬塾へ向かいました。
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少々早く着いたので待ち部屋で待つ。
時間間際になると続々と人が集まり 約30名になった。
見学料金1050円。
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和敬塾本館(旧細川侯爵邸)は、細川家第16代細川護立侯により
昭和11年(1936年)に建てられた、昭和初期の代表的華族邸宅です。
戦後 連合軍に接収され、一部改修されたそうですが
ほとんど当時のまま残っているそうです。

昭和32年に和敬塾創立者の前川喜作氏により敷地約7000坪および邸宅を同家より購入
学生のための寮を敷地内に作りましたが 本館はしばらくそのままだったそうです。
 平成10年3月 東京都指定有形文化財に指定され
一部公開されるようになりました。

ガイドさんが解説をしながら 案内してくれます。

和洋折衷というか 。 英国チューダー様式を基本としていますが、
 玄関ロビーは法隆寺の高欄をヒントにしたとされる卍崩しのモチーフがあります。

サラセン風のデザインなど独特の意匠が加味された部屋もあります。

壁に投網が張りめぐらされていたために、「魚の部屋」と呼ばれた部屋、
護立侯の書斎は英国チューダー様式で ソファは国会議事堂仕様だそうです。
愛新覚羅溥傑の書もありました。栗の間と呼ばれています。


1階はほとんどが接客部分に、2階及び3階は日常生活部分となっています。
ぐるっと一巡りしたら ティータイムがあるといいます。
1階応接室にはケーキとお茶が用意されていました。
これまた美味しいケーキと珈琲で これだけでも1000円は
するなぁ・・・などと(^^ゞ
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雨でしたが 庭に回り全体像を見ました。
3Fは 結婚式場や催し物会場に使用されているそうです。

建物内部の写真撮影は可能でしたが HPやブログへの公開は禁止でした。

せめて 外観だけでも・・・

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和敬塾本館HPには写真があります。

http://www.wakei.org/honkan/index.html
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2010年03月31日

小石川後楽園 枝垂れ桜

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昨日 天気がよかったので小石川後楽園に枝垂れ桜を
見に行きました。

ソメイソシノはまだ3分〜5分咲きでしたが枝垂れは今が
満開でした。

後楽園駅から東京ドームを通り 下に下りて
白い塀に沿って8分ほど歩くと入場門があります。
300円払って入場。たくさんの人がいました。
団体客もいて桜の前は混み合っていました。

メインはなんといっても 入ってすぐの枝垂れ桜です。
園内には計7本ありますが、入口正面のしだれ桜が特に
見事です。
かつて小石川後楽園には、樹齢100年以上というしだれ桜
の古木があった。現在のものは、その後を継いで植えら
れた2代目。推定樹齢は50〜60年。

このしだれ桜や大泉水を囲むように咲くソメイヨシノが
40本ほど植えられています。

後楽園は水戸光国の代に完成した 回遊式築山泉水庭です。
中国の風物を取り入れたりもしています。
池を中心にした庭園であちこちに趣向が凝らしてあります。

ぐるっと一回りしました。
梅園もあります。これは昨年見学しました。
秋の紅葉の時期も美しいし 藤棚や菖蒲園もあるので
季節ごとに楽しめますが なんと言っても枝垂れ桜は
みごとで、この時期が一番にぎわうのじゃないでしょうか。

東京ドームの屋根や高層ビル、ミスマッチのようでいて
なかなか現代的で絵になる風景でした。

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小石川後楽園写真集は70枚 こちらです。
http://umeno87.sakura.ne.jp/sanpo.html


ちなみに これは京都丸山公園の枝垂れ桜(2004年)

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こちらは 六義園 (2008年)

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いずれも樹齢60〜70年くらいだそうです。
posted by うめのはな at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 文京区