2013年01月03日

清泉女子大学(3号館)品川区

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)東側に 赤レンガの建物がある。
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近くに行くと その建築の時代が見えてきた。
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こちらもジョサイア・コンドルによる設計との説明版がありました。
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赤煉瓦造りで 現在は事務所として使われているようでした。
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床下の換気口もおしゃれです。
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旧事務棟(現3号館)についても、設計施工は同時期と推察され、コンドルの邸宅以外の建物として貴重であることから東京都指定有形文化財(建造物)附(つけたり・指定物件の価値を補完するもの)とされている。
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2013年01月02日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)6

2階の南側 公爵夫妻の寝室などは教室として使われていますので 室内の照明は蛍光灯になっていました。
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机が並び 黒板があり 当時の華やかさはありませんでしたが 暖炉や天井の装飾はそのまま残っていました。
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暖炉の枠は1階が大理石であるのに対して、2階は木製です。
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ベランダに出ることはできませんでした。居室からの眺めです。
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1階と同様の円弧状の窓のある夫人客室の暖炉だけが白い大理石製である。残念ながら黒板で見えなかったです。
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これは 大正天皇皇后の行幸啓時に眺めの良いこの部屋を便殿(休憩所)として使用する予定があったからではないかと推測されます。
北側にあった2室の男子 子供部屋は 真ん中のしきりを取り払い 大会議室となっていました。
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模様の異なる青いタイル張りの暖炉が残されていました。
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貝の模様など 4人の男子の部屋らしい装飾です。
華族の中でも最高位の公爵だった島津家の栄華が伺われる貴賓ある建物です。
コンドルが設計した華族最高位の邸宅です。
1915年の竣工から100年を迎えようとしています。
保存 維持は大変だと思いますがJ・コンドルの設計による数少ない現存住宅建築の遺作として、大切に残していって欲しいと思います。

次は 東京都指定有形文化財 附として指定された3号館を見ます。

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2012年12月31日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)5

2階階段ホールです。
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ステンドグラスが正面に見えます。
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現在はソファや椅子が置かれ学生さんの憩いの場となっているようです。
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このホールの北側に長女の部屋がありますが 使用中で中を見ることができませんでした。
その奥は女中だまりや物置 バスルームだったそうです。
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こちらにはは入れませんでしたが 案内の学生さんがあの階段は 屋根裏部屋への階段ですと説明してくれました。写真で少し見えています。
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2階は南側のベランダに沿って公爵居室、公爵夫妻寝室、公爵夫人居室が並んで配されています。
反対側は4人の男子の子供部屋です。
現在は教室として使用されています。
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居室側からホールを見ています。左が子供部屋。
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2012年12月30日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)4

建物は この玄関ホールを中心に公爵の書斎、大食堂と家族の食堂、階段室と玄関室などとなっている。
ホールの北側は 家族の食堂 厨房 配膳室 使用人室などになっています。現在学長室などもあり こちらは見学できませんでした。
アーチ上のドアから玄関室のステンドグラスが見える。
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正面玄関にあるステンドグラス(写真左)の上部に「丸に十字」の島津家の家紋がある。
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玄関脇には待合室とクロークが配されています。
正面玄関は来客用で、家族の中では公爵本人のみ使うことができ、家族や使用人は宿直室横の別の出入り口を利用するよう厳格に決められていたそうです。
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室玄関室の硝子窓。下の丸い部分は見る方向によって見え方がちがうとのこと。
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内側(階段脇)からみたもの。
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ホールから見る大階段は、左右の壁面と踊り場の正面が大きなステンドグラスで囲まれています。
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洋館では階段が重要だといわれています。大階段は親柱、手摺りの装飾もきめ細かく施されています。
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下の段ほど幅が広くなっています。
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手摺りの装飾。
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正面のステンドグラス。
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踊り場から上り口が左右二手にわかれます。
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1階から見上げても、2階から見下ろしても、踊り場の壁面のステンドグラスがよく見えます。
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2F 階段ホールです。

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2012年12月29日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)3

10名の見学者が揃い 時間になったので館内見学がはじまりました。
学生さんが手に持った資料を読んだりして案内してくれます。
館内は1Fの聖堂以外は撮影可能です。最初に聖堂を案内してくれました。元食堂ということですが とても落ち着く部屋でした。
チャペル(聖堂)はバンケットホール〈大食堂)として使用されていました。
聖なる場所の撮影は不可です。
聖堂の前にあるのが 「泉の間」で 大応接室だそうです。泉の間は使用中で室内を撮影しませんでしたが ドアや天井の装飾はみごとなものです。
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入館前に 売店で詳しい見取り図が書いてあるパンフレットを購入したので 事前に頭にいれておきました。
1階は大小の応接室が南側の芝庭に面して並び廊下でつながれています。
南側のバルコニーの中心部分にあたる部屋が小応接室。
この部屋の窓の硝子はアール状です。
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天井やマントルピースなどの装飾が素敵です。
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隣の部屋には廊下にでなくてもいいようにドアがあります。
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隣の部屋は 公爵の書斎だったそうです。
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現在は会議室。
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窓から庭が見えます。
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この部屋の前は玄関ホールになっています。
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玄関のステンドグラスが見えます。
次はこの玄関と階段を見ます。

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2012年12月28日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)2

清泉女子大学本館の内部見学は 申し込み制です。開催日を確認して申し込みました。
各回10名です。
受付をすませましたが 時間があったので庭に出て外観などを見ました。
もちろん 内部見学のあとに庭園に出て案内してくれます。
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南側の芝庭に面して円弧状のベランダや同じく円弧状に突き出た窓などがありますが 硝子もアール状です。円弧状のベランダからは広い庭園を眺めることができます。 当時は見晴らしもよかったのでしょうね。
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外壁は当時最先端のデザインだった白タイル貼りで、建物のアウトラインを強調するかのように貼られた隅石には灰色の新小松石が使われている。
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関東大震災にも耐えた堅牢な建築でもあります。
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南側 階段前のこのような2つのものは 時に花を時にたいまつを・・のためのものなのでしょうか。
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屋根の上の 白い突起物は各部屋の暖炉の煙突の役目だったそうですが今は使われていません。
広い芝生の庭に面した本館南面は大きな2層のベランダに沿って、T字型の建物の1階はパプリックスペース、南側の接客部分と北側の使用人部分からなり、2階はプライベートスペースとなっていて主要な部屋が配置されています。

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2012年12月27日

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)1

伊達藩邸として約130年を経た後、明治6年(1873年)に島津家の所有に移っています。袖ケ崎という地名から、伊達藩時代は「袖ケ崎御屋敷」と呼ばれ、島津家時代は「袖ケ崎邸」と呼ばれていました。 当初伊達家の大名屋敷をそのまま使用していましたが、老朽化が進んだため洋館を新築することを計画、1906年 (明治39) イギリス人建築家 ジョサイア・コンドルに島津公爵家袖ヶ崎邸の設計が依頼され、1915年 (大正4)  竣工 しました。洋画家で知られる黒田清輝の指揮の下、館内の設備や調度が整えられました。
西洋館落成披露のため、大正天皇皇后行幸や 新築披露園遊会が行われました。
大正12年(1923年)の関東大震災後は、この邸宅のみが無傷であったことから、ご家族の住居として使用されていました。
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「昭和初期に金融恐慌のあおりで島津家も財政的な打撃を受け、当初2万8千坪あった敷地を昭和4年(1929年)には8千余坪を残し、周辺部を売却、その後第二次世界大戦の苛烈化に伴い大邸宅の維持が困難となり、島津家は袖ヶ崎邸も日本銀行に売却しました。戦中、戦災を免れた邸宅は、戦後昭和21年(1946年)1月にGHQの管理下に入り、駐留軍の将校宿舎として昭和29年(1954年)まで使用されました。
そして接収解除後の昭和36年(1961年)7月、清泉女子大学は日本銀行から土地と建物を購入し、昭和37年(1962年)4月に神奈川県横須賀から大学を移転して、今日に至っています。」という説明書きがありました。
戦争中邸宅の周辺は空襲による被害で大半が焼失しましたが、西洋館は奇蹟的に焼失を免れました。
外観から見て行きます。
島津邸は煉瓦造、地上2階地下1階建、建坪約280坪の大邸宅です。
2012年 (平成24) 本館が東京都指定有形文化財に指定されました。
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竣工 1917年(大正6年)
所在地 東京都品川区東五反田3-16-21
設計 ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)
構造 煉瓦造2階建て、地下1階
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建築様式はルネッサンス様式であるが、特にベランダの柱頭飾りは、1階がトスカーナ様式、2階がイオニア様式で古典主義の規範に従っている。
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東に面する玄関先のポーチは円柱と半円柱が4隅に立つ重厚な構えで、正面の扉と両脇にはステンドグラスがはめ込まれています。
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玄関は閉じられていて 見学は 北側から中庭を回って1号館の校舎から入ります。
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最盛期には200人を超える使用人がいたといわれ北側に使用人用の部屋があります。.
この下の植え込みにはアンネの薔薇が植えてありました。
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この校舎から 中に入りました。
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2012年12月26日

旧仙台藩伊達家の下屋敷跡〈清泉女子大)

現在の清泉女子大学の地が旧仙台藩伊達家の下屋敷になったのは1743年 (寛保3) のことです。
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東京都品川区東五反田3-16-21
1868年頃 (明治元) 伊達家から島津家に土地の所有が移る 。
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清泉女子大正門前には その説明版があります。
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「本学を構えるこの地は「袖ヶ崎」と呼ばれ、元文2年(1737年)仙台藩伊達家の下屋敷(敷地面積22,670坪)となり、明治初年に島津家の所有に移るまで約130年間使われました。

主に公式行事の開催場所に使用され、大正12年(1923年)の関東大震災後は、この邸宅のみが無傷であったことから、ご家族の住居として使用されていました。」
屋敷があった東五反田3丁目あたりは、島津山と呼ばれています。
正門から急な石段を登るか 車道になっている坂を登るかします。旧島津公爵邸が見えてきます。
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左側の広い庭園の小高い丘を上がると、明治天皇や大正天皇がこの屋敷に行幸(ぎょうこう)した際の休息所跡が残っています。
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1881年 (明治14) 明治天皇行幸、皇后・皇太后の行啓 。
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古くからこの辺りはツツジの名所として知られ、このツツジを愛でにこられたという説があります。
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1917年 (大正6) 島津公爵邸 落成。5月8日に大正天皇・皇后の行幸啓 。
この折、寺内首相、松方正義、牧野伸顯、山本権兵衛、東郷平八郎、樺山資紀等の政府高官、陸海軍の将星等が多数参列しました。3日後、島津家では新築披露のため朝野の名士約2,000名を招待し、盛大な園遊会を開催したそうです。
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江戸時代この地は、品川領下大崎村字袖ケ崎といわれていたそうです。邸内には霧島つつじが群生し、景勝地「映山」の雅名がつけられています。幕末の儒者大観磐渓による紀行文の漢詩も残っています。
品川沖が見渡せる 風光明媚な場所だったので ご休息所からの海の眺めを楽しまれたという説もあります。
当時は崖の上のお屋敷という感じだったのでしょうか・・・
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庭園には大きな フウの木があります。
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フウは「楓」と書くマンサク科の落葉樹で、台湾や中国南部に自生している。同大学の「フウの木」は1716年〜1735年ごろ、日本に初めて渡来した台湾フウで、幹の周りは約3メートル、高さは約20メートル。推定の樹齢は約250年近くだという。この種の木は都内でも珍しく、品川区の天然記念物に指定されている。フウの木は都内では他に明治神宮、皇居でしか見られない貴重な木です。

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2012年12月25日

グランドプリンスホテル高輪貴賓館・内部2

1階は応接室、客室(現「鳳凰」)、食堂(現 チャペル「錦鶏」)など接客用の部屋が配され、2階はプライベートスペースで学問所(現「桐」)、御座所(現「麝香」)、寝室(現「葵」)の三室が南に面して配置されています。
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御学問所、御座所、控室、小寝室として使われた部屋は、それぞれ宴会の席として使われています。
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内部はフランス・ルネッサンス様式が取り入れられ、特に二階御座所・御寝室は豪華な装飾が施されています。
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明治42年6月竣工した東宮御所(現「迎賓館赤坂離宮」)のあと、明治44年に竹田宮邸洋館が完成していますから東宮御所と同様の装飾、モチーフなどが随所に見受けられます。宮家の特徴でしょう。
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ベルサイユ宮殿等をイメージさせるバロック調の天井や壁の装飾です。
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2階の3室の壁や天井にみられる金箔のレリーフ、花綱飾りのモチーフなどの室内装飾は、赤坂離宮の「彩鸞の間」のようです。(2011年秋に赤坂離宮の内部見学にも行きました。)
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時間もあまりなくドアの開いている部屋だけを見学しました。機会があればこの次は じっくりと時間をかけて詳細を見てみたいと思っています。結婚式でもしないと チャペルや鳳凰の間は見れないのでしょうかねぇ・・・・・
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2012年12月24日

グランドプリンスホテル高輪貴賓館・内部1

ホテルの中に入り 許可を得て貴賓館に行く。廊下で繋がっています。
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部屋がいくつか並んでいるので 食事やパーティなどに使われているのではないかと思う。廊下が終わると玄関ホールがある。
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1階玄関ホール両脇には左右対象に2部屋が配置され、当時はともに浴室が付属し、ゲストの居室として利用された。廊下を挟んで庭園側の中央には、大理石の暖炉や天井の装飾が豪華な、客間「鳳凰の間」があります。宮家時代は客間として使われていたバンケットルームです。1972年に建築家・故 村野藤吾氏の手により改修され、華やかな皇族の邸宅という雰囲気を残しています。
 内部はフランス・ルネッサンス様式が取り入れられている。1Fはドアが閉まっていてみることができませんでした。
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 階段室の踊り場には海に浮かぶ帆船のステンドグラス。
ステンドグラスは、外光ではなく 間接照明。
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大正時代の埋め立て前の青々として美しい品川沖が描かれています。
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階段の手すりにひとつにも細かいデザインが施されています。
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宮内省直営の宮大工がすべて手作りで作りあげたものだそうです。
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階段ホールにある置時計。
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当時は、食堂として使われていた部屋に置かれていたということです。
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次は2Fの部屋を見ます。

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2012年12月23日

グランドプリンスホテル高輪貴賓館・外観

桜の季節に何度も来ていたホテルだけれど 今まで貴賓館の見学はしたことがなかった。
ず外観から見ることにしました。
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大きいので 全景は写せませんでした。
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グランドプリンスホテル高輪貴賓館
旧竹田宮邸 1911(明治44)年 / 改修・復元 1972(昭和47)年
設計 : 片山東熊+木子幸三郎+渡辺譲 / 改修・復元:村野藤吾
施工 : 宮内省直営
東京都港区高輪3-13-1
旧竹田宮邸。当初は明治天皇の御用邸として計画されていましたが、北白川宮の第一王子であった恒久と、明治天皇の第6皇女の常宮昌子との結婚に当たって、敷地とともに下賜されたものです。
天然スレート葺き屋根にドーマーウィンドウのあるルネサンス建築。
設計者はジョサイア・コンドルの弟子であった片山東熊。竹田宮邸を手がけた時期と、ヴェルサイユ宮殿を模した迎賓館(旧赤坂離宮)の竣工時期とは重なっていて、ともにネオ・バロック様式です。
戦後、商工大臣公邸、通商産業大臣公邸を経て、昭和28年(1953)からは高輪プリンスホテルの所有となり、昭和47年(1972)に村野藤吾によって改修・復元されています。
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明治の洋館らしい雰囲気の鉄骨煉瓦造2階建て地下1階。
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フランスルネサンス様式が取り入れられ、正面にフランス風マンサード屋根とドーマ窓が、当時の豪華な雰囲気を残しています。
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正面玄関のドアです。
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横の部分です。
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ここから 中庭プールの部分ですが 立ち入りができませんでした。
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結婚式が行われるプールです。
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この建物を 庭園側正面から見るにはステーキハウスに入るしかなさそうです。
次は内部をみることにしました。
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2012年12月22日

品川駅周辺

品川駅前から高輪プリンスまでの坂はサクラ坂と呼ばれ春にはサクラがきれいな坂なのですが 今回は別の坂を歩いた。
柘榴坂(ざくろざか)(新坂) くだりで写しています。

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所在地 港区高輪3 高輪4

 坂名の起源は伝わってない。ざくろの木があったためか、江戸時代はカギに曲がり、明治に直通して新坂と呼んだ。
  平成20年(2008)10月 港区

もう1本別の坂がある。
いちょう坂と呼ばれている。エプソン水族館脇。
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標識はあるけれど 坂名の由来はなかった。 江戸切絵図(尾張屋版)見ると、北側の柘榴坂が鍵型に曲がっており、このいちょう坂が旧の柘榴坂だと推定する記述がある。
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この高輪界隈はとにかく 坂が多い。坂をのぼり歩いてみたのだけれど駅前から 高輪教会あたりまで登りが続き その後下りになるが 高台にある住宅は狭い階段を登って玄関にたどり着くというような家が多かった。
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品川駅近くの シナガワグースの入り口に巨大サンタクロースがいた。
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このサンタさんは 風船のようにふわふわしていて手足が動いて面白い。
サンタには珍しい着座ポーズでやや前かがみで、角度によっては「ヤンキー座り」にも見えるが、お尻はしっかりと台座で固定されている。
街もホテルも商業施設も みなクリスマスモードで夜はライトアップされてきれいなのでしょうね。
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写真はプリンスホテルの庭園です。
次は高輪プリンスホテル 貴賓館に行きます。

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2012年12月21日

品川駅創業記念碑・おしゃもじ様

品川駅高輪口の駅前ロータリーに 写真の石碑が建っている。 品川駅創業記念碑である。
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 品川駅創業記念碑
  明治五年五月七日
  品川横浜間鉄道開通
  
明治5年に 品川(汐留)〜横浜(桜木町) 間に開通したとされているが,  正式開業の半年ほど前に 品川〜横浜 間で仮開業した。品川駅は 日本で最初の鉄道駅である。記念碑の裏面には, 鉄道創業時の時刻表と運賃の表が 当時のまま刻まれている。朝夕2往復 運転されていたようだが, 「運賃」は「賃金」,「8時」は「8字」などと書かれている。

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裏面
 鉄道列車出発時刻及賃金表
  定     明治五年五月七日

  上り             下り
横浜発車 品川到着      品川発車 横浜到着
午前八字午前 八字三十五分 午前九字 午前九字三十五分
午后四字 午后四字三十五分 午后五字 午后五字三十五分

  賃金表 
 車ノ等級
 上等  片道 壹円五拾銭
 中等  同  壹円
 下等  同  五拾銭

       昭和二十八年四月吉日
         品川駅改築落成祝賀協議会建之
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所在 東京都港区高輪3-26

 「品川駅では、明治5年(1872年)5月7日(新暦6月12日)をこの開業日にしています。何故かというと、新橋・品川間の工事が遅れたため、この日に品川・横浜間で仮開業したからです。新橋・横浜間で本営業を開始したのは仮営業から4箇月後の明治5年(1872年)9月12日(新暦10月14日)でした。それを記念して、今日では10月14日を「鉄道の日」としています。品川駅は日本で一番古い鉄道の駅といえます。

 この記念碑は鉄道開通80周年及び駅舎改築を記念して、昭和28年(1953年)4月に建之されたもので、揮毫者は衆議院議長をつとめた大野伴睦氏です。記念碑の裏面には仮開業当時の時刻表と運賃が記載されており、当時の様子を偲ぶことができます。
平成18年(2006年)10月 JR東日本 品川駅」
  現在の 品川駅のある場所は 港区で, 品川区ではない。
鉄道建設当時, 品川駅は  東海道品川宿地区に置かれる計画だったが, 「鉄道駅ができると 宿場がすたれる」という危機感から 地元が強硬に反対し, やむなく 品川区に隣接する 港区高輪地区に置かれることになったという ことです。

駅前のロータリーから横断歩道を渡るとビルとビルの間に小さな神社が見える。
そこだけ ポ ツンと取り残されたような感じです。
そこが 高山稲荷神社です。
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所在地 港区高輪4-10-23 (高山稲荷神社)

 御祭神 宇迦御魂神(食物主宰産業神)
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「往時の文献によれば今から凡そ500年前当地域に神社の建立を御勧請し神社を建立したと記されております。当時高輪の地形は小高い丘陵で社殿は二百数十段の石段の山峰に位置し山上の神社故高山神社と称されたと伝えられております。現在の社殿前方品川駅一帯は見晴らすかぎり海辺がつづき遠く房総方面より往き来する舟の目標となったものと記されております。」
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「明治初期毛利公爵が当地に邸宅を構えるに及び同家より広大な敷地の寄進があり境内からの眺望は目を見張るものがあったと思われ明治天皇が京都より江戸への遷都に際して当所で御休息・御野立をなされたと伝えられております。」
境内には『石燈籠(おしゃもじさま)(港区文化財)』があります。
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石燈籠(おしゃもじさま)(高山稲荷神社)
所在地 港区高輪4-10-23 (高山稲荷神社)

港区登録有形民俗文化財
 石燈籠(おしゃもじさま)
              平成6年(1994)3月22日指定

 「おしゃもじさま」は、縁結びの神として祀られているが、その名の由来はわかっていない。高輪の台地上にあった「石神社(別名『釈神社』)」が、高山稲荷神社に合祀されたもので、『江戸名所図会』によれば、石神横町(しゃくじんよこちょう)といわれていた。これを誤って里俗で「おしゃもじ横町」といったとされ、この名からつけられた名である可能性もある。
 このおしゃもじさまは、もとは切支丹燈籠で、一説には高輪海岸で処刑された外国人宣教師を供養するために建てられたといわれ、また海中より出土したともいわれる。切支丹の隠れ信仰があったことを物語る資料である。
  東京都港区教育委員会 」

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2012年11月11日

高輪消防署二本榎出張所

明治学院正門前の交差点から 望楼のあるユニークな建物が見えます。
今も現役の高輪消防署二本榎出張所です。
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高輪消防署二本榎出張所 1933(昭和8)年
設計 : 越智操(警視庁総監会計課営繕係)
施工 : 間組
東京都港区高輪2-6-17
平成22年3月26日「東京都選定歴史的建造物」に選定された。
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望楼の上の青い塔は、 1984年(昭和59年)に東京都の「文化デザイン事業」により設置されました
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コーナー部3階に円形講堂があり、その上に鉄筋コンクリート造りの望楼。
第一次世界大戦後に流行した近代的なドイツ表現派というスタイルだそうです。
隣の高輪警察署もかつては消防署とよく似たデザインの近代建築で、消防署と対になる存在だったそうです。
この建物は、海抜25mの高台にあり、 竣工当時は海岸線が今よりも近く、 高層ビルもなかったため、望楼から東京湾を眺望できたことから「灯台」や「軍艦」などと称して親しまれた。消防署は軍艦「三笠」の船尾、道路を挟んだ高輪警察署は操舵室のモチーフで対にデザインされたということです。警察署のほうは 被災し老朽化したため近代的建物に建替えられています。
しかし 電線が張り巡らされていて 外観がすっきりと見えないのがざんねんです。
受付で書類を出すと 係員の方がパンフレットを持って事務室から降りてきて 案内してくれました。
内部撮影は可です。でも非公開です。
展示室は8本の梁が中心に集まり、10個の窓部アーチと一体になっています。召集があれば見学は中止します。」と断りがありましたが 無事見学終了。とても親切に丁寧に説明してくれました。
お忙しい中ありがとうございました。
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すぐ前のバス停から品川駅までコミュニティバスに乗りました。
二本榎の由来

   旧東海道を旅する人の一里塚として、上行寺(明治学院体育館)門前に「榎」が二本あり、文政年間(1818年〜)には、高さ10mあったと言われる。今その歴史を残す「二本榎の碑」が承教寺(高輪2−8−2)及び出張所前に建てられています。
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