2013年12月02日

神田川クルーズ6

29.万世橋 千代田区外神田ー 千代田区須田町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ橋  
完成 : 昭和 5年 (1930)
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レンガ造りの構造物は、旧国鉄万世橋駅の遺構です。
1912年につくられた「万世橋駅」は関東大震災で焼失。1925年(大正14年)に再生しましたが 1943年に駅としての機能は休止。
その後交通博物館として愛されてきました。
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2006年に閉館。2013年 100年の時を経て2013年、赤レンガアーチの味わいはそのままに残し、新たな商業施設として「mAAch ecute(マーチエキュート)」がオープンしました。
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おしゃれなお店に生まれ変わっていて旧万世橋駅の開業時(明治45年)に作られたホーム部分を展望デッキとして整備しました。
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万世橋から手を振る人々。秋葉原が近いので人通りが多いです。
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写真にある水路は「真島町雨水幹線」と言われるもので 谷中2丁目の通称「へび道」を起点として根津、不忍通りの下を通って万世橋まで流れている雨水下水道幹線だそうです。
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親柱の下に小窓がたくさん…階段もあります。
ここは以前公衆トイレとして使用されていたそうです。
万世橋をすぎて すぐ見えるのがJRの橋です。
30.JRの橋
アーチ部分に隠れて少し 見えているのが 神田ふれあい橋です。
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31.神田ふれあい橋 千代田区神田佐久間町ー千代田区神田東松下町
構造 : 歩行者専用 鋼製 桁橋  
完成 : 平成 1年 (1989)
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上流側に隣接する新幹線の高架。新幹線の工事用の橋でしたが、地元の要望により工事完了後も撤去しないで、人道橋として供用されています。
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南側川沿いにに柳森神社が見えます。 室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社で、境内の福寿社は「おたぬき様」と呼ばれているそうです。
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次は和泉橋です。
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2013年12月01日

神田川クルーズ5

御茶ノ水駅です。工事用の橋げたがあって 聖橋がよく見えません。
「御茶ノ水駅」の線路上空に、御茶ノ水橋口と聖橋口を結ぶ人工地盤(約2,900u)を設置し 駅のバリアフリー化工事をしています。
5年後の2018年度の工事完了予定だそうです。
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25.聖橋 千代田区 神田 駿河台ー文京区 湯島
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ 橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
神田川、JR中央線、外堀通りをまたぐ橋です。神田川部分がコンクリートアーチになっていて 橋は船から見上げた時に最も美しく見えるようにデザインされています。通り過ぎてから振り向いて写しました。
ニコライ堂と湯島聖堂、ふたつの聖堂を結ぶことから聖橋といいます。
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26.地下鉄(東京メトロ)・丸の内線
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JR中央総武線の下にある神田川のところで短い距離ですが、地上に出ています。
丸ノ内線の電車と聖橋のいい場面に出合いました。
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神田川は時代に取り残されたような古い建物が並んでいます。
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27.JRの橋(総武線神田川橋梁)
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向こうに見えてきたのは 昌平橋です。
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28.昌平橋 千代田区外神田ー 千代田区淡路町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ 橋  
完成 : 大正12年 (1923)
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昌平の名は、近くの湯島聖堂に祀られる孔子の故郷に由来します。
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孔子の生地 「昌平郷」 にちなんで 「昌平學(昌平坂学問所)」 と名付けたとき 近くの神田川に架かる 『一口橋』 を 『昌平橋』 に改名したということです。
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この橋は江戸期から明治 昭和と橋の位置や架け替え名まえの変更 などの複雑な歴史をもっています。
歩道部のアーチ側面をレンガ張りにするなど、景観にも配慮がなされレストランなどが川に面して営業しています。
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次は万世橋。
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2013年11月30日

神田川クルーズ4

頭上を覆っていた高速道路がなくなり すっきりとしてきました。
22.後楽橋 文京区後楽ー 千代田区水道橋
構造 : 鋼製 アーチ 橋
完成 : 昭和 2年 (1927)
左手側には元々、水戸藩の藩邸があり、
そこの庭園が小石川後楽園から命名されています。
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写真では黄色の手すりの一部しかみえませんが 後楽園ブリッジです。
水道橋駅から東京ドームシティへ直接行ける、歩行者用の橋です。
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23.水道橋 文京区後楽ー 千代田区水道橋
構造 : 鋼製 桁橋
完成 : 昭和63年 (1988)
水道橋を右側に渡るとちょうどJR水道橋駅の入り口があります。
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江戸時代この橋の下流側に、神田川を渡る神田上水掛樋が架かっていました。

水道橋が見える橋、それが橋の名の由来となっています。
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ここは洪水を防ぐために設けられた分水路です。
御茶ノ水橋までは 渓谷のような景観のいい景色です。
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ドラマ「JIN」に出てきたような神田川の渓谷美です。
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江戸時代の初期に 「神田川」 が開削されてこの場所を流れるようになると、ここは 「お茶の水谷」 と呼ばれる深い渓谷になりました。
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中央線御茶ノ水駅付近の線路は、神田川に沿って構築された盛土上にあり、神田川と台地側切土に挟まれた地形上に位置するため現在防災工事 首都直下地震に備えた耐震補強工事を行っています。
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24.お茶の水橋  文京区湯島ー 千代田区神田駿河台
構造 : 鋼製 ゲルバー式 桁橋  
完成 : 昭和 6年 (1931)
「お茶の水」 の地名は、徳川家康 が鷹狩りに出掛けた際この辺りで休息し、 「高林寺」 の井戸水で入れたお茶がことのほか美味しく、この井戸水を将軍家がお茶に愛用したという逸話からきているとのことです。
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お茶の水の橋の橋桁(はしげた)の高さは かなり高いです。
この場所がいかに深くえぐられた 渓谷のような場所かわかります。
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御茶ノ水橋をくぐると ホームの電車と聖橋が見えてきます。
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2013年11月29日

神田川クルーズ3

15.南掘留橋 千代田区神田神保町ー 千代田区九段北
構造 : 3スパン 鋼製 桁橋
完成 : 昭和 3年 (1928)
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首都高西神田ランプがあるため圧迫感があり 暗いです。
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16.掘留橋  千代田区西神田ー 千代田区飯田橋
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ 橋  
完成 : 大正15年 (1926)
神田川掘削後、現在の 「日本橋川」 は三崎町の分流地点から、この 『堀留橋』 付近まで完全に埋め立てられて、いわゆる 「堀留」 になっていました。平成11年(1999) には、歩道や欄干などの修復が行われました。
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17.新川橋  千代田区三崎町ー 千代田区飯田橋
構造 : 3スパン 鋼製 桁橋  
完成 : 昭和 2年 (1927)
明治36年(1903) の 日本橋川再開削の後 江戸期に断ち切られていた日本橋川と神田川が再びつながりました。その工事によって掘られた水路の名前が新川。この橋の由来です。
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江戸東京再発見コンソーシアム の電気ボートとすれ違いました。
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桜並木のきれいなところです。
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18.あいあい橋 千代田区三崎町ー 千代田区飯田橋
(新たに架設された歩行者専用橋)
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 平成13年 (2001)
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逆光でみえませんが旧国鉄飯田町駅の再開発にともなう人道橋。
親柱には 『i-i bashi』
飯田橋の頭文字、アイデンティティのIを意味したり、「和気あいあい」などが橋の名の由来だそでうす。
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19.新三崎橋 千代田区三崎町 千代田区飯田橋
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 平成14年 (2002)
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三崎橋との間に中央線が通っています。
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飯田橋再開発事業に合わせて架け替えられました。
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20.JR中央線 総武線の橋です。
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21.三崎橋 千代田区三崎町ー 千代田区飯田橋
構造 : 鋼製 桁橋  完成 :
昭和29年 (1954)
右手には神田川を航行するゴミ運搬船と施設
その手前で、日本橋川が分流します。
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日本橋川では最上流の橋です。北側はもう神田川です。
合流地点からJR方向を見ています。
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この上のほうには 東京ドームが見えます。
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運搬船にごみを積み出す装置をもつごみ東京都清掃局の千代田清掃事務所三崎町中継所です。
清掃車で集められたごみは、ここで不燃ごみは運搬船に積み込まれ、この運搬船は神田川を下り、隅田川へ出て 東京湾内にある不燃ごみ処理センターに運ばれます。はしけ一隻でごみ収集車15〜20台分のごみを運べるほど輸送効率が良く、交通渋滞の緩和や排気ガスの低減に役立ちます。
江戸は水の都と言われるほど 川や運河が重要な交通路でした。
神田川が現在も「都心からのごみ搬出」に利用されているのです。
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奥に後楽橋が見えています。

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2013年11月28日

神田川クルーズ2

高速道路の下を船は行きます。
神田ジャンクションあたりです。
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鎌倉橋が見えてきました。
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8.鎌倉橋 千代田区内神-田- 千代田区大手町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ橋  
完成 : 昭和 4年 (1929)
江戸城築城の際、資材を鎌倉から運び 陸揚げをしたのがこのあたりで、 鎌倉河岸(かし)と呼ばれ 賑わった場所でした。
鎌倉河岸の近くに架橋されたことから、この名前が付いたそうです。
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9.神田橋  千代田区神田錦町ー 千代田区大手町
構造 : 鋼製 3スパン 桁橋
完成 : 昭和55年 (1980)
将軍が上野・寛永寺に参拝するための 御成道 でもあったので、、警備が厳重な要所とされる橋でした。
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川も防衛上の理由で、蛇行しています。
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現在の橋は昭和55年(1980)、下を走る地下鉄千代田線の工事に伴って架け替えられたもの。
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10.錦橋  千代田区一ツ橋 ー千代田区大手町
構造 : 鉄筋コンクリート製 アーチ橋  
完成 : 昭和 2年 (1927)
すぐ近くの交差点の名前が錦町河岸。ここもかつて、江戸城建設の際に荷揚げが行われた場所です。付近は神田錦町と呼ばれています。
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コンクリートのアーチ橋がきれいになっているんですけど・・・
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錦橋 から 一ツ橋にかけての護岸には一部 石積み が残っています。
これら石垣のなかには、 普請を担当した大名の刻印が刻まれた 「刻印石(こくいんせき)をみることができます。
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11.一ツ橋 千代田区一ツ橋ー 千代田区一ツ橋
構造 : 鋼製 桁橋
完成 : 大正14年 (1925)
皇居内堀に最も近づくのが、この一ツ橋のあたりです。
このあたりにもかつて河岸がありました。
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徳川家康 が 江戸城 に入った頃には、この場所に 「丸太の一本橋」 が架かっており、『一ツ橋』 の橋名は、この 「一本橋」 から付けられたと伝えられている。
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アーチ状の 「橋台」 部分
少し先に共立講堂が見えます。
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12.雉子橋  千代田区一ツ橋 ー千代田区九段南
構造 : 鋼製 アーチ 橋  
完成 : 大正14年 (1925)
完成 : 大正14年 (1925)
外国からの使節をもてなすための 雉(きじ) や 鶏 を飼育する囲いがあったことから、 『雉子橋』 と呼ばれるようになったと言われています。

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13.宝田橋  千代田区神田神保町 千代田区九段南
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 昭和43年 (1968)
宝田橋の名の由来は、付近の宝田村からです。
現在この地名はなく この橋に残っているだけです。
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14.俎橋  千代田区神田神保町ー 千代田区九段北
構造 : 鋼製 桁橋
完成 : 昭和58年 (1983)
江戸名所図会にもその立派な橋の姿が描かれています。
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江戸時代から 「まな板」 のような 「板」 を渡しただけの簡素な橋だったことから『俎橋』 と呼ばれるようになったという。
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続きます。

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2013年11月27日

神田川クルーズ1(日本橋)

前回 日本橋クルーズの川めぐりをしてとてもよかったので 今回は神田川クルーズに参加しました。
日本橋船着場には その他の舟のクルージングもあってにぎわっていました。
私たちは前回と同じ会社のクルージングです。
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舟はオープンデッキで椅子とテーブルがあるので 飲食も可。
90分の船旅もまわりがよく見えて快適です。
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1.日本橋  中央区日本橋室町 ー中央区日本橋
完成 : 明治44年 (1911)
構造 : 2スパン 石造 アーチ橋
最初の架橋(かきょう)は、徳川家康が幕府を開いた 慶長8年(1603)と伝えられ、 翌年、東海道をはじめとする五街道の起点に制定されました。 重要な日本橋川の水路と交差する交通の要所として、 江戸経済の中心でした。
橋詰(はしずめ)には高札場(こうさつば)があり、 魚河岸があったことでも有名です。
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ここから 日本橋川を後楽園のほうに遡ります。
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2.西河岸橋  中央区日本橋室町ー 中央区八重洲
完成 : 大正14年 (1925)
構造 : 3スパン 鋼製 桁橋
橋の名の由来となった西河岸とは、江戸の台所事情を支えた日本橋魚市の西側の河岸。
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3.一石橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 平成13年 (2001)
構造 : 2スパン 鋼製 桁橋
その昔日本橋川は常磐橋で直角に折れ曲がり、外堀と道三堀が交わる水の十字路でした。江戸城の外堀が左手側に流れていました。
現在は、埋めたてられていて外堀通りの一部になっています。
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一石橋はその屈曲点の下流側に架かるの橋です。橋詰めには迷子知らせ石標があります。
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4.常盤橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 昭和元年 (1926)
構造 : 鉄筋コンクリート 石張り アーチ橋
水の十字路の下流側に架かるのが、石造りの常盤橋。
江戸城常磐橋御門に由来する橋ですが、「常盤」の文字が違います。
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橋の東側は日銀本店。
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5.常磐橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 明治10年 (1877) 構造 : 石造 2連 アーチ橋
常磐橋御門の石垣が残る常盤橋公園(字が違います)に架かる常磐橋は、歩行者専用橋です。
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現存する橋は、明治10年(1877)完成の 石造(せきぞう)2連アーチ橋。 江戸城の城郭門(じょうかくもん)「常磐橋門(ときわばしもん)」の 見附橋(みつけばし)として架けられたもので、 東京で最も古い石橋の一つといわれています。
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現在修復中工事をしています。
橋のたもとには重要文化財常磐橋門の跡が残されています。
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6.新常盤橋  中央区日本橋本石町ー 千代田区大手町
完成 : 昭和63年 (1988)構造 : 鋼製 桁橋
このあたりから 景色は変わり大手町ビジネス街となります。
新常盤橋のすぐ先で、日本橋川はJR線路をくぐります。
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7.JRの橋
鉄道のために架けられたアーチ橋であり、昭和初期の建造物
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JRの橋中央には「日本国有鉄道」の刻印があります。
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かつての鉄道省の紋章が、橋の中央にあるキーストーンに見ることが出来ます。

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2013年11月26日

日本橋・名水白木屋の井戸

神田川クルージングの舟に乗るため日本橋船着場に行きました。
チケットを買い 出航の時間まで近くをぶらり散歩しました。
 野村證券本社ビル前にあるのが三菱東京UFJ銀行 日本橋支店(旧村井銀行)の建物です。
三角形の鋭角な日本橋御幸ビル(旧日本橋東海ビル)ですがこのビル自体は1975年に建てられたものです。
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少し裏にまわると旧村井銀行(大正2年竣工、設計:吉武長一)の入口が保存されています。
日本橋御幸ビルの裏手にあるレトロな入口。
旧村井銀行のものを一部保存。
村井銀行は昭和2年に倒産。
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(入口部分の建築データ)
竣工 :1913年(大正2年)
所在地:東京都中央区日本橋1-7-17
設計 :吉武長一
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工事中のようでした。
日本橋COREDOの裏手にCOREDO日本橋アネックス広場があります。
その前に石碑がありました。
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漱石名作の舞台の碑
江戸っ子漱石はロンドンを舞台にした作品にも日本橋を言挙したほどだ。青春小説「三四郎」、倫理探求の名作「こころ」には、ここの路地の寄席や料理屋が描かれている。
平成17年6月吉日
早稲田大学第十四代総長 奥島孝康 識
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その隣に 「名水白木屋の井戸」の碑 
東京都指定旧跡  中央区日本橋1-4
名水白木屋の井戸  
「江戸時代のはじめ、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず付近の住民は苦しんでいました。
正徳元年(1711年)、白木屋二代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに着手しました。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともなって広く「白木名水」とうたわれてきました。
白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋1丁目交差点角にあったものを平成16年(2004年)ここに移設再現したものです。」
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白木屋は、近江商人大村彦太郎の創業、越後屋と肩を並べる呉服の大店でした。
1967年9月 「東急百貨店日本橋店」に改称しましたが1999年1月31日 閉店。
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残念ながら日本橋の名水は消失してしまいましたが名水白木屋の石碑と井戸を思わせる施設を造営して再現しています。
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2013年11月25日

水道橋

白山通りに戻り 水道橋駅に向かいます。
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東京ドームシティ.東京ドームホテルが見えます。
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水道橋駅前交差点です。
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水道橋親柱
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水 道 橋
全長 : 24.9 m  全幅 : 50.2 m  
構造 : 鋼製 桁橋  
完成 : 昭和63年 (1988)
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水道橋記念プレート
北詰欄干には、「江戸名所図会」の「お茶の水」の図を彫った銅版が埋め込まれています。
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江戸の時代より木製の橋でした。大正13年の関東大震災以降、地震の被害を踏まえて、昭和3年(1928)に鋼製のアーチ型橋がかけられました。現在の橋は「昭和六十三(1988)年三月完成」。
「神田上水」 が神田川を渡ったのが、『水道橋』 の語源となった 「懸樋」 で、「お茶の水谷」 に架かるその姿は、江戸の名所にもなっていたといいます。
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神田川から見た 現在の水道橋です。
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水道橋の上から駅舎方向を見ています。
夕日がきれいでした。
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2013年11月24日

金刀比羅宮 東京分社

出世稲荷から水道橋駅のほうに400mほど行くと鳥居が見えて 黄色地に「しあわせさん。こんぴらさん。」の文字が・・・
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讃岐金刀比羅宮・東京分社」です。
丸に金の字の提灯は、金刀比羅宮おなじみの独自の金の字が使われています。
松平ョ重候下屋敷跡の説明板があります。
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松平ョ重候下屋敷跡
「 この地一帯(東京都立工芸高校 宝生能楽堂 金刀比羅宮東京分社)は高松松平家下屋敷のあったところである。
 高松松平家は松平ョ重を藩祖とし徳川光圀とは兄弟の関係にあった。爾来現13代のョ明氏に到るまで松平家は、四国にあって教育と経済の振興に力を尽して来た。
 特筆すべきは12代ョ寿氏で、氏は貴族院議長(1937年→1944年)として名声をはくし、わが国の議会政治史上に一点をとどめ、他方大正大震災の後、旧本郷区の要請で本郷学園を創設し、わが国教育面に大いなる貢献をした。」
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神社は金毘羅のほうを向いて西面しています。そんなに大きくはないのですが 参道には木々があってまわりとは雰囲気が違います。
“ 水道橋 の こんぴらさん ” として 親しまれています。
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「 手水鉢 」
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狛犬像の形は珍しくデフォルメされた容姿で、若干風変わりなもの。
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なんとなく愛嬌があって親しみやすい狛犬さんです。
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「讃岐金刀比羅宮・東京分社」  文京区本郷1-5-11
創建年代 文政2年(1819)板橋市左右衛門奉斎の金刀比羅神社
寛政5年(1793)高松藩上屋敷の邸内社
御祭神;大物主命・崇道天皇
「由緒 :文政2年(1819年)、板橋市左衛門の邸内祠として祀られたことに始まる。明治13年(1880年)には、神社として認められ、明治21年に当宮境外末社に加えられた。明治23年(1890年)には神田和泉町にあったものを、深川古石場町に移転、「深川のこんぴらさん」として親しまれた。しかし、昭和20年(1945年)、戦災にあい建造物を焼失。讃岐高松藩の邸内社として奉斎されていた水道橋金刀比羅神社と深川のこんぴらさんを合わせ祀り、昭和39年(1964年)、文京区本郷に遷座。以来「水道橋のこんぴらさん」として現在に至る。 」
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境内社 「 水道橋稲荷社 」
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駐車場の敷地というか隣にあります。
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稲荷社ですが 狐様は見当たりませんでした。
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こんな感じで鎮座しておられます。
隣は宝生能楽堂です。

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2013年11月23日

出世稲荷神社(春日稲荷神社)

春日通りから少し脇道に入る。
東京メトロ丸の内線が地上を走るあたりです
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道幅は狭く傾斜は急です。
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丸ノ内線後楽園駅がすぐそばです。
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旧東富坂

「むかし、 文京区役所があるあたりの低地をニケ谷(にがや)といい、 この谷をはさんで、 東西に二つの急な坂道があった。東の坂は、木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくるので、「鳶坂」といい、いつの頃からか、「富坂」と呼ぶようになった。(『御府内備考』による)富む坂、庶民の願いがうかがえる呼び名である。
また、 ニケ谷を飛び越えて向き合ってる坂ということから、 「飛び坂」ともいわれた。 明治41年(1908)、 伝通院から本郷 3丁目まで開通した路面電車の通り道として、 現在の東富坂(真砂坂)が開かれた。 それまでは、区内通行の大切な道路の一つであった。東京都文京区教育委員会」
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白山通り沿いはラクーアです。
ちょうどこの反対側 白山通りを1本入った路地に小さな神社があります。
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「出世稲荷神社」(春日稲荷神社)
文京区本郷1-33-17
御祭神:宇迦御魂命
寛永7年(1630)の鎮座
昭和40年に社殿建立。昭和50年に鳥居建立。
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「この辺昔、春日局宅地なりし時、鎮守のため勧請なり。春日局・・・出世ありしゆえ当社の神徳を崇め、出世稲荷と崇め奉るなり。」(旧事茗話)春日局は本名「ふく」父は明智光秀の重臣斉藤内蔵助利三である。戦いに敗れ、逆賊の家

族として苦しい生活をした。後、徳川三代将軍家光の乳母となり、江戸城大奥にて大きな力をもつに至った。
このあたりの片側を将軍から拝領し町屋をつくった。「御府内備考」によれば神社の土地

は拝領地28坪、外に27坪、小栗猶之丞より借地とある。享保2年焼失したので京都稲荷山の千年杉で御神体を作り祭った。
春日町起源のゆかりのある場所である。」
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この付近が春日局の屋敷だった時、邸内鎮守として創建、春日局が敗軍の将の娘から大奥の権力者へと出世したことから、出世稲荷と称されるようになったといいます。そういえば 後楽園駅前には大きな春日局像がありましたっけ・・・
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神社は西面。社殿の後方は傾斜地、ブルとビルの間の谷間のようなt敷地 で境内地の半分は児童公園となっています。
春日局さんも肩身の狭いことです・・・・
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石灯籠もこじんまりと控えめに。。。
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現在は本郷1丁目ですが 旧町名案内板があります。
旧春日町です。
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文京区の路地裏は古い建物などが残っていてなかなか面白いです。

posted by うめのはな at 07:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 文京区