2013年12月12日

白鬚神社3

白髭神社拝殿です。
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白鬚神社  墨田区東向島3-5-2
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昔は境内に松、欅などが多く繁り、白鬚の森と呼ばれて、向島八景、隅田川二十四景に数えられたほど、緑の美しいところだったそうです。
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江戸名所会図 白髭明神
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境内社
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諏訪社
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水神社
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「寿老神は 長生きする中国の伝説上の人物です。頭に頭巾をかぶり、白髪で、全ての人間の寿命が書かれた巻物を杖に結び、鹿を連れています。
白鬚神社の寿老神は祭神であるため、「寿老人」ではなく、「寿老神」としています。区内最古の神社のひとつといわれます。
平安時代に慈恵大師が関東に下ったおり、滋賀県に鎮座する白鬚大明神の分霊を勧請して祀ったのが始まりといわれます。」


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2013年12月11日

白鬚神社2

神楽殿の向こう 拝殿前にも石碑があります。
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「山玉向島講社の碑」
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富士講の講社が建立した「山玉向島講社の碑」
溶岩っぽいものや 富士山の形をしているものもあります。
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当時の講により結ばれた地域の人々の様子をうかがい知る貴重な資料として、区の登録文化財として指定されています。
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「岩瀬鴎所君之碑」
将軍継嗣問題で左遷・譴責を受け、寺島の岐雲園に蟄居していたそうです。
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白鬚大神の碑
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白鬚神社

 祭神 
猿田彦大神
天照大御神 高皇産霊神 神皇産霊神
大宮能売神 豊由気大神 健御名方神

「天暦5年(951)に慈恵大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神の御分霊をここにまっつたと、社伝の記録は伝えている。天正19年(1592)には、時の将軍家より神領二石を寄進された。
 当社の御祭神猿田彦大神が、天孫降臨の際に道案内にたたれたという神話より、後世お客様をわが店に案内して下さる神としての信仰が生れた。社前の狛犬は山谷の料亭八百善として有名な八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が文化12年(1815)に奉納したもので、その信仰のほどがしのばれる。明治40年(1907)には氏子内の諏訪神社を合祀した。
隅田川七福神 寿老人

 当社に寿老神を配し奉るのは、文化の頃この向島に七福神をそろえたいと考えた時に、どうしても寿老人だけが見当たらなかった。ふと白鬚大明神はその御名から、白い鬚の老人の神様だろうから、寿老人にはうってつけと、江戸人らしい機智を働かせて、この神を寿老人と考え、めでてく七福神がそろったといわれる。隅田川七福神に限り、寿老神と神の字を用いる所以である。」
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拝殿前の鳥居です。

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2013年12月10日

白鬚神社1

鳥居をくぐると 左側に古い石碑が並べておいてあります。
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一番先に目についたのが黒人塚
江戸時代にオランダ人に連れてこられた黒人の慰霊碑かと思いましたがそうではありませんでした。
浜辺黒人(はまべのくろひと)という江戸時代中期の狂歌師の石碑でした。
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 北島玄二「うつせみの」の歌碑(黒人塚)
「黒人塚」と大書して、右面に「天やこの人を生み 天やこの人亡る この人阡人の玄 崑崙一人に選る倚る」(原漢文)、左面に「うつせみのうつつにしばしすみた川 渡りそはつるゆめのうきはし」としています。
白鬚神社にあるもののうち一番の古碑で、寛政十二年(1800)と彫られた横に「玄二号黒人」の文字があります。
 
本名を北島玄二といい、玄の字が黒に通じることから黒人と号した.
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すぐ後ろの碑は四世今日庵「こころほど」の句碑。天保7年(1836)
「こころほど こと葉のたらぬ さくらかな」四世今日庵 元風
元風は本名を松本伊助といい、師一蛾につき、天保年間(1830〜1844)に活躍した江戸の俳人用です。
何やら絵のようなものが見える石碑があります。
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天広丸「くむ酒は」の狂歌碑
天広丸(1756〜1828)は本名を磯崎広吉、号を酔亀亭と名のり、宝暦6年(1756)鎌倉市今泉に生まれ、文政11年(1828)没
「くむ酒は 是 風流の眼なり 月を見るにも花を見るにも」
上部に酒を表すとみられる標記があります。
ひときわ大きい石碑と説明板があります。
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鷲津毅堂碑   高さ256cmの大碑
「鷲津毅堂は幕末明治の漢学者です。文政8年(1825)尾張に生まれました。
通称を毅堂または蘇州と号し、父、祖父ともに大変に徳望篤い人物でした。
 20歳のころ江戸に出て昌平黌に学び、嘉永6年(1853)久留米藩に仕え、次いで、尾張侯の招きに応じ侍読となり、さらに教授に進み、毅堂自身も子弟とともに学問に励みました。時に王政復古となり、藩主徳川康勝の議定官に任ぜられ国論を一定し、覇王の思想を隣藩にまで広めました。明治元年(1868)調停より権弁事を任ぜられ、明治2年(1869)大学少丞に転じます。そして権大書記官五等判事、司法少記官、東京学士会々員に列するなど明治政府の要職を歴任しました。明治15年(1882)司法権大書記官となりますが、同年、10月5日、58歳で歿しました。
なお、毅堂は永井荷風の母方の祖父にあたります。
本碑の篆額は三条実美、撰文は三島毅、書は巌谷一六による碑です。
 平成18年(2006)3月 墨田区教育委員会」
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「墨多三絶すみださんぜつ」の碑

 「墨田川の風物を詠じた佐羽淡斎の詩碑で、大窪詩仏が筆をとったものです。「墨多三絶」の篆額は巻菱湖の筆になります。建立年に当たる壬午は、文政5年(1822)のことです。
なお、絶とは五字または七字の四句で一体をなす漢詩のことで、三詩からなるので三絶と呼びます。
この碑(草書)は三囲神社の「本松斎一得翁之碑」(隷書)、隅田川神社の「無琴道人墓銘」(楷書)の両碑を加えて、大窪詩仏の三書体、すなわち『詩仏三碑』として世に知られています。
 維舟渡口歩汀名沙来飲祀前売酒家一
 道玻璃烟淡抹夕陽猶在半堤花
 不借朝南暮北風遊船如織日忽々沙鴎
 欲管繁華事閑睡落花流水中
 断磬聲中結夕陰堤彎岸繚寺門深
 鴎邊柳処元陳迹付与詩人吟至今
 上毛淡齋佐羽芳詩壬午冬日書詩佛老人大窪行
  平成18年(2006)12月 墨田区 」
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一番右に見える石柱は 春秋庵白雄「人こいし」の句碑 です。
「人こひし 火ともしころを さくらちる」
「于時文化歳在癸酉(1813)春3月 拙堂創建之 補助居行」
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「筆塚 中原耕張」
「つくつくし つめよ硯の すみ田川」
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力石もいくつかあります。
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神楽殿です。
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銀杏の木の奥に拝殿が見えます。

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2013年12月09日

百花園〜白鬚神社

向島百花園を出て白髭神社に向かいます。
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右手に200m程で いかにも下町という古い家並みの路地を歩きます。
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街角にある路地尊。お地蔵様でもいるのかしら・・と思えば消火栓。
「路地尊とは、路地の安全を守るシンボルです。名前の由来は「地域のコミュニティの場であり、災害時には避難路になる路地を大切にしながら自分たちの手でまちを守ろう」という考え方から、その名が付けられました。」とのことです。
そういえば東向島駅からの道でも見かけました。
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みごとな銀杏の白髭神社が見えてきました。
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白鬚神社  墨田区東向島3-5-2
天暦五年(951)近江国志賀郡境打颪(滋賀県高島市)琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の御分霊としてお祀りしたことが始まり。(隅田川七福神の寿老神)
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境内は黄金色
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白髭神社の鳥居です。
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鳥居を境内側から見ています。黒い案内板があります。
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寺島ナスの説明板です。
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寺島ナス
「かつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688〜1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村でしたが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。
 享保20年(1735)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬とす。」また、文政11年(1828)の「新編武蔵風土寄稿」には、茄子として、「東西葛西領中にて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」と江戸近郊の名産であることが記されています。
 農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ツ目、神田の土物店(青物市場)等出荷していました。江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。 平成9年度JA東京グループ」
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境内には 寺島ナスの鉢植えが2つありました。
もうナスは2〜3個しかなく終わりかけでした。
実は鶏卵ほどの大きさで、黒紫色で光沢のある皮は硬い。江戸時代に寺島村(現在の墨田区東向島付近)で盛んに栽培され、その後栽培が途絶えたものを、近年になり復活させたものだそうです。
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2013年12月08日

向島百花園3

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭です。
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大名庭園とは異なった美しさがあります。
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紅葉がきれいです。
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大きな銀杏の木が黄金色でした。
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庶民的なほっとする池です。
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落ち葉の中の散策路
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スカイツリーも見えます。
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落ち葉の中で咲いていた 野菊 キヨスミギクの名がありました。
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四阿です。
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梅洞水という 立木を利用した井戸です。
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路地琴(ろじきん)
路地琴とは、据え置き型の水琴窟(すいきんくつ)のこと。
上からひしゃくで水をかけると、壷の中で水滴の音が反響して、キーン、コーンと儚げで美しい音色を奏でます。
狭い路地に置いても水琴窟が楽しめます。
さっそく試してみました。水をかけたらキンコン キンコンと音がしました。
路地琴」を墨田区向島地域に広めることによって向島のまちを彩っていくことを目的として設立された プロジェクトで 墨田区のあちこちに置かれているそうです。
この百花園の名物は、全長約30mもの萩花のトンネル.今は トンネルの枠組みだけとなっていました。
次は白髭神社に向かいます。

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2013年12月07日

向島百花園2

庭門を入ると左手に小さなお堂があります。
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隅田川七福神 福禄寿尊堂
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竹林もあります。石は何だかわかりません。
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木々は冬支度
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御成座敷(おなりざしき) 昭和61年に改築されたものです。
「御成座敷」は、百花園創設当時、百花園に集うお客様のために、酒井抱一が設計したと言われています.
座敷は、この地域で「水塚」といわれる、隅田川の洪水に対処するため、池を掘り、その土で塚(基壇)を築いたものの上に立てられています。11代将軍徳川家斉公がお成りになって以降、「御成座敷」とよばれるようになりました。
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園内には芭蕉の句碑をはじめ20数基の石碑があります。
江戸文人趣味豊かに作庭され、大名庭園とは趣を異にした草庭です。
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詩経」や「万葉集」に因む歴史的草花を植栽し、春や秋の七草をはじめ、四季それぞれの植物が植え込まれ、野趣豊かな庭園となっています。
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初代河竹新七追善しのぶ塚の碑
「 隅田川よ二面よと歌舞伎にも浄瑠璃にも世にもてはやさるる荵売は、安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵が勤め、前の河竹新七の作なり。そが正本を、ある人より贈られて久しゅう秘蔵せしは、名を嗣ぐ者の幸せと悦びしが、この度ここに埋みて、昔忍ぶの墳と名づけその故よし記しつくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後の世に遺さんとてのわざになんありける。明治13年(1880)3月」
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二代河竹新七追善狂言塚の碑
きょうげん塚
「二世河竹新七、俳名は其水、晩に古河黙阿弥と改む。壮年より演劇作者となり、古稀の齢を跨えて明治25年(1892)の春、喜の字の祝さえなしけるに、明くる年料らずも病のために身まかりぬ。その一生の間に書き綴りたる新作の狂言およそ三百余ほどありて、古来の作者に珍しきことなれば、その名を続ける門人等師のむすめと計り、これを後の世に伝えてんと、石を建てて狂言塚と名づけ、初代の名残りの荵塚になずらえて、しのぶの文字を書きつくることしかり。明治27年(1894)11月」
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二神石碑
くくのちの神
かやのひめの神

「この二柱の神は古事記上巻にある伊邪那岐伊邪那美二神が生んだ神話の中に出てくる神で久久能智神は木の神、鹿屋野比売神は野の神である 古事記上巻より 」
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日本橋石柱
日本橋の変遷は木橋、石橋、鉄橋時代と各あるが、石橋時代の模造品と思うが、文字は徳川慶喜と伝える。

その他 園内には、『飯島光峨翁之碑銘碑』、『茶筅塚と柘植黙翁句碑』、『大窪詩仏画竹碑』、『其角堂永機句碑』、『芭蕉「春もやや〜」の句碑』、『雪中庵梅年句碑』、『杉谷雪樵芦雁画碑』、『北元居士句碑』、『寶屋月彦句碑』、『鶴久子歌碑』、『矢田寫ニ翁句碑』、『螺舎秀民句碑』、『亀田鵬斎墨沱梅荘記碑』、『金令舎道彦句碑』、『月岡芳年翁之碑』、『七十二峰庵十湖句碑』、『芝金顕彰碑』、『千寿庵益賀句碑』、『『井上和紫句碑』、『最中堂秋耳句碑』、『山上臣憶良秋の七草の歌碑』など多数の石碑がありました。
次に園内の紅葉を楽しみます。

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2013年12月06日

向島百花園1

入園口前には 園内の案内板があります。
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向島百花園 江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804〜1830年)に造られた庭園。
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[江戸時代文化2年(1805)頃、仙台出身の 骨董屋を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)が、向島の寺島村で元旗本、多賀氏の屋敷跡約3,000坪を購入し、鞠塢と親交 の深かった一流の文化人たちの協力を得て、文人趣味豊な庭園として創設。
昭和8年 (1933) 2月 国の 「名勝」に指定昭和13年に(1938) 当時の所有者から東京市に寄付戦災で、石碑以外は全て焼失しましたが、 昭和24年に復元昭和53年10月文化財保護法による「名勝及史跡」の指定現代に残る江戸時代花園唯一のものです。]
入園料150円
入口脇に 大きな石碑があります。
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東京市碑
(向島百花園)
向島百花園由来の碑 昭和十四年七月 東京市
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向島百花園には隅田川七福神 福禄寿尊があります。
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「隅田川七福神めぐり」は江戸時代から続いているもので、七福神詣の元祖とされている。
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正門を入りすぐに、庭門があります.
庭門には太田南畝(蜀山人)が「花屋敷」と記した扁額がかけられています。(複製)
左右の柱には「春夏秋冬花不断」と「東西南北客争来」の一対の聯(れん)が掛けられています。
大窪詩佛の書だそうですが 戦争で焼けているので複製です。
往時は、江戸中に百花園の名が知れ渡り、多くの庶民の行楽地として賑わいました。弘化2年(1845)には、12代将軍家慶の梅見の御成りがあり、明治になると皇室関係をはじめ、多くの著名人が来遊した記録が残っています。
中に進みます。

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2013年12月05日

東武博物館〜向島百花園

三越前駅から半蔵門線に乗って 東向島駅に行きました。
東武伊勢崎線乗り入れなので そのまま行けます。
東向島駅には東武博物館があります。
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東武博物館(とうぶはくぶつかん)は、東武鉄道に関する資料・車両などを収集・展示している博物館です。今回は入場せず 向島百花園に向かいました。道路沿いにも車両が展示してありました。
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1720型デラックスロマンスカー(東武博物館)
所在地 墨田区東向島4-28-16 
「1720系は昭和35年(1960)に就役し、浅草〜東武日光・鬼怒川方面へと走った特急電車です。当時の車両技術の粋を集めたオール電動車6両固定編成で、昭和48年(1973)までに7編成作られました。ジュークボックス付きのサロン室を備えるデラックス車両として長い間東武鉄道の看板特急でしたが、100系特急スペーシアにその女王の座をゆずる平成3年(1991)引退しました。」
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日光軌道線203(東武博物館
「日光軌道線は明治43年(1910)、日光精銅所の資材輸送を主目的に敷設されました。昭和22年(1947)に当社と合併しましたが、その後、観光客の増加にこたえ、開業以来使用していた旧形車を廃し、昭和28年(1953)・昭和29年(1954)に大形車を導入しました。この車両は昭和29年(1954)に汽車会社で造られた2車体3台車連接式の珍しい電車です。日光軌道線は、昭和43年(1968)に姿を消しました。」
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日光軌道線203

全長:18,550mm
幅  :2,200mm
高さ :3,702mm
線路をくぐり 向島百花園に向かいます。
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途中くすのき児童遊園に稲荷神社がありました。
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向島百花園の塀に沿って歩きます。
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向島百花園入口です。
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東京都墨田区東向島三丁目にある都立庭園です。
入園口が見えてきました。

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2013年12月04日

神田川クルーズ8(終)

柳橋をすぎると隅田川です。
川幅が広くなり 波があってしぶきがかかります。
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総武線鉄橋とスカイツリーが見えます。
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両国Jジャンクション。高速道路が川を渡ります。
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水上バスのホタルナとすれ違いました。
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新大橋ではヒミコと遭遇。
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隅田川にはいろいろな観光船がいます。
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次は水上バスです。
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振り向けば清洲橋とスカイツリーが見えました。
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永代橋をすぎます。
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新川の隅田川テラス沿いの桜並木が紅葉しています。
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ここをすぎると 舟は亀島川に入っていきます。
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隅田川の橋と亀島川〜日本橋までの記事は 日本橋クルーズ1〜6に書いています。(カテゴリーは中央区
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護岸の赤い蔦がきれいでした。
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日本橋船着場に戻りました。
ちょうど先のツアーの舟が付いたところです。
橋の上の赤いバスは乗り降り自由の観光バス スカイホップバス。
2階建てオープンバスです。
日本橋川・神田川と船で巡って 普段見ることのできない川の上からの景色を楽しみました。
江戸情緒が江戸の歴史が味わえました。
東京再発見のいい舟旅でした。

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2013年12月03日

神田川クルーズ7

32.和泉橋 千代田区神田佐久間町ー 千代田区神田東松下町
構造 : 鋼製 ヒンジ アーチ 橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
橋の北東には神田和泉町。橋の上を走るのは昭和通り。その上には首都高速が走ります。
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和泉橋』の名の由来は、伊勢の津藩藩主 「藤堂和泉守」 の上屋敷が近くにあったことからこの名が付いたといいます。
左岸上流の橋詰めには、05年に整備された防災船着き場があります。
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33.美倉橋 千代田区神田佐久間町ー 千代田区東神田
構造 : 鋼製 ヒンジアーチ 橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
三つの倉が橋の近くにあったから三倉と呼ばれるようになったとのこと。
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下流側には大きなガス管橋があります。
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34.左衛門橋 千代田区東神田ー 千代田区東神田
構造 : 鋼製 ヒンジアーチ橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
橋の下流側は、中央区と台東区の境。上流から千代田区です。
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左衛門は、江戸期にあった荷揚げ用の左衛門河岸からとりました。
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35.浅草橋 台東区浅草橋ー 中央区日本橋馬喰町
構造 : 鋼製 ヒンジアーチ 橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
左衛門橋をすぎると、たくさんの屋形船が 浮かんでいて、風景がガラリと変わります。
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江戸城外郭、浅草口に由来し 浅草から離れていますが、浅草の名前が付いた橋です。
橋の周辺は屋形船の基地になっていて、護岸の内側に船宿があります。
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36.柳橋 台東区柳橋ー 中央区東日本橋
構造 : 鋼製 タイド アーチ 橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
元禄11(1698)年に初架橋。現在の橋は関東大震災後架けられた鋼鉄橋。
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橋の周囲には柳の並木が作られていますが今は冬で 目立ちません。
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屋形船は江戸時代からありますが江戸文化を現在も引き継ぎ 船宿や屋形船がたくさん見られるこのあたりは タイムスリップしたような感じがします。
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神田川最下流の柳橋の向こうは隅田川です。
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